幸せになる番(ごちうさ×Charlotte)   作:森永文太郎

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第35話、昼休みの一時

「……ダルい」

 

 朝のホームルーム前、有宇は教室で机に突っ伏していた。

 

「よう乙坂、なんか元気ないな。折角のイケメンが台無しだぜ」

 

 クラスメイトの男子、もとい谷川蒼士(たにかわあひと)はそう僕に話しかけた。

 転校初日からよく話しかけてくるので流石に名前も覚えた。しかしこいつ、色々教えてくれるのは有り難いが、よく絡んでくるので鬱陶しい。

 ちなみに男子相手なので、特にキャラ作りはしないで接している。

 

「僕はそもそも朝はこのぐらいのテンションなんだよ。それに朝練で疲れてるんだ。寝かせてくれ」

 

「朝練?リトルバスターズって朝練あるんだ」

 

「僕もあると思わなかったよ……」

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 今朝、僕の部屋に恭介、筋肉バカ、直枝さんの三人が突然訪れた。寝ていた僕は何事かと驚いて眠気も一瞬で吹き飛び、そのまま目を覚した。

 

「おいおい、初日から寝坊とは感心しないな」

 

 今起きたばかりの僕に対する恭介の第一声がそれだった。

 

「寝坊? なんのことだ!まだ朝の六時だろうが!」

 

 時計は朝の六時を指していた。朝のホームルームが8時半だからまだ全然寝る時間はある。だというのに、何故こんな時間に叩き起こされなきゃならんのだ。

 

「えっと、もしかしてメール見てない?」

 

「メール?」

 

 直枝さんにそう言われ携帯を確認する。

 昨日、入団テストの後に全員とメアドを交換したのだが、そういや必要な連絡はメールで伝えるとか言ってたっけか。

 そしてメールを見ると、恭介から朝練をやる旨を伝えるメールが届いていた。

 

「朝練なんてやるのか……」

 

「ああ、俺達も今朝メール見て初めて知ったぜ」

 

「恭介のやることはいつも突然だからね」

 

 筋肉バカと直枝さんは特になんの不満もなさそうにそう話す。

 何故正式な部でもない、こんなお遊び如きに一々朝練などしなくてはならんのだ。やるにしたって昨日の段階でちゃんと連絡しろよ。

 

「女子ソフトボール部がグラウンドを使っていない時間は限られてるんだ。さぁ、乙坂も急いで着替えろ。青春の朝日が今登る!」

 

 恭介はそう言って手に持ったバットを掲げる。

 部屋でバット振り回すな。危ねえだろ。

 そして有宇の不満など相手にもされず、結局体操服に着替え、朝からグラウンドで練習する羽目になったのだった。

 

 

 

「はぁ、疲れた……」

 

 朝練終了後、僕は野球部部室で直枝さんと道具を片付けていた。

 

「お疲れ、大変だった?」

 

「大変というか何というか……」

 

 練習自体は大したことはやっていない。まだ人数も足りていないし、最初に走り込みを軽くやった後は各自で個人練習といった感じだ。

 筋肉バカはグラウンドの端でひたすら筋トレ、ゆるふわ女は基礎体力を上げるため走り込み、鈴さんはピッチャーなのでピッチング練習、直枝さんはそのためのキャッチャー、そして僕が鈴さんのボールを打つバッターで、恭介が打ったボールを捕る外野、なのだが……。

 

「あの人のコントロールなんとかならないのか……。いつ自分に当たるかと思うと恐怖でしかない……」

 

 鈴さんのノーコンは本当に目に余る程だった。

 今朝の段階でまず一度もキャッチャーミットにボールを入れられていない。いや、コントロールが悪いだけならまだしも、これで無駄に投球はクソ速いから、外した球がこっちに飛んで来て当たると悲惨なことになる。

 しかも僕なんてバッターだから尚更当たりやすいのだ。

 今朝の練習でも一発腰の右側に直撃し、マジで腰椎(ようつい)砕け散るかと思った……。

 

「あはは、こればかりは鈴が上手くなってくれるよう願うしかないよ。なんなら僕とポジション交代する?」

 

「いや、あの人のボール捕り続けなきゃならないとかまっぴら御免です」

 

「だよね……」

 

 そして道具を片付け終わると、授業に出るため部室で制服に着替える。

 鈴さんと神北先輩が先に着替え、その後僕と直枝さんが中で着替える。恭介達は学食で席を取っておくと言って、先に外で着替えて学食へ行ってしまった。

 そして着替えている途中、ふと疑問に思い直枝さんに尋ねる。

 

「そういえばここ野球部の部室ですよね?」

 

「うん、そうだよ」

 

「野球部はどうしてるんですか?ここ使われると迷惑なのでは?」

 

 野球部なんてどこの学校にもあるメジャーな部活だ。活動してないとは考え辛いが……。

 

「野球部はゴタゴタがあってね。それで今は休部状態なんだ」

 

「ゴタゴタって?」

 

「……二年前のことなんだけどね。うちの野球部、地方大会の決勝までいけたんだけど、ある部員のミスで負けちゃったんだ。それで元々部でも孤立していたその部員は誰からも慰められず、一人傷ついていたんだって」

 

「そいつと野球部の休部、なんの関係が?」

 

「そんな彼を慰めたのはね……薬だったんだ」

 

「薬……ですか」

 

 薬というのは、まぁ麻薬のことだろうな。大方傷ついた心を薬で埋めたってとこだろうか。

 

「なんでも大会のことで落ち込んでるところで、先輩から薬を貰ったって話でね。当時、ある大学生のグループが東京の渋谷を中心に安価で新種の薬をばら撒いていたとかで、若い人の間でその薬が出回ってたんだ」

 

「それでその部員はその薬に手を出したと」

 

「うん、それでその部員が薬を使ったことが公になると、そこから芋づる式に薬を勧めた先輩も捕まって野球部は大問題になったんだ。その後は無期限の活動停止処分、今もそれは解けてなくて実質廃部状態なんだ。それでこれ幸いと僕達がこの部室を乗っ取ったってわけ」

 

「ふーん……」

 

 酒で休部処分っていうのは聞いたことあるけど薬か……。

 人間弱ってるとなんにでも(すが)りたくなるからな。最も、後のリスクのことも考えられないようじゃ、何をしても結局同じような結末になっただろうよ。まぁ、他の部員からしたらいい迷惑だろうな。

 

「にしても詳しいですね、直枝さん」

 

「僕も恭介から聞いたんだ。恭介が一年の時のことだしね、僕達は知らなかったよ。でもまぁ、使わせてもらうわけだから何があったか知っておきたくてさ。それで恭介に聞いたんだ」

 

「そうですか」

 

 そんな事を一々気にするなんてお人好しだな、この人も。

 まぁ、そんな人でもなきゃあの頭のおかしな連中とも付き合ってられんか。

 それから着替え終わると二人で部室を出る。すると今まで気づかなかった物が目に留まる。

 

「……犬小屋?」

 

 部室の裏に犬小屋らしき小さな屋根付きの木箱が置いてあった。中にボロ布が敷いてあることからも犬小屋であることが伺える。

 そんな僕の疑問に直枝さんが答える。

 

「ああ、それ。当時野球部で飼ってたらしいよ。グラウンドに捨てられてたらしくてみんなで飼おうってなったんだって」

 

「ふーん、でその犬はどこへ?」

 

「……さぁ。部員の一人が練習の邪魔だからって遠くの街に捨てたらしくて、今生きてるのかどうかも……。足も不自由で貰い手も見つからなかった犬だっていう話だから、もう生きてないのかも。ほんと、酷い話だよね」

 

「そうですか?練習の邪魔になるんなら捨てて正解でしょう。野球部ならスポ推で入って成績残したい奴もいたでしょうし、必死に練習したい奴もいたでしょう。なのに練習ほっぽって犬の世話なんてされちゃ、真剣に野球やりたい奴にとっちゃ邪魔でしかない」

