幸せになる番(ごちうさ×Charlotte)   作:森永文太郎

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第37話、二人の兄

 夢……夢を見ている。以前にも見た夢だ。

 陽気な春の季節、僕等は桜並木を歩いている。歩未がいて、僕がいて、そして僕らの間には、あの人がいる。

 見知らぬその人は笑顔で僕に微笑む。けれど、その顔は霞がかっていてはっきりと見ることはできない────

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 朝、目覚ましの音と共に、いつものように有宇はベッドから目を覚ました。しかしまだどこか夢見心地である。

 

「またあの夢か……」

 

 しばらくぶりにあの夢を見た。家出をしてから初めて歩未へ電話をかけたあの日、歩未の突拍子もない一言を聞いて以来、あの人はたまに夢に現れる。

 

『うん、なんか……もう一人家族が居たような……?そんな夢』

 

 あの時の歩未のあの一言。まさかあの人が僕達の家族だとでも言うのだろうか。いや、そんなはずはない。僕の記憶にはあんな人がいた覚えなどないし……。

 わからない。なぁ、貴方は一体本当に誰なんだ……。

 

 

 

 それから有宇は制服の着替えると、いつものように寮から学食へ赴き朝食を取る。朝食を食べ終えるとそのまま学校に行き、自分の教室へと向かった。

 教室に着くと、教室の様子はいつもとどこか様子が違うのに有宇も気付く。教室の窓際、有宇の机の隣の席に四・五人の人だかりができていたのだ。そして、それを見ると、有宇は内心焦りを感じた。有宇にはその人だかりの原因に心当たりがあり、その原因が自分にあることを知っていたからだ。

 昨日、有宇は風紀委員に因縁をつけられ、更にやってもいない罪で追い詰められていた三枝葉留佳の無実を証明してやったのだ。しかしその際、風紀委員の態度に腹を立てた有宇は自らの下衆な素顔を風紀委員達の前に(あらわ)にしたのだった。そしてその風紀委員の中には、有宇のクラスメイトで、しかも隣の席でもある飛鳥馬美咲もいたのだ。

 まさかあの女、昨日のこと話したのか?なんのために脅しをかけたと思ってる。僕が本当にやらないとでも思ったのか?にしても本当にバラしたとなると少し面倒だな……。まぁ、音声は念の為、昨日の内に僕に都合のいいように編集はしておいたし、いざという時にはこれをクラスメイト達の前で流してやればいいか。

 下手に警戒したところでしょうがないと割り切り、有宇はさも何も知らない風を装いながら、その人だかりの所まで歩いて行く。

 

「おはよう。これは何の集まり?」

 

 爽やかな笑顔を浮かべながら、飛鳥馬美咲の席にたむろしている女子生徒の一人に声をかける。

 

「あ、乙坂くんおはよう。なんかね、美咲ちゃんの元気ないの。何かあったのか聞いても何でもないっていうし……」

 

 その女子の視線の先には、朝から暗い顔を浮かべる飛鳥馬美咲の姿があった。傍から見ても、何かあったのかと声をかけたくなるような死んだ顔を浮かべている。これでよく学校に来ようと思ったな。まぁ、どうやら喋ったわけではないようだ。なんにせよ一安心だな。

 そして有宇は外向きの笑顔を保ったまま、さも何も知らないかのように美咲に声をかける。

 

「どうしたの美咲さん、何かあったなら相談に乗るよ」

 

「い、いえ……大丈夫です……」

 

 震える声を殺すように、美咲はか細い声でそう返した。

 周りの女子達は美咲がこうなったのは彼のせいだとは露程にも思わず、「乙坂くんやさしー!」「私も相談に乗ってもらいた〜い」などと(のたま)わっている。そして、その傍らで美咲が、恐怖の根源である有宇に、含みのある笑みを向けられていることに怯えて震えていることなど、その場にいる誰も気付きやしなかった。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 昼休み、この日は蒼士と二人で購買のサンドイッチを買って、教室で昼食をとっていた。

 

「そういやお前の席の隣の飛鳥馬さん、風紀委員辞めるらしいな」

 

「へぇ、それで朝から元気なかったのか」

 

 有宇は白々しくも、サンドイッチ片手にそう答える。

 

「あんなに風紀委員で頑張っていくって張り切ってたのにな。確かお父さんが警察官で、自分もお父さんのように規則正しい学園生活を守っていきたいとかクラスの自己紹介の時にも言ってたぐらいでさ」

 

 あの女、地味そうに見えてそんな目立つ自己紹介してたのか。一応それなりに目標を持って風紀委員の仕事をしてたってことか。まぁ、今更同情はしないがな。

 

「やっぱあの風紀委員長怖そうだもんな。すげえ美人だけど、おっかないって噂だし、きっと付いてこれなかったんだろうな」

 

「そんな怖いのか風紀委員長」

 

 当然知っているが、飽くまで知らない体を貫き通す。どこからバレるか知れたもんじゃないしな。

 

「ああ、少しの違反も許さないとかで、停学に追い込まれた奴もいるとかいないとか。その冷酷な態度から氷の風紀委員長なんて呼ばれてるぐらいだ。飛鳥馬さんもあの風紀委員長に厳しくどやされたに違いない」

 

 二木佳奈多の悪評のおかげで、どうやら上手く誤魔化せそうだな。みんな飛鳥馬美咲がああなったのは二木のせいだと思い込んでいるようだ。

 だが油断はしちゃいけない。以前のカンニングのことだってある。バレないと思っていても、変なところからバレたりする可能性だってある。それこそまた言い掛かりをつけられて嵌められることだってあり得るだろう。まぁ、そうならないためにも今度は前回のようにはならないように一応心がけてはいる。

 こうして蒼士や他のクラスの男子達とも関係を築いているのはそのためだ。陽野森では女子ばかりに優しくして、かつ学園のマドンナである白柳弓を独り占めにしようとしたから男子のヘイトを買い、僕は嵌められた。だからここでは男子達からヘイトを買われないように、そしてあわよくば、いざという時に味方になってもらうために蒼士やクラスの男子達とも良好な関係を築いている。

