勝利の女神が微笑まずとも。
決定した流れの果てが勝利であれば、それでいい――
ただ、命を奪おうと魔弾は飛んでくる。
反応すら出来る筈もなく。
次の瞬間には、心臓を貫かれて――
「――」
バチリ、という電子音。それは、霊子体が弾け飛ぶ音か。
意識が消える最後に、その音は耳に届いたのか――
「――――っ」
――いや。生きている。死んでいない。
胸に孔も、空いていない。心臓は未だに鼓動を刻んでいる。
間違いなく僕を穿ったであろう魔弾。それを止め得る存在がいたとすれば、それは――
「……メルト」
彼女にとっては小さな反撃も同然だったのだろう。
弾を受け止めた脚具には傷一つついていない。切り払って、舞うように一回転したメルトは、軽やかな音を立てて着地し此方に振り向いてくる。
「ハク。訂正するわ」
「え……?」
それは、戦いが始まってから今までのメルトと違う。声色は低く、悦に染まった笑みの面影は既にない。
殆ど見たことがないような、氷の如き冷たい眼。
「暫くそこを動かないで。この女の執念、私、甘く見てたわ」
いつしかその絶叫は細くなり、痙攣するキアラは見開いた目を此方に向けていた。
メルトが右手を振るうと、その声が収まり、力を抜いてぐったりと倒れ伏す。
「……ぁ、はぁ……」
どうやら、メルトが毒を操り、痛みを消したらしい。
「――キアラ」
「……なん、です……?」
その声色のまま、キアラに話しかけるメルト。
名前を呼ぶだけで先を続けず、メルトはキアラに近づく。
カツカツと金属が床を叩く音が静寂の中に響く。
そして、
「――ギィ――――ァアッ!」
一際甲高い音。先程の拷問のように加減はせず、振り下ろした脚具の先端はキアラの手を貫いていた。
白い肌を染める紅。
流れる血にも悲鳴にも、一切余韻に浸ることなくメルトは手から脚具を引き抜く。
「苦しませたまま消してやろうと思ったけれど、そこまで死に急ぐのね。この期に及んでまだ足掻こうなんて、よくも思い上がれたものだわ」
「くっ……は……」
「諦めない、生き足掻くってのは嫌いじゃない。だけどやっぱり、人によるものよ」
言葉の節々から感じるのは――明白な怒り。
しかし感情に任せて一撃で首を飛ばすことなく、落ち着いている。
「私にも許し難いことはあるわ。目の前で手を出されて黙っていられるほど、優しくないの」
言いながら、メルトは足を振るう。
宛ら、足元の砂を蹴って払うように。
放たれた、ごく少量の水の魔力は、キアラの両目に降り掛かり、
「ッ――――!」
瞬く間に眼球を溶かしていく。
喉は掠れて叫びも出ない。視力を失ったキアラは動かない体を捩らせて苦痛を訴える。
「ああ、冷めてしまったわ。興醒め。もう終わらせてあげる」
最早愉しむということもせず、メルトは戦いを終結させようとする。
だが、キアラが右手を震わせながら振り上げたのを見て、足を振るうのを止めた。
何かをするつもりならば、せめてそれを見届けてやろうと言わんばかりに。
「――令呪をもって命じます! アンデルセン、私をっ……この鎖の縛めから逃がしなさい!」
それを命じ切るまで、メルトは何もしなかった。
命令に動かされるように本を開いたアンデルセンは、令呪によって強化された奇跡の言葉を紡ぐ。
「飛べ。ここは日差しの届かぬ土中。逃げろ逃げろ幸福へ、旅の終わりは花の国――」
「ッ」
紡ぎ終えた言葉は奇跡を成立させる。鎖に縛られたキアラの姿が消え、アンデルセンの傍へと移動していた。
転移の文言は令呪の強化を受け、不可能を可能にまで押し上げている。
「は――!」
転移と同時にキアラは反撃に移る。
礼装として纏う底なしの欲を、無数の弾丸として周囲に展開させる。
一つ一つが魔弾としての確かな威力。
一斉に射出される。僕にはそれを受け止める余力は残っていない。
頼れるのはメルトのみ。彼女は大してその攻撃に感慨も持たず、行動を起こす。
「さよならアルブレヒト――」
幕のように薄く展開された魔力の防壁。
メルトが持つ最大にして絶対の防御は魔弾の一切を通さず、完全に防ぎきる。
だが、それは僅かな時間を稼ぐための手段だったのだろう。
