曖昧男の幻想記   作:無法マツ

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1.ライターと唐傘

 じゃっじゃと砂を踏み締め、暗い暗い丑の刻に田舎道を歩く。とても澄んだ空気で気持ちが良いなと深呼吸し、少し歩いた所にどうぞ腰掛けて下さいと言わんばかりの石を見つけたので腰掛けた。

 一服するかと煙草のケースを取り出す。ふたを開けて軽く降り、ひょいと顔を出した煙草をくわえ、誰に見せる訳でもないのに格好つけてカキンと小気味の良い音をたてながらジッポーライターをポッケから出し、火をつける。周りが真っ暗闇なだけあって小さな火でも辺りに明かりがじわりと染み込んだ。

 煙草に火をつけ、ぷうと息を吐く。綺麗な空気と感心した後に煙草とは矛盾している気がしないでもないが、そこは気にかけないでおく。

 再びライターをパチンッと鳴らすと辺りは闇に閉じられる。そうしてくわえた煙草の紫煙が一寸先で黒く溶けていく様を見て改めて思った。夜って、やっぱり暗いなあと。

 

 遠い昔、闇には妖怪が潜んでいると伝えられ、恐れられていたと聞く。街灯の普及につれて光を厭がった妖怪達は人を襲えなくなり、次々と姿を消したそうだ。

 この現代でも街灯を全て消してしまえば妖怪は湧いて出るだろうか。と言うかこの辺りの様な街灯の見当たらない田舎道ならばいくらでも出そうなものだが。いや、田舎道では人が少なくて食いぶちが稼げないから消滅していったのか。

 だが、待って欲しい。妖怪が現代には居ないという前提が間違えているかもしれない。街灯のせいで表だって人を襲えないので、今までの様に腹を満たす事は出来ないから間接的に襲う為の進化をした可能性も否めないのだ。

 妖怪は人を喰らって腹を満たす他に、人の精神を食い物とする。特に負の感情ほど良い餌となる。精神でどうやって腹が膨れるのか不思議だ。人を驚かせたり苛立たせたりしたら給金が出るのだろうか。

 なんにせよ、食っていく為には妖怪も人間に合わせて上手く進化して生活圏に侵入する必要があり、そうして進化した例が妖怪リモコン隠しである。

 どうでも良い時はやたらと存在を誇示してくる癖にテレビのチャンネルを変えたいと思った時に限ってふっと存在が消えうせるのである。これは鬱陶しい。因みにリモコン隠しと名称されているがリモコン以外も隠す。

 そして妖怪アラーム鳴らない。定時に起きる為に目覚まし時計をセットしたのに何故かアラームが止められている。これは恐ろしい。多くの場合手遅れになる非常に凶悪な妖怪である。スヌーズ機能付きの目覚まし時計が出てから出現個体は減ったがスヌーズごと止める上位互換種も確認されている。奴らは日々進化しているのだ。

 

「うらめしやー!」

 

 成る程、これらの科学では到底説明できない事象も妖怪のせいだと考えると納得がいく。とするとこんな仕事内容なので時給や月給でなく歩合給だから妖怪も大変だ。

 

「うらめしや!!」

 

 すぅ、と煙草を蛍の様に赤く光らせ、喫煙者の持込義務である携帯灰皿に吸い殻を突っ込んで白い息をいっぱいに吐く。そしてこきこきと首を鳴らして振り返って、

 

「表は蕎……」

「蕎麦屋禁止!!」

 

 定番で返そうとしたら早速禁止された。

 背後からわあと現れた暗い色の唐笠を持った少女に思わず答えてしまったが、何者だろうか。唐笠だなんて現代に似つかわしくない古めかしい代物を持っているのはこんな田舎道だからなのか。灰皿を仕舞った後に「誰だ、あんた」と問うと。

 

「侘しい……昔は皆驚いてくれたのに最近の人間はタフになって」

 

 等とぐちぐち言って全く話を聞いていない。裏に飯屋があると来たら表は蕎麦屋だと返すフリだと思っていたものだから、驚いてやるなんて選択肢は露程も思い付かなかった。嘘でも驚いた方が良かったのか。それにしても今時恨めしやで驚けと言われても、なんだ。困る。

 

「あ~あ。やっぱ廃業した方がいいのかなあ」と少女は悲しげだ。

 

