幸せになる番(ごちうさ×Charlotte)   作:森永文太郎

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第17話、突きつけられた現実

トントン

 

マスターの部屋のドアをノックする。

 

「どうぞ」

 

声がかかると、有宇は部屋に入る。

マスターはいつもみたく椅子に座っていた。

 

「さて、なんの用かな」

 

「マスター、聞きたいことがあります」

 

「聞こうか」

 

「叔父さんと連絡を取り合ってたというのは本当ですか」

 

そう言うとマスターは、特に顔色を変えることもなく答える。

 

「どうやら星ノ海学園の生徒会長さんと会えたようだね」

 

友利が来ることを知っていたのか。

いや、そんな事よりも、友利が来ることを知っていたということは、伯父さんと内通していたのを認めたということだ。

 

「君の叔父さんから連絡があってね。星ノ海学園の生徒会長さんがこちらに向かっているというのは知らされていたんだが、具体的にいつ来るのか知らされてなかったので君に教えるのが遅くなってしまった。すまな……」

 

「僕が聞きたいのはそんな事じゃない……!!」

 

マスターの言葉を遮り、思わず声を荒らげる。

だがすぐに我に返り、聞きたいことを聞く。

 

「……どうやって叔父さんと連絡を取ったんですか」

 

「君の置いていった履歴書に書かれてあった電話番号にかけたんだ。市外局番がここら辺の番号とは違うから、本当の番号かも知れないと思い試しにかけてみたのさ」

 

履歴書……そうか、住所は東京だと怪しまれると思って変えたけど、電話番号はそのまま家の番号を書いてしまっていたのか。

しまった、そこまで目がいってなかった。

 

「……何故、僕を雇おうと」

 

「さぁ、何故だろうね。ただこのまま君を家に帰しても根本的な解決にはならないと思ったんだ。そこで君の叔父さんにここで社会勉強や君の更生も含めてアルバイトさせてみないか提案したんだ」

 

「……だから今までシフト的に無理があるはずなのにココア達と組まされたりしたんですね。ラテアートを教えなかったのも、ココア達に教えさせるために」

 

前々からマスターの行動には不可解な点があった。

ただでさえ客が来てないのにココア達三人と一緒に働かされたり、バイトで来てそうそう色々家事手伝いを手伝わされたり、完璧そうなこの人がラテアートを教え忘れたり。

全てはこの人なりの僕の更生プログラムだったってわけだ。

 

「そうだ。残念ながら私には君を変える力はない。だがココア君ならそれができる。だからなるべくココア君達と関わるように仕向けさせてもらったよ」

 

「何故ココアなんです?」

 

「それは私が言うまでもなく、君自身がわかっているんじゃないか」

 

……そう言われると、確かになんとなくわかる自分がいる。

あいつはいつもヘラヘラ笑ってるバカのくせに、その純粋さのせいか、人を嫌うということを知らない。

バカやって周りを振り回すことはあるが、なんだかんだ他人のことを思いやって、僕がカンニング魔だと分かった時だって、決して僕を軽蔑したりはしなかった。

寧ろ親身になって気にかけてくれた。

僕自身、まだたった一ヶ月ぐらいしか過ごしてないが、大分ここに染まってきたと時々思うことがある。

それがいいことかどうかはわからない。

けどそうなったのは紛れもなくココアがいたからだと思う。

あいつの、どんな奴でも受け入れてくれるその寛容さがあったからこそ、僕はここにいる。

でも、だからこそこれだけは最後に聞きたい。

 

「最後に一つ、この事をココアは……ココア達は初めから知っていましたか。ちゃんと答えてください」

 

もしあれが僕の更生のための演技であったのなら、それはそれで辻褄が合うし、納得できる。

普通カンニング魔の家出人の味方になる奴なんかいないし、演技であるほうが寧ろ自然だ。

そう、それが自然な事。

だから演技であってもそれはそれで納得できる筈なのに、それを認めたくない自分があるのは確かだ。

だからどうしてもこれだけは聞いておきたかった。

 

「安心したまえ、チノには君を気にかけるように言っておいたが、それだけだ。それ以外のことはチノにもココア君にも言っていない」

 

「そうですか……」

 

演技では……なかったか。

あぁ、思ってた以上に安心している自分がいる。

たった一ヶ月だったが、あいつらと過ごす日々はそう悪いものじゃなかったかもな……。

けど、これでもう心残りはない。

有宇はドアに向かって歩を進める。

 

「どこへ行くんだね」

 

有宇は背中を向けたままマスターに言う。

 

「マスターにはお世話になりました。けど僕は、やっぱり叔父さんの施しを受けてまでこのままこの店に居座るつもりはありません。ですので、今日でこの店を出ていきます」

 