 学園で名を馳せるリトルバスターズにも所属しているんだ。そうそう変なマネしなければ、取り敢えずここでの生活は安泰になるはずだ。

 未来に帰るまでの仮初の居場所ではあるが、ここで生活していくのであれば考えて行動していかなければならないのだ。

 有宇が内心そんなことを考えている間に、蒼士がペットボトルのお茶を飲んでいると、蒼士のお茶の中身が空になる。

 

「あ、なくなっちまった。有宇、悪いけど買ってきてくんね?金出すからさ」

 

「ふざけんな、自分で行け」

 

 良好な関係を築くとはいったが、パシリはゴメンだ。飽くまで対等な関係だ。じゃなきゃなめられて結局都合の悪いときにトカゲの尻尾斬りにされてしまう。

 しかし蒼士は引き下がらない。

 

「いいじゃん、お前もお茶無くなりそうじゃん。行ってきてくれよ。野球やってんだし、体力つけるためにもさ、ひとっ走りしてきてくれよ」

 

「お前だって弓道部だろ。自分で行ってこい。そして僕の分も買ってこい」

 

「なにお前もさらっと俺に買いに行かせようとしてんだよ!じゃあジャンケンで負けた方が行こうぜ」

 

 そういうことで、何故かジャンケンで負けた方が二人分の飲み物を買ってくることになってしまった。

 

「それじゃあいくぞ、じゃんけ〜ん………」

 

 

 

「くそ、まさか僕が負けるとは……」

 

 結局じゃんけんは有宇が負けてしまい、蒼士の分もジュースを買いに行くことになってしまった。

 

「三階にも自販機置いてくんねぇかな……」

 

 自販機は学食と購買の脇と中庭、あと寮の側にしか設置されていない。一年の教室は三階にあるので、ジュースを買いに行くのに結構な距離を歩くことになってしまう。

 取り敢えず有宇は一番近い中庭の自販機へ向かうことにした。そして中庭に着くと、自販機で蒼士の分のお茶と、自分の分の缶コーヒーを買う。するとその時、誰かが言い合っているのが有宇の耳に入る。

 

「なんかもう嫌な予感しかしないんだが……」

 

 聞こえてくるその声には聞き覚えがあった。

 ……昨日のこともあるし、面倒だが一応行ってみるか。

 取り敢えず有宇は声のする方へと向かった。向かってみると芝生の前には三人の人影が見えた。一人はリトルバスターズの一員でもある神北小毬。そして二人目は昨日に引き続き直枝さんだ。そしてもう一人は────

 

「規則に違反しているのは貴方達なのよ。私は風紀を正しているだけ」

 

 ……またあの女か。

 直枝さんと神北の前に立ち塞がっているのはまたしても風紀委員長、二木佳奈多である。神北の顔は今にも泣きそうで、直枝さんの方はといえば二木と何やら言い争っているみたいだが、二木に気圧されているようだ。

 二木の奴、昨日ので懲りてくれると思ったんだが、逆に敵対心を煽ったか。なんにせよ、また変な言い掛かりつけられてるのであれば助けに行かない訳にはいかない。

 そう思い有宇は三人の元へと歩み寄って行った。

 

「どうしたんですか直枝さん」

 

「あ、有宇、どうしてここに?」

 

「いや、僕は飲み物買いに来ただけで……。それで、またトラブルですか?」

 

 有宇がそう言うと理樹はバツが悪そうな顔を浮かべる。そしてそのすぐに神北小毬が有宇に泣きつく。

 

「うわ〜ん!乙坂くん助けて〜」

 

 どうやらこの様子だと、今回の被害者は神北のようだな。そういえばこいつも屋上侵入したり、校則違反とか犯してそうだもんな。おまけに三枝と同じリトルバスターズだし、そのせいで何かしら言い掛かりを付けられたのかもしれない。まぁ、取り敢えず今回も相手はこいつだということだ。

 そして有宇は側にいる二木に視線を移す。

 

「二木先輩、また弱い者いじめですか?」

 

 嫌味ったらしく二木に言う。しかし昨日のことがあったにも関わらず二木は相も変わらず強気の姿勢である。

 

「私は弱い者いじめなんてしません。私は風紀委員として風紀を正しているだけです」

 

「へぇ、言われもない罪で人を追い詰めるのは風紀を正すことだと?」

 

 有宇にそう言われると、二木は眉間にシワを寄せる。

 昨日のことはこいつにとって相当屈辱であったはずだからな。気にしていないはずがない。本当はこの場に僕が現れて、内心バツが悪い思いをしているに違いない。

 さて、じゃあそろそろ本題に入るとするか。

 

「で、今回は何があったんだ?」

 

 二木への挨拶代わりに嫌味を言い終えた有宇は、理樹に事態の説明を求める。

 

「小毬さんがそこの芝生でおやつ食べてたんだけど……」

 

「芝生?……あーそれは……」

 

 それは流石に言い訳できないな。

 直枝さんが指差したそこの芝生は立入禁止だ。昼になるとそこで昼飯食ってる奴もいるが、基本的に立入禁止らしい。どうやら神北がここで飯を食べていたのを二木に見つかって説教くらってたということみたいだな。

 風紀委員が取り締まるのは当然だし、今回はこちらに非があるようだ。ぶっちゃけお手上げだな。

 

「なら、さっさと頭下げればいいだろ。それでこの話は終わりだ」

 

「勿論小毬さんもちゃんと謝ったんだ。でも……」

 

「まだ話は終わってないわ」

 

 すると突然二木が口を挟んできた。そしてその話とやらを長々と語りだす。

 

「貴方達リトルバスターズは最近校内を騒がせています。風紀委員には学園の風紀を正す義務があり、今回も芝生を踏み荒らされたおかげで私達は迷惑してるの。近々委員会でも校則違反者の罰則を強化して校則違反者への取締を強化するつもりです。それに辺り貴方達のような校則違反者をリストアップし、全員に警告を促していきます。警告を無視し、これに違反するようであれば私達も……」

 

「もっと短くまとめろよ。全然話が入ってこねぇよ」

 

 あまりにも長ったらしくウザかったので、思わず有宇は二木の話の途中にも関わらず口を挟んだ。この女、本当に話し方から何から何までくどい。聞いててイライラする。

 そして二木はそんな有宇の態度に嫌な顔しながらも、要点をまとめて続きを話した。

 