 

「確かにそうかもしれないけど……。結構有宇って容赦ないね」

 

「あいにく動物に情を持つほど僕は優しくなれないんでね。まぁ、飽くまで犬を捨てた部員の気持ちもわからなくはないって話ですよ。僕がその部員なら他の部員から反感を買われない手段をちゃんと取りますね」

 

「そういう問題じゃないけど……」

 

 にしてもさっきの話といい、犬の話といい。まさかと思うが……。

 

「その部員って、もしかしてさっきの……?」

 

「うん、そのまさか」

 

 なる程、そりゃ孤立するだろ。

 何をそんなに必死になってたかは知らんが、ちゃんと他の部員との妥協点は探すべきだったろうな。

 その結果部内で浮いて、おまけに大事な大会で失敗して味方を失くしちゃどうしようもないわな。

 

「で、その部員って今どうしてるんですか?まだ塀の中ですか?」

 

「ううん、もう亡くなってるよ」

 

「死んだんですか?」

 

「薬で錯乱して道路に飛び出したところをトラックに引かれたんだって。それで薬のことが公になったんだ」

 

 誰からも愛されず、終いには薬漬けになった挙句に死ぬとか。そいつ……悲惨な人生だな。

 僕もカンニングのせいで、まともな人生からフィードアウトした身だからな。なんとなく他人事とは思えなかった。

 

「死ぬ直前までずっと言ってたんだって、『天使の羽根が見える』って。なんか不気味だよね」

 

 天使の羽根か。本当にそんなものが見えたのなら、そいつは天使によって天国にでも召されのだろうか。

 それとも、死後の世界で生前の自分の運命を呪って、理不尽な人生を押し付けた神や天使と殺りあってたり……なんてのは少しファンタジーが過ぎるか。

 すると直枝さんは暗い表情を浮かべる。

 

「でもさ、案外僕らも他人事じゃないよね」

 

「他人事じゃないって?」

 

 僕は……まぁあれだが、直枝さんはそんなことないだろうに。

 

「だってそうだろ、ちょっとした何かのきっかけで人間、こんな風になっちゃうんだよ。だから僕らの人生も、ちょっとした何かがきっかけで全部崩れ落ちちゃったりするかもしれないって思えるんだ」

 

 ……確かにそうだな。現に直枝さん達はあと二ヶ月もしない内に、修学旅行の事故に合って、この人は仲間も、周りからの信頼も、全てを失うことになるのだから。

 前日に雨が降った。たったそれだけの事でこの人達はそんな理不尽な運命を突きつけられるんだ。そういう意味ではこの人も決して他人事ではないのだろう。

 

「なんて考えすぎかな……あはは」

 

「……いえ、警戒しておくに超したことはないと思いますよ」

 

「そ、そう?」

 

「それより早く行きましょうか。食べる時間が無くなります」

 

「そうだね。じゃあ行こうか」

 

 そして僕らは朝食を食べに学食へと向かった。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 昼休み、蒼士と学食にでも行こうと思った時だ。

 

 プルルルル

 

 ポケットの中の携帯が着信音とともに小刻みに震える。

 まさか昼も練習するつもりか? ったく、昼ぐらいゆっくり食わせろよ。

 僕はチッと舌を鳴らすと携帯を取る。

 

『あ、もしもし有宇? 理樹だけど』

 

「直枝先輩、昼ぐらい食わせてくださいよ。いくらソフトボール部とのグラウンドの使用の兼ね合いがあるからって……」

 

『練習? 違う違う。ちょっと頼みごとしたくて』

 

「頼みごと?」

 

『うん、昼食べに行こうとしたら教室で真人と謙吾が喧嘩しちゃってさ。僕じゃ止められそうにないから恭介呼んできてくれないかな?』

 

「あいつらか……。あーわかりました。で、奴はどこに?」

 

『それが三年の教室にいなかったから、ちょっと今どこにいるのかわからなくて……。電話も通じないし、僕も探しに行きたいんだけど真人達から目離せなくて……』

 

「あーじゃあ適当に探してみます」

 

『ごめんね、それじゃあよろしく頼むよ』

 

 そう言って直枝さんは電話を切った。

 

「クソッ、あのバカ共が。僕の手を煩わせやがって……」

 

「バカ共って井ノ原先輩と宮沢先輩か。乙坂も大変そうだな」

 

 蒼士も今の会話で内容を察してそう言う。

 

「そういうことだから、悪いが飯は一人で行ってくれ」

 

「ああ、それは構わないけど……」

 

 すると何やら蒼士が言葉を濁らせる。

 

「なんだよ?」

 

「いや前から思ってたけど、お前教室にいるときと性格違うよなって」

 

「逆に何故男相手に、この僕が気を使わなければならないんだ?」

 

「お前なぁ……。まぁ、ある意味正直でいいけど。それじゃあ俺行くわ」

 

「悪いな」

 

 教室の前で蒼士と別れると、僕も恭介を探しに外へ出る。

 おそらく僕の予想だと、奴は外の自販機でジュースでも買いに行ったのだろう。携帯が通じなかったのは大方教室の机の中か鞄の中にでも置きっぱなしなのだろう。

 僕らの世代の高校生だと携帯はスマホが主流で、肌見離さず持っていることが多いのだが、この時の学生はまだみんなガラケーを所持しているようだ。

 ガラケーはスマホより機能も少ないし、ゲームだのインターネットだのは出来なくはないだろうが、大したことはできないだろう。基本的には電話かメールしか使えないしな。学校の中にいるのに、わざわざ学内にいる友達に電話やメールをすることもあまりないだろうし、机の中に置きっぱとかもザラにあることだろう。

 今だとスマホでちょっとした連絡もL○NEとかで気軽に出来たりもするから、学校の中でも結構使う頻度が多い。友達同士でゲームするのに使ってたりもするしな。

 たった三年だとしか思っていなかったが、こういうところでジェネレーションギャップというのだろうか? タイムスリップによる時間経過を見に染みて感じる。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 それから僕は自販機のある中庭へと赴く。しかし恭介の姿はない。それならばと今度は裏庭へと向かう。

 この学校では渡り廊下を挟んで校舎側を『中庭』と呼び、体育館側を『裏庭』と呼ぶらしい。全体を指して中庭と呼ぶことが殆どだが、限定的に場所を示すときにはこの呼称が使われるそうだ。

 そして裏庭へと向かおうとした時だった。

 

「少年、こっちだ」

 

 後ろから聞き覚えのある声がしたので振り返る。しかし誰もいない。

 あの声、確かに()()()の声だった筈だが……幻聴か?

