幸せになる番(ごちうさ×Charlotte)   作:森永文太郎

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第8話、曖昧模糊な関係(後編)

「チノ、ちょっといいかい」

 

 チノが夕飯を終え部屋で机に向かっていた時のこと。チノの父親、タカヒロはそう言ってチノの部屋を訪れた。

 夜の時間はうちはバータイムなので、基本的にこの時間帯は父はバーにいます。ですので夜にこうして父が部屋に来ることはあまりないのですが……。

 一体なんの用だろうとチノは父に尋ねる。

 

「なんですか、お父さん」

 

「今日アルバイトの電話が来たんだ。それで一応チノにも事前に伝えておこうと思ってね」

 

 どうやら新しいバイトさんが増えるという話みたいですね。

 因みにうちには今、私の他に二人のバイトさんがいます。

 一人は父の友人の娘さんで名前をリゼさんといいます。私の三つ歳上で、基本的にはなんでもできる頼りになるお姉さんです。ですがリゼさんのお父さんが軍人ということもあってか、リゼさんもたまに鬼教官っぽくなってしまうところがあり、時々ちょっと怖いです。

 二人目は去年うちにバイトで入ったココアさんです。街の外からこの街の学校に入るためにうちで住み込みで働いています。明くておっちょこちょいで、可愛いものとあらばすぐにもふもふする色々と騒がしい人です。

 何故か私のことを妹だと言って自分のことをお姉ちゃんと呼ぶように言ってきたり、いきなり抱きつかれたりされるので正直困ってます。でも……嫌いじゃないです。

 今はこの三人でバータイムまでのカフェを切り盛りしています。ですがどうやらまた一人、新しい方が来るみたいです。

 

「はぁ、別に構いませんが……どんな方なんですか?」

 

「乙坂有宇くんというチノの一つ上の男の子だ。午前中に働けるようだし、明日の面接次第では採用したいと思っている」

 

「男の人……ですか」

 

「不安かい?チノが不安なら採用は見送るけど」

 

 男の人……ちょっと怖いな。

 新しいバイトが男だと聞いて、チノは少し不安になる。

 今まで周りの方達はみんな女の人でしたし、学校もずっと女子校でしたから、男の方と接したことは殆どありません。ですのでちょっと怖いです。

 でも私達が学校へ行っている間、カフェは父一人で回しています。お昼時は普段お客さんの少ないうちのお店でもそこそこお客さんは来ますし、一人でやるのはとても大変な筈です。

 不安はありますが、父の負担が少しでも減るならバイトさんに来て貰った方がいいのは確かですし、わがままは言えませんね。

 

「いえ、大丈夫です。不安がないといえば嘘になりますが、男の人に慣れるいいきっかけになると思いますから」

 

「そうか。じゃあ明日彼が面接に来たら私の部屋に通してやってくれないか」

 

「わかりました」

 

 新しいアルバイトの人……男の人……どんな方なんでしょうか?

 そして次の日、そのバイトさんはやって来ました。これが、乙坂さんとの初めての出会いでした。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 翌日、ここに来て初めてチノと二人での仕事……なのだが、既に洗い物などの仕事も大体済んでおり、雨のせいもあるのか客も全然来ていない。

 この店の客のピークは大体十二時少し前から二時ぐらいまでで、そこを過ぎた頃ぐらいから少しずつ客数が減っていく。だから今は客があまり来る時間ではないのだ。雨で客が来ない今日みたいな日は尚更来ない。

 それにしたって一人もいないとかこの店本当に大丈夫かよ……。

 有宇はガラリとした店内を見渡し心配になる。

 客数の心配をするのももう何回目だろうか。それほどこの店の先行きが不安になる。そりゃ働かないで金が貰えるから僕としては万々歳だが、この店が潰れでもしたら僕の働く場所がなくなってしまう。

 家出少年を住み込みで働かせてくれるところなんて他にそんなないだろうし、この店にはもう少し繁盛してもらわなければ僕が困る。

 それから有雨は隣でつっ立っているチノをチラリと一瞥する。

 この客数だったらチノ一人でもよかったんじゃないのか?いや、それよりもこれはツッコんだ方がいいのか……?