「……素行には注意なさい。貴方達は既に私たち風紀委員会では厳重注意の対象にしています。次校則違反をするようであれば厳罰は免れないでしょう。これは最後通告と思いなさい」

 

 要は、リトルバスターズは風紀委員に目をつけられていて、次なんかしたら容赦しねえぞってことだろ。初めからそう言えよな。

 

「わかったわかった。他の奴等にも伝えとく。今回はうちのが迷惑かけて悪かったな。だからもういいだろ?」

 

「まだよ、まだそこの彼女のことが終わってないわ」

 

 そう言って二木は神北を睨んだ。神北の方は二木の視線にすっかりビビっている。

 

「はぁ?もう芝生のことはいいだろ。こっちの謝罪はもう済んだじゃないか。芝生からも出たし、もうお前の要求はちゃんと呑んだんだ。これ以上何を言う必要があんだよ」

 

 有宇がそう言うと、神北が「有宇く〜ん」と再び泣きついてきた。

 

「二木さんにセーター脱げって言われたの」

 

「セーター?」

 

 セーターって、確かに神北は白のセーターを着ている。だがそれはちゃんとした学校指定のセーターだし、別にまだ衣替えってわけでもない。文句を言われる筋合いはないだろ。

 そして有宇は二木を睨みつける。

 

「何故神北先輩がセーターを脱がなきゃならない?まさか学校指定のセーターを着るのは校則違反だとか抜かすわけじゃないよな」

 

「彼女と同じ格好をしている人がどれだけいる?規則に違反していなくても充分風紀を乱しています」

 

「そんなこと言ったら、もうお前らが言えば何でもありになるだろ」

 

「私達は飽くまで風紀を正すためにやってるに過ぎません」

 

「その綺麗事を免罪符にすれば何でもできるって話をしてんだよっ!!」

 

 二木の態度にイラつき、有宇は思わず声を荒らげた。しかし二木は少しも動じることはなかった。その冷たい瞳でただこちらを見つめ返すだけだ。

 こいつはおそらく自分が絶対に正しいと信じ込んでいるんだ。前回だってそうだ。あんなふざけた言い掛かりで三枝に無実の罪を着せようとした時だって、こいつは自分勝手な正義を執行した気でいたんだろうよ。

 今だって、校則に明確な違反規定が無いにも関わらず、自らの判断で生徒を裁こうとしている。それがまかり通れば、風紀委員が言うだけで生徒を処罰できてしまうし、誰もこいつら風紀委員に逆らえなくなるし、こいつらに怯えていかなければならない。それが許されるのなら、この世に罪刑法定主義なんて概念は生まれねえんだよ。

 しかし現状、二木は芝生の件で、この場における会話の主導権を握っている。だからこそ、昨日あんなことがあったにも関わらずこいつは強気でいられるのだ。なら、その主導権を奪い取ってしまえばいいだけだ。

 すると有宇は二木に突然歩み寄っていった。そして二木の前まで来ると、突然膝を折ってしゃがんでみせた。

 

「なっ……!?」

 

 有宇の突拍子もない行動に、流石の二木も驚き、顔を赤らめた。そして下着が見えないよう、すぐにスカートを抑える。

 

「ゆ、有宇!?」

 

「ほっ、ほわっ!?」

 

 有宇の行動に、理樹と神北も驚き声を上げる。

 それから有宇はすぐに立ち上がり、下衆な笑みを浮かべながら二木の前に立つ。二木はというと、今の一連の有宇の行動に激昂した。

 

「貴方、こんなことしてただで済むと思ってるの!女生徒の下着を覗くなんて行為、罰則を受けるだけで済むとでも……!」

 

「大体、膝上二十から二十五センチってとこか」

 

 有宇が一言そう言うと、二木が黙る。

 

「スカート丈、短すぎやしないか」

 

 続けて有宇がそう言うと、二木はバツが悪そうな顔を浮かべる。

 

「その長さじゃ少し風が吹いただけで下着が見えそうだな。充分、風紀を乱す格好だと思うが?」

 

「スカート丈に関する校則の規定はありません。それに他にもスカートの短い生徒は……」

 

 そこまで言いかけると、二木は有宇の狙いに気づいた。だがもう遅かった。その瞬間、罠にかかったと言わんばかりに有宇は目を見開いた。

 

「それはまたおかしな話だな。セーターを着るのは校則に違反してなくても風紀に違反するからダメと言っておいて、自分は下着をチラつかせるスカート丈にして風紀を乱すのはいいのか。随分と自分勝手な風紀もあったもんだなぁ」

 

「くっ……」

 

 有宇の狙いは、二木の掲げたその御高説を逆手に取り、二木自らがそのご高説にある行為と大差ない行動をしていることを指摘し、その説得力をなくすことだったのだ。

 よく後ろに振り返るときとか、スカートが翻って下着が少し見えてたし、前から風紀委員長のくせにスカートが短過ぎると思ってたんだ。セクハラっぽいし、別にわざわざ言うことでもないから黙っていたが、今がその使いどころだろう。

 すっかり会話の主導権を握った有宇は更に畳み掛ける。

 

「別にスカートを短くするなとは言わんさ。お前だって年頃の女子だろうし、色気付く気持ちもわからなくはない。ただ、人にあれこれやるなと言っておいて、自分だけその例外に入れるのは、風紀委員としての権力の私物化に他ならない。違うか」

 

「これは、別にそういうのでは……!」

 

 顔を俯かせながら二木は、先程までの強気の態度と打って変わって、か細い声で答える。

 そういうのではない?よく言えたな。明らかに短いスカートを履いてる理由が他にあるって言うなら言ってみろ。そして、それが風紀のためになる理由があるなら言ってみろよ。言えるはずがない。そんな理由あるはずないからな。

 結局、お前も規則外の自由を謳歌していた他の生徒となんら変わりはないんだ。そんなお前が、神北にどうこう言える筋合いは無いんだよ。

 有宇は更に話を続けた。

 

