会議を終え、生徒会は一旦の休憩。一時間後に迷宮に潜るという事が決定した。
自由時間として解散し、僕は保健室の前に来ていた。
「桜、大丈夫かな?」
結局会議には出てこなかった桜。疲れが溜まっているだけだとしても、心配は残る。
「気になるなら入ってみれば? 大した事ないと思うけど」
「あぁ……うん」
扉に手を掛ける。そして軽く引いてみるが、開かない。
「開きませんよ。厳重な六次元遮断のロックが掛けられているので」
「カレン……?」
いつの間にか来ていたカレンが確実に誇張しているであろう情報を教えてくれた。
「その……六次元遮断のロックって?」
「要するに一流ハッカーでも開けられないって事です。花も恥らう正純乙女の女子部屋なので」
「女子部屋……?」
記憶が正しければ……というか、そもそも保健室って書いてあるのだが。
「まぁ、そこは気にしなくて良いです」
「……ああ、そう」
「ところで、どうしてここに? 桜はまだ寝ていますよ」
「うん。ちょっと心配だから、見に来たんだ」
そう言うとカレンは何度か瞬きをし、ほうと溜息を吐いた。
「健気でか弱い後輩NPCの寝顔を見に来たんですね、わかります」
「なんでそういう話になるの!?」
「なんでも何も、そういう事でしょう」
「いや、というよりはお見舞いというか」
「そういう事にしておきましょう。それで、入るんですか?」
明らかにカレンの口ぶりは冗談なんだろうが、そこかしこに鋭いものがあるような……
メルトの言葉に含まれる棘が鋭すぎるせいでカレンのそれはそこまで厳しく感じないんだが。
「……うん、できれば」
「ではどうぞ。すぐに開けますので」
「えっ」
カレンが扉に手を置くと、すぐにガチャリと音がする。
……ん? まさか。
「開きましたよ」
「そんな簡単なものなの!? 六次元遮断のロックは!?」
「理想郷に入るのに手続きがいるんですか?」
まったく意味が分からない。
「同じ健康管理AIである以上簡単に入れたりするんですよ」
……そういう事か。だったらまぁ、納得がいかない事もない。
保健室での仕事を担当するAIならば、保健室に入る当然の権限なら持ち合わせているのだろう。
「さあ、どうぞ」
「あ、あぁ……」
この一連のやりとりから妙に抵抗が生まれたのだが、開けてもらった以上入るべきだ。
旧校舎で最初に目を覚まし、そして制服を渡し、これで入るのは三度目か。
桜の姿は……見当たらない。眠っているみたいだし、カーテンの閉められたベッドだろうか。
カレンはいつのまにかお茶を淹れている。澄んだ色の緑茶だ。
「どうかしました?」
「いや……」
湯気の浮かぶ緑茶。
何故か用意されているのはカップとティースプーン。そして山の様に積まれた角砂糖。
「……」
カレンはカップに緑茶を注ぎ、なんの躊躇もなく角砂糖を放り込んだ。
一個、二個、三個、四個。それをティースプーンで砕き、丁寧に緑茶に溶かしていく。
様になった動作でそれを口につけると、顔を顰め更に二個砂糖を追加した。
改めてそれを飲み今度こそ気に入ったのか、微笑んで小さく頷いた。
「……何か?」
「……カレンって、健康管理AIだよね?」
「そうですが」
「……」
どうやらカレンの仕事に、自らの健康管理は含まれていないらしい。
いや、そもそもAIであるのだし、糖分などといった基本的な栄養素は必要とされずそれゆえに特に気にするべくもないんだろうが、目の前の少女の行動はとても健康管理AIのものとは思えない。
緑茶の砂糖という組み合わせも奇妙なものに感じる。欧米では一般的な事らしいが……
「あぁ、そうだ。ランサーもどうです?」
カーテンの閉められた二つのベッド。その内一つに目をやり、カレンは言う。
「……だが、オレは妻を」
「呼吸も魔力の流れも安定しています。そろそろ目を覚ますでしょう。サーヴァントといえど、休憩は必要ですよ?」
黙り込んで、カーテンの内から出てきたのは黒い騎士。
血塗れの鎧を着込んだランサーのサーヴァント、ヴラドだった。
会釈をすると彼も一つ頷き、カレンの持つカップに目を向ける。
「……それは?」
「
説明をしながら、慣れた手つきでもう一つのカップに緑茶を注ぐ。
「砂糖はお好みで」
「……」
高い背丈とカップのスケール差を気にする事も無く暫し香りを確かめるヴラド。