 さっきから隣に立つチノは特に何をするでもなく、ただ立っている……立っているだけなのだが、その姿は傍から見ても異様なものであった。

 意を決してチノに()()について尋ねてみる。

 

「なぁ、それ重くないのか……?」

 

「ティッピーのことですか?はい、大丈夫ですよ」

 

「そ、そうか……」

 

 チノの頭には何故か店で飼われている毛玉うさぎが乗っかっていた。乗っかっていたというよりさっきチノが自分で乗っけるところを見た。

 いや、チノがうさぎが好きなのは知ってる。以前から弁当をうさぎのキャラ弁にしてもらっていたり、仕事の空いた合間にモフっていたところを見たことがあるからわかってはいるんだが、だが何故わざわざ頭に乗せる!?

 そんなもん頭に乗せてたら動き辛くないのか!?いや、ていうかそもそも乗せる意味ってなんだ!?

 

「乙坂さん、どうかしましたか?」

 

「いや、えっと……」

 

 聞いていいのか?

 だけどチノのことだしな、何か訳があるはずだ。

 そう思い有宇はチノに尋ねる。

 

「なぁ、なんでうさぎを頭に乗っけてるんだ……?」

 

「ティッピーを頭に乗せてるとしっくりくるんです。寧ろ乗せてないと落ち着かないです」

 

「そ、そうか……」

 

「はい、あっキリマンジャロが切れそうなので倉庫の方へ行ってきますね」

 

「あ、あぁ……」

 

 そう言ってチノは毛玉うさぎを頭から降ろし、倉庫の方へ行ってしまった。

 ……おかしい、理由を聞いたのに全然理解できないんだが?

 昨日少しはチノのこと知れたと思ったのだが、またチノがわからなくなってきたような……。

 有宇はチノの奇行に頭が追いつかないままその場に取り残された。

 

 

 

 チノが部屋を出て五分ほど経つ。その間も特に客が来ることもなく、有宇はただ一人で突っ立っていた。そしてチノがまだ戻って来ないことに、有宇は少し心配になる。

 豆の入った袋は確かに女子には重いが(僕からしても少し重いが)、倉庫は廊下を出てすぐ左の部屋なので、さっさと戻ってこれると思うのだが何かあったのだろうか?

 何かあって僕の責任になるのは嫌だし……客もいないし少し様子を見に行ってみるか。

 そう考えると有宇は店舗スペースの後ろにあるドアから廊下に出て、倉庫の部屋に向かう。すると倉庫の部屋のドアは開いており、中からごそごそと何か聞こえる。

 

「おーいチノ、なんかあったのか?」

 

 そう言って部屋を覗いてみると、地面に豆が散乱しており、それを片付けてるチノの姿があった。

 

「うわっ!?どうしたんだこれ!?」

 

「すみません、袋を持っていこうとしたら転んでしまって。そしたら紐でしっかり結ばれてなかったようで袋の中の豆が出てきてしまって。でももう片付くので乙坂さんは戻って大丈夫ですよ」

 

「いや、手伝うよ」

 

「えっ?ですがお客さん……」

 

「どうせ来ないだろ。それよりさっさと片づけるぞ。ほら、ちりとり貸せ」

 

「は、はい」

 

 チノからちりとりを受け取り、そのまま二人で散らばった豆を片付ける。

 すると後ろからピョンピョンとうさぎのティッピーが跳ねながら部屋に入ってきた。

 

「おい入ってくるな!豆のカスで汚れるぞ!……ったく、ただでさえ無駄に毛が生え散らかってるってのに……」

 

『なんじゃと!ワシの自慢のモフモフボディーを無駄とはなんじゃ無駄とは!』

 

「え!?」

 

 何処からともなく返ってきた声に、有宇は驚く。それから周りを見回すが声の主と思える奴はいなかった。

 気のせいか?いや、今一瞬確かにジジイの声が聞こえたよな……?

 それからうさぎのティッピーに目をやる。

 ていうかこのうさぎから聞こえたような……。でもうさぎが喋るわけないよな……?

 有宇がじっとティッピーを睨みつけていると、チノがぱっとティッピーを右腕で抱き抱える。それから左手で口元を隠す素振りをしながら言う。

 

「すみません。今のは私の腹話術です」

 

「腹話術?」

 

「はい、きっとティッピーならこう言うだろなと思いまして。ちょっとしたジョークです」

 

「そ、そうか。ならいいけど、その毛玉って確かメスじゃなかったか?」

 

「その……白い毛がもじゃもじゃしてるので、おじいちゃんを思い出したんです。ティッピー向こうに連れていきますね」

 

「あ、あぁ……」

 

 チノがジョークねぇ……。

 まぁうさぎが喋るわけないし、本人もそう言ってることだし、そうとしか考えられないか。

 チノだってあまりイメージこそ湧かないが、ジョークの一つや二つぐらい言うだろうしな。

 にしてもチノってあんな渋い声出せるのか……声帯どうなってんだ?

