PROLOGUE-1
――きっと、間違っていない。
スタート、確認しました。
――この、選択は。
お帰りなさいませ。
ようこそ。こんにちは。ウェルカム。
――大丈夫。
いつものように、大変長らくお待ちしておりました。マスター。
――情報に漏れはない。後は実行するだけ。
霊子虚構世界、
ここはセラフ内部の仮想空間、月海原学園です。
――あれ……この記録は……
早速ですが、規則の為貴方の
――な、なにこれ……!? これじゃあ……!
失礼いたしました、
おはようございます。いってらっしゃいませ。
――だめ、実行しては――――!!
+
いつも通りの、日常が始まる。
気持ちよく晴れた朝の通学路を歩いて学校に向かい、授業を受けるという変わりない
同じようにそれを繰り返すと思っていたが、今日は朝から一つ変化があった。
「悪いが、教室に行く前に一階の用具倉庫を閉めてきてくれないか?」
「あぁ。分かったよ」
生徒会長でもあり友人でもある
ホームルームまではまだ時間があるし、その程度なら構わない。
「それは良かった。最近は色々あって、俺も苦労が耐えなくてな」
「僕も出来るだけ手伝うからさ。無理はするなよ」
「助かるな。まったく、紫藤のような役員があと一人くらいいれば、俺も保健室の彼女も気を休めるのだが……」
ぶつぶつと独り言をぼやきながら一成は元の仕事に戻る。
風紀強化月間でもないというのに、あそこまで熱心にする必要はあるのだろうか。
生徒会員の生真面目さは機械のようで、とても精密に調整されている。
校舎に向かいながら、ふと空を見上げる。
早春とも初夏ともつかない暖かな日差しに目を細め、そんな穏やかな気候を肌で感じる。
良い天気だ、と思いながら校舎に入ろうとした瞬間――
「――しっか――ハク――目を――さい――!」
「っ!?」
突然、手の甲に走った痛みが思考を焼いた。
何事かと見ると、そこには文字のようにも見える痣が浮かび上がっている。
この形に、覚えはない。どこかで傷をつけただろうか。
痛みは、すぐに治まった。心なしか、傷の形が少し変わった――というより、面積が減った気がする。
特に気にすることもないか。単なる眩暈だろう。
深呼吸をして気を取り直し、改めて校舎へと足を踏み入れた。
……ただ、何か、ひどく懐かしい声が、聞こえた気がした。
一年生の教室が並ぶ廊下を通った先に、用具倉庫はある。
何をするための場所だったかは――良く分からない。
「……え?」
そんな訳ないだろう、と自分の思考にツッコミを入れる。
用具倉庫なのだから使わなくなった用具を仕舞う場所に決まっている。
ともかく、中を確認する必要は無い。
一成から預かった鍵を取り出し、さっさと施錠しようと扉に近づくと、
「――」
何か、中から物音が聞こえた。
戸締りを負かされた以上、手抜きは出来ない。中に誰かが入っているならば、咎めなければ。
そう思って扉に耳をあて中の様子を伺うと――
「ん~、この何もしないという選択のほんわかっぷりはどうッスか~。ボクはホント勝ち組ッス~」
聞き違いではない。明らかに誰かが居る。
「あんな宗教戦争、PKに任せておけばいいッス。優勝者が出るまでここに隠れてれば問題ないし? ぬふふ、じな子さんってば、マジ天才ッス」
「……誰か、いるのか?」
「――!?」
ノックをして中に居る誰かに声を掛けると、バタバタと慌ただしい物音が聞こえ始める。
そして一分ほどで、それも収まった。
「……入るよ」
宣言してから、倉庫の中に入る。
中には、明らかに人の気配がある。体操のマットの上にタオルケットが投げ出されており、パソコンやらスナック菓子やらが無造作に床に置いてある。
誰かがここで私生活でも営んでいらっしゃるのだろうか。
「……」
さて、物色をする趣味はないし、用件を済ませてしまうことにしよう。
せめてもう少し上手な隠れ方をしてくれればともかく、ロッカーの中に隠れるというのはどうかと思う。実際揺れてるし。
「……中の人、出てきてください」
「な、なかのひとなどいないっ!」
一昔前に流行していたスラングで返された。
「ボクはただの喋るロッカーッス! 鉄ッス! 鉄クレッス! 即ちこれがホントのヘビーメタルッスー!」
中に居る何者かは必死に内側から扉をしめようとあがいている。
しかし、どうやっても閉まらない。体積的にこの人物Aはロッカーに収まらないのだ。
まぁ、この人物Aに付き合っている時間はない。問答無用でロッカーを開ける。
「うぁ!?」
