幸せになる番(ごちうさ×Charlotte) 作:森永文太郎
第1話、Welcome U・SA
家を出た翌日、有宇がいたのは都内のマンガ喫茶であった。
家を出たからには、当然だが他に住む場所が必要だ。そして単に住む場所と言ってもどこでもいいわけではない。
一応しばらく生活できるだけの金はあるが、ホテルなんて泊まっていたらあっという間に金が底を尽きる。かといって公園で寝泊まりは流石に論外。
カプセルホテルとも迷ったが、少しでも支出を減らすためにネットカフェに泊まることにした。
ネットカフェは寝る環境としては最悪だったが、パソコンで暇潰しはできるし飲み物も飲み放題でコスパもいいし、普通に生活していくには安定している。
こうして、そう考えた有宇はネットカフェにしばらくの間、泊まることにしたのであった。
しかし、ネットカフェに泊ってからというものの、有宇は特に何をするでもなく、ただアニメを見たり動画を見たりとネットサーフィンをするだけの時間を怠惰に過ごし、無意味な時間が過ぎていくばかりであった。
そんな日々が一週間ほど続いた頃であった。ネットサーフィンにも飽きて、ずっと部屋に篭りっきりなのも億劫に感じてきた有宇は、ずっと篭る必要もないと思い、久しぶりに外出を試みた。しかし、それが失敗だった。
宛もなく外をぶらついていると、一人の警察官に呼び止められた。平日の真昼間に外出したのがまずかったのだ。身分証の提示を要求されるものの、未成年であることがばれれば自宅に連れ戻されてしまう。そう考えた有宇は身分証は持ってないと答えた。
すると警察官は家出人の可能性があるといって、有宇を署に連れて行くと言い出した。
まずいと思った有宇は自らの持つ不思議な能力を使い、なんとかその場は警察官を巻くことに成功した。それから有宇は警察の追手が来ないか気にしながら人気のない方へと走りだし、追手が来ないことを確認すると、久しぶりに全速力で走って疲弊したのもあって近くにあった公園のベンチに腰を落ち着けた。
もしかしたらおじさんが、僕が本気で出ていくと思わなかったから家出人として警察に届けを出した可能性もある。もしあのまま連れていたら……クソッ、出て行けって言ったのはアンタだろうが。僕は帰らないぞ。
そうして有宇は駅に向かい、電車で数駅離れた所の漫画喫茶に生活の拠点を移すことにした。
適当な場所で電車から降りた有宇は、すぐにネットカフェを探し出して宿泊の手続きを取った。そして部屋についてすぐに今後の事を考えた。
一応少し遠くには来てみたが、ここらもすぐに警察が来るかもしれないな。このままじゃおちおち街を歩くこともできない。もういっその事、都内を出てもっと離れた遠いところに場所を移すか?
しかし、そう考えてネットの検索も活用しながら探してみるも、なかなかいい場所が決まらなかった。そうしてパソコンの前で一人頭を悩ませていると、突然ある広告が有宇の目に入った。
<緑とうさぎに囲まれた街、木組みの町に来てみませんか?>
それはただの観光広告だった。だが有宇は何故かこの広告が気になり、その広告をクリックしていた。
その広告にある木組みの街というところは、風景はフランスなどヨーロッパの街並みをモデルとしているらしく、どの家も木組みの街の名の通り、ヨーロッパ風の綺麗な木組みの建築が多くみられた。
その他にも野生のうさぎがたくさん生息していたり緑も豊かで、田舎にある割にはそれなりに栄えているようだ。
その後も有宇は自分で木組みの街を調べていく内に、街のいろんな写真を見て回った。そこにはまるで本当にフランスにいるみたいな幻想的な世界が広がっており、有宇も思わず写真に心奪われていた。
再び広告に目を戻すと、さっきは気づかなかった別の文に注目する。
<街の外からの新入生募集!ホームステイも大歓迎!>
なんでも外から人を入れようと、街の学校に通うために外から来る学生を対象に、街の個人宅にホームステイできる制度を、街の一部の学校が行っているらしい。
学生は下宿代わりにバイトをして、その家に奉仕をする必要があるらしい。住人は安く働き手が見つかるし、学校の方は外から優秀な生徒を呼び込める。街は外から人を呼び込めて街を活性化できる。まさにwin-winというわけだ。
そしてこの広告を見て、有宇はここだと思った。
広告を見るかぎり、この街は外の人間を呼び込もうとしている。おそらくだが、こんな田舎町だしきっと街の若者も減っているんだろう。
つまりだ、ここなら家出中の僕みたいな人間でも受け入れてくれるのではないか?