血に染まった鎧、戦渦に飲まれ引き千切られたかのようなマント。
吸血鬼と恐れられていてもかつて彼は領王だった。こういった貴族の嗜みは心得ているのだろう。
「……かつての信仰を失った俗世に愉しみなどないと思ったが、この香りは嫌いではない」
どうやら、存外気に入ったらしい。
マスターの不調に目に見えた焦りを示していたが、それを多少拭い去ることが出来たようだ。
それを考えていたのだとしたら、カレンが健康管理AIだという事もわかる気がする。
他の面が……であれ、相応のスキルは持っているという事か。
「大儀である」
短くカレンに告げ、ヴラドは茶に集中する。
「それで、ハクトさんの用件はここでティータイムを見ることなのですか? 必要ならば淹れますが」
「あ、あぁ、そうだった」
なんというかシュールな、注目してしまう光景が目の前で繰り広げられていたのだから仕方ない。
健康管理AIが砂糖を入れすぎたり、護国の大英雄が緑茶を飲んだりする光景ならば、誰でも目を向けるだろう。
ともかく、ここにきた目的は桜の容態を見ることだ。
カーテンを開ける。桜は等間隔な呼吸を繰り返しながら眠っていた。
肌にじっとりと浮かぶ汗と、蜜に濡れたように潤う唇。
それは到底――
どこか――遥か遠く――ずっとずっと――遠い昔。
いや、むしろ自分ではない“誰か”が経験し、それを傍から見ていたような――おぼろげだが確かな既視感があった。
「……」
無理に起こす必要はないか。
深く眠っているようならば僕がいても迷惑になるだけだ。
「――あれ……しどう、さん?」
背を向けてベッドから離れようとしたところに、声が掛けられる。
「あ……桜、起こしちゃったかな?」
「いえ……。予め決められていた起動時間です」
「もう大丈夫なのか?」
「はい、回復しました。迷宮内のスキャンはそれなりに負担が掛かるみたいで」
起き上がり、傍らに掛けられた白衣を取って身に付けた桜は、隣のベッドに眠る長身――ヴラドのマスターであるピエロの女性に目を向ける。
「思った以上に目覚めが遅いです。起きても良いくらいに回復しているのに」
「……何か、要因があるのかな?」
「恐らくは。でも、これ以上は彼女自身で目を覚ますしかないんです」
カーテンを閉める桜。ヴラドとカレンが復帰した彼女を迎える。
「目覚めたか」
「おはようございます桜。体力は……問題ありませんね」
「はい。おはようございます、ランサーさん、カレン……何をしてるんですか?」
「ティータイ……保険医代理です」
言いかけて修正したが、最早手遅れだった。
「……やっぱり、任せておけないです」
「ところで桜。普通の睡眠以上に回復しているようですが?」
「えっ……あ……」
急に桜は言いよどんだ。
理由はどうあれしっかり回復できたのならいいと思うが……
「……その。紫藤さんが来てくれた事で、構造負荷の五割が自律回復できたみたいで」
「……AIが外的要因で回復するって」
意外そうなカレンだったが、僕としては桜の役に立てたのなら嬉しい。
桜がカレンに代わり、二人分の緑茶を淹れる。
この後、しばらくの間保健室でお茶を楽しむことにした。
「遅い」
保健室から出た後すぐに姿を現したメルトは、不機嫌この上ないといった表情で不満を告げてきた。
そういえばメルトは保健室で姿を見せなかったが、まさか……
「珍しく空気を読んで外にいてあげればこの始末よ。何があったのか知らないけど、もうちょっと配慮は出来ないのかしら?」
「……なんかごめん」
良く分からないがまたメルトを怒らせてしまったらしい。
どうやら自らは保健室に入らず、外で待っていたようだ。
「まぁ、マスターの色恋事情に手を貸すのも……サーヴァントの仕事だし」
「…………なんか、ごめん」
やはりカレンとは比べ物にならないものがある。
何の事はない、普通の言葉である筈なのに……何故こんなにも刺さるのか。
そして色恋事情とは果たしてなんの話か。桜とはそういう関係ではない……と思うのだが。
この空気は避けたいものがある。どうにかして打開したいものだが――
「少年、そこな使いパシリの少年よ! ちょうど良いところに!」
失礼極まりないそんな声で、その場の空気は吹き飛んだ。
「……ガトー?」
「その通り。洗礼名もガトーな門司である。いやいや奇遇、お主の力を求めておったのだ!」
「えっと……何か?」
