宝具を開け。
アサシンは確かに、そう言った。
隠してきた切り札たるカードを、ここで切れと。
メルトは今回の戦いが、宝具を使う頃合だと言っていた。
だが、本当に今が、その使い時だろうか。
「残念だけど、宝具の使い時はマスターの采配に任せているわ。彼がその時ではないと判断したなら、それに従うまでよ」
挑発的な口調で返すメルトだが、実際のところ、僕自身もメルトの宝具の詳細を理解していない。
逆転を狙えるもの、と聞いているだけで使用した時、戦況にどの様な影響を及ぼすか分からない。
言い訳をすれば、メルトが教えてくれなかったというのが真実なのだが、ある程度想像はつく。
姉妹であるリップの宝具がid_es、トラッシュ&クラッシュの応用だった筈だ。
それを基に考えれば、メルトの宝具はメルトウイルスを応用したものだろうか。
しかし、メルトはリップの様に、id_esの解放をしなくとも宝具の発動が出来るとも言っていた。
ならば発動に代償はいらないだろうが、逆転、つまり劣勢の際に発動するのが基本と考えるべきか。
だとすれば、まだ使用の時ではないだろう。
絶対不利な状況でもない、もう少し様子を見るべきだ。
「ふむ、ならば小僧。宝具の開帳はどうか?」
「――まだだ」
「渋るか。ならば良い――武の合理、身をもって知れ」
アサシンが今までとは違う構えを取る。
それと同時に感じる、凄まじい重圧。
動きに制限が掛かる程までに、アサシンの気が空間を満たしていく。
「全身全剄、陽気を巡らす――!」
この状態は、李書文というサーヴァントが最大の力を引き出せる空間。
固有結界の一種と考えても良いだろう。
アサシンの気に満ちたこの空間においては、一撃一撃が致命傷となりえる。
全ての攻撃に宝具としての性能が追加されているようなものだ。
「呵々、ユリウス、魔力を惜しむなよ。一撃で倒れる相手でもあるまいて!」
「ならば手早く済ませろ。永久機関なぞ持ち合わせていない」
その瞬間から、アサシンの動きは更に苛烈さを増した。
震脚は大地を鳴らし、放たれる拳は風圧を産む。
メルトは何とか躱しているも、その衝撃と風圧は僕をも追い詰めていく。
ユリウスは動いていない。
恐らくこの空間を長く維持するため、出来るだけ動かずに魔力を温存する気なのだろう。
かと言って、ユリウスを攻撃する暇も無い。
「メルト、頼む――
敏捷性の強化により、アサシンの攻撃の回避を補助する。
正直、メルトの強化くらいしかあの戦いに介入できる手段がない。
弾丸を撃ったところで当たるようなものではないだろう。
この状況を打開する方法――
先の状況で宝具を使っていれば、或いは既に勝てていただろうか。
いや、相手の備えが万全な状況で使っても防がれるだけか。
どちらにしろ、今までのどのタイミングで宝具を使っても勝利へは繋がらなかった筈だ。
だとすれば真に発動するに相応しい状態はまだ。
もう少し、とは言いたいがメルトがいつまで持つか。
幾ら敏捷性を強化したとしても、一撃受ければ危うい状態でしかも防戦一方ともなれば限界はある。
「そらそら、逃げてばかりでは勝ちは拾えんぞ!?」
「……くっ」
間一髪のところで攻撃を回避し続けるメルトから疲弊しきった息が零れる。
空間を満たすほどの気を放つ敵と真正面から対峙しているのだ、無理も無い。
だが、今出来る事――回復のコードで疲労を消す事は出来ない。
能力を強化するにしても、耐久は上げても恐らく意味がない。
敏捷を重ね掛けすることはできないし、幸運が作用する場面でもないだろう。
手詰まり――ここで終わるのだろうか。
空虚な存在ながら、ようやく個としての願いを持って戦いに赴いたというのに。
「……アサシン」
「呵々、すまんなユリウス!」
