アーチャーの奥の手。
緑の外套に覆われた男は、宣言と同時にその姿が消えた。
素早く動いたとか、気配を消したとかの比喩ではない。
言葉通り、姿が消えたのだ。
あれこそ、あのアーチャーが隠していた真の宝具『顔のない王』。
姿を隠して、誰にも知られずに戦い続けた英雄ロビンフッドの在り方そのもの。
「一体どこに……」
「――そこ!」
メルトが徐に脚を振り上げる。
ちょうどそこに、矢が飛んできていた。
どうやら矢自体は透明化されないようで、実体が見えていた。
だが、飛んでくる矢にメルトが対処できるとしても、アーチャーを捉えられなければ意味が無い。
飛んでくる方向に居るのは確実だが、姿が見えなければ移動したらどこにいるか分からなくなる。
「火力を上げるぞ、アーチャー」
『ありがとよ、旦那!』
ダンさんがコードキャストを発動すると、戦場のどこからかアーチャーが礼を言う。
元から恐ろしい矢の威力と速度はさらに苛烈さを増した。
メルトも何とか対処しているが、このままでは埒が明かない。
それに、毒を受けている以上メルトにも限界はある。
回復のコードキャストも後何度使えるか分からない。
そういえば、アーチャーは剣も持っていた。
矢は恐らく持ち主から離れるため、姿が見えるようになるのだろう。
だがその理屈で言えば、剣を使えば完全な不意打ちになる。
そう考えた矢先、
「させない!」
『ちぃっ!』
メルトが蹴り上げると、金属の打ち合う音が響く。
再び離れていったのかメルトは警戒の体勢に戻るが、もしかしてメルトは見えているのだろうか。
「近づいてくれば音で分かるわ。ただ問題は――」
メルトが小声で伝えてくる。
「っあ!」
その瞬間、足に鈍痛を覚える。
何かが、刺さっている。
軽い刺さりだったのか力を入れずとも抜くことが出来た。
形は矢に違いないが、触った限りでは布のような――
「まさか……っ!」
その布を外すと、矢は実体化し、布は緑の色へと戻った。
あの宝具は、切り離しても効力を発揮するのか。
『ちっ、見つかってねえんだったら毒も塗っとくべきだったか?』
言い分からして、毒はないようだ。
痛みは決して軽いものではないが、動けなくなるほどのものでもない。
だがやはり姿が見えないというのは非常に厄介だ。
あの外套をどうにかしない限り、此方の攻撃を当てることも難しい。
『つーか、本当にしぶといな。オレの毒受けてそこまでもつなんて』
アーチャーの声が響く。
『まぁ、放って置くのもいいけど、面倒だ。さっさと苦痛を終わらせてやるよ』
「っ、しまったわね……」
傍のメルトの声のトーンが低くなり、問題が発生した事を悟る。
振り向くと、メルトの足に茨が絡みつき、行動を制御していた。
『アンタはその足がなけりゃ無力だ。黙って受けな』
「くっ……」
アーチャーが真正面で姿を露にする。
その弓に込められた魔力は、先ほどの恐ろしい威力の攻撃を再び行うためのものだと予想がつく。
今の状態でメルトが直撃すればひとたまりも無い。
万事休すか、いや、まだだ。
「……メルト、少し痛いと思うけど、我慢して」
「ハク……?」
弾丸のコードキャストを発動し、メルトの足に絡みつく茨を撃つ。
「っ……!」
メルトが表情を曇らせるが、手を止めるわけにはいかない。
少しずつ茨は千切れていく。
問題は、アーチャーが矢を放つ前にこの茨を解除できるかどうか。
「へぇ、奇妙奇天烈、面白い脱出方法だ。んじゃ、撃つぜ? 精々頑張りなよ」
アーチャーが弓に矢を番える。
「毒血、深緑より沸き出ずる!」
そして、毒の魔力が蓄積された矢が放たれる。
その直前、メルトに絡み付いていた最後の茨は千切れていた。
今から技の準備をしても間に合わないが、事前に目配せでメルトに伝えていた。
宝具の隙を突く。技の準備を。
理解してくれていたようで、メルトの脚には既に十分な魔力が込められていた。
そして矢が放たれるとほぼ同時に、メルトは大きく脚を振って衝撃波を発生させる。
矢と衝撃波はすれ違い、それぞれの獲物へと向かう。
だが、メルトの状態は先ほどの毒が発生した頃よりも好調なようだ。
「――はぁっ!」
毒の魔力によって強化されているそれをものともしないように、矢を弾く。
しかしアーチャーは、予想外の攻撃に対応できない。
「っ! ぐ、ぁあ!」
