リップ「分かっていた……分かっていたのに……!」
アサシン「あぁ、リップ――お前と月の裏側で出会わなければ。お前がサーヴァントファイターになどならなければ、こんな事にはならなんだのに……!」
「――」
リップの拳は、アサシンの拳によって止められた。
霊核には及ばない。しかしアサシンはもう耐えられない。
体は既に限界を迎えていた。そして、彼自身敗北を認めた。ならば、決着だ。
「……アサシン、さん」
「――まさか、儂の消えた後までも、お主が鍛錬を続けているとは思わなかったわ」
アサシンも、それは予想外だったのか。
不満げな表情のリップだが、対してアサシンは愉快そうに笑うばかり。
と、リップは勝利こそしたが、ダメージが大きい。回復の術式を掛けると、此方に微笑みを向けてきた。
「――」
後は、あの強大な怪物とヴァイオレットのみ。
気を向けるべきは、ヒュドラだけではない。
ヴァイオレットは尚戦闘可能だ。
ヒュドラの牙から逃れた相手を、鞭で狙う。そんな方法により、四人を相手にした戦況は再び逆転していた。
どうするべきか。僕はもう、そう術式は紡げない。メルトへの魔力供給で手一杯だ。
ヒュドラは中央の首を殺さなければ死なない。それはサーヴァントたちも分かっているようで、集中的に攻撃をしている。
「っ……小僧、立てるか?」
「え……アサシン?」
気付けば、アサシンが傍まで来ていた。
今立っているという状況さえも、限界を超えた体を酷使しての事なのだろう。
「済まんが、僅かでいい、傷を癒してくれぬか。儂が、
何を、言っているのか。
戦う力などとうに無い。
なのに、まだアサシンは戦うつもりでいる。
それどころか――神代の魔獣を打ち倒すと。
「アサシンさん……体が……」
「分かっておるわ。だが、既に三度死んだ身よ。偶然残った三度目の死体に運よく亡霊が憑いているまで。ならばその幸運、最後まで燃やし尽くしたいのだ」
「アサシン……」
戦いを求めている。飢えている訳ではなく、満足のその上に辿り着きたいかのように。
神話に残る怪物を打ち倒す。アサシンはそれを夢見ている。
「ユリウス、無論許可してくれような? 壊れかけの兵器で窮地を脱せるのだぞ?」
『――』
ユリウスは合理主義だ。内心はともかく、アサシンが自身を兵器と称した以上、扱いは決定する。
『――良いだろう。紫藤、アサシンを回復してやってくれ』
「ああ――」
信頼をすべきか、せざるべきか。
考えるまでもない。アサシンの目には、既にもうヒュドラしか映っていない。
回復の術式を紡ぐ。恐らく、この戦いではこれが最後だ。
だが、問題はないという予感があった。
ヴァイオレットがヒュドラを呼び出したことで、戦いは彼女の側に向いている。
神話の上で最強も名高い
分からない。
多数のサーヴァントが共闘して尚、あの怪物を超えられるかは分からないのだ。
だが、アサシンは信じている。自身の拳を。自身の力を。
「感謝するぞ。嗚呼――滾るなぁ――」
礼も程々に、アサシンは独りごちる。
前払いの感慨。それは、勝利の確信も同じ。
そしてアサシンは――最後の戦いに駆けていった。
この戦いで、自然との合一を一切していないのは、それが既に出来ないから。
アサシンが
それでも、その拳を信じているからこそ、アサシンは駆ける。
「さあ、儂も混ぜよ! 神槍李書文、百鬼夜行殺しは敵わなんだが、武勇の最後に怪物殺しを刻んでくれよう!」
高らかに名乗りを上げる。
恐らく、既にヒュドラと戦っている四人はアサシンの決意に気付いている。
だからこそ――下がったのだ。
「アサシン……!? 貴方、一体何を――」
「呵々々々々々ッ! 手負いを殺すはやはり手負いか、悪く思うなよ!」
ヴァイオレットの驚愕を意にも介さず、アサシンはヒュドラの
そう――ヒュドラは既に、八つの首がその力を失っていた。
縦に真っ二つに切り裂かれ、真っ向から殴殺されて頭蓋を砕かれ、貫かれた首元から頭までを焦がされ、頭を融かされ。
八つの首を切り落とさずして殺し、残るは中央にある最強たる頭だけ。
それを倒すことが適えば、あの強大な怪物を突破できる。
しかし、如何に可能性が低くとも、大人しく倒させるヴァイオレットではない。
「させません。好き勝手は、そこまでにしなさい――!」
無数の繊維が、アサシンを捕えんと伸ばされる。
「それは此方の台詞だ。この男は命を燃やし尽くさんとしている。最後の矜持を阻害することは誰にも許されない。それが出来るのは、標的と定めた怪物だけだ」
その繊維の悉くを、ランサーが放った炎は妨害する。
炎に囲まれた道を、アサシンは駆ける。
「そう、ですか……では、標的となれば良い、と」
ならばそれで良いとヴァイオレットは頷き、直接妨害するという手段を断ち切った。
呟きと共に、ヴァイオレットは傍にいたヒュドラに触れる。
そしてそのまま、繊維へと変わっていき――ヒュドラに組み込まれた。
「え――」
「究極的な騎乗スキルの成せる業か。宝具に該当する程のものだな」
「その通り。『
ヴァイオレットが持つ、二つ目の宝具――!
