曖昧男の幻想記   作:無法マツ

2 / 3
2.かけ一丁ねぎましまし

 うつら、うつらと眠りの船を漕いでいると、じわりと瞼の裏が明るいオレンジ色に彩られる。太陽が、出始めていた。殆どの雨雲は昨夜に雨粒として落ちたのか、薄くちぎった雲しか空には浮かんでいない。

 僕は瞼を開けるとあまりの眩さに目を細め、手で光を遮ってゆっくりと眼を光になじませる。小傘と雨音の喧しい子守唄を聴いている内に、いつの間にやら寝てしまっていたのだ。木に背中を預けて座りながら寝たので、腰と背中が痛い。

 ゆっくりと腰を上げようとすると太腿の辺りに暖かい重さを感じる。小傘だ。

 小傘が僕を枕にしていると気づいた時、意識がそちらにいったせいかそれを切欠にして太腿からビリビリと電流が走る。

 

「小傘。起きろ」

 

 ぺしぺしと軽く頬を叩いても小傘はううんと身じろぎをするだけで起きない。

 身じろぎをするだけ、と言っても小傘の重みのせいで血行の悪くなった僕の太腿をぐりぐり頭で刺激する度にビリビリビリビリ太腿から爪先にかけて痺れるからたまったものではない。

 そんな僕の芳しくない状況と対照的に、小傘は幸せそうな寝顔で涎を僕のズボンに染み込ませているから不愉快だ。

 かくなる上は、と右手をじゃんけんのチョキにして指先を第二間接まで曲げた状態にして小傘の顔に近づける。

 

「ふ、ふががが!」

「起きたか」

「何するのよー!」

 

 効果は予想以上に覿面で小傘はびっくりしながら飛び起きた。直後、締まりがないふにゃふにゃした顔をしてからぶぇっくしょい! とお手本通りの親父臭いくしゃみを披露してくれた。

 

「そんな所で寝るから体を冷やすんだ」

「違う、鼻をつまむから」

 

 ずるずると鼻声で小傘に言われ、そういえばそうだったと考えてすまんと謝る。

 

「大体、おじさんもそんな所で寝ていたじゃない」

「僕は慣れている」

「私もなれてるもん」

「へえ」

 

 生返事する僕に、小傘は聞いてないでしょー、鼻もむずむずするしとぷりぷり怒った。

 小傘は心地良い(?)枕を使っていたから良いかもしれないが、使われていた僕の太腿は電流に苛まれていて、小傘が中々起きないから仕方がなかったという旨を伝えると。

 

「使われるってのは道具にとって幸せな事なのよ……」

 

 と若干遠い目をしてから僕に背を向けた。僕は道具じゃないし、そういう問題でもない。

 そんな訳で手を貸してくれと手を伸ばす。小傘はもったいぶって空を見上げてからゆっくりとわざとらしく振り返って、「わちきで良ければ」と朝日に縁取られた状態でドラマチックに言うものだから一、二回こづきたい衝動に駆られた。

 左手で唐傘を逆手に持って、それを支えにして僕の伸ばした手を小傘は握り締めてはああ、どっこいしょーどっこいしょーと何故かソーラン節に合わせて引っ張りあげる。僕はにしんでもない。

 

 そんなこんなで漸く立ち上がれた僕は不快な痺れを堪えつつ、ぱきぽき体を反らせて深呼吸。雨が明けた朝の空気は、涼しくて心地よい。ポケットから無事濡れなかった煙草を取り出して咥え、カキンッとライターを鳴らすと小傘はこちらをじぃっと見ていた。僕はああ、と思って、

 

「煙草を吸っても良いか」

「いいなあ」

 

 許可を得たのでライターのホイールを回して火花を散らし、煙草で火を吸い込む。フィルターを通して煙となった炎を、肺に入れてから吐き出す。ふぅーと流れた煙は僕の正面でもくもく溶けていくかと思いきや、ちょうど吹いた逆風で小傘の顔を覆った。

 

「げっほ、ちょっと! 煙(けむ)いよ!」

 

 小傘は手で煙を払いながら非難めいた口調で言う。

 

「文句は風に言ってくれ」

 

 事実、今のは風が悪いのであって僕は悪くない。そんな僕の考えは余所に、小傘は僕を諭すように人差し指を突き出した。

 