 何を廃業するのか知らないが勝手に悲観的になられるのはもっと困る。

 何だか面倒臭いから足早にこの場から立ち去ろうとした時、ぴちゃりと雨粒が鼻先で跳ねた。はっとして鼻先が濡れたのを感じていると、周りで生い茂る葉っぱ達が雨粒のドラムを激しく鳴らしそうな雰囲気になっていた。

 この辺で雨宿り出来そうな所なんて全く見当たらないものだから更に困った。だが、運が良いのか悪いのかそこの少女が丁度持っているのである。窮屈にならない程度の大きさの唐笠を。

 少女に話しかけるのは面倒だし、かと言って濡れるのはもっと厭だ。僕はやむなしと声をかける事にした。

 

「すまん、お嬢さん。良ければ傘に入れてくれないか」

 

 何故か少女は嬉しそうだ。

 

――――――

 

 立ち止まっているのも何だから、相傘で先へ進む事にした。少女に行く道に付き合わせて悪い気もしたが、暇らしく構わないそうだ。寧ろ少女はご機嫌で、先程から何が嬉しいのか、んふふんふふと呟いて傘をぐるぐる回している。その度に赤く垂れた何かが目の前を横切るのだが、何だこれは。

 

「お嬢さん」

「ん~?」

「さっきから前を通る赤いのは何だ」

「舌だよん」

 

 そうして少女はべえと舌を出した。

 唐笠に舌……。そんな古臭いおばけ屋敷を彷彿とさせる装飾の唐笠で夜更けに人を驚かすのが趣味なのだろうか。夜更けと言えば今更ながらであるがこんな時間に小娘が一人で出歩いているとは何事だ。もし僕が悪い大人であればさらわれるかもしれないのだぞ。

 そう思ったが説教するのは面倒なので思うだけに留めておく。口に出すのは体力を消耗するし、また悲観的になられるのも厭だった。

 そうして、相も変わらずにやにやしている横っ面を見て僕は「何がそんなに楽しいんだ」と尋ねた。

 少女は「え?」と間抜けな声を出しながら唐笠を素早く回していた手をぴたりと止め、反動で唐笠についている舌が飛んできてビタンと僕の頬を叩く。質感がリアルで気持ちが悪く、しかもぬるぬるする。

 

「あ。ごめん、拭くもの持ってない」

「構わない」

 

 服の袖で顔を拭って、再度同じ質問を投げかける。

 

「ふふふ、私もまだ捨てたもんじゃないねって」

 

 まあ、捨てられてたんだけどと少女は言う。

 

「捨てられ?」聞き間違えたかと思い聞き返す。

「私は忘れ傘だったの」

「ふむ」

 

 ……忘れ傘だった?

 微妙に話が噛み合わない上に捨てられた等と重そうな言葉を聞いたので追究はしないでおく。重い空気になるのは嫌いなのだ。

 でも、話の締まりが悪いので「つまり、どういう事だ」と要約を求めた。

 

「私を使ってくれて嬉しいのよ」

「…………」

 

 将来駄目な男に引っ掛かりそうな言葉に口をつぐむ。そんな年齢からヒモ男が寄ってきそうな台詞を吐くなんて、どんな経験をしてきたのだろうと想像したら少々物悲しくもなってきた。

 そんな僕の心境を無視して少女は続ける。

 

「茄子みたいでナウくないとか使ってくれないのよね」

「茄子?」

「傘が」

 

 暗くて気づかなかったが、言われてみれば茄子みたいな色である。すると、少女が発した言葉は「私(の傘)を使ってくれて嬉しい」という事だったのだろう。傘を自分と言う程であるからとても大切な傘である事が窺える。

 それほどまでにその傘を親身にしているという事は、少女は幼くして傘職人なのだろうか。だったら、駄目な男が寄ってきそうな台詞を吐いた訳ではないから安心した。

 

「僕は丈夫で風雨を凌げる傘が好きだから、あまりデザインは気にしない」

「そうそう! おじさん中々解ってるじゃない」

「おじさん……」

 

 ショックであった。僕は確かに見ようによれば老けて見えるかもしれないがまだおじさんと言われる年齢ではない。筈である。

 ポッケになんとなく突っ込んでいた手に煙草のケースが当たり、それがきっかけで煙草を吸うと肌年齢の老化が進むという話が頭をついて出て、もう吸うのはやめようかなと考えた。でも恐らくやめない。