すると中から人物Aが勢い良く飛び出してきて、
「っと」
それを避けると、人物Aは床に頭からダイブした。
「ぶべらっ!? よ、よけるとか酷いッス~!」
人物Aは頭をさすりながらも、のそりと起き上がる。
「……ところで、誰ッスか、君。神聖不可侵な女子部屋に侵入するとか、訴訟も辞さない状況ッスよ?」
不満を表すように眉をひそめて、人物Aはこちらを睨んでくる。
この怠惰極まれりといった部屋が女子部屋と呼べるのかどうかというのはこの際置いておくとして、誰か、というのは此方の台詞だし、ここが誰かの私室になったという報告も聞いていない。
とりあえず、クラスと名前を告げてから、人物Aに質問を投げた。
「貴方は誰ですか? 見たところ学生じゃないようですが……」
「あ、あー……えー、ボクはジナコ=カリギリ。この学園の補欠教員で、今は暇を持て余してる自宅警備員ならぬ倉庫警備員、みたいな?」
「補欠教員……?」
「……“こんなだらしのない女性が?”って顔ッスね。否定はしないッスよ。できる女と気付かれるのも面倒だから、あえてのんびりしてる、所謂エリートニートッス」
――つまり、何もしていない役立たずという事らしい。
「部活の顧問も、一応してるッスよ。帰宅部とか
えっへんと、人物A――ジナコは胸を張って言う。
――つまり、何もしていない役立たずという事か。
まぁ、あまりに信じがたい話だが、悪人には見えないし今は時間も無い。
倉庫に住んでいるのなら鍵を預けて、戸締りをお願いするのも――
「あ、それ倉庫の鍵ッスね!? やったッス! 念願の倉庫の鍵を手に入れたぞ、みたいな!? これでますます閉じこもれるッスー!」
ジナコは素早い速度で鍵を奪い去ると、嬉しそうに小躍りする。
「じゃ、さっさと出て行くッス。ジナコさんには掲示板のパトロールというルーチンワークが詰まってるッスからね」
「……は、はぁ」
どうにも信用していいか不安だが、ホームルームまで時間が無い。
言われるまでもなく、早々に退室する事にしよう。
「ちょ、ちょちょ、素直ッスねシドウさん……それともやっぱり此処、アレッスかね、敗残者の臭いがするっていうか……」
ジナコは、不安げに問うてきた。
「ぶっちゃけ、変ッスかね、ボク」
「はい」
「即答ッスか!? もういいッス、聞いたボクが天才だったッス! 変って言う奴が変なんですー!」
誤魔化すまでもない事実を包み隠さず答えると、案の定ジナコは怒り出した。
こういうことは、あまり嘘を言うのもどうかと思う。
というより、学校の倉庫に引きこもって好き放題の限りを尽くしている明らかに関係者でない人物を変でないという人の気が知れない。
「もういいです、
散々に叫びながら、倉庫から閉め出された。
そしてドアからガチャリと鍵の閉まる音がする。
内側から鍵を掛けた様だ。
ジナコ=カリギリ。どうにも不思議な人だった。
あんな参加者もいたのかと思いつつ、暗い倉庫を後にする。
「……?」
今、何か妙なフレーズを使った気がする。
今朝はいつにも増して気分が浮ついているようだ。放課後は早めに帰ったほうがいいかもしれない。
早く自分の教室に向かうべく二階への階段に足をかける。
と、不意に頭上から音がした。例えるなら、女性もののヒールの付いた靴が勢い良く段差に躓いてその弾みで足を踏み外してくるような――
「――あら、あらあら、あらあらあら」
例え、ではなかった。
「なっ……」
正に今、人影が落ちてくる。
避ける事もその場で受け止める事も敵わず、
「きゃ――――っ!」
廊下に、大きな物音が響いた。
背中から廊下に倒れこみ、大きく後頭部を打ち付けた。
脳が震えて目がチカチカしている。
何が起きたのかを確認すべく、点滅する視界を助けるように手を這わせ――
「っ、あんっ……!」
官能的な声が、鼓膜を揺らした。
「まぁ……乱暴な手触り、ですのね。女のどこを触っているのか、分かっているのですか?」
這わせた指は、圧倒的なまでの質量に溶けるように食い込んだ。
「んっ……! そんな、もぎ取るような勢いで……恥ずかしい、私も、力が入りません……」
「――――っ」
「あぁ、お許しくださいませ……このような公共の場でなんて、私……困ります……」
「――――ッ」
「指だけでなく、唇まで……ですが、乳飲み子のように求める魂を、一体誰が諌められましょう……」
「――――っっ」
「はあ……こんなに激しくされたのは、初めてです……私の胸にそれほどの恨みがあるのでしょうか……」
