幸せになる番(ごちうさ×Charlotte)   作:森永文太郎

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第41話、魔法のアンサンブル(前編)

「きっ……貴様っ!!ワシを強請るつもりかっ!!」

 

 有宇の突然の要求に、小次郎は激昂した。

 当然といえば当然である。いきなり金をよこせといって、金を出すバカはいないだろう。しかも孫を救えると言った直後に言うもんだから、「孫を救う代わりに……」と言って強請られてると捉えられても仕方のないことだ。

 しかし有宇は落ち着いた様子で小次郎を窘める。

 

「まぁ落ち着けって。別に報酬が欲しいわけじゃない。ただ少し金がかかるから経費をあんたに持って欲しいだけだよ」

 

「経費じゃと?そんなに金がかかるのか?」

 

「まぁ、二・三千円くらいかな?いや、もっとか?まぁ、ともかく高校生の財布事情的にその額の出費は少し厳しいんで、あんたに持ってもらいたい。もちろん、領収書も持ってくるし、それをなんのために使ったかの報告は入れる」

 

 そう言うと、小次郎は落ち着きを取り戻す。

 

「うむ……して、お主の考えたあの子を正気に戻す案というのは……?」

 

「それはな……」

 

 有宇は小次郎に、自分の考えた作戦内容を伝えた。

 

 

 

「なるほどな。正直そう上手くいくとは思えんが……」

 

 作戦内容を聞いた小次郎は内心、半信半疑の様子だ。

 

「何事もやってみなきゃわかんないだろ?とにかくやるだけやってみる。失敗したら、またそんとき考えればいいだろ」

 

「うむ、それもそうじゃな……じゃが、お主はそれでいいのか?」

 

「何がだ?」

 

「聞いた限りじゃお主、悪者を買って出るようじゃが……」

 

「あんたのやってきた自己犠牲よりかはよっぽどマシさ。言ったろ、僕は意味のない自己犠牲はしないって。こんなもん、屁でもない」

 

「そうか……わかった。経費はワシが出そう。その代わり、あの子をよろしく頼む」

 

「ああ、任せろ」

 

 こうして有宇は小次郎から出資を取り付けた。小次郎への配当は孫と祖父の対面と来たもんだ。

 やってやるさ。孫と爺さんが、また笑い合えるようにするためにも。そのためにも僕は手段を選ばない。

 帰り際に小次郎から「一応お主にも教えておく」と言って紙を渡される。そして小次郎の部屋を出て、小次郎から貰った紙を見る。

 それはとある場所を示した地図であった。地図によると、ここら辺ではないようだが、別に行ったことが無い場所ではない。

 有宇は老人ホームを出ると、早速駅に向かった。

 

 

 

 しばらく電車に揺られて、とある駅で降りる。そこは昨日、神北と一緒に行った湖の最寄り駅であった。神北は昔ここに住んでたというし、ここにあるというのも納得だ。

 ちなみに今回も特にここに来るまでの間に、眠気に襲われる等の妨害に会うことはなかった。これも存在Xの意図に沿った行動として認められたってことだろう。

 

 小次郎のメモに沿って歩いていくと、とある墓地に着いた。そして、沢山の墓石が並ぶ中を歩いていくと、ある墓の前にくる。そこには、『神北家之墓』と刻まれていた。ここに、神北拓也が眠っているのだ。

 有宇は誰もいない墓地で、その墓石に一人話しかける。

 

「よう、一応はじめましてになるのか?最も僕はあんたを知っているが」

 

 墓石は何も答えない。しかし有宇は話を続ける。

 

「僕はあんたの妹の後輩でね。今あの人大変なことになってんだよ。あんたのせいでな。あんたのかけた呪いのせいで妹さん、相当苦しんでるぞ」

 

 嫌味ったらしく、有宇は墓石に言葉を投げかける。散々迷惑かけられたんだ。嫌味の一つでも言わせろってもんだ。

 そしてすぐ自信に満ちた声でこう続けた。

 

「だが安心しろ。この僕があんたの不始末を拭ってやるんだ。精々あの世で感謝しろよ」

 

 有宇は墓石に向かってニヤッと笑いかける。しかし、当然墓石は何も言わない。

 

「言いたいことはそれだけさ。じゃあな亡霊、お前はもう死んだんだ。神北の前に二度と現れんなよ」

 

 そう言って有宇は墓地を立ち去ろうと、墓石に背を向けようとした。その時だった。

 

「ん、あの道着姿、謙吾か?」

 

 遠くに見える人影。謙吾だ。外でも道着なんか来てる奴、あいつを置いて他にはいない。

 なんでこんなところにいるんだ?こいつも神北のために、神北をなんとかする方法を見つけに来たのだろうか?それともここの墓地に家族の誰かが眠っているとかなんだろうか?

 前者ならともかく、後者だったら気まずいしな。ただでさえ険悪な関係が更に悪くなるし、声をかけるのはやめておくか。

 有宇はそのまま墓地を去っていった。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 学校に戻ると、有宇は携帯で各人に連絡を入れる。部室に集まるようにと。

 連絡を終えると、有宇は一足先に部室の方へと向かう。そしてしばらくすると、リトバスメンバーが続々と集まってきた。

 

「よし、全員集まったな」

 

 連絡を呼びかけた全員が揃ったところで、有宇がそう言った。すると、直枝さんが頭を傾げる。

 

「あれ?鈴がまだだけど」

 

「鈴さんはここには呼んでない。あと、これから話すことについても、鈴さんに伝えるのは無しだ」

 

「え、どうして?鈴だって小毬さんのことを心配して……」

 

「そんなことわかってる。いいから話を進めさせてくれないか」

 

 有宇がそう言うと、全員が鈴をここに呼ばなかったことを疑問を持ったが、取り敢えず何かあるんだろうと皆それに頷いた。

 

「して、有宇くん。小毬くんのお祖父様からは何か有力な情報は聞き出せたのかね」

 