 そうしてチノは、そのまま有宇に背を向け、毛玉を店の方へ連れて行った。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「おじいちゃん、乙坂さんの前で喋るのはやめてください。乙坂さんは多分、他の方達より誤魔化すのは大変そうですから」

 

 チノはカウンター席にティッピーを置くと、ティッピーにそう注意を促した。

 

「だがチノよ、折角ワシが手伝ってやろうとしたのに、あの小僧が生意気言ったのが悪いんじゃ。そもそもあやつが来たせいでわしは部屋を取られてしまうわで散々じゃわい」

 

「それは我慢してください。それに元々ティッピーの姿であの部屋は広すぎると思ってましたし、ちゃんと使ってくれる人が使うべきです。ですのでおじいちゃんは私の部屋で我慢してください」

 

「ムム〜」

 

「あと、乙坂さんの言った通りおじいちゃんが来ると毛に豆のかすがついちゃいますし、おじいちゃんはここで待っててください」

 

「仕方ないのぉ。しかしチノよ、何かあったらワシにすぐ知らせるんじゃぞ」

 

「大丈夫ですよ。それにこぼした豆の掃除なんてすぐに終わります」

 

 そう言ってチノは倉庫に戻っていった。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 倉庫の床に散らばった豆を片付けた後、二人は残った豆が入った袋をキッチンまで持っていった。

 

「あとは袋の豆を瓶に移し替えるだけか」

 

「乙坂さん、その……手伝ってくださってありがとうございます」

 

「いや、別にいいけど……なあチノ、なんかあった時は別に呼んでくれて構わないぞ。何かあったんじゃないかと思って流石に心配したからさ」

 

「す、すみません。お客さん来た時に誰かいないとお客さん困ると思ったので。それに乙坂さんにもご迷惑になるかと……」

 

「別に迷惑なんて思わない。僕ほどの人間だってミスぐらいするしな。だからそういう時は遠慮せず人に頼れ」

 

 僕も周りの評価を得るのに必死だったのは自分の評価を上げるためでもあるが、いざという時に頼れるようにするためでもある。

 そりゃ基本的に一人でやれることはやるし、何かある時は能力を使って物事に対処するが、それでも人の力を借りなきゃできない場面というのは必ずしもあるというものだ。

 しかし、この時人望がない人間は人の手を借りるということができない。或いは手を借りることに遠慮がちになる。普段関わりのない人間から手を借りることに怯えてしまうからだ。それに周りの人間も、普段仲良くもない、評判も特別良いわけではないそいつに、わざわざ進んで手を貸してやろうだなんて思わないからな。

 だが僕は違う。僕は人間というやつを信頼はしてないが、利用できるものであることをしっかり認識している。だから普段から人にいい顔して評価を上げ、利用できるときに心置きなく利用できるようにしている。

 しかも僕は優等生でルックスだってイケてるし、まだ学生だった頃はよく女子が積極的に力を貸してくれたものだ。

 要は僕でも人に頼る場面はあるので、人に頼るということ自体を悪いことだとは僕は思わない。

 勿論僕自身、人に手を貸すことを面倒だと思わないでもないが、借りを作れると考えたら安いものだ。それにそういうことの積み重ねが周りの評価に繋がるし、そう悪いものではない。まぁ、本当に面倒だと思うことに関しては適当に理由付けて断るけどな。

 でもまずは手を貸してもらえるか聞いてみて欲しい。断るか断らないかはそれから決めるし、何も言われないとそれで逆に事態を悪化させて面倒になるなんてこともあり得るからな。

 頼りきりになって改善の余地なしってなると困るが、ある程度モラルを持って頼むのであれば、こちらも強く拒んだりはしないから。

 そして有宇は続ける。

 

「それに客だって来たらすぐに対応しに行けばいいだけだし、とにかく次からは何でも一人でやろうとしないでなんかあったらすぐ言ってくれよ。なんかあったら大変だし、僕もできる範囲で手伝うからさ」

 

「はい……」

 

 するとチノはボーっとした顔で有宇を見つめる。

 

「ん、どうした?」

 

「いえ、その、乙坂さんって結構優しいですよね」

 

 今なんて言った?

 優しいだって?この僕が?

 

「別に優しさで言ってるわけじゃない。お前が一人で解決しようとして何かあって僕の責任になるのが嫌なだけだ」

 

「フフッ、ではそういうことにしておきますね」

 

 フフッてなんだ!

