そんな訳で、八章ラストです。どうぞ。
セイバーの全てを懸けた攻撃によって、ノートは地に伏した。
メルトに連れられ、傍に歩み寄る。
仰向けに倒れたその体はボロボロで、泥がなくなったことで大小様々な傷から決して少なくない血が流れ出ている。
致命傷というには度を過ぎており、しかし、その体にノイズが走ることはない。
「ノート……」
虚ろな瞳が、此方に向けられる。
「……行くなと言っても、止まらないのでしょうね」
「……ああ」
そのために、ノートを倒した。
多くの犠牲の果てで、ようやく辿り着く。
これまでの全てを無駄にしないためにも、僕は止まるわけにはいかない。
「私は、敗北しました。最早、力ずくで貴方を止めることはできません」
「無様なものね。潔いというべきかしら。まだ足掻いてくると思ったのだけど」
「足掻いて、どうなるのです。敗北が決定したというのに、無駄なことはしませんわ」
近付いたのは、僕たちだけではない。
警戒するように囲むサーヴァントたちがいる以上、不意打ちなど出来よう筈もないだろう。
「でも、その体では一人で歩むもままならないでしょう。何かあればどうするのです」
……確かに、この先は僕とメルトの二人で進むつもりだった。
だがこの通り、僕はもう到底戦える状態ではない。
もし、BBと戦うようなことがあれば――
「……供回りが必要なのでは?」
「え――?」
「有事の際の手足、必要でしょう?」
不要だと信じたいものではある。
しかし、不要と捨て去れるほど、戦闘になる可能性が低い訳でもない。
BBと戦うことになるとすれば、現状その戦力は絶望的だと言っても良い。
レオとガウェインの全力をいとも容易く完封したあの能力、まだ対策法は分かっていないのだ。
そんな彼女を含めて、どんな異常に際しても対応できる者など……
「私を連れていきなさい。まだ余力はありますから」
「っ」
その言葉に、凛をはじめとした皆が身構える。
余力を残している――つまりは、ノートはまだ戦えるということだ。
「私を殺すのは勝手ですが……他の誰かが行くと? よもや聖杯戦争の敗者が中枢に行くつもりはないですよね?」
聖杯戦争の敗者は中枢に辿り着くことができない。
それはルールではなく、決定付けられた概念ではない。
有していなければならない権利などなく、入ろうと思えば凛やレオでも中枢に入ることができる。
「確かにそうだが、だからといってお前を信用しろと言うのか?」
「ええ、そうです。どうせ壊れかけのエゴ、道具として使い潰せと言っているのです」
ユリウスの問いに、端然とノートは答える。
最早、ノートの体は死に体も同然で、現在進行形で命をすり減らしている状況だろう。
「私は戦闘続行スキルの影響で、現在痛覚を遮断している状態ですから、この体を酷使することも可能です。まだ最低限、戦闘は可能ですが」
「……なんで、そこまで?」
「BBが起こした事件の……結末を見届けようかと」
それは……BBの味方として、だろうか。
BBの
「……分かった」
ノートはこれまで、ずっとBBの味方であってきた。
彼女も、BBが心配なのだろう。
ならば、断る理由はない。
「ちょっ……ハクト君!?」
「大丈夫。BBとも戦うつもりはないから」
後はBBと話せば、全てが解決する。
問題は――彼女が話が通じないほどに変質してしまっていないかだが、こればかりは彼女を信じるしかない。
BBには迷宮をここまで掘り進め、中枢に至るまで辿り着いた気概がある。
最後に見たときはまだ末期ではなかった。きっと大丈夫だ。
「では……任せるとしましょうか」
「レオ……」
「僕たちの仕事はこれまでですね。どうなるかは分かりませんが、ここからは運命に従いましょう」
レオはいつも通りの穏やかな笑顔で、送り出そうとしてくれている。
内心、冷静でいられるはずがない。
中枢に辿り着けば、必然的に月の裏側がムーンセルの監視の目に触れることになる。
その後で、聖杯戦争の敗者であるマスターたちがどう処理されるか。
正直なところ、僕にも分からない。
だが、どういう結果になろうとも、それを受け入れなければならない。
それが、この事件に関わった者の宿命。
「……ま、最終決定はハクト君がする訳だし。今更文句なんて言わないわ」
「そうだな。お前はそういう男だ。その甘さがあるからこそ、ここまで来れたのだな」
凛とユリウスの、愚痴の混じったような言葉に苦笑する。
二人は言外に勇気付けてくれている。
『儂らの役目はこれまでか。後は君たちの幸運を祈るとしよう』
『うむ。小生も神勅を待とう。麗しの狩人よ、共に啓示を――』
「意味が分からん……勝手にやっておれ」
『じゃ、頑張ることか分からないけど、頑張ってね。リップ、白斗君を見送ったら戻っといで』
彼らなりの激励を受ける。