 

「どこを見ている。こっちだ」

 

 今度は横から声がする。しかしそこにも誰もいない。

 

「ったく、なんなんだ……ってうおっ!?」

 

 再び正面を向くと、いつの間にか()()()がそこにいたのだった。

 

「はっはっは、驚いたかね」

 

 僕を脅かして、いたずらに微笑んでいるのは、後にリトルバスターズのメンバーになる女、来ヶ谷唯湖であった。過去に来てからは、会うのは初めてになる。

 

「これは横や前ばかりじゃなく前向きに生きろという僅かな示唆を表してみたわけだが……」

 

「いや、さっき全然違う方向から声が聞こえたんだが……」

 

「何だ幻聴か?あまりよろしくない兆候だな」

 

 あいにく耳も精神も至って正常だっての。

 

「まぁ、ただの反響による誤聴だろう。中庭はそういう構造らしいからな」

 

「いや無理があるだろ」

 

 真正面にいるお前の声が後ろや横から聞こえてくるのは流石におかしいだろ。

 この女は相変わらず掴みどころがないというかなんというか……。とにかくこいつのペースに流されたらいけない。さっさと恭介を連れ戻してバカ二人の喧嘩を辞めさせなければ……。

 

「ちなみに棗恭介を探しているのであれば、いつもの面子と体育館に向かっていくのを見たぞ」

 

「何っ!?」

 

 来ヶ谷にそう言われて携帯を取り出す。すると直枝さんからメールが来ていた。

 

 

 

 ───────

 

 有宇ごめん!恭介来たからもう大丈夫。

 探してもらっちゃってごめんね。ありがとう。

 今度御礼に何か奢るよ。

 

 ───────

 

 

 

 なんだよ、見つかったのかよ。僕がわざわざ探した意味ないじゃないか。これだったら電話無視して蒼士と学食に行けばよかった。

 まぁ、直枝さんが何か奢ってくれるっていってるし、それに期待するかな。

 にしてもこの女、僕が恭介を探してるってなんでわかったんだ。

 

「そんなに睨むな。なに、君が昼も食べずに誰かを探している様子だったから予想がついただけさ。君がリトルバスターズに入ったことは噂で耳にしているから、君が探しているのはメンバーの誰かだろうと。そして理樹くんとバカ二人と鈴くんと小毬くんは教室にいた覚えがあるしな。となると君が探している人物は棗恭介だろうと予想を立てたわけだ」

 

 僕の心の内を見透かさしていやがる。この女、やっぱ油断ならねぇな。

 そして、一応僕らは初対面なので、建前としてこう尋ねる。

 

「えっと……ところで先輩はどなたでしょうか?」

 

「ほお、リボンを付けていないのに、よく私が君より先輩だとわかったな」

 

 しまった、僕の方はこの女が直枝さん達と同い歳だということを知っているが、今はまだ初対面。この女の学年を知っているのは不自然だ。しかも学年を判別するリボン(男子はネクタイ)をこの女は付けておらず、胸元を大胆に見せていやがる。

 

「えっと……そう、さっき恭介先輩のことを呼び捨てで呼んでいたので、先輩なのかなと」

 

「ふむ、お姉さんから溢れ出る大人の色香を感じざるを得なかったと」

 

「誰もそんなこと一言も言ってねぇ!」

 

「はっはっは、冗談だよ」

 

 この女ぁ……ぶん殴ってやりたい。

 

「では改めて。理樹くんのクラスメイトの来ヶ谷唯湖だ。君は確か一年の乙坂有宇くんだったかな?」

 

「僕のこと知ってるのか」

 

「リトルバスターズというのは君が思ってる以上に有名なのだよ。彼等は去年から学校中で色々とやらかしているからね。そんな怪しい一団に怪しい転校生が入ったとなれば噂にもなる」

 

 リトルバスターズに入団してから昨日の今日だというのに、こんなにも早く噂になるとは……。有名になり過ぎるのもあまり気持ちがいいものではないものだな。

 僕は知らないのに、僕の知らぬ赤の他人は僕の事を知っている。それは凄く気持ちの悪いことだ。以前僕が陽野森にいたときも、僕の携帯のメアドが他人に漏洩しており、顔も知らぬ同学年の女子から告白の待ち合わせのメールが届いたこともあった。

 当然告白は断ったが、その後僕が学校を辞めラビットハウスに来た後も僕にいたずらメールを送る輩がいたようで、友利から受け取った携帯には大量のイタズラメールが届いていた。メアドはすぐに変えて、陽野森のクラスL○NEや中学までのL○NEのグループなども全部退会して、過去の人間関係をリセットした。

 ちなみに白柳さんからもL○NEが来ていた。他の奴等とは違い僕の事を心配してくれているようで、返信が欲しいとのことだった。だが今更会わせる顔もないので、返信は無視して未だに何も返していない。

 ともかく一方的に個人の情報を知られているというのはあまり気分のいいものではない。実際に被害にあってみるとその恐ろしさがよくわかる。

 出来れば噂にならないように慎ましやかに過ごしていきたいが、あいつ等と一緒じゃそれも叶わないか。かといって辞めるわけにもいかないし……。

 

「おやどうした?顔色が悪いようだが」

 

「いえ、お気遣いなく。それじゃあ僕は失礼します。恭介先輩の場所教えてくださりありがとうございました」

 

 そう言ってその場を立ち去ろうとする。するとそんな僕を来ヶ谷が呼び止める。

 

「まぁ待ち給え。こうして会ったのも何かの縁だろう。昼は私がご馳走するから寄っていくといい」

 

 寄っていくってどこに?ってそんなことはどうでもいい。

 ご馳走するということは何か奢ってくれるだろうか。それ自体は魅力的な相談ではあるが、この女との食事となると話は別だ。

 何かよからぬことになるに違いない。そんな気しかしないのだ。

 

「折角のお誘いですが遠慮しま……」

 

「そうか、ご馳走になってくれるか」

 

「いや、だから遠慮……」

 

「ええいうるさい黙れこの与太郎が」

 

 するといきなり雰囲気がガラリと変わる。

 殺気にも似た空気を漂わせ、細めた目から覗かせる鋭い眼光で僕を睨みつけ、動けなくする。

 

「逃げたら殺す。声を上げても殺す。助けを呼んでも殺す。黙って私に付き合え」

 

「……はい」

 

 流石にこの女には勝てる気がしないので大人しくそう頷いた。

 能力を使ってもいいのだが、たかだか五秒の間にこの女を僕から遠ざけたところで、すぐに追いかけられてやられる未来しか見えない。なんて不完全な能力なんだ。

 ここは大人しく従うのが懸命だろう。

 そして僕は来ヶ谷の強引な誘いに乗り、中庭の片隅に連れて行かれた。

 そこにはボロボロの木箱、美術室や技術室においてあるような背もたれのない丸椅子が置いてあった。

 

「私自慢のちょっとしたカフェテラスだ。遠慮せず腰掛けるといい」

 

 ロケーションは悪くない。校舎裏にひっそりとあるカフェテラス。中庭の歩道からも死角になっているため、人目を気にせずくつろげそうだ。

 

「でもこういうのって、勝手に置いて大丈夫なのか?許可とか必要なんじゃ……」

 

「なに、私はただ学園に皆がくつろげるスペースを作っただけだよ。ちゃんと許可も取ってある」

 

 ほんとかよ。大体こいつの私物らしき物しか置いてないし、絶対あんた一人で使ってるだろ。

 ていうか机の上見て思ったんだが……。

 

「……まさかとは思うが、ご馳走ってのはこの机の上に置いてあるキムチともずくのことを言ってるわけじゃないよな」

 

「君には他に何かあるように見えているのか」

 

「せめて米は……」

 

「こんなところに炊飯器が置いてあると思うのかね」

 

 木箱の机の上にはキムチともずくのビンが置いてあった。

 何故このチョイスなのかは疑問だが、百歩譲ってまぁいいとして、せめてこのラインナップなら米が欲しい。

 食べ盛りの男子にキムチともずくだけで昼を過ごせというのは酷な話だ。こんなもので腹が膨れるわけがない。ただでさえ、三限に体育があったっていうのに。

 

「……帰る」

 

「まぁ待ち給え、ちゃんと飲み物は用意してあるぞ」

 

 そう言う来ヶ谷の手には缶コーヒーが二つ握られている。

 

「飲み物の問題じゃねぇよ!」

 

「なんだ、君はあれか?おかずはご飯と一緒じゃなきゃ食べないタイプの人間か?」

 

「そういう問題じゃない!単にこれじゃ腹は膨れないって話だ!」

 

「全く、君は中々我儘な男だな。仕方ない、ではこれも付けよう」

 

 そう言うと来ヶ谷は制服のポケットからリボンの付いた小さな透明な袋を取り出す。中には茶と小麦色のクッキーが何枚か入っていた。

 ……キムチにもずくにクッキーってどんな昼食だよ。

 しかしこれ以上断るとまた脅される可能性もあるしな……。この女に目を付けられたのが運の尽き、放課後購買で余ったパンでも買って腹を満たすことにして、大人しくここは引き下がるか……?

