幸せになる番(ごちうさ×Charlotte)   作:森永文太郎

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第18話、懐かしい安らぎ

七月、もうそろそろ夏休みという時期である。

だが学生には夏休みに入る前に、大きな鬼門が待ち構えている。

 

 

 

 

 

午後、ラビットハウスには有宇、チノ、リゼの三人が働いていた。

ココアはというと……

 

「期末試験の勉強をするからバイト代われとかふざけやがって……」

 

ココア達の学校はもう期末試験。

ココア達の学校に限らず、この時期はどこも期末試験で学生は試験勉強に追われていることだろう。

そしてココアが千夜と試験勉強をするため、ココアのシフトを代わって有宇が午前から引き続き働いている。

 

「ていうかお前らはいいのかよ試験勉強しなくて」

 

共に働く現役学生二人に尋ねる。

 

「私は普段から予習復習してるし、家帰ってからもやるし特に問題ない」

 

とリゼ。

 

「私もそうですね。バイトが終わったらちゃんと勉強しますし、大丈夫ですよ」

 

とチノ。

二人の返答を聞くと、有宇は若干やさぐれたように愚痴る。

 

「ふ〜ん……それは優秀なことで」

 

すると何故か有宇が機嫌を損ねてしまう。

 

「あの……何か気に触るようなこと言ったのでしょうか?」

 

「ただ僻んでるだけだろ、ほっとけ」

 

「ゔっ!」

 

図星だった。

要は自分の頭が悪いものだから、二人の余裕そうな態度に嫉妬しているのだ。

しかし有宇も透かさず反論する。

 

「ふん、そうやって余裕ぶっこいて赤点とっても僕は知らんぞ」

 

「はいはい、わかったわかった」

 

しかしリゼには相手にもされず受け流される。

クソッ、なんか負けた気分だ……。

 

「そういえば有宇もなんか勉強してるんだろ?」

 

「ん、あぁ、まぁな」

 

一応有宇も高卒認定の勉強をしている。

どっかに就職するにしても高校卒業レベルはないとダメだと思い、やりたくはないが仕方なくやっている。

 

「なんなら今度私が教えてやろうか?」

 

「え?」

 

まさかそんな風に提案されるとは思ってもいなかったので驚く。

確かに実際わからないところだらけで全く身になってない気はするので教えを請いたいところだが……。

するとその時ドアにかけられた鈴が気持ちよく音を立てる。

 

「ただいま〜」

 

入ってきたのは客ではなくココアだった。

 

「お前、甘兎で勉強するんじゃなかったのか?」

 

「ちょっと忘れ物しちゃって」

 

「……甘兎からここまで30分はかかるよな確か」

 

それなりに距離あるんだから、時間もったいないんだし忘れ物なんかするなよ……。

 

「それよりみんな何話してるの?」

 

「今有宇に勉強教えてやろうかって話をしてたんだ」

 

ココアの質問に対しリゼがそう答える。

それを聞いたココアはふーんと頷いたと思ったら、突然「そうだ!」と声を上げ、なにかを思いついたようだ。

 

「じゃあ有宇くん、私達と一緒に来る?」

 

「は?なんでそうなる」

 

「だって有宇くん勉強教えて欲しいんでしょ?だったらちょうどいいかなって。ほら、今から私と一緒に行こ?」

 

「いや、僕仕事あるし……」

 

「行ってきたらどうだ。そんなにお客さんもいないしさ」

 

リゼにそう言われ、店内を見回す。

確かに今店には客は二人しかいないのでヒマではある。

 

「でも勝手に抜けるわけには……」

 

するとちょうどよく廊下からマスターが現れる。

一応聞いてみるかと声をかける。

 

「あの、マスター……」

 

するとまだ何も用件を言っていないのにも関わらず、マスターはグッと親指を立て了承のサインをする。

まさか一秒で了承されるとは……。

まぁこんなに客がいないのに働いてたって人件費の無駄でしかないし、別にいいか。

 

「えっとじゃあ……後は頼む」

 