しかも街のあちこちでバイトも募集しているという。そこで働けば生活費も稼げるし、更に条件次第では住み込みで働けるかもしれない。そうなれば宿泊費だって節約できるかもしれない。ここは景色もいい場所だし居心地も良さそうだし、いいこと尽くめじゃないか!!
元々アルバイトは金銭的にそろそろしなければと思っていたし、ちょうどいい機会だ。ここに行こう。どの道このまま都内にいたらいつ警察に捕まるか知れたもんじゃない。
そう考えると、有宇はさっそく行動に移した。
まずはネットや雑誌、求人誌などでこの木組みの街について調べ上げた。どこで宿泊するか、どこでバイトするか、どうやって行くのかなど、必要な情報を丸一日使って洗い出した。
そして次の日には夜に出る深夜バスを予約し、その夜、有宇は木組みの街へと出発した。
◆◆◆◆◆
バスが着いたのは朝早くだった。
バスから降りて周りの景色を見てみると、そこには写真でしか見たことのないヨーロッパの街並みそのものが広がっておりで、有宇も思わずその美しい景色に圧巻された。
有宇が最初に降り立ったこの場所は ″百の橋と輝きの都″ と呼ばれるこの辺りでは一番大きな都市だ。旧市街を中心にビルや高級ショップが乱立しており、様々な用途にエリア分けされ、遊園地は勿論、カジノのような娯楽施設まである。
しかし用があるのはこの街ではなく、有宇はここから更に列車に乗り換えて目的の街まで行くのであった。
有宇は早速バスを降りてすぐの所にある駅の中へと入って行った。すると有宇は駅の中の豪華な内装と驚く程の広さに再び圧巻される。
「すげぇ……」
まるで大聖堂を思わせるような内装、ガラス張りのアーチ状の天井、高級感漂わせる地下街のカフェやレストラン、駅のその美しさに目を奪われるばかりであった。
それから自分の乗る列車のホームに、広い駅の中で迷いながらも無事に辿り着いた。列車はいかにもテレビでみたことあるようなヨーロッパの列車といった外装で、内装も木組みでレトロな雰囲気を漂わせていた。
有宇は列車に乗り込み、指定された自分の席に座る。そして、発車合図のベルと共に列車が出発した。
列車が出発してしばらくすると、有宇は窓を開け、外の景色を一望する。この辺りはまだビルなどが建っているものの、遠くのほうを見ると、写真で見たような木組みの西洋風の家が立ち並んでいた。
その景色は、カメラがあればきっと写真に収めていたと思えるぐらい美しい眺めだった。
列車が木組みの街に着くまで、有宇は窓の外の景色にただただ心奪われていた。
電車が着いたのは昼を過ぎた頃だった。
駅から降りてしばらく歩くと、さっきまで列車の窓から見えていた木組みの西洋風の家が立ち並ぶ。窓から見るのとは違い間近で見ると、本当にヨーロッパに来たかのような感覚を覚える。
(さっきの街といい、ここは本当に日本なのか……?)
