幸せになる番(ごちうさ×Charlotte)   作:森永文太郎

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第5話、ノーポイッ

 日曜日の午後、ココアとの約束通り、有宇はココアと一緒に家を出た。

 この日は有宇がこの街に来てから初めての休暇であった。いつもより長く寝ていられたこともあってか、体の調子もすこぶるよかった。

 ココアの方はというと、有宇と違い午前中は仕事があったので、少しは疲弊してもおかしくないのだが全くそんな様子はなく生き生きとしていた。

 

「有宇くん、最初はどこに行きたい?私はねえ~」

 

「ココアさん、とりあえずお昼がまだですし、どっかで何か食べませんか?」

 

「おお、それもそうだね、有宇くん何か食べたいものある?」

 

「いえ、特には。ココアさんのおすすめの所とかありませんか?」

 

「おすすめの所か~。う~ん、卒業式の日にみんなで行ったあそことかいいかな」

 

「ではそこへ行きましょうか」

 

 そして二人はココアの勧めるその店へと赴いた。その店は店の前にテラス席を設けているオープンカフェだった。カフェの近くには川があり、川を眺めながらゆっくりお茶することができ、中々風情あるカフェであった。

 二人はそこでサンドイッチなどの軽食で昼食を取る。昼食の最中もココアが三か月ほど前の卒業式の日にみんなであつまったのがこの店だったとか、そういった有宇がここに来る前の他愛のない思い出話を楽しげに話なしていた。

 自分の話が終わると、今度は有宇自身のことについても聞いてくる。

 

「そういえば有宇くん、有宇くんのいた東京ってどんな所なの?東京なんて行ったこともないから全然知らなくて。一応うちのお兄ちゃん達が今東京にいるんだけど全然連絡来ないんだもん」

 

「お兄さんいるんですか?」

 

「うん、お姉ちゃんが一人とお兄ちゃんが二人いるんだ。お姉ちゃんはうちの実家のパン屋で働いてて、お兄ちゃん達は東京で弁護士と科学者目指してるの」

 

 こいつが年下を妹や弟にしたがるのは、こいつが末っ子で姉という存在に憧れてたからなのか。なんとはた迷惑な話だろう。

 しかし東京の話ぐらいならいいだろうと有宇は東京についてココアに話聞かせた。だが、自分自身についてはボロが出ると不味いので、多くは語らなかった。

 

 

 

 昼を終えると二人はカフェを後にし、それからココアに色々と街を案内された。

 まず最初に連れて来られたのが街の雑貨屋だ。いかにも女子が好きそうな文房具やら小物で溢れている綺麗な店だった。だが……。

 

「わあ!見て見て有宇くん、このうさぎのお皿可愛いね〜」

 

「そうですね……」

 

「あれ?有宇くん的にイマイチ?有宇くんもなんかいいのあったら買ってみたら?」

 

「はぁ……」

 

 ココアは喜んでいるが、その反面、有宇の心境はあまり良くなかった。

 そもそも僕はまだ揃ってない生活品を揃えたかったから、百均でも何でもいいから物の揃ってる日用品店はないかと聞いたのだ。

 歯ブラシとかその辺の軽い日用品はこの前出かけたときに、近場のコンビニとかで揃えられたからいいんだが、皿や箸といった食器類などの日用品は近場では揃えられなかった。今はラビットハウスにあるタカヒロさんが以前使ってた物を使わせてもらってるのだが、それが嫌というわけではないが、やはり自分だけの物が欲しかった。だから街を回れるこの機会に揃えたかったのだ。

 だというのに、この女は自分の趣味全開の雑貨屋なんぞに連れてきやがって、こんな女趣味の小物なんぞ僕の部屋に置いて置けるか!

 結局ここでは物を買わず、ココアが小物を見て回るのに付き合わされただけで終わった。

 

 

 

 次に二人が訪れたのが服屋だ。

 有宇も着替えはいくらか家から持ってきてはいたが、スポーツバッグに入る分しか持ってきていないので数が少ない。制服のワイシャツと黒ズボンもタカヒロさんの物を借りて使っているぐらいなのだ。

 この一週間は仕事もあったし、ラビットハウスの近くに服屋らしき店もなく服を買える機会がなかったので、街を見て回れるこの機会に是非とも行ってみたかったのだが────

 

「おお、これリゼちゃん似合いそう!あっ、このフリルのやつなんかチノちゃん着たら可愛いだろうな〜。ねぇ、有宇くんどう思う?」

 

 ココアは両手に服を持って色々と物色している。いやまぁ別にそれはいいんだが……。

 有宇も店内を散策してみるが、それであることに気づいた。

 

「ココアさん……」

 

「ん、なに?」

 

「ここ……男物の服はないんですか?」

 

「え?あ……えっと……そういえばなかったっけ?」

 

 店を軽く見て回ったが、明らかに男物の服が一着もない。

 ココア達が行く店と聞いてはいたからまさかと思ったがそのまさかだったようで、どうやらこの店は女性服専門店だったようだ。

 つまり、ここに有宇が買える服は無いということだ。

 ココアはすぐ「ごめんね〜!」と謝罪して別の服屋へ連れて行ってくれたが、いつもさっきの服屋で買っていたせいで他の服屋を知らなかったようで、別の男物の服も売っている服屋を探すのにそれから小一時間かかった。

 服屋に着くと、早速有宇は自分の寝間着とかバイト用のワイシャツなどを選ぶため、色々服を見て回ったのだが───

 

「有宇くん、この寝間着どう?きっと似合うと思うな。あ、この服も有宇くん似合いそう!」

 

 何故かココアが有宇の服を見立てていた。すぐに見て回るから店の前で待ってていいと言ったのだが、「お姉ちゃんが有宇くんの服見立ててあげる」と言って付いてきたのだ。

 正直こいつに任せるのは不安でしかなかったので断りたかったのだが、どうしてもと引き下がらなかったので仕方なくお願いしたのだが……。

 

「ココアさん……これ寝間着ですよね?」

 

「そうだよ、可愛いよねこれ」

 

「なんで寝間着にうさ耳フードが付いてるんですか……」

 

 ココアの見立てた服は全部、寝間着はうさ耳が付いてたり、ワイシャツは真っピンクだったり、服も真っ黄色の某電気ネズミを思わせるようなパーカーとか幼児が来てそうな服など、ダサい物ばかりを選んできた。

 正直「こんなもの着れるか!」と怒鳴ってやりたかったが、素の自分を知られるわけにはいかないので、なんとかそれは我慢した。

 しかし、勧めてきた服は全て丁重に断り、結局自分で選んだ服を買って行くことにした。

 

 

 

 服を買い終わり店を出た後、ココアが服を選ばせてもらえなかったことが不満だったのか、不機嫌そうにぶつぶつと文句を呟く。

 

「あ~あ、私が選んだ服の方が可愛かったのに……」

 

「いや、年頃の男子にあの服はちょっと……」

 

「でも有宇くんの選んだのって灰色とか黒とかの地味なやつばっかじゃん。もっと色んな色の服着ないと」

 

「少し地味なくらいがいいんですよ。別に原宿系目指してるわけじゃないんで」

 

「原宿系?」

 

「知らないならいいです」

 

 それに僕みたいな二枚目となると、大概何着てても映えるというものだ。もっとも、ココアの選んだやつみたいな物着てたら流石に引かれるだろうがな。

 それからしばらく歩いていると、突然ココアが立ち止まった。

 

「どうしたんですか?」

 

「えっと……ここ何処だろう」

 

「……は?」

 

 ココアが顔を引きつらせ、苦笑を漏らしながらそんなことを言い出したのだ。

 

「どっかに向かってたのでは……?」

 

「取り敢えず知ってる場所に戻ろうと思ったんだけど、迷っちゃった♪」

 

 迷っちゃった♪じゃねぇよ!!

