Fate/Meltout   作:けっぺん

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Escape From Mooncell.-1

 

 

 全てを融かす、融解の波はゆっくりと戦場を満たし、それからゆっくりと引いていく。

 継ぎ接ぎすらない傷だらけの体を浸しても、奥底に沁みることはなく。

 全体を覆う心地良い冷たさで、本当に終わりなのかと実感した。

 キアラが消滅したことで、この空間を支配していた感覚は消え去り、元の真っ白な、平等な観測空間へと戻っていた。

 宝具の解放を終えたメルトは舞うように降りてくる。

 水を跳ねさせながら着地し、メルトはキアラが立っていた場所を見る。

「……終わった、わね」

「ああ……やっと」

 気付けば、この戦いの全てを見ていたアンデルセンも消えていた。

 キアラを肯定し、全面の補助をしていた作家は、最後に何を思ったのか。

 或いはそんな末期の感情すらも、波に浚われて融けていったのだろう。

 メルトの封印した記憶に存在していた事件の黒幕は、今度こそ完全に消滅した。

 これで、もう二度とこうした事件が発生することはない。

「さあ、ハク」

「そうだね。まだ最後の仕事が、残っている」

 メルトに支えられて、事象選択樹に歩いていく。

 邪魔をする者は一切いない。

 戦いなんて本当はなかったのではないかと思える程の静寂の中で、観測装置の真下に辿り着く。

 二つのプログラムを表出させる。

 「鍵」たる白融。「錠前」たる白融。

 この二つが還元されることで、ムーンセルは再び完全になる。

 白融はこの瞬間まで、真実、ムーンセルを守っていてくれた。

 BBがノートに託し、旧校舎に逃げ延びたカレンが持ち、開かせることなくキアラを足止めしていた。

 そんな最後の一線を開放する。錠前を開き、ムーンセルの機能に手を伸ばす。

 しかし――手が止まった。

「……ハク?」

 接続し、ムーンセルの観測機能を裏側に向けるだけ。

 それから一分と経たないうちに、事件は収束されるだろう。

 だというのに、手はそこから先に行かない。

「どうしたの? もしかして、何か異常でも――」

「……いや、そうじゃない」

 仕方のない、本当に、当たり前のことなのだが。

「――これで、終わりなんだって思うと、少し躊躇いがあるんだ」

 事件が終わる。それはずっと願っていたことだ。それを望んでいない訳がない。

 だが、それでも――この一ヶ月にも満たない月日。戦友と共に過ごしてきた、戦いの中の小さな日常は、何物にも代え難いものがあった。

 終わらせたくない、という感情も、少なからず存在するのだ。

 肉体のある全員を、地上に帰す。もう彼ら、彼女らに会えることはないだろう。

 或いは、地上から月を目指してくれる者もいるかもしれない。

 そんな可能性を思うしかない、というのは――どうにも躊躇いが生まれてしまう。

「分からなくもないわ。だけど、ハク」

 メルトは、一切揺らがない。

 彼女には躊躇いはない。やるべきことを分かっているから。

「私情で動いていい時間は終わったわ。貴方は観測者、月の意思。良いわね?」

 メルトの言葉は反論しようもない真実。

 その厳しさこそが、メルトの優しさでもある。

 もしかすると、僕は彼女に背中を押されることを待っていただけなのか。

 間違いない。冒険は終わり、観測者という役割に戻るときが来たのだ。

 ここまで引き摺って、未だ捨て去ることの出来ない弱さがあったようだと自嘲する。

「――その通りだ。それに、皆もまだ戦っているかもしれない。一刻も早く終わらせないといけないんだ」

「ええ。きっとまた、機会はあるわ。だから今は――」

 そうだ。必ずしもこれで終わりということはない。

 この一夜は終われど、人類史は、そして観測は未来へと進んでいく。

 だから今は――夜を明かそう。

