「姉上」
「あら、ニネミア。
いらっしゃい」
稽古が終わり、湯浴みを終えたフルトゥーナは数多くいる兄弟姉妹の中で最も慕う歳が近い姉である姉姫カッサンドラの許へと訪れた。
王女カッサンドラはトロイア王プリアモスの数多くいる娘の中で最も可憐な王女の一人とされている。
その心根も
フルトゥーナは稽古が終わると必ずこの姉の許へと向かう。
それは姉にとあることを求めるからである。
「ニネミア。ほら、座りなさい」
カッサンドラは妹に椅子に座る様に催促した。
「はい」
姉の言葉を受けてフルトゥーナは目を年相応に輝かせて姉に言われるままに座る。
カッサンドラは素直に自分の言うことを聞いた妹を微笑ましく思い静かに背後に立った。
「本当に綺麗な髪ね」
そのままカッサンドラはフルトゥーナの栗色の長い髪を梳き始めた。
既にフルトゥーナの髪は侍女たちが布で水を拭き取られ、香油で整えられている。
しかし、フルトゥーナの髪の手入れの最後はカッサンドラに櫛を入れてもらい最後にうなじの近くで一つに括ることになっている。
それは唯一、フルトゥーナがニネミアとしていられる時間でもある。
「姉上にそう言われると私も嬉しいです」
フルトゥーナは心の底からの言葉を述べる。
カッサンドラは数多くいるトロイアの王女の中でも、五本の指に入る美女である。
またカッサンドラとフルトゥーナはよく似ている。
カッサンドラには双子の弟ヘレノスもいるが、カッサンドラとフルトゥーナが並ぶと瞬時にこの二人が姉弟だと理解できる程である。
これは仮にフルトゥーナがニネミアとして生きていれば姉妹だと誰でも気づくだろう。
フルトゥーナも自らの境遇故に女としての側面を褒められることには抵抗感が生まれることはあるが、それでも最愛の姉との共通点ならばと甘んじて受け入れている。
この姉妹は互いに互いを気に掛けているのだ。
「ずっとこのままだといいわね……」
「はい」
カッサンドラは妹の髪を梳かしながら囁く。
フルトゥーナは姉の言葉に肯く。
カッサンドラにとってフルトゥーナは己の半身とも言える双子の弟ヘレノスよりも弟妹らしい妹なのである。
双子の弟ヘレノスはカッサンドラにとってはもう一人の己と言える存在でありそこにも確かに絆がある。
ただフルトゥーナに関しては物心が芽生えた時に初めて知覚した生まれたばかりの弟妹としての印象が強く、カッサンドラにとってはフルトゥーナと言う妹は初めて出来た愛しむ存在なのである。
初めて父と母に抱えられて目にした一つ下の妹をカッサンドラはこんなにも小さくて壊れそうでありながらも、いや、そうだからこそ尊いものがあるのかと言う初めての感覚を幼いながらに感じた。
カッサンドラはそんな妹が戦場に出ることを非常に恐れている。
何よりもカッサンドラはフルトゥーナの境遇を知ってしまった数少ない人間の一人であり、その境遇を誰よりも悲しんでいる。
なぜ妹が男のように戦士として育てられ、いつどこで死するかもしれない運命の中にいるのかをカッサンドラは嘆いている。
「でも、ニネミア……
もうあんな危ないことをしてはダメよ?
本気で心配したんだから」
カッサンドラはフルトゥーナが友人たちを守るために熊に立ち向かったことへの心配を口に出した。
カッサンドラはフルトゥーナを失うことを恐れている。
だからこそ、フルトゥーナのことを愛しみ続ける。
そうすることで必ずフルトゥーナが自分を泣かせまいと思って自らの命を大事にすると信じて。
「うっ……はい……」
姉の愛情が妹の心を縛る。
それは姉としての二心ない愛である。
いつまでも妹には生きていて欲しい。危ないことをしないで欲しい。無事でいて欲しい。
ただそれだけの想いである。
それは親鳥が何時までも雛を巣立たぬようにする愛でもある。
それでも姉は妹の生を望む。
しかし、皮肉にもこの姉の愛情が妹を戦火へと導くことになっていく。
個人的な型月カッサンドラの想像図は青子先生に出会わなかった志貴みたいなものかと思います。
自らの異能によって精神を病んでいくそれも自らの愛する者が死んでいく光景を常に見せられ続ける。
これで狂わない方がおかしいと思います。