「煙草を嗜む時はお近くの人に一声かけるのがマナーなのあっつぁ!」

 

 火の点いた煙草に指を近づける奴があるか。

 ほあっちゃあとか言いながら手首をスナップさせる小傘に呆れつつ煙草を摘まんで灰皿に折れないようやさしく入れる。

 

「訊いたじゃないか。吸っても良いかって」

「訊かれてないよ」

 

 僕が健忘症でなければ確かに訊いた筈だが。僕は肩を竦めて、

 

「じゃあ、吸っても良いか」

「いいよ」

「いいのか」

「いいけど?」

「そうか」

 

 駄目もとで訊いてみたが、小傘は別に嫌煙者でなく煙草は構わない様だった。最近、喫煙者の肩身が狭くなっているから少しだけ嬉しい。そもそも、小傘と僕は一緒に旅をしている訳でもないから僕が離れればいい話ではないかと今考えたが、許可を貰ったのでまあ良いとする。

 一時的に灰皿に避難していた煙草を咥えて、ライターで再び火を点ける。すると、小傘が「いいなあ」と呟いた。先ほどはいいなあと呟いていたのかと頭の隅で考えながら、「お嬢さんにゃ煙草は早い」と白い煙を吐いて言う。

 

「煙(けむ)いのじゃなくて、それ」

 

 ライターを指差す小傘。

 

「強請(ねだ)られても、やるつもりはない」

 

 このライターは長く愛用している物だし、結構な年代(レア)物で値段も張る代物なのだ。それにいくら積まれようと売るつもりすら毛頭無い。

 

「そうじゃなくて、使い古されてる」

 

 そう羨ましげに言う小傘に、僕はライターに刻まれている傷を指でなぞりながら得意げになった。

 

「相棒の様な物だ」

「ああ! わちきには眩ゆい響き! 浄化しちゃう~」

 

 なんて言いながら小傘はよよよと崩れて唐傘をばさりと開く。暗い舞台にスポットライトが当たっている風にも見えてしまう程だから、もしかしたらこの少女は芸者なのではないかと考えを巡らせた。

 でもなんとなく腹が立つので足早に退散する。間も無くして僕が立ち去ったと気づいた小傘は「ちょっとー!」なんて叫びながらからから走ってきた。

 

「何故ついてくる」

「旅は道連れ世は情け。道具と人、互いに助け合う精神が」

「暇なのか」

「暇でした」 

 

 はあ、と溜息混じりに息を吐く。それにしても、人懐っこいのはよろしいが初対面の男の足を枕にしたり警戒心が無さすぎやしないか。

 放っておくのも少しだけ心配だから、その旨を伝えてさらわれても知らないぞと脅すと。

 

「万年置き傘がそう簡単に拾われる訳がないのさ……」

 

 傘の話をしているのでは無い。なんだ、その傘を余程誰かに使って欲しかったのか。

 物憂い表情で言う小傘に僕はもういいやとばかりに口から濛々と煙を出した。それからもくもくと紫煙を燻らせては灰を灰皿に落としていると小傘は、

 

「その煙いの、何で吸ってるの? 体に悪そう」

 

 と尋ねて厭味でなく純粋な好奇心に染まった赤と青の異なる双眸(そうぼう)で僕を見つめる。

 

「事実、体に悪い」

「じゃあ、どうして」

「吸うとストレスが吐き出せるから」

 

 煙を吐き出すと心に溜まった鬱憤が可視化して出ていっているようで、精神衛生上は良い。と僕は続けた。

 すると小傘はうーんと考えて、

 

「しゃぼん玉のストローじゃ駄目なの?」

 

 僕は驚愕してくわえていた煙草を落としそうになった。確かに、僕の理論で言うと煙草でなくしゃぼん玉のストローでも良いという事になる。

 小傘の「あ、今驚いた、何で?」という呟きを無視して思考を続ける。

 鬱憤を可視化して吐き出す煙草と、それを泡に包み込んで弾けさせるのではそう大差ない。それどころか煙草は身体に悪いし、しゃぼん玉は儚げで美しいから後者に分がある。

 

「いいや、煙草でないと駄目だ。胸の中でストレスを煙に変えて、吐き出すから意味がある。しゃぼん玉のストローはただ吹くだけだからそれが出来ない」

「ふーん」

 