 そして、来ヶ谷が今日の老人ホームでのことを聞いてくる。

 

「ああ、何でも神北先輩は大量の血や何かの死を見ると、兄の死をフラッシュバックして今みたいな状態になるらしい。今回はあの猫の死骸ってわけだ。もう何度もこういうことはあったらしいな」

 

「なるほどな。して、元の小毬くんには戻せるのかね」

 

「取り敢えずほっとけば元には戻るらしい。けど、また兄さんのことを忘れて、またきっかけがあれば今みたいになるようだがな」

 

「つまり根本的な解決方法はないということか……」

 

 来ヶ谷がそう呟くと、その場にいた全員が暗い顔を浮かべ始める。そんな最中、有宇はこう言った。

 

「いや、解決方法なら……ある」

 

 その一言に、一同全員が有宇の方を振り向いた。

 ここまで来たら後には引けない。そして有宇は覚悟を決めて、話を続ける。

 

「爺さんの話によると、神北先輩の婆さんも同じようなことになっていたらしい。なんでも爺さんの兄に想いを寄せていて、その死と同時に、今回の先輩みたいな状態になったんだとか。それで爺さんは自分の兄の代わりとなり、その生涯を支えてきた。その結果、婆さんは死ぬ三日前に、正気を取り戻したらしいんだ」

 

「つまり君がこまりくんの兄の代わりになるとでも言うのかね?」

 

 来ヶ谷が今の話を聞いて有宇にそう尋ねた。

 確かに今の話の流れからすると、そう思われても仕方ないがそうじゃない。

 

「まさか、生憎と僕はそこまでお人好しじゃないんでな。僕がこの話で言いたいのはそんなことじゃない。つまりは爺さんがかけた時間に匹敵する何かを神北に与えることができれば、神北を正気に戻せるんじゃないのかって僕は思ったのさ」

 

「何かって……?」

 

 理樹が、有宇のいう何かについて尋ねる。

 

「それはこれからわかることさ。さて、本題はここからだ。その何かを与えるためにも、これからお前等にはやってもらいたいことがある。やってくれるか?」

 

 有宇がそう呼びかけると、一同の顔が少しずつ明るくなっていく。そして一同が頷くと、有宇は早速指示を出した。

 

「まずは恭介、まずはこいつを見てくれ」

 

 恭介にとあるチラシを渡した。

 

「期間限定……ロイヤルプリンセスパフェ?」

 

「そう、なんでも今人気のカフェがこの側にあるらしくてな。そこで普通のパフェの三倍の値段はする超高級パフェがあるらしい。だが人気で平日でも超満員でな。明日先輩と行くからそこの席取っておいてくれ」

 

「まて、お前何するつもりなんだ」

 

「何ってデートさ。神北先輩と僕で明日一日デートする。そんでそこのカフェ、確かこの前先輩が行きたいとか言ってた気がするし、ちょうどいいかと思ったんだ」

 

「デッ、デートってなんで?」

 

 突然出てきたデートという言葉に、理樹が疑問に思い有宇に尋ねる。

 

「必要なことなんだ。いいからやってくれ」

 

 有宇がそう言うと、恭介はニヤッと笑い頷いた。

 

「わかった。店の予約は任せろ」

 

「ああ、頼んだ。ちなみにその店予約制じゃないから、なんとかしておいてくれよな」

 

「は?」

 

「じゃあ次直枝さん」

 

 後ろで「おい、乙坂!?」と恭介が文句を並べていたが、有宇はそれを無視して理樹に指示をする。

 

「直枝さんにはこいつを頼みたい」

 

 そう言って有宇は、持ってきていた神北拓也の絵本を理樹に渡す。

 

「これって、昨日有宇が言ってた小毬さんのお兄さんの絵本?」

 

「ああそうだ。だが今日の昼、あの人水たまりに落としてぐしゃぐしゃにしちゃったんだ。直枝さんにはそれの修復を……いや、そうだな。それとあと、絵本の続きを直枝さんなりに考えて描いてほしい」

 

「ええっ!?僕が描くの!?でも僕絵なんて……来ヶ谷さんとか絵上手いし、来ヶ谷さんの方が……」

 

「来ヶ谷と三枝は、絵は上手そうだが、ふざけたイラストと話描きそうだし、筋肉二人と鈴さんは絵とか全くダメそうだし、恭介は少年漫画みたいなの描きそうだしな。消去法で適任なのが直枝さんしかいない」

 

 来ヶ谷はなんでも出来そうな奴だし、絵もおそらく上手いだろう。三枝も直枝さんの話を聞いた限りじゃ、なんでも整備委員とかで器用そうだし、絵もそれなりにかけると思う。だがこの二人は色々と普段からふざけたことするし、そんな奴等に大事な神北拓也の絵本を預けるわけにはいかない。

 

 筋肉二人と鈴さんは論外。恭介は来ヶ谷同様なんでも出来そうな奴ではあるが、なんか僕の描いてほしいものとは違うもの描いてきそうだしな。それに、人と話す話術に長けた恭介だからこそ、店の予約の方をやって欲しかったというのがあるしな。

 というわけで直枝さんにやってもらうことにした。それに直枝さんなら、僕の描いてほしいストーリーを描いてくれることだろう。

 

「えっと、わかったよ。でも絵本の続きって?いきなりそんなこと言われても……」

 

「そうだな……じゃあテーマは友情。あとは直枝さんの自由に描いて欲しい」

 

「友情?うーん、そんなこと言われても……」

 

 突然絵本を描けと言われ、それも明日までという期限付きだ。責任も重大そうだし、絵本を描いた経験もなく不安に思うことだろう。引き受けるのを躊躇するのも無理はない。僕が直枝さんの立場なら絶対文句たらたらだっただろうしな。

 

 けど、どうしてもやってもらわなければならない。また神北が兄さんのことを忘れるまでにやらなきゃならないんだ。引き受けてもらわなければ困る。

 そして有宇はずるいと思いながらも、理樹にこう言って決断を迫る。

 