 別に嘘を言ったつもりじゃないんだが……ん?っていうか今笑った……?

 

「どうしました?」

 

「いや、チノが笑うところ初めて見る気がしたからさ」

 

「私そんなずっと仏頂面してましたか……?」

 

「いや、仏頂面っていうか何ていうか……。単に感情が顔に出にくいだけじゃないか?そんな気にすることじゃないだろ」

 

 そう言うとチノは少し落ち込んだ様子をみせる。

 

「そう言ってもらえると有り難いですけど、でも接客業ですし笑えないとお客さん来てもらえませんし……」

 

 また気にしてることを言ったか……?

 別に気にすることでもないだろうと思うんだが、しかし本人は気にしているようだし、一応フォローいれておくか。

 

「まぁ確かにもっと笑った方が取っ付きやすいとは思うけどな」

 

「ですよね……」

 

「けどさ、そんな無理して変わる必要もないだろ」

 

「えっ?」

 

「僕みたいにカンニングしただとか、そういう余程の問題があるっていうならまだしも別にそうじゃないだろ?誰にだって苦手なことぐらいあるだろうし、そんなに慌てて改善する必要なんてないだろ」

 

「でも、もっと笑えるようになればもっと皆さんやお客さんにもいい印象持ってもらえるでしょうし……」

 

「まぁ、笑顔で明るいココアみたいな人間の方が良い印象を持たれやすいというのは確かだが、客によっては店員に顔を覚えられたくないから店員と話すのを避けたり、単純に人と話すのが嫌いな奴だっている。だからココアみたいに明るい店員を嫌う人間だっているし、客によって様々だ。接客っていうのは明るく接すればいいってもんじゃない。それに僕だって、ココアみたいな騒がしい奴よりもチノみたいに大人しい奴の方が好きだぞ」

 

 確かに明るい人間は人に好かれやすい。人との繋がりを築く上で手っ取り早いのがやはり会話だからな。明るく誰にでも話しかけることができるココアみたいな奴はやはり人に好かれやすいのだ。

 当然接客においても、ムスッとしているより明るく接した方が好印象だ。特にこういう個人経営店はチェーン店と比べると来る客に偏りがあるから常連客との人間関係は大事だ。それに客によっては店員の印象だけで店の良し悪しを判断する奇特な奴もいるし、印象をよくしておいて悪いことはない。

 しかし、ただ明るく接すればいいってものじゃない。例えばこの店のような喫茶店だと、ただコーヒーを楽しみに来ただけとか、一人で静かに過ごしていたい、といった店員と過度な関わりを避けたがる人間も一定数いることは確かだ。そういう人間相手に、ココアみたいに誰彼構わず客に絡みに行く店員が接客すると、そういった客は店から離れてしまう。せっかくのリピーターが逃げてしまうのだ。

 だからただ単に明るく接するのではなく、相手によって、空気を読んで対応することも大事なのだ。チノはあまり笑わないため少し無愛想だが、声はちゃんとはきはきしてるし、対応はしっかりしてる。空気だって読んでいると思う。

 逆にココアは客への配慮が少し足りてないところがある。元々空気読めるタイプでもないんだろうけど、あいつはうちに来る客には誰彼構わずよく話しかけているみたいだからな。うちに来る客は割と話すのが好きな人が多いからあまり問題はないが、たまに寡黙そうな一人でいるのが好きそうな雰囲気があるサラリーマン相手にも「お仕事ですか?」と話しかけたりしている。

 それに何気にココアは記憶力がそこそこいい。一度知り合った人間のことはすぐ覚えるから、客のことも当然よく覚えている。店員に顔を覚えられたくないと思う人間が再来店した時に「また来てくれたんですね。今日もブレンドでいいですか?」なんて聞いてみろ。もうその客はうちには来なくなるだろう。

 現にあのサラリーマンはあれから店で姿を見た覚えはない。僕ももし客の立場だったらあまり話しかけられたくはないし、店に来なくなった気持ちがよくわかる。

 要はどちらも一長一短なんだ。明るくできるなら明るくした方がいいとは思うが、空気を読んで対応することも接客には求められるわけだ。

 だからチノが明るくなりたいというのも、勿論明るくなる分にはいいだろう。けど無理するほどではないと思う。チノにはチノのいいところがあるし、下手に自分を変える必要性はないと思う。変えるにしたってそう焦ることはない。自分のペースでゆっくり改善していけばいい。

 有宇がそう言ってチノを励ますと、チノの顔が少し赤らむ。

 

「あ、ありがとうございます。そう言ってもらえるとは思いませんでした」

 

 なぜ照れる!?

