一輝は絢瀬に修行をつけるためにステラと近所の室内プール施設を訪れていた。
一輝は水着に着替えるために男子更衣室で着替えて居たのだが入り口の方からざわめきが聞こえてきた。何かと思い振り返ると人だかりが出来ていた。
「お嬢さん、こっちは男子更衣室だって言っているじゃないか。君はこっちじゃないだろう」
「はぁ、だからボクは男だって言っているでしょ」
「はは、おもしろい冗談だ。いくらなんでもその見てくれじゃ騙されないぜ」
人だかりの中心では紅刃と20代半ば程の男が言い争い、というより紅刃が一方的に因縁をつけられている。だがそれも仕方ないといえば仕方ないだろう。なにせこの男の娘は学生騎士の中で観察という分野において最高峰に座する一輝の観察眼から逃げ切る程なのだから。武術すら収めていないだだの一般市民からは少女にしか見えないだろう。
そして一輝がこの騒動をいつでも介入できる様に姿勢をわずかに前に傾けているのには訳がある。
まだ入学からあまり経っていない時のことだが紅刃の性別を執拗に揶揄うある男子グループが居たのだが、ある時とうとう堪忍袋の尾が切れた紅刃はブン殴って壁やら天井やら床に彼らをめり込ませた前科を持っている。
そんな事件を知る一輝からすれば男性は地雷が原でタップダンスをするに等しくいつ紅刃がキレるか冷や汗ものだ。
「わかった。わかったよお嬢さん。そんなに自分が男だって言い張るならその証拠を見せてもらおうじゃないか」
「わかりました」
「待て!待つんだお嬢さん!いくらなんでも服を脱ぐなんて………あれ?」
「だから言ったでしょ」
「すまないっ」
確固たる証拠として上半身を脱いで見せた紅刃を見て慌てた男だったが紅刃が本当に男だと知ると謝罪を残し脱兎のごとく走り去ってしまう。
そして紅刃は迷いもせずに一輝に目を向ける。どうやら気づいていたようだ。
「やぁ一輝、よくも見捨ててくれたね」
「うっ、ごめん」
「冗談だよ」
「はぁ。見てるこっちはハラハラしたよ。いつ紅刃が暴れないかね」
「いくらなんでも一般人にはあんなことしないよ」
冗談だとごまかし笑っているが目は笑って居ない。目だけはジトーっと何故助け舟を出さないのかと責めている。
「ところで紅刃はなんでここに来たの?」
「伶愛とデートだよ。っていうか一輝たち毎回毎回デート先に出すぎなんだけどなんなの?」
「ははは、確かにそうだね。すごい偶然だよね」
「で、一輝は何しに来たの?」
「ステラと絢瀬さんと修行に来たんだよ」
「ヘェ〜」
水着に着替えた2人はプールサイドで待って居たのだが互いの待ち人はなかなか来ない。
「すまない。待たせたな」
「別に気にしてな…い……よ……」
紅刃は伶愛の声が聞こえすごい勢いで振り返る。伶愛からは後ろにひとつに束ねていた髪が犬の尻尾の様に見えた。
伶愛を視界に入れた紅刃は思考を停止させ言語を絶する様な幸福感に包まれた。初日の様に気絶しそうになった紅刃だったが今までの生活で多少なりとも耐性ができていたのと気絶してなるものかという鋼の精神で乗り切った。
伶愛の水着は白のビキニだった。変に攻めずかといって守りすぎず、色も無く模様もなくどこまでもオーソドックスだった。しかしそれ故に素材の良さが映える。
銀髪に紅い目ということも相まって独特な雰囲気を醸し出していて例えるならば妖精といったところだろう。
ただひとつ言うならば一緒に出て来た2人だろう。ステラは一年にして学園屈指のスタイルを誇っているし絢瀬も絢瀬で年相応以上にはある。対して伶愛は平均以上の背丈を誇り手足もスラっとしているがついでにある部分もスラッとしている。珠雫が伶愛に妙に優しいことが多いのは同族意識ならぬ同サイズ意識ではない。ないったらない。
「おい紅刃。今どこを見ていた」
「伶愛はどんな格好でも世界一だなってね」
だが紅刃は天城狂いの1人。どんな美醜感覚も伶愛が最上位に来る様になっている。故に伶愛は恥ずかしがる必要などないのだ。
それよりも伶愛は気になることがあった。
「手に持っているのはなんだ?」
「ビーチボールだよ。はいっ」
よく見える様に左手に持っていたビーチボールを身体の正面にかざし伶愛に放る。
それを危なげなくキャッチした伶愛はそっちじゃないと詰問する。
「そうか。では右手に持っているのはなんだ?」
「浮き輪だよ」
微妙に身体を斜めにして隠していた右手から少し恥じらう様にして水玉模様の浮き輪を見せる。
「これは浮き輪といってね、人類の偉大な発明品のひとつだよ」
「いくらなんでも浮き輪くらいは知っている。だが……」
伶愛が浮き輪を見て訝しんだのは昨日各国の海峡を横断したと自慢話をされたからである。
「ッ⁈紅刃、お前まさか⁉︎」
「あ、気付いちゃった?」
「海峡を歩いて横断したのか⁈」
「正解、その通りだよ」