 こちとらお前がどんどん歩いていくから、どっかに案内してくれるものとばかり思ってたから付いてきたというのに、迷ったとかマジでふざけんなよ!!

 しかしココアは「デヘヘ」と笑い、反省してる様子はない。

 クソッ、僕もこの街のことなんぞ詳しくないというのにどうすんだよ……。

 

「取り敢えず来た道戻るぞ」

 

「は〜い」

 

 そう言って来た道を戻ろうとすると、ココアは来た道と反対方向へと歩いて行く。

 

「おい……」

 

「あっ、ごめんごめん。そっちだったね」

 

 そういえばチノが方向音痴だなんだと言っていたが、まさかここまでとは。今更言ったところで仕方ないのだが、やはり別の日でいいから街の案内はココアではなくチノに頼めばよかった。早く街に慣れようとしたのが裏目に出たな。

 その後取り敢えず店の前まで戻ると、改めて帰り道を模索する。

 

「うぅ、どうしよう……。街を案内してたのに迷ってちゃお姉ちゃん失格だ……」

 

「元々姉として見てないから安心しろ。それより、あっちの道じゃないか?」

 

 そう言って僕は店の向こう側の路地を指差す。

 

「おおっ!有宇くん道覚えてたの?」

 

「うろ覚えだがな。あの建物の側来る時に通った覚えあるし、向こうの方を歩いていけば知ってる場所に行けるだろう」

 

「なるほど、それじゃあレッツゴーだね」

 

 それから僕の案内の元、なんとか僕らは見知った場所まで戻る事が出来た。

 

「おおっ、戻れたね。流石だよ有宇くん」

 

「そりゃどうも……」

 

 無邪気に喜ぶココアとの反面、有宇の方はげんなりとしていた。

 僕はもうとにかく疲れた……。

 ここまで戻る道中も、ココアがチョロチョロ店を見て回ったりしてたせいでちょくちょく迷ったりと、とにかく大変だった。

 改めて思うと、僕がココアに街を案内させてるというより、ココアが僕に街を案内させてるって感じだったし、もうこれ地図片手に僕一人で回ってた方が良かったんじゃないかとすら思った。

 そんなこんなで時間も経ち、腕時計を見るともう四時近かった。

 

「おお、もうこんな時間だね。ちょっとお腹空いたしどっかでおやつ食べない?」

 

「おやつ?そうだな……」

 

 昼もサンドイッチとか軽食だったし、何より色々と歩き回ったせいで確かに少し小腹が空いたな。しかし中途半端な時間だしな……それに今日は色々買ったしおやつに出す金が惜しい。

 だが、あちこち歩き続けたせいで疲れもあったし、どこかで一息入れたかったのもあり、結局行くことにした。

 

「じゃあ休憩がてら行くか」

 

「うん、じゃあどこに行こうか?」

 

 どこ行こうかと言われても僕はまだこの辺にどんな店があるとか知らないしな。昼間のカフェも中々良かったし、ここはココアに任せるか。

 

「お前の好きにしてくれていい」

 

「う~ん。あっ、じゃあ甘兎庵に行こうよ。有宇くんまだ甘兎庵で食べたことないもんね?」

 

「えっ、まあ……」

 

「じゃあ甘兎庵に行こう!」

 

 そもそも甘兎庵なる場所を知らないのだがと思ったが、ココアに任せると言ったのは自分なのでココアに任せることにした。

 

 

 

「ここが甘兎庵だよ」

 

 ココアがそう言って案内した場所は千夜の働くあの甘味処だった。

 前来たときは看板が読めなかったのだが成る程、『甘兎庵(あまうさあん)』と読むのか。これは右からじゃなく、左から読むのか。それに『(おれ)』ではなく『(いおり)』と読むのか。

 看板の読み方を理解したところで店に入ると、以前この店で会った時と同じ緑の和服姿で千夜が出迎えてくれた。

 

「いらっしゃいませ……あらっココアちゃんと有宇くん、今日はどうしたの?」

 

「今有宇くんに街を案内してて。ついでだから甘兎庵でおやつにしようかってなって」

 

「まぁ、そうなの。じゃあサービスしなきゃね。席に案内するわ」

 

 そう言うと千夜は二人を席まで案内した。

 席に座ると、有宇はテーブルに置いてあるお品書きを手に取る。

 

「さて、何にしよう……か……」

 

 有宇はメニュー表に目を通した瞬間、絶句した。

 お品書きには当然メニューが載っているものだと思ってたのだが、そこには漫画の必殺技みたいな言葉が羅列されてあった。

 

「煌めく三宝珠……雪原の赤宝石……なんだこれは!?」

 

「あら、有宇くんには難しかったかしら?」

 

「いや、難しいっていうより、これメニュー名としてどうなんだ!ていうか、こんなもん読めるか!」

 

「う~ん、今日は抹茶パフェにしようかな~。あっでも最中抹茶アイスもいいかも!」

 

 なんでこいつ読めてんだよ!?

 有宇の横で嬉々としてメニューを眺めるココアには、どうやらこのメニュー表に何が書いてあるかを理解しているようだった。

 

「こいつは別として普通の奴じゃわからないだろ」

 

「え、私今馬鹿にされなかった!?」

 

「大丈夫よ、初めてのお客様には指南書をお渡ししてるわ」

 

 そう言って千夜は指南書と書かれたメニュー表を取り出した。そこには変な名前などではなく、ちゃんとしたメニュー名が書かれていた。

 

「最初からそれ出せよ……」

 

「ごめんなさい、でも出来た和菓子に名前を付けるのが私の楽しみなの」

 

 そう言って千夜はにこっと笑いかける。

 この()はまともそうだと思ったが、やはりココアとリゼ同様一癖ある奴だった。まぁもうどうでもいいか、今に始まったことじゃないしな。

 それから僕はメニューの中にあった煌めく三宝珠とやらを頼んでみた。

 頼んだ理由としては夕飯前にあんま食べると入らなくなるし、値段も見た感じ一番安かったから、財布にも優しいし、そんな量はないだろうと思って選んだ。

 そしてココアは黄金の鯱スペシャルとかいうのを頼んでいた。黄金の鯱って……というかそれ一体どんなメニューなんだ!?

 

 

 

「ねえ、有宇くん」

 

 和菓子が来るのを待っている間、ココアが声を掛けてきた。

 

「ん、なんだ?」

 

「えっと……なんかさっきから有宇くん、普段と雰囲気が……」

 

 しまった!!道に迷ったり、甘兎でツッコミどころがあり過ぎたせいでつい心乱されて素に戻っていた!!

 

「きっ、気のせいですよ」

 

「えっ、でも……」

 

「疲れてそう感じただけですよ。ねっ?」

 

「そっか、気のせいだよね……」

 

 危ない危ない、危うく素がバレるところだった。

 まぁ今の感じだとこいつ相手だったらある程度は大丈夫だろう。

 

 

 

 しばらくしてお盆に頼んだメニューを載せた千夜がやって来た。

 

「お待たせしました。煌めく三宝珠と黄金の鯱スペシャルになります」

 

 そう言って千夜が僕らの前に注文した物を

 僕が頼んだ煌めく三宝珠は三色団子だ。

 そしてココアが頼んだ黄金の鯱スペシャルは、どうやらたい焼きを載せた抹茶パフェだったようだ。

 なるほど、たい焼きを鯱に見立てているのか。

 

「おお、相変わらず凄いね〜!じゃあいただきます!」

 

 そう言ってココアがスプーンでパフェをすくって口に運ぶ。

 

「ん〜美味しい!」

 

 本当に美味しそうに食べている。

 本当に美味しいのか、それとも単に友達の作ったものだからそういう風に食べてるだけなのか。いや、こいつはそんな風に面をかぶれるほど器用な奴ではないのは知ってるだろう。名前は奇抜だったものの、おそらく普通に食べてもいいはず……。