「お前達風紀委員の掲げる正義はご立派だよ。実際それである程度、規律は守られてるんだろう。だが、目に見えてやり過ぎだし、あまりにも自分本位過ぎやしないか。そんなこと続けたらいつか周りからの信用も失っていくだろうし、それで足元(すく)われるのはお前らだぞ。まさか、昨日に引き続いて、ここまで言われてもわからんほどのマヌケじゃないだろうな」

 

 有宇はそう言うと、目を細め二木を鋭く睨みつける。

 正直、こんな説教臭いこと言うのはキャラじゃないんだが、僕の目から見てもこいつらの行動や態度はあまりにも目に余る。

 確かに風紀委員には学校の風紀を守る立場にある。それは僕とて理解している。だが、こいつらはどこか校則違反者であればどんなに厳しくしても許されると思っている節がある。

 風紀委員達からしたらそういった奴は信用がないと言うのだろう。確かにそうだ。一度道を踏み外した奴は信用を失う。僕自身経験したことだし間違いないさ。だが、だからといってそれを免罪符にどんなに言い掛かりつけようが何しようが許されるとこいつらは思っている。

 信用を失うようなことをしたそいつ等が悪いといえばそれまでだが、だからといってそいつ等になら何をしても許されるというのが正しいかといえばそうではない筈だ。

 だってそうだろ、お前たちの仕事は学園の風紀を守ることであり、校則違反者に罰を与えることではないはずだ。だが、いつの間にか風紀を守るという目的と、そのために罰則を課すという手段が入れ替わっている。校則違反者を罰するために、風紀を守るという建前を手段としているのだ。少なくとも僕にはそう見える。

 風紀委員という場所に身をおいて勘違いしているんだろう。自分達こそが正義だと。自分達は正義を執行しているだけだと。結局こいつらは正義という言葉で自分を騙して、自分に酔ってるに過ぎないのだ。自分に酔うのは勝手だが、その自分勝手さに他人を平気で巻き込み悪びれもしないその態度が、僕には我慢ならない。

 とはいえ、僕に関わり合いのないとこでやるなら僕も文句は言わんさ。僕も正しさからは外れた人間だしな。他人にどうこう言えた筋合いは無い。僕と関係ないとこでやるなら所詮は他人事、僕がわざわざ言うことじゃない。だが、僕の前に立ちはだかるというのであれば話は別だ。容赦なく敵対するし、必要があれば蹴落としてやる。

 すると、二木は反論することもなく、素直に謝罪した。

 

「そうね、余計な口出しだったわ……ごめんなさい神北さん」

 

 驚くほど素直に頭を下げたな。いや、反省したならいいが、素直に頭下げられたらそれはそれで気持ち悪いな。昨日はあれ程頭を下げるのを嫌がっていたのに。

 昨日は頭を下げる対象が三枝だったからか?本当にあの二人、どういう関係があるんだ。

 そして二木が頭を下げると、神北は反応に困りながらも二木の謝罪に答える。

 

「えっと、気にしなくていいよ。風紀委員って大変そうだもんね。私も芝生に入ってごめんなさい」

 

 そう言って神北も同様に二木に頭を下げた。まぁ、取り敢えずこの場はこれにて一件落着したようだ。

 

 

 

 それから二木が去ると、神北が有宇に向かって泣きじゃくりながら思いっきり抱きついて来た。

 

「うえぇぇん!!乙坂くん助かったよ〜!ありがとう〜!」

 

「ちょっ、涙で制服が……!ええい離れろ!制服が汚れる!」

 

 突然のことに有宇も思わずたじろぎはしたが、すぐに神北を体から引き剥がした。

 ったく、こういうところとかココアみたいだ。男子相手なんだからもう少し危機感持てよ本当に。にしてもまぁ、胸はココアより……いやいやいや、何考えてんだ僕は。

 なんだかんだ言って神北に抱きつかれて、内心ドキマギしていた有宇であった。

 

「小毬さん、流石に男子に抱きついたりするのはやめた方がいいんじゃないかな」

 

「うん、私も今更恥ずかしくなってきた……」

 

 理樹が神北に注意すると、神北も顔を少し赤らめて自分の行動を反省する。

 どうやら突発的に思わずしただけで、ココアとは違いその辺のモラルはあるようだ。

 

「にしても流石だね、有宇は。また助けてもらっちゃったよ」

 

「一応、僕もリトルバスターズだからな。まぁ、気にしないでくれ。とにかく、これでもう絡んでこなきゃいいんだがなぁ。目つけられたっぼいし、またその内ひと悶着ありそうだな」

 

 あの女はなんていうか余裕がない。他人を許容できる余裕がないから態度も自然と冷たくなるし、だからああも他人に対して攻撃的になるんだろう。風紀と敵対する校則違反者ともなれば尚更だ。

 おそらくあの様子じゃまたどこかでぶつかり合うことになるだろう。あいつはこれぐらいで挫けはしないだろうし、僕らがあいつの正義に反するようなことをすれば、またあいつは牙を向いてくることだろう。

 そのときはまた僕ができる限りはなんとかするし、それに、あんまりにもしつこいようなら、本気であいつらを潰しにかかるだけだ。できればそうならない事を願うが……。

 

「にしても有宇、今更なんだけどさ、二木さんのスカートの長さを指摘するだけなら、二木さんの前でしゃがむ意味あったの?」

 

「それは私も思ったかも」

 

 すると、理樹と神北が先程の有宇の行動の意味に疑問を呈し始めた。

 

「意味なんてない。明らかなセクハラ行為を誤魔化せるか試しただけだ。敷いて言えば……嫌がらせか?」

 

 有宇はさらっとそう答える。

 

「「ええっ!?」」

 

 二人が有宇の答えに驚いて声を上げる。二人ともてっきり何か意味があるものだと思っていたのだ。

 

「まぁ、怒らせて思考を鈍らせる意味もあったんじゃないか?」

 

「やった本人が疑問形で答えないでよ。明らかに今作ったでしょその理由」

 

 仕方ないだろ。実際意味なんてないんだから。

 あの時僕は、ただあいつの仏頂面を崩してやりたいとそう思ったに過ぎない。実際、奇をてらった行動を取ったことで、あいつも予想外のことに思考停止したのは間違いないだろうしな。