そう言って部屋を出ていこうとドアノブを捻ろうとしたその時だった。

 

「君は……いつまでそうやって甘えてるつもりかね」

 

「え?」

 

「自分には人の上に立てる力があるなどと過信し不正を働き、その上一人で生きていく力もないくせに自分勝手に家を出て親を困らせ……そうやっていつまで自分に甘えるつもりだ」

 

思わず体がビクつく。

普段から温厚で優しく、確か実の娘であるチノすらもマスターの怒った姿を見たことないとか言っていた。

そのマスターが今、静かに怒りを顕にしていた。

そこには流石の有宇も怯んでしまう程の迫力があった。

だが有宇も怯んだままでいられなかった。

 

「……あんたに何がわかる。僕はただ自分に与えられた力の全てを利用しただけだ。それの何が悪い!」

 

「ふざけるな!!」

 

再び有宇の体がビクつく。

今度は先程までと打って変わり、マスターは声を荒らげて怒鳴った。

 

「君の言う与えられた力が何なのかは俺にはわからない。だが、君の言うその力でどれだけの人に迷惑をかけた!君とは違い受験勉強を頑張り陽野森高校を受けた受験生、学校で君を指導し期待した先生達、君のために学費を出してくれた君のおじさん、君はその全ての人達に迷惑をかけたことを理解しているのか?」

 

「それは……」

 

何も言えなかった。

だってそれは批判されて当然の事実なのだから。

ココア達が言わなかったであろう有宇という人間に対する批判を、マスターは次々と口にしていった。

 

「自らの利益のために不正に手を出してしまいたい誘惑は誰にだってあるだろう。現に君のように手を出してしまう人間だっている。それはそれでやってしまったものは仕方ない。然るべき罰を受け、反省し、次に進めばいい。だが君は、人からの誹りを受けることを恐れ逃げ出した」

 

それを聞いて有宇も咄嗟に反論する。

 

「逃げて何が悪い!!あんたの言う罰を受け入れたところで、じゃあ僕は許されるのか!?そんな事ない!!みんな僕をずっと攻め続けるんだろ!?どうせ許されないのなら、別に逃げたっていいじゃないか!!」

 

「逃げることが悪いとは言わない。逃げた先で得られることだってあるだろう。だが君の逃げはなんの意味がある。逃げた先からすら逃げようとして君は何を得るつもりだ。逃げたところでいつかは向き合わなければならない時は必ず来る。その現実からただ逃げ回ったってるだけでは何の意味もない。それに君がもしまともな人間であるなら、逃げた先でずっとその罪を引きずることになる。過去を後悔し、自責の念に駆られ、得たものすらも捨てていく……それこそ本当に意味がないんじゃないのか」

 

「……じゃあどうしろってんだよ。罪を認めても誰も僕を許してくれない、逃げても意味がない、じゃあ僕は……僕はどうすればよかったんだよ!!大体それだったら僕みたいな奴なんかに何で構ったんだよ!!放っておいてくれればよかったじゃないか!!」

 

心からの叫びだった。

もう自分がどうしたらいいのかわからなかった。

誰かに認めて欲しかった。

ただそれだけだったのにこんな事になって、認められるどころか避難される立場になって、そんなの……受け入れようにも僕には耐えられなかった。

もう、ただひたすら逃げて開き直ることしかできなかった。

僕をただそんな辛い現実に引き戻すためにこの店に雇い入れたのなら、初めから放っといて欲しかった。

するとマスターは静かに口を開く。

 

「……君には特別な力があり、世界に不服がある。さて、君は世界を変えるか、それとも自分を変えるか。答えてみなさい」

 

何を言ってる?

その質問が……僕のすべき事と、僕を雇った理由と何の関係がある。

 

「……自分。世界なんかに興味はない。僕が、僕自身が良いと思える姿に変われるのなら、自分を変える。世界への不服なんて、自分を変えれば消えるだろうし……」

 

質問の意図がわからなかったが、有宇は正直に自分の思うことを答えた。

なんだ?そんな自分勝手なクズは死ねってか。

知るか、自分の事ばかりを考えて何が悪い。

だがマスターから返ってきた答えは意外なものだった。

 

「私も、君と同じ答えだ」

 

「え?」

 

「私もかつて、ある人に同じことを聞かれて、同じように返したよ」

 

ある人?

