雪騒ぎはやっと収まってきました。
もう今シーズンは勘弁です。
次の部屋、一階の端にある部屋の扉を開く。
用具室だろうか――部屋に目を向けると、
「にゃはは、何とも快適な所を見つけたッス。ジナコさんの
その部屋の中央で、一人の女性が寝転がりながらPCを操作していた。
どうでも良いが、このムーンセルでPCを使う必要はあるのだろうか。
「どんなところでも引きこもれるスキルはEXランク。ジナコさんはもうここから出ないッスよー」
蝸牛だ。
もとい、惰眠と惰性をほしいがままにしている彼女は、ジナコと言ったか。
前の校舎でも用具倉庫を占拠していただらしのない女性である。
「……」
どう声を掛けていいものか、悩んでいると、
「ん?」
振り返ったジナコと目があった。
「っ――ぎゃあああああッス! 何スかアンタ! 人の
「あ、えっと……うわっ!?」
返す言葉を考える間もなく、慌てて立ち上がったジナコがタックルをかましてくる。
そのまま部屋の外まで追いやられ、扉を閉じられた。
「
呆気に取られている隙に鍵まで掛けられてしまった。
内側から何重にもロックを掛けているらしく、力を入れても開きそうにない。
「つーか誰ッスかアンタ! 新聞、課金、お説教はたくさんッスよ! 一昨日きやがれッス!」
なんという拒絶っぷりだろうか。
ここまでされると気が引ける。だが、彼女もマスターの一人だろう。
レオからのオーダーだ。ここに閉じ込められた者として、生徒会参加を呼びかける。
「生徒会ぃ? ……結構ッスよ。ボク、ここから出たくないし。勝手にやってろって感じ」
「出たく、ない……? 聖杯戦争に戻らなくても良いのか?」
「良いッス。大体、レオって言ったっけ? アイツ苦手ッス。リアル天才とか目が潰れる。ジナコさんには関わるなと警告しておいてくれッス」
ジナコは頑なに協力を拒む。
そこまでの理由――聖杯戦争を放棄してまで脱出したくない理由があるのだろうか。
「――あ、でもアンタは別ッスよ。同じ凡人として気が合いそうッス。ボクの気のせいかもしれないけど、以前どっかで会ってないッスか?」
「少なくとも僕は、会ったって記憶はあるけど……」
しかし、あの校舎での出来事が実際にあったことかは分からない。
何せ、此方に来る時に見た異常――あれを見るに聖杯戦争を勝ち残るための予選とは別の何かに思えるのだ。
誰かが何かの理由があって、あの予選を仕立て上げたような。
「やっぱりそうッスか。オカルトッスねぇ……君に免じて完全無視はやめる方向で」
扉の奥から聞こえる声は、気が変わった風だった。
「生徒会には出ないけど生徒会室はストリームで監視しとくッスよ。勿論、見てるだけッスけどね」
「うん……でも、気が向いたら」
「無いと思うッスけどねー。ジナコさんに意見とか求めないように」
中からは再び、カタカタとキーボードを叩く音が聞こえ始める。
どうやら話すことは終わったらしい。
ともかく、ジナコを引き込むことは失敗してしまった。
監視云々はどうかと思うが、情報を共有するという点はプラスになる。
この得体の知れない校舎から出たくないというのは不可思議だが、きっといつか心変わりしてくれる。
「ハク、行きましょ。アレ連れてるならともかく、居ない以上コイツは役立たずよ」
「アレ?」
「えぇ――そう言えば、彼女の姿が見えないわね。やっぱり捕まったかしら」
メルトの意味深な呟きは、どうにも此方に真意を悟られないようにしている節がある。
仕方ない。今詮索しても答えて貰えそうにないし、次のマスターを探しに――
「あら、無事生き延びれたようで。何よりですわ」
聞き覚えのある、凛と通る声。
「――ノート」
それは紛れも無く、あの変質した校舎で危機から救ってくれたノートと名乗る少女だった。