 それに今後またあいつに絡まれたときに、どの辺りの行動まで許されるか知っておいて損はないしな。二人には意味はないと答えたが、意味はあったと思う。

 すると、恐る恐る神北が有宇に尋ねる。

 

「えっと、でも二木さんの下着を見るためとかではないんだよね……?」

 

 気になるところそこなのか?お前、さっきまでその女に酷い目に合わされたってのに、どこまでお人好しなんだか。

 

「当然だ。僕がそんな低俗な理由でするわけないだろ」

 

「よかった。見たわけじゃないんだ〜」

 

 そう言って神北は安堵の声を漏らす。

 

「いや、見るためにしたわけではないけど、見えなかったとは言ってないぞ」

 

「ふぇ?」

 

 有宇の答えに神北は素っ頓狂な声を漏らした。

 

「ピンクだったな。無地の。流石は風紀委員だ。どっかの誰かさんのアリクイパンツよりマシだが、色気無い下着だったな」

 

「うわぁ……」

 

「なんで有宇くんが知ってるの!?」

 

 有宇の発言を聞いて、理樹と神北の二人は引いていた。すると有宇もそれに気付き慌てて否定する。

 

「いやいやいや、見えただけだよ。別に下心じゃない。大体、短いスカートを履くあの女が悪いのであって、僕は悪くない」

 

「げ、下衆い……」

 

 有宇の言い訳を聞いて、更に理樹は引いていた。神北も「ほわっ……有宇くんがエロい……」と嘆いていた。

 くそっ、助けてやったのになぜ僕が引かれなきゃならんのだ。

 そりゃ僕も少し前までは能力使って女子の下着覗いたり、女子の体に触れたりしたこともあったが、それも今にして思えばちょっとした気の迷いだ。僕はそんなに助平ではない。

 さっきのあれだって本当に下着が見えるとは思わなかったんだ。でも見えたもんは仕方ないだろ。僕は悪くない。

 二人の態度に有宇は不満を抱く。するとその時、神北が有宇の後ろにある何かを見て「あっ……」と呟く。

 

「唯ちゃんだ」

 

「なに?」

 

 有宇も背後を振り返る。

 確かに来ヶ谷だ。そしてこっちに向かってきている。

 しかしなんだ?様子がおかしい。何というかただならぬ雰囲気を感じる。僕達に声をかけることもなく、黙って険しい顔を浮かべて近づいて来ている。まるで、何かに怒っているようであった。

 取り敢えず気付いた以上は声をかけるか。

 

「よ、よう来ヶ谷、今お前がいない間大変だっ……」

 

 有宇がそう言いかけたときだった。来ヶ谷が突然有宇の胸倉をつかみ、鋭い目つきで有宇を睨みつけた。

 

「やってくれたな、貴様」

 

 突然なんだってんだ。この女っ、なんでこんなにキレてんだよ。

 憤る来ヶ谷を前に、有宇はなす術がなかった。すると、この様子を見かねてその場にいた理樹と神北が来ヶ谷に静止を呼びかける。

 

「来ヶ谷さん、突然どうしたのさ!?やめてよ、有宇の首が締まっちゃうよ!」

 

「唯ちゃん!有宇くんは私を助けようと……」

 

「悪いが二人とも、黙っていてくれるか」

 

 しかし、来ヶ谷はそう一喝して二人を黙らせる。

 この女、本当に何をそんなにキレてるんだ。そういやこいつ、二木となんか知り合いっぽかったな。まさか僕が二木を言い負かしてやったことに腹を立ててるのか?

 

「そっ……そんなに二木のことが大事か、来ヶ谷」

 

「ああ、大事だとも」

 

 有宇の問い掛けに、来ヶ谷はきっぱりとそう答えた。

 やはりそうなのか。来ヶ谷と二木の間に何があるのかは知らんが、こいつにとってはリトルバスターズなんぞよりもあの女の方が大事ってことか。はっ、こいつにとってリトルバスターズなんてそんなもんかよ。やっぱり仲間なんてもんは信用ならな……。

 

「貴様のせいで、佳奈多くんの……絶対領域が狭まってしまうではないかっ!!」

 

「…………は?」

 

 えっ?キレるところそこ?あんなにガチトーンでキレた理由がそこ?

 来ヶ谷の怒りの理由があまりにも馬鹿らしく、流石の有宇も困惑せざるを得なかった。

 

「二木を言い負かしてやったからキレてたんじゃ……」

 

「ん?あぁ、あれは彼女のやり過ぎは目に見えていたし、君が出てこなかったなら私が止めに入るつもりだったしな。別にそこは構わんよ。寧ろあの佳奈多くん相手に流石と言うべきであろう」

 

 ああ、そこはよかったのか。てっきり二木を味方するあまり僕にキレていたのかとばかり。ていうか見てたなら助けに入れよ。僕だって面倒くさかったってのに。

 すると来ヶ谷はまた急に声を落として、ガチトーンで有宇に迫る。

 

「それよりもだ、何故佳奈多くんのスカート丈について言及した」

 

「いや、何故って。だってあれ明らかに短すぎるし……」

 

「それがいいんじゃないか!!風紀委員というお堅い立場にありながらもあのスカート丈の短さ!!君だって男心をくすぐられるはずだろ!?それを何故わざわざやめさせるようなことをするのかね!?」

 

 こいつ……変態だ!!