「神北先輩のためです。お願いします」

 

「……うん、そうだね。わかった、やるよ」

 

 神北のためと言われたらやらざるを得ない。僕が昨日、恭介にやられたことを、今度は僕が直枝さんにしたのだ。こっちも手段を選んではられない。引き受けてもらうしかないんだ。

 更に心苦しいことに、有宇は更に理樹にこう頼み込んだ。

 

「あと直枝さんにはもう一つ、明日芝居を打ってもらうことにも協力してもらいます」

 

「芝居?」

 

「直枝さんが適役なんです。詳しいことは後でメールします。こっちに合わせてくれればそれでいいので、特にセリフ覚えたりする必要はないので安心してください」

 

「う、うん、わかった」

 

 明日、直枝さんには軽い演技をしてもらう。本当に大した演技ではないんだが、絵本の執筆までやってもらう上に、こんなことまでしてもらうなんて、流石の有宇も申し訳無さを感じていた。けどこれも適役が直枝さんしかいないんだ。仕方あるまい。

 理樹への指示を終えると、今度は来ヶ谷、三枝の方に目を向ける。

 

「続いて来ヶ谷、三枝には鈴さんの誘導を頼みたい。明日当日に所定の時間、場所に鈴さんを連れてきて欲しい。もちろん、作戦のことは話さずに」

 

「鈴くんを?それは一体……」

 

「一番重要な仕事だ。頼んだ」

 

 来ヶ谷が疑問を口にするも、それには答えず有宇は二人に頼み込む。来ヶ谷と三枝は不思議そうに思いつつも、すぐにニコッと笑いかける。

 

「よくわからんが了解した」

「はるちんもりょーかい♪」

 

 二人は快く了承してくれた。さて、後は……。

 

「おい、俺達は?」

「ああ、俺も明日は部活を休んで協力するぞ」

 

 真人と謙吾への指示だが、特別こいつらにして欲しいことはないな……いや、でもそうだな……。

 

「真人、謙吾は直枝さんのサポートだ。絵本作成は一番手間だろうしな。協力してやってくれ。直枝さん以外にも、他のメンバーから手伝いを頼まれたらやって欲しい。あとさっきも言ったが鈴さんには今回の作戦は秘密にしなくてはならない。バレそうになったら、そのときはお前らで何とかしといてくれ」

 

「おう、任せた」

「ああ、任せろ」

 

 真人と謙吾は快く引き受けてくれる。こいつら直枝さん大好きみたいだからな。直枝さんの手伝いといえば当然断らないだろう。本当、男の友情通り越してホモ臭くて気持ち悪いな。

 さて、真人と謙吾はいわば雑用である。他のメンバーの補佐。あと万が一鈴さんに作戦がバレそうになったときの誤魔化し役だ。まぁ、こいつらに頼めることなんて限られてるし、こんなもんでいいだろ。

 そして全員に指示を終えると、理樹が有宇に聞く。

 

「それで有宇は何をするの?」

 

「さっきも言ったが、神北先輩とデートだ。あの人の兄さんのふりをして明日一日あの人と過ごす」

 

「それって小毬さんのお兄さんの代わりになるってことじゃ……」

 

「確かにそうだが、小次郎爺さんのしたこととは違う」

 

「違うって……?」

 

「それもまぁ、当日になればわかることだ。とにかくそういうことなんで、内容は詳しくは話せない。直枝さん達はやるべきことをやってくれればそれでいい」

 

 僕のすることに関しては、詳しくその内情が話せない。鈴さんのことも含め、今この時点でそれを知られれば、直枝さんのことだからこの作戦に反対する可能性がある。だから話すわけにはいないんだ。

 そして最後に、有宇は皆にこう言った。

 

「それと最後、来ヶ谷と三枝以外のメンバーにも、鈴さんを連れて行く所定の時間、場所を一緒にメールで伝えるから、行ける人は行って欲しい。そして合図が見えたら神北先輩の側に行ってあげて欲しい。そこからは各自思い思いに頼む」

 

「えっ、なにそれ!?色々とアバウト過ぎるよ!?それに合図って一体……」

 

「悪いが作戦概要は直枝さん達にも秘密にさせてもらう。今回の作戦、演技臭さが出るのは出来るだけ避けたいしな。ただ言えるのは神北先輩のことを考えた行動と言動を頼む」

 

 今回の作戦の鍵となるものには演技臭さはいらない。だからぶっつけ本番、その場での皆の神北への思いやりを込めた行動が必要になってくる。演技だと神北にバレれば、神北が正気に戻らない可能性が出てくるしな。

 

「それと合図だが、これも今は伏せておく。まぁ、とてもわかりやすい合図だ。神北先輩と僕が見える位置にいれば問題ないはずだ。敷いて言えば、鈴さんが何かしら動きを見せるはずだから、鈴さんの動きに注目しててくれ」

 

 有宇は理樹の質問にそう返答する。

 みんな、作戦の意図も目的も、何もわからなくて疑問に頭を抱えていることだろう。だがやってもらうしかない。無茶なのはわかってるがやってもらわなければならないんだ。

 みんなが困惑に沈黙する中、やはりあの男が声を上げた。

 

「作戦に必要なことはわかった。しかしその概要は俺達にも話せないことで、俺達にもわからないとはな……乙坂、信じていいんだな」

 

 そう言って恭介はジッと有宇の顔を見据える。その鋭い目つきにたじろぎそうになるが、ここで日和るわけにはいかない。

 

「ああ!」

 

 有宇は強く返事する。

 この作戦、一番必要なのは準備などではない。作戦準備は本番を形作るための舞台作りに過ぎない。これは……お前等の神北に対する思いが鍵となる。そこに、演技や準備は必要ない。

 何もわからないことだらけで不安かもしれない。お前達に作戦を話さないこの僕が言うのもあれだが、それでも、お前達が本当に神北のことを思うのであれば、僕を……信じて欲しいっ!!