キアラを見れば、悍ましいまでの魔力を解き放っていた。
「宝具……!」
体に群がる怨霊全てを両手に宿し、全ての力を込めて増幅させていく。
世界の人類、文明、あらゆる生命が持つ欲をも集め、その手に集積させていく。
「負けては、いられない……最後に後悔するのは貴女です! 最後に勝つのは私です! これを終えてから招く快楽の質がどれほど落ちようとも、この場で死ぬより遥かにマシよ!」
その願望の質を落として、その切り札たる一撃を肥大させる。
ここで死んでは全てが水の泡。ならばその落ちた願望だろうと叶えてみせる。
そのためにも、出せる全力を引き出すと。
「……私とはまた別の権能ね。望みの前借なんて、見下げ果てたわよ、キアラ」
「言っていなさい。現在過去未来、全ての欲を貴女にぶつけた瞬間には、勝敗が決していましょう……!」
或いはそれは、強がりなのかもしれない。
それでも、キアラは後戻りはできない。
残り時間も少なく、傷も深い。精神的にも摩耗し、崩壊寸前ながら、堤防は壊れていない。
神に等しくなった自身の権能。今まで追い詰められていようと、それだけはメルトに劣っていないと。
「望むところよ。その挑戦、受けてあげる。ハク、良いわね?」
「……ああ。終わらせようメルト。メルトも、宝具の使用を」
キアラが最大をぶつけてくるというのならば、此方も最大で迎え撃つ。
万が一があってはいけない。ここで油断してはならないのだ。
「わかったわ。括目なさい、貴女のサーヴァントの、その全力を」
キアラに対抗すべく、メルトも魔力を解き放つ。
「キアラ、正念場だぞ。その底意地、見せてみろ」
「ええ――負けて、なるものですか」
宝具と宝具の激突。これで、全てが決着するだろう。
先に動いたのは、メルトだった。
大きな跳躍を合図として、遠くから聞こえてくる水の音。
メルトが落とした雫が呼び水となり、波が起こる。全方位からの清流がすぐに戦場を満たす。
メルトは呼んだ水とは比較にならない魔力を纏っている。
正に、水の星。メルトを中心として煌めく塊は、今か今かと開放の時を待っている。
対してキアラは拳を握りこみ、纏う欲の全てをそこに込める。
自身を満たすのに使うのではなく、たった一人の敵を打ち砕くために、それを利用する。
互いが思うは、絶対の勝利。敗北など信じず、片や事件の収束を、片や願望の成就を目指し。
そして――
「――――
「
宝具の真名が解放される。
弾けた水の星は滝のように、雨のように降り注ぐ。
キアラは跳躍し、極めた拳を振り上げる。
二つの宝具を間近で感じる。「流れ」と「欲」、人の文明というものを築きあげてきた、当たり前の概念。
それらを極限まで昇華させた、規格外の宝具。
互いの信念たる全力の攻撃。
――果たして――――
――――一瞬の均衡すらなく、あまりにも呆気なく。
――――欠片も残らず、雄大な滝に砂粒が挑むように、当然の摂理の如く。
――――キアラの存在は融けて消えた。
水は不浄を遍く融かし、全てを回帰させていく。
カレンの炎と共存し、広がる水は瞬く間にこの空間を満たし。
後には静かな水音が、静寂の中に響き渡った。
+
――ぶつかる前から、勝負の帰趨は見えていた。
逃れることの出来ない戦いに挑み、そしてキアラは敗北する。
あまりにも見え透いた、自分がかつて書いた物語よりも見え透いた結末。
何かが足りなかった訳ではない。何かが間違っていた訳でもない。
こうなる運命だったのだ。
足りなかったと後悔するのであれば、どうしようもない寿命の如き時間が足りなかった。
間違っていたと後悔するのであれば、そも目覚めたことが間違っていた。
不正は正されるためだけに存在する。殺生院 キアラは容赦なく罰されるためだけに目覚め、当然のように敗北し消え去った。
何たる皮肉か。かつての自分が目的のために取り込んだ存在が、自分を蹂躙し尽くして挙句の果てに殺されるなど。
この事件の元、その結末なんて俺は知らない。
メルトリリスが知らなかったのだから、それから再現された俺が知ろう筈もない。
だが恐らく、同じ結末だったのだろう。