ユリウスが手早くコードを紡ぎ、アサシンをサポートする。
筋力と敏捷の強化。
唯でさえ凶悪なアサシンを更に強くするコード。
鬼に金棒、一体どうすれば……
悩んでいても仕方ない。
魔力を温存していたユリウスが動き出したという事は短期決戦を決めたのだろう。
だとしても、ユリウスの魔力が無くなるまで耐え続けるのはメルトといえど不可能だ。
腹を括れ。
不利な状態でメルトは回避し続けているんだ。
マスターである僕が思い切らないでどうする。
――ユリウスが使っていたあの短刀、違法術式にしてもコードキャストに違いは無い。
ならば作れる筈。
オリジナル程の強度が無くてもいい。
「……」
右手に魔力を集中させ、短刀をイメージする。
コードの詳細が分からない以上、組み上げる事は不可能だ。
だが魔力を放出――形を作るだけならば。
そうすればそれに強化、構造を把握する事で僕なりのコードを組むことが出来る筈――
――killer()
「なっ……!?」
魔力の温存、それに集中していたのか、ユリウスは接近に気付かなかった。
すぐさま短刀を作り、迎撃しようとするも、その隙は付け入るに十分なものだった。
短刀を持った手を思い切り振り払い、ユリウスの短刀を弾く。
その一瞬、ユリウスの意識は此方に向けられる。
「む……?」
空間を満たす気を保たせるため、放出し続けていた魔力が乱れ、不審に思ったアサシンが振り返る。
「メルト、下がって!」
「っ!」
そしてメルトを一旦後退させ、アサシンに弾丸をありったけ放つ。
「猪口才な!」
それらを打ち払う事など、武術の達人には容易いことだろう。
それでも止め処なく弾丸を放ちつつ、ユリウスの反撃を防ぐために距離を取る。
「
対処に手を取られているアサシンにコードを打ち込む。
一瞬だが相手の攻撃行動を封じ、更に逃走防止に敏捷を低下させる。
「メルト!」
「
既に何をしようとしているか、メルトには伝わっていたらしい。
「っ――ぬぅ!」
予想外の攻撃にアサシンは対処出来ず、その腕でメルトの棘を受けた。
傷を癒し、メルトは万全の状態になる。
――舞台は、整った。
「メルト――宝具を!」
切り札の使用を命じる。
「良いわ、ハク――刮目なさい。フィニッシュの時間よ」
メルトの声色が、その瞬間変貌した。
「させるか――っぐ!?」
妨害しようとするユリウスに弾丸を撃ち込み阻止する。
アサシンは決して万全とはいえない形で、宝具の発動を迎える。
高く跳躍し舞うメルトに呼応するように、静かな音が聞こえてくる。
山から沸き出ずる清流のせせらぎ。
かと思えば、音だけであったそれは確かな波として、決戦場の全てを飲み込んだ。
しかし、僕には何の影響もない。水流の中で平然としていられるのは、とても不思議に感じる。
清流はたちまち荒波へと姿を変え、中央にあるアサシンへと襲い掛かっていく。
アサシンにはそれを回避する術はなく、ただ波に揉まれるばかり。
一箇所に集中して向かう波は、最早大渦と化していた。
「アサシン、そろそろご退場願おうかしら」
波に乗って優々とたゆたうメルトは、荒波の中心を見下ろしていた。
須臾とも永劫ともとれる時間を、メルトは支配する。
波の流れに任せていたメルトは突然、水飛沫のように跳ねた。
そしてそのまま中心に落ちていく。
「さあ――飲み込まれてしまいなさい」
一筋の流れ星の如く。
全ての水は打ち上げられ、荒波ではなく清涼な雨粒として降り注ぐ。
解放されたアサシンは方膝を付いていた。
その理由は、明らかに変質した周囲の気から否が応にも伝わってきた。
ゼロより以下しか許されない。
一より上は、全てをゼロへと戻される。
培った鍛錬の成果、生まれつき持ち合わせた不可思議な力、一時的だろうと利を与えた能力。
それら全てを甘く溶かし、メルトに対する毒は蜜へと変わる。