相変わらずその黒いドレスは変わらず、裸足で木のタイルを踏んでいる。
「っ」
「――ふ」
ガキンと金属が打ち合う音と、一瞬の閃光。
何が起きたのか、理解は追いつかないが目の前の光景が語っている。
メルトの膝を、閉じられたノートの傘が受け止めているのだ。
「……貴女、何者?」
「……気付いているのではなくて?」
慎重な面持ちのメルトとは反対に、ノートはどこか小馬鹿にしたような笑みを浮かべている。
「……答えなさい。貴女は、“どっち”の意思で動いているの?」
「勿論、自分の意思ですわ。少なくとも、“あの女”には誑かされていませんとも」
「メルト、何を――」
「ハク、気をつけなさい。この女――サーヴァントよ」
メルトの言葉に、咄嗟に身構える。
確かに、あの黒いノイズに対抗できたのだ。サーヴァントであっておかしくはない。
ノートが敵対しているにしろ、味方であるにしろ、メルトが警戒しているというのはそれ程の状況だという事だ。
「サーヴァント……聞こえが良い事。従者を語れるなんて、幸せですわね――メルトリリス」
「……貴女に名前を呼ばれる筋合いは無いわ。自分の意思だって言うのなら、あの女は?」
「健在……必ず貴女方の前に現れるでしょう。ですが決して、手は出さぬよう」
「何故? 芽は早い内に摘んでおくべきよ」
「出せば貴女は後悔する。私に任せておきなさいな」
暫し睨みあっていた二人だが、やがてメルトは戻ってくる。
あくまで警戒は怠らず、ノートに殺意の目を向けながら。
「信じられると思って?」
「思ってませんとも。ですが、精々選択を誤らぬよう熟考なさいませ」
ノートは笑みを崩さず、メルトに何かの忠告を行う。
先ほどからまったくついていけていない。二人が何の話をしているのか、まるで分からない。
「さて、生存を確認できたので私は戻るといたしましょう」
「……戻る? 何処に?」
ノートの呟きに、思わず聞き返していた。
戻る、と言ってもここは出口の無い校舎だ。もしかして、既にこの少女は出口を探し出しているのか。
「マスターのところ、ですかね。私も“サーヴァント”なので」
「あ、あぁ……そうか」
何か含みがある気がしたが、考えれば当たり前か。
サーヴァントが居る以上マスターも居る。
そこに戻るのは何の不思議も無い。
とは言え、今のところ彼女を連れているマスターに該当しそうな人物は見つけていない。
その辺りが、気になるものの正体だろうか。
「では、失礼。次に会えるのを楽しみにしていますよ――センパイ」
「――」
何故か、そう言い残して、ノートは消えた。
センパイ――その単語に妙な懐かしさを感じる。
「行くわよ、ハク」
「え、あぁ……」
メルトがノートに敵意を向けている理由もまだ分からない。
どうやら二人にとって共通の敵が居るようだが、それをメルトが話す様子もない。
その存在がこの事件の黒幕だろうか。それを知っているようなら話さない理由がないのだが。
まぁ、話すつもりがないなら追求しても仕方が無い。
今はレオのオーダーに従い、他のマスターを探しに行こう。
職員室と用具室の反対側、昇降口から見て左側の廊下にある教室は保健室と図書室のようだ。
保健室は先ほど僕が眠っていた場所だが、図書室はまだ調べていなかった。
とりあえず向かってみると、その入り口の前に見覚えのある女性が立っていた。
「まあ。またお会いできましたね、ハクトさん」
尼僧服を纏うその女性は確か予選で教師の
「藤村 大河……先生?」
どうにも、その名で呼ぶことに抵抗がある。
名前に対する先入観というやつだろうか。
眼前の女性は明らかに、その名前が持つイメージとは正反対の雰囲気を醸していたからだ。
「藤村……ですか? おかしいですね、私はそんな愛らしい名前を語った記憶はないのですが……」
思い違い、だろうか?