 有宇の返事を聞くと、恭介は真剣な顔付きから一転、いつもの少年のような笑顔に戻る。

 

「わかった。じゃあお前等!これより、悲しみに暮れる神北に笑顔を取り戻させる、乙坂の作戦を開始する!ミッションスタート!!」

 

 恭介が皆にそう呼びかけると、その場にいた皆も「おおっ!!」と返事する。

 作戦はこの時を以て開始された。色々と不確定な要素もあり、また僕自身の考えが正しいとも限らない。作戦実施が確定した瞬間に少し弱気になる。

 

『要は何事も本気でやらなきゃダメってこと。時には色々壁にぶつかるかもだけど、諦めちゃったらそこで試合終了だよ』

 

 するとここに来る前、キャンプ場での野球の試合でココアに言われたことを思い出す。

 そうだな、何もしなければ何も始まらない。壁はあれど本気でやらなきゃ結果なんか残せない。そうだろ、ココア。

 

 ここにはいない彼女に向かって、心の中でそう語りかける。

 そして有宇は部室を出た後、早速部屋に戻り、皆への作戦指示の詳しい概要をメールした。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 翌日、作戦は朝からスタートする。寮を出て学食へ向かう神北に、有宇は早速接触を試みた。

 

「小毬」

 

 いつものように神北先輩呼びではなく、年上の知り合いが呼ぶように、馴れ馴れしく名前でそう呼んだ。

 

「お兄ちゃん!」

 

 やはり未だに有宇を兄と錯覚しているのか、神北は有宇の元へと駆け寄って行く。そしてそのまま兄にしていたように、有宇に思いきり抱きついた。

 

「どうしてここに?いつも別々に登校してるのに」

 

「なに、たまには小毬と一緒に登校するのも悪くないかなって思ってさ。朝まだだろ?お兄ちゃんと一緒に行かないか?」

 

 有宇が朝食に誘うと、神北は喜んで頷いた。

 

「うん!お兄ちゃんと一緒に食べる!」

 

「よーし、じゃあお兄ちゃんと行くか」

 

「うん!」

 

 そして神北は嬉しそうに、兄と錯覚した有宇と共に学食へと向かっていった。そして神北のその瞳は、昨日までの虚ろな薄暗いものではなく、光が戻っていた。

 いつもの神北のようだ……そうか、小次郎の爺さんはこうすることで、仮初の平穏を取り戻そうとしたのか……。

 こうして兄さんの代わりとして接することで、改めて小次郎爺さんの気持ちに共感できる。確かにこうしていると、神北拓也の死を知る前の神北と接してるような気分になる。

 

 にしても、神北の中で兄さんの設定はどうなってるんだろうか?確か神北と拓也の年の差は八つ違いだから、本来神北がこの年のときは、拓也はもうとっくに高校を卒業している年齢なんだがな。

 まぁ、その辺は都合よく神北の頭の中で設定が作られているんだろう。狂人の頭の中など考えたところで無駄だ。僕はただ、この一日、神北拓也として神北と一緒に過ごせばいい。そして……。

 

 隣で自分の腕に抱きつく神北を横に、有宇はこれからすることだけをただ考えていた。

 神北は、自分が兄だと思っている男が何を考えてるかも知らずに、ただ嬉しそうに笑っている。その笑顔を、隣にいる兄だと思っている男が壊そうとしていることも知らずに……。

 

 

 

 学食で神北と食事を取るときは本当に恥ずかしかった。食券を買うときも「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」、食券を学食のおばちゃんに渡す列に並ぶときも「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」、席で並んで食べるときも「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」ときたもんだ。恥ずかしいってレベルじゃない。

 

 周りからの視線がとにかく痛いのだ。きっと一昨日の笹瀬川のように、そういうプレイをしているように見えてるに違いない。だが一応、この学校全体に影響力を持つ恭介の手のもと、これは今度老人ホームのボランティアでやる演劇の練習ということにしている。それを信じていてくれればいいんだが……。

 

 そんな恥ずかしさでいっぱいの朝食を終えると、神北と共に校舎へと登校する。そして校舎で靴を脱ぐときのことであった。

 

「あれ、お兄ちゃん。そっち一年生の靴箱だよ?三年生の靴箱はあっちだよ?」

 

 有宇が一年の靴箱の前で靴を脱いだことに、神北が疑問を抱いた。

 どうやら神北の中では、今兄さんは高三ということになっているらしいな。確かに自分の兄が自分より年下なのはおかしいもんな。まぁ、寧ろ都合がいいか。

 有宇はにんまりと笑みを浮かべ、胸を張ってこう言った。

 

「実はな、お兄ちゃんは頭が悪くて留年してしまったのだぁ!」

 

「ええっ!?」

 

 神北が目を見開いて驚きの声を上げる。

 そりゃそうだろうな。神北拓也は、神北の話を聞いた限りだと、二年も留年するようなバカな男ではないようだからな。けど、だからこそ好都合というものだ。

 更に続けてこう言う。

 

「だから今、お兄ちゃんは小毬より一つ下なんだ。だからここがお兄ちゃんの靴箱で合っている。ほら」

 

 有宇は自分の靴箱を指差した。そこには確かに神北拓也の名前が書いてあった。シールを見た神北は「本当だ……」と呟いていた。

 一応、靴箱の名前のシールを予め貼り替えておいたんだが、役に立ったようだな。

 

 昨日恭介にメールしたとき、兄になりきるのであれば、持ち物とかの名前も念の為、神北拓也の名前にした方がいいのでは?と恭介に言われたのだ。

 そこまでする必要あるかと思ったが、今にして思うとやっておいて正解だったな。心の中で恭介に感謝する。

 

 それから神北と一年の僕の教室の側まで来る。授業があるので、ここで一度神北と別れる。

 