 いや、でも確かに好きとか結構恥ずかしいこと言ったな。いかん、今更恥ずかしくなってきたな……。

 

「と、とにかくチノは別に無理して変わらなくても十分だと思うし、改善したいと思うなら、ゆっくりで大丈夫だからあんま気にするな。お前はお前だ。大人しいことだってお前の個性だ。無理にココアみたいになる必要なんてないんだから出来る限りで気楽にやっていけばいいさ。それにお前はこの喫茶店の唯一の良心だしな。お前までココアみたいになられたら溜まったもんじゃない」

 

 有宇がそう言うと、チノは「そうですね」とクスクスと笑う。

 機嫌が直ったようなら何よりだ。

 するとチノが「そう言えば……」と何やら疑問を口にした。

 

「どうした?」

 

「いえ、その、先程言ってたカンニングって何のことでしょうか?」

 

「えっ?」

 

 てっきりココアから聞いてるものかと思っていたのだが……まさか。

 

「えっと……ココアから何も聞いてないのか?」

 

「何とは?」

 

「僕がココアに街案内して貰った日だ。何も聞いてないのか?」

 

「えっと……あの時乙坂さんの様子がおかしかったのは私にもなんとなくわかりましたが、ココアさんからは特に何も聞いてません。というより何があったのか聞いても何も答えてくれなかったので」

 

 ……あいつ話さなかったのか?

 お喋りなあいつのことだからもうとっくに全員に知られてると想っていたが、あいつにしては珍しく気を使ったのか?

 いや、それよりも今するべきなのは……。

 

「あの、乙坂さん?」

 

 チノはまだ僕の本当の素性を知らない。僕が乱暴な父に家を追い出された悲劇の少年などではなく、本当はただのカンニング魔で、それがバレて高校を退学になり、それが原因で親権者のおじさんと喧嘩して家出しただけのただの家出人だということを。

 有宇は思った。このまま黙っている方がいいんじゃないか?と。

 ココアにばらしたのは飽くまでココアの鼻を明かしてやろうかと思ったからだ。本来なら隠し通しておかなければならない黒歴史だ。

 下手にぶちまけて嫌われて、これからの生活がギスギスするぐらいなら、隠すことが得策と考えるべきだろう。今ならまだ誤魔化しようがある。

 ココアは幸い気にしてないようだし、言いふらす気もないようだ。なら、僕から言わない限りはおそらくバレたりはしないだろう。知らぬが仏とも言うし、このまま黙っておくか……。

 有宇がそう考えた時だった。ふとココアのある言葉が思い起こされる。

 

『私は有宇くんを信じるよ。だから有宇くんもみんなを信じて欲しいな?』

 

 みんなを信じる……僕が?

 はっ、まさか、そんな言葉を真に受ける僕じゃ……。

 

『変わるも変わらないも、やり直すもやり直さないも有宇くん次第だよ』

 

 僕次第……僕は……どうしたいんだ?

 その言葉に突き動かされたのかどうか、自分でもよくわからない。けど、この時は考えるよりも先に口が先走っていた。

 

「あのだなチノ、実はな……」

 

 

 

 結局僕はチノに本当の事を話した。僕が最初にココアに話した身の上話が嘘であること。本当はただのカンニング魔で、それがばれて高校を退学させられ、そのせいで親権者のおじさんの怒りを買い、勘当同然で家を出たこと。そしてこの前、ココアと出かけたときの事も。

 チノは終始何も言わず、僕が話し終わるまで聞いていた。その顔には若干の戸惑いが感じられる。

 まあ当然だろうな。普通だったら軽蔑されても仕方ないことだ。無理もない。

 そして僕が話し終えると、チノは静かに口を開いてこう言う。

 

「……正直に言うとちょっとショックです」

 

 ……そりゃそうだろうな。

 そもそもココアみたいになんでも受け入れる方がおかしいのだから。ココアのようなポジティブな答えが来るなんて思ってはいなかった。

 しかしチノはこう続ける。

 

「でもありがとうございます、本当のことを言ってくださって」

 

 ありがとう……だと?