 

「ほら、有宇くんも食べてみなよ。美味しいよ?」

 

 ココアにそう言われて有宇も団子の串を手に取る。

 

「いただきます」

 

 言われるがまま団子をそのまま口に運ぶ。

 

「……美味い!」

 

 別に三色団子を食べたことがない訳ではない。

 甘味処のような所で食べたことはないが、よくコンビニで売ってるやつぐらいなら食べたことはある。

 三色団子は元々そこまで甘くないので僕にも食べれるが、色が綺麗なだけで特別美味しいと感じたことはなかった。

 しかし今食べたやつにはしっかり味がついており、甘すぎず、僕好みの味だった。

 

「コンビニのものとは味が違うんだな……」

 

「コンビニやスーパーで売られてるものは食紅で着色して色を変えてるだけだから三つとも味が同じなの。うちのは緑はヨモギで出来てて、ピンクは赤しそを練り込んでいるからそれぞれ味が違うのよ。きな粉や黒蜜もあるからそれをつけて食べると違った味が楽しめるわよ」

 

 そう言われると、まずは団子に黒蜜を少し付けてから口に入れる。それから今度はきな粉をまぶして口にする。

 

「うん、どっちも美味いな」

 

「ふふっ、気に入ってもらえたようでよかったわ」

 

 黒蜜もきな粉も団子によくマッチしてて美味い。よもぎと赤しそとも相性良く、旨さを引き立ててる。

 それからあっという間に一本完食して二本目に手を付けようとした時、ココアが有宇に声をかける。

 

「あっ有宇くん、お団子一個頂戴。私もパフェ少しあげるから」

 

「別にいいけど」

 

 こっちもパフェの味が気になっていたのでココアの提案を飲み、串の先についてるピンクの団子をココアのパフェに載っける。

 

「ありがと〜。じゃあ有宇くん、あ~んして」

 

 ココアはパフェをすくったスプーンをこちらに差し出してきた。

 

「えっ!?いやこっちの皿に載っければいいだろ」

 

「遠慮しないで、さあさあ」

 

 いやいやいや、流石に歳の近い女子にあ~んしてもらうのはかなり恥ずかしいし、それによく考えたらこれ間接キスじゃないか!?

 

「いや、流石に恥ずかしいから……」

 

「有宇くん、お姉ちゃん相手に恥ずかしがらなくてもいいんだよ?」

 

 ココアは相変わらずお構いなしだった。

 しかし、僕ばかり恥ずかしがってるのも腹立だしいと思い、思いっきってココアの差し出すスプーンに喰らいついた。

 

「んっ美味い……」

 

 どうだ、本当にやるとは思わなかっただろ。しかしココアは平然といつもの調子だった。

 

「ん〜団子も美味しいね〜」

 

 こっちがあれだけ恥ずかしく思いをしたにも関わらず、この女は何も感じないのか。

 普通の女子だったら僕と間接キス出来るだけでドキドキしたり、喜んだりしてもおかしくない筈なのに。クソッ、調子狂うな……。

 

「どうしたの有宇くん?」

 

「いや、なんでも……」

 

 まぁもういっかと思い皿に残った団子に手を付けようと思ったのだが、皿にあったはずの団子が失くなっている。

 

「あれ、団子が……」

 

 あたりを見ると、台の上の置物だと思っていた黒いうさぎが、いつの間にか僕の団子を完食していた。

 

「ああっ!このくそうさぎ……覚悟しろっ!」

 

 とっちめてやろうと思い捕まえようとしたのだが、こいつがまたすばしっこくて捕まえられなかった。

 すると千夜が現れて黒うさぎをひょいと捕まえた。

 

「あらあらあんこ、ごめんなさい有宇くん、すぐ代わりを持ってくるわ」

 

「……それ、兎の置物じゃなかったのか?」

 

「うちの看板うさぎのあんこよ。普段は大人しくしてるんだけど、お腹空かしてたみたいね」

 

 全く動かないから、てっきり置物だと思ってた。

 

「……兎の世話ぐらいしっかりやってくれ。今まさに僕のこの店の評価が一気に下がったぞ……」

 

「ごめんなさい、あっそうだわ!」

 

 そう言うと千夜はあんこを連れて奥へ消えていった。

 しばらくしてお盆を持って帰ってきた。

 

「はい、代わりの団子とこれもどうぞ」

 

 そう言って出されたのは、抹茶ケーキだった。

 

「ココアちゃんもどうぞ」

 

「わーい、千夜ちゃんこれ新しいメニュー?」

 

「ええ、(いにしえ)より積み重なりし緑層よ」

 

「いや、抹茶ケーキだろ」

 

 確かに地層に見えなくもないけど……。

 

「へぇ〜、甘兎でもケーキ出すんだ?」

 

「ええ、今度新しく出そうと思って、二人とも試食してみてくれる?」

 

 抹茶とはいえケーキか……甘過ぎる物はちょっと。

 まぁ、無料ならいいかと思い口に運ぶ。

 

「美味いな……」

 

「美味しい〜!」

 

 クリームの甘みと抹茶の苦味がマッチしてて美味かった。抹茶の苦味が強く、甘すぎなくて僕でも楽しめる味だった。

 それからケーキを完食すると、千夜が感想を求めてきた。

 

「感想とか聞かせてもらえると嬉しいんだけど」

 

「う〜ん、私的にはもうちょっと甘くてもいいかな?」

 

「有宇くんはどうかしら?」

 

「僕はこれぐらいの方がちょうどよくていいな」

 

「そう、ありがとう。他のみんなにも試食してもらって完成させなきゃ」

 

「おお、千夜ちゃんやる気だね!」

 

「ええ、甘兎庵、大手チェーンへの第一歩のためだもの!」

 

 千夜がそう言うと、イェーイと二人で手を叩いた。

 このやり取りで、なんとなくこの二人が仲が良い理由がわかった気がした。まさに似たもの同士というやつだ。こういう奴らは周りを巻き込んでもお構いなしだから、一緒になる奴は大変なんだよな……まぁ僕もその中の一人になるんだろうが。

 二人が喜ぶ影で、有宇はこれから先が不安になった。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 甘兎庵を出ると、外はもう日が沈みかけていた。

 思っていたよりあそこに長居していたようだ。

 

「ああ、もう夕方だね。まだ色々案内したい場所あるのに〜」

 

「でももう十分この街のことはわかりましたし大丈夫ですよ。今日はもう帰りましょうか」

 

「そっか、ならよかったよ。でも私でも今日みたいに迷っちゃったりするから有宇くんも気を抜いちゃダメだよ」

 

「大丈夫ですよ」 

 

 お前じゃないからな。

 

「にしても有宇くん、和菓子好きだったんだね」

 

「えっ?」

 

「だってすごく美味しそうに食べてたから」

 

「……そんなに顔に出てた?」

 

「うん、美味しいんだなって一目でわかったよ」

 

 いつも感情を素直に顔に出さないよう気をつけていたのに、何故か甘兎庵では色々と気が抜けていた。

 ココアに振り回されたせいで今日は色々と気が抜けているのかもしれないな。ココアにも不信感を抱かれてたし、これからはもっと本格的に気を引き締めなければならない。

 素の僕を知られるわけにはいかないのだ。自分が悲劇の少年だという嘘を固めるためというのもあるが、ここで上手くやっていくためにはその方がいい。

 本当の自分なんてものが、誰にも認められるはずないのだから……。

 しかし有宇がそう思った矢先、ココアが急に足を止めこう言う。

 

「……ねぇ有宇くん。今日さ、やっぱりいつもと雰囲気違ったよね」

 

「……え?」

 

 ……どうやらもう既に手遅れだったようだ。

 隠し通せていると思っていたが、そうはいかなかったみたいだ。あの後も兎に団子を取られて取り乱したりしたから、まあ当然といえば当然なのだか。

 迂闊だった。バカっぽいこいつらの前なら多少素の自分を見せたところでばれないだろうと高を括っていたが、僕が思ってた以上にこの女は勘が鋭いようだ。

 だが、それでも本性を見せるわけにはいかない。知られた所で得なんぞない。なら多少強引になろうとも隠し通させてもらう。

 

「きっ気のせいですよ、そんなこと……」

 

「そんなことあるよ。有宇くん、なんか私達の前だと素直じゃないっていうか……距離を感じるっていうか……。ねぇ有宇くん、もしかして私達に遠慮してるのかな?」

 

「えっと……」

 

 今日はなんだかいつも以上にしつこい。異を唱える暇も与えずぐいぐいきやがる。

 

「お世話になってるからとか気にしなくてもいいんだよ?私、有宇くんのこと弟だと思ってるし遠慮なんかしないで普通に接してくれていいからね。みんなもきっとありのままの有宇くんと仲良くなりたがってるし、もっとお姉ちゃんに素直でいてもいいんだよ」

 

 ありのままの……僕……?