衝撃波は今の一撃の元となった弓に刺さり、それを打ち砕いた。
そのまま腕、肩と貫通し、その一撃は戦況を逆転する大きな一手となった。
アーチャーは使い物にならなくなった右腕を抑えつつ苦痛に表情を歪ませる。
毒を爆発させる宝具は消滅し、メルトを蝕む毒も緩和しただろう。
「ぐ、ふぅ、はぁ……いやぁ、やるね。これでオレはアーチャーとしての力は振るえない。オレに残ったのはこれだけなワケだ」
緑の外套に手を掛けるアーチャーの新たな攻撃を警戒するが、次の瞬間の行動は意外すぎるものだった。
「……ふん」
「っ!?」
引き千切られ、空に舞う外套を、アーチャーはどこか清々しい表情で見届けていた。。
「……アーチャー」
「悪ぃな、旦那。アンタに当てられたようでさ。ちょっと気が触れちまった」
「ふっ……
ダンさんはただ、そういうだけ。
それにアーチャーは苦笑し、残る左手に剣を持つ。
「……ハク、このまま決めるわよ」
「……うん、頼んだ」
メルトは再び体勢を低くする。
そして最後の打ち合いが始まった。
驚くことにアーチャーは、その一本の剣だけで、メルトの倍の数の攻撃に対処している。
これが彼の執念なのか、もしくは何か、別の感情があるのか。
しかし、やはり限界はあるのかアーチャーの傷は増えていく。
メルトの一撃が腰から肩までを大きく切り裂くと、アーチャーは遂に膝をついた。
「諦めなさい。勝ち目はないわ」
「……はは、残念。悪ぃが、まだ足掻くぜ……。オレは、ダン・ブラックモアのサーヴァントだからな!!」
戦場全体に響くほどの大声で叫び、アーチャーは立ち上がる。
既に立っているだけでも限界だろう。
アーチャーは気力だけで剣を振り、メルトを斃そうとしている。
苛烈さを増した剣戟は、彼が本当にアーチャーのクラスなのかと錯覚させるものだった。
だが、限界を超えたその身体はエンジンが停止したように一瞬動きを止め、
「行け、メルト――!」
そこに、メルトの一撃が叩き込まれる。
たったその一瞬で、メルトはアーチャーの胸を的確に打ち抜いていた。
「……っ、く……そ、すま……ねぇな、旦那……」
――
決着した二つの間に、干渉を遮断する障壁が現れた。
それと同時に、アーチャーとダンさんの身体が少しずつ黒く染まっていく。
「……いや、儂もまだまだ未熟だったのだ。自分の心を見誤った。聖杯戦争について意志の強さは二の次らしい。ここでは意思の質が、前に進む力になる」
ダンさんは消滅する自分の体に目を向けることなく、口を坦々と動かす。
「儂は軍人である疑問はなかったが、後悔は、あったようだ……聖杯を求めるのは妻を取り戻すため――なんと愚かな勘違いをしたものか」
「旦那……」
「儂は生涯を軍に捧げ、軍人として生きるため冷徹な無個人性を良しとした」
ダンさんの言葉を、アーチャーはただ聞く。
メルトも何も言おうとはしない。
「そんな男が、軍人である事を捨て、今際の際に個人の願いに固執したのだ。今回だけは、一人の男として戦いに挑むなどと――」
自分を戒めているような言葉。
「そんな言葉をかざし、棚の奥にしまっていた騎士の誇りを持ち出すとは……」
腕が零れ落ちていく。
それをダンさんは、一切気にしない。
「本当に愚かだ。儂は最後に、亡くしたものを取り戻したかった。だが、儂が願ったのはどちらだったのか、妻か、それとも軍人になる前、一人の人間としての――」
独白は遺言の様に。
彼と同じく、運命を共にしたサーヴァントであるアーチャーの姿も少しずつ薄れていく。
「……しかし意外だ。最後の瞬間、君の一撃に迷いはなかった」
理由は言葉に出来ない。
だが、必死だった。
譲れないものがあったのは、確かなのかもしれない。
「儂には――他人に誇れる願いはなかった。この胸にあったのは死人の夢だったのだ」
ダンさんの目はまっすぐ此方に向けられている。
「迷いながらも生きるが良い、若者よ。その迷いは、いずれ敵を穿つための意思になる。努忘れぬことだ」
「……はい」
今は迷っていても、いつかは力になる。
僕は、この迷いを強い意志に変えられるのだろうか。
いや、変えなければならない。
慎二や、眼前の騎士の願いを断って、僕は生きているのだから。
「……さて、最後に無様を晒したが――悪くないな、敗北というのも。実に意義のある戦いだったよ。未来ある若者の礎になるのはこれが初めてだ」
