Fate/Meltout   作:けっぺん

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Escape From Mooncell.-3

 

「――――」

 駆けるような、夢を見ていた。

 思うがままに森を走る。野生の獣のように感情に任せる。

 幼少の頃を思い出す。アルテミスの大熊に育てられ、野生として過ごしたあの時は、私は常時、そんな風だった。

 目覚めは、とても落ち着いていた。

 体に力が入らない。確かめるまでもなく、理解できる。

 ――生きるために必要なものを、多く失った。

 刻一刻と、体が消えていくのが分かる。状況把握に時間は掛からなかった。

 どうやら私は、桜の木に背を向けて、寄り掛かっているらしい。

「――よぉ、起きたか」

 上から降り掛かってくる声。

 首をゆっくりと動かして見上げると、大きな枝にアーチャーが座っていた。

「アーチャー……汝」

「元に戻ったみたいだな、ったく」

 アーチャーもまた、霊核を失っていた。

 思い出す。魔獣の皮を纏い、それから何があったのか。

 確か、誰かが私に挑んできたような。状況からして、その相手は一人しかいない。

「……迷惑を掛けたか」

「まったくだ。ほんと、いい加減にしろっての。旦那たちに危害が及ぶかもしれねぇってのに、あんなモン持ち出すとか正気の沙汰とは思えねえよ」

 ――感情のままに戦った。誰かに危害が行こうと、気にしなかっただろう。

「いいか。小坊主にこんなこと言われるのは恥と知れ。アンタはサーヴァントとしてどうしようもない程に失格だ」

「……かもしれんな」

 否定の要素は、湧いてこなかった。

 仮とはいえ、マスターを先に行かせて、ここに残った。

 アサシンを失い、感情的になっていたこと。それで、何もかもがどうでもよくなかったこと。どちらも紛れもない真実だ。

「だから、右手はその報いだと思え」

 言われて、右手を見る。

 無垢なる子供がしがみついていた腕。

「あ――」

 どこにも、なかった。

 肘から先は既に存在せず、いつしか声も聞こえなくなっていた。

「オレの弓は、不浄を祓う祈りの弓だ。猪の皮も、右手の呪いも、お前にとっては毒だったってことだ」

 アーチャーの宝具で、致命傷を負ったらしい。

 苦しいとは思わなかった。

 子供たちのためなら、仕方ないことだと思っていた。

 しかし、そんな痛みを通して生かそうとした子供たちは、先に旅立ってしまった。

 妄執は、あっけなく無くなってしまった。

 アーチャーを怨もうとは思わない。或いはそれは、子供たちの選択だったのかもしれない。

 魔獣と成って、畜生に堕ちてまで、生きたいとは思うまい。

「私の……独りよがりだったか」

「そういうこった。でもまあ、なんだ。そんだけやったんだ。ガキ共も感謝はしてるだろうよ」

 そうであってほしい。

 子供たちには私の価値観を押し付けてしまった。

 それは決して、無駄ではなかったと思いたい。

「――飲めよ。付き合うって言ったろ?」

「む……」

 ふと目に入ったのは、左手の傍に置いてあった酒器だった。

 透明な液体が入ったそれからは、手に取って近付けるまでもなく芳醇な香りが漂ってくる。

「……まあ、良いだろう」

 口を付けつつ、ふと疑問に思った。

「アーチャー」

「あ? なんだ?」

「何故私と戦った? マスターたちと共に避難すれば良かったではないか。であれば汝まで傷を負うことはなかった」

 前を見れば、彼のマスターと、後一人。セイバーと仮契約したマスターがいた。

 彼らを巻き込みたくなかったのであれば、もっと安全な手段があった筈だ。

「そんなこと、知るか。アンタの失墜を見て、居た堪れなくなったんだろ。……それ以外は何もねえっての」

「……そうか」

 誇りなど持たない身。ゆえに気にせず失墜した。

 あのまま底にまでたどり着いてしまえば、果たしてどうなったか。