では、彼女の本当の名前は……
「私は
「殺生院……」
何だろう。その名に、引っかかるものを感じた。
どこか――遠い昔に聞いたことがあるような、記憶の隅に埋まっているような感覚。
もしかして、聖杯戦争でも関わりがあったのだろうか。
「黒いノイズに飲まれた時は覚悟を決めましたが、貴方は無事だったのですね。本当によかった」
「黒いノイズに……!?」
やはり、キアラさんもその一人だったのか。
「はい。予選で飲み込まれました。ですが、幸い大事なく、足もあれば手もあります」
「予選で……」
「私、このような服装ですから走った際に転んでしまって。一階から階段へ向かう貴方に声を掛けたのですが、其方は覚えておいでですか?」
分からない。
あの時はただ必死だった。
だが、あの時キアラさんも助けを求めていたのか。
誰も助からなかったあの校舎。僕は無意識に、この女性を見捨てていた。
「……すみません」
「いえ、いいのです。あの時はただ逃れることが最善でした。それに、今の後悔だけで私は報われましたとも」
キアラさんはそう言って、心からの礼を述べた。
彼女の言葉が此方の罪悪感を気遣ったものだとしても、そこに籠められた感謝は本物だ。
他人の行動と人格を包み込むような柔らかな微笑み。
慈悲を感じさせる細やかな所作。
彼女ならば、生徒会に参加してくれる――そう確信して、生徒会の説明をした。
「――ごめんなさい。私は生徒会に参加はできません」
「――!? どうして……!」
「理由は明白です。真剣に脱出を目指す者の中に『ここから出る気のない者』が混ざっては士気に関わりましょう」
「出る気がない……?」
ジナコと同じだ。
だが、何故脱出を拒むのだろう。
「私はそのような些末事で皆さんの決意を汚したくありません。お引取りを」
「……何故、脱出する気がないんですか?」
「自分なりに脱出は試みました。ですが、不可能と認め心が折れた、と申しましょうか。私では力不足なのです」
――そうか。キアラさんは僕たちに迷いを持たせまいとしている。
自分をあまりに弱い存在だとして、脱出できない自らが協力しても最後には出ることはできない。
いざ脱出の時、何の苦しみもなくキアラさんを置いていく事は、僕には無理だ。
「……」
「そう哀しい顔はしないで。この校舎だって、そう悪いものではありません」
「え?」
「私たちをここに閉じ込めた者には慈悲があります。何者かの情けで、見逃されているのです」
確かに、そういう考えも出来る。
あえてここに放任したのは、何かしらの理由があってのこと。
校舎全体をあの黒いノイズで飲み込める程の存在が、僕たちを殺せない訳がないのだ。
「だけど、こんな所に閉じ込められてる時点で見逃されたとは言い難いんじゃ……」
「それはごもっとも。ですので、私は生徒会を否定はしませんし、応援したく思います。私の力不足が足枷にならぬよう、距離をおいて」
そう言われては、引き下がるしかない。
自身の能力を一番把握しているのは自身なのだ。
キアラさんが不可能だと断じている異常、他人が口を挟むのも無責任だろう。
「……分かりました」
「ふふ。困った人ですね――さて、聞いていましたか、アンデルセン」
キアラさんは何もない廊下の一角に向かい、口を開く。
「三文以下の言葉ですが、貴方の批評も役には立ちましょう。助言をしてさしあげなさい」
それはキアラさんのサーヴァント。
己がサーヴァントをクラスではなく、真名で呼んだ。
何より、脱出を放棄している明確な理由として。
とはいっても、真名で呼んでいるのは僕も同じなのだが。
メルトには割り当てられるべきクラスがない。だから真名で呼べと言われている。
とは言えメルトはマスターの僕ですら正体の分からない英霊。真名を開示している事にデメリットは無いらしいが。
キアラさんの言葉に応じて現れたのは、美しい、と言ってもよい少年の姿。
子供に分類できる姿、その瞳には、ひねくれた絶望の影がある。
――ハンス・クリスチャン・アンデルセン。
イソップ、グリムと並ぶ世界三大童話作家の一人。『人魚姫』や『マッチ売りの少女』など、何度も寝物語に聞いた童話を輩出したのは、この少年なのか?