そんな疑問さえ浮かぶほど、自分の住んでいた東京と同じ日本だとは思えない美しい街並みだった。
早速街を歩いてみると、休日ということもあってか、街は人で賑わっており、活気づいてる市場からは色々な人の声がする。
子供の笑い声、店のおばさんの掛け声、聞いててそう悪いものではない。むしろ街の雰囲気と合わさってどこかやすらぎすら感じる。
歩未もここに連れて来たら喜んだだろうなと有宇はふと思ったが、それは胸の内に仕舞い込んだ。
ここに来たのは生活のためだ。観光に来たんじゃない。これから先のこともあるし歩未のことは忘れるんだ……。
そうして街をしばらく歩いていると、目的の場所に辿り着いた。
そこは他の建物と特に変わらない木組みの建物で、カップを持つうさぎのマークが描かれた看板があり、こう書いてあった。
<RABBIT‐HOUSE>
ラビットというからうさぎカフェか何かか?と最初は思ったが、調べてみたらどうやら普通の喫茶店らしい。
有宇はここでアルバイトをしようと決めていた。
このなんの変哲もない店を有宇がターゲットに選んだのは、有宇がこの街のことを調べる際に買った雑誌でこの店の事が紹介されていたからだった。
なんでも去年、映画にもなった有名な小説の舞台になった所なんだとか。それに雑誌にも載るぐらいだし、ただ安直に儲かっていそうだなと思ったのが一つ。
あと、バイト申し込みの電話の時の電話口の先のマスターの声が、どことなく優しそうな感じでチョロそうだったのもまた理由の一つだ。僕は一応家出人なわけだし、それを悟られるわけにはいかない。だから店主がどんな人間かは大事だ。
因みに一応住み込みのアルバイトも探したのだが、この街のそういうところは大抵どこもこの街の学校に通う学生限定のところばかりで無理そうだったので、諦めて住まいは別で探すことにした。
さっそく有宇は店の扉に手をかける。
扉にかけられた鈴が心地よい音を立てながら店に入ると、目の前にいたピンクの制服を着た女店員がこちらを振り返る。
「いらっしゃいませ〜!ラビットハウスにようこそ!」
目の前の店員の少女の頭には……なぜかうさ耳が着いていた。
「えっと……」
確かふつうの喫茶店だというはずなのだが、店を間違えたのだろうか?
だが店の外の看板には間違いなくラビットハウスと書かれていた。
どう反応していいかわからず悩んでいると、奥から青い制服を着た小さな女の子が出て来た。
「ココアさん!?なんでうさ耳なんてつけてるんですか!?」
「え〜だってラビットハウスって名前なのに、やっぱりうさぎ要素が無いのはダメかと思って。ほらっ、新学期始まってからしばらく経つし、色々心機一転しなきゃいけないと思うんだよ。それにチノちゃんもうさ耳着けたら絶対可愛くなるよ。お客さんもそう思いますよね?」
「えっ!?あ……えっと……」
突然こっちに振られても困るんだが……。
だがやはりここがラビットハウスなのは間違いないみたいだ。
「ココアさん、お客さん困ってるじゃないですか。早く席まで案内してあげてください。あとうちは普通の喫茶店ですのでうさ耳は外してください」
「はぁ~い……可愛いと思うんだけどなぁ……」
ココアと呼ばれている店員が渋々頭につけていたうさ耳をはずしてる間に、有宇はチノと呼ばれていた店員に声をかける。
こっちの方がまともに対応してくれるだろうと判断した。
「あの、すみません。バイトの面接を申し込んだ乙坂ですが、マスターさんはいらっしゃいますか?」
「貴方が乙坂さんですか。お待ちしておりました。父は奥にいるので案内します」
「えっ、新しいバイトさん!?私の後輩君になるの?」
「ココアさんが入るとややこしくなるので少し黙っていてください」
「う〜さっきから私に対して冷たい気がするよ〜」
「さっ乙坂さん、行きましょう」
一人涙にくれるココアを無視して、チノは有宇を店の奥まで案内した。
わがままは言ってられないが、あの頭のおかしそうな女と同僚になるのは嫌だなと有宇が考えていると、マスターの部屋の前に着いた。
