今回はブリテン時代の話。
時期は料理長がキャメロットに就職して暫くぐらいです。
「なんだこれは?」
ある晴れた日。
寒冷とまではいかないが夏でもそうそう暑苦しい日は少ないブリテンの、その王城たるキャメロットの厨房のすぐ側に突如完成した奇妙な小屋を前にケイはそう呟いた。
一見しただけだと窓のないただの石造りの小屋にしか見えないが、しかし入り口には木製の戸が設えられ、更に戸には明かり取りのためか大きなガラスの窓が張られている。
「おや? 誰かと思えばケイじゃないか」
佇んでいたケイにそう声を掛けたのは、扉を開けて中から出てきた、後に『円卓の料理長』と呼ばれるようになる男。
「……貴様か」
自分を敬称抜きで呼ぶ者などこの男ぐらいしかなく、そのどこか腑抜けとも聞こえる声にケイは不審げに尋ねた。
「この小屋は貴様の手配か?」
「まあな」
「一体なんだこの小屋は?」
「風呂だ」
「は?」
己の耳を疑うケイ。
しかしそれも当然。
ブリテン時代の風呂と言えばローマのテルマエを代表するような大規模かつ設備の稼働にも非常に金の掛かる代物か、さもなくば比較的大きな湯桶を使った行水のどちらかが一般的な認識である。
しかし目の前の風呂と言われた小屋は、窓が無い分湯編みの際の風避けにはいいだろうが、どちらかと言えば物置小屋というのが相応しい体だ。
理解が及ばず固まるケイになんとなく察した彼は説明を始める。
「と言っても、こいつはローマのテルマエじゃなくてサウナだけどな」
「サウナ?」
「蒸し風呂の事だが、知らんか?」
「蒸す? なんだそれは?」
「そこからかよ……」
煮る焼く燻す以外の調理法を知らんとは流石ブリテンと内心呆れながら彼は説明するより体験した方が早いかと頭を切り替える。
「これからアーサー王陛下の昼食の仕上げに入るから、知りたかったら二時間後に厨房に来てくれ」
そう言うと表情を料理人へと切り替え己の戦場へと向かう。
「……まあ、知っておく必要はあるか」
会うまでに耳にしたこれまでの風評と実際目にした奴の人柄から、私腹を肥やすような着服などしようもなさそうだが、キャメロットの経理に携わる以上無駄な部分は容認せざるものだ。
序でに、
「いっそ、あの阿呆も巻き込むか」
忙しさにかまけ、十日以上も湯浴みを怠る頭の固い義妹を思い悪い笑みを浮かべるケイ。
そうして二時間後、昼食の提供を終え夕食の支度を粗方終えた料理人の前にケイは現れた。
「来たぞ厨房役」
「おう、来たか」
と、振り向けばケイの他にもう一人。
年の頃は15、6歳位と思し仕立ての良いシャツとズボン姿の少女。
言わずもがな、アーサー王ことアルトリア・ペンドラゴンである。
「その娘は?」
「娘ではありません。
私は」
「俺の従者で騎士見習いのアルだ」
少女扱いされたことを訂正しようとしたアルトリアを先じてケイが偽りの身分を紹介する。
「サー・ケイ」
さらりと嘘を吐いた義兄を睨むアルトリアだが、その様子を自己紹介を邪魔されて拗ねて反発しているのだろうと勘違いした料理人は明るく謝罪する。
「すまんすまん。
まさかお前さんみたいな可愛い娘が騎士見習いだとは思わなくてな」
「可愛い……」
知らないとはいえ、真っ正面からそう言われ憤慨しそうになるも、今更、正体を明かすに明かせず押し黙ってしまうアルトリア。
そんな様子に照れているんだと勘違いしたまま料理人はケイに問う。
「なあケイ。態々連れてきたってことは、この娘も風呂に入れてやるのか?」
「問題あるのか?」
「いや、こんな年若い娘がいい年の野郎二人と風呂に入るとか不味いだろ」
「甘く見ないで下さい」
気遣う発言にさしものアルトリアも我慢できなくなり噛みつく。
「見習いの立場とはいえ私とて騎士の端くれ。
貴方ごときが不埒な感情を抱こうと正面からねじ伏せて見せましょう」
魔が差したら叩き伏せてやると息を巻くアルトリアに、料理人はその勘違いに溜め息を吐く。
「いや、お前さんに根も葉もない悪評が立つことを気にしたんだが……まあ、そこまで言うならしゃあねえ」
これは梃子でも動かないなと料理人は色々諦め二人に例の小屋の中で待っているよう言う。
「さっきのアレは何のつもりですかサー・ケイ」
小屋に入り手前の着替え部屋で二人きりとなるとアルトリアは先の件について弁明を求めた。
しかしケイはそれを鼻で笑う。
「なんのことだ?」
「惚けるなサー・ケイ。
騎士見習いのアルなどと冗談にも程がある」
アーサー王としての口調で批難するアルトリアに、しかしケイはどこ吹く風。
「ならば今からでも訂正するか?