 そう答えてから、何故必死になっているんだと自身に疑問を持つ。いつもの僕なら、吸いたいから吸うと答えていただろうに。

 

「まあ、ストローでは相棒を使えないもんね」

 

 と小傘に言われてきょとんとした。格好つけて煙草を吸う為の僕のライターの存在をすっかり忘れていたのだ。

 

「うん、そうだ。ストローでは相棒を使えない。それが大きな要因だ」

 

 僕は納得して頷くと同時に、奇妙な喪失感が胸にじわりと染み込むのを感じていた。その感覚は煙草を吸うと次には煙となって消えてゆく。

 それが何だったのかは解らない。だが、煙となって消えたとあれば悪い物が排出されのだから良かったのだと結論付けた。

 

「おじさん」

 

 横並びに歩いていた小傘が僕の顔を覗きながら僕を呼ぶ。

 

「なんだ」

「さっきから歩いてるけど、何処へ行こうとしてるの」

「何処へも行こうとしていない」

「じゃあさ、里に行こうよ」

「里?」

 

 煙草を灰皿に仕舞いながら尋ねる。

 

「うん。人里」

 

 ここの近くに人々が住まう里があるとの事。僕はどうしようかと迷ったが、まあ、大丈夫かと首を縦に振った。

 道を知っているのかと思ったが、意気揚々と先導し始めたから任せる事にした。迷おうが、何処へ行こうが、僕にとっては変わらない。何処も目指していないから。

 

―――――――

 

「ここが、里か」

 

 田舎だと馬鹿にしていた訳では無いが、思いの外活気のある里だ。店が並び、往来に人が行き交い、喧騒に溢れている。

 

「ふふふ、人間達め。わちきの驚かせ百八式で腹を満たしてやるわ」

 

 小傘は僕を案内したきり、そんな台詞を残して走り去る。最後まで慌ただしい奴であった。

 小傘から解放された僕はさも軽くない足でのそのそ里を見て回る。さながら時代劇のテーマパークの様で、なかなかに面白い。

 しかし、腹が減った。それもその筈、昨晩小傘にうらめしやと言われ今に至るまで何も口にしていない。うらめしや、なんて言うから蕎麦が食いたくなってきた。表でも裏どちらでも構わないから良い蕎麦屋がないものか。

 

 ふと、風に乗って良い匂いがしてきたので本能のままに匂いの糸を手繰ってゆく。そうして大通りを歩いて角を曲がった所で、飯屋が並ぶ通りに出る。そこをまっすぐ歩いていると蕎麦屋と書かれた暖簾が垂れた店を見つけた。でも、そうやすやすと暖簾をくぐらない。中の店の雰囲気を見てからそこで食うか否かを定めるのだ。

 

 暖簾をくぐって、何食わぬ顔をしてカウンター席に滑り込んでメニューを読む。蕎麦屋の店主は横目で僕を見て見ぬ振りをして、僕が「かけ一つ。葱多めで頼む」そう注文した時に「あいよう」とやる気が有るんだか、無いんだか曖昧な返事をして初めて僕を客として認識する。そんな空気が、好ましい。

 逆に、暖簾をくぐった瞬間に蕎麦屋店主の「へいらっしゃあい!」と耳を突かれ、蕎麦を待ってる間から食い終わるまで店主がしきりにどう返事していいのか解らない言葉を投げかけてくる店は苦手だ。静かに食わせてくれないかと言う訳にもいかないし、ひたすら生返事をして飯を食うのも辛い。

 フレンドリーだと好感を持つのが普通かもしれないが、とにかく苦手なものは苦手なのだ。

 

 そんな事態に直面するのは避けたいので少し屈んで暖簾の向こう側を覗き見る。

 客の入りはそこそこで、ぼろくて狭い知る人ぞ知る隠れた名店といった程よい寂れた雰囲気。うん、僕が好む案配だ、と暖簾をくぐるとちょうど蕎麦屋の店主が人の良い笑みを浮かべて客達と談笑している姿を見てしまった。

 僕は踏み出した足を軸に華麗な回れ右をしたくなったが、この境界を跨いだからには何かを頼まねばならない。後ろ指をさされて逃げる様に店から離れるのも格好がつかない。

 蕎麦屋は僕を認識すると予想通りに「らっしゃあい!」と耳を突いてきた。僕は澱んだ足付きでカウンター席へと座る。

 