「じゃあ、お兄ちゃんはここだから。じゃあな、小毬」

 

「えっ……いや、小毬もお兄ちゃんと一緒にいる」

 

 やはり駄々こねてきたか。おかしくなったあの日も中々離れようとしなかったもんな。クラスメイトもいるし、さっさと自分の教室に戻って欲しいんだが。

 しかし有宇はそんな不満を抑えて、神北に優しく微笑みかける。それから神北の頭を撫でながらこう言った。

 

「そりゃお兄ちゃんも小毬と一緒にいたいけど、小毬までお兄ちゃんみたいに馬鹿になったら困るからな。小毬はしっかり自分の教室で勉強しないと」

 

 有宇がそう言うと、神北は不満気な顔を浮かべるものの、納得したようであった。

 

「……わかった。じゃあね……お兄ちゃん。お兄ちゃんも勉強頑張ってね。もう留年しちゃ駄目だよ」

 

「ああ、また後でな」

 

 そしてここで一度神北と別れた。神北と別れてすぐ、教室の側にいた蒼士が、気不味そうに声をかけてきた。

 

「よ……よう、有宇。今のは……なんだ」

 

 蒼士だけではない。クラスの連中までもが有宇に疑惑の眼差しを向けている。

 恭介の人望も、入学してすぐの一年までには届かないか。今後にも響くし、なんとか誤魔化さなくてはな……。

 

「なに、今度リトルバスターズで、老人ホームのボランティアに行くんだ。今の神北先輩の発案でさ、そこで劇をやることになって、僕が妹思いの優しい兄の役。神北先輩が後に兄の死を知る悲劇の妹役をやることになったんだ」

 

「そ、そうか。でもそんな話あったっけ……?」

 

「オリジナルだよ。リトルバスターズだぞ?既存の話でやるわけ無いだろ。で、その劇の練習も兼ねて、役になり切って過ごそうということで、今もこうして兄妹ごっこをしてるってわけだ」

 

 そう言うと、蒼士含めクラスメイト達も納得の様子を見せる。

 

「確かに、あんな往来で変なプレイするわけないよな……」

「それに乙坂くんがそんなことするわけないよね……」

「そういえば、あの先輩が町で募金してたの見かけたし、ボランティアに決まってるよね……」

「私も乙坂くんの妹になりたい……」

 

 皆口々に勝手にそう言っていた。……最後の言ったの誰?

 

 なんにせよ、クラスメイト達もなんとかできたようだ。そして教室で真人からのメールを開けると、鈴さんについても、こっちに勘付かないよう誤魔化したとのことだ。

 あれだけ学食で注目を集めていたからな。鈴さんにも僕と神北の異変に気付かれただろう。だがどうやらあの筋肉二人がなんとかしてくれたみたいだ。

 

 それに直枝さんの方も無事、絵本が完成したらしい。徹夜で作ってくれたそうだから、本当に感謝しかない。

 恭介の方も予約が無事取れたらしいからな。もっとも、その代わりあいつは今日一日タダ働きするらしいがな。取り敢えず前準備の方は完璧のようだ。後は僕が事を上手く運ぶだけだ。

 

 

 

 昼になると、いつも神北と会っている屋上に向かう。窓を乗り越えて屋上に降り立つと、既に来ていた神北が満面の笑みで有宇を出迎えた。

 

「お兄ちゃん来てくれたんだ」

 

「ああ!お兄ちゃんはいつも小毬のことを思っているからな!小毬がどこにいるかもお見通しなのだぁ!」

 

 お見通しというと、神北は「すごーいっ!流石お兄ちゃん!」と言っていた。けど本当はお見通しとかではなく、いつも二人でここに来ているから来ただけだ。

 なぁ、あんたは本当に全部忘れたのか……僕とここに来ていたことも……全部。

 兄と見られることで、乙坂有宇としての存在が神北から消えてしまったことに、有宇は若干の寂しさを覚えた。

 

「お兄ちゃん、それじゃあお昼食べよ」

 

「ああ、食べよ食べよ。で、小毬。今日のお前のお昼は?」

 

 有宇がそう聞くと、神北は何やら大きなタッパを取り出した。

 

「じゃん!ホットケーキ作ってきたんだ。お兄ちゃんも食べて〜」

 

 神北が取り出したのは、ホットケーキだった。昼飯……だよな?それに、そのホットケーキってもしかしなくてもいつかの激甘ホットケーキじゃないのか?

 神北拓也を完璧に演じるというのであれば、本来であればこれを食べなくてはならない。だが、僕の狙いは神北拓也を演じることではない。

 そして有宇は手に持っていたビニール袋を見せつける。

 

「悪い、購買で弁当買ったんだよ。これ食べるから」

 

「ええっ!?」

 

「まぁまぁ、僕の大好物のおろし竜田弁当だったんだ。仕方ないだろ?」

 

 なんかこんな会話、前にもした気もするが。……まぁいいか。

 すると神北は「お兄ちゃんとお昼……」と涙目になる。

 

「なに、ホットケーキは小毬が全部独り占めにできるんだぞ。いいじゃないか」

 

「うん、でも私、一人で食べるよりお兄ちゃんと食べたかった……」

 

 その言葉に、有宇は若干心を動かされる。それは、自分で独占するのではなく、他人に自分のものを快く分け与える神北の優しさの表れであった。

 そうだ、まだ残ってる。この人の心は、まだ残っている。

 兄のことを思い出す前の本来の神北。その一面が今まさに垣間見えたのだ。取り戻してみせる……なんとしても。

 そして有宇は神北に微笑みかける。

 

「まぁまぁ、食べるものは違くても、一緒に食べればいいじゃないか。なっ?」

 

「うん……」

 

 そして有宇は神北と共に昼食を取った。

 ここからだ、ここからが大詰めだ。これまでの僕の行動を見て、神北の中での神北拓也像は揺らぎつつあることだろう。二年も留年するアホであり、妹の作った昼食を食べるのを拒否する。神北の中での神北拓也はそんな男ではないはずだからな。