敵が強ければ強いほど、使用した時にそれを反転させる宝具。
アサシンが満たしていた気は全て、メルトの管轄へと移り変わっていた。
全てを攫う大波。全てを甘く溶かすメルト。
雫の最後の一滴が彼方まで清澄な音を響かせる中、戦況に絶対的な変化を及ぼした一撃を終えたプリマドンナは宝具の真名を静かに謳う。
「――
今起きたこと、それの全貌を理解できたのは、使用した本人であるメルトのみ。
「……何が起きた?」
ユリウスは、状況が整理できずただ唖然とアサシンとメルトを見つめていた。
「私の蜜は肉体も精神も甘く溶かす。まとめて全て私のものよ」
「儂の気を攫った、と――?」
内面的なものを吸収しただけではない。
物理的にも大きな損傷を与え、波は静かに引いていった。
そして、空間を支配する者がメルトへと移り変わったという危機をユリウスは察知する。
「っ」
「させるか!」
メルトにコードを打ち込もうとしたユリウスに弾丸を放つ。
アサシンは、動けない。
如何にメルトが中国拳法に対して素人であろうとも、結果を吸収する宝具の前では関係ない。
空間に満ちた気はメルトのもの。
アサシンに一撃でも打ち込めば、二の打ち要らずという逸話が具現化するだろう。
そうでなくとも、動けないアサシンには後一撃で十分だ。
「――まだだ、アサシン!」
「……いやさ、さすがの儂でも、無理よな」
とはいえ、立ち上がるアサシンに対して油断は出来ない。
「おうサーヴァント、この一撃だけ付き合え!」
既にアサシンは負けを確信している。
ユリウスがどう足掻こうと、サーヴァントが諦めている以上事態は動かない。
「えぇ、良いわ。精々全力を出しなさい」
メルトはアサシンの要求を受け入れた。
相変わらずの構えながら、アサシンが改めて放つ気はメルトが操るそれに遠く及ばない。
或いは、最盛期の自身に挑戦する気概なのかもしれない。
「七孔噴血……撒き死ねぃ!」
拳と脚具がぶつかり合い、しかし先程の様にメルトが劣りはしなかった。
真正面から拳を打ち払ったメルト。
「終わらせてあげるわ、魔拳士」
「いや――見事な套路であった……」
終幕の一撃を、アサシンは静かに受け入れた。
――
二つを隔てる壁が出現する様を見届けた後、アサシンは呟いた。
「――勝負、あったな」
黒く染まり、先端から少しずつ崩れていく体を一瞥もせず、アサシンはユリウスに歩み寄っていく。
膝から崩れ落ち、蹲っているユリウスは何事かを呻いている。
それを知って知らずか、アサシンは口を開く。
「ユリウス、詫びは言わんぞ。しかし礼は言おう。久々の娑婆、ぬしのお陰で存分に闘えた」
もう一度機会を得て、仕合う事が出来たアサシンは既に満足なのだろう。
そんな礼など耳に入っていない様子のユリウスは、紅く輝く右手に気付く。
震える左手で黒い手袋を外すと、マスターである証の令呪が消えていく。
「さあ、最期だ。顔を上げろ」
「……」
「ユリウス? どうしたのだ?」
暗殺者の顔に浮かぶ、絶望の色。
またも人を殺めたという罪悪感は、きっとこれからも毎回味わうのだろう。
たとえ相手が、どこまでも無情な暗殺者だとしても。
「……だ」
「……ユリウス?」
「……まだだ。俺は、まだ死ねない!」
「おぬし、何を――」
その瞬間の出来事を、誰が予想できたか。
少なからず疲弊したメルトすらも反応できず。
僕も理解できたのは、その腕に何かが絡み付いてから。
「貴様にだけは――俺は殺されん!」
壁を突き抜けた向こうからの引力に、咄嗟に逆らうことは出来なかった。
黒い暗殺者の眼に宿っていたのは、明確な殺意と、混沌の狂気であった。
グリッサード=バレエ用語で「滑る」の意。当然だが吸収の事ではない。
ようやく宝具の解放、そして次回五回戦終了です。