「ここからは父が面接しますので、では」
「はい、ありがとうございます」
ペコリとお辞儀をしてチノは仕事に戻っていった。
そして有宇は目の前のドアをノックする。柄にもなく少し緊張する。
「どうぞ」と中から返ってきたので「失礼します」と言ってドアを開ける。入ると目の前に雑誌の写真で見たマスターが椅子に座っていた。
「まぁ、座りなさい」と声がかかり椅子に座る。椅子に座ると早速面接が始まった。
「ではまず自己紹介からお願いします」
「はい、乙坂有宇といいます。歳は十五歳です」
「なるほど、では……」
面接はスムーズに進んだ。
面接の質問は一応それなりに受け答えできるようにしておいてあった。こと上辺を繕うことに関しては有宇の得意分野だ。
面接は主にシフトはいつ入れるか、どこに住んでいて通勤にはどれぐらい時間がかかるのか、連絡を取れるケータイはあるかなど聞かれた。
住所はこれから泊まる予定のネットカフェの住所。勿論怪しまれるとあれなのでネカフェとは名言はしないが。ケータイは電話代節約のため持っていないとそれぞれ答えておいた。
僕は顔はいいし、素を出さなければ印象は良い筈だ。大丈夫、イケるはずだ……。
それら質疑応答が終わり、面接もこれで終わりかと思われた時、マスターが最後にと有宇に言う。
「……なるほど。じゃあこれで面接は終わります。ああそうだ、電話で言うのを忘れてしまったんだが、保護者様からの承諾書と戸籍証明書は持ってきてくれているかな?あ今日持ってきていないなら、次に来る時に持ってきてくれればいいから」
……聞かれるとは思っていたが聞かれてしまったか。
アルバイトをするためにアルバイトそのものについても調べてみると、必要なものがそれなりにあるらしい。
一つは履歴書。
まぁ、これはコンビニで適当に買ってきて適当に書いておいた。
二つ目は身分証。
これは学生証がもう使えないので保険証で。
三つ目は親の同意書。
なんでも高校生(十八歳以下)は上二つの他に、親の同意書が必要になるらしい。まぁ偽造は簡単なのでそれを出した。
印鑑は適当に買ってきたやつを使い、サインは自分のところは汚く書いて、親の部分は綺麗に書いた。
そして四つ目が住民票。これがまずかった。
住民票をこの街に移すことも考えたが、それだとおじさんに足が付いてしまう。わざわざ警察の目を掻い潜るためにこんな遠くの田舎町に来たのにそれでは意味がない。なので住民票は移していないのだ。
そもそもこの店を選んだ理由の一つに、住民票や親の同意書を特に持ってくるように言われなかったからイケると思ったからなのに、これではここを選んだ意味がないじゃないか。
しかし出せと言われてしまった以上仕方ないので、取り敢えず持ってる住民票を出す。
まぁ、どうせ内容までは詳しく見ないだろうと高を括っていたのだが、そんな上手くはいかなかった。
「まず同意書の印鑑だけど、これシャチハタだね。すまないがちゃんとした印鑑で押してまた出して欲しい。あと本当にこれ親御さんのサインかな?」
「え!?」
思わずギグッとした。
まず印鑑って種類とかあるのか?ということ。
そして何よりまさか同意書の方が気づかれるとは……いや、まだ気付かれたとは限らない。偶然に違いないと有宇は思った。
だがマスターは的確にその理由を述べる。
「一見別人が書いたように見えるが、乙坂の乙の字の書き方がどちらもよく似ている。簡単な漢字だから書き分けが難しかったのだろう。それでもう一度聞くがこれは本当に親御さんが書いたのかな?」
「えっと……そうです……」
理由は的確だったが、認めるわけにはいかない。認めたら不合格になってしまう。
だがマスターは更にこう続ける。
「人間はね、嘘をつくとき自然と相手から目をそらしやすくなる。特に右上を見ることが多いようだ。それにさっきからやたら鼻をかいているし、落ち着きが無い。これも嘘をつくときに、しやすいんだ。私は昔軍隊にいてね。特に交渉を任されたことが多くて相手の嘘には敏感なんだ」
(ぐ、軍人上がり……だと!?)