 

 だがこんなものはまだ序の口だ。こうして少しずつ神北の中での神北拓也と、今現実で自分が神北拓也として認識している僕との間に齟齬を(きた)し続ければ、きっと……。

 

 

 

 放課後、帰りのホームルームが終わると早速、有宇は神北のいる二年B組の教室へと向かう。そして教室に着くと、躊躇せずにそのまま教室に入っていき、神北の席の元まで行く。

 

「小毬」

 

 名前を呼ぶと、神北は嬉しそうに顔を上げる。

 

「あ、お兄ちゃん!向かいに来てくれたんだ!」

 

「ああ、勿論だ。お兄ちゃんは小毬が大好きだからなぁ。それよりどうだ、これからお兄ちゃんと一緒にいいとこ行かないか?」

 

「いいとこ……?」

 

 神北が小首を傾げる。すると有宇は昨日、恭介にも見せた、あのロイヤルプリンセスパフェのチラシを見せる。

 

「ここだよここ。小毬、前に行きたがってたじゃないか。昼は一緒にお昼食べられなかったからな。お兄ちゃんと一緒に行かないか」

 

 すると、神北はチラシに目を輝かせて頷いた。

 

「うん!行く行く!わぁ、美味しそう!」

 

 よしっ、食いついたか。

 別にここじゃなくても一緒に出かけるぐらいならしどこでもいいんだが、万が一があるからな。神北の心を確実に動かせるものでなければならなかった。どうやらデートの誘いには成功のようだ。

 あと、この店を選んだもう一つの理由、それは……。

 すると、神北が「あっ……」と呟くと、心配そうに言った。

 

「でもこのパフェ、普通のパフェの三倍のお値段するよ。小毬、こんなにお金ない……」

 

 そう、この期間限定ロイヤルプリンセスパフェは値段が普通のパフェの三倍もの値段を誇る豪華なパフェとなっている。神北拓也のことを思い出す前の神北も、同様の理由でここに行くことを断念していた。だが……。

 有宇はニヤリと笑みを浮かべる。

 

「安心しろ、小毬。お兄ちゃんがお金を出すから、小毬が心配する必要なんてないんだ」

 

「えっ、でも……」

 

「まぁまぁ、お兄ちゃんに任せなさい!」

 

 そう言って有宇は、左腕を直角に曲げ、右手をひじの内側に添えるポーズをとり、にっこり微笑む。

 まさかこの僕がココアの真似をするとは。つい頭に浮かんだからしてしまったが、これ思ったより恥ずかしいな。他の二年達もクスクス笑ってるし。

 しかし恥ずかしがってる場合ではない。とにかく予定通りの行動をしなくてはな。

 

 ココアのお姉ちゃんに任せなさいポーズをしてしまった恥を捨ておき、有宇は理樹の座る机へと向かう。さて、それじゃあ打ち合わせ通り頼みましたよ、直枝さん。

 有宇は机の前に立ち、そしてダンッと思い切り音を立てて机に手をおいた。そしてニヤリと怪しげな笑みを浮かべる。

 

「直枝せんぱぁい、ちょっといいですかぁ?」

 

「えっと……何かな拓也」

 

「いやさぁ、うちの小毬がパフェ食いに行きたいらしくてですね、それでちょっとお金借りたいんですけど、貸してくれます?」

 

「えっと、ごめん。今そんなお金なくて……。そ、それにこれから野球の練習が……」

 

 理樹は必死に断ろうと、言い訳を並べる。しかし言い訳の途中であったにも関わらず、有宇は理樹の胸ぐらを掴んだ。そして思い切り理樹を睨みつける。

 

「僕は金貸せって言ったんだよ。いいから出せよ」

 

「わ、わかったから、は、離してよ……」

 

 理樹が苦しそうにそう言うと、有宇は手を離す。それから理樹は財布を取り出し、そこから千円札を三枚、有宇に差し出す。

 そして有宇はそれを力任せにバッと奪い取った。

 

「最初からそうしろよな。ったく、手間かけさせやがって」

 

「ご、ごめん……。た、拓也、えっとそれで今日の練習は……」

 

「あ゙っ?行くわけ無いだろ。誰がそんな面倒なことするかよ。それじゃあな直枝センパイ、金はその内気が向いたら返すから」

 

 そう言って有宇は理樹の机から離れた。クラス中がその様子をただ黙って見守っていた。

 そして神北の元まで来ると、有宇は先程理樹に見せていたような険しい顔ではなく、ニンマリと笑顔を浮かべる。

 

「待たせたな小毬、それじゃあ行こうか。お金結構入ったからパフェ以外にもなんか欲しいのあったら買ってやるぞ」

 

 機嫌よくそう言う有宇に対し、神北は少し困った表情を浮かべる。

 

「お、お兄ちゃん。それ……理樹くんのお金……」

 

「ああ、これ?借りただけだよ。その内返すから。だからそんなこと気にするな。それより早く行こう。予約した時間に間に合わなくなるから」

 

「う、うん……」

 

 有宇に強引に促され、神北は有宇と共に教室を出た。教室を出る間際、教室にいる理樹の方を心配そうに振り返って何か言おうとしていたが、結局何も言わずに有宇の後を追って行った。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 有宇と神北が教室を出た後、理樹は心配そうに不安を漏らす。

 

「予定通り演技はしたけど、本当にこれでいいのかな……」

 

 確かに有宇は小毬さんにとって良き兄を演じていると思う。でも神北拓也さんに似ているかといえばそうじゃない。体の弱かった拓也さんが人に乱暴な言葉遣いでカツアゲするような人とは思えないし、一体有宇は僕にこんな事をさせて何をしようとしているのだろうか。

 理樹が不安そうにしている中、今の一連の演技を見ていた来ヶ谷が理樹に声をかける。

 