ていうか何が言いたい……。

 

「私は、ここで働く前は軍人だった」

 

その話は知っている。

リゼから聞いた。

だがそれがどうしたというのだ。

有宇の疑問を外に、マスターは自分の昔話を始めた─────

 

 

 

 

 

私には特別な力があった。

周りの人間にはない───それはある種、ズルとも言えなくない力だ。

その力が評価され、私は軍隊にスカウトされた。

あの頃の私は若かった。

昔から周りの人間より優れた身体能力を持っていた当時の私は、そこで自分が成功する未来しか見えていなかった。

自分にはそこで成功できるだけの力があると過信し、私はそのスカウトを受けた。

だが、親父は反対だった。

親父は喫茶店を建てる夢を持っていた。

それもあって私も幼い頃からシェイカーとか色々仕込まれたものだ。

親父は喫茶店を建てたら私を跡継ぎにするつもりだったが、当時の私には喫茶店のマスターなんて退屈なものにしか感じられなかった。

だから跡継ぎになる私が軍人になることに反対だったのだろうと当時の私は勝手にそう思っていた。

今にして思えば、あの時親父は親として自分の子を戦場へ送ることに反対だったのだろうと親になって初めてわかったがね。

だが私は結局、親父の反対を押しのけ、黙って家を出て軍隊に入隊した。

 

 

 

軍隊に入ってからは厳しい訓練が待っていた。

自分と同じように集められた人間が何人もおり、中には私よりも強い人間もいた。

そこで随分と現実を見せられたものだ。

だが、逃げようとは思わなかった。

それは自分のプライドが許さなかった。

必死で食らいつく思いで成績を上げ、優秀な成績で無事訓練過程を終えることが出来た。

 

 

 

訓練が終われば当然実戦に出される。

幾つもの部隊に分けられたが、私は海外での対テロ部隊に入れられ、テロ組織の鎮圧、要人の警護などを主にやって来た。

そしてそこでは当然、訓練とは違い命を懸けた戦いに赴くこともあった。

何人もの仲間が死んだ。

そして私自身も、何人もの人間を殺した。

だが、それらに対して何も感じなかった。

軍人になると決めた時からそうなる事は覚悟していた。

だから殺すことに何の躊躇いも責任も感じなかった。

それにここでは殺さないことが讃えられるのではなく、殺すことで讃えられる。

寧ろ殺さないことで責任が生まれると言っても過言じゃない。

自分が殺さなきゃ自分自身が、或いは仲間が死ぬことになるのだから。

どんな理由であれ、それが人殺しで紛れもない悪であることは知っている……それでも私はそれを正当化した。

 

 

 

そうして過ごすうちに戦友もでき、自分を信頼してくれる部下もできた。

人殺しだとわかっても、そうすれば皆が信頼を寄せてくれた。

当時の私はそれこそ任務で人を殺すことこそが自分の勲章と思っていた。

そして戦友達と競い合いながら、ひたすら敵を殺し、敵軍殲滅のための作戦を考えたり、敵と優位な条件で交渉したりなどして功績を立て、私は隊内でもかなり高い地位まで登りつめた。

遂には念願の、軍隊の指揮権を当時の指揮官から直々に託される話が出てくるまでになった────

 

 

 

 

 

マスターは一旦そこで話を止めた。

マスターの過去、自分の予想を超えたその内容に有宇は驚きを隠せなかった。

今の温厚なこの人からは、とても自分の名誉のために人殺しをするような人には見えなかったからだ。

だがそれは同時に、自分の利益の為に他人を蹴落としてきた自分とどこか通ずるものがある気もした。

そしてマスターは再び話に戻る。

 

「だが、ある戦場に送られたときだった。そこで、ある小さな子供に私は出会った。今のチノよりも少し小さい、本当にまだ子供という年齢だった。とても優しく親切な可愛らしい子だった。だが……」

 

そこでマスターは言葉を濁す。

なんだ、何があったんだ?

有宇は先が気になり聞いてみる。

 

「……何があったんですか」

 

「……テロ組織の一味が立て篭っている建物への攻撃が始まった。私も当然兵士として戦いに参加した。上からの命令では中のテロリスト一味は全員殺せとのことだった。そしてその中にその子がいた」

 

「なっ……!」

 

いや、無理もないのか?

確か紛争地域とかだと子供も兵士にされるみたいな事を聞いた事がある。

それに身寄りのない子供がマフィアとかテロ組織とかに身を委ねることもあるとか……。

 

「それで……マスターはどうしたんですか……?」

 

「……殺したよ」

 

「……!」

 

「話を続けようか……」

 

そしてそこからまたマスターは再び語り始める────

 

 

 

 

その日以来、私は悪夢を見るようになった。

殺したあの子が、今まで殺した人間達が出て来る夢だ。

私はあの子を殺して初めて、今まで奪ってきた命の重さを思い知った。

そしてつくづく自分が身勝手な人間だと思い知らされた。

今までだって子供が相手だったことは何度かあった。

可哀想とは思ったが、それでもそれ以上の事は何も思い浮かばず、その命に手をかけてきた。

なのに、自分の身近な人間が死んだ時になって、ようやくそれに気付かされたのだから、私は何というエゴイストなのだろうと思い知った。

 