リゼとチノにそう告げる。

 

「あぁ、任せろ」

 

「はい、いってらっしゃいお兄さん」

 

二人は快くそう答えた。

 

 

 

 

 

それから普段着に着替え、カバンに今まで使ってきた教材を放り込んでココアと店を出た。

 

「ていうか本当によかったのか?テスト勉強だっていうのに僕が邪魔しても」

 

「全然邪魔なんかじゃないよ。それにこういうのはみんなでやった方が楽しいし」

 

いや、勉強なんて楽しむもんじゃないだろ。

そもそもよく勉強会なんてやってる奴いるけど、僕が言うのもあれだがそういう奴に限って成績悪かったりするんだよな……。

最も僕はテスト勉強をしに行くわけではないので別にいいけど。

 

 

 

 

 

30分後、ようやく甘兎に到着する。

中に入り奥の部屋に向かう。

そこに、ちゃぶ台の上に教科書を広げる千夜とシャロの姿があった。

 

「お待たせ〜」

 

「あらココアちゃん、おかえりなさい」

 

「まったく、忘れ物なんかするんじゃないわよ……て、なんで有宇がいるのよ」

 

「有宇くんもみんなとお勉強したいんだって。シャロちゃん、有宇くんのことも教えてあげて」

 

「私も試験勉強あるんだけど……まぁいいわ、とにかく時間もったいないんだし始めるわよ」

 

「「サーイエッサー!」」

 

「さ、さー……?」

 

こうして四人の勉強会が始まった。

 

 

 

 

 

勉強会開始から数十分後、シャロは苦い顔をしていた。

そんなシャロの手には、有宇の問題集がある。

有宇が解いた問題の丸つけをしてもらっているのだが……。

 

「ねぇ有宇……」

 

「なんだ?」

 

「ここの日本語文を読んでみなさい」

 

シャロが有宇の解いた問題の一つ、日本語を英語に書き換える問題の一つを指差す。

 

「えっと『トムはいつ帰ってきますか?』だろ」

 

「そうよね……それがなんでこうなるのよ!!」

 

有宇の答え

〈Is Tom ritarn ?〉

 

「何だお前知らないのか?疑問文はbe動詞が先に来るんだぞ」

 

有宇はさも当たり前かのように言う。

 

「ここは疑問詞を使うんでしょうが!!答えは〈When will Tom come home?〉よ!!あとreturnのスペル間違えてるし、あとこれ!」

 

次にシャロが指を指したのは、英語を日本語に訳す問題だ。

 

〈I'm home〉

 

有宇の答え

〈私はホメです〉

 

「いやだって『私は家です』じゃおかしいだろ?だからてっきりホメさんていう人だと……」

 

「なわけないでしょ!!はぁ……こんなの中学でやることでしょ……」

 

「は!?ここは日本なんですけど!?英語なんて必要ないし、お前こそ日本語で喋れよ!!」

 

「それが人に教えてもらう態度かぁぁぁぁぁ!!」

 

有宇の立場をわきまえない反論にシャロが激昂する。

 

「一応聞くけどあんた、5W1Hは流石にわかってるでしょうね!!」

 

「馬鹿にするな。いつ、どこで、誰が、何を、なぜ、どのように、情報伝達においての基本事項だ」

 

「ええそうよ、それを英語で?」

 

「……」

 

「ウソでしょ!?一つもわかんないの!?」

 

つまり、有宇は高校1年(になってる歳)にも関わらず、疑問詞すら理解していないということだ。

 

「本当に中学の基礎もできてないじゃない……。因みにSVCは?」

 

「S……?す……す、スーパーヴォルカニックカノン!!」

 

「なにその必殺技みたいな名前!?」

 

「あ、それ、すごくいい名前ね!喫茶店のメニューの参考にさせてもらってもいいかしら?」

 

「あんたは黙ってなさい!!」

 

千夜が有宇の珍回答に悪乗りすると、シャロから鋭いツッコミが入る。

そしてシャロは有宇のバカさ加減に頭を抱える。

 