 いや、わかりきってたことだけど、なんでこいつ女のくせに女が好きなんだよ!キャンプ場で出会ったときからそうだったが、イタズラするだの絶対領域だの、変態過ぎるだろ。

 大体、女なのに女が好きな奴なんて他に……。

 有宇がそう思いかけたその時、有宇の頭の中に、チノにしつこく抱きつこうとするココアと、リゼを異性に向けるような視線で見つめて顔を赤らめるシャロの顔が浮かぶ。

 いや……割と普通なのか?いかん、何が普通なのかわからなくなってきた。

 有宇は身近にまともな人間が殆どいないことに思わず頭を抱えた。それから二木のスカート丈を指摘した時から気になっていた疑問を口にする。

 

「ていうかなんであの女、風紀委員のくせにあんなスカート短くしてんだ?好きな男でもいんのか?」

 

 わざわざ他人に付け入れられる隙を見せてまで、何故あんな短いスカートを履いている。あの女だってバカじゃないんだからそれぐらいわかるだろうに、なんでわざわざスカートを短くしているのか。単純に疑問だった。

 すると来ヶ谷から意外な答えが返ってくる。

 

「ああ、それは彼女なりに一般生徒へ歩み寄っていった結果だよ」

 

「歩み寄る?」

 

「彼女は去年まではスカート丈も膝まであり、普通の格好だったんだがな。今年風紀委員長に就任する際に周りの風紀委員からもっと親しみやすい感じにしたほうが良いと言われたそうだ」

 

「まさかそれでスカートを?」

 

「うむ、そのまさかだ。佳奈多くんはあれで風紀委員達からカリスマ的に好かれてるからな。そんな風紀委員達が調子に乗ってスカートを短くすることを提案したらしい。おまけに委員の大半が提案に乗ってきたために佳奈多くんも断り辛くなりその話を飲んだというわけだ」

 

「マジかよ……」

 

 あの女、そんなんで自分の信条曲げんのかよ。まぁ、だが風紀委員も組織だし、あいつも所詮は組織の一員。委員長でいられるのも組織の中での信頼あってこそだ。

 その組織の長であるあの女は構成員の期待を背負う立場にあるからな。しかもそれが自分のための提案という体裁があるものだから無下にはできなかったのであろう。まぁ、だからといって同情はしないが。

 

「全く、今までも指摘しそうな輩は個人的に排除してきたというのに、新入りの君に関しては全くの想定外だった。これでもう彼女のお御足を眺めることはできなくなったというわけだ。はぁ、折角の目の保養が……」

 

「知るか」

 

 目の保養だとかいうが、僕はあの女の姿を見るだけでムカついて堪らないのだが。確かに美人ではあるが、僕にとっちゃもう嫌悪の対象でしかない。これから間違いなくあの女のスカート丈は長くなるだろうが、んなこと知ったことか。

 大体、スカートを短く履けば可愛いだとかいう考えそのものが受け付けん。肌の露出は僕とて時にそそられるものはあるが、基本的に女は慎ましく有るべきだというのが僕の考えだ。それこそ白柳弓のように謙虚に美しく、立ち振舞も素晴らしい大和撫子たれと思う。過度な露出で男の気を引こうという低俗な考えには、どうにも僕にはなれんな。

 そんな事を考えていると、来ヶ谷がふとこんなことを言い出した。

 

「しかし、昨日理樹くんから聞いた話も含めると、君は中々下衆なことを平然とやってのけるのだな」

 

「下衆?どこが。僕は普通に三枝の無実を証明してやったに過ぎない。それのどこが下衆だというんだ。寧ろ褒めてくれよ」

 

「勿論、葉留佳くんを助けたその行いは賞賛に値する。褒美にお姉さんが撫でてやろう」

 

 そう言って来ヶ谷は有宇の頭を撫で始めた。いつもなら髪が乱れると言って払いのけるところだが、自分から褒めろと言った手前、流石にそれは憚られた。

 しばらく有宇の頭を撫でると、来ヶ谷は撫でるのを止めて話を続ける。

 

「しかし、些かやり過ぎなところも見えるのでな。お姉さんからちょっと注意しておこうかと思ってな」

 

「やり過ぎってなんだよ」

 

「相手の弱みに付け入るだけならまだしも、そこに加虐性があるようにも見えるということさ。君は君自身が敵と認識した相手であれば傷つけることに躊躇がない。それは、相手を窘めるという行為から行き過ぎた行いではないかね」

 

 要はやり過ぎだって言いたいってことか。おそらく二木に脅しをかけて罵声を浴びせたこと、飛鳥馬美咲を過度に攻め立て脅迫したことを言っているのだろう。この前僕をボコボコに殴り倒した奴のセリフとは思えんな。

 

「はん、弱みを見せた奴が悪いのさ。大体、ちゃんと叩いておかないとああいう手合は図に乗ってくるし後が面倒だ。それに今回非があったのは向こうだ。何が悪い」

 

「正しさを盾に相手を傷つける行為は佳奈多くんのやったことと変わりないのでは?」

 

「あいつのはただの言いがかりさ。そこに正しさも正義もない。自分の下らないプライドで動いてるだけだ。それと比べ僕は少なくとも、ちゃんと物事を秩序立てて理路整然と自分の正しさを主張している。あいつとは違うのさ」

 

「そうかもしれないな。ただ……」

 

 そう言葉を切って来ヶ谷は言う。

 

「他人を傷つけることに慣れてしまえば、いつか君自身を傷つけることになる。君自身、わかってることじゃないかね」

 

「……」

 

 それを聞いて有宇は押し黙る。

 来ヶ谷の言い分は実に図星であった。有宇自身、これまで自分の地位を築くために他人を利用し、蹴落としてきた人間であった。そしてその末にしっぺ返しに合い、傷つき全てを失った。

 ただ、それでも……。

 

「別に、向こうが何もしてこなきゃ僕だって手は出さない。ただ、僕と敵対するのであれば、それが誰であろうが潰すだけだ。それで相手がどうなろうが知ったことか」

 

 有宇は来ヶ谷に睨み返し、そう返した。すると来ヶ谷は呆れ気味で言う。

 

「ふむ、やはり君は中々強情だな。ではそんな君には私からこの称号をやろう」

 

「……え?」

 

 

 〈有宇は" ゲスの極み乙坂 "の称号を得た〉

 

 

 どこからともなくテロップが流れる。

 

「……ってなんでだぁぁぁ!!」

 

 来ヶ谷に称号を与えられると、有宇は絶叫する。

 

「おや、お気に召さなかったか。下衆な君にピッタリの称号だろう。どの辺が気に食わないというのかね」

 

「全部だ全部!特に何だこの不倫した挙句未成年に飲酒強要してそうな称号は!不名誉にも程があるだろ!」

 

「ふむ、よくわからんが君が怒ってるということだけはわかる」

 

「当たり前だ!大体、その称号ってバトルしなきゃ付けられないはずだろうが」

 