「――――ッッ」
「まるで底なしの黒洞のよう……いいえ、呼吸にあえぐ魚のような……魚の……ような……?」
「…………」
考えるのを止めた状態で、ただ空気を求めていた。
五感全てに訴えかける美しさに官能を沸き立てる事無く、ただそれよりも今は生存本能の方が優先されていた。
「ふ、不覚です! 私の不注意でした、この胸で貴方の呼吸を妨げていたなんて。申し訳ありません、すぐに起き上が――」
そうしてやっと、口元から離れる圧倒的な弾力。
肺一杯に空気を取り込みつつ、頭を上げ――
「あっ」
「――――!?!?!?」
前頭部の至福、後頭部の衝撃が、同時に襲い来た。
「っ……」
ようやく起き上がる。一体僕は何をしていたのだろうか。
何かすごいものを受け止めて、後頭部を打って、ようやく意識が戻ってきた。
気を取り直して顔を上げると、目の前には見慣れない女性の顔があった。
「良かった、気がつかれたのですね!」
如何にも尼僧といった女性。その尼僧服はボディラインを強調しており、美貌を際立たせている。
「あぁ……ほっとしました。ありがとう、可愛い学生さん。お名前を伺っても?」
女性は心配しているのか、眼前まで顔を寄せて手を握ってくる。
近い。ものすごく近い。しなだれかかる女性の肉感的な重みで正常な思考が阻害される。
とにかく、慌てながらも名前を名乗る。
「し、紫藤……白斗です」
「紫藤さん、ですか。良いお名前をお持ちですのね。このお礼はいずれ、必ず」
深々と頭を下げながら、女性は言う。
「それでは、また後ほど。この先もどうかよろしくお願いしますね、素敵なマスターさん」
去っていく女性。またしても、何か気になるワードが残された。
マスターとは、何のことだろうか。それを問い質そうとするが、既に女性の姿はなかった。
そこに居たという証は、護摩を焚いたような香の匂いのみ。それは制服にもきっちりと残っていた。
「……まったく、こんなところ誰かに見られてたら――」
「……」
「……」
階段の上から、ゴミを見るように見下ろしてくる冷たい目と目が合った。
赤い制服に、ブロンドの髪。それはつい最近、転入してきた――
「……レオ」
「おはようございます、ミスターシドウ。朝からお盛んですね」
天使のような笑顔でレオは告げて、一足先に教室に向かっていく。
どうやら、階段の上から一部始終を見ていたらしい。
あぁ――今日は厄日か。そんな事を思いつつも、レオなら多分、周りに広めたりはしないだろうと信じる。
出会って数日だが、彼の公正さは凡そ十四歳のものではない。
完成された王を連想させる彼なら、そんな愉悦に走ったりしない。きっと。
若干の現実逃避をしながら、レオに続いて教室に向かって行った。
2年A組の教室は、既に殆どの生徒が揃っていた。
色々あったがホームルームはまだ始まっていない。
ようやく自分の机に座り、気を落ち着けていると友人である
「やぁ紫藤。今朝はギリギリじゃないか。真面目なだけが取り得のクセに」
相変わらずの性格だが、それを悪意と感じさせないのが慎二だ。
「あ、もしかして、
PJというのは欧州の巨大掲示板だ。
普通の掲示板のように情報を提供・共有する場ではなくディープな自称専門家の巣窟である。
「僕はPJで話せるほどの知識はないよ」
「はは、そうだろうね。あれは僕の様な、一握りのゲームチャンプだけが発言し、信者を得るべき場所だからね!」
そういう慎二は確かにゲームの実力は確かなものである。
バトルスコアは七千八百万。ワールドランキングでもNo.2という本物の天才だ。
とは言え、自意識過剰さとエリート思想がマイナスポイントであり、“あれで空気が読めていれば本当にアイドルなのに”というのが女子達の総意である。
僕と慎二は長年の腐れ縁で、よく話している。確かに性格に難はあるが、彼から聞ける話はタメになるものも多い。
「おや、相変わらずネット上で無双しているのですね、シンジは――ふっ」
そんな慎二にレオが何かを含んだ笑いを投げかけた。
「何だよ今の笑い。レオ、何か言いたいことがあるのかよ。文句があったらスコアで語ってほしいね」
「いえ――格差社会というのは残酷だと思いまして。先程リアルで無双している方を見たのですが、考えを改める事になりそうです」
レオの笑みは涼しげに此方に向けられている。
明らかに、先程の階段での一件を言っているのだろう。
――レオ・B・ハーウェイ。つい最近、この学園に転入してきた少年。