「はぁ……そうじゃなくて第二文型のことでしょうが。あんた、自分で勉強してたんじゃなかったの?」

 

「いや、英語とか数学とか自分でやってもわかんねぇから、公民とか現代文とかそっち優先してやってたし……」

 

それを聞くとシャロは呆然とした。

そして静かに涙した。

 

「……もうヤダ」

 

「シャロちゃんが折れた!?」

 

「逆にすごいわ有宇くん!」

 

「別に嬉しくねぇよ!!」

 

有宇の頭の悪さは、もはやシャロすら投げ出すレベルだった。

 

 

 

 

 

「まさかここまで頭が悪かったなんて……」

 

少し休んでいつもの調子を取り戻したシャロが、本当に意外そうにそう呟く。

 

「カンニング魔だっていうのは聞いてたけど……あんたいつからそんなことしてたわけ?」

 

「えっと……」

 

シャロにそう聞かれ、真面目に思い出そうとする。

能力を手に入れたのが中学入ってすぐ辺りだった気がするから、そこから能力の活用方法を模索したりしてあれこれ時間が経って……。

 

「……中2ぐらいからだったかな?」

 

「そんな前からやってたのね……。それから全く勉強してないの?」

 

「あぁ!全然、これっぽっちも!」

 

「威張るな!!」

 

そしてそれを聞いてシャロは頭を悩ませる。

シャロはてっきり、有宇は有名校に入るためだけにカンニングをしたと思いこんでいたのだ。

だが実際は受験よりずっと前からカンニングをしていたのである。

つまり、有宇には高校の勉強の基礎的な事がほぼ一切頭に無いのである。

 

「この調子だと他の教科も基礎が出来てないだろうし……有宇、あんた明日から一週間の予定は?」

 

「毎日バイトだが?」

 

「そう、じゃあ午後は空けときなさい。どうせ午前バイトでしょ?」

 

「いや、土曜は午後も……」

 

「空けておきなさい!いいわね」

 

「あ、あぁ……わかった」

 

シャロの謎の気迫に押され、仕方なく言われたことを素直に呑む。

 

「いい!私もテスト期間でバイトのシフト減らしてるから、残りの時間であんたに勉強の基礎を叩き込んであげる!基本さえ掴めば後は自分でもやれるだろうし……とにかく覚悟しなさい!!」

 

どうやらシャロはバイト終わりの時間を、有宇の勉強を見るのに使うつもりらしい。

 

「いや、そんなわざわざ……」

 

「私の気がすまないのよ!私が教えておいてこのままだなんて絶対許さないんだから!」

 

シャロが熱く燃えていた。

シャロが貧乏なことを知ってからリゼに聞いたのだが、シャロはお嬢様学校の特待生らしい。

だからそれなりにプライドでもあるのだろうか?

 

「でもお前、自分のテスト勉強はいいのかよ?」

 

有宇がシャロに尋ねる。

シャロだって自分のテスト勉強があるはずだ。

 

「心配いらないわ。テスト勉強なんて普段やってる予習復習の確認みたいなものだしそこまで重要じゃないわ。勿論怠る気はないけど」

 

リゼとチノと同じことを……頭の良い奴は皆こんななのか?

ともかくシャロとしては心配する必要はないということなのだろう。

有宇としても勉強を教えてもらえるのは助かる……が、かといってそんなにみっちりやる気もない。

逃げ道を探そうと考えると、さっきから二人で勉強をしている千夜とココアが目に入った。

 

「そ、そういえば二人はどうなんだ?シャロの手が必要なんじゃないか?」

 

いつも他のメンバーよりアホなことを噛ましてる二人のことだ。

僕と同じくらいといかずとも、アホの部類に入るに違いない。

そうなればシャロの力が必要になり、僕だけを重点的に見る訳にもいかなくなるはずだ。

だが二人の答えは有宇の予想に反するものだった。

 

「ううん、大丈夫よ。私達がわからないことがあれば勿論シャロちゃんに聞いたりするけど、二人で力を合わせればほぼ問題ないわ」

 