 ココアのその言葉を聞いた途端、さっきまで素の自分を知られまいと焦っていた有宇の気持ちが、無意識に怒りへと変っていった。

 何を苛ついてるんだ僕は。ただ単にそうだね、悪かったよとか言って返せばそれでいいじゃないか。

 だが、ココアのその言葉は僕を無性に苛つかせた。

 ありのままの自分なんて好いてくれる奴なんていないことぐらいは理解している。昔の記憶は何故か薄れてしまって殆ど無いけど、物心ついたときから僕は素の自分を隠してきた。そうすれば皆僕を好きでいてくれた、認めてくれた。だから今までそうして生きてきた。

 だが今のココアの言葉はなんだ。そうして生きてきた僕を否定するのか?それにありのままの僕と仲良くなりたがってるだって?お前ごときが……僕の何を知っている。

 ココアとしては気を使ったつもりかもしれないが、有宇にはその言葉がただただ無性に腹立だしかった。

 いつもならどんなにイラッとしても我慢して表に出すことはない有宇だったが、学校を辞めさせられ、家を追い出されたりと、ここまで積み重なってきた多大なストレス、今日一日の疲れ、それらが相俟って溢れ出す怒りを鎮めることは有宇自身にはもうできなかった。

 

「……本当の僕ってなんだよ」

 

「えっ?」

 

「会って間もないお前が、一体僕の何がわかるって言ってんだよ……。ありのままの僕だと?なんにも知らないくせに……お前ごときが、僕を知ったかのような口を利くなぁ!!」

 

 有宇はココアに向けそう激昂した。

 あぁ……終わった。ここに来て僅か一週間で、今まで築き上げてきた悲劇の美少年像が崩れてしまった。

 そして有宇は、大声で叫ぶなんて慣れないことをしたものだからはぁはぁと息を切らせる。

 ココアの方はというと、突然大声で怒鳴られて面を食らっている。

 有宇が息を落ち着けると、ココアは突然のことに動揺しながらも、有宇を気遣う言葉をかけた。

 

「その……ごめんね、変なこと言っちゃって。でもね、私……あっ私だけじゃなくてチノちゃんやみんなも、有宇くんと本当に仲良くなりたいなって思ってるんだよ。だからもっと有宇くんに近づけたらなって。でも有宇くんの気持ちを考えないで変なこと言っちゃったね。ごめんね。でもできたらこれからも仲良くしてほしいな」

 

 気を遣ってるのか?

 まぁ一緒に暮らすのに、このままってわけにはいかないもんなぁ。でもそれだってある意味素を隠してるって言えるだろうに、よくまぁ僕に偉そうに言えたもんだな……本当、笑わせる。

 それから有宇はココアに背を向けて言い放つ。

 

「……大声出して悪かったな。けど僕のことはもう放っておいてくれないか?」

 

「え、どうして?気に入らない所があったら直すよ!私、有宇くんと仲良くなりたいよ!今日だって有宇くんと仲良くなるために、その時間が欲しくて街案内をしようって思ったんだよ!」

 

「そんなの知るかよ。そもそもシフトだって別々だし、一緒に住むってだけでわざわざそんな関わる必要もないだろ。こっちもお前らに気を遣うの面倒なんだよ。大体、今ので僕がお前らと気の合うようなやつじゃないってことぐらいお前でもわかるだろ?だからもう僕のことは放っておいてくれ!」

 

 ココアの方だって今のを見て、本当に僕と仲良くしたいだなんて思わないだろうし、これがお互いのためだろ。

 元々こいつらとは気が合いそうじゃなかったし、こいつらと仲良くやってくとか端から無理な話だったんだ。

 有宇はそう考えることで、ココア達との関係を築いていくことを諦めることにした。しかし、ココアから返ってきた答えは有宇の予想に反したものだった。

 

「放っとけないよ……」

 

「は?」

 

「そんなの……放っておけるわけないよ!!」

 

 ココアは声を張り上げて、有宇にそう言い返した。

 いつも騒がしくてふざけているやつのくせに、この時のココアの声には、()しもの有宇といえども、普段からは考えられないほどの真剣さを感じ取った。

 

「だって放っといたら有宇くん、ひとりぼっちになっちゃうよ!そんなのダメだよ!」

 

「一人で何が悪い!お前にそんな事心配される筋合いはない!」

 

「あるよ!だって私………私たち友達だもん!」

 

「友達って……まだそんなこと言ってんのか?言っておくが僕はお前らを友達だと思ったことは一度もない!」

 

「有宇くんは思ってなくても私はあるよ!」

 

「なっ……!」

 

「だから友達を、有宇くんを放ってはおけないよ!」

 

 なんでこいつは今の僕を見てそんなこと言える。普通の女子なら素の僕を見たらもうとっくに引いてるところだろ。

 変わってる奴だとは思っていたがここまでとはな……。

 

「悪いが僕に友達なんか必要無い」

 

「嘘だよ、だったら有宇くんはどうして自分を隠してたの?」

 

 どうしてだと?そんなの決まってる。

 歯をぎしりと噛み締めてから有宇はココアに向け言い放つ。

 

「……ありのままの僕なんて誰が認めてくれんだよ。傲慢で自分勝手!自分のためなら他人を平気で蹴落とせる人間、それが僕だ!そんな人間の素顔を知って誰が認めてくれるってんだよ!?」

 

 大声を出したせいで「はぁ……はぁ……」 と再び息を切らせる。その様子を見て、通りかかる人が遠目から僕達を好奇の目で睨みつけてくる。

 今の僕は滑稽か。滑稽だろうな。女一人に当り散らしてる惨めな男だよ僕は。

 しかしココアは今度は動揺もせず、ましてや笑いもせず、真剣に有宇をまっすぐ見つめていた。

 有宇はそんなココアの真っ直ぐな視線など見向きもせず、息を整えると再び自分の心の内を吐き出した。

 

「そんなの僕自身が今まで生きてきて一番理解している。けどな、誰にも認められない人間は社会からハブられて惨めにすごさなきゃいけない。でも僕は違う!僕はルックスはいいし、外面さえ保てばそれだけで人が集まり、人に認められる人間になれる!だからこそ僕はルックスに見合う行動を振る舞って、周りの奴らの期待に応えてきたんだよ!でもそうすればみんな僕を賞賛してくれる!認めてくれる!友達とかそんなのどうだっていい!対等な人間なんかいらない!僕を認めてくれる、褒め称える人間さえいれば、あとは蹴落とそうが何しようがどうだっていいんだよ!!」

 

 そうだ、人に良く見られればそれだけでステータスだ。それだけが僕の望む理想なんだ。

 大体、僕の素顔なんて知ったところで誰も特なんかしないし、僕自身も不幸になる。それだったら素を隠して周りの望む理想の乙坂有宇を演じた方がいいじゃないか。それでみんな幸せになれるのならそれでいいじゃないか。