 

 

それから私はこの軍隊という組織の異質さに気づき始めた。

いや、気づき始めたというより見えていなかった──見ようとしていなかったというべきだろう。

人の命に平気で手をかけ、子供すら敵とあらば殺す。

そしてそれを自慢気に己の勲章にする。

敵をたくさん殺して、まるで鬼の首を取ったように喜ぶ仲間たちを見て、私はここに来て初めて恐ろしいと感じた。

最も、以前の私だって同じことをして、同じように喜んでいたのだから人のことは言えないがな……。

そして上はそれを平和維持の、ましては人類の為だと言う。

しかし、弱い立場にある人間を殺して、国の要人ばかりを擁護する。

そこにどんな正義がある。 そこにどんな平和があるんだと問いたかった。

そう思うようになってからしばらく経った時の事だった。

────私は銃が持てなくなっていた。

人に銃を向けると、あの子の事を、殺した者たちのことを思い出してしまうのだ。

もう私には……人は殺せなかった。

周りには大分心配された。

そうして精神的に疲労した私は上官の勧めで一時休暇を取って、逃げるように日本に帰国した。

 

 

 

日本に帰ってすぐ、親父が昔から夢だった念願の喫茶店を開いたと知った。

成功を収めに行った筈が現実を思い知らされそこから逃げて来た私とは違い、親父は夢を叶えていた。

頼るあてもない私は親父の店に行った。

だがいざ店のドアの前に立つと体が動かなかった。

親父の反対を押し切り黙って家を出て、それからずっと連絡も寄越さなかったのに今更……と思い店のドアに手をかけることが出来なかった。

結局そのまま帰ろうと引き返そうとすると、ちょうどその時ドアが開き、そこに親父が立っていた。

 

「お前……タカヒロか……!?」

 

「……」

 

私は何も返さなかった。

親父もそれから特に何も言わずに店に私を入れた。

私がカウンター席に座ると親父は、

 

「なんか飲むか?」

 

と一言言った。

何でもいいと私が言うと、親父はサイフォンでコーヒーを作り始める。

サイフォンからコーヒーのいい香りが溢れ出す。

昔から親父はサイフォンでよくコーヒーを淹れてくれたっけと感傷に浸った。

そしてコーヒーが出来上がり、親父は静かにそれを私の前に置く。

そして私はコーヒーに口をつける。

すると何故だろう、昔から散々飲み慣れた味の筈なのに、涙が溢れて止まらなかった。

親父のコーヒーはとても温かく、荒んだ私の心の奥にまで染みこんでくるようだった。

年甲斐もなく咽び泣く私に対して親父は、何も言わず私の頭を、コーヒーの香りのするその手で撫でていた。

 

 

 

それから私は軍隊を退役した。

辞めるのは容易ではなく、私の訓練時代からの友人の手も借りながら幾つもの条件を課された末に辞めることができた。

しかし軍隊を辞めると、一部を除いて、当時の仲間や部下からは臆病者と罵られた。

そう言われても仕方がなかった。

事実私は逃げ出し、彼らから見たら臆病者でしかないのだから。

ただ、後悔はなかった。

一時休暇の時のように、漠然と戦場から逃げ出したのではなく、親父のあの一杯を飲んだあの日から、自分の中にできた夢を追うために、私は再びあそこから逃げると決めたのだから。

軍隊に入ったのは、自分には向いていると思ったから。

そこでなら自分は成功できると思ったからだ。

それは目標といえば目標だが、自分がしたかったことじゃない。

自分の成功願望を叶えるためだけの願望で、それは夢というにはあまりにも粗末なものだった。

だが親父のあの一杯を飲んだあの日から、私の中にも夢と呼ぶべき目標ができた。

親父のこの店をお客様に安らぎを与えられる、お客様の立場に立った店にしたいという夢が。

たくさんの人間の命を奪ってきた私が、誰かの為に何ができるか。

私はあの子を殺してからずっと考えていた。

その答えが、親父のこの店にあると思った。

殺してきた者たちにできることはない。

どんなに悔やんで、どんなことをしても彼らは帰ってこないのだから。

でも、今を生きる誰かの心の安らぎになるように、そしてまた明日を生きる活力になるように、そんな店を作り今いる人々の支えになる事こそが私が殺してきた者達のためにできる最大の返礼であると思うから。

だから私はこの店で、お客様に安らぎの一時を与えたい。

───そう、私があの日、親父のコーヒーで救われたように───

 

 

 

 

 