 有宇がそう憤慨すると、今まで黙って有宇と来ヶ谷のやり取りを見守っていた理樹が話に入ってくる。

 

「そんなことないよ。鈴もボールのコントロール悪過ぎて恭介に『神なるノーコン』の称号付けられてたし、バトルじゃなくても付けられるみたいだよ」

 

「マジかよクソッ……」

 

 じゃあ何か、この不名誉な称号をずっと背負っていかなきゃならないってことか。そんなの御免だぞ僕は。

 

「とにかく僕はそんな称号認めないぞ。人助けしてやったのに下衆呼ばわりとか不名誉にも程がある」

 

「ふむ、つまり正式にバトルでつけて欲しいと。そういうことかね」

 

「……は?」

 

 来ヶ谷の一言に体が凍りつく。おい、まさか……。

 

「理樹くん、恭介氏を呼べ。さぁ、バトルといこうか、少年」

 

「……マジかよ」

 

 そしてこの後、直枝さんの電話を受けて駆けつけてきた恭介の号令の元バトルが行われた。

 バトルの結果?そんなもん聞くまでもなく僕がボロ負けした。こっちはハサミという割りかし殺意高めの強力な武器を手にしたというのに、僕は来ヶ谷に一瞬でガムテープで簀巻にされて見事ボロ負けした。

 それから教室に戻ってくると、ガムテープでボロボロになった僕を見て、蒼士は「お茶買いに行っただけで何故そうなる」と一言。僕が聞きたいわ。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 放課後、今日は女子ソフトボール部がグラウンドを使うとかで野球の練習はなかった。そして有宇はやることがないので手持ち無沙汰であった。

 暇だな。思えばリトルバスターズに入ってから放課後はずっと練習があったし、放課後暇なときなんてなかったからな。

 さて、どうするか。蒼士達は部活があるし、リトルバスターズの連中は………だめだ、今行ったら昼につけられた『ゲスの極み乙坂』の称号で呼ばれそうだし、普通にムカつくから今日は会いたくないな。

 すると有宇は昼の一件もあってか、ふと神北小毬のいる屋上が頭に浮かんだ。

 昼間助けてやったし、菓子ぐらい貰えるだろうし行ってみるかな。あの女ならぼくを下衆呼ばわりはしないだろうしな。どうせ暇なんだ、一人寂しく屋上で肥え太っているであろうあの女の話し相手にでもなってやるか。

 そう考えると有宇は屋上へと向かって行った。

 

 

 

 ホコリまみれの階段を登り屋上へ辿り着く。屋上はいつものごとく鍵が閉まっていたが、すぐ脇の窓が開いている。どうやらちゃんと居るようだな。

 有宇は以前来たときのように椅子を踏み台に窓の向こう側へと身を乗り出し、屋上へと降り立つ。辺りには当然誰もいないのだが、背後の給水塔に人の気配があった。梯子を上がっていくと、給水タンクに寄りかかって寝ている神北小毬を発見する。

 

「随分と無防備なもんだな」

 

 いくら誰も来ないからと行って、無防備でこんなとこで寝てたら、万が一教師や風紀委員が来たとき対応できないだろうに。そうでなくとも、もし偶然ここに来た男子に、変な気でも起こされたら一環の終わりだな。

 というかよく見てみるとよだれ垂れてないか?女のくせにだらしねえな……ったく。

 有宇はポケットからティッシュを一枚取り出して、神北のよだれを拭こうとする。よだれを拭くと、神北は寝言混じりに何かを呟いた。

 

「う……ん、お……にぃちゃん」

 

「え?」

 

 お兄ちゃん?なんだ、こいつ兄さんがいるのか。こいつの兄さんって、やっぱこいつみたいな男なんだろうか。こいつの男バージョンとかあんま考えたくないな。

 男で「ほわぁ!」とか「うえーん」とか言って、アリクイのパンツ履いてたら気持ち悪いしな。会うことはないだろうが、兄さんの方はまともであって欲しいものだ。

 そんなこと考えている間に、いつの間にか神北の目が開いていた。

 

「おっ、ようやく目覚めたか」

 

「ふぇ……………ふえぇぇぇぇ!?ゆ、有宇くん……!?」

 

 目覚めるなり神北は奇声を発し叫び始めた。

 

「んな驚くことないだろ。うっせえな」

 

「ゴメン……ちょっと驚いて。でも今日はどうしたの?」

 

「練習なくて暇だから、菓子でも貰いにと思ってな。ほら、昼間助けてやったろ?何でもいいからなんかくれよ」

 

「そうだね。まだちゃんとお礼してなかったもんね。ありがと有宇くん。あ、そこの袋のやつ自由に食べていいよ」

 

 大分恩着せがましい言い方だったと思うのだが、その辺は気にしないのな。本当変わった女だ。というかいつの間にか名前呼びになってる。別にいいけど。

 それから有宇は神北のビニール袋からミニバウムクーヘンを取り出すと、それを口にする。

 

「美味しい?」

 

 神北が聞いてくる。

 

「んっ、美味い」

 

「えへへ、なら良かったよ。でも本当今日は有宇くんいて助かっちゃったよ。二木さんちょっと怖いから……」

 

「そうか?僕に言わせりゃあんなのより来ヶ谷の方がよっぽど恐ろしいぞ」

 

「え〜唯ちゃんは可愛いよ」

 

 あれが可愛いと呼べるのなら、この世の大概のものは可愛いに分類されることになるだろうな。こいつはあの女の恐ろしさを味わったことがないからわからんのだ。

 

「そういえばはるちゃんのことも助けてあげたって理樹くんから聞いたよ。有宇くん優しいんだね」

 

「別に見捨ててやっても良かったが、二木のやり方が気に入らなかったからな。それに直枝さんも絡まれてたし、それで手を貸してやっただけさ」

 

「正直、有宇くんちょっと怖いイメージあったけど安心したよ。本当は優しい男の子だったんだね。ちょっとエッチだけど」

 

「エッチではねぇよ……」

 

 この話聞いてそうで聞いてない感じとかも、なんとなくココアを思わせる。もう慣れたからいいけど別に。あと別に僕は助平ではない。

 この流れでまた下衆だとかいう話になってもあれだし、話題変えるか。

 