 そしてそこに対等な友人関係など必要ない。対等と名ばかりで裏で何考えてるかわからん友達という名の他人より、何も知らずただただ理想の乙坂有宇に酔いしれてくれる人間の方がよっぽど僕にとっては必要なのさ。僕という人間を引き立ててくれる舞台装置として。

 そして有宇の答えを聞くと、ココアのまっすぐと見据えていた瞳は曇りがかり、悲しそうな顔を浮かべた。

 

「そんなの、誰も幸せじゃないよ……」

 

 その言葉に有宇は再びイラッとした。そして躍起になって再び怒鳴り返す。

 

「んだよ……何が悪いってんだよ。大体素を隠してる人間なんか他にいくらだっている!僕はそれが悪いだなんて思わない!皆本当の自分を知られるのが怖いんだ!自分の本性を知られて嫌われるのが怖いからだ!皆生きるために自分を押し殺して、周りの人間が抱く理想の自分を演じてるんだ!馬鹿正直に生きたって誰も得なんかしないし、傷つくだけじゃないか!?それの何が悪い!!」

 

 思いの丈を思いっきりぶちまけた。

 そうだ、どんなに顔が良くても僕は人に良く見られたいだけの醜い人間なのかもしれない。でもそれは何も僕だけじゃないだろ?

 みんなそうだ。みんな自分の醜さを自覚しているから自分を偽り、周りの思う理想の自分を演じるんだ。

 だが凡庸な一般人はそれを理解してるつもりでもその本質を理解していない。心のどこかにスキをみせる。この人は信用していいんだと。それがこの女の言う友達という名の他人の正体だ。

 きっとこの女は友達というやつは互いに信頼し合い、互いの孤独を癒やす素晴らしい人間関係だとでも思い込んでいるのだろう。バカめ、現実がそんな素晴らしい甘い幻想のようにいくはずがないだろ。

 皆一人になるのが怖くて、その孤独を埋めるために形だけの友達という他人を入れてしまう。

 そんなことをしてなんになる。確かにそれで一時の孤独は癒せても、そんなもの本当に一時的なものに過ぎないのだ。

 そもそもこっちが対等なつもりでも向こうがそう思ってる保証なんてどこにもないし、自分は向こうを理解しているつもりでも、実際はその理解から外れた人間であることだってある。友人関係とは実に脆く、そして不明瞭なものだ。

 全ての友人関係がそうだというわけではないのかもしれない。だが一度その心を許した人間と仲違い、いや、仲違いならまだいいだろう。それが裏切りであるならばどうだろうか。

 友人というものは、この人は信用できるとばかりに心にスキを作ってしまう。何もなければいい。だが、心にスキを見せた分、そこを突かれた時は赤の他人に心の領域を侵される時より心に穴を開けることだろう。心だけで済めばいい、それは時に現実の地位すら奪われてしまうときだってあるのだ。

 僕もかつて、友人ではないがそれ以上の母親という存在に信頼を寄せていた頃があった。親の愛は無償の愛というぐらいだし、母さんは僕達を愛しているものだとそう信じていた。子供の頃の僕は母さんが好きだった。ずっと側にいるものだと思ってた。

 だが現実はどうだ!父さんと離婚した途端、あの女は僕と歩未をおじさんに預けて姿をくらましたのだ。捨てたのだ!自分の息子と娘を!ずっと一緒だとあれだけ!あれだけ信じていたのに母親(あいつ)は簡単に我が子を捨てて逃げたのだ!

 人間が最初に築き、最も重要とする共同体たる家族という関係ですら裏切り、いとも簡単に壊れてしまうというのに、友人だとかいうそんな不明瞭で脆く壊れやすいもので、己の孤独を埋めようなんて実にバカらしい。

 僕は違う。僕が他人に求めたのは評価だ。ルックスのいい僕はまず見た目の評価は言うまでもなく高い。見た目というのは第一印象の評価に繋がる。第一印象で既に周りの同性の奴等より優位に立つ僕は、周りの人間が抱く理想を演じ、ひたすらに評価を上げた。

 するとどうだ、心のスキを見せることなく僕は人から認められ、孤独でありながらも孤独を癒やすことに成功している。

 もちろん、そんな僕を妬む人間もいるだろう。だが、スキを作らなければそんな奴等どうにもなるし、邪魔するのであれば優位性を利用して蹴落としてやればいい。

 そうだ、これは生きるための知恵だ、手段だ。周りの理想を演じ、邪魔になるやつは容赦なく蹴落としてきた。僕はこうして生きてきたんだ。

 もっとも、結局のところ僕は失敗してしまった。でもそれというのも僕に宿ったこの使い勝手の悪い特殊な力なんかに頼ったせいだ。それこそが僕があの陽野森の学校で見せてしまった唯一のスキだ。

 だから決して、僕の生き方が間違いだったなんて誰にも言わせないし認めない!!のほほんと優しい日常を生きてきただけのお前なんかに、僕の生き方を否定なんかさせるものか!!

 するとココアが静かに口を開いた。

 

「……確かに、そうなのかもしれないね」

 

 そうだ、僕は間違ってなんかいない。

 

「でもね、辛くない?」

 

「何が」

 

「私だって誰かに嫌われたくないし、有宇くんの気持ちはよくわかるんだ。でもね、ずっと自分を隠し続けるのは辛くない?有宇くんだってありのままでいたい時だってあるんじゃないかな?」

 

 その言葉に有宇は図星をつかれ動揺する。有宇もまた素の自分を隠し続きることに苦痛を感じたことはあるのだ。

 

「私は辛いと思うな。私もシャロちゃんを見習ってお嬢様の真似したことあるけど、結構難しいんだよね。皆にも似合わないって言われちゃうし。それになんか自分と違う誰かを演じるってうまく言えないけど……なんかすごくもどかしいく感じるんだ」

 

 しかし、それを聞いて有宇はイラッとした。

 

「……そんな真似事と僕の話を一緒にするな!」

 

 僕がしてるのはそんなごっこ遊びじゃない!

 僕だって本来なら素を隠さずに過ごしていけるならそれがいい。けど、そんなことしたらこう言われるだろう。「顔はいいのに中身は……」とか、「あいつは顔だけだ」と。一度(ひとたび)弱みを見せればそうやって周りから揶揄されるんだ。

 だからこそ僕は本気で誰かを欺いて、周りを認めさせてきたんだ。それが例え本当の僕でなくとも、僕という人間が認められるならそれでいいと思ったからだ。

 しかしココアは有宇の怒声に臆せずに続けた。

 

「うん、だからね、真似事じゃなくて本気で自分を隠してきた有宇くんはきっとすごく辛かったんじゃないかなって思ったんだ。真似事でもこんなに大変なんだもん。シャロちゃんもよく学校でお嬢様の振りするの苦労してるって言ってたし。だから有宇くんがどれだけ大変だったのかはわかってるつもりだよ。でもだからこそ、自分が自分でいられる場所って必要だと思うの。せめて、自分の信頼できる誰かの……そう、友達とかの前ではありのままでいてもいいと思うんだ」

 

 ……シャロ云々の話は知らないが、ココアの言い分は分かった。だけどな、ココア、それは簡単なことじゃない。

 

「そんな奴、僕にはいない」

 

 そうだ、僕にはそんな奴なんかいない。

 唯一、僕が信頼を寄せることのできる人間がいるとすれば、それは妹の歩未だ。歩未だけは昔から僕の味方でいてくれた。僕を好きでいてくれた。母親(あいつ)がくれなかった物を、歩未は沢山くれたんだ。