マスターの昔話はそこで終わった。

人に人生ありというが、思った以上に重い話だった。

するとマスターが有宇に言う。

 

「君を始めてみた時、どこか昔の自分と似ている気がした。最初は気がした程度のものだったが、実際に君と過ごしてみると、それが確信に変わったよ。自信過剰で、強い成功願望があり、自己の利益の為には周りの人間の事など厭わない、そんなところが」

 

それは違う!……と言いたかったが、自分でもマスターの話を聞いてて自分でも昔のマスターと似ていると思った。

 

「君を見ていると昔の自分を見ているようだった。だからこそ放っておけなかった。君にかつての私のようにならないで欲しかった。成功願望だけを夢見て、その為にはどんな犠牲も厭わない、そんな人間にはね」

 

マスターは決して、僕を咎めたいわけではなかった。

自分がかつて後悔してしまった事を、かつての自分と似ている僕にも歩んでほしくなかった。

ただそれだけだったのだ。

 

「君のしてきた事は紛れもなく間違いで、咎められなければならない罪だ。それを償うのは簡単ではないだろう。君がどんなに変わろうと、やってしまった事は消えはしないのだから。だが敢えて言わせてもらおう、全力で向き合っていけと。それが君の償いにもなり、君自身のためにもなるはずだ」

 

「僕自身の……ため……」

 

自分のやってきたことの責任を取る。

それはただただ辛いものだと思っていた。

でもこの人は、それが成長に繋がると言った。

現にこの人は辛い現実を乗り越えてきたのだから、その説得力は計り知れない程だ。

だがやはりまだ怖い。

タカヒロさんの話を聞いても……僕にはまだ……。

するとタカヒロさんが有宇の心を見透かすかのように言う。

 

「今すぐ向き合う必要はない。けど君は若く、時間は沢山ある。大いに悩んで大いに迷いなさい。今はないものをこれから先手に入れていけばいい。そうだな……できれば目標か何かあればいい。ただし君の場合はただの成功願望ではない何かを見つけられるようにした方がいいな」

 

「どうしてですか……?」

 

「成功を夢見ることは悪いことではないが、それは人を変えやすい。現に私も君も、それに狂わされてきた人間だからな」

 

それを聞いて素直に納得する。

確かにそうかもしれないと思った。

しかし自分がただ成功を収めるというだけではない何かを……か。

そんな目標なんかすぐに思い浮かばない。

やりたいことも好きな事も特にないしな……。

するとタカヒロさんは冗談交じりにこんな事を提案する。

 

「そうだな……ではひとまずのところでこういうのはどうだろう。この店を盛り上げてみるというのは」

 

「は?」

 

店を盛り上げる?どういうことだ。

 

「勿論お客を増やすことができれば君の給料を上げよう。どうかな?」

 

「どうかなって……」

 

突然の提案に戸惑う。

そんな事自分にできるかどうかわからないし、そんな事急に言われても……。

 

「まぁ、そんな重く考えなくていい。ゆっくり考えてくれればいいさ」

 

「は、はぁ……」

 

そうして再び二人の間に沈黙が流れる。

そしてこの語に及んで有宇はこんなことを聞く。

 

「あの……それで僕は結局どうすれば……」

 

「君がこの店を出ていきたいのならそれはそれでいいと思う。ただ君はおじさんへの対抗心だけでそうしようとした。だから止めた」

 

「……おじさんと話し合えと?」

 

「今すぐにとは言わない。さっきも言ったが時間はたっぷりある。よく考えておきなさい。それに本当の親子でなくとも君たちは家族なんだ。いつまでも争うべきではないと私は思うがね」

 

「………」

 

正直、今はまだおじさんと話し合う気はない。

確かに、学費を無駄にした僕が悪いのは明白だ。

ただ、おじさんだって僕を恥さらしだといった。

それに出て行けと最初に言ったのだっておじさんだ。

なのに今更僕には直接何も言わずに仲を戻そうなんて虫が良すぎるし、とてもそんな気にはなれなかった。

 

「まぁ、とにかく今はまだここに居てみてはどうかね。それに、君はもう少し残される者の立場になるべきだ。君は悪人かもしれないが、君を思う人だっているのだから」

 

「それはどういう……」

 

「さて、もうそろそろ夕食の時間だろう。私もバーの準備をしなくちゃならない。もう行きたまえ」

 

部屋にかけられた時計を見ると、もう夕食を作る時間だった。

 

「は、はい。その……失礼しました」

 

「あぁ」

 

本当はもっと他に言うべきことがあるのだろうが、この時はそれしか言葉が浮かばなかった。

そうして部屋から出るためにドアを開けると

 

ドンッ!