「うん、だからシャロちゃんは有宇くんに集中してくれて大丈夫だよ」

 

「で、でもココアとかお前本当に大丈夫なのか?正直頭いいイメージが全然ないんだが……」

 

「ひどっ!!」

 

確かに大分失礼なことを言ってるのは承知してるが、こいつの普段の様子を見て頭がいいイメージが沸くはずもなく、そう思うのも仕方ないだろう。

すると千夜が言う。

 

「あら、ココアちゃん結構成績良いのよ。特に理系科目は学年でもトップクラスで、私も普段から教えてもらってるの」

 

「え!?」

 

今日一番の驚きである。

てっきりココアが千夜から一方的に教わってるのかと思っていたのに……。

ていうかこいつ……バカそうに見えて実はリケジョだったとは……。

 

「でも私、文系科目が苦手なんだ〜。だから文系科目は千夜ちゃんに教わってるの。その代わり理系科目は私が千夜ちゃんに教えてるんだ〜」

 

一応何でもできるというわけではないようだ。

なんにせよ、こいつらはそれぞれ理系、文系科目を得意としており、お互いに苦手科目を補えるようにしているということか。

そして二人でもわからないような発展的内容に関してだけ、お嬢様学校に通ってるシャロが教えているというわけだ。

 

「ともかく勉強に戻るわよ!あんたには色々と詰め込まなきゃいけないんだし」

 

「まじかよ……」

 

「有宇くん、ファイトだよ!」

 

「頑張ってね」

 

それから有宇は、みっちりとシャロに勉強の基礎という基礎を頭に叩き込まれた。

 

 

 

 

 

勉強はそれから三時間続いた。

外はもう暗くなっており、時計の針は夜の八時を回ったところでシャロがそろそろ終わろうと言った。

 

「取り敢えず今日はここまでにしましょう」

 

「お……終わった……」

 

終了の合図がかかると、有宇は魂でも抜けたかのように机にうつ伏せになる。

こんなに勉強したのは何年ぶりだろうか……。

本当は七時に終わるはずだったのだが、有宇の方のきりが悪かったので、そこからダラダラと余計に一時間経ってしまった。

勉強の途中からはココアや千夜にも、そこ違うとかなんとかツッコまれ、シャロからは同じところを間違えると怒号が飛んでくるし、有宇にとっては苦痛の三時間だった。

 

「有宇、あんたは明日も来なさいよ。明日はうちでみっちりとやるんだから」

 

「うげぇ……もう十分やっただろ」

 

「今日は英語しか出来なかったじゃない!その英語も全然まだまだだし、他の教科もきっちりやらなきゃまずいでしょ!高卒認定ってあんたが思ってる以上に難しいのよ!とにかく、自分で勉強できるレベルになるまで続くんだから覚悟しなさい!あと家でも予習復習しなさいよ!」

 

「マジかよ……」

 

「あと今日出た英単語、明日またテストするから。できなかったらまた後日再テストよ」

 

「はぁ!?んなもんどうやって覚えろっていうんだよ!」

 

「ほら、この英単語帳あげるからこれで覚えなさい」

 

するとシャロは、針金に短冊状の紙が束ねられている物を渡してきた。

 

「これが単語帳か。存在は知ってるけど、これどうやって使うんだ?」

 

するとその時、ピシッとその場の空気が凍りつくのを感じた。

ココア達すら苦い顔を浮かべていた。

お前はそんなことも知らないのかというような雰囲気である。

 

「な……なんだよ。受験勉強だってしてこなかったんだから仕方ないだろ!!」

 

「自業自得でしょうが!!」

 

シャロの鋭いツッコミがとぶ。

 

「ま……まぁまぁシャロちゃん。誰にだってわからないことぐらいあるよ。えっとね有宇くん、これは表側に覚えたい英単語を書いて、裏側に正解の日本語訳を書くの。で、それをこうやってめくって……」

 

とココアが有宇にフォローを入れながら、単語帳の使い方を教えてくれた。

その横顔を見て、少しドキリとする。

たまにこう姉らしさを発揮することあるよなこいつ……。

 