流石の有宇もそこまでは読めなかった。
どうやら端から嘘が通じるような相手ではないらしい。
「あと住民票の住所が先程言っていた住所とも違うね。これは?」
クソッ、やっぱりそこもバレるのか……。
「えっと……それは……」
もはやこの人相手にこれ以上誤魔化すのは流石の有宇でも無理そうだった。しかしここで引き下がる有宇ではなかった。
そして有宇はマスターに深々と頭を下げた。
「お願いします!ここで働かせてもらえるわけにはいかないでしょうか!?」
正攻法で駄目なら泣き落としだ。
そして有宇は続けた。
「実は親から勘当されてしまって……必死で働き口を探していたんです。しかし都会ではどの職場もダメだと言われ追い返されてしまったんです。でもこの街のことを知って、この街でなら僕を受け入れてくれるんじゃないかと思ってここまで来たんです。お願いします!ここで働かせてください!」
外から人を呼びこんでるような街だし、情で訴えればきっといけるはずと思った。
だがそんな有宇の思惑通りにはいかなかった。
「すまないがこういうのは労働基準法で決まっていてね。十八歳以下の子供を雇うには親御さんの同意書と戸籍証明書が無いと雇うことはできないんだ」
マスターは態度を変えることなく、そう答えた。
情で訴えればイケると思ったが、まぁここまできっちりチェックするぐらいだし、イケるはずもなかったか……。
ネットで調べたところ、住民票や親の同意書がなくても仕事ができる所は探してみると結構あるらしいとのことだったので、こんな個人経営の店ならイケるだろうと期待したのだが、どうやらこの店はそうではなかったらしい。
すると、落胆する有宇にマスターが提案する。
「残念だがこのまま君を雇うことはできない。だが君がよければ私の方から君の親御さんに……」
「いえ、結構です……失礼しました」
マスターの提案を遮ってそう言うと、有宇は席を立ち、マスターの部屋を後にした。
親に連絡だと!?冗談じゃない!!なんのためにこんなクソ田舎まで来たと思ってるんだ!!
有宇はそのまま足早に店を出た。
◆◆◆◆◆
店を出てから有宇はずっと途方に暮れていた。
外はもう日が沈みかけていた。
一応これから他の店も当たってみるつもりではいるが、出鼻をくじかれたのはかなり堪えた。
そうして広場のベンチに座り一人項垂れていると、突然女が声をかけてきた。
「あれ?君、お昼にバイトの面接に来た人だよね?」
顔を上げて見てみると、昼間店で働いていたピンクの制服の頭のおかしな女だった。腕には買い物袋を引っ下げており、おそらく買い物帰りだと思われる。
「えっと……確かココアさんでしたっけ?」
「あれ、名前教えたっけ?」
「もう一人の店員さんにそう呼ばれてませんでした?」
「あ、そうだったね。頭いいんだね」
そう言うとラビットハウスの店員、ココアは何も言わず有宇の隣に座った。
せめてなんか隣座っていい?とか聞けよ。
「そういえば、まだ君の名前聞いてなかったね。なんていうの?」
「乙坂有宇といいます」
「有宇くんか、よろしくね」
なれなれしい女と思ったが、追い払う気力もないので会話を続ける。
「それで、バイトは受かりそうかな?それとももう決まった?」
「えっと……ダメでした」
「えっどうして?もっと自信を持たなきゃダメだよ!」
「……親の同意書と……あとこの街の住民票が無いとバイトが出来ないんだ」
「えっと……貰えばいいんじゃないの?」
「そうもいかないんだ……」
「どうして?」
「どうしてって……」
まさか学校でカンニングして退学になりかけたことがきっかけで、
プライドの高い有宇は、女相手に自分の置かれた状況を説明するのは躊躇われたのであった。
「えっと……実は親に勘当されてね、家を追い出されたんだ……」
「えっ!?何か悪いことでもしたの?」
「……実は父が酒飲みでね。仕事もろくにせず僕が新聞配達のバイトをして生計を立てていたんだ。だから学校にもろくに通えなかったしお金もないから高校にも入れなかったんだ。だけどこの前、酒をのんで家をめちゃくちゃにしてて母さんに手を挙げたんだ。それでとうとう殴り合いのけんかになって家を追い出されたんだ」