 

と音がした。

そして同時に、

 

「痛て!」

 

「痛いです!」

 

と声が上がった。

ドアの向こうをみると、ドアにぶつかって額を抑えているココアとチノの姿があった。

 

「お前ら……いつからそこに?」

 

「いてて……ついさっき……。仕事終わって、有宇くんの様子おかしかったから様子見に行ったら部屋にいないんだもん。そしたらタカヒロさんの部屋から声が聞こえて……そうだ!それより有宇くん!」

 

「は、はい…!」

 

いきなり大声を出すもんだから少し驚いて思わず丁寧口調で言葉を返す。

するとココアは悲しそうな顔で尋ねてきた。

 

「……出ていっちゃうの?」

 

「え?」

 

「だってさっきここを出ていくって聞こえたから……。私、まだ有宇くんのお姉ちゃんらしいこと出来てないし、まだ有宇くんと一緒にいたいよ!」

 

するとチノも有宇に言う。

 

「私もまだお兄さんと一緒にいたいです!まだお話も全然してないのに……!」

 

あぁそうか……残される者ってそういうことか。

二人の必死の訴えを聞いて、タカヒロの言った言葉の意味に気づいた有宇は、いつも通りの口調で言葉を返す。

 

「別に出ていかねぇよ。他に行く宛もないし……それに、今の僕にはここしかないしな」

 

そう言うと、ココアは先程とは打って変わって満面の笑みを取り戻すと、有宇に思いきり抱きついた。

 

「良かった〜!まだ有宇くんといられるんだね!!」

 

「ココアさん、そんなにくっつくとお兄さんに迷惑ですよ」

 

ココアに抱きつかれて恥ずかしいやら何やらで混乱したが、すぐにいつもの調子で払いのける。

 

「だぁもう、うっとおしい!それよりさっさと夕食の準備するぞ。ココアは風呂わかしてこい。チノはいつも通り手伝い頼む」

 

「了解!」

 

「はい、わかりました」

 

そしていつも通り夕飯の準備に戻っていった。

 

 

 

 

 

その日の夜、夕飯を食べ終えた有宇は、三階のテラスに来ていた。

そして昼間友利から貰った携帯をポケットから取り出し、電話をかける。

 

『もしもし、友利です』

 

「あっ……えっと、乙坂だ」

 

『あなたですか。なんですかこんな時間に?』

 

「いや、その……まだ礼言ってなかったと思ってさ……ありがとな」

 

さっき携帯を開いたら、こいつの電話番号が入っていたのを発見した。

多分何かあったときにかけろということだろう。

それで、昼間おじさんのことで血が登ってろくに挨拶もせず別れたので、一応僕のためにはるばる遠くから来てくれたので、礼を言っとこうと思って電話をかけたのだ。

 

『はぁ、まぁこっちは任務でやってるんで別に気にしなくていいっすよ』

 

「あっそ……」

 

昼間も思ったが、結構冷めた女だよなこいつ……。

声はどことなくココアと似てるのに、騒がしいあいつとは大違いだ。

 

『それで、結局まだそこに残るんですか?』

 

「え?」

 

『いえ、昼間あんなに怒ってらっしゃったので。あなたのことだからおじさんの施しは受けないとか言って出ていくのかと思ったので』

 

そこまで想定済みかよ……なんて女だ。

 

「いやまぁ、一応まだここにいるけど……」

 

『そうですか。それじゃあ、おじさんとはよりを戻すおつもりですか?』

 

「いや、それは……」

 

それはまだ考えさせて欲しい。

まだ僕もあの人と話そうとは思わない。

そもそも本当に僕が心配だったら向こうからかけてくるだろうし、僕から電話をかける必要はないだろ。

 

『まぁそれはあなたのご家庭の問題なのでいいですが。それよりこっちとしては早くあなたを星ノ海学園に入れてこき使いたいので、早く更正して仲を戻してください』

 

「こき使うってお前なぁ……」

 

この女、大概失礼だよな。

僕もあんま偉そうに言える立場ではないが……。

 

「まぁいいたいことはそれだけだ。じゃあな」

 

『あーちょっと待ってください』

 

「ん?なんだよ」

 

『歩未ちゃんには連絡しましたか?』

 

「……いや、まだしてないけど」

 

『ちゃんと連絡取った方がいいと思いますよ。歩未ちゃん心配していましたよ』

 

「歩未に会ったのか?」

 

『いえ、まだ直接は。悪魔であなたのおじさんから聞いた話ですが、歩未ちゃん、まだあの家にいますよ』

 

「え……?」

 

そんな馬鹿な、歩未には置き手紙でちゃんとおじさんの家に行くよう伝えたはずだしなんで……。

 