「ん、どうしたの?変な顔して」

 

「あっいや……なんでもない」

 

まぁ本人に言うと調子乗るので言わないのだが。

その後千夜に夕飯に誘われたが、チノからメールが来て、家でチノがもう作ってくれてるとのことなので、僕とココアはそのままラビットハウスに帰ることにした。

 

 

 

 

 

甘兎からの帰り道、有宇は浮かない顔をしていた。

 

「あーあ、明日から勉強漬けかよ……。おまけに帰ってからも勉強とか、普通に死ねる……」

 

「死んじゃうの!?とにかく元気だしなよ有宇くん。ファイトだよ!」

 

「あーはいはい、ファイトファイト」

 

「もう!全然ファイト出す声じゃないよ〜!」

 

そんなこと言われても出せないものは出せないのだ。仕方ないだろ。

それからもココアが色々となにか話していたが、単語帳片手に話半分に聞き流し帰路に着いた。

 

 

 

 

 

その日の夜、有宇は机に向かっていた。

明日は数学をやるということなので手をつけているのだが、さっぱりわからん。

そもそも僕はもう勉強をする必要はないのだ。

星ノ海学園への入学はおじさんの手によって編入することが出来なかった。

だがおじさんはマスターを通じて今の僕の情報を入手している。

マスター曰く、おじさんは今の僕に割と好感触を持っているらしい。

ならば、どの道ここでしばらく過ごせばおじさんの怒りも解かれ、星ノ海学園に編入できる日もいつかくるはずだ。

つまり、今までは完全に家出のつもりでいたから高卒認定を取ろうと躍起になっていたが、もうその必要はないということだ。

勿論入った後で苦労することにはなるだろうがそんなの知るか。

後のことまで気にしてられないし、明日も「マスターがどうしてもシフトに入って欲しいらしくて。だからゴメン」とでも言っておけばシャロも納得するだろう。

それに僕なんかに時間を使うより自分のテスト勉強をした方がシャロのためにだってなるだろう。

そうだ、こんなことやめだやめだ。

いつもみたいに本でも読もう。

そう思ってシャーペンを置こうとすると、トントンとドアがノックされる。

どうぞと声をかけるとお盆にコーヒーの入ったカップを乗せたココアが入って来た。

 

「お勉強頑張ってると思ってコーヒー淹れてきたよ〜」

 

「おう、気が利くな」

 

そしてココアはお盆を有宇の机に置き、有宇にカップを渡す。

 

「どう?捗ってる?」

 

「全然、ちょうど諦めようと思っていたところだ」

 

「えぇ!?諦めちゃうの!?」

 

「あぁ、そもそも僕には向いてないんだよ。無理やりやったってやる気だって出るわけないんだし。明日もシャロには適当に理由つけて断るつもりだ」

 

するとココアが笑顔を曇らせる。

そしていつになく真剣な声色で有宇に言う。

 

「……本当にそれでいいの?」

 

「あ?何がだ」

 

「有宇くんは本当にそれでいいの?」

 

「あぁ、言ったろ?僕には向いてないって。昔から僕はそんな頭も良くないしな。それに今、もしかしたら高校に入れるかもしれないって話が来てるんだ。そうなれば高卒認定を取る必要もない。だからもういいんだ」

 

そうだ、無理して勉強する必要なんかもう無い。

必要性もないのにわざわざそんなことやるなんてバカみたいだろ。

だからこれで……。

 

「私はそうは思わないな」

 

そう言うココアはいつものにんまりとした笑顔ではなく、初めて本音で語り合ったあの日のように優しく微笑んでいた。

しかし有宇は平然と悪態をつく。

 

「はっ、お前はいいよな、頭がいいからそこまで苦痛でもないんだろうし。でも僕はお前たちと違って頭が悪いんだ。理解しようとしても理解できない。そうなれば周りの奴らにも奇異の目で見られる。そんなの苦痛でしかない。そうだろ?」