 僕が葛藤している間に、来ヶ谷は僕の方から見て木箱の向かい側の丸椅子に腰掛ける。

 

「ほら、早く君も掛け給え」

 

「あーえっと……そう、直枝先輩のところ行って一応喧嘩がどうなったか見て行かないと」

 

「そんのもの、あとでメールで聞けばいい」

 

「腹痛が……」

 

「薬ならあるぞ」

 

 あるのかよ!そんなものよりパンの一つでも用意して貰えればまだ諦めがつくんだが。

 すると来ヶ谷も痺れを切らしたのか、不満気に言う。

 

「全く、君は何が不満なんだ。私は可愛らしい女学生であろう?見ろ、私がこうしているとまるで良家の令嬢を描いた絵画のようだろう?年頃の男子ならば喜んで私の誘いを受けそうなものだがな」

 

 そう言いながら来ヶ谷唯湖は足を組みポーズを取る。確かにスタイルもいいし、顔もいいし、性格以外は完璧だから割と様になっている。

 

「まぁ、黙ってれば割とそう見えなくもないが、こんなボロいカフェテラスじゃどこの没落貴族のお嬢様だよって感じだがな」

 

 ついポロッと本音が漏れる。いや、まぁ今更取り繕ったところで無駄な気もするがな。さっきからボロ出しまくりだし。

 

「はっはっは、言ってくれるじゃないか。それよりいい加減掛けたらどうだ?どうせ今から学食へ行ったところで、もう席は全部うまってることだろう」

 

 確かにそれもそうか。それでもまだ購買という手段もあるが……こいつの誘いを断ろうとしてもまたエンドレスでこの会話続きそうで、昼休みが終わるまでに買える気がしないしな。もう諦めるか。

 

「……仕方ない、付き合ってやるか」

 

「うむ、初めから素直にそう言えばいいのだよ」

 

 なんでこいつこんな偉そうなんだ。いや、歳上だからってのもあるんだろうが、おそらく僕以外にも尊大な態度を取ってるだろこいつ。

 取り敢えず丸椅子に手をつき腰を下ろそうとする。だが……。

 

 バキッ

 

「うおっ!?」

 

 椅子に手をついた瞬間、丸椅子の三本の足の内一本が外れ、腰を下ろす体制に入っていた僕はそのままバランスを崩して、そのまま尻もちをつく。

 

「はっはっは、ものの見事に引っかかったな少年」

 

 この野郎……確信犯か。ていうか絶対これがやりたくて僕を無理やりここに連れてきただろ。ふざけやがって……!

 

「貴様ぁ……僕とていつまでも温厚なままでいると思うなよ……!」

 

 もう我慢ならなかった。さっきから我慢して言う事を聞いてやってるのに、なぜこの僕がこんな仕打ちを受けなければならないのだ。

 舐められっぱなしも癪だ。この女を敵にするのは少し気が引けるが、なに、能力を使えばいくらこいつでも僕に勝てまい。

 

「そうか。ところでさっきから思ってたんだが少年、キャラがブレまくっているぞ。どれが君の素顔かな?」

 

「黙れ……この僕を怒らせるとどうなるか思い知らせてやる!」

 

 来ヶ谷を真正面に見据える。そして目を見開き能力を発動する。

 こいつとて女だ。服の一枚や二枚剥いでやれば、羞恥心のあまり僕に屈することだろう。

 だが、力を発動した瞬間、奴は目の前にはいなかった。

 

「あれ?どこに……」

 

「ふむ、思った以上に君は血の気が多いのだな。流石あのバカ共に自ら進んで付き合おうとするだけはある……が、相手は選べよ、少年」

 

 いつの間に背後に!すると次の瞬間、僕の体が180度回転する。そのまま地面に打ちのめされるかと思いきや、直前に来ヶ谷の腕に支えられる。

 

「まぁ、しかし今回は私にも非があるからな。ほれ、大丈夫か少年」

 

 そのまま来ヶ谷に支えられながら僕は体を起こす。

 クソッ、まさか喧嘩を売った相手に助けられるとは。屈辱にも程がある。

 しかし油断しきった今なら、このまま乗り移って……いや、やめておこう。よくよく考えてみれば、服を剥いたくらいでこの女が屈するとは思えないし(胸元思いっきり見せて歩いてるような奴だしな)、それでこの女を本気に敵に回したら今度こそ地面に打ちのめされることだろう。

 それに僕の目的は違うだろ。こいつら───リトルバスターズと信頼関係を築き、その上でバス事故の事を忠告して信じてもらうことだ。だというのにこの女と喧嘩なんかして信頼関係を崩壊させるようなことがあっては、僕の未来に帰る手立てがなくなってしまうではないか。

 落ち着け、感情に流されてはいけない。目的を見据えろ。僕がしなきゃならないことを考えるんだ。今は怒りを沈めろ。

 それから僕は来ヶ谷に新しい椅子を渡され、それに座る。

 

「はっはっは、許せよ少年。別に君が憎くてやったわけじゃない」

 

 来ヶ谷は僕のことなど物ともせず、意地悪く横柄に笑う。とことんムカつく女だ。

 

「しかし理樹くんならこれぐらい笑って許してくれそうなものなんだがな。君はいじり甲斐がなくてつまらんな」

 

「つまらなくて悪かったな」

 

 まさか直枝先輩にも同じような事いつもやってるのか?あの人の事だから許してくれるだろうけど、あの人リトバスでも色々と迷惑背負い込まされてるんだからやめてやれ。

 

「で、あんたは僕を呼んで何がしたい。まさかイタズラがしたかったってだけじゃないだろうな」

 

「勿論理由はあるとも。が、その前に聞きたいが、それが本当の君かね。噂だと女子に優しい紳士的な男だと聞いたが、今の君からはその欠片すら感じ取れん」

 

「ふん、貴様が普通の女子ならそういう態度を取ってやってもいいが、今の僕にはお前が普通の女子にはとても見えんからな」

 

「うむ、私は普通などという枠には囚われたりはしないからな」

 

 皮肉で言ったというのに、やはり物ともしないか。今更こいつを真面目に相手にする気はないがな。

 僕は貰ったクッキーのリボンを取り、中のクッキーを摘む。

 

「結構美味いなこれ」

 

 僕には少し甘いが、キムチともずくの後に食べると美味しく感じる。キムチの辛さに酢漬けされたもずくの後だから、クッキーの甘さがより引き立つのだろうか。

 

「そう言ってもらえるとありがたい。お姉さんお手製のクッキーだからな」

 

「えっ、お前が作ったのか?」

 

「私らしくないかね?」

 

「そうだな、昼をご馳走すると言ってキムチともずくを差し出す女が作るとは思えないな」

 

「キムチともずくも美味いだろ?」

 

「せめて米があればな」

 

 無駄に反論したところで無駄だとわかって話を終わらせる。するとようやく来ヶ谷は本題に入ってくれた。

 

「君は何故リトルバスターズに入った? 見たところ君は進んで集団の和に入り青春の汗を流したいという人間には見えないが」

 

 恭介と同じような事を言うな。まぁ事実だが。

 勿論、ここでも僕は恭介に聞かれたときのように返す。未来から来ただの、お前らが修学旅行で死ぬことになるだの、今話したところで信じてもらえないしな。

 

「あんたがさっき言った通り、リトルバスターズってのはこの学校でもそれなりの知名度があるんだろ?だからその知名度に肖りたい、それだけだ」

 

「君の容姿ならそんな面倒な事をせずとも有名になれるのでは?」

 