『あなたが帰るまでは絶対にあの家から動かないと。それと念の為歩未ちゃんが能力者になる可能性もあるので彼女にも星ノ海学園に……』

 

「ちょっと待て!歩未も能力者なのか!?」

 

『いえ、その可能性が高いというだけです。能力者は兄弟でなりやすいケースが高いので』

 

「そうか……」

 

びっくりした。

てっきり歩未も能力者なのかとヒヤヒヤした。

でも確かリゼは能力は遺伝しないとか何とか言っていたのにな……またリゼの話と矛盾が生じたな……。

 

『それで、歩未ちゃんにも星ノ海学園の推薦状をあなた達のおじさん経由で渡したのですが、あなたと一緒じゃなきゃ行かないと』

 

「……そうか」

 

『歩未ちゃんは多分あなたのことを怒ってはいないと思います。ですから歩未ちゃんとはちゃんと連絡を取ってください』

 

「……あぁ」

 

『まぁ何かあればまた連絡してください。一応歩未ちゃんには監視をつけていますし、危険が及ぶことはないと思います。それでは今度は星ノ海学園で会いましょう』

 

そう言って友利は電話を切った。

それから有宇は額に手をかざし、友利に言われたことを考える。

本当は携帯を手にして一番に連絡を取ろうとしたのは友利ではなく、歩未だった。

けど怖かった。

今まであいつの前では完璧なお兄ちゃんを演じていたのに、それがバレた今、あいつに軽蔑されるのが怖かった。

歩未は僕にとって大切な妹なんだ。

その歩未に軽蔑されるのはやはり怖い。

友利は、歩未は怒っていないと言っていたが、それでも万が一軽蔑されたら……僕は立ち直れないだろう。

それに、そもそも僕が家出を決めたのは歩未に僕のしたことの風評被害から守るためでもある。

せっかく僕と距離を取ることができたのに、僕から歩未にコンタクトを取っていいのかと躊躇われた。

 

『君はもう少し、残される者の立場になるべきだ』

 

するとその時、マスターの言葉を思い出した。

残される者……そうか、これってココア達のことだけじゃなくて……。

気づけば有宇は電話を取っていた。

 

 

 

 

 

プルルルル プルルルル……

 

しばらくして電話が取られる。

 

『もしもしお兄ちゃん!?』

 

「……あぁ、久しぶり」

 

『久しぶりじゃないのです!あゆが、あゆがどれだけ心配したか……』

 

電話の向こう側の歩未は涙ぐんでいた。

歩未の声を聞いて、有宇も何故か涙が溢れてきた。

 

「あぁ……ごめん……ごめんな……」

 

それからしばらく、久しぶりに言葉を交した二人は、電話越しでお互い泣き始めた。

 

 

 

 

 

『……そっか、じゃあ今有宇お兄ちゃんはそのラビットハウスっていうお店で働いてるんだ』

 

お互い泣きやんだ後、僕はここに来るまでの経緯を歩未に話した。

 

「あぁ、それでその……まだしばらくそっちには帰れそうにはない」

 

『そうなのですか……。でもお兄ちゃんが元気でやってるなら良かったのです』

 

それを聞いて有宇は一番気になることを聞いてみる。

 

「……怒ってないのか?」

『怒ってるのです!あゆに黙って家を出るなんて!』

 

「いや……その、お前を騙していたこと」

 

『騙した?』

 

「だって今までずっと優秀な振りしてお前を騙したのに……」

 

歩未の前では優秀な兄を演じていたけど、本当はただのカンニング魔で、優秀でも何でもない。

そんな風にずっと騙していたのに、何で以前のままでいられるんだと有宇は思った。

 

『確かに、有宇お兄ちゃんは優秀じゃなかったかもだけど……でも、あゆにはいつも優しくて、あゆの自慢のお兄ちゃんなのです!だから、嫌いになんかならないのです』

 

「歩未……」

 

歩未のその言葉に感銘を受ける。

いかん、また涙が……。

有宇は涙をこらえ、話題を変える。

 

「そういえば歩未の方はなんか変わったこととかあったか?」

 

僕のことでなにか友達とかから言われてないといいんだが……。

 

『ううん、なんにもないのです。あ、でも最近変な夢を見るのです』

 

「夢?」

 

『うん、なんか……もう一人家族が居たような……?そんな夢』

 

「なんだそりゃ、ただの夢だろ」

 

『でも本当にいた気がするのです』

 

そんなこと言われても、僕達に他に家族なんていないしな……。

 

「家族は僕とお前だけだ。変な夢のことは忘れておけ」

 

『う〜ん、了解したのです』

 

歩未はまだ納得しきれていないようだったが、まぁ所詮夢だ。すぐに忘れるだろう。

 