「そういやあんたって……」

 

 そう有宇が言いかけたとき、口元に人差し指を向けられる。

 

「あんたじゃなくてちゃんと名前で小毬って読んで欲しいな。私も有宇くんって呼ぶから」

 

 ……こういう変なとこ気にするところとか、強引なところとかも、どこかあの心愛(おんな)を思わせる。

 そして有宇は改めて言い直してから尋ねる。

 

「じゃあ……小毬先輩って、兄さんいるのか?」

 

「ふぇ?」

 

「さっき寝言で言ってたろ?お兄ちゃんって」

 

 有宇がそう言うと、神北は再び混乱する様子をみせる。

 

「うえぇぇぇん!!寝言聞かれてたー!?めちゃくちゃ恥ずかしい……」

 

 いや、そうやって叫んで泣き喚く方が恥ずかしいだろ。ていうかこんな喚いてたら誰か来るかもしれないだろ。よくこんな調子で今まで見つからなかったな。

 

「ううっ、有宇くんにものすごい辱めを受けました……」

 

「いや辱めてはねえよ」

 

 なんか前もこんな流れあった気がする。すると神北は落ち着きを取り戻すと僕に向け指を指す。

 

「寝言、聞かなかったことにしよー。おっけー?」

 

「それ意味あんのか?そんなんで忘れるわけないじゃないか。現に直枝さんから聞いたアリクイパンツの話もちゃんと……」

 

 有宇がそう言いかけると、神北は指を有宇の頬にグリグリと突き刺すように指を押し込む。

 

「おっけー……?」

 

「おっ、おっけー……」

 

「よし、私も聞かれなかったことにしよう」

 

 ただならぬ雰囲気を感じて思わず頷いてしまった。

 なんだ、言っちゃまずかったのか?以前の練習のときに直枝さんからこの女と出会ったときの話で聞いたのだが、こいつ的には聞いてはいけないことだったらしい。

 そういやその時も「見なかったことにしよう」と言われてたとかなんとか言ってたな。こいつの中では通例の儀式みたいなもんなんだろうか。まぁ、どうでもいいか。

 有宇は脱線した話を戻す。

 

「で、兄さんいるのか?」

 

「ううっ、めちゃくちゃ覚えてる……まぁいっか」

 

 そう呟くと、神北は少し哀愁漂わせる雰囲気を帯びる。

 

「でもね。私はひとりっ子。つまり、お兄さんとかいないんだよね」

 

「えっ?じゃあさっきの寝言なんだよ。イマジナリーブラザー?」

 

「イマジナリー?よくわかんないけど、その人は夢の中にしかいないの。夢の中だけのお兄ちゃんなのです」

 

「えっ……」

 

 夢の中だけって、それってまるで……!

 それを聞いた瞬間、有宇の中にある人が頭に浮かぶ。今朝も夢の中に現れたあの人のことが。

 そしてそんな有宇に構わず、神北は話を続ける。

 

「いつも日だまりみたいな声で優しく絵本を読んでくれるの。ひよこと鶏さんのお話。ちょっと悲しいお話なんだけどね」

 

「……悲しいお話って?」

 

「それが覚えてないんだよね。夢から覚めると忘れちゃうんだ。だからいつも、夢が覚めると悲しくなる……」

 

 僕もそうだ。あの夢を見た後、なんとも言えない喪失感を覚える。それがなんとも……寂しくも思える。

 

「なんて、変だよね。いもしないお兄ちゃんの夢を見るなんて……」

 

 神北が自虐混じりに笑いながらそう呟く。すると有宇は意を決して神北に声をかける。

 

「神北先輩……僕もあるんだ」

 

「ふぇっ?あるって何が?」

 

「僕も……あんたみたいに、ある人が夢に出てくるんだ……」

 

 そして有宇は神北に語り聞かせた。自分の夢に出てくる男のことを。

 

 

 

「まさか、私とおんなじ境遇の人がいたなんてビックリだよ!私と同じ夢の中にお兄さんが出てくる人がいるなんて」

 

 有宇の夢についての話を聞かせると、神北は嬉しそうにはしゃいでそう言った。

 

「いやいや、僕のは別に兄さんだって決まったわけじゃ……」

 

「でも有宇くんの妹さんも、家族がもう一人いるかもって言ってたんでしょ?じゃあきっとお兄さんだよ。夢の中で宿題教えてくれてたぐらいだし、間違いないよ」

 

「は、はぁ……」

 

 あの人が……僕の兄さん。その可能性を考えなかったわけでもないが、でも僕に兄さんがいるなんて叔父さんからも聞いたことがないし、僕はずっと歩未としか過ごしてない。

 どうなんだろう……わからない。でも、兄と言われればそれに納得している自分もいるし、でも自分に兄さんはいないし……。

 夢の男の正体に一歩近づいていくことに、有宇は若干の困惑を見せる。すると、そんな有宇に神北がある提案を持ちかけてきた。

 

「ねぇ、有宇くん。確かめてみない?」

 

「確かめるって、何を……?」

 

「夢の中のお兄さんが本当にお兄さんなのかをだよ。有宇くんだって気になるでしょ?」

 

「まぁ、そりゃ……」

 

 あの人が本当は誰なのか。別に知る必要はないと言い切るのは簡単だが、やはり気になるものは気になる。

 

「今まで私、夢のことだからって思って放っておいてたけど、これってチャンスだと思うんだ」

 

「チャンスって?」

 

「だって、同じ境遇の人がいれば、何もわからなかったときよりも一歩前進できるかもしれないから」

 

「まぁ、確かに……」

 

 確かに何もわからないときと比べたら一歩前進かもしれない。単純に、この誰にもわかってもらえない(わだかま)りを共有する相手を得たというだけの話ではない。もしどちらか片方が夢の男の正体に近づくことができれば、もう片方の夢の男の正体にも近づけるかもしれない。少なくとも意味がないことはないはずだ。だから……

 

「だから、ね?一緒に夢のお兄ちゃんを探してみようよ」

 

 僕は神北小毬のこの提案を飲むことにした。




こまりんルート突入です

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