 想像などしたくもない。しかし、そこに私は手を伸ばそうとしていたのだ。

「……旦那。兄ちゃん。そんなワケだから、オレは先に抜けさせてもらうぜ。どうせそろそろ、帰るんだろ?」

「うむ……ご苦労だった、アーチャー。儂のサーヴァントが君であることを、誇らしく思う」

「あー、そういうの無し。面と向かって言われるの、小恥ずかしいったらありゃしないんだわ」

 高齢の人格者と若人。マスターとサーヴァントの関係としては逆のような気がしなくもない。

 しかし、それで相性は良いのだろう。

 思わず口角が上がる。その時、傍に何かが落ちてきた。

 空になった酒器。落としでもしたのだろうか。

「アーチャー?」

 言葉は、返ってこない。

 上を向く力は残っておらず確かめることは出来ないが、恐らく、役目を終えたのだろう。

「……」

 私も旅立つ時はそう遠くあるまい。残る時間をどう過ごそうかと考えて、マスターたちに目を向ける。

「……生前より、男には恵まれなくてな」

 気付けば、愚痴を聞かせるような形になっていた。

 死に際だ。こんなことを話すくらいに耄碌していても、大して不思議ではあるまい。

「アーチャーでは、不満かね?」

「さあ、な。好意だの、そういうものは私には良く分からん」

 まあそれでも――私の知る男とあのアーチャーは、どこか違っていた。

 ただ名利につかれて欲望の赴くままに戦場を駆ける武人が、今まで私の関わった男だった。

 アルゴナウタイの一員であった際、多くの英雄と知り合った。

 古今無双のヘラクレス。固く結ばれた双子のカストールとポルックス。獣皮の件の発端となったメレアグロス。

 そうした男たちの中で一人、武人とは思えないほどに小心者な男がいた。

 紛れもない大英雄だというのに。あの時代は力にものを言わせた乱暴狼藉こそが当然であったというのに。

 謙遜しすぎたような男がいた。

 その名はペレウス。臆病ながら性根の強い、当時にしては珍しい男だった。

 ヘラクレスと双璧を成す、ギリシャ最大の英雄の父である彼とアーチャーは、似通っているかもしれない。

 大したことがないと自嘲し、しかし他人ならば歯牙にもかけない小さな意思を貫き通す。

 違いといえば、ペレウスは大英雄である一方で、あの男は何も成せなかったと言っていた。

「しかし……確かにあの男は英雄だったよ」

「彼は、自らをそう思ってはいなかったようだが」

「英雄であるか否かに、個人の見解など関係ないさ。だから自身の評価も、私の評価も、まったくもって意味がない」

 ああ――だがそれでも、

「――だが、誰かの記憶に残ればそれでいい。そう考えた方が、気も楽だ」

 少なくとも、あの男はここにいる者たちの記憶にその存在を焼き付けた。

 そして、彼だけではない。

 子供たちが旅立っても、私はその存在を知っている。それに、母と慕われた女子の記憶にも留まり、生き続ける。

 あの子たちの未来は続く――少なからず、救いとなっただろうか。

 そういう意味では、その運命まで命を続かせてくれた、仮初のマスターにも感謝すべきか。

 令呪の命は完遂した。子供たちはもうここにはいない。そして、宴の相手も先に行った。であれば、もう残る意味もない。

 もう一口、液体を注ぎ込む。

「……戯けが。余計な気遣いをしてくれおって」

 他の何も入っていない、林檎を絞っただけの果汁は舌にひどく馴染む。

 酒を用意すればよかったものを。

 気の回りように笑みが浮かぶ。

 それ以上を飲むことなく、手がノイズとなって消え去り、酒器が落ちる。

 中身を零しながら転がって、先に行った男の落としたものとぶつかった。

 少し惜しいな、と思いつつも目を閉じる。

 先程までは、自棄になっていた。失墜してしまえば、それで良かった。でも、それを引っ張り上げてくれたのならば、感謝すべきだろうか。

 遠のいていく意識で抱いたそんな思考を、我ながら滑稽だと思いつつ、私は二度目の生涯に幕を閉じた。

 

 

 +

 

 