「……ふん。ただいま紹介に与った三流サーヴァント、アンデルセンだ」
少年はその姿に不相応な低い声で名乗る。
「何のクラスかは語るまでも無い。最低なマスターに相応しい、低俗な英霊だからな」
「あ、あぁ……よろしく」
言い方はどうかと思うが、クラスは憶測できる。
物語の中で如何なる事象をも紡ぐ性質は、キャスターのクラスとして該当するものだ。
「しかし……いっそ清々しい程凡夫の顔だな。苦も欲も無く世界に放り出された人形か」
「……」
眉根を寄せながらアンデルセンは批評とも取れる毒を飛ばす。
「あぁ――だが、糸を切って自立する人形であれば、善も悪も思いのままだ。その辺り、お前は見込みがある。いいぞ、悪くない」
「いや、批評はいいから助言が」
「他人を信じるな」
助言が欲しい。そう言おうとした瞬間、バッサリとアンデルセンは言った。
「そして、女を信じるな。特にそこの女は避けて通れ」
そこの女――指を差すのはキアラさんだった。
「強すぎる光は目を潰す。この女の全ては常人にとって毒だ。始末の悪い聖人の説法なんぞ聞く価値もないぞ。この女の言葉は道を隠し、蟻地獄の如く自らの奈落に突き落とす悪魔の囁きだ」
「……もう、口をあければ酷いことばかり。アンデルセン。貴方は外に出すより箱の中の方がお似合いかしら?」
「フン、語れというオーダーに従ったまでだ。俺の悪筆は止まらんぞキアラ。この凡夫共を導けと命じたのは貴様だからな」
なにやら、この二人の相性は非常に悪いようだ。
アンデルセンは断固として、悪い笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「俺が語る真実は貴様らにとって辛辣なものだろうが、歯に衣着せた言い回しでは薬にもならん。こんな状況では尚更だ――その人間の価値、ひたすらにコキおろしてやろう」
「はあ……またその言葉ですか。人間に値をつけるのはいけないと言っているでしょう」
「人の命には価値がある。俺が語らずとも必然として値打ちは付いてくる。そしてお前はその価値を浪費している、この毒婦め」
「まったく……この人は」
キアラさんは呆れ大きな溜息を吐く。
だが、アンデルセンの言葉は事実、英霊としてのもの。
この結論はきっと、自らが生きた人生で至ったものなのだろう。
「お前もだ。若きマスターよ」
その鋭い眼差しが、値踏みするように此方を見た。
少年のものとは思えぬ老成した瞳が向けられる。
「お前はお前の物語のつもりなのだろう。あぁ、それは間違いない。だがその物語は目も当てられない駄作で終わるだろうよ」
「いい加減にしてくれないかしら、アンデルセン」
僕とアンデルセンの間に立つように、メルトが現れる。
その膝の棘はアンデルセンの首に向けられ、メルトの不機嫌さが伝わってくる。
「必要以上の事は語らないでちょうだい、物書き」
「――ほう」
アンデルセンの目が、その時確かに変わった。
「随分異質だな。改めよう、人形であればそれを愛でる者がいる。糸から離れた手足を動かす馬鹿者がついていたか」
「……殺されたいのかしら。力にもなれない役立たずの身で偉そうに」
「舌を飛ばされるまでひたすらに語り続けるのが俺の仕事だからな」
一触即発の雰囲気が流れる。
「メルト」
何故ここまで険悪なのかはともかくとして、自分のサーヴァントくらいは律しておかなければ。
「っ――努忘れない事ね。少しでも妙な動きをしたら、私が貴方を殺すわ」
「ふん。記憶の隅にでも留めておこう。精々その剣で主を守り通す事だ」
何故メルトがこの二人を警戒しているのか。
マスターの中でも力が少ないだろう彼女らを警戒する理由、メルトは普通のサーヴァントとは違うようだし、特有の勘のようなものだろうか。
アンデルセンの言葉を受けたメルトは、無言で消える。
「さて。操り糸から言われては仕方がない。名作として幕を下ろせる勝者になれるよう、これだけは告げておいてやる。止まるな。浪費するな。空費するな」
僕に向き直る、絶望を映す目。
「望みを果たしたいなら、こんなところで批評家の声なぞ聞くんじゃない。さっさと馬車馬のように働け、三流ども」
「――あぁ」
なんとなく、メルトはこの性根に腹が立っただけではないのかとすら思う。
キアラさんは苦笑しながらも言う。
「こういうサーヴァントですけど、仲良くしてあげてください。根は素直ないい人ですから」
「……はい。キアラさん、気が変われば、いつでも来てください」
いつか、キアラさんも決意をしてくれる筈だ。
そんな時、僕が強くなって、一緒に脱出できるようにしなければ。
「はい。……お優しいのですね」
そんな呟きは、どこまでも穏やかで安らかだった。
校舎に入ってこれる奴。チート極まりない。
しかしこうでもして釘刺しとかなきゃ始まる前に物語が終わってしまう。
アンデルセンは大好きです。子安だからより好きです。
次回からはやっと本番の準備です。
迷宮入るのにいつまでダラダラ引っ張るんだか←