 妹の歩未以外に、僕が誰かを信頼したことなどない。そしてその歩未も、今はもう僕のもとにはいない。

 だからもうこれから先、僕が誰かを心から信頼することなんてない。現に僕だって他人の悪意によって蹴落とされたからこそこんな所にいるんだ。

 みんな同じだ。友達だろうがなんだろうが、本当に信頼できるやつなんかいない。それこそ家族だってそうだ。両親(あいつら)だって、僕と歩未を捨て姿を(くら)ましたんだ。だというのに、誰を信じられるというのだろう。

 するとココアはにこっと笑う。

 

「いないなら作ればいいんだよ」

 

「そんな簡単にいくわけないだろ」

 

 そんな簡単に作れるぐらいなら端から苦労しない。

 だがココアは自信満々に答える。

 

「簡単だよ、私たちと友達になればいいんだよ」

 

「は?」

 

「有宇くんは私たちを友達じゃないって言ったけど、私は有宇くんと友達になりたいな。私だけじゃなくてチノちゃんやみんなもきっとおんなじ気持ちだよ。有宇くんが自分をさらけ出すのが怖いならそれでもいいよ。でもね、自分を隠し続けるのが辛くなった時は遠慮なんかしないで。私たちの前では素直でいてもいいんだよ」

 

 そして最後にこう言う。

 

「だからね有宇くん、改めて私と友達になってください」

 

 そう言ってココアは僕に手を差し出した。

 僕の素顔を知って、あれだけ友達なんかいらないと拒んだにも関わらず、そんなこと言い出したのはこいつが初めてだ……。

 しかし、有宇はそれでもココアを信用しようとは思わなかった。

 

「……なんで僕にそこまで構う」

 

「えっ?」

 

「僕の本性を知っていながらなんでそこまでして僕に構う。さっきも言ったが、明らかに僕がお前らと気が合うような奴じゃないってことぐらいわかるだろ?」

 

 そうだ、昨日までの僕は一般的に従順な美少年だったわけだが、それがいきなり変貌し、今まででは考えられないぐらいの暴言を吐き、性格の悪さを露呈した。それを目の当たりにしてなぜ友達になろうだなんて言える?

 普通ならそんなの考えられないし、疑いにかかるのは当然だ。何か裏があるに違いないと。

 しかしココアは顎に手を当てこう返す。

 

「う~ん、有宇くんは私たちとは気が合わないって言ったけど本当にそうかな?」

 

「えっ……?」

 

「私は有宇くんとならうまくいくと思うんだ。確かに有宇くんは私の周りにはいないタイプの人だけどさ、うまくいかないってことはないと思うんだ。ほら、私達って自分で言うのもあれだけど普通じゃないでしょ?だから有宇くんみたいな普通な人が来てくれたら助かるかなって。あ、そうしたらツッコミにも困らなさそうだし、千夜ちゃん喜ぶかも!」

 

 それを聞いて只々唖然とした。

 

「……そんな理由で?」

 

「そんな理由っていうけど、友達になるきっかけなんてほんの些細なきっかけででいいんだよ」

 

「けど、こんな僕の性格を知っててそんな……」

 

 するとココアが人差し指を有宇の口に当て、有宇の言葉を遮った。

 

「あんま自分のことをこんななんて言っちゃだめだよ。確かに有宇くん、素になると口悪くなるけど、思ったことを正直に言ってくれるよね?思ったことを素直に言われちゃうと傷つくこともあるけど、でも正直に言ってもらえた方がいい時だってあると思うんだ。自分はこんな風に思われてるんだなって再認識できたり、こういうところは直した方がいいんだろうなって反省できるし。それに自分を繕うことだって、建前だけでも人に優しくできることは私はいいことだと思うよ。ほら、有宇くんのいいところ、探せばいっぱいあるでしょ?だから自分のことこんななんて言っちゃだめ」

 

 ココアに諭され、有宇はさっきまでのココアを拒もうとしていた気持ちが揺らぐのを感じた。

 ああ、そうか。こいつにとっては僕の性格の悪さなんて些細なものなんだろうな。

 どんなにひねくれた人間であってもそれを個性として認識して、一見欠点だと思われることでも長所として捉えてしまう。なんてポジティブな奴なんだ。

 これは、本当の僕自身を認めてもらう最後のチャンスなのではないかと思った。これを逃したらもう僕は誰にも認めてもらえないのではないかと。

 確かに友達なんてものは不明瞭で脆く壊れやすいものだ。だが今更何が壊れるっていうんだ。無償の愛を与えてくれるはずの親も、僕を褒め称えて認めてくれる他人も、僕にふさわしい才色兼備な彼女も、僕の唯一の理解者である歩未も、もういないんだ。

 落ちるところまで落ちたんだ、今更これ以上落ちることもないだろうし、だったら、こいつを信じてみてもいいんじゃないかと、そう思えたのだ。

 ココアの差し出す手を取ろうと手を指し伸ばす。しかしその時、あることが頭を()ぎった。

 いや待てよ……そうだ、忘れていた。こいつは知らないじゃないか、僕がしてきたことを。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 ココアと最初に会った時、僕は嘘をついた。自分が不遇な家庭環境にいたという嘘の身の上話を。

 そうだ、それでココアの同情を買い、今に至るわけだ。だとしたら、こいつが僕に対してポジティブに接してくれたのは、単に僕の嘘の境遇に同情しただけなんじゃないか?

 結局こいつも本当のことを知ったら、周りの奴らと同じように、僕を軽蔑するかもしれない。いや、きっとそうする。いくらこいつでも悪さを働いた人間を擁護しようとは思わないだろう。

 そして、有宇は自分の中でココアの優しさにより(ほぐ)れつつあった気持ちを引き締めた。

 そうだ、なら僕が今するべきことはこいつの手を取ることではなく、こいつの真意を探り鼻を明かしてやることだ。

 そのためにも、こいつについた嘘を撤回し、本当のことを言わなければならない。

 本当のことを言えばこいつも手のひら返した態度をとるに違いない。そしてそれがマスターの耳にも届いて店をやめさせられるかもしれない。

 だがそれでも、僕はこの女が僕にやってのけたように、こいつの素顔を暴いてやりたいと思った。それで人間なんて信用するもんじゃないって、僕がやってきた事は間違っていなかったと、改めて再認識するんだ。

 そして有宇は静かに口を開く。

 

「……あのさココア、お前にいつか言ったよな、僕の家のこと」

 

「え?う、うん。お父さんのことでその……苦労してたんだよね」

 

「ああ、でもそれ全部嘘だから」

 

「え!?」

 

「高校通わせてもらえなかったって言ったけど、本当はこの前まで高校にも普通に通ってた。結構な有名校に通ってたけど、入試でカンニングしたことがバレてさ、退学になったんだ。それで親権者のおじさんにもバレて口論になってさ、仕舞には喧嘩になって家を追い出されて、それから色々あってこんな田舎街に流れ着いたわけだ。そもそも僕の両親はとっくにいないし、親権者のおじさんも遠くに住んでるからもちろん家庭内暴力とかないし。だから、お前に言ったあの話は全部デタラメだから」

 

 ココアは戸惑っている様子だった。

 まぁ当然だろう。僕を悲劇の少年だと思いこんでいたからこそ、こんな僕を認めようとしてくれたんだから。それはそれで正直嬉しかったよ。

 けど、これが本当の僕だ。自分の為なら何でもやる。自分のことしか考えてないし、その為なら平気で他人を蹴落とすし嘘もつく。

 だから決してお前らのような純粋な奴らと一緒にいられるような人間じゃないんだよ、僕は。

 

「……本当なの?」

 

「ああ、ていうか明らかに嘘くさい話だったろ。逆によく騙されたよなお前ら。本当、馬鹿正直にも程があんだろ」

 

 有宇はその場でゲラゲラ笑い出した。すると、先程までと違いココアはムッとした顔をする。

 すると急に距離を詰めてきて、そして────

 

 

 

 

 

 ベシッ!

