アサシンは消えた。
リップの寸前で停止していたヴァイオレットの槍は、ゆっくりと彼女の腕に戻っていく。
「……」
「負けを認めたらどうかしら。この状態で貴女が勝つ可能性はもう零に等しいわ」
俯いたように顔を落とすヴァイオレット。魔眼の効力が消え、サーヴァントたちは散開しながらヴァイオレットを囲む。
全員を魔眼に捉えることはもう不可能。体を怪物に分けるほどの隙も与えない。
遂に、強敵だったヴァイオレットを追い詰めた。
「……納得、いきません」
「え?」
「貴女たちの戦いも、アサシンの行動も。全てが納得いきません」
「価値観の相違だろう。お前には理解できないことか――或いは」
「黙りなさい」
ランサーの言葉を、ヴァイオレットは今までよりも強い口調で封殺する。
「まだ私は負けていません。奥の手は――残っています」
「っ」
必要とあらば、出来る手段は全て取る。そんなヴァイオレットの様子に、それ以上言葉を許す必要も無いとセイバーは聖剣を構え疾駆する。
これ以上何かをされる前に、その元を断つ。幾多の死線を潜り抜けてきたセイバーなりの直感か。
呼吸よりも短い間隔。次の瞬間には、背中から剣を突き立てていた。
「――」
だが、それでさえ、速度は僅か足りなかった。
既に繊維化の始まった体。剣は繊維の間と間を通っており、ヴァイオレットにダメージはない。
しかし、いい加減に対処法は理解しているとばかりに、セイバーが下がると同時、ランサーとフランが動いた。
「ふっ――」
「ウウウウゥゥゥァアアアアッ!」
炎と雷。二つは物理攻撃ではない。
ランサーが本来持つ魔力放出による炎と、この戦いでフランが固有スキルにより溜めに溜めた魔力を使った雷。
二つが繊維の束のど真ん中で鬩ぎ合う。
中心部は蹂躙され、どちらも負けじと範囲を拡大する。
「く――ああああああああああああ――!」
ヴァイオレットの絶叫は、SGを取ったときとも違う、今までに聞いたことのないものだった。
そのダメージは、決して小さくない。
繊維の全てが炎と雷に呑まれた訳ではない。それでも体全体が繊維で構成されているヴァイオレットの体の大半が損傷を受けているはずだ。
「っ、うああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
逃れた。上空に昇った無数の繊維を炎と雷が追う前に、ヴァイオレットは“奥の手”を発動する。
「――――『
「な――――――――」
世界が再び、停止する。
ヴァイオレットは現在人の姿ではない。よって、眼と定義できる部分もなく、魔眼の効果を発動できる筈がない。
しかし、事実体は凍結していた。
かといって、それが僕だけかと言えば、違う。
メルト、リップ、フラン、ランサー、セイバー。
全てがその魔眼の効力下に入っているようだった。
対魔力で抵抗が出来るランサーとセイバーも、動けはするが重圧が掛かっているらしい。
「魔眼の広域化――!」
セイバーの驚愕。魔眼に直視されたときよりも、動きは速い。
そうなると――魔眼の効果を弱化する代替として、範囲を全方面に広げる宝具――!?
「その通り。しかし、それでも貴方たちを止めるのは不可能でしょう」
それでもヴァイオレットは勝利を確信しているようだった。
「今この場で私が勝てるのは、速度のみ。その布石さえ打てれば、この魔眼はもう必要ない」
繊維の数割が分かれていく。この戦いにおいても多く見ていた、ヴァイオレットの能力。追い詰められたこの場で使うのならばそれは、彼女が勝利を信ずる存在。
使い魔として分かれたのは純白の天馬だった。カズラの迷宮の攻略を手伝ってくれたくれたときに、僕たちの前に姿を見せた姿。
あのときは、ヴァイオレットの能力なんて知りもしなかった。
しかし、今なら分かる。天馬に宿る怪物性。思いつくのはギリシャ神話における
ペルセウスが魔眼の怪物メドゥーサを討ち倒した際、首の切り口から生まれたのがペーガソス。
元が怪物であれば、かの天馬が怪物性を所持していても何ら不思議ではない。
「『
出現した天馬に、ヴァイオレットの残る繊維が組み込まれていく。
広域化の宝具は繊維となっている状態でしか効果を持たないらしく、体に自由が戻る。
サーヴァントたちも各々、行動を始める。
天馬の怪物としてのランクは、ヒュドラには遠く及ばないだろう。
それはヴァイオレットも承知の筈だし、この場で選んだという事は、何かしら理由があるに違いない。
フラン、ランサー、セイバーの三人はそれぞれ迎撃の態勢を取る。
そして、メルトは此方に走ってくる。見たところ、怪我はない事に安心した。
「ハク、大丈夫?」
「あぁ――だけど、もう術式は」
「問題ないわ。そろそろ決着を付けるから。SGも、私が指摘するわ」
「え?」
SG――確かに、この先に進むにはヴァイオレットのSGが必須だ。
だが、その片鱗はまだ見られない。五停心観も反応していないし、見当すらついていない。
それを、メルトは把握しているのか?