 今確かにそう言ったよな。

 

「ありがとうってなんだよ。ショックだったんじゃないのか?」

 

「はい、乙坂さんが悪いことをしていたのはショックです。ですが、それを言うのはすごく勇気のいることだと思います。だって話したら嫌われてしまうかもしれない、軽蔑されてしまうかもしれないって、私が乙坂さんならそう思って言えないかもしれませんから」

 

 それが普通だ。何もおかしくはない。

 僕だってそう思ったから今まで言わなかったわけだしな。

 

「だから、乙坂さんのように、後ろめたい事を正直に言えるのは凄いと思います」

 

 そう言ってもらえて悪い気はしないが……。

 

「別に勇気とか、そんなんじゃない。チノは僕が自分から言ったと思っているだろうけど、結局ココアに促されただけだ」

 

「ココアさん……ですか?」

 

「さっき話しただろ、ココアにみんなを信じろとか言われたんだ。だから今もなんとなくその言葉に釣られて話しただけだ。別に自分の意思とかじゃない」

 

 結局のところ、以前ココアに言われたことに流されただけなんだ。

 どうすればいいか。どう変わればいいか。その答えはまだ出ていない。そして今も、チノに僕の黒歴史を話して良かったのかどうかもわからなかった。

 どうやら今の僕は、自分が絶対に正しいと言える程、自分を正当化できなくなっているようだ。正しいと思った道を進んだはずなのに失敗し、落ちるところまで落ちてしまった。だから自分の選択に自身が持てないのだ。

 でも、だからこそ変わらなければならない。もうあんな事にならないように次は上手くやる。そのためにも変化は必要だ。だけど、自分がどう変わればいいかなんて僕にはわからない。

 今まで他人を見下し、僕こそが正しいと疑わなかった。だから、僕が変わるべき正しい自分というものがわからないんだ。

 きっと以前の僕なら自らの選択を間違いだったと疑うことはなかっただろう。今だって迷わずチノに嘘をついて秘密を隠したことだろう。

 でも今は迷いが生じている。本当にそれが正しいのかと。わからなかった。自分がどんな答えを出せばいいのか。

 そして今、チノに本当の事を話すかどうかという選択をすることは、きっとこれから先の僕の道に大きく関わってくることだと思う。

 もう大事な選択を誤りたくはない。そのプレッシャーが僕の中の自信を揺がせ、答えが出せなかった。

 けどその時、ココアの言葉が頭の中に思い起こされた。『変わるも変わらないも、やり直すもやり直さないも有宇くん次第だよ』と。

 自分をどう変えていけばいいかなんてわからない。その答えは未だに出ていないのだから。けどそれなら、今出そうとしている答えを変えてみよう。重く考えていたはずなのに、ココアのあの気の抜けた声を思い出したら、そんな風に思えたのだ。

 あれこれ色々と悩んでいたはずのに、僕は迷い無くそのまま秘密を明かしてしまった。だから、これは僕の意思などではなく、ココアに促されたと言うべきだろう。自分で考え抜いて出した答えではない。

 しかしチノはぽつりと言う。

 

「そうでしょうか。私はそうは思いません」

 

「へっ?」

 

 まさかチノに自分の答えを否定されるとは思いもしてなかったので、思わず変な声が出る。

 

「もし乙坂さんがココアさんに真実を話すように言われたのならそうかもしれません。ですが、ココアさんは私達を信じろとしか言ってません。だから、私達を信じて話してくれたのは乙坂さん自身の意思です」

 

「……別にそんなんじゃない」

 

「でも少なくとも私達を信じてみようとは思ったんじゃないですか?」

 

 そう……なのだろうか。

 確かにこいつ等なら、僕を咎めたりはしないだろう……。期待こそしてなくとも、確かにどこかでそんな甘えたことを考えていたのかもしれない。

 

「確かに乙坂さんのやったことは悪いことです。でも、それ以上に、私を信頼してくれた乙坂さんの信頼が嬉しかったです。だから、私も乙坂さんの信頼に答えたいです」

 

 チノは笑顔でそう言った。

 

「それに、乙坂さんは悪い人なのかもしれませんが、根はいい人だって一緒に過ごしたらわかりますから」

 

「買いかぶりすぎだろ。別に僕は……」

 

「そんなんじゃない」と言おうとするもチノの言葉に遮られる。

 

「確かに乙坂さんは口は乱暴で、それで時々人を傷つけてしまうこともあります。けど、なんだかんだでちゃんと人のことを思いやれる人だと思います。喧嘩したシャロさんと仲直りするときは、シャロさんのために必死にがんばっていました。マヤさんが困っていた時は手を差し伸べて助けてくれました。さっきだって私のことを気遣って元気づけてくれました。カンニングは確かに悪いことですし、乙坂さんに悪い所がないとは言えません。ですが、少なくとも私は、乙坂さんはラビットハウスにふさわしい人だと思いました。ですから、これからもよろしくお願いします、乙坂さん」