 

 

 

 

 

 ───……思いっきりチョップされた。

 

「……ってぇな、何すんだよ!」

 

「これでおあいこ」

 

「はっ?」

 

「有宇くんも私に嘘をついたからこれでおあいこ。全くもう!お姉ちゃんに嘘をつくなんてお姉ちゃんぷんぷんだよ!」

 

 そう言うとココアは頬を膨らませ腕を組み、有宇から背を向けてぷりぷり憤っていた。

 

「怒らないのか……?」

 

「怒ってるよ!もうプンプンだよ!」

 

「いや、そうじゃなくて……それだけか?」

 

「えっ、何が?」

 

「いや、もっとなんか言われると思ったから……」

 

「言うって何を?」

 

「だからほら、嘘つき野郎だとかカンニング魔だとか……」

 

 そう言うとココアは再びこちらに向き直り、話し出す。

 

「だって有宇くんはもう罰を受けたんでしょ?」

 

「え?いやまぁそうだけど……」

 

 学校を退学させられたことを言っているのなら一応そうなる。

 

「だったら私から言うことは何もないよ。それは私の問題じゃなくて有宇くんの問題でしょ?」

 

「でも僕が悪人だってことは分かっただろ?だったらなんで……」

 

「じゃあ有宇くんに一つ聞くけど、もしまた有宇くんが学校に通えるようになったとしたら有宇くんはまたおんなじことをする?今度はちゃんと正直に答えてね」

 

 もしまた学校に入ったら……か。有宇は考える。

 依然として僕に宿った力はまだ健在だ。だからもし、また学校に入る機会があればまたカンニングをやろうと思えばやれる。

 だけど、一度失敗した手でまたやろうとは思わないし、流石にもう僕も懲りた。

 

「……いや、もう流石に懲りたよ」

 

 そう答えるとココアはニコッと笑う。

 

「うん、有宇くんもちゃんと反省してるみたいだし、私から言うことはなんにもありません!」

 

「けど……!」

 

 僕は納得いかなかった。

 だって過去にやらかした奴をなんでそんな簡単に迎える?

 僕だったらもし知り合いがそんな奴だとわかったら軽蔑するし、縁も切る。たぶん他の人間だって同じだろう。

 そもそも過去に何かしらやらかした奴が、この先何かしない保証なんてないわけだし、一般人より信用できないのは明白だろ?

 なのに、こいつは何でそんなこと言えるんだよ。

 するとココアが答える。

 

「ねえ有宇くん、もしかしてだけどカンニングしたことが一番許せないのは有宇くん自身なんじゃないかな」

 

「えっ……?」

 

 僕自身が、一番許せない……?

 何を……言ってる?

 

「有宇くんはさ、何が納得いかないのかな?」

 

「それは……だっておかしいだろ。普通だったら軽蔑するのが当たり前で……」

 

「じゃあ軽蔑されるって思ったのにどうして私に話してくれたの?」

 

「それは……僕はお前の思ってるような奴じゃないって証明してやろうとしただけで……別に他意はない」

 

「そうなんだ。でもそれってカンニングをしてしまったことで、自分がとてつもなく悪い人間だって、有宇くん自身でそう思ったからじゃないのかな。確かに有宇くんのやったことは悪いことだけど、そうやって過剰に反応してるってことは、本当は自分の中で悪いことをしたっていう自覚があるんじゃない?」

 

「……やめろ」

 

「だから嘘をついたまま、偽りの自分を認められるのが怖かったんじゃないかな。自分の過去と、自分のついた嘘に押しつぶされるのが怖かったんだよね……」

 

「うるさい!!やめろ……!!」

 

 つい大声を荒らげてしまった。

 

「やめてくれ……」

 

 そして有宇は顔を手で覆い、俯いてしまった。

 ココアには多分全部お見通しなんだろう。けど、ココアが僕の心を見透かすように話すのが、たまらなく怖かった。

 

「ああ、そうだよ。本当は悪いことだっていうことぐらいわかってる……あぁ、わかってたさ……!!でも僕は頭が悪いし、こうでもしなきゃ上にあがれないんだよ!!誰にも認められないんだよ……!!」

 

 きっとココアの眼に映る僕は、まったくもって情けない姿だろう。僕はその場に(うずくま)り泣き言を言った。

 するとココアも腰を下ろし、踞る僕の目線に合わせて優しく話しかける。

 

「上にあがれなくたっていいじゃん。認められなくたっていいじゃん。頭が良くなきゃ認めてくれない人なんかに、有宇くんが振り回される必要なんかないよ」

 

 その言葉を聞くと、有宇は顔を上げ、ココアの顔を見つめた。

 ココアの表情は穏やかで優しく、どこか安らぎすら感じた。

 

「ねぇ有宇くん、有宇くんがどんな人であっても、離れていく人はきっと離れていっちゃうんだと思う。出会って三秒で友達が理念(モットー)の私にだってきっと、全ての人と仲良くなるのは難しいのかもしれない……」

 

 そう言うとココアは表情を曇らせた。しかし「でもね……!」と続けると、ココアの顔がすぐにぱっといつもの明るい笑顔になる。

 

「誰かの理想を演じた偽物の有宇くんじゃない、本当の有宇くんを好きになってくれる人がきっといる!君の味方になってくれる人は必ずいるよ!」

 

 離れていく奴は離れていく。けれど、そうじゃない奴もいる。

 人なんて、何かしらのきっかけや繋がり、その人間と付き合っていく上でのメリット、そんな物で繋ぎ止めて置かなければ離れていくものだとばかり考えていた。

 でもココアは違う。繋ぎ止めるまでもなく離れて行く奴は離れて行くのだと。それでも、側にいるべき人間は近くにいるのだと。

 綺麗事だと思う。離れて行く奴は離れていくだろうけど、近くにいるべき人間なんて、そもそも端からいないことが殆どではないのかと。

 でもそうだな……僕はそんな事、考えたこともなかったな……。

 

「有宇くんには有宇くんのできることがある。そんな有宇くんを好きになってくれる人だってきっといる。だから無理しなくたっていいんだよ。それにまだ終わりじゃないよ」

 

「え?」

 

 そう言うとココアは立ち上がり、大きく手を広げてみせる。

 

「有宇くんにはこれから先、まだまだたっくさ〜ん時間があるんだよ?まだ全然やり直せるよ」

 

「けどそんなの……」

 

「わかんないよ。でもそんなのみんな一緒だよ。みんなこれからのことなんてわかんないよ。だからこれから変わるも変わらないも、やり直すもやり直さないも有宇くん次第だよ」

 

「僕次第……」

 

 僕次第でこれから先が変わる……?