魔導騎士連盟が魔力制御の鍛錬に推奨しているのが粘土を無色の魔力で造形することだが、より実践的な鍛錬方が足の裏に魔力を張り水の上を歩くというものだ。無論簡単な事ではなく200mを渡りきれば一流の魔力制御と呼ばれるというのに紅刃は数kmを渡りきったというのだ。その神がかった離れ業はもはや一流という区分すら生温く怪物的と評されるほどの魔力制御だ。
「…だが泳げないのか……」
そうポツリと伶愛は呟いた。
「いいんだよ。人間の活動域は地上なんだから」
それを聞いて伶愛はしばらく黙り込みあごに手を当て考え事をしていたのだがやがてまとまったのか顔を上げる。
「よし紅刃、私が泳ぎかたを教えてやろう」
「え?」
「元服しても泳げないなんて駄目だ」
「いや、ボクは別に……」
「つべこべ言うな」
「あっ⁈待って!返してよ!それないと死んじゃうから!」
紅刃から浮き輪を奪った伶愛は栓を抜き萎ませる。
「そらっ」
紅刃の手を掴んだ伶愛はそのままプールに飛び込む。当然紅刃はプールに引き込まれる。
「ッ⁈プハッ…いきなり何するのさ」
「せっかく来たのだからな。ほら手は持っていてやるから足をバタバタしてみろ」
伶愛の先導のもと紅刃はバタ足をしながらプールを一周した頃伶愛はふとしたいたずら心で手を離してしまう。
「そろそろ手を離すぞ」
「は?え、ちょま…」
紅刃からすればいきなり死刑宣告を受けるに等しく伶愛の手を掴もうとするがサッと避けられ手の届かない範囲に逃げられる。
これに大いに慌てた紅刃は手足を出鱈目に動かしもがいて伶愛の元に進もうとするがちっとも進めずやがて浮力を失い沈んでいく。
紅刃の運動神経や才能を良い意味でも悪い意味でも信頼していた伶愛は目の前で沈んでいくのを呆然と眺めていた。ハッと我に返った時には水底から気泡が自己主張している段階だった。
伶愛は慌てて潜水して紅刃を引き上げ抱き寄せる。
伶愛の腕の中でむせていた紅刃はもう二度と離されないようにキツく抱きしめる。
「すまないっ!あそこまでダメとは思わなかったんだ…」
「別に気にしてないよ。ただ__」
紅刃は最後の方の声を小さくし伶愛が耳を澄ませたタイミングで囁く。
「__もう二度と離されないからね」
「……ッ⁉︎」
紅刃の一言は生命の危機を感じた後だからと言うのもあるのだろうが口説きや揶揄う目的もあるのだろう。どちらかと言うとこの状況に持っていくためにそうしたとすら思える。
伶愛はその一言を聞いて顔を真っ赤にして暴れるが紅刃を溺れさせかけた後で後ろめたさもあってあまり動けない。
「く、紅刃?その、そろそろ離さないか?」
「ふふ、だめだよ」
「なら上がろう!そうすればいいだろう⁈」
名残惜しそうにしていた紅刃は渋々従いプールサイド側まで泳いでいって上がる。
「おい。普通に泳げてるじゃないか」
「急に泳げるようになるんだよ」
「嘘をつくなっ⁉︎」
鋭い口調と共に押し飛ばし紅刃は水しぶきと共にプールに倒れ込む。先ほどは泳げず溺れかけていたというのに今は魚か何かの如くスイスイ泳いでいる。
その後少し休憩しようということでプールサイドを歩く紅刃と伶愛の視界に痴話喧嘩だかノロケだがわからない問答を注意され走り去る一輝とステラの2人の背中があった。
それを見ていた紅刃の口角が上がりそれを見た伶愛は先の展開を察し紅刃の口が開いた瞬間それに手をやる。
「ボクは…ッ」
「なにを言うつもりだ⁈というか言わせないぞ⁉︎」
伶愛は紅刃の口をふさぐために半ば抱きつく形になってしまったが紅刃は慌てず口に当てられている手を引き剥がし腰に手を回す。
そこで伶愛は自分がまた誘導されたことに気付いた。
「ふふふ、なにを言うつもりだだって?そんなの決まってるよ」
「は、離せ」
「ボクは伶愛が大好きだよ」
気恥ずかしくて腕の中で藻搔くがビクともせず紅刃が真っ直ぐな眼差しで伶愛の瞳を覗き込みそんな爆弾発言をする。
紅刃の魔性を感じる紫の瞳から目を離せなくなり心臓が高鳴り赤面する。
『すみませんがお客さん。ほかのお客さんもいるので百合百合しい空気は他所でお願いしますね』
監視員の茶々にハッと我に返った伶愛は紅刃に離すように促す。渋々といった感じで紅刃は伶愛を解放する。
数時間程度プールを満喫した2人は破軍学園への帰路に着いていた。
その時紅刃の生徒手帳からメールの着信音が鳴る。
その内容を見た紅刃は口角を上げ好戦的な笑みを浮かべる。
「選抜戦実行委員からか?相手は誰だ?」
「今までの有象無象たちとは違うね。どれくらい持つかな」
今までの対戦相手を酷評しつつ今回の対戦相手を褒めるが紅刃は自らの勝利を微塵も疑っていない。
生徒手帳を見せることで伶愛の質問に応じる。
そこにはこうあった。
『零仙紅刃様の選抜戦第11試合の相手は一年四組の黒鉄珠雫様に決定しました』