 

僕だって真面目に勉強してた頃はあったさ。

だけどどんなに頑張って机に向かっても理解できない。

だから結果も出ない。

なんとか赤点を回避することぐらいならできたけど、望むような点数を手にすることはなかった。

いい点数を普通に取れるお前達にはわかるまい。

 

「確かに勉強って楽しくないって思う人はいっぱいいるし、有宇くんの気持ちはわからなくはないよ。でも私、有宇くんが頭悪いとは思わないけどな」

 

「え?」

 

「まぁ良くも無いと思うけど」

 

「どっちだよ!!」

 

「えへへ、とにかく有宇くんに必要なのはやる気だと思うんだ。なんか今日見てて思ったんだけど有宇くん、やる気がないっていうか覚える気がないでしょ」

 

それを聞いてドキリとする。

確かに勉強に意欲的かといえばそうじゃない。

けどそれも仕方ないだろうと同時に思った。

 

「当然だ。お前だってさっき言ったじゃないか。勉強なんか楽しめるものじゃないと。全ては学校の成績を保つためにすぎない。結果しか見られないから頑張ったってその過程は無視される。なら無理やりやるしかないだろ?そんなものにやる気なんか出せるか」

 

「そうだね。でも有宇くん、勉強もそうだけど、どんなものでも何かを一つやり遂げたいって思うことが大切なんだよ。勉強は辛いものかもしれない。でもみんな辛い勉強をするのだって将来の自分のために……自分のしたいことを叶えるために勉強するの」

 

「自分の……したいこと……」

 

「ほら、私お兄ちゃん達いるでしょ?お兄ちゃん達も昔から弁護士と科学者になりたくて必死に机に向かってたよ。受験のためには好きでもない科目の問題も説かなきゃいけないけど、必死に頑張って夢を叶えたんだよ。まぁまだ学生だから叶えたってわけじゃないけど」

 

そりゃお前の兄貴は目指す目標があるからいいだろうよ。

けど僕には……。

 

「僕とお前の兄貴達じゃ違う。僕には将来の目標なんかない」

 

マスターにも目標うんぬんの話はされた。

だが僕には好きなものなんかないし、これといった趣味もない。

だから、僕には勉強を頑張る理由なんてやっばりないのだ。

「でも……」とココアが口を開く。

 

「でもそれなら尚更頑張んなきゃいけないと思うよ」

 

「それはあれか?取り敢えず勉強しておけばいい会社に入れるとかそんなのか。は、僕だってそれぐらいわかるさ。だから汚いことをしてでも成績をあげようと思ったわけだしな」

 

「ううん、そうじゃないよ。有宇くん、勉強っていうのはね、可能性の宝庫なんだよ」

 

「可能性の宝庫?」

 

「うん、だって何も知らなきゃ何もできない。それは勉強に限ったことじゃないでしょ。チノちゃんや千夜ちゃんみたいにみたいに喫茶店やったり、お兄ちゃん達みたいに弁護士や科学者になったりするのだって色んな知識が必要なの」

 

「けど喫茶店と弁護士じゃ、なる為の勉強量が違うだろ」

 

「確かにみんなそれぞれ必要な知識は違うよ。でもその根幹にあるのが学校の勉強なの。たくさん勉強しなくてもなれるお仕事は確かにあるだろうし、それとは逆に弁護士さんとかは沢山勉強しなくちゃなれない。でもたくさん勉強しなきゃ弁護士さんにはなれないけど、たくさん勉強すれば弁護士さんにも、喫茶店の店員さんでも、何でもなれるんだよ。つまりね、学校のお勉強はその全てで通じるの。しておくだけで将来の選択肢が増えるの。だから勉強をするっていうことはね、可能性を広げることなの」

 

「可能性を広げる……」

 

「うん、それに学んだ知識を、今度は専門的な知識に繋げられる。そこから自分のやりたいことだって見つけられるはずだよ。だからね、これからの事を考える有宇くんには沢山お勉強して沢山のことを知って欲しい。それで手にした知識の中から自分のやりたいことを見つけて欲しいな」