「出来れば手短にお願いしたいんだけど」
一歩引いた距離でメルトが言う。どうやらメルトもガトーは苦手な部類に入るらしい。
「うむ、うむ。この辺りでネコのキーホルダーを見なかったか?」
「……え?」
ネコのキーホルダー。
覚えはないが、まさか。
「ないけど……ガトーの?」
「否、ジナコのものである。ふむ……よし、少年、手を貸してくれまいか?」
「……」
ジナコの、か。
ガトーに手を貸す理由はこれといってないが、ジナコのものをガトーが探しているという事は彼にはそれなりの理由があるのだろう。
それに、メルトの放っていた“殺気のような鋭い何か”を吹き飛ばしてくれた礼もある。絶対に言わないが。
「うん、構わないよ」
「おぉ! これぞ本当の窮すれば通ずというヤツか! では小生は二階を。主らは図書室の方を頼むぞ。見つけたら小生に教えてくれい!」
「……なんで私まで頭数に入ってるのかしら」
メルトの疑問を耳にも入れていないようにガトーはさっさと階段を昇っていってしまった。
「……えっと……とりあえず行こうか」
「……うやむやにしようとしてるでしょ」
やはり忘れてなかったか。
「ま、良いわ。今回限りよ」
理由を聞く前にさっさと消えてしまったメルト。
本当に許してくれたのなら良いが、どうにも後が恐い。
ともかく今は不問にしてくれている以上、ガトーの頼みが優先だ。
ジナコが訪れるとは思えないものの、一応図書室に向かってみよう。
生徒会メンバーの勧誘に一度来たきりだった図書室には、やはりといった四人がいた。
「……む? 珍しいな。迷宮と校舎を行き来するだけに変わらぬ日々を費やす物好きがこんな辺境に来るとは」
「辺境とは言っても、同じ校舎だがね」
アンデルセンとキャスター。そしてマスターと思われる二人の少女。
「あら、迷える白兎さんよ
「でも女王様がついてるの。きっと元の道に帰れるわ」
「……えっと?」
「彼女たちなりの応援だろうね。表側に戻れるって事だよ」
キャスターの翻訳がなければありすとアリスの物語のような言葉は到底理解できない。
二人の完結した物語は余人の踏み入る場所がなく、既に閉じている。
だからこそ、御伽噺を紡ぐように会話が成立しているのだろう。
「それで、君はどうしたんだ?」
「あぁ、実は、ネコのキーホルダーを探してるんだ」
「キーホルダーだと? 秘密探しに疲れて小物に移り変えたのか」
アンデルセンは愉快そうに口元を歪めながらも、ポケットに手を突っ込む。
「これだろう。そこの二人に持っていかれると面倒だろう。入り口に落ちてたので一応回収しておいた」
渡されたのは、確かにネコを象ったキーホルダー。ガトーの探しものはこれで間違いないだろう。
「きっとこれだ。ありがとう、アンデルセ――」
「ん? どうした」
ポケットから手を出した時にズボンが揺れ、見えた何か。
それを違うだろうと頭の中で整理しようとし、しかし無理だと判断した。
「それって……」
「……あぁ、これか」
息を吐きアンデルセンはズボンの裾を捲る。
それは、ビッシリと足を覆う、魚の――
「……無辜の怪物か。これまた面倒な風評を押し付けられたものだな、アンデルセン」
「ふん、俺はお前程浮かれた人生を歩んでいないからな。万人に理解できん話なぞ書くもんじゃないと死んでつくづく理解したよ」
「……風評……?」
「人魚姫、マッチ売り、赤い靴。『こんな本を書く作者はこんな人間に違いない』。読者共のそんな、自分たちにとって面白おかしい想像が生み出した呪いだ」
――スキル、無辜の怪物。
未来の風評によって、在り方そのものを捻じ曲げられてしまった英雄の末路。
あのヴラドが良い例だ。護国の王としてではなく、吸血鬼として顕現したあれも、このスキルによるものだろう。
そして、アンデルセンもその呪いに蝕まれているというのか。
「どうだ、この悍しい風評被害。腕は凍傷に晒されマッチの火に焼かれ、足は人魚の鱗まみれ、足首には切り傷。喉も歌を失い裂かれている始末。服を奪われなかっただけマシか。まったく愉快、迷惑な風評もここまでくると笑うほかなくなるな!」
笑い飛ばすアンデルセンだが、到底笑えるものではない。
立つ事にも痛みを生じ、ペンを持つ手は火傷に苦しみ、喉すら裂ける痛みを刻まずには語れない。
「なんだ? その何とも申し訳の立たないといった顔は。言っておくが、俺は呪いを刻んだ人間共を怨んじゃいないぞ」