もちろん嘘八百である。
有宇の両親はとっくの昔に離婚して家を出て二人とも行方知らずだし、親権者のおじさんとは殴り合いのけんかはおろか顔を合わせることすらあまり無い。
それにうちは確かにそこそこ貧乏だが高校に行くぐらいの金はある。もっとも退学になったせいで全部パアだが。
しかし流石の有宇も我ながら嘘くさいと思ったが、ココアの顔をうかがってみると、顔を真っ赤にして涙を流していた。
「そ、そんなことがあったなんて、有宇ぐん苦労じでだんだね……」
「あ、あぁ……」
まさかここまでありきたりな作り話に見事に騙されるとは有宇も思っていなかった。
人がいいのかただ馬鹿なのか……。
するとココアは涙を拭いて立ち上がると、有宇に向け言う。
「よし、私に任せて!私からもタカヒロさんに頼んでみるよ!」
「えっ!?」
言うや否や、ココアは有宇の手を掴み、そのまま手を引いて店まで連れて行こうとした。
「ちょっ、ちょっと待ってココアさん!?流石に無理なんじゃ……」
「やる前から諦めてたら駄目だよ。それでもダメだったらチノちゃんにも協力してもらうから大丈夫だよ」
さっさとこの女との会話を終わらせたかっただけだったのに、まさかこんな展開になるなんて思いもよらなかった。
でも他に頼るあてもないし、この女を止めるのはめんどくさそうだ。
それに、うまくいくとは思えないが、これでバイトできるようになるのであれば、この流れに乗るのもワンチャンありだなと有宇は考え、このまま連れて行かれることにした。
しばらくして店に着くと、何故かトレンチコートを着て何処かへ出かける準備をしていたマスターがすぐ目の前にいた。そんなマスターにさっそくココアが声をかける。
「おじさん!」
「おやココア君、彼と一緒だったのかい?」
「はい、ところでお願いがあるんです」
「なにかな」
「有宇くんをここで働かせてもらえませんか?有宇くん、なんか今までたくさん苦労してきたみたいなんです。なのに学校にも行けず働こうにも働けず住むところもないなんてあんまりじゃないですか!だからここで有宇くんを働かせてあげてください!」
泣き落としならさっき僕もやったし、まぁ無理だろうなと見てると、マスターから意外な反応が返ってきた。
「構わないよ」
「えっ!?」
即答だった。
先程はどんなに頼んでもダメだったのに一秒で了承されてしまった。
どういう風の吹き回しなのだろうと有宇は疑問に思った。
「本当にいいんですか!?」
有宇がにわかに信じられずそう聞くと、先程までと打って変わって首を立てに振った。
「あぁ、構わないよ。明日から住み込みで働いてもらうけど、大丈夫だね?」
「住み込みで!?はい、大丈夫です!」
「ココア君もそれでいいかな?」
「はい!ありがとうございます!」
「そうか、では有宇くん、これからシフトやここで暮らしていく上での事を色々と決めていこうか」
「はっ、はい」
それから有宇はココアを一瞥する。ココアの方もまた笑顔でこちらを見つめる。
「有宇くんやったね!これからよろしくね」
急な展開だったものの、こうして有宇はこの喫茶店、ラビットハウスで働くことになった。
◆◆◆◆◆
先ほどの少年、もしかしなくても家出少年だろう。
有宇が帰った後、ラビットハウスのマスター、香風タカヒロはそう考えた。そして机の上の先程有宇にもらった履歴書が目に入る。するとタカヒロはそこに書かれていた電話番号に電話をかけてみた。
履歴書の住所はデタラメだったので、電話番号もデタラメの可能性が高いものの、市外局番はこの街のものではないし、本物の可能性が高い。それにこれは流石に親と話す必要がある。
電話番号は本当に家の番号だったようで、電話には親と思しき男が出た。
「もしもし、乙坂です」
「もしもし、そちら乙坂くんのお宅でしょうか。こちら喫茶店ラビットハウスの店長、香風タカヒロと申します。そちらの息子さんがうちにアルバイトの面接に来たのですが……」