 ムーンセルへの接続に、そう時間は掛からない。

 観測の目が裏側にまで及んだことは、すぐに理解できた。

 マスターたちの処断の決定に手を加える。

 自ら敗者と決定してしまう前に。月の裏側全てが燃えてしまう前に。

 彼ら、彼女らは月の迷い人。であれば、ムーンセルが処遇を与えるに能わず。

 ゆえに、早急に地上に帰すべし。

 間に合うだろうか。いや、きっと間に合う。

 だから心配は必要ない。今すべきは、何物にも勝る感謝。

 皆がいなければここまで来れなかった。解決にまで運べたのは、正真正銘皆のおかげなのだ。

 これ以上が僕には出来ない。だから、たった一つも間違いがないように。

 皆が望む最高に限りなく近い世界に送れるように。

「……ありがとう」

 お礼を言うべき誰がここにいる訳でもない。

 まして、誰かの耳に届けることが出来る訳でもない。

 ただ単に、僕の自己満足。それでも、最後に言っておかなければならないと感じたのだ。

 一人、また一人と転移が始まる。

 地上に。そして、一部の面々は表の安全地帯へ。

 夜は終わる。止まっていた時間はようやく、未来へと歩み始める。

 新たな一日を迎えるために。その物語に、新たな一ページを加えるために。

 

 

 +

 

 

「これで――!」

 BBの教鞭の一振りで、影が弾ける。

 新手が襲ってくることはない。

「ふぅ……終わりの、ようですね。次はありませんか?」

「はい。迷宮から旧校舎に入り込む存在は確認できません。もしかして……」

「影の発生源が全部消えたってこと、ですね」

 つまりは、この生徒会室での戦いは終了したということだ。

 BBと、そしてありすとアリスの助力は非常に大きいものだった。

 三人が隙なく戦ったことで、この場では誰一人傷を負うことなく終わることが出来た。

「もう終わり? お友達を呼ぶまえにおばけさんはかえっちゃったわ」

「いいのよあたし(ありす)。また新しい遊びをかんがえればいいの」

 はしゃぐ二人だが、私は戦勝に喜んでもいられない。

「……皆さんは」

「……観測の通り、です。多少障害があるかもしれませんが、それでも、()()()()間違いはないと断言できます」

 どれだけ精度を高めて鮮明にしても、確かに結果は変わりない。

 安心できることはある。マスターは全員、生存している。

 しかし――それ以外の観測対象、つまりはサーヴァントは、少なからず消滅していた。

 一度たりとも話したことのないサーヴァントもいれば、何度か会話を交わしたサーヴァントもいる。

 そうでなくとも、この戦いが終わったとき、全員その役目を終える運命にあるのだろうが、それより前に倒れてしまった。

 何を思って戦い、何を思って果てたのか。そうしたことは、私は理解できないだろうけど、少し気になる。

 そして、AI。購買の店員を務めていた言峰神父、そしてカレンの存在はあれから確認できない。

 旧校舎を探しても、迷宮を探しても、その存在は確認できない。

 その結果が行き着くところはつまりは消滅。否定のしようもない結論だった。

「しかし、マスターは全員生存しています。それだけでも、良しとすべきでしょう」

「……そうですね。AIは紫藤さんとメルトさんが中枢に戻れば復元できます。それに――」

 サクラが何かを言い掛けて、止まる。

 頷いて笑うその様子は、心底から安心しているようだった。

「……どうやら二人は勝ったようです。不正データ・キアラの存在がたった今、消失しました」

「っ!」

 つま先から頭までを満たす安堵。驚愕と歓喜の混ざった反応は、BBのものだった。

 喜ぶのも当然だろう。

 この事件の最たる被害者であり、事件の中で作り出した子供ともいえるアルタ―エゴが二人、犠牲となった。

 その復讐を果たし、事件は解決に至った。ハクトさんが勝ったのだ。

「お兄ちゃんが悪い女王様に勝ったのね、あたし(アリス)