「なかなかの名演技だったな、理樹くん」

 

「はは、ありがとう来ヶ谷さん。鈴の方はどう?」

 

「うむ、葉留佳くんと一緒に猫と遊んでいる。時間になったら私も合流して一緒に例の場所に連れていくつもりだ」

 

「そっか」

 

 来ヶ谷さん達もちゃんと仕事をこなしているみたいだ。恭介もこれから有宇達が行く店の予約はできたって言ってたし、今のところ有宇の作戦は順調に進んでいる。けど……。

 

「不安かね?」

 

「えっ?」

 

「有宇くんの作戦だよ。不安に思っているのではないかね」

 

 来ヶ谷には理樹の考えはお見通しであったようだ。理樹も特に否定せず頷く。

 

「うん、だって小毬さんのお兄さんを演じるって言ってたのに、なんか無茶苦茶だし。こんなことして本当に小毬さんが戻るのかなって。来ヶ谷さんは不安にならないの?」

 

「そうだな。確かに私も未だ彼の作戦の全てを理解したわけではないが、だが今君にさせた演技の意味ぐらいはわかる」

 

「えっ……?」

 

 来ヶ谷さんには、有宇の意図がわかるの……?

 理樹にはそれが理解できなかったため驚いた。

 

「君もわかってると思うが、彼は兄として形だけは一応振る舞っているが、端から小毬くんの兄を演じる気など更々ないのだよ」

 

「ならどうして……」

 

「それは言えないよ。それでは彼が隠した意味がないからね。まぁ、一つ言えるのはそこが君と、あの乙坂有宇という少年との違いなのかもな」

 

 そう言って、来ヶ谷は理樹にその理由を教えはしなかった。わざわざ作戦の意図を隠した有宇に気を遣ったのかもしれない。

 しかし、そんな来ヶ谷もこう疑問を口にした。

 

「しかし、私の考えてる通りだとして、彼はその先をどうするつもりなのか。今のままでは、まだ不完全だと思うのだが……」

 

 来ヶ谷さんにもどうやらまだわからないことがあるらしい。でもなんにせよ、僕等は予定通りの行動をするしかない。それで、小毬さんを正気に戻せるんだから。有宇、頼んだよ。

 理樹は静かに神北の運命を改めて有宇に託す。するとこのとき、理樹には聞こえていなかったが、来ヶ谷がはっと何かに気付き、こう呟いていた。

 

「……そうか、まさかそれで鈴くんを……」

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 私服にお互い着替えた後、校門を出た有宇と神北の二人は、恭介の予約したカフェに向かうべく、河原を歩いていた。すると神北は膝を降り地面に目を向ける。

 

「見てお兄ちゃん、シロツメクサだよ」

 

「シロツメクサ?……ああ、クローバーか」

 

 神北は土手に咲いていた一群の白い花に夢中になっていた。そして神北はこんなことを言う。

 

「ねぇ、お兄ちゃん。昔みたいに四葉のクローバー探そう?」

 

 四葉のクローバー探しか。僕も昔歩未とやったっけな。あんま覚えてないけど、確か、誰かが探すの上手かったんだよな……誰かって誰だっけ?

 まぁ、そんなことよりもだ。別にクローバー探しはやってもいいんだが、悪いが今回は遠慮させてもらう。その方が後々都合がいいはずだしな。

 

「いや、店の予約あるしさっさと行くぞ。四葉のクローバーなんていつでも探せるだろ」

 

 そう言って神北を冷たくあしらった。

 

「うん……」

 

 神北は不満気であったが、大人しく立ち上がり、また二人で駅前を目指して歩いていった。

 それから駅前の広間に到着すると、有宇は店を探し始める。暫く辺りを散策していると、一軒の喫茶店を見つける。平日だというのに、もう四・五人の列が出来ていた。

 

「……ラビットハウスもいつもああだったらな」

 

「お兄ちゃん何か言った?」

 

「いや、何でもない。多分あそこの店だろ。行くぞ、小毬」

 

「う、うん」

 

 そして二人は列を抜かして店に入る。すると……。

 

「いらっしゃいませ。二名様ですね。こちらへどうぞ」

 

 店の制服に身を包んだ恭介が出迎えてくれる。

 

「きょーすけさん!?どうしてここに!?」

 

 突然の恭介の登場に神北が驚く。

 

「さて、なんのことやら。私はウエイターの斉藤と申します。恭介という方はご存知ありませんね」

 

 斎藤と名乗る通り、確かに胸の名札には斉藤と書いてあった。徹底して役になりきってるな。ていうかなんで偽名使ってるんだ。こっちは指示してないぞ。大体、明らかに顔が恭介なのに、誤魔化せるのかこれ。

 そして神北の方をちらっと見る。

 

「ほぇ〜そうなんですか。ごめんなさい、人違いでした」

 

 騙されたよこいつ!?明らかに恭介じゃないか!!なんで騙されるんだ!?アホなのか!?

 いや、でもそうだな、今回の騒動をすっかり忘れかけていたが、この人結構アホだったな。確かにこいつならこんなんでも騙せるかもな。

 すると恭介は有宇達二人を席に案内する。そこで恭介に耳打ちする。

 

(おいっ、なんでわざわざ偽名なんか使ってんだよ。支障はないと思うがあまりふざけたことするのはやめてくれ)

 

(ふざけちゃいない。これからすることを棗恭介としてやると、それこそ神北に演技と思われるかもしれないだろ。だからこうして、ただの普通のウエイター斉藤を名乗ってるってわけだ)

 

(まぁ……一理あるかもしれん)

 

 今回、恭介には店の予約をしてもらうだけのはずだったのだが、恭介が席を予約させてもらう代わりに一日働くことになったと聞いて、恭介にも一芝居打ってもらうことにしたのだ。