「ハクも頑張ったみたいだから、休んでて。――リップ、まだ行けるわね?」
「え……あ、う、うん……っ」
リップは既に大きく疲弊しているが、回復の術式を掛けた分多少は余裕がある。
「じゃあ、行くわよ。戦いを終わらせるわ」
「最後の話し合いは終わりましたか?」
空を見ると――
最初に片付けるべき敵を定めたようだ。
「ええ、終わったわ。来なさいな」
不敵に微笑んで挑発するメルトに、しかしヴァイオレットは触発されることはない。
一目見れば分かるほどに、その蹄には凄まじい魔力が込められている。
先端に力を集中させる。ほんの一パーセントも力が分散してはいけない、百パーセント全てをたった一点に込めて、それを全て蹂躙に使うつもりだ。
「合わせなさい、リップ。出せる全力で行くわよ!」
「うん――!」
襲い来る天馬は、間違いなく彼女の最大の攻撃だ。
しかし、それを迎撃するはメルト
聖杯戦争の四回戦の最中にも、ヴラドとの戦いでそれは見せていた。
恐らくあの時のアレは、不完全なものだったのだろう。何せ、メルトとリップのステータスは制限されている状態だった。
だが、今は違う。リップの怪力スキルは元々高い筋力ステータスを更に引き上げ、攻撃力の要をメルトはそれに任せる。
「お別れです――!」
「フィニッシュよ――!」
「せーのっ――
「
「
全魔力を込めた突進に対するのは、リップの鋼鉄の腕によって射出されるメルトの突撃。
凄まじい筋力によって射出。その瞬間にメルトは吸収スキルの応用によって筋力ステータスを譲り受け、突撃の威力を極限まで上昇させる。
本当なら僕も術式による補助をしたかったのだが、それ程の余裕はない。
しかし、それでも威力は十分だった。リップが間に挟んだ小さく物騒な言葉はあえて聞かなかった事にするとして、珍しくも姉妹の共闘攻撃。如何に仲が悪くとも、攻撃的相性は決して悪くはない――!
激突はほんの一瞬。どちらも圧倒的な力、そのぶつかり合いは、僅かな力の差が勝った。
「なっ――!?」
メルトが天馬を貫いた。驚愕と共に、天馬の体が解れていく。
「決着ね」
着地したメルトが勝利を宣言する。
その宣言は紛れもなく真実だった。人型に戻ったヴァイオレットはそれ以上繊維になる事もなく、その場に倒れ伏した。
今まで大きなダメージを負っていなかったヴァイオレットだが、その攻撃は決定的だった。
霊核には損傷はない。だが、もう戦う力は残っていなかった。
「っ……ぐっ……」
それでもまだ、ヴァイオレットは立ち上がろうとする。
「まだ、戦えます。これで、終わったと、思わないでください……ッ!」
何故そこまで、ヴァイオレットは戦おうとするのか。
苦痛に表情を歪めつつも諦めない彼女を、ここまでさせる何かがある。
それを確信しているらしいメルトが、ヴァイオレットに詰め寄る。
「――さすがね。BBが信頼してるだけの事はあるわ」
「……そう、ですか」
「だから貴女はBBを守ろうとするのね」
「その通りです……それが、私の役目ですから……」
「“守る”事の意味も分からないまま?」
「――」
メルトの核心を突いた問いに、ヴァイオレットが口を閉ざした。
「いえ、これだと意地が悪すぎるわね。こう言い換えれば良いかしら――“守る”という役目だけを押し付けられて、それが当然だったあまり、考えようともしなかった」
「そんな、事――!」
動揺を見せたヴァイオレットに反応するように、遂に五停心観が疼きだす。
「故に、その意味を知りたくなった。“守る”とは何なのか、“守られる”とは何なのか。葛藤の中で貴女なりの
「ッ――!」
それが、SGの正体。
引っ張られるように手が伸びる。
そこまで離れていないヴァイオレットとの距離。表出したSGはすぐに手に触れ、硝子のように砕けた。
「私、は――」
「それは貴女の役目じゃない。だからこそ、SGになったのね。叶わない願望として」
被護願望――誰かを守る、ではなく、守られる。被守護を望むヴァイオレットの隠された性質。
BBを守るのがヴァイオレットの役目。それは必然であり、彼女自身も否定するつもりはない。
それでも、小さな願望があった。逆の立場になってみたい、と。
この戦いの中で、サーヴァントたちは互いを守る戦いをしていた。
隙を補い、危機を救い、攻撃の好機を確実なものにして。
そしてアサシンは死の間際にもリップを守り、その命を全うしていった。