 

 ただ僕はチノの言葉に耳を傾けた。そして、意外にもチノが結構僕のことを見てくれていたことに驚いた。

 仕事以外での会話はなかったし、チノから仕事以外の用事で話しかけられたこともない。僕自身、チノに積極的に話しかけようとはしていなかったというのもあるが、てっきりチノは僕にあまり関心がないものだと思っていた。

 思えば、シャロにカフェモカを作った時もそうだったが、チノは何も言わず僕を手伝ってくれいた。もしかしたら口にしないだけで、僕の事を気に掛けてくれていたのかもしれない。

 チノは自分には友達を作る力はないと言っていたがそんな事はない。不器用ではあるが、人を思いやることもできるし、こんな僕にも手を差し伸べるだけの懐の広さもある。

 嘘で自分を固めることでしか人と関わることができなかった僕なんかよりよっぽど社交的だ。

 

「ありがとう、チノ」

 

 僕は一言、そうチノに礼を述べた。

 

「いえ、私は思ったことを言っただけですから」

 

 チノは微笑みそう返す。

 チノのその姿を見て、有宇はふと既視感に駆られる。

 ああ、似てるな。どこかの誰かさんに───

 

「似てるな」

 

「似てるとは?」

 

「お前とココアだよ。まるで姉妹のように言うことがまるで同じだ」

 

 人の醜い一面に触れてもなお、その人間に寄り添おうとするその姿勢は、あの日、僕に手を差し伸べてきたココアによく似ていた。

 すると、昨日「ココアのこと好きなのか?」と聞いたとき同様、チノの顔は赤くなった。

 

「なっ……べ、別に姉妹なんかじゃありません!」

 

「顔赤くなってるぞ」

 

「赤くなんかなっていません!……クスッ」

 

 チノが微かに笑い笑みを浮かべる。

 

「何がおかしいんだ?」

 

「いえ、すみません、なんか新鮮でつい」

 

「新鮮って?」

 

「いえ、その……男の人と話したことなんて、父と祖父以外になかったのでどう接すればいいのか正直不安で……。だからその……正直乙坂さんと話すときはちょっと緊張してたんですが、今は乙坂さんとちゃんと話せてるなと。その……すみません」

 

 ああ成る程、今まで僕に対してなんか遠慮がちなところがあったりしたのはそういうことか。

 確かにチノの学校は女子校だし、男と接する機会はなかったろうしな。しかも一緒に住むなんてことになって、緊張するのも無理ないだろう。

 僕だってここに来る前まで妹と一緒に暮らしていたとはいえ、ココアのような同年代の女子と暮らすことになって多少なりとも緊張はしているし、チノの気持ちはわからなくもない。

 それに僕もチノとの距離感を掴めずにいたわけだし、お互い様だ。

 

「別に気にしてないから、気にするな」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 しかし、チノはまだ何か言いたげな様子でモジモジしていた。

 なんだ、まだ何か言いたいことでもあるのだろうか。

 

「あの乙坂さん、その……お兄さんと呼んでもいいでしょうか」

 

「はぁ!いきなりどうした!?」

 

「すみません、その……いつまでも乙坂さんと名字で呼ぶのは他人行儀と思いまして」

 

 ああ、成る程……いやいやいや!

 

「それだったら普通に有宇でいいだろ」

 

「最初は有宇さんと呼ぼうと思ったのですが……鏡の前で練習して呼んでみたらなんか恥ずかしくて」

 

 兄と呼ぶのは恥ずかしくないのかよ!?ていうか練習なんてしてたのか……。

 まぁ、チノなりに僕との距離を詰めようとしてくれてたんだろう。

 

「でもチノはそういう風に呼ぶの嫌いじゃないのか?ほら、ココアにお姉ちゃんって呼ぶのも嫌がってるじゃないか」

 

「あれはココアさんがしつこいからです。年上の皆さんにお姉さんと呼ぶことに対してはそこまで抵抗はありませんよ。ですが呼ぶように要求されると言いたくなくなるんです」

 

 天邪鬼だなと思ったが、まぁそれはなんとなくわかる。

 僕自身、普段からチノみたいにココアから姉と呼べと、うるさく執拗に催促されているので気持ちはわからんでもない。

 

「なので乙坂さんがもし私にお兄ちゃんと呼ぶように言ってきたら全力で断るつもりです」

 

「言うか!!」

 