「かもな。だが、ただ容姿が良いということだけ有名になってもつまらんだろう?かといって自分で言ってて悲しくなるが、僕には他に武器になるような個性はない。だからリトルバスターズに入って泊をつけたいってことさ」

 

「ふむ、君は承認欲求、取り分け上位承認の欲求が強いようだな」

 

「ナルシストだと言いたいのか」

 

「君の好きに受け取るといい。なに、別に批判はしないよ。そういう考えもあっていいと思うしね」

 

 頭の良い奴ってのは回りくどい言い方が好きだよな。いや、こいつの成績とか知らないけど、頭良さそうだし多分成績上位者だろう。

 もっとも直接言われたところで、マヤとかあの辺の連中に散々ナルシストだの何だの言われてるから腹も立たないし、今更別に構わんがな。

 

「で、それを聞いてどうする。リトルバスターズのことなんざあんたには関係ないだろ」

 

「関係なくはないよ。私も彼等の仲間に入ろうかと今少し考えているのさ」

 

「ふーん」

 

 神北小毬の次はこいつが入ってくるのか。いずれ仲間に入ってくるなんてわかってたことではあるが、こんなすぐとは。

 こいつとは相容れる気はしないし、出来ればもう少し後であって欲しかった。

 

「楽しいか?」

 

「は?」

 

「リトルバスターズは楽しいかと聞いてる」

 

 そんなこと聞いてどうす……ああ、なるほど、リトバスの事前調査のために新規入団者の僕を呼びつけたわけか。こっちとしてはいい迷惑だ。

 まぁ、答えたらもう僕に用はないだろうし、すぐに解放してくれる事だろう。さっさと話して楽になるか。

 

「入って一日だしよくわからんが、運動部ほどガチで運動するわけじゃないし、入団に際して面倒な規則があるわけでもないから、体良く楽に居場所を作れるという意味ではいいんじゃないか。まぁ、あんたに合うかどうかまでは知らんがな」

 

「居場所……か」

 

 僕の話を聞き終えると、来ヶ谷唯湖は黙り込み、何かを考え込む……というよりは、何かに思いを馳せているといった感じだろうか。その黒く艷やかなに光る髪を風に靡かせながら、ただじっと何もない空中の一点を見つめている。

 そんな来ヶ谷の横顔を一瞬綺麗だと感じたが、こいつの中身を思い出し、すぐにそんな雑念を振り払う。

 

「で、これで満足か。なら僕は行かせてもらうぞ」

 

「ああ、充分だ。付き合ってくれてありがとう少年」

 

 来ヶ谷はこちらに目を向けずそう答える。

 僕も大事な昼休みをここで終えたくはないし、寂れたカフェテラスを後にした。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 購買で余ったアンパンを買って教室に戻る。しかし僕の席はクラスの女子が座っていた。

 このまま教室に入って行ったら、女子達の話の和に混ぜられることになるだろう。あの女の相手をして疲れているし、その上教室の女子の相手をする気にはなれない。仕方ないので別の場所で食べることにする。

 学食は人で賑わっている上に席は見た感じ空いていなかったし、部室は不衛生だし、外は食べる場所なんかあったっけか? さて、どこで食べるか。

 食べる場所をどこにしようか迷っていると、ある場所が思いつく。

 屋上ってそういえばこの学校は開放してるのだろうか。陽野森は封鎖していたが、ここは開いてるのか?

 一度考えると気になりだし、折角だし試しに行って見ることにした。

 

 

 

 屋上に続く階段の前まで来る。しかし階段の前はコーンとバーによって封鎖されている。

 どうやらこの学校も屋上には出れないらしい。まぁ、安全面とかその辺のこと考えたら当然か。

 だが食べる場所としては充分だ。ここでなら静かに食事できるだろう

 僕は周りに誰もいないことを確認してからバーを跨いで階段を上がる。

 ドアを引いてみるも開かない。やはり鍵が閉めてあるようだな。

 ほとんど掃除されていないのか少しホコリっぽいが、机と椅子もあるようだし、その周りだけホコリを払っておけば充分だろう。

 僕は階段の踊り場に積み上げられた机を一つ、窓の傍にある椅子のところへ持って行く。するとあることに気づく。

 

「ん?窓が開いてる」

 

 窓が空いているのだ。更によく見てみると窓際にドライバーが置いてある。まさかこれで誰かが開けたのか?

 椅子もそういえば窓から出るための足場として置かれているようだし、もしかして今誰かが屋上に出ているのではないか?

 気になった僕は屋上に出た誰かがやったように、椅子を踏台にして窓へと身を乗り出す。

 

「おおっ……!」

 

 初めて立つ屋上は中々に心地よい場所だった。

 広々とした空間、見通しの良い景色、更に学校の白いコンクリート壁が日光を照り返すため、屋上全体が明るい。まだ五月も中旬なためか外は少し肌寒く感じるのだが、ここは日光のお陰でそれなりに温かい。来ヶ谷のおんぼろカフェテラスなんかよりよっぽど良い。

 しかし、辺りを見回しても人の影はない。もしかしてずっと前から開きっぱなしなだけで誰もいないのか?

 それから背後を見ると、大きな給水塔があったことに気づく。

 もしかしてここか……?

 給水塔に付いた梯子に手をかけ上っていく。すると……。

 

「あ、直枝くん、今日も来たんだ。お菓子たくさんあるから食べ……て……」

 

 給水タンクを背もたれにして腰掛ける神北小毬と目があった。

 どうやら屋上に忍び込んだ犯人はこの人だったようだ。まさか知り合いだったとは。

 

「……あの」

 

「ごごごごめんなさい!あのですね、別にいつも出てるわけじゃなくてですね、今日はたまたま……そう!いつの間にかここにいたんです」

 

 何をわけわからん事を言ってるんだこの女は。

 しかしすっかり怯えてしまって、テンパってるのか僕だとわかっていない様子だ。

 

「世の中には不思議なことが沢山ありまして、お菓子さんとかお菓子さんとかが空から降ってきたり……」

 

「神北先輩、僕です、乙坂です」

 

「ふぇっ?」

 

 ようやくちゃんと目を合わせてくれる。

 

「乙坂くん? 乙坂くんに変装した学校の先生じゃなくて?」

 

「そんな器用なことできる奴は、教師じゃなくてマジシャンでもやってるよ」

 

 それを聞くとようやく落ち着いてくれたのか、胸をなでおろしてホッと一息つく。

 

「なぁんだ、乙坂くんか。ビックリしたよ。でもどうしてここに?」

 

「この学校は屋上に出れるのか試しに来たら、窓が開いていたから誰かいるのかなと。それより窓開けたのあんただよな。あんたこそ何故ここにいる」

 

「乙坂くんは好きな場所ある?」

 

 好きな場所? いきなりなんだ。

 あー好きな場所ね……。

 好きな場所と聞かれ考えると、真っ先に木組みの街のラビットハウスの店内が思い浮かんだ。まぁ、馴染みのある場所っちゃ場所だしな。

 

「まぁ、あるっちゃあるな」

 

「そっか。私、ここベストプレイス」

 

 そう言うと神北小毬は下を指差す。

 

「私の好きな場所、でもここは人に知られちゃうと危険なの。色々とね。だからここは内緒なのです」

 

 そりゃそうだろうな。鍵で閉められているだけじゃなく、わざわざバーで封鎖されてたぐらいだし、学校としては生徒が屋上に上がることをかなり嫌がっていると見える。

 もしこの事も知られたら、厳しい罰を受けることは避けられないだろう。

 すると彼女は傍らに置いてあったパンパンに膨らんだビニール袋から何かを取り出して僕の前に差し出す。

 

「乙坂くんもお一つ如何ですか?」

 

 差し出されたのはコンビニとかで売ってる市販のワッフルだ。来ヶ谷のところで食べた昼も足りなかったし、貰えるものなら貰っておくか。

 

「じゃあ、頂きます」

 