「ええ、あたし(ありす)。これでお月さまに平和がもどるのよ」

 これで全てが終わった。ハクトさんを助けるという、私の役目も。

 程なくして、体に何か強力な術式が組み込まれる。

 解析せずとも分かる。これはハクトさんによって命じられ、ムーンセルが用意した、転移の術式。

 霊子化した魂を地上にある体に帰還させるためのもの。

 未だ思い出せない、月の戦いの記憶。

 ハクトさんを助けると決めて、最後にまで至った記憶が、私にはまだない。

 地上に戻れば、それは分かるのだろうか。だとすれば、未練は――

「……」

 ――なくは、ない。

 この月の裏側で、私の“心”は大きく成長したと確信できる。

 生徒会の一員として、多くの体験をした。

 ミス遠坂をはじめとしたかけがえのない友を得た。

 アサシンという、かわいくて仕方のない子と出会った。

「……ラニさん? どうかしました?」

「……いえ。なんでもありません」

 未練はあるけれど、それを持って地上に帰れるのならば、決して悪くはない。

 地上から月を目指す。かつての私がその結論に至ったのならばそれで良し。至ってないならば、新たな目標として掲げる。

 そうして地上での活動の、道標とすればいいのだ。

「そろそろ私は、地上に戻らなければならないようです。サクラ、BB、ハクトさんによろしくお願いします」

「あ……そう、ですよね。ラニさんは、地上に帰らないと」

 この場で集まり、他愛もない話をするという日常は私には新鮮で、とても楽しいと感じた。

 それが、明日からはなくなってしまう。

「確かに言伝、承りました。間違いなく、紫藤さんには届けます」

「ええ、お願いします。……やはり、未練があるものですね」

「なら、地上から月を目指してもいいんですよ? それならまたきっと、会えるでしょう」

「そうですね……はい、そのつもりです。ありがとう、サクラ、BB」

 転移の術式が全体に浸透するまで、残り一分と掛からないだろう。

 止まった時間を脱出し、明日を迎えるためにも、それは必須事項なのだ。

「お姉ちゃん、行っちゃうの?」

「はい……お二人は?」

あたし(ありす)たちは月のお庭で遊ぶの。お兄ちゃんたちと一緒に」

「ええ、ずっとずっと、幸せに暮らすのよ」

 ――ああ。確かに、そういう選択も出来よう。

 この二人はその道を選んだのか。

 私もそうしようか、と一瞬揺らぐ。血迷いというものだ。私は、私の選んだ道を行こう。

 きっとそれが、私の最善の筈だ。

「それなら、お別れですね」

「もう会えないの?」

「……いいえ。また会えますよ」

 帰還する世界は、私が知る世界とは少なからず変化があるだろう。

 だけど、如何な世界だろうとこの思いだけは変わるまい。

「じゃあ、約束ね! 遠い国のお話で見たわ。破ったら針千本呑まないといけないの!」

「針、千本ですか。それでは尚の事、破る訳にはいきませんね。はい、約束です」

 ありすの小指に、小指を絡める。

 契約ならぬ約束が交わされる。

 破っても何らペナルティがある訳でもないが、約束は守るもの。蔑ろにはできない。

 微笑むありすに、此方も笑いを返す。

 彼女の無垢さは、アサシンに良く似ている。

 この月の裏側での事件ありきかもしれないが、子供の笑顔というのは、嫌いではない。

 この笑顔がまた見られるならば、何としてでももう一度、訪れねばなるまい。

「さて、時間のようです」

 術式が全身に浸透し、起動する。

 地上にある体に引っ張られるような――何処か、懐かしい感覚。

 初めてではないと感じるのはやはり、ハクトさんが聖杯戦争に勝って、私が地上に戻れたからなのだろう。

 それをもう一度繰り返すだけ。未練はまた、次に繋げればいい。

「――では、また」

 最後に何を言うべきか。気の利いた言葉は出てこなかった。

 これもまた、人生経験の無さゆえ。次に会った時は、少しは言葉を選べるようになっていよう。

 そう、心に決める。

 程なくして、視界が光に包まれる。

 次に視界が開けたときは、地上に戻っているのだろう。

 私は師の望む存在に至れたかどうか。それは分からないけれど、少なくとも近付けているとは思う。

 いつかは心を奥まで学び、完全なるホムンクルスになれる。そういう期待は持てる。

 ハクトさんとメルトリリス――この月を目指し続ける、その限り。




ここから、それぞれのマスターたちが脱出していきます。
まずはラニ。ありすは月に残ります。

今日からは二日おきの更新を基本に、連日更新も併せて十月中の本編完結を目指していきます。
後少しの間、どうかお付き合いください。

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