 確かに変われるかもしれない。けど、ただでさえどん底に落ちてしまったのに、これから先変わっていけるのか?いや、不安しかない。

 

「私は信じてるよ」

 

 ココアは踞る僕を真っ直ぐに見つめて言う。

 

「信じる……?」

 

「有宇くんがこれから先、ちゃんと変わっていけるって、やり直せるって信じてる。だから有宇くんも自分を信じて。私も、みんなも応援するから、ね?」

 

 そう言うとココアは僕に手を差し出す。

 だがそれでもその手を取ることはできない。

 

「お前が信じてくれたって、他に誰が信じてくれんだよ……。お前が認めてくれたって、それこそお前の周りの連中が僕を認める確証なんてないだろうが……」

 

 ココアはきっと、僕みたいな人間でも信じて、そして無条件で認めてくれるのかもしれない。

 でも他の連中は違う。それこそ、チノやリゼ、千夜やシャロがココアと同じように本当の僕を知った時、ココアと同じように僕を認めてくれるとは限らない。

 ちゃんと変わったところで、やり直したところで、そんな僕を認めてくれる人間が他にいないのなら、やり直す意味なんてないじゃないか。

 

「確かに確証はないけど、でもね有宇くん、人の気持ちに絶対はないよ」

 

「それは、そうだろうけど……」

 

「人の気持ちに絶対はない。それはきっと、有宇くんが人を拒絶してきた理由なんだよね。人の気持ちは見えないから、上手くやっていけるか不安で、壊れちゃうのがとても怖い。私もたまにチノちゃんの事怒らせちゃったりするし、上手くお姉ちゃんとしてやってるのか不安に思うときもあるよ」

 

 ココアの表情に曇りが生じる。

 ココアもまた程度の差はあれど、人間関係に不安を感じる時はあるのかもしれない。基本的にポジティブな女ではあるが、何も考えていないわけではない。人間関係に悩むときもあるだろう。

 それこそ今こうして僕と話している時だって、僕との関係を断ち切らせないために必死で繋ぎ止めようとしている。こいつもこいつなりに人の心を繋ぎ止めるのに必死なのだ。

 ポジティブであっても、悩みがないわけではないのだから。

 そしてココアは続ける。

 

「でもね、だからこそ人は信じ合うことで絆を作りあげていくんだと私は思うの。不完全な関係でも、それを信じ合い乗り越えていくことで人と人は繋がれるんだって。私は有宇くんを信じるよ。だから有宇くんもみんなを信じて欲しいな」

 

 信じる……か。

 ココアが必死に紡いだ言葉を受けて、有宇は改めて考える。

 今まで妹の歩未以外に誰かを信じたことはなかった。親ですら僕らを捨てて逃げた。恋人にしようとした白柳弓ですら心の底から信じようとしたことはなかった。信じられる人間なんて、妹の歩未しかいなかった。

 そんな僕が……誰かを信じる?こいつを、こいつ等を信じていいのか?

 そんな疑念をまだ完全には払えなかった。

 すると、ココアと言い争っている間に、いつの間にか結構時間が経っていたようで、もう日が沈み、外は暗くなり始めていた。

 

「あれ、嘘!?いつの間にか真っ暗だ!チノちゃん怒ってるかも。ほら、帰ろ有宇くん」

 

 そう何もなかったかのようにココアは笑顔で有宇の手を取り、二人は帰路に就いた。

 話は途中で中断され、結局答えは出せず終いとなってしまった。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 ラビットハウスに帰るとマスターが出迎えてくれていた。どうやらバーの準備をしているようだった。

 マスターに挨拶すると、そのまま二人で二階にあがり、二階のキッチンへ行くと、チノが料理をしていた。そしてココアがチノに声をかける。

 

「ただいまチノちゃん」

 

「おかえりなさい、遅かったですねお二人とも。何かあったんですか?」

 

「ううん、ちょっと色々回ってたら遅くなっちゃった」

 

「はぁ、まぁココアさんが一緒の時点で大体想像してましたが」

 

「え〜それどういうこと」

 

 いつものようにチノはココアに毒づくと、今度は僕の方を見て言う。

 

「乙坂さんも、ココアさんにあちこち連れ回されてお疲れだと思いましたので、夕飯はもうこちらで作ってあります。お二人とも手を洗ってお皿の準備とかをお願いします」

 

「ああ……ありがとうチノ」

 

「? いえ、どういたしまして」

 

 そしてココアが僕の手を取る。

 

「じゃあ手洗いにいこっか有宇くん」

 

「ああ……」

 

 そのままココアに手を引かれたまま、手を洗いに洗面所へ行った。

 

 

 

 いつも夕食は適当に二人の会話に相槌を打ちながら食べてるのだが、この日の夕食は正直どう接すればいいのかわからず黙って食事に手を付けていた。

 もっともココアはいつものようにしゃべりっぱなしで、今日の事をチノに話していた。

 しかし僕との言い争い(ほとんど一方的に僕が突っかかってただけだが)のことに関しては一切触れていなかった。一応こいつなりに気を使ったのだろうか。

 チノも僕の様子がいつもと様子が違うことを知ってか知らずか、とくに僕に話を振るようなことはしてこなかった。

 そして食事が終わり風呂に入るとすぐに部屋に戻った。

 風呂の時にココアが僕に風呂が空いたことを言いに来たが、その時も特に何もなかったかのように、普段と変わらない様子だった。まるで今日のことを気にしてるのが僕だけみたいだ。

 そしてベッドに尻をつき、改めて考え込む。

 さて、これからどうするか。正直これからもこのまま猫被っていける気はしないし、かといって素の自分を出したところで……。

 そう思ったところでココアの言った言葉が頭を()ぎる。

 

『私は有宇くんを信じる。だから有宇くんもみんなを信じて欲しいな』

 

 信じる……か。なら僕は────

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 朝、いつものようにマスターと二人の弁当と朝食を作っていた。

 まだここにきて一週間程だが、大分料理には慣れてきた気がする。目玉焼きも形を崩さないように出来るようになった。マスターとチノの教え方がいいのかもしれない。

 朝食ができる少し前にチノは起きてきたが、あいつはいつも通りまだ寝ているようだ。

 朝食を作り終えると、チノは朝食を食べ始めた。しかしまだあいつは起きてくる気配はない。

 

「ココアさん、起きてきませんね。後で起こしに行かないと」

 

「いや、いいよ、僕が起こしに行くから」

 

「えっ?ですがココアさん簡単に起きませんよ」

 

「その時はその時だ」

 

 そう言って有宇はココアを起こしに、階段を駆け上がっていった。

 

「乙坂さん、なんかいつもと雰囲気が違うような……?」

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「すぴーすぴー」

 

 ココアの部屋に入ると、ココアは見事に爆睡していた。

 一応体を揺すってみるが起きる様子はない。

 

「パンが焼けたらラッパで知らせてね……zzz」

 

 またその寝言かよ!

 くそ、昨日は色々考えてて眠れなかったせいで寝不足だっていうのにこの女……ぶん殴ってやりたい。

 すると机の上にふと目が行く。そこにはピンクの音楽プレイヤーが置いてあった。

 こいつ、音楽とか聞くのか。

 どんな曲が入ってるのかと見てみると、最近流行りの曲とか、アニメの曲とかなんか色々入ってた。

 

「なんか色々入ってんな。あっこれ確か歩未の好きなアイドルの曲だったよな」

 

 確かハロハロとかいったっけ?よく知らないけど。

 そんな感じで見てると、ふとココアを起こすいい方法を思いついた。

 まずはココアの耳にヘッドホンを当て、それからヘッドホンを音楽プレイヤーに繋ぐ。そしたら音量を最大に設定して、あとは最後にこいつを鳴らせばいいだけだ。

 最も以前なら僕のイメージを崩してしまうのでこんな起こし方はできなかったのだが……。

 

「まっ、素でいろって言ったのはお前だしな」

 

 音楽プレイヤーのスイッチを入れる。

 するとこっちにも聞こえるぐらいの大音量でラッパの音が鳴る。

 

「ヴェアアアア!!何!?何なのー!?」

 

「起きたか、望み通りラッパで知らせてやったぞ」 

 

 つかヴェアアアアってすげぇ声だな……。

 

「え……有宇くん?」

 

「ああ、そうだよ。ほら、さっさと起きろよ、遅刻するぞ」

 

 するとしばらく目をぱちくりさせた後、ココアはフフッと笑い出した。

 

「何がおかしいんだよ」

 

「ううん、何でもない」

 

「? まぁいいや、さっさと着替えて降りてこい」

 

「はぁ〜い♪」

 

「……ったく」

 

 そう言うと有宇はココアの部屋を出た。

 別に僕はこいつの言葉を鵜呑みしたわけじゃない。でもどうせもう本性も知られたことだし、もう上辺を繕う必要はないと思っただけだ。

 でも何故だろう。この日はなんだかいつもより気分が清々しく感じられた。


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