 ワッフルを受け取ると、袋を開けて一口食べる。

 

「うん、美味い」

 

「ふふっ、よかったよ。これで君も共犯者」

 

「えっ」

 

「ここ、バレちゃうと大変だから。秘密にしてね」

 

 なる程、まんまと釣られたわけか。存外強かな女だ。まぁ、言いふらす気は初めからなかったし別にいいけど。

 すると彼女は再び給水タンクに腰掛け、ビニール袋からポテチの袋を取り出す。

 

「まだ時間あるからゆっくりしていっちゃいなよyou」

 

 そう言いながら彼女は自分の隣をテシテシと叩く。

 まぁ、昼食と言うには少しジャンキーだが、栄養価的にはアンパンと大差ないだろう。

 来ヶ谷の昼飯よりはマシだし、ただでくれると言うなら文句はない。

 

「じゃあまぁ、ご相伴に預かります」

 

 僕は彼女の隣に腰掛け、ポテチの袋からポテチを一欠片摘んで口にする。

 

「お茶とチョコパイもありますよ」

 

「コーヒーありません?甘いものばっかだと流石にキツイ……」

 

「あるよ〜。ブラック、それとも微糖?」

 

 あるのか。聞いてみるものだな。

 

「じゃあブラックで」

 

「お〜大人だね。試しに買ってみたけど、私飲めないから助かるよ〜」

 

 飲めないのに買ったのか。というかこんなに沢山全部一人で食うつもりだったのか。太るぞ。

 

「あんた、いつもこんなに食べるのか?」

 

「ううん、いつもはもうちょっと少ないけど。でも直枝くん来るかなって思って少し多めに持ってきたの」

 

 少し……?まぁ、そこは置いといて。

 

「そういえばさっきも僕を直枝さんと間違えてたよな。直枝さんもここの事知ってるのか?」

 

「うん、だからここを見つけたのは君で二人目。直枝くんも野球のメンバー集めで校内を回ってたら、たまたま私を見つけたんだって」

 

「それでスカウトされたと?」

 

「ううん、草で野球ってなんだか面白そうだったから、私もやりたいって直枝くんにお願いしたの」

 

「ふーん」

 

 まさかの志願してきた感じか。

 てっきり人数合わせのために呼ばれたのかと勝手に思ってた。

 

「でも乙坂くんも来るなら今度からはもっと用意してこないとだね」

 

「いやいや、今のままで大丈夫だから!直枝さんも僕もそんな食わないし」

 

「そう?」

 

 別に僕が懐を痛めるわけではないが、勝手に大量に食うことを前提に用意されても、こちらとしては困る。

 善意で用意してくれてるのも承知してるが、それこそ善意の押し付けである。菓子一つでそんな喜ぶ歳でもないし、誰かに不用意に貸しを作るのが普通に嫌だ。

 というより、この人は何故わざわざ人の分まで菓子を用意しようとするのだろうか。貸しをつけておきたいのか?それとも周りからの評価を買いたいのか?

 

「あんたはなんでわざわざ僕らの分まで菓子を用意しようとするんだ? 何か見返りでも欲しいのか?」

 

 率直に聞いてみることにした。

 すると彼女はさも当たり前のように答える。

 

「お菓子を食べると、ちょっと幸せになれます」

 

「は?」

 

「乙坂くんは幸せになれない?」

 

 そう言われて少し考える。

 食事をする時、人は快楽・快感を得ることができると言われている。確かドーパミンとかいう物質が食事によって分泌されるからだったか。

 僕も以前、シャロを食事に招くことで機嫌を取ったことがあるが、まさにこれの応用といった感じだろうか。

 そういう単純な意味では僕もまた幸せになっていると考えられるだろう。

 

「まぁ、それなりには」

 

「うん、そうだよね。だから、乙坂くんが幸せになってくれたら私も嬉しい」

 

「どうして?」

 

「だって、誰かを幸せにすると、自分もちょっぴり幸せになるでしょ」

 

 なるでしょとか言われてもな……。

 人を幸せにするどころか、人を蹴落とし、だまくらかして幸せになろうと生きてきた僕に同意を求められても……。

 

「そして君が幸せになれば、私も幸せになれる。こうして幸せは巡り巡ってほら、幸せスパイラル」

 

「幸せスパイラルか。それなら僕もわかるぞ。他人に恩を着せると優越感に浸れて幸福感を得られるし、恩を着せられた方も無償で他人から援助されることに幸福感を得られる。そして恩を受けた奴は今度は自分が恩を着せて恩を返した気になろうと親切を働き、恩を着せた方はさっきとは逆に無償の援助を受けられる。それが繰り返されてまさに幸せスパイラルだ」

 

「あう……そんなつもりで言ったんじゃないよ」

 

「なんだ、違うのか」

 

「うーん、違くはないけど、なんか言い方がいや……」

 

「言い方なんて事実を曲げて他人を丸め込むための詐術に過ぎない。考えは一緒だ」

 

「う〜ん、乙坂くん、なんか変わってるね……」

 

「少なくともあんたには言われたくない」

 

「私は普通だよ」

 

「えっ、いや……」

 

「普通だよ」

 

 にっこり笑顔で、繰り返し強調しながら言う。

 こいつ……自分が普通だと思ってんのかよ。ココアですら自分が普通じゃないって自覚があるってのに……。

 運動神経は平均以下で、頭には赤いリボンの付いたデカイ星の髪飾り、更には封鎖されてる屋上にドライバーまで持ち込んで侵入して、学校で大量の菓子が入った袋を持ち歩く奇行に走り、更には突拍子もなく自説の幸せスパイラル理論とか語りだしちゃう女を、僕は普通だとは思わない。

 まぁ、自覚を持つ持たないは本人の自由だし、それで僕が迷惑するわけではないし、言い争いをするつもりもないのでこれ以上言及はしないが。

 こうしてこの日の僕の昼休みは、屋上でのこの人との一時で幕を閉じた。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 放課後、昨日と同じくグラウンドに集まり練習を開始する。

 すると何やら真人の様子がいつもと少しおかしかった。いや、いつもおかしい奴ではあるんだが。

 なんだか不機嫌そうであり、何かに対する怒りに任せて両手にダンベル、更にはタイヤを付けたロープを腰に結びつけて全力疾走していた。

 

「直枝さん、あいつなんかあったんですか?」

 

「えっとね、話せば長くなるけど、うちのクラスに来ヶ谷さんっていう女子がいてね」

 

「またあの女か……」

 

 その名前を聞いた瞬間、なんとなく事態を察した。

 

「あれ?有宇、来ヶ谷唯湖さんと知り合いだったの?」

 

「知り合いではないですが、昼に絡まれました」

 

「ああ、そうなんだ……」

 

 直枝さんは察したのか、さも「お気の毒に」とでも言いたげで、僕に哀れみの視線を送った。この人もあの女に苦労してるんだろうな。

 

「それで六限の終わりに真人と謙吾が喧嘩しちゃって……」

 

「またか……」

 

 あいつら、一日に何回喧嘩すれば気が済むんだ?