これが、聞く事になる皆の最後の言葉となるだろう。
「――今まで、ありがとう。皆」
「良いのです。私たちは、自ら良かれと思うことをしていただけですから」
ラニはそんな風に言いながら笑っていた。
あの時と同じように、ラニは僕を信じて送り出してくれる。
それが皆の総意であるならば、僕は躊躇って止まっていることはできない。
勿論、本心を隠している者もいるだろう。
だとしても、それを問い質すなど間違っても出来ない。
このまま中枢に辿り着く――それが、僕のすべきことだ。
「――せんぱい、もういっちゃうの?」
「……ああ。プロテア、君は――」
見上げると、プロテアが悲しげに眉を落としていた。
彼女たちは……どうなるのだろうか。
BBによって作られたアルターエゴ。その在り方は、通常のサーヴァントとは大きく異なる。
通常のサーヴァントはNPCたちと同じようにムーンセルに回収されるだろう。
だが、アルターエゴ――カズラ、プロテア、ノート……或いはリップも含めた四人は、どうなるか分からない。
「だいじょうぶ。わたし、ここでおりこうにまってるから」
しかし、そんな先の読めない不安要素を気にもせず、プロテアは笑った。
『私たちがどうなるか……それは、ノートすら分かっていないことでしょう?』
「はい。消えるか、或いは生き延びるか。まあ、私は前者でしょうが」
『……なら、私も運命に従います。ハクトさんの選択ですから、私は後悔しません』
カズラとプロテアも、それぞれ結論を付ける。
「――行くわよ、ハク。終わらせましょう」
「そうだね……よし、行こう」
メルトに肩を借り、歩き出す。
「センパイ、少しお待ちを……」
ノートが残った左手から、布のようなものを取り出す。
「宝具――」
そういえば、戦いの終盤、ノートは宝具を殆ど使っていなかった。
宝具を収納していた泥はなくなったと思っていたが、まだ多少は残っていたのか。
とはいっても、英霊たちの宝具を収納しておけるだけの分のみ。もう単体での脅威はないだろう。
取り出した宝具を纏うと、ノートの姿は無傷のものに変異した。
「――」
「驚くことはありません。ただのお色直しです。傷が治ったように見えるだけですから」
外見を取り繕う――変装の類の宝具だろうか。
右手までも虚像で見せるその力は、敵として使われたら厄介だったに違いない。
「さあ、行きますよ。もう時間もありません」
そう早くは進めないが、出来る限り足を急がせる。
『紫藤さん……お願いします』
「分かってる」
桜の起こしてしまった過ち。それを今こそ、取り除きに行こう。
迷宮の果てまで行き、そこから続く階段を降りていく。
今までのものとは比べ物にならない、長い長い階段。
中枢へと続く道を、ギリギリの容量で補ったのであろう帰路。
一目見れば、迷宮にこれ以上階層を追加できないということが分かる。
限界まで、僕たちを中枢に辿り着かせないために階層を作ってきたのだろう。
だが、それもこれで終わり。
やがて、遂に中枢が見えてきた――
ムーンセルの中枢。
旧校舎からの通信が切れた頃、
BBはもう、ここまで辿り着いていたのか。
だが、どんな手段を使おうとここより先に進むことはできない。
中枢に接続するには、白融の二つの欠片が必要だ。
その半身――ノートはここにいるが、カレンがいない以上、入り込むことは出来ない。
その無理を通そうと、BBは奮戦していたのだろう。
僕たちの許可がなければ、中枢の深淵領域にまでは手が伸ばせない。
確信は出来るが、それより上が考えられるからこそここまで来た。
しかし――BBは、そこにいた。
背を向けて、手に持った教鞭を伸ばしている。
「――え?」
そして、その隣。
「な――――」
僕もメルトも、そして、ノートでさえも停止する。
信じられない光景が、そこにあった。
「ほら、来ました。賭けは私の勝ちですね、BB」
聞いた者を溶かしてしまうような、甘く滑らかな声。
尼僧服に身を固めたその姿は、かつて両断された様子など、微塵もみられない。
「……キアラ、さん?」
「はい。お疲れ様です、ハクトさん。よくここまで来ましたね」
殺生院 キアラ。メルトが知っている、月の裏側の物語の――全ての黒幕。
だが、彼女は確かに、ローズに殺された筈。
「センパイ……」
振り向いたBBは、涙を流していた。
今までやっていたこと全てが無駄になってしまったような、絶望の色。
信じられないという目は、僕からノートへ移される。
「ッ、ノート! キアラは貴女がどうにかしたんじゃないの!?」
メルトが動揺を隠さず、ノートに当たる。
――必ず貴女方の前に現れるでしょう。ですが決して、手は出さぬよう。
――出せば貴女は後悔する。私に任せておきなさいな。
旧校舎でノートに会ったとき、確かに彼女はそう言っていた。
