東方超解釈   作:触手の朔良

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ファーストコンタクト 後編

 真白な部屋で何をする、されるでもなく過ごしていると突如として一角が開いた。

 そして二体のヒトガタ――異様に細い関節部からは幾つものチューブが覗き、機械、なのだろうと察する――が現れ、その手には初めて見る形の銃が握られていた。

 内一体が、丸まった何かを足元へ投げてきた。

 拾え、という事なのだろう。

 そいつを拾い上げ拡げると、びろんと繊維の四肢が垂れ下がった。記憶を手繰り、一番近い形状を思い出そうとする。嫌な例えだが、全身タイツと言うのが、尤も近い。

 男はようやく自身の格好を思い出す。この部屋で過ごすのが、寒いでも熱いでもなく、あまりにも快適だったのですっかり忘れていたのだ。

 銃口を向けられる。逆らえば射殺する、という意思を感じる。

 そんなせっつかんでも着るわい。という気持ちを抑え、服を観察してみる。

 どうやって着るのだろうか、男の不安はほんの一瞬、襟首の側が