 

「原因はなんです?」

 

「真人が六限の国語の時間に教科書を読まされたんだけど、その時『極寒』っていう字を『ごっさむ』って読んでね」

 

「アホだな」

 

 流石の僕でもそれぐらいは読める。

 ていうかその国語力でよくこの学校受かったな。カンニングまでして受験に挑んだ僕がバカみたいじゃないか。

 

「何でも謙吾にそう教えられたってことらしくて、それで喧嘩になったんだけど、何故かそこに来ヶ谷さんが乱入して真人とバトルになって……」

 

「負けたと」

 

「いや、バトル的には真人の勝ちで終わったんだけど、実質真人の負けっていうか……」

 

 要は負けたんだろ。

 まぁ、僕が勝てない相手なのにこの筋肉ダルマが勝てる筈もないか。

 ていうか、それでこいつ、さっきから無茶苦茶な筋トレやってるのか。こいつに足りないのは筋力以外だってのに、馬鹿の一つ覚えだな。

 

「オレは負けてねぇ!」

 

 すると僕らの会話を聞いていたのか、真人が走りながら叫ぶ。

 

「あれは俺が筋肉を最大限活かしきれなかっただけだ。見てろ、次こそ俺は更に鍛え上げた筋肉であいつを超える!」

 

 なんか言ってるが、負けた事実は変わらんだろう。

 

「なんだ乙坂、お前その顔は。『結局は負けたんですよね。それより暑苦しいのでその邪魔な筋肉引き連れて僕の視界に映らない所までそのまま走り去ってください』とでも言いたげだな!」

 

「うわっ、なんか凄えいちゃもん付けてきた!?」

 

「真人の言いがかりはたまにお金払ってでも聞きたくなるものがあるよね」

 

 こいつ、普段からこんなくだらんこじつけを直枝さんに振ってるのか?

 そういや二人ルームメイトだったっけか。こいつと一日一緒とかやってられんな。直枝さんの苦労が知れる。

 すると真人はグラウンドを走ったまま僕に向け言う。

 

「いい機会だ乙坂!お前とも決着がまだだったしな。今ここで鍛え上げた筋肉でお前との決着をつけてや……」

 

「うりゃっ!」

 

「おふっ……ぐはっ!!」

 

 僕への宣戦布告の途中、鈴さんが投げたボールが鈴さんの右斜め後ろを走っていた真人に直撃する。更にそれにより真人が足を止めると、慣性の法則で腰に結びつけたタイヤが真人の頭目掛けて飛んでいき、勢い良く当たる。そしてその勢いで真人は前のめりに地面に倒れ込んだ。

 

「なんで前に投げて後ろにいる真人に当たんだよ……」

 

「んーわからん」

 

 鈴さんはしれっとした態度で言う。

 今当たったのは真人だとはいえ、当たる方の気持ちも少しは考えてくれ……。

 

「でも凄い球だったよ鈴ちゃーん♪」

 

「うわっ、く、くっつくな〜!」

 

 すると神北小毬が鈴さんに抱きつく。抱きつかれた鈴さんの方は顔真っ赤で恥ずかしそうだが、嫌そうな顔はしてない。

 そういや昨日も入団テストの後、鈴さんに絡んでたなこの人。昨日は振りほどいてまで逃げていたところを見ると、鈴さんの方もこの人との接し方に慣れてきたのだろうか?

 そして、そんな二人の光景を見る直枝さんはどこか嬉しそうだった。直枝さん曰く『鈴が他の女子と話すところ、あまり見たことないから』とのことだ。

 彼女の人見知りを幼馴染として、そして彼氏として心配していたのだろう。

 あれ?でもそういや二人の今この時点での関係はどうなんだ?付き合う前なのか?まぁ、大した問題ではない。どの道時間の問題だろうしな。

 にしてもこの光景どっかで見たことあるような……。

 神北小毬と鈴さんの二人をじっと見る。すると神北の方がココアに、鈴さんの方はチノと重なって見えてきた。

 あー見たことあるような光景だと思ったらあれだ。あいつらの馴れ合いに似てたのか。ココアもよくチノに絡んでるもんなあいつ。チノもココアのこと拒絶してるような素振り見せるくせに、絡まれないと寂しそうにしてるし、今のこの二人の馴れ合いにそっくりだ。

 

「気に食わんな」

 

 すると突然、グラウンドの影からそんな声が僕らに向けられる。

 そこにいたのは紛れもなく奴だった。

 

「何が気に食わないんだ、来ヶ谷」

 

 恭介が奴の名前を呼ぶ。

 黒い髪を靡かせ、颯爽とこちらに歩み寄って来たのは、紛れもなく昼間僕をおちょくったあの来ヶ谷唯湖であった。

 

「お前らだけで楽しそうな事をやっているのが気に食わんと言ってるのだよ、恭介氏。私にも美少女達としっぽりと青春の汗をかかせろ」

 

 いきなり何を言い出すかと思ったら、手前勝手なジャイアニズム全開の主張を言い放ってきやがった。ていうかそれって……!

 すると来ヶ谷は胸に手を当てたかと思いきや、ワイシャツと制服のボタンを外し、勢い良くバッと広げて脱ぎ捨てた。

 突然のことに思わず左手で目を覆う。しばらくして手を退けると、体操服にスパッツ姿の来ヶ谷の姿があった。

 

「リトルバスターズ、暇潰しには丁度いい」

 

 そんな来ヶ谷に直枝さんが尋ねる。

 

「えっと来ヶ谷さん。つまり……?」

 

「私もメンバーに入れろと言うことだよ、理樹くん」

 

 やはりそうなるか。

 近々来るとは思ってはいたが、昼に僕にリトルバスターズのことを聞いて、その日の放課後に来るとは。

 すると来ヶ谷が僕の方に目を向ける。

 

「それよりそこの少年はなに顔を赤らめているのかね?お姉さんが全部脱ぐとでも勘違いしたか」

 

「いや、さっきまで胸元普通に見えてたからてっきり……。ていうかどう脱いだらそうなるんだよ……」

 

「ふむ、つまりお姉さんの胸元から目が離せなかったと」

 

「んなこと言ってねぇ……」

 

「有宇はスケベだな」

 

 僕と来ヶ谷のやり取りを見ていた鈴さんがボソリ。

 

「いや誤解だ!別に凝視してたわけじゃない!ただ体操服が胸元から見えてなかったから、飽くまで不自然じゃないのかっていうことで……」

 

「寄るな、エロス」

 

 鈴さんは容赦なく僕を罵倒する。

 クソッこんな屈辱初めてだ……!

 やっぱりこの女が来るとろくでもないな本当。

 

「で、どうするの恭介」

 

 僕が鈴さんになじられている間に、直枝さんが恭介に来ヶ谷を入れるかどうかの是非を問う。

 

「いいんじゃないか?さっきの教室での一件を見るに、運動神経の方は申し分なさそうだしな」

 

 恭介はあっさりOKを出す。

 こいつ、僕と神北小毬の時は面倒な入団テストなんぞやらせたくせに……。まぁ、運動神経に問題なさそうなのは僕自身一番理解しているけど、なんか納得いかん。

 

「本当にこいつ入れて大丈夫かよ。僕は反た……」

 

「ぶち殺すぞヘタレ小僧」

 

 来ヶ谷の鋭い眼光が僕に向けられる。

 

「……いする余地はないと思うな……」

 

 少しばかり抵抗を図ってみようと思ったが、やっぱこの女怖え……。

 僕の反抗は一瞬にして虚しく終わってしまった。

 なんかさっきから直枝さんが憐れみの眼差しを向けてくるし、鈴さんには変態扱いされるし、この女にはしてやられるし、今日は厄日だ。

 そして、僕以外のメンバー達もすっかり受け入れモードに入ってやがる。

 

「見事に見知った顔ばかりだが、まぁよろしく」

 

「あぁ、期待してるぞ」

 

「まぁ、恭介氏の期待に応える程度のことはやってのけてみせよう」

 

「ほう、俺の期待は相当だぜ?」

 

「なら、それ相応の仕事をするまでさ」

 

「そいつは楽しみだ」

 

 来ヶ谷と恭介の二人がニヤリと笑う。

 こいつら二人ともなんかできる男とできる女って感じだし、ウマが合うんだろうか。ある意味お似合いだな。絶対に相手にしたくはないけど。

 

「よろしくね〜!一緒に頑張ろう!」

 

「うむ、小毬くんは元気があってとってもよろしい」

 

 ゆるふわ系で来ヶ谷とは正反対の女、神北小毬もいつもと変わらない笑顔で来ヶ谷にそう挨拶を交した。

 

「して神北女史、メンバーはこれだけなのか?」

 

「えーと、私、直枝くん、鈴ちゃん、恭介さん、真人くん、有宇くんと………あと唯ちゃんの七人です」

 

「なんだ、まだ野球できるだけのメンバーすら集まってないんじゃないか。てっきり謙吾少年とあともう一人ぐらいいるものかと思っていたぞ。して、唯ちゃんとやらはどこにいるんだ?姿が見えないが」

 

 は?何言ってんだこいつ。唯なんて名前の奴、この場に一人しかいないだろ。

 

「ふぇ?ここに」

 

 すると神北小毬も僕同様首を傾げながら答え、来ヶ谷を指差した。

 

「ん?」

 

 すると来ヶ谷は後ろを振り返る。

 

「誰もいないぞ」

 

 あれ?こいつの名前唯湖じゃなかったっけ?僕の記憶違いか?