その効果は、怪物との同化。規格外な騎乗スキルは騎乗物との合一化さえも可能とする。
それを利用した、更なる力。ただ一つになるだけではない、宝具というからには、それ以上の力がある。
「ッ――」
死んだ筈の八つの首が、まるで上から操り糸で引っ張り上げられているように起き上がった。
いや――糸ではない。ヴァイオレットの繊維だ。
「これは事実、私の体。『
そうか、ヴァイオレットの一つ目の宝具は、怪物の召喚ではない。
彼女は言っていた。組み込まれている女神、メリジューヌの力によって、自身は怪物の蔵書を所持していると。
悪魔を呼び出す
あれは、自身の体を切り分けて蔵書に刻んだ怪物へと再構成する宝具。言わば使い魔であり、彼女の分身だ。
本体から離れている以上、その命令には多少なりともタイムラグが発生する。
だからこそ、自立した行動が行えるよう、“戦え”という曖昧な指示をあえて行っていたのだ。
それがヴァイオレットにとって完璧と言える行動を起こせる訳がない。故にそれを補うのが、二つ目の宝具『
その真名に刻まれた女神――アプサラス。それがヴァイオレットに組み込まれた女神の一つ。
ならば、自身を怪物へと変転させる自在の手綱となる事も可能。それが規格外の騎乗スキルと併さり、使い魔との同化によってタイムラグを零にし、且つ自身の意思で動かせるようにする。
二つの宝具、それぞれの真の力は同時に使用することで発揮されるのか。
「ぬぅ……!」
先程までよりも素早く、首の一本がアサシンを襲う。
高温の炎によって真っ黒になりながらも、その機能は失われていない。
しかも、ヴァイオレットによって強化された影響か――口から何かが零れ出る。
薄紫と濃緑を掛け合わせたような、不気味な色の霧。
吹き出すのであれば、最も対処が必要だった。ヴァイオレットの言葉の通り、神代のヒュドラ――それが用いた毒気だ。
サーヴァントたちが下がった位置にまでは届かない。しかし、自ら突っ込んでくるアサシンを迎え撃つならば十分だ。
「お、おおおおおぉぉ――」
だが、だから止まるかといえばまた別の話。
強い踏み込みと共に放たれた一撃は、ヒュドラの顎下から脳髄に至るまでを打ち抜いた。
腕をすぐに引き抜き、再び接近に移行する。既にアサシンは最高クラスの毒に蝕まれている筈だ。
それでも、駆ける。動きは僅かに鈍った。それを、ヴァイオレットは逃さない。
「――――」
七つの首が動く。同時に襲い来れば、毒に侵されたアサシンをその牙に掛けるのは容易い。
――あくまでも、「来れば」の話だが。
「甘いわよ」
そんな、短いメルトの言葉と同時、七つの首が爆散した。
「なっ――!?」
「固体と流体の間の体だと、さぞ自身の異常に気付きにくいでしょうね。中途半端な貴女が完全流体の私に毒で勝ろうなんて思わないことよ」
ヴァイオレットの驚愕の声に、メルトは得意げに微笑む。
そうか。体を数億の繊維に分解させる能力は、言わば自身が固体と流体の中間に位置している事を意味する。
対してメルトの性質は完全な流体。流体の性質が半分しかない以上、ヴァイオレットは自身に流れる毒に気付きにくいのだ。
それを察知していたメルトは、予めあのヒュドラに毒を仕込んでおいた。
融けた首はその基点だ。全身にまで行き渡った融解の毒は、全てを破壊するには至らない。
しかし、不死の概念を持たない首を全滅させることならば適う。
勿論、死んだとしてもその特性は健在だ。頭の無くなった首筋から二本ずつ、新たな首が現れる。
それでもそこには――確かなタイムラグが存在する。
「ふっ――!」
最後の首には、ヴァイオレットの意思が介在している。
強化されたそれは、不死に等しい耐久力を持っているだろう。
しかし自立行動ではなくヴァイオレットが動かしているからこそ、その驚愕で僅かに動きが停止した。
であれば、アサシンはもうすぐ傍まで歩み寄っている。
「捉えた――」
その“一歩”に尽くした力は、正に死力だっただろう。
滑り込むように、流れるように踏み出す一歩。それは八極の基礎であり、八極の秘門、活歩。
遂にアサシンは、ヴァイオレットの懐に忍び込んだ。
相手の攻撃を受け止める必要はない。
アサシンが決め技として選んだ絶招は、間合いに入った時点で完成されている――!