末期の笑いは晴れやかだった。
ダンさんの顔は、自らの孫を見守るような穏やかさに満ちている。
「……すま、ねぇな、旦那。やっぱオレには……正攻法は向いてないわ。無名の英霊じゃ、アンタの、器には、応え、られなかった」
消滅を一層加速させながら、アーチャーはマスターに謝罪を述べた。
「……情けねえ。他のサーヴァントなら、旦那にこんなオチを……つけなかったっての、に」
「いや、謝罪するのは儂だ、アーチャー。我儘ゆえに戦い方を縛り、お前の矜持を汚してしまった」
謝罪を返すダンさんに、首を振ってアーチャーは言う。
最後の力、と言わんばかりに息を大きく吸い込み直立するその姿は、瀕死とは思えない。
「……まったく、今更遅ぇんですよ。苦労かけられたどころの話じゃねぇんだよ、こっちは」
そしてその目を鋭くし、口調をきつくする。
「つうか、なに? 謝ってんじゃねえよ。それじゃオレがバカみてぇじゃねえか。オレの事は良いんだよ。どうせ勝っても負けても最後にゃ消えんだし」
ダンさんは黙ってそれを聞く。
「そりゃ願いらしきものはあったけど、楽しけりゃオッケーなんですよ、オレは。……まぁ、旦那との共闘はつまんなかったんですけどね」
「はは、益々済まんな。騎士の誇りなど、お前には無価値だったろうに」
「んー、いや、なんだ。たまにだったらやり馴れない事も悪くないんじゃない?」
身体のほとんどが消滅し、残る腕も崩れ去る。
アーチャーは照れくさそうに視線を外しながら続ける。
「旦那との共闘はつまんなかったけどさ。くだらない騎士の真似事は良い経験になった。生前、縁はなかったがね。一度くらいは格好付けたかったんだよ、オレも」
誇りを捨てて、誇りを狩った英雄の本音。
真正の英雄というものに、彼も憧れを持っていたのかもしれない。
「……だから、謝る必要なんかねぇんだ。十分良い戦いだった。恥じるところなんかどこにもねぇ」
声を小さくして、聞かす気もないような呟きだった。
「そもそも戦いなんて上等なもん、出来るとは思わなかった。生前のオレぁ富も名声も友情も平和も、大抵のもんは手に入れたけどさ」
顔を伏せながら、小さく横に振る。
「それだけは、手に入れる事ができなかった。――だから、いいんだ」
英霊は、その瞬間にはマスターを見ることはなく、
「……最期に、どうしても手に入らなかったものを、掴ませてもらったさ――」
彼が口にした通り、それが最期となった。
無名の英霊は、この世界から完全に消失した。
消えていくその横顔に悔いは感じられなかった。
かつて、愛する村を守るために英雄の衣を被り、勝つために森の茂みに隠れ続けた青年。
愛する村を守りながらも、愛する村人に一度たりとも讃えられなかった彼は、かすかに、満足げに微笑んでいた。
「……すまない。ありがとう。アーチャー」
ダンさんは、アーチャーに心の底から礼を告げた。
「シドウ君、最後に、年寄りの戯言を聞いてほしい」
「……はい」
「これから先、誰を敵に迎えようとも、誰を敵として討つ事になろうとも、必ずその結果を受け入れてほしい。迷いも悔いも、消えないのならそれでいい」
ダンさんの言葉を、一言違わず胸に刻み込む。
「ただ、結果を拒む事だけはしてはならない。全てを糧に進め。覚悟とは、そういう事だ。それを見失ったまま進めば、君は必ず未練を残す」
これから先も勝ち残るのなら、僕はその数だけ人を殺さなければならない。
その結果を拒むな。それを糧にしろ、と。
「……そして可能であるなら、戦いに意味を見出してほしい。何のために戦うのか、何のために負けられないのか、答えを模索し、勝ち続けた責任を果たすのだ」
戦いに意味を。
それが、ダンさんの頼みだった。
「いいかな、未来ある若者よ。それだけは、忘れるな……」
「はい……はい!」
涙を流すのを惜しまなかった。
最後まで助言をしてくれるダンさんに、心の底から感謝する。
「ふふ、さて……ようやく会えそうだ。長かったな、アン……ヌ……」
妻の名前、だろうか。
未練も後悔も無く呟いたその名を最後に、ダンさんは消えていった。
波乱の二回戦、その相手は、僕に確かな意味を与えてくれた。
Q.最後の戦闘シーンってあの台詞言わせたかっただけだろ。
A.はい。
三回戦は今までよりギャグ多めかも。
大体はメルトのせいですが。