今や世界の六割のシェアを管理している巨大財閥の御曹司にして、飛び級の天才児だ。
初めは育ちや能力の違いで敬遠していたが、今では何気ない世間話を出来る仲になっていた。
「ところでシンジ。PJではまだ聖杯戦争という噂は立っているのですか?」
その単語に、何か聞き覚えがある気がした。
とても大切な、忘れてはいけないもののような――
「あぁ、昨日もスレが立ってたよ。勝ち残った最後の一人が如何なる願いを叶える聖杯を手に入れる、なんて手垢のついた触れ込みだ。運営も知れない参加法も知れない。胡散臭いったらないよ」
「何でも願いを叶える、ですか。それは興味が湧きますね。ハクトさんなら、どんな願いを口にしますか?」
「僕? 僕、は……」
そう言われて、考える。
「……何でも願いを叶えるなんて凄いモノに願うようなことはないかな。努力すれば叶うようなことばかりだから」
「そうですか。ハクトさんらしいですね」
「そういうレオはどうなんだよ。皆が驚くような願いとかあるのか?」
慎二はレオに尋ねる。巨大財閥の次期当主でもあるレオの願いは確かに気になる。
「勿論ですよ。僕はその為に月海原に転入して――」
「え? レオは確か――」
「……おや? 僕が転入したのは父の都合、でしたよね?」
「お前、どうかしたのか?」
慎二が怪訝な顔をする。確かにレオは兄と二人で半年だけこの月海原に転入してきた筈だ。
何故か記憶があやふやだが、それだけははっきりと記憶している。
「いえ、単なる思い違いでしょう――あぁ、次はユリウス兄さんに聞いてみましょうか。あれで面白い願いを持っていそうです」
「ユリウスさんか。確かに気になるな……」
ユリウス・B・ハーウェイはレオの兄だ。
曰くレオの執事の様な存在であり、身の回りの世話を全て行っているとか。
ロールスロイスで送り迎えするその姿は密かに人気がある。
「……あのさ、なんでそこであの陰気な兄ちゃんの話になるわけ? そこで話振られるの普通僕じゃないの!?」
「え、あ、うん。じゃあ慎二の願いは?」
「何か投げやりなのが気になるけど……まぁいいか。僕の願いは唯一つ――この地上で誰もが目を見張る
慎二が胸を張って自慢げに言う。
この上なく慎二らしい願いだ。
「その為には、欧州のゲームチャンプを倒さなければなりませんね」
「それも時間の問題さ。実力と判断力、インスピレーションなら僕の圧勝。あんなプレイ時間だけが膨大な廃人チートプレイヤーなんてすぐに追い抜いてやるよ!」
「確かに、次のキャンペーンはシンジの独壇場ですね」
「あぁ。見てろよ。来週には“じな子”を蹴って、僕がNo.1ゲームチャンプだ!」
――じな子?
何か、つい最近も最近、今朝そんな名前を聞いた気がする。
「頑張ってください。その暁には、僕もお祝いをしましょう」
「ホントだな!? 聞いたか紫藤、来週はレオの豪邸でシンジ
「あぁ。楽しみにしてるよ」
そんな益体のない話をしている内に、ホームルームのベルが鳴る。
今日も、我がクラスの担任の野獣のような足音が廊下から響いて――
「……あれ?」
響いて、こない。
不審に思っていると、ドアが丁寧に開かれ、尼僧服を身に纏った女性が入ってきた。
その楚々とした立ち姿が放つ雰囲気に気後れしているのか、誰も一言も発さない。
女性は穏やかな眼差しを真っ直ぐに、教団に向かう。
「朝から驚かせてしまってごめんなさい。当惑はごもっともですので、自己紹介をさせていただいても?」
その女性は、さっきとんでもない出会い方をしたその人であり、
「
どうか、よろしくお願いしますねと丁寧に深く頭を下げる先生を見て、
――そこまでにしておけよ藤村
そんな言葉が脳裏をよぎった。
まぁ、そんなこんなでCCC編開始です。
何の変哲もない、原作沿いですね。プロローグはこんな感じで続きます。
原作乖離はもう少し先からなんですよ。
この約一ヶ月、何だかんだで書き溜めはそんなに進みませんでした。
努力が無駄になるという絶望を味わい、人生ってこんなもんなんだと多分年齢不相応な悟りを開きかけたりとイベントが色々あったせいでしょうね。はい、言い訳です。
それは置いておくとして、更新は二~四日ごとくらいを予定しています。
それくらいなら何とか、安定した更新ができそうなので。
今年は全体的に忙しそうなんで、どこまでそれが続くかですね。頑張ります。
ではでは、CCC編もお付き合いいただければ幸いです。どうぞ、お楽しみ下さい。
あ、ちなみに一成の出番はもう無いです。