「李氏八極の窮み――」
それは、李書文が生涯好んで使った套路。八極の頂点に位置する八大招式の一つ。
足を通して大地から得たエネルギーを、李書文という拳法家を出力先にして放つ破壊の連撃。
拳の道に通じた者の歴史であり、誇りである堅牢な門をも打ち砕く対門宝具。
「ご覧入れる――ッ!」
その名は、『猛虎硬爬山』。
一撃。二撃。それぞれが床を破壊しかねない震脚も相まって、恐るべき威力を発揮している。
一瞬のヴァイオレットの判断は正しかった。
宝具を解き、ヒュドラを捨てた。そうでもしなければ――アサシンは不死だろうと殺していただろう。
「覇アアアァァァァ――――!」
最後に叩き込まれる頂肘。ヒュドラの残った最強の首は、鼻っ面から粉砕された。
「っ……」
ヒュドラの体が崩壊する前に分離したヴァイオレットは事なきを得た。
そして、標的を定める。アサシンは最早死に体、勝利を求めるならば他の疲弊するサーヴァントを見つけ出す。
それがBBの為――回復の術式は掛けたが疲弊が激しいリップを、冷徹な視線は捉えた。
「――――」
行動を察知したサーヴァントたちが動こうとする。
しかし、それをもヴァイオレットは計算した上で――リップから視線を外し、他のサーヴァントたちを見据えた。
裸眼である以上、その力は絶対的であり、対魔力で防げるとしても動きは鈍る。
ランサー、セイバー。強力な対魔力を持つ二人でさえ、凍てつく魔眼の呪縛からは逃れられない。
そして標的は見据えず――元より動けない以上見据える必要も無い――手を槍に変え、伸ばしてきた。
「ッ」
反応が出来ない。
すぐ傍にいるリップに、しかし何も出来ない。
リップも動けない。鋭利な槍が、貪欲に得物を狙う。
「――――――――ッ」
そして、銀色の刃は、霊核を確かに貫いた。
「ッ、くっ……」
「――アサ、シン」
ヴァイオレットは見誤っていた。“それ”は既に死体も同じ、気に掛ける必要も無い、と。
毒に侵されているとは思えない速度で走るアサシンに、気付かなかった。
当たり前だ。メルト、フラン、ランサー、セイバー。四人のサーヴァントを魔眼で捉えている今、他に気を回している余裕などない。
だからこそ、その異変――アサシンがリップを庇ったという事実に気付いたのは、槍が的確に彼の心臓を貫いてからだった。
「呵々……儂の眼前で、弟子に手は出させんよ……」
「アサシンさんっ……」
霊核を貫かれ、かつ体にはヒュドラの毒が回っている。
体は崩壊していく。悲痛な声色で名前を呼ぶリップに、アサシンは笑みを向ける。
「……リップよ。今後も励め。至れるところまで至るが良い」
「っ……はいっ!」
限界を超えた状態に、限界が訪れた。
黒く染まった魔拳士の、三度目の終わりが近付いている。
「何故……貴方は、そうまでして……」
茫然とアサシンに眼を向けたヴァイオレットは、信じられないといった表情だ。
何故ここまで守ろうとするのかが分からない。何故諦めようとしないのかが分からない。
それに対して、アサシンはリップに向けていた笑みを僅かに変化させて、ヴァイオレットを見据える。
「……分かるだろうて。それをせねばならん責任がある。お主と同じよ」
「……毒に溺れてでも、全うすべき責なのですか?」
「毒の苦しみなど慣れておるわ。神代の毒も、大して変わらぬのう」
言いたいことは言い切った。アサシンは目を瞑る。
そうして、体の大半が消えた頃、思い出したかのように一度目を開けた。
「――おお、そうだ。ユリウスよ」
『……何だ?』
「令呪の命令、遂げられず済まんな」
『――』
そんなアサシンの軽口に、ユリウスは絶句していた。
表情は見えないまでも、間違いなく目を見開いている。それを思い浮かべたのか、アサシンは哄笑する。
「呵々々々々々ッ! 文句は聞かんぞ。折角最後まで言い残しておいたのだからな!」
弟子の成長を見届けた。自身に勝る存在と戦った。神代の怪物を、真っ向から打ち倒した。
無念はない。言い残した事もなくなった。現世への未練の全てをアサシンは断ち切った。
毒に倒れた最強の拳法家は、毒によって英霊としての使命を終える。
満足そうな笑みを浮かべたまま――アサシンのサーヴァント、神槍李書文は今度こそ消滅していった。
アサシン「――美しいな」
リップ「はい――とても、美しいです」
アサシン「ならば――」
『流派! 李氏八極は!』
リップ「王者の風よ!」
アサシン「全新!」
リップ「系列!」
『天破侠乱ッ!』
『見よ! 東方は、赤く燃えているうううううううッ!』
アサシン「――――」
リップ「師匠……? っ、師匠! 師匠おおおおおおおおっ!」
+
長々と続いた茶番はこの辺で終わりです。宝具情報、どうぞ。
『
ヴァイオレットの第二宝具。繊維化した姿で騎乗物と同化する。
単純な強化のほか、複雑な命令をタイムラグなしで出来るようになる。
という訳で、アサシン先生が今度こそ退場となります。お疲れ様でした。
これ以降の復活はないです。
『猛虎硬爬山』はマテで宝具と判明したものです。EXTRAでバサカ先生が使った奥義ですね。
次回は六章最終話となります。パニッシュ? ないですが、何か?