 体に何かが入ってきて、暫く時間が経った。

 自分とランサーしかいなくなった世界で、ただ座り込んでいる。

 エリザちゃんの最後の歌で、敵を倒して多分、三十分くらい。

 未だに耳の奥には歌の残響がある。

 この世のものとは思えない。悪評なんて付けようもないくらい、素晴らしい歌だった。

 ラジオやテレビで歌は聞いたことあるけれど、そのどれとも比べ物にならない。

 歌姫(ディーバ)という言葉は、あの娘のためにいるのかもしれない。

 絶世の歌声を響かせながら、世界に溶けるようにエリザちゃんは消えていった。

 きっと彼女は、あれで満足だったのだろう。

 消滅してからも響いていた歌は、きっとあの子のところにも届いた筈。

 ――その甲斐あって、あの子は黒幕を倒した。

 体に入ってきた何かは、帰還の術式。

 地上に帰るそのときが、近づいてきているのだ。

「……妻、よ」

「ランサー?」

 細い声の方向に顔を向ける。

 聖杯戦争では最後まで使わなかった宝具を解いて、倒れるまで戦ったランサー。

 もう目を覚まさないかと思っていたけれど、まだ時間はあったらしい。

「ああ……良かった。生きていたか」

「ウン、敵ハ、アノ娘ガ倒シテクレタヨ」

「そうか。耳朶に残る聖歌……あの娘のものであったか。であれば、あの魔性も耐えれまい。して妻、あの娘は……」

「消エチャッタ。デモ、スゴク幸セソウダッタヨ」

 彼女は最後、どんな気持ちを抱いていたのだろう。

 あんなにも満ち足りた歌を唄えるならば、未練などあろう筈もない。

 そして、あの歌はランサーにも届いていたようだ。

「……ならば、オレが後を追うこととなるか」

 ――ランサーの霊核は完全に破壊されて、消滅まで秒読みになっていた。

「ランサー。本当ニ行ッチャウノ?」

「うむ。怪物は最後には消え去るが必定。仕方あるまいさ」

 ランサーは、自らを吸血鬼(ドラキュラ)と言う。

 ゆえに自分は倒れる定めだと。

「問題はない。妻はじき、地上に戻るのだろう」

 どうやらランサーは、知っているらしい。

 全てが終わったこと。そして、今から地上に戻ること。

「そうなれば、我が役目も終わる。最後まで貴女が死ぬことなく終わり、本当に良かった」

 ランサーは笑う。それが心からの幸福であるように。

「デモ、ランサー」

「ふ……貴女はもう、以前とは違う。愛を選び、口にすることも出来よう。きっとこれからの貴女は、生に足掻ける」

 ランサーは、何故か確信を持っている。

 この期に及んでまだ、己のマスターに希望があると。

「貴女は十分に人なのだ。煉獄に堕ちずとも、愛に狂わずとも。貴女は生きられる」

「ア――」

 頬に、手が添えられた。

 手甲を外して、初めて触れたその手。

 ゴツゴツしていて、ザラザラしていて、しかし、温かい。

 そう、まるでそれは、お父さん(パパ)のような――

「血に塗れた我が生涯は否定されぬ。ゆえにこの身は何度だろうと焼き尽くされよう。されど、貴女は違う。これより先、我が手は貸せないが――」

 罅が入って、黒いノイズがその手を蝕んでいく。

 それを少しも気にせずに、ランサーは尖った歯を見せて、満面の笑みを向けてきた。

「どうか覚えていてほしい。貴女の続く生涯の一端に、正義の槍(ドラクリヤ)がいたことを――」

 言いたいことを言い切って。

 だけど此方の言いたいことは言わせずに。

 ランサーは夜に溶けていった。

 黒い粒子に手を伸ばしても、掴む前に見えなくなっていく。

 後悔はせず、結果だけを受け止めて、後ろは決して振り返らない。自身の生き様を最後まで貫き通したのだろう。

 最初に、敵が消えて。

 次に、終わりの歌を奏でた娘が消えて。

 追うように、限界をとうに超えていた公爵が消えた。

 最後に残った――私は――起動した術式に従って在るべき場所へと戻る。

「――ソウダネ。ウン、チョットダケ、嫌ナモノガ消エタ感ジ」

 戦いが終わった迷宮の奥を見る。

 もう、ここで出会った皆には軒並み会えないとは思うけど、それでも良い。

 この思い出さえあれば、生きていける筈だ。

 だから、そのために、

「――――オナカ、空イタナア」

 地上に帰ったら、何かを食べてみるとしよう。




ユリウス、ダン、ランルー君が地上へ。そしてロビン、アタランテ、ヴラドの三人が退場となります。お疲れ様でした。
魔獣はアタランテにとって命を削る毒のため、祈りの弓が反応しました。
全員が全員、満足とは言わないまでも納得しての退場です。
しかし、最後の退場ラッシュは醍醐味でもありますが物寂しくもあり。どうにも複雑です。

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