「有宇がそちらにいるのですか!?」
「ええ、先程までうちに面接に来ていました」
「そうですか……見つかってよかった」
どうやらまともに話せる相手のようだ。
タカヒロは事情を聞いてみることにした。
「失礼ですが何があったか聞いてもよろしいですか?」
「はい……実は……」
そう言うと男は事のあらましを説明した。
何でも先程の少年──乙坂有宇は学校でカンニングを働き、それがバレて高校を退学になりかけてるとのことだ。それがきっかけでこの電話口の叔父と口論になり、家出をしたということらしい。
「……情けないですよ、本当に。自分があいつをしっかりみてやれなかったのがいけなかったのに、あいつに八つ当たりしてしまって」
「子供が間違えたらちゃんと叱る。乙坂さんはしっかり親としての責務を果たしたと思いますよ」
「そう言ってもらえるとありがたいです。しかし出ていけはさすがに言い過ぎました……」
「引き取りに来られるなら彼を探してきますが」
そう言うと電話の相手の男は押し黙ってしまった。
「どうかしましたか?」
「……実は、あいつに星ノ海学園から特待生として迎えたいという推薦状が来ているんですが……」
星ノ海学園……天々座の奴がそんな名前を口にしていた気がするが……。
「それはすごいですね。通わせるおつもりですか?」
「そのつもりでした。しかし今のあいつではまた同じことをしてしまう気がするんです。このままあいつを行かせていいものか……」
「そうですか……」
するとタカヒロはあることを思い着いた。自分でも何故こんな事を考えたのかわからなかった。明らかにリスクしかないし、娘を持つ父親としてはどうかしている。
だが、乙坂有宇───彼は昔の自分と重なるのだ。自分に力があると過信し、現実を知りもしない青二才な若者は、まるでかつての自分と同じだと。
そんな彼を、タカヒロはどうにもこのまま放っておくことに、躊躇いがあったのだ。
そしてタカヒロはその思い付きでしかない提案を口にする。
「では一度、うちで預かってみますか」
「えっ?」
「社会経験もかねて彼をうちで住み込みでアルバイトをさせてみてはどうでしょうか」
乙坂有宇をうちで働かせる。年頃の娘が二人いるこの家で。我ながら馬鹿げているとタカヒロは思った。しかしもう後には引けない。
「えっ、いやそんな……いいんですか?」
「部屋はあまっていますので、そちらがよろしいのであれば」
「しかし……それぐらいであいつが変わるとは思えないのですが……」
「心配ないと思います。うちの娘もあまり人と関わるような子ではなかったのですが、去年うちに住み込みでアルバイトに入った子が来てから娘も変わりました。たぶん、お宅の有宇くんも変われるはずです」
「しかし……本当にいいんでしょうか?いきなり任せてしまって」
「こちらは問題ありません。もし心配なことがあれば電話でも直接こちらに来ていただいても構わないので」
「そうですか……では有宇のこと、よろしくお願いします」
「ええ、わかりました」
こうして有宇の知らないところで、有宇がラビットハウスで住み込みで働くという話が決まった。
「それと、彼がこちらに来たら、そちらに連絡させましょうか?」
「いえ……私が関わっていることを知ったら辞めてしまうでしょうから結構です。私のことはくれぐれも内緒にしてください。ただ時々でいいので近況を知らせていただけると助かります」
「わかりました。細かい事はまた後ほど話し合いましょう。それでは」
電話を切ると、タカヒロは再び電話をかける。かける相手は彼をここに住ませるに当たり、許可を貰わなければならない人だ。
その人に許可を貰うと、娘であるチノにも許可を貰う。そして、彼を向かい入れる準備を整えたタカヒロは彼を探しに行こうとトレンチコートを羽織る。
しかしタカヒロが彼を探しに行こうとした矢先、偶然にも彼の運命を変えてくれるであろう少女───ココアが彼を連れて帰ってきたのだった。