「最近、春めいてきたねい」

「そうだね。かけ一つ」

 

 注文すると蕎麦屋はにこにこしながら「あいよ!」と溌剌に答えた。蕎麦屋に牽制されたので葱多めと頼めなかった。

 

「お客さん、見ない顔だね。うちは初めてかい」

「ええ、まあ」

「ははは。蕎麦多めにしといたげるよ」

「それは、どうも」

 

 すると、お客の一人の厳つい男が、「常連客にゃ何かねえのかよ」と愚痴をいい、蕎麦屋は「るせえ、お前はツケをさっさと払わねえかい」と逆ねじを食わせる。そうして二人で馬鹿笑いして、その波が他の客へと伝播する。僕はその間に挟まれてどう振舞っていいのか解らず、辛い。

 あちらへ、こちらへ視線をやっていると、三、四席ほど離れた女性と眼があってしまった。いや、眼があってしまったというよりも女性が僕の方を見ていたもので、反応してしまったと言うべきか。きりりとした意思の強そうな眼をしていて、真面目そうな女性(ひと)だった。

 そのままさっと視線をはずすのもばつが悪いので軽く頭を下げる。女性もまた、軽く頭を下げる。ただそれっきりのコミュニケーションだった。

 蕎麦屋と客達の談笑の中、必死に僕は案山子だ、そう念じながら待っていると、

 

「おまちどおさま、先生」

 

 蕎麦が来た。はっとして顔を上げると、さっきの女性が蕎麦を受け取っていた。蕎麦屋の師なのか、学校の先生なのかは知らないが彼女は先生と呼ばれている様だった。

 

「お客さんのはもうちょっとで出来るから待っててくだせえ」

「ああ、気遣いなく」

 

 変にはっとしてしまったせいで食い意地の張っている人だと思われただろうかと考えつつ、蕎麦を待ち続ける。

 ずるずるするする言う音に空腹を刺激されながら待つことやや数分、ほかほかと湯気をたてた蕎麦がどんと僕の前に置かれた。飾り気の無い、葱がちらほらと散らされた普通のかけ蕎麦だ。

 

「おまちどお!」

「どうも」

 

 箸を持って、蕎麦をさっと持ち上げてずるずる吸い込む。洗練されていない田舎の味だ。だが、美味い。何故だかわからないが美味い。僕が空腹である事も加味しなくても、この蕎麦は美味い。田舎臭いけれど。

 僕は夢中になって蕎麦をすする。蕎麦がなくなれば、器を傾けてごくごくとだしを全て飲みつくした。先に注文がやってきた女性よりも早くに器を空にしてしまう程の早食いだった。

 

「ご馳走様。美味かった」

 

 そう言ってポケットの中からくしゃくしゃになった千円札を置いた。

 蕎麦屋は「毎度あ……」と言葉を途切れさせ、顔を顰めた。蕎麦屋の様子を見て、確かに美味かったがこんな飾り気ない蕎麦が千円以上するのかと眼を丸くする。

 高いぞ、このやろう。千円以下にしろと言うのも筋違いだし、仕方ないなと千円札を引っ込めて、一万円札を出した。これでどうだ。蕎麦屋は尚も顰め面だ。

 僕はついに、何が不満なのだと訊いた。蕎麦屋は困った顔をして、

 

「なんだい、その紙切れは」

「はあ?」

 

 一万円札を紙切れと申したか。どんな田舎でも流石に一万円札くらい全国どこでも知っているだろう。何だ、ここはユーロ圏なのか。僕はそんな単一通貨なんて持ち合わせてはいない。

 

「貴方の言う通貨は何だ。ユーロか」

「ゆ、ゆうろ?」

「いや、すまない。通貨を見せてはくれないか」

「兄ちゃん。これだよ」

 

 横から厳つい男が小銭らしき物をひょいと放り投げる。ぺしっと乾いた音をさせてキャッチし、握った手の中のそれを見て馬鹿なと目を見開く。銅貨だ。紛れもない銅貨だ。

 予想だにしていない金の問題に面食らっていると、

 

「私が払おう」

 

 ほっぺに葱をつけた他称先生が、良く通る声で言い放った。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。