「それじゃあ歩未、その……まだ帰ってやれないけど一人で平気か?」

 

『大丈夫なのです!それにこうしていつでも有宇お兄ちゃんと話せるから寂しくないのです』

 

「そうか……迷惑かけてすまない」

 

『いいのです!それより今度は一緒に働いている人とか紹介してほしいのです!』

 

「あ……えっと、まぁ考えておく」

 

『よろしくなのです!』

 

ココア達なら歩未とは仲良くなれそうだけど、できれば歩未の教育上紹介したくはないな……。

 

『それじゃあお兄ちゃん、バイバイなのです』

 

「あぁ、それじゃあ」

 

そう言って電話を切る。

正直ホッとした。

歩未に嫌われていなかったこと。

そして、あいつが元気そうだったこと。

思い切って電話して本当に良かったと思う。

そういう意味でいえば友利に感謝だな。

さて、そろそろ部屋に戻るかと振り向くと、いつの間にかココアがすぐそこに立っていた。

 

「うぉっ!お前いつからいたんだよ」

 

「ついさっき。有宇くんが珍しくテラスにいるなって思って。それより有宇くん、携帯持ってなかったって言ってなかったっけ?」

 

あぁ、そういえばまだ言ってなかったな。

あの後普通に飯食って風呂に入ったしな。

 

「おじさんから送られてきたんだよ」

 

「おじさんって確か……もしかして有宇くん、おじさんと仲直りしたの!?それでもしかして実家に帰るからここを出ていくって言ってたの?」

 

「いや、別にそういうわけじゃない……」

 

「そっか……」

 

ココアは少し残念そうな表情を見せる。

 

「何だお前、僕に出てって欲しくなかったんじゃなかったのかよ」

 

「う〜んそうなんだけど、やっぱり家族と一緒にいられるのならその方がいいのかなって……」

 

マスターと同じこと言うんだな。

確かに家族の絆とやらが尊重されるべき物であるのは確かなんだろうけど、うちの場合、両親共々子供を捨てていくような連中だし、歩未は大切だが、正直僕にはいまいち家族だから仲良くしろというのがよくわからん。

 

「用がないならもう部屋に戻るぞ」

 

そう言って有宇がテラスから出るとココアが呼び止める。

 

「あぁ待って!」

 

「んだよ……」

 

「携帯持ってるなら私とメアド交換しようよ」

 

「メアド?」

 

「うん、いいでしょ?」

 

「いやまぁいいけど、今の時代メアドよりLI○Eとかのアプリとか……」

 

と言いかけたところでココアの携帯を見ると、なんとこの時代には珍しくガラケーだった。

 

「ガラケーかよ……」

 

「えへへ、これお姉ちゃんのお下がりで大事にしてて中々買い換えられなくて……。まぁ当のお姉ちゃんは機械苦手で全然使ってなかったんだけどね」

 

「……まぁいいや、じゃあメアドと電話番号教えろ。あ、ついでにチノのも知ってるなら教えてくれ」

 

「うん。あ、じゃあみんなのも教えておくね」

 

こうして全員のメアドと電話番号を手に入れた。

 

 

 

 

 

それから部屋に戻って携帯を眺める。

そこにはココア達の名前が入っていた。

他にも友利と、高城とかいう人物のメアドと電話番号が入っていた。

……高城って誰?

まぁ、また後日友利に聞いてみるか。

にしても今はSNSとかのアプリがあるから、こんな風にメアドとか交換するのなんて初めてだな。

どことなく、新鮮さを感じる。

にしてもなんか色々あったな今日一日で……。

取り敢えず今はまだこの店に残ることにした。

でもマスターに言われたこの先の目標だとか夢だとかはまだ全然考えつかない。

おじさんとの和解も今は考えてない。

いつか自分の罪と向き合わなければならないとマスターは言っていた。

あの人もまさに今、向き合っている最中なのかもしれない。

けど僕にはまだそんな覚悟はない……。

結局なんだかんだいって、マスターに言われた勢いで、ひとまずここに留まることを決めただけに過ぎないんだよな……。

あと超能力についても、友利の話と合わないところとかリゼに確認取りたいし……本当問題が山積みだ。

ひとまずマスターも時間はあると言っていたわけだし、今すぐ手を付ける必要はないだろう。

とにかく今日はもう疲れたし、早く寝てしまおう。

そうして有宇は床に就いた。

 

 

 

 

歩未の突拍子のない夢の話のせいだろうか。

その晩、おかしな夢を見た。

小さい頃の僕と歩未、そして見知らぬ誰かと歩いている。

あの人は、誰だったんだろうか─────




タカヒロさんの過去は、この話オリジナルのものです。

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