 てかそれ犯罪だろ。

 

「……はぁ、まぁいいや、好きに呼んでくれ」

 

「はい、お兄さん」

 

 その時、僕に向けるその笑顔が少し眩しく感じた。

 僕は少し考えを改める必要があるようだ。

 昨日僕はチノに、慕ってくれる人が増えたのはココアのおかげだろと言った。けどそれは違う。

 出会いのきっかけこそそうだったかもしれないが、その全員と仲良くなれたのは、紛れもないチノ自身が歩み寄ろうとしたからだろう。今僕にそうしたように、きっとチノなりに歩み寄ろうと頑張ってきたからだ。

 だからこそなのかもしれない。僕にはない純真さを持つそんなチノの笑顔が眩しく見えたのは。

 その時、カランと入り口のドアに掛けてある鈴の音が店内に響く。

 

「あっお客さん来ましたね。お兄さん、お席へ案内してください」

 

「あ、ああ」

 

 そうして会話は中断され、再び二人は仕事に戻っていった。

 

 

 

 それからバイトが終わるまでの間、そこそこ客も来たため、チノと喋るような余裕はなかった。

 変わったことと言えば、チノがお兄さんなどと呼ぶせいで、客にほほえましい眼差しを差し向けられたことぐらいだろうか。

 仕事が終わると、閉店準備をし、その後はチノが風呂を沸かし、その間に有宇が夕飯の準備に取り掛かった。その間少しさっきのことを考えていた。

 チノは僕を信じてくれると言った。じゃあ僕は?僕はチノを、ココア達を信じられるか?

 さっきチノに秘密を明かしたのだって、純真無垢なこいつらなら僕を避難することはしないだろうという驕りでしかない。それを僕からの信頼と呼ぶには、あまりにもこいつらの信頼を軽視し過ぎではないだろうか。

 正直まだ完全にこいつらを信じたとは言い難い。というよりそんな自分を認め難いと思っているところがある。

 (あの人)に捨てられてから、もう誰も信じまいと思いずっと生きてきたのに、こんな簡単に他人を信じてしまっていいのか?簡単に自分の信念を曲げてしまっていいのか?そんな思いが頭の中を巡る。

 僕は……僕はこのままでいいのか?

 

 

 

「たっだいま~」

 

 有宇が夕飯を作り終えた頃、ちょうどココアが甘兎から帰ってきた。

 そして下からどたどた足音を立てて階段を駆け上がってくる。

 

「チノちゃんただいま~」

 

 ダイニングルームに来ていの一番に発した言葉がそれだ。本当にこいつはチノが好きだな。

 それからココアは僕の横を通り過ぎ、思いっきりチノに抱きつく。

 

「ココアさん苦しいです」

 

「ごめんごめん」

 

 そう言ってチノから離れる。

 

「私がいなくて大丈夫だった?」

 

「はい、お兄さんもいましたから」

 

「へ~……ってええ!?チノちゃん今なんて!?」

 

「それより手を洗ってきてください。もうご飯にしますから」

 

 そう言ってチノはキッチンの方に戻っていった。

 一人残されたココアはプルプルと小刻みに体を震わせている。それから後ろにいた有宇の方を目を細めて睨みつける。

 

「よ、ようココア……」

 

「ふーん、いつの間にチノちゃんとそんなに仲良くなったんだ」

 

 その声はいつもより低めで、明らかに機嫌を悪くしていた。多分これがココアから向けられる初めての敵意だろう。

 

「いや、あのなあ、別にそんな大した話じゃ……」

 

「いくら有宇くんでも、チノちゃんのお姉ちゃんの座は渡さないんだからね!」

 

 そう言うと「うわあああん!」と泣きながらダイニングルームを出ていった。

 

「……本当騒がしい奴だな」

 

「そうですね。まああれもココアさんの良い所でもありますから。それに、さっきの話を掘り返すようであれですが、お兄さんのことを私たちに話さなかったのも、たぶん話す必要はないってわかってたからだと思います」

 

「……そうだな」

 

 あいつは馬鹿に見えるが……いや馬鹿だけど、人のことを考えられる奴だということはわかる。

 最も……

 

「さあ、チノちゃん、お皿並べ手伝うよ!」

 

「チノちゃん、私がよそうからいいよ!」

 

「チノちゃん、座ってていいよ!お姉ちゃんが全部やるから!」

 

「あの、ココアさん……分担した方が早いので………あの、聞いてます?」

 

 ……もう少し空気を読むべきだとは思うけどな。


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