 

僕は今まで勉強を将来仕事を得るための……周りから評価されるための手段でしかないと思っていた。

勿論それが間違いだというわけではない。

しかしそれだけではないのだと、得られた知識から自分のやりたいことだって見つけられるのだとココアはそういったのだ。

そうか……それは何事においても消極的な僕なんかじゃ思いつかない考えだ。

 

「かく言う私も街の国際バリスタ弁護士か小説家かどっちにしようか迷ってるんだ」

 

「それは色々と一つに絞れよ!てか街の国際って矛盾してないか!?」

 

ったく……。

まぁ何はともあれココアの言いたいことはわかった。

 

「でも現実問題成績がな……。それに苦痛なのには変わりないし……」

 

「だったら!」

 

そう言うとココアは部屋を飛び出していった。

そしてすぐに自分の部屋の椅子と伊達眼鏡をかけ、白衣を着て戻ってきた。

椅子を僕の右隣に置いて、ココアは伊達眼鏡をかける。

 

「えっと……ココア?これは一体……」

 

「一人でやるのが辛いなら私も一緒にやってあげる。ほら、私有宇くんよりお姉さんだしなんでも聞いて聞いて」

 

「でもお前、テスト勉強は……」

 

「いいのいいの。お姉ちゃんに任せなさ〜い!」

 

そう言うとココアは右腕の袖をまくって腕を曲げた後、左腕を右腕に添えるポーズをとった。

まぁ、一人でやるよりはいいか……。

 

「じゃあ……頼む」

 

「うん!」

 

ココアは笑顔で快く返事を返した。

しかし有宇には一つ気になることがあった。

 

「ところで……その白衣と伊達眼鏡は?」

 

「先生といったらやっぱ白衣と眼鏡かなって」

 

「……姉か先生かどっちかにしろよ」

 

「そうだね、じゃあ間を取ってお姉ちゃん先生で!」

 

「欲張りかよ!」

 

そんなこんなで二人で勉強を再び始めた。

正直ココアの教え方は何かと分かりづらいところが多かった。

……でも、わかるまでちゃんと教えてくれた。

説明を聞いてもわからなければ途中式を書いたり、図で説明したりしてくれた。

時間はかかったけど、この時間は決して今までのように苦痛な時間ではなかった。

 

 

 

 

 

その日の夜、夢を見た。

夢の中の僕は小学生ぐらいだろうか。

必死に机に向かっている。

テストの点が低くてクラスメイトにバカにされて、次の小テストこそはと勉強しているのだ。

だが自分でやっても全然わからなかった。

自分の出来なさに嫌気が差した。

顔は今にも泣きそうだ。

そんな時、隣に誰かが立つ。

 

『お、勉強してるのか。どれ、〇〇〇〇〇〇が見てやろうか』

 

その人は隣に立って僕の勉強を教えてくれた。

とても優しく、学校の奴らと違ってなんでできないのなんて言わなかった。

わかるまで何度も優しく教えてくれた。

まるで今日のココアのように……。

だがその顔は以前見た夢と同じように霞がかっているようになっていて見えなかった。

なぁ、あなたは一体誰なんだ……。

 

 

 

 

 

次の日も、午後になるとシャロの家に赴いた。

シャロも言葉は厳しいけど、わかるまでちゃんとじっくり教えてくれる。

これでバイトもやってるんだ。大したもんだよ。

ラビットハウスと甘兎は徒歩30分かかる。

その間の道も単語帳を眺めたりして無駄にはしなかった。

家に帰れば、夕食当番を変わってくれたチノとココアが夕食を作って待っており、夕食と風呂を済ましたらココアと一緒に勉強した。

途中からチノも混ぜて欲しいと場所をチノの部屋に変えて、三人で小さい丸テーブルに座ってそれぞれの勉強をして、わからないところがあればココアが教えてくれた。

そんな感じで一週間が経った。

 

 

 

 

(じ〜)

 