尤も、そうなれば常勝無敗のアーサー王が、実は何日も湯浴みさえしない不精者だと奴に覚えられることになるだろうがな」
「くっ!? 卑怯な……」
嫌みったらしい笑みで嘯くケイに歯噛みするアルトリア。
何時もならば此処から更なる皮肉と嫌みが飛んでくるところだが、しかし今日は違った。
「ちゃんと上は隠せよ」
さっさと服を脱ぎブレー一枚で奥へと入っていってしまったケイに虚を突かれたアルトリアだが、しかしこのままでもいられないとなるようになれと半ば自棄っぱちな気持ちで言われた通りブレーと薄手のシャツ一枚きりの格好となりケイを追う。
「……これは?」
部屋に入ると、そこは外から見たよりかなり奇妙な造りとなっていた。
窓のない部屋の中には燭台のような灯りは一切用意されておらず、光源は扉の曇りガラスから入る日光のみ。
そして部屋の中そのものも内側に隙間なく打ち付けられた防腐剤を塗った木材により大分狭く、腰掛け用だろう膝下付近の出っ張った部位のためその広さは四人も入れば身動きはほとんど叶わぬだろう程度。
更に中央には竈のような台座が設えられ、その上には素焼きの鍋が一つ。
「バスタブも湯桶も無い。
これが本当に風呂なのか?」
用途の解らない構造にアルトリアが訝しがっていると、水桶と鉄鍋を提げた料理人が入ってきた。
「お待ちどうさん。
じゃあまあ、早速始めようか」
そう言うと料理人は鉄鍋をひっくり返しその中に入っていた石を土鍋に移す。
「その石は?」
「昼のパイを焼くのに使った石窯で焼いておいた石だ」
そう答えると次いで桶から水を掬い土鍋に撒き掛けた。
途端、焼かれた石により水が蒸発し部屋の中に湯気が満ちていく。
「これは……?」
蒸気によって部屋の室温が上がり息苦しさをアルトリアが問うより先に料理人は解説を始める。
「少し息苦しいだろうがそのまま耐えてくれ。
その内汗を掻き始めるからそこからが蒸し風呂の本番だ」
不可解な事を言う料理人にケイは質問を投げる。
「汗を掻くだけなのか?」
「汗を掻くって事はそれだけ体が温まっているって証拠だ。
序でに蒸気で身体に溜まった垢も柔らかくなって落としやすくなるんだ」
「そういうものなのですか?」
「渇いた布より濡らした布のほうが汚れは綺麗に落ちるだろ?