 

「おじさんの様な人ばかりならひもじくならなかったのかなあ。しくしく」

「傘の売れ行きは悪いのか」

「売れ行き?」少女は首を傾げた。

「お嬢さんは傘職人なのだろう」

「違うよ」

「おや」

 

 僕の中での少女の評価が深夜徘徊する傘職人の不良少女からただの傘好きの不良少女へと変化した。

 少女はからから下駄を鳴らして走るとこちらを向いて歌舞伎調でいよう~と片手を前に出して傘を担いで名乗りを上げる。

 

「わちきはぁ~泣く子も驚くからかさお化けの多々良小傘よ~」

 

 ででんっと楽器の音まで口で再現しながらカンッ! と地面を踏みしめて決めポーズをとる少女小傘。その間、僕は雨に執拗に虐められている事を忘れてはいけない。

 

「どうだ、驚いたか」

「お嬢さん、下駄を履いていたのか」

「そっち!?」

 

 下駄のからからいう物珍しい音ばかりに反応してしまったものだから仕方ないだろう。

 小傘と名乗った少女は下駄に負けたあと良く解らない落ち込み方をして面倒臭くなっている。

 僕は咳ばらいを一つして、

 

「傘に入れてくれないか」

「ああ。ごめん、ごめんね」

 

 慌ててこちらに駆け寄って傘に入れてくれたものの雨の勢いは強く結構濡れてしまった。もうこうなっては傘にこのまま入れて貰うのも悪いし(面倒とも言う)、雨に打たれながら歩いてもいいかなと考えたがポッケに入っている煙草が濡れてしまってはたまらないので考えを改めた。

 あれこれ考えたが結局小傘に相傘して貰うまま歩き進む。途中、僕の方が背が高いし傘を差したままでは腕がつらいだろうと「僕が持とうか」と気を利かせたが「駄目!」と即座に拒否された。一体、何だと言うのだ。

 そんな調子で止まぬ雨にばかやろうと恨みつらみを心の中で書き綴っていると小傘がううと唸りだした。

 

「どうした」

「腕も疲れてきたし、休もうよ」

「僕が持つと言っているじゃないか」と呆れ顔で言う。

「駄目だってば」断固たる顔で返す小傘。

 

 何故駄目なんだと尋ねるのもやはり億劫なので言われるがまま小傘の指定した大木の下で休むこととなった。

 ざあざあと降る音楽を背景に、小傘が僕に機関銃の様に言葉を放つ。これが僕が歩みを止めたくなかった理由だった。歩いていれば意識がある程度そちらに割かれるので口数は自然と少なくなるが、休むとなると全てが会話に注がれるからだ。

 墓地が占拠されて何処で営業したらいいかだの空飛ぶ家政婦がどうだの内容もたわいないし六割程は良く解らないものだから「へえ」「はあ」「そうか」の三種の神器を用いて流し続ける。

 そのうち、話の内容が僕についてシフトしてきたようで、何処から来たか何をしていたのか名前は何だと忙しない。

 何処からと問われて日本と答え、何をしていたかと問われて何もしていないと答え、そして名前は教えたくないと告げる。すると小傘は頬を膨らませて私だけ名乗って損したとぶうたれた。

 勝手に名乗ったのは小傘の方で、僕が教える義理はないと言ったら小傘は傘を引っ込めて入れてあげないと拗ねてしまった。

 妙に不利になってしまった僕は「わかった、わかったから」と降参して再び傘に入れて貰う。

 

「じゃあ名前だけ教えて」

「……ええと、」

 

 参ったなと頭を掻いてポッケの中をまさぐり、

 

「煙草、携帯灰皿……ジッポー」

「じっぽー?」

「十歩来太(じっぽらいた)

 

 酷く苦し紛れなネーミングである。僕は小傘から目を背けてライターをかきんかきんと鳴らした。

 明らかに名前の元が僕の手にあるそれなのに小傘は満足そうに頷いて銃弾を装填したかの如くぺちゃくちゃと僕に浴びせ始める。

 

 雨とは風情があって感慨深い物だとしていたが、この日だけはざあざあやかましいなと頭を痛めた。

 


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