そんな“守り”を客観的に見て、その様を理解出来なかった。ヴァイオレットがBBを守るという関係は当たり前すぎて、その意味を考えすらしなかった。
だからそれを見せ付けられて、考えて、やはり理解が出来ない。それが、あの動揺に繋がった。
メルトはそれを目敏く発見したのか。
それは、ヴァイオレットの最も深層に位置していたSG。本能的に持っていながら、この戦いの中で表出したもの。
なるほど、最後のSGに相応しい。そんな偶然がなければ、発見すら出来なかっただろう。
全方向からも攻撃が出来るこの地形――言い換えれば、どの方面からも守ることが出来る地形。広い空間そのものも、SGに繋がっていたのか。
「その通り。故に貴女を守るべく
それが正解だという証明は、外部から現れた。
遠くで砕けたシールドの音。それからあまり時間の経たない内に、黒い影は歩いてきた。
「ノー、ト……」
「お疲れ様でした、ヴァイオレット。しかし、これで貴女も用無しになりましたね。そして私たちは絶望的となった、と」
「……どういう事ですか?」
「貴女が頼りだったのですよ。私はSGを二つ奪われ、プロテアやローズは碌に扱えもしない。BBは中枢攻略に掛かり切り。もう後がありません」
もう後がない。ノートの言葉に、必至さは感じられない。
しかし、それが事実だということは分かった。
ローズ、プロテア。どちらも規格外と称するに相応しい。だが、碌に扱えないとは。
恐らくそれは、迷宮の衛士に関してのこと。BBも、衛士に扱えないエゴがいる事を示唆するような発言をしていた。
扱えないとは、その二人……? だとすると、迷宮の階層数が合わない。衛士にノートだけを扱おうとしていたのであれば、階層は後一つで十分だ。
「だというのにこんな結果になってしまい……本当に、残念です」
「……だから何だというのです。既に衛士として機能しない貴女が、言える立場なのですか?」
「いえ、衛士を全うした貴女とは違い、私はそれさえ出来ません。この場に来たのも憂さ晴らしの為という体たらくです」
自嘲するように笑いながら――ノートはその手に巨大な斧を出現させた。
「ッ、何を……」
「
『――皆さん、転移を』
「馬鹿なことを。私は貴方たちの許可を何ら得ずとも、旧校舎に忍び込めるのですよ」
そうだ。レオが術式を組むも、それでは逃げたことにならない。
ノートは理由が分からないまでも、旧校舎への侵入が可能だ。逃げるのは不可能なのではないか。
『――馬鹿は貴女ですよ』
しかし、それを予期していたように、カレンが呟いた。
誰しもが驚愕する。呆れたような溜息を、この場で彼女が吐くとは思わなかった。
『たかが欠片半分だけで何を満足しているのやら。此方には“
「――」
「貴女――まさか」
ノートは言葉を失った。驚愕の中で最初に口を開いたのは、メルトだった。
鍵、錠前……何か、引っかかるものが――
『カレン、何を言っているのですか?』
『あのエゴが許可なく入ってこれるのは、わたしの一端があるからです。正しくは、わたしの半分ですね』
欠片、半分。鍵がなければ錠前は開かず、錠前がなければ鍵は意味を失くす。
言わば二つで一つであり、どちらかだけでは使い物にはならない。
二つを合わせれば完全。それが鍵と錠前。完全なる守りを意味する――
『故に、わたしがどうにかします。レオさん、帰還の術式を』
『え!? し、しかし……』
『良いから――早く』
『――はい。分かりました』
術式が組み込まれていく。帰還の術式は、程なくしてその力を発揮するだろう。
だが、ノートは。彼女の表情は、得意げなものから一転して渋いものへと変わっている。
『術式、完成しました! 全員帰還します――!』
レオの言葉と同時、カレンも言葉を紡ぐ。
『
大きな力が起動した。
迷宮から帰還するまでに見た最後の光景は、苦しげに胸を抑えたノート。
白融――忘れてはならない単語だった。それは、あまりにも大切な――
『
ゴルゴン化の状態で、魔眼の効果を全体に浸透させる宝具。
全方向を凍結させるヴァイオレットの奥の手。
『
お待たせしました姉妹協力奥義。Aランク相当の対人攻撃スキル。
リップが射出したメルトによる超パワーライダーキック。
これにて、六章は終了。
『
次回は茶番、そして短編を経て七章へと進みます。
七章の内容ですが……今までとは真反対レベルでシリアスほぼ一色となります。欝展開もあるかもしれません。
終盤に向かうCCC、どうぞお付き合いいただければ幸いです。