更にお湯で拭けばもっと落としやすくならないか?」
そう尋ねれば納得したとアルトリアは頷く。
「確かに乾いた血糊は湯でないと中々落ちませんからね」
「……まあ、そう言うことだ」
物騒な例えに可愛い顔をしていてもこの娘も戦場を知っているんだなと物悲しく思っていると、ケイが違う問いを向ける。
「所でだ、お前のソレはなんだ?」
「ソレ?」
「その腰に巻き付けた布のことだ」
自分たちが穿くブレーと比べ、下着には到底見えない布を指すケイ。
「こいつは褌つって故郷の下着だよ」
来た当時は普通にパンツを履いていたが、長旅の合間に擦りきれてしまいこちらを使うようになっていた。
「そんな尻も丸出しで品の無い布切れがか?」
「洗いやすいし、構造的に尻が引き締まるから気合いが入りやすいんだぞ?」
「どうだか」
蒸気により軽く汗を掻き始めたケイがそう鼻をならし腰掛けの上で足を組む。
既にじっとりと汗を浮かべるアルトリアはじゅうじゅうと水を蒸発させる石を見て感心の声を上げる。
「しかし本当に暑いですね。
ただ焼いた石と水だけだというのに」
「石は木より熱を溜め込めるからな。
石は食事の支度の序でに竈で焼けば薪の消費も気にしなくて済むから湯を炊くより安上がりでやれる」
「成る程。
ですがこの薄暗さは良くない。
せめて篝火を焚くべきでしょう」
「そうしたら酸欠でぶっ倒れちまうぞ?」
「酸欠とは?」
聞いたことの無い単語に首を傾げるアルトリアに、料理人は時代の格差をまざまざと思い知らされる。
「火ってのは燃料だけじゃ燃えないんだよ。
火が燃えるためには燃料の他に空気の中の酸素を消費するんだ。
で、その酸素は人間が息をする際に取り込んでいる大事なものだから、こんな狭い部屋で火を燃やしたら、俺達が吸う分の酸素も使われちまって最悪死ぬ」
「………」
死ぬという単語に二人は耳を疑うも、それ以上に真偽は兎も角として彼の知識の広さに驚いていた。
「どうした?」
「お前はそれだけの知恵を何処で手に入れた?」
この男が披露してきた知識はとにかく多岐に渡りすぎる。
政事や軍事に関する事は素人もいいところだが、その他に関しては文官さえ舌を巻くほどなのだ。
最も多い料理関連に至っては食材の知識と加工手段ばかりかその栽培方法にまで知識は及び、正直こいつ一人居ればブリテンの農業問題は解決するんじゃないか? とさえ思わせるほどなのだ。
真剣な顔をするケイとアルトリアだが、当の本人はあっさりそれを否定する。
「俺の知識なんざ大したもんじゃないさ。
故郷の専門にしている奴等からしたら俄もいいところだよ」
「お前が俄?
どんな変態国家だ」
「それだけ余裕がなかったんだよ」
苦笑を溢し料理人は語る。
「俺の故郷は水が豊富だってぐらいで土地の半分近くが山に囲まれた、それでいて大した資源もない小さな島国でな。
そんな国だが、食うことに関してはとにかく貪欲でな。
俺の知恵なんて、そんな先人達が必死で編みだし研鑽したその切れ端を借りてるだけさ」
凄いのは自身ではなくそれらを積み上げた先人だと言うと、料理人は汗だくになったアルトリアに水を向ける。
「ところでアルちゃんや。
頭が痛いとか体調に変化は無いかい?」
「その様な事は…というよりアルちゃんは止めてください」
そう年も離れていない相手に子供扱いされる事を厭うアルトリアだが、相変わらず勘違いし続ける料理人は背伸びしたい年頃なんだよなと苦笑する。
「すまんすまん。
どうも君みたいな若い娘と話すのは苦手でな。
ともあれだ、少しでも変だと思ったらすぐに出てくれよ?