有宇はいつも通りシャロの家にいた。

この日はシャロの勉強会の最終日、そういうこともあってシャロは一週間のまとめとして自作のテストを渡してきた。

範囲はこれまでやって来たところだ。

有宇はそれを解いて、そして今シャロがテストの答え合わせをしているのだ。

そしてしばらくしてシャロが答案から顔を上げた。

緊張から喉をゴクリと鳴らす。

 

「全問正解……ではないけど、でも八割出来てる。頑張ったわね有宇」

 

そう言いながら軽く微笑む。

何気に初めてじゃないか?僕にこんな風に笑いかけてくれたの。

でもなんだろう。達成感というかなんというか……今はなんだか最高の気分だ。

すると顔が緩みそうようになり、咄嗟に緩まないよう抑えた。

それだけ有宇にとって嬉しかったのだろう。

───誰かから認められるということが。

 

「でも油断しないことよ!これからもちゃんと勉強は続け……ゴホッゴホッ!」

 

するとシャロが咳き込む。

 

「大丈夫か?」

 

「大丈夫よ、ちょっと咳き込んじゃっただけ。今日はもう帰っていいわ。今までご苦労様。私はちょっとベッドで横になるからそれじゃ」

 

そう言うとシャロは席を立ち、ベッドの方へのそのそと向かう。

 

「シャロ」

 

そんなシャロのその背中を呼び止める。

 

「なによ?」

 

「その……ありがとう。色々と助かった」

 

「別に、私がそうしたかっただけよ。……でも、素直に受け取っておくわ」

 

そしてこう付け加える。

 

「それと……また何かわからなくなったら聞きに来てもいいわよ。バイトとかある時じゃなければだけど」

 

「あぁ、そのときは頼む」

 

そうしてシャロはベッドに潜り込み横になった。

有宇も帰り支度を整えてシャロの家を出た。

 

 

 

 

 

家に帰る途中、夕飯の買い物の帰りのココアと会う。

 

「おー有宇くん早いね。どうだった?」

 

「あぁ、取り敢えずシャロのテストはクリアしてきた。ひとまず勉強会はこれで終わりみたいだ」

 

「そっか」

 

すると有宇はココアの持つレジ袋に目が入る。

見た感じ卵とか鶏肉とかが入ってるようだ。

 

「今日はオムライスだよ。腕によりをかけて作ってあげるね」

 

「オムライスか……」

 

歩未のオムライスを思い出す。

思えばもうあれを食わなくなってから一ヶ月以上経ってるのか……。

そして有宇は左腕を、左側を歩くココアに差し出す。

 

「?」

 

「持ってやる。重いだろ」

 

「あぁ、そういうこと」

 

そしてココアからレジ袋を受け取る。

 

「ありがとね有宇くん」

 

「あぁ」

 

そういえば、よくこうやって歩未と二人で歩いたっけ。

歩未と一緒にスーパーへ行って、レジ袋は僕が持って、歩未の隣を歩く。

ほんの少し前まで当たり前だったことなのに、今となっては昔のことに感じられてしまうな……。

するとココアが有宇に尋ねる。

 

「そういえば有宇くん、これからどうするの?」

 

「どうするって?」

 

「お勉強。もうシャロちゃんの勉強会も終わっちゃったしやめちゃうのかな〜って」

 

あぁ、そういうことか。

確かにもうやる必要もないのかもしれないが……。

 

『できれば目標か何かあればいい』

 

『勉強をするっていうことは可能性を広げることなの』

 

『自分のやりたいことを見つけて欲しいな』

 

ココアやマスターのセリフを思い出す。

可能性……目標か……。

昔の僕にはとてもじゃないが持つことの出来ないものだと思っていた。

でもそれが見つかるというなら僕は……。

 

「いや、続けるよ。折角覚えたのに忘れたくないしな」

 

そう言うとココアは満面の笑みを浮かべた。

 

「そっか……えへへ」

 

それに、勉強は今でも僕には荷が重いけど、この僕の隣で笑っている少しおっちょこちょいな自称姉がいれば続けていけそうだ。


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