だが果たして、個人を特定できる要素があっただろうか。
「……BBを、どうにかしろという話では、なかったのですか……?」
「は……?」
キアラさんが黒幕であると、メルトは最初から確信していたとして。
ノートがどうにかするからと、苦々しく思いながらも手を出さないでいた。
全てを知っている雰囲気を持っていたノート。もし、彼女が、BBが黒幕だと思っていたならば。
メルトはキアラさんに手を出さず、ノートもキアラさんに手を出さず。
――もしかして、ノートもメルトも、致命的な勘違いをしていたのではないだろうか。
「……ノート、何故ここに……センパイを通すなって……」
「ふ、ふふ……」
キアラさんは、堪えきれなくなったと言わんばかりに笑い出す。
「BB……よもや本当に、ノートが自分だけの切り札だと信じていたのですね」
ノートに視線を向け、キアラさんは微笑む。
「私は心の第一人者という自負はありますわ。BB、貴女のような、何も知らない者が作り上げた張りぼての心に手を加えるなど、人の心に侵入するよりも容易いことです」
「わ、たしが……貴女の……?」
ノートの震えた声の問いに、キアラさんはやはり微笑んだまま答える。
「ええ、でなければ何故、BBを守ろうとした貴女がハクトさんをここに連れてきたというのです」
「ッ――」
「そもそも、BBをどうにかするという思考自体がアルターエゴとして異常なのです。その矛盾に気づかない辺り、上手く溶け込ませられたようですね」
ノートは、もしかして――最初からキアラさんの思う壺だったのだろうか。
BBを守るエゴだったつもりが、無意識のうちに内在していた異質によって『この状況』に運んでいたのか。
「さて……お二人に来てもらったのは良いですが……アンデルセン、準備は出来ていて?」
キアラさんの言葉に応じて、その背後から歩いてくる彼女のサーヴァント。
「悪いが、まだ未完成だ。やってくるのが僅かに早かったな。コイツが最後まで足掻いていれば、もしかしただろうが」
「アンデルセン……」
「随分手酷くやられたようだな。激戦の後とは一目で分かるが、如何せんありきたりだ。書く気も失せる」
外見不相応の低い声で悪評をばらまく、キアラさんのサーヴァント。
アンデルセンは、片手に本を持ち、不機嫌そうな表情で此方を睨み据えてくる。
「結局、変わらずここまで来た。全てを知る者が傍にいながら、お前も結局同じだったか」
「……? 何の話を――」
「気にするな、どうでも良い話だ。さあ、どうするキアラ? 未熟な状態でコイツらを相手するか?」
「まさか。元より戦うつもりもありません。とはいえ、お話を聞くつもりになってもらわなければなりませんし……一度、出直してもらいましょうか」
「承知した。そういうことだ、一度お前たちは退場するが良い」
そんな言動に、メルトは問答無用と踏み出す。
だが、一歩と進まないうちに停止した。
支えを失った体が崩れかけ、途中で止まる。ノートの宝具のような、不自然な束縛に捕らわれているらしい。
「くっ――!」
「ああ、アンデルセン。BBとノートは私が片しますので、そのままで結構です」
その一方で、ノートとBBを囲むように、黒い魔力が放出されはじめる。
キアラさんの仕業であることは明らかだが――なんだろうか、この感じたことのない感覚は。
「もう貴女たちも不要ですので、ここで頂きます。ローズと同じように、ね」
「な……ローズを……!?」
追求しようとしたノートを、黒い魔力が口元を封じることで黙らせる。
まるで泥と触手が混ざったような気味悪いそれは、瞬く間にノートを覆い尽くした。
「ノート……っ!」
「安心なさい、BB。次は貴女です」
助けることが出来ない。動こうとしても、一切動くことが出来ない。
「お前たちは戻れ。見せられるほど負担の軽いものではないだろうよ」
本を開き、アンデルセンがその内容を諳んじ始める。
「――白鳥のように飛び立て。この池は、お前たちの住む場所ではない」
BBが使用していたものと同じ、強制退出――!
逆らうことなどできず、体が押し戻されていく。
そしてそのまま、BBとノートは――
「づ……っ、センパイ――!」
「え――」
転移の瞬間、見えた。
ノートが腕から伸ばした鎖がBBを捕らえ、此方に向けて大きく振るうのを。
黒い魔力の束縛から逃れ、投げ込まれたBBが僕にぶつかる。
「きゃ……!」
同時に、体の中に何かが飛び込んできた。
それが何か、確かめる前に意識が引き伸ばされていく。
ノートが自身を捕らえる闇に呑まれた光景を最後に、思考は真っ白になった。
お待たせしました。黒幕さん登場です。
詳しい説明については、次章に丸投げします。
次回は章末。最終章にも入れるので、ラストではありません。