「え……?」
「身勝手な想像を受けるきっかけは、生前身勝手に現実を綴り続けたから。因果応報という奴だ、そういった解釈がされるのならば、その根本は俺にあるんだろうからな」
「憶えは、あるのかい?」
「あるかもしれんな。俺は厭世的にこの世を綴った。呪いを押し付けられても仕方ないとは――召喚されてからは多少は思ってるさ」
そういって図書室――廊下に目を向ける。その先はいつも、キアラさんが校庭を見ている場所だ。
「ふ、互いに大変だね。マスターには恵まれない」
「思ってもないことを言うな。怪物二号が」
「二号って……」
アンデルセンが自分の無辜の怪物たるスキルを“怪物”と称しているのだとしたら、キャスターはつまり――
「あぁ、同じ怪物憑きとして実に君とは気が合う。この怪物性のままありすのサーヴァントでいるというのは、現代において聊か罪深すぎる」
「正にだこの
「心外な。私はあの二人を見守るだけさ。君とは根っから違うのでね、共通点と言えば生前作家だった事、だけだろう?」
良く分からないが、果たしてアンデルセンとキャスターは仲が良いのか悪いのか。
アンデルセンは不快げに眉根を寄せ、キャスターは飄々としていながら決して良い空気は纏っていない。
しかしそれだけだ。言葉を交わすだけで戦いだしたりはしない。そもそも二人に戦闘手段がないだけかもしれないが。
「まぁともかく、俺の呪いなど気にするな。今お前がやるべきことだけを考えろ」
「……」
「なんだ? こんな作家風情の俺を気に掛けるほどのお人好しという事か? お前のサーヴァントが黙っていないぞ」
「分かっているならハクに構わないで。そんな呪いで同情でも誘うつもり?」
「そんなつもりは無いとここまで聞いてて分からないのか。愚鈍なのはマスターだけではないという事だな」
現れたメルトの言葉を聞くなり不快顔だったアンデルセンは呆れたように息を吐いた。
相性でいえば、この二人は最悪なのだろう。
最初から何やらメルトはアンデルセンに対して警戒心を持っていたが、何故なのだろう。
「お前はその主を守っていればいい。それが――お前の求めなのだろう?」
「……」
相も変わらず恨めしいといった表情のまま、メルトは姿を消した。
最早見ていることすら、相対していることすら嫌だと言わんばかりに。
「……アンデルセン、メルトと知り合いなのか?」
「知らん。向こうが知っていても、少なくとも俺に憶えはない。いいからいけ。用事があるのだろう?」
あぁ、そうだ。キーホルダーをガトーに渡さなくては。
改めてもう一度礼を言い、図書室を後にする。ガトーは二階を探すと言っていた。とりあえず、行ってみるとしよう。
「今日は皆で楽しもうって趣向だったのさ!」
「そうだよ! 皆が幸せになれるならそれが一番だ!」
ハク「賑やかだね。正に遊園地って感じ。再現率も中々みたいだ」
メルト「NPCまでこんな本格的に……面白そうじゃない」
ハク「うん。やっぱ地上の人たちを招くんだったら、遊戯施設の一つでもないとね」
メルト「私も柄にもなく楽しめそうね。さ、行きましょ」
ハク「うん」
「――随分と気が多いようね。つまり八つ裂きになりたいって事?」
「――言いたいことはそれだけですか?」
ハク「……なんか今、入り口からラストアークが」
メルト「気にしなくていいわ。まずは何から乗ろうかしら」
ハク「……なんか今、入り口から常勝の王の対城宝具が」
メルト「気にしなくていいわ。ありきたりだけど、ジェットコースターなんてどう?」
――そんな、ちょっとした中枢での一日。
遊園地作ったらNPCとして色々ついてきたみたいです。
メルト身長制限引っかかるんじゃねは禁句です。
ヴラドさんは基本他者の思考が介在できませんがマスターの不調という自体で冷静になっているため、完全主観ですがいくらか他人の話聞けるようになってます。
一応公爵なので落ち着いて緑茶楽しめる余裕も持ってます。
今回のが余裕なのかそうでないのかは分からないんですけどね。
尚、アンデルセンの怪物性は酷くなった模様。
イメージ的には隠れてる部分、ヤバイくらいボロボロなんじゃないかっていう。
↓黒化英霊、か…………予告↓
「確か……流行りの「ライトノベル」と言いましたか。えー、『俺の妹が……天上、天下……唯我独尊』……?」