 そしてこれからするその演技は、確かに仲間内でやると本当に演技と捉えられる可能性がある。別人ということにした方が確かに都合がいいのかもしれない。だがそれにしたって、もう少しちゃんと変装できなかったのかと言いたいが。

 そして有宇達は、恭介に案内された店の端の方の席に着く。それからすぐに、神北の分のロイヤルプリンセスパフェを恭介に注文する。

 

「パフェ楽しみだな♪でもお兄ちゃん、コーヒーだけでいいの?」

 

「ああ、僕は甘いのが苦手だからな。僕のことは気にせず小毬はパフェを楽しんでくれ」

 

「うんっ!ありがとうお兄ちゃん!」

 

 それから暫くパフェが来るのを待つ。その間、有宇は貧乏ゆすりをし、更には机を指でトントン叩き、落ち着かない様子を見せる。神北はそんな有宇の様子を見て少し顔を曇らせる。

 そしてようやく、十分ほどして有宇の分のコーヒーと、神北のロイヤルプリンセスパフェがやってくる。持ってきたのは、もちろん恭介だ。

 

「お待たせ致しました。ロイヤルプリンセスパフェとコーヒーになります」

 

 そう言うと、恭介はパフェとコーヒーを二人に提供する。すると……。

 

「うわぁ……!美味しそ……」

 

「遅えよ!いつまで待たせてんだよ!」

 

 神北が感嘆の声を漏らすのも遮り、突然有宇が恭介に向け激昂する。すると恭介はすぐに頭を下げる。

 

「申し訳ございません。只今店内混んでおりまして。提供に時間がかかってしまい、お客様には大へ……」

 

「言い訳してんじゃねえよ!こっちだって暇じゃねぇんだよ!ざけんな!!」

 

 有宇はまるで厄介客の如くキレ散らかす。すると、そんな有宇の様子を見ていられなかったのか、神北が必死になって止めに入った。

 

「お兄ちゃん、小毬別に気にしてないからいいよ!だからもうやめて!」

 

 そう言いながら有宇の怒りを鎮める神北の目は、今にも泣きそうだった。すると、有宇は落ち着きを取り戻した様子を見せる。そして舌打ちをしてから、恭介に向けてこう吐き捨てた。

 

「妹がいいっていうからいいけど、次遅れたらただじゃおかねぇぞ」

 

 すると恭介は「本日は誠に申し訳ありませんでした」と口にし頭を下げて、厨房の方へと戻って行く。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 それから暫くして有宇と神北の二人はカフェを出る。しかし、帰路につく神北の足取りは重かった。目も再び光を失ったように虚ろになりつつあり、顔を俯けている。

 

(お兄ちゃん……なんか今日おかしいよ。私にはいつもみたいに優しいのに、理樹くんや店員さんに酷い態度取るし、それに小毬のホットケーキだって一口も食べてくれなかった。頭も悪くなっちゃったみたいだし、一体どうしちゃったんだろ……まるで、お兄ちゃんじゃないみたい……)

 

 しかし、そう思ったところで神北は首を横に振る。

 

(ううん、なに変なこと考えてるんだろ。お兄ちゃんがお兄ちゃんじゃないはずなんてないのにね。でも……)

 

 チラッと有宇を見る。最も、今の神北には兄である拓也に見えているのだが……。

 

(やっぱりお兄ちゃんだよね。でもなんでだろ……お兄ちゃんじゃない気がしちゃうのは)

 

 すると、神北は帰りの途中、駅前の広場のところに一軒の本屋を見つける。表には児童用の雑誌等が並んでいる。

 

(そうだ!お兄ちゃんならきっと……)

 

 そして神北は有宇に声をかける。

 

「ねぇ、お兄ちゃん」

 

「ん、どうした」

 

「小毬ね、お兄ちゃんの新しい絵本が読みたいな。また新しい絵本作ってよ。また可愛いペンギンさんとか鶏さんとかが出てくるの。あっ、でも今度は鶏さんのお話みたいな悲しいお話じゃないのがいいな」

 

 お兄ちゃんはいつも小毬に絵本を描いてくれる。どんなにお兄ちゃんが変わっても、小毬のために絵本を描いてくれるはずだよ。

 私が悲しいお話や誰かが死んじゃうお話は嫌だよって言ってから、お兄ちゃんは小毬に絵本を自分で描いてくれるようになった。そうだよ、きっと楽しいお話しを描いてくれるはずだよ。お兄ちゃんならきっと……!

 しかし、兄だと信じて疑わなかった男から発せられた言葉は、神北の期待を裏切った。

 

「絵本?やだよ、面倒くさい」

 

「えっ……?」

 

 なんで……どうして……?

 神北は絶望に身を打ちひしがれる。

 

「どうして……小毬何か悪いことした?」

 

「いやいや、別にそういうわけじゃないぞ。けどなぁ、僕絵とか描けないし、描けっていわれてもなぁ……。大体、小毬だっていい歳だろ。絵本はそろそろ卒業したらどうだ?そんな幼稚なもの」

 

 幼稚なもの……?絵本が……幼稚なもの……?違う……お兄ちゃんはそんなこと言わない……。

 神北の中で何かが芽生え始める。

 

「あーそんなに欲しいなら、あそこの本屋で買ってきたらどうだ?ほら、お金渡すから、好きなの買ってこいよ。ちゃんとした絵本作家の人が描いたやつの方が面白いと思うぞ」

 

 嘘だ……そんなこと言わない……お兄ちゃんはそんなこと言わない。小毬に悲しいお話を見せないようにって絵本を描いてくれたお兄ちゃんがそんなこと……言うはずないッ!!

 

(違う、この人は……お兄ちゃんじゃないッ!!)

 

 その時だった。神北の視界に変化が訪れる。兄、神北拓也として見ていた人影がその姿を変えていく。そして────

 

 

「……有宇くん?」

 

 

 神北は遂に、幻想から目を覚した。




一話にまとめようと思ったんですが、長くなってしまったので前後編に分けます。というわけで後編に続きます。

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