第一話 そうして彼は、幻想を求める。
「あなたのやり方、嫌いだわ」
やっぱり、こうなるのか。
「人の気持ち、もっと考えてよ!」
これで、終わろうかな。
「もう、無理して来なくて良いわ」
やっぱり裏切られる。
いや、勝手に期待してただけか。
この世界に、本物なんて無いんだ。
俺が一方的に期待して、勝手に失望していた。ただそれだけの話だ。
誰も悪くない。強いて言うなら俺が一番悪いのだろう。
だって、『皆』も俺が悪いって言ってただろう。
大丈夫。また独りに戻るだけだ。これまでと何も変わらない。寧ろこの数ヵ月が異常だっただけだ。
悪は俺一人、傷つくのも俺一人、不幸なのも俺一人、憎まれるのも俺一人、嫌われるのも俺一人、愛されないのも俺一人、裏切られるのも俺一人。
うん。これまでと何も変わらない。
それで良い。
これで良い。
後悔は……ちょっとあるかもな。
でも、もう良いや。
これで、終わるんだから。
生命保険には入ってたみたいだし、それで小町には良い生活してもらおう。
じゃあな。
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『終わる』ための場所に来て、そんなことを考えていた。文化祭の一件から始まり、修学旅行の事件によって激化したイジメ。そして信じていたあいつらに投げ掛けられた拒絶。幾ら俺でももう無理だ。
俺は元々誰かに必要とされていた訳じゃない。
でも、必要とされないなりに頑張ってきた。
だから……
「もう、良いよな」
そして、俺は一歩、また一歩と、『あっち』の世界に行くために、歩を進める。
「それは困るのよね」
目の前にいきなり女性が現れる。その女性は、絶世の美女と言って差し支えないだろう。腰まで伸びた金髪に、紫色の瞳。
何処から現れたのかは分からないが、今はそんなことどうでも良い。さっさとこの辛いだけの世界に別れを告げたいのだ。
そして、俺はその女を無視して崖の淵に立とうとする。
「ねえ、話だけでも聞いてくれないかしら」
俺の腕を掴んで、その女は妖しく微笑む。どこにそんな力が有るのか、掴まれた腕を振りほどこうと力を込めるがびくともしない。
そして、もう一度その女を見たとき、俺がどうこうできる存在ではないのだと本能的に悟る。俺はため息を一つ吐き、その女に向き直り、目で続きを促す。
それを見てその女は満足げに頷き、
「ねえ、貴方、幻想郷に来ない?」
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「ねえ、貴方、幻想郷に来ない?」
妖怪の賢者として観察を続けていた人間に、この提案を持ち掛ける。
この少年は、外の世界で生きるには誠実すぎた。善意で行動し、悪意で返され、それでも何かを求めるようにひたすら藻掻き、足掻き……しかしもう決壊寸前で、この少年は命を投げ出そうとしている。無理も無いだろう。寧ろここまでよく投げ出さなかったものだと感心さえする。
悪意や害意から解放されて楽になりたい。そう考えた彼を止める権利なんて、見ていただけの私には無いだろう。いや、そうなってしまった一因たる私には、もう話しかける権利すら無いのかもしれない。だが、彼がただのすれ違いで命を散らしてしまうのは余りにも不憫だ。
「幻想郷は、貴方を必要としている」
「……………………」
彼は沈黙を貫いている。
「幻想郷は、忘れられた者の最後の楽園。人間が、妖怪が、妖精が、霊が、神が共存する世界。幻想郷は全てを受け入れる。時に残酷なほどに」
「……………………」
ふと、彼が顔を上げる。彼の目は、最早何も映してはいなかった。けれどそこに、私の姿が映り込む。
「貴方だって、このまま幸せを知らないまま、終わりたくはないでしょう」
「…………俺を」
「…………」
「あんたの言う幻想郷は、俺を受け入れるってのか」
「ええ」
「……そうか」
それきり彼は黙ってしまう。不思議な人間だ。あれだけ裏切られてなお、人に優しくあろうとする。その優しさは分かりにくくて、回りくどくて捻くれていて、誰にでも受け入れられるものでは無いだろう。
誰も助けてはくれず、ずっと独りで戦ってきて、初めて優しさに触れて、初めての、決定的で致命的なすれ違いで傷つき……
だからこそ幻想郷は彼を欲する。
「それで、貴方はどうする?」
「…………連れてってくれ」
そう答えた彼からは、大分投げやりな印象を感じる。実際何もかもどうでも良いのだろう。きっと彼は、僅かな最後の可能性に縋っただけ。それでも私は、彼を追い込んだ遠因として、彼の救いを願わずにはいられなかった。