黄金の劇場か。常世の呪いか。無限の剣製か。原初の地獄か。
そうした神話に上塗りされて、このどうしようもない毒婦の野望は潰えたのだろう。
その果てに何があったかなど興味すら湧かない。どうあっても、あの女は報われなかっただろうし、俺もまた然りだろう。
それをまた、繰り返しただけ。
どうせこうなるだろうとは、最初から思っていた。
思っていて、それでもオーダーに従って俺は筆を執った。
サーヴァントとしての役目だから。ああ、まったくもってその通りだ。
マスターの命令だから。そう、逆らえようことがあろうか。
だが、そんな義務とは別の、俺を動かしていた私事は他にあった。
あの馬鹿女の物語、その結末を俺は書きたかった。
反吐が出るほど醜悪なハッピーエンドか。夢も希望も詰まって彼女に回帰するバッドエンドか。
どちらにしろ、その果てを見届けたかった。
キアラが生み出す世界になど興味はない。それでも、その結果に至る過程だけは、興味があった。
――まあ、その、なんだ。
とどのつまり、「キアラの物語」は「俺が読みたかった物語」なのだ。
書きたい話であり、読みたい話。それを筆に乗せて紙に感情諸共ぶちまけるのが作家というもの。
その端くれとして、俺は動いた。宝具を脱稿して終わりではない。その先こそが、キアラの物語の完結だった。
俺はそこに至れなかった。所詮は最弱のサーヴァントということなのだろう。
謝罪すべきはただ一点。「キアラという人間を書き切れなかった」。
なんという三流作家。いつか会った盗作騒ぎの大法螺吹きの方がまだマシというものだ。
こんな捻くれた人間に、サーヴァントなど務まろうか。
愛した女への告白も恋文も懐に仕舞い込んで、強情を張るろくでなし。
そんな男が書く物語がこういう結末に至ったのは、当然なのだろう。
最後まで書き切ることなく、未だ白紙の数ページは燃え尽きて、灰も残らず消え去った。
机の何処を探しても、引き出しの中身をひっくり返しても、書斎の全てを漁っても、代えの紙なんて存在しない。
つまりはここで完結。最後のページの末端に、「しかして女は敗れ去る」と記して終わり。
心底、欲を張るにはそれに足る力がないといけないと感じた。
キアラの欲深さを、俺の欲深さが地に落としたのだ。
駄作だ。凡作だ。こんな後悔、さっさと消えて忘れてしまいたい。
ああ、でも。
間違いだらけのこの作品に、一つだけ良い評価をするのであれば。
紛れもなく俺は、俺の愛を書き切ったのだ。
魔性に堕ちた女。それがどうした。
俺は人間を愛さない。だが、それ以外の何かに成り下がったのなら話は別だ。
愛してやるのも一興といえよう。無論、想いを打ち明けたこともない俺は今度も同じく消え去るのだが。
恋を知らぬ女と、愛を知らぬ男。そうした面でも、敗れるのは当然だった。
恋は現実の前に折れ、現実は愛の前に歪み、愛は恋の前では無力になる。
だが、例外はどこにでも存在するということなのだ。
――現実も、愛も、悉く融かす恋があったとすれば、この結末は必定だ。
短絡的に言い表せば――喧嘩を売る相手を間違っていた。それだけのこと。
かくして魔王は滅び、姫と勇者は世界を救った。
この世の何処にでもある英雄譚。何千何万とある消費娯楽。
されどまあ――愛を求める女を生前死後、合わせて二度も殺してしまった男の最後の作品ならば、それも仕方ない。
筆は折れ、物書きは忘れ去られる。満足ではないが納得はできる。これはこれで、清々しいことだ。
一秒の後には、この体は跡形もなく消えていよう。
ゆえに、ここで締め括る。
反吐が出る程純粋な、愛する女の
これにてラスボスたるキアラ、アンデルセンは退場となります。お疲れ様でした。
このあまりにも呆気ない決着は一度書いてみたいものでした。
波に飛び込んだ飛沫も起きず、流れの中で一瞬たりとも存在が残ることなく、触れたときには既に消滅しています。
黒いノイズも粒子も、一切ありません。
ついでにキアラには救いもありません。ザマァ。
さて、ここからは少しずつ更新速度を上げていきたいところ。
目標としては、十月中の完結を目指したいです。