 しかし神北小毬は相も変わらず来ヶ谷を指差す。

 

「だから、来ヶ谷唯湖だから唯ちゃんなのです」

 

 神北小毬がそう言ってから数秒の間が流れる。

 

「なにっ!?唯ちゃんって私かっ!!」

 

「気づくのおそっ!?」

 

 思わずツッコミを入れてしまう。

 マジで呼ばれてる自覚なかったのかよ……。

 

「いや、今まで名前で呼ばれたことなどなかったから……ええい普通に反応できん!せめて来ヶ谷ちゃんと呼んでくれ!」

 

「語呂悪いな」

 

 名前ぐらいで何慌ててんだこいつ。ていうかその呼び名で呼ばれる方が普通嫌がるもんだろ……。

 

「ふぇ?だめ」

 

 そして案の定却下される。

 しかし来ヶ谷は引き下がらず、必死の抵抗を試みる。

 

「いや、だからその……そもそもその名で呼ばれることが好きじゃないんだっ!」

 

「なんで?」

 

「なんでって……なんでもだ。人の嫌がることは避けるべきというのは道徳観念の一つだと思うが?」

 

「そうかもしれないけど、名前は大事だよ?だって、名前って自分だけのものだよね。大切にしなきゃ」

 

「だかしかし……」

 

「それに好きじゃないなら好きになればいいんだよ。ほら、きっとみんなに呼んで貰えればきっと好きになれるよ」

 

「ゔゔっ……」

 

 あの来ヶ谷がたじたじになってやがる。

 やはりこの神北小毬という女には、ココアのような謎の説得力がある。ココアと似ている……というわけでもないんだが、妙に前向きなところ、優しく問いかけて人の心の隙間に入ってくるような説得力とか、鈴さんへの対応の仕方とか、そういう人間の本質的な面は似ているように思える。

 そしてそういう奴の前では、あの来ヶ谷唯湖でさえも太刀打ちできないとみえる。

 すると何をトチ狂ったか知らないが、来ヶ谷がいきなりこんなことをシャウトする。

 

「ええい!だったらこれから君のことはコマリマックスと呼ぶぞ!どうだ恥ずかしかろう!?」

 

「うん、別にいいよ〜」

 

 しかし敢え無く反撃されてしまう。

 

「えへへ、ちょっとカッコイイねそれ」

 

 しかも気に入られてしまっている。

 そして来ヶ谷は最後の手段に出る。

 

「だったら唯ちゃんって呼ばれても反応しないっ」

 

 そっぽ向いて来ヶ谷はそう答えた。

 子供じみた手段ではあるが、これが中々効果的だった。

 

「え〜唯ちゃん〜」

 

 無視

 

「唯ちゃん〜」

 

 無視

 

「……唯ちゃん」

 

 無視……って今ちょっと揺らいだな。

 しかし無視を貫き通す。

 

「むぅ〜」

 

 すると神北小毬が目頭に涙を浮かべる。

 なんだかんだ来ヶ谷の勝利(いや、何を勝負してるかは知らんが)で終わるかと思われたが、その直後だった。

 

「いいもん……無視されたって唯ちゃんって呼ぶもんっ!」

 

 上目遣いで放たれたその言葉は来ヶ谷にはグサリと刺さったようで、四つん這いになり、顔を赤らめ息を荒らげて喘いでいる。

 

「はぁ、はぁ……それヤバイだろ」

 

 何がやばいんだよ。どちらかというと今のお前のほうがやべえよ。

 

 結局来ヶ谷が屈服して、大人しく唯ちゃん呼びを受け入れ、この戦い? は神北小毬の勝利に終わった。いやだからなんの勝負だよ!?

 しかし、この女にもまさか名前呼びという弱点があったとはな。……これはいいことを知ったのでは?

 ふとそんな事を考えついた。これを使えばこの女をぎゃふんと言わせられるのではないかと。

 確かに僕のやるべきことは、こいつらと信頼関係を深めること……ではあるが、正直今日はこいつにしてやられてばかりなのでやはり仕返しがしたいのだ。しかもようやく弱点らしい弱点を見つけられたのだ。実行に移さない手はないだろ?

 そう考えると、早速僕は四つん這いになっている来ヶ谷の傍まで近づき、行動に移した。

 

「大丈夫ですか、()()()()先輩」

 

 下衆な笑みを浮かべ、出来る限り嫌味ったらしく言ってやった。

 今日こいつには酷い目に合わされたからな。その仕返しだ。ははっ、ざまあみろ。

 しかしこれが間違いだった。

 僕は一つ勘違いをしていたのだ。この名前呼びは飽くまで来ヶ谷を不快にさせる要因でしかなく、弱点などではないのだと。

 そしてこれを弱点として利用できるのは、彼女が怒りを向けることができない純粋な少女達だけなのだと。

 そして僕の予想に反して来ヶ谷は四つん這いのまま、僕の方をギロリと睨む。その目に宿る眼光はもはや敵意なんてものではない。これは────

 

「ほう……乙坂少年は血を見たいと」

 

 ────殺意である。

 

「えっ、いや……その」

 

「なら存分に見ていくといい───自らの血に染まった貴様の姿をな!」

 

 来ヶ谷は立ち上がると何処から取り出したのか模造刀を手に持ち、僕の方ににじり寄って来る。

 僕は震えながら後退る。

 

「な……直枝さん」

 

 震える声で直枝さんにSOSを求める。しかし直枝さん含め全員既に僕から距離を取っていた。

 そして遠くで直枝さんが右手を顔の真正面に立てて謝罪のポーズをしている。ああ……僕は見放されたのか。

 

「死ね」

 

 そしていつの間にかすぐ目の前まで来ていた来ヶ谷が、僕に向け刀を振り下ろした。

 

「うわぁぁぁぁ!!」

 

 僕の絶叫がグラウンド中に響き渡る。

 こうして、なんだかんだ来ヶ谷唯湖の入団が決まった……僕の血と引き換えに。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「……して、恭介氏、何故あのようなイレギュラーな存在をチームに招き入れたのかね」

 

 その日の練習を終えた後、来ヶ谷唯湖は恭介を部室裏に呼び出しそう問いかけた。

 

「……もうこの世界も長くない」

 

「ほう、それで」

 

「理樹はもう十分強くなったさ。だから後は鈴の番だ。それが終わればこの世界の役目も終える」

 

「それと彼はなんの関係がある」

 

「イレギュラーは排除せねばならない。だがあいつにはこの世界を乗っ取る意志はない。放っておいても大した障害にはならないさ。どうせ最後の繰り返しだ。多少は好きにさせてやってもいいだろ。それに……」

 

「それに?」

 

「俺も、いつまでも憎まれ役でいるのは辛いのさ」

 

 ニッと笑いかけると、恭介はそのままその場を去っていった。来ヶ谷は呼び止めはせず、ただ無邪気に走り去るその背中を目で追っていた。


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