身体を温めるってのも、やり過ぎれば身体を壊しちまうことなんだからな」
「……分かりました」
どうにもあしらわれている感が気になるも、慈愛と真摯を以て接する彼を無下にするには今のアルトリアは『素』になりすぎていた。
取り繕うにも取り繕いきれずやきもきするアルトリアをニヤニヤしながら見るケイ。
と、そこに麻紐を束ねた縄が差し出される。
「いい感じに汗も流れてきたようだし、そいつで身体を擦って垢を落としちまえ」
「……ああ」
言われるまま縄を受け取り腕を擦ってみると、浅黒い垢が削げ落ちその下から白人特有の白い肌を覗かせた。
「こんなに落ちるものなのか……」
徹夜明けに水浴びはよく行っていた筈が、予想に反した結果に感心するケイ。
「はいよアルちゃん」
驚くケイを横目にアルトリアにも縄を渡す料理人。
そうして軽く擦ってみたアルトリアは、麻縄にごっそりこびりついた自身の垢にゾッと背筋を凍らせた。
「………」
選定の剣を抜いた日から女であることを捨てたアルトリアではあるが、しかし目の前の現実はそんなこととかどうでもよくなるほど酷いものだった。
こんな身汚いまま平然としていたのか?
男とか女とか、それ以前に王として、なにより人としてどうなんだと言われそうな状態を自覚しアルトリアは羞恥で真っ赤になる。
そうして自覚してしまえば、それまで気にもならなかった蒸れてきつく感じられるようになった自分の汗の臭いが二人に嗅がれているだろう事が、今すぐ二人の記憶が無くなるまで殴りたくなるほど恥ずかしくなってしまった。
「大丈夫かアルちゃん!?」
顔を赤くして震えだしたアルトリアに心配していた熱中症を起こしてしまったかと焦る料理人が声を荒げると、漸く意識を浮上させたアルトリアは勢いよく立ち上がる。
「す、すみません。
やはり辛くなったので先に上がります」
今すぐ飛び出したいのを最後の矜持で堪えそう述べると直ぐ様扉へと向かう。
「隣の部屋の水瓶の中に焼き石で温めた水が入っているから其れで汗を流しな。
それと、汗を掻いた分の水をちゃんととってくれ」
伝えなければならない事をなるべく手短に伝えるとアルトリアは「感謝します」とだけ告げサウナを飛び出した。
「やっぱり初めてだときつかったか」
大丈夫だろうかと心配する料理人を他所に、おおよそを察したケイは必死で笑いを堪える。
「何笑ってんだお前さんは?」
「くくっ、いや、なに、あの堅物が、久しく人間らしくてつい、な」
アーサー王として戴冠し、アルトリアは感情を無くしたかのように只々合理的な機械になっていった。
そんな義妹が、怒りからではなく羞恥に顔を染めてくれたことがケイは嬉しくて堪らなかった。
しかしそんな不器用な兄心が分かるわけもなく、しかし悪意からではないことは察し意味が解らんと首をかしげる。
「ああ、それはそうと冷したエールがあるんだが、風呂上がりにどうだ?」
「昼間から酒か?
だが、今日ぐらいは構わんだろう」
悪い誘いに嬉々と応じるケイ。
そんなやり取りがあった数日後、料理人はアーサー王より厨房役の長に命じられ、ケイから「こき使ってやれ」と部下としてボーマンという弟子を取ることになる。
おまけ『円卓の騎士達の初入浴』
パーシヴァルの場合
「うん。
部下の福利厚生の一環に意見してみよう」
アグラヴェインの場合
「……尋問に使えるか?」
トリスタンの場合
「裸で二人っきりに……閃きました」
料理長にバレて円卓一同から粛清された模様
ガレスの場合
「あの、アーサー王?」
「アーサー王ではありません。
私はアル。そういうことにしておきなさいボーマン」
「アッ、ハイ」
ランスロットの場合
「ギャ、ギャラハッド。
希には親子で風呂でも……」
「………」⬅生ごみを見る目
和解後
「…一度ぐらいは背中でも流してあげましょうか」
ガウェインの場合
「暑ければ暑いほどいい。
しかし火は焚けない
つまり、私の聖剣なら火を使わず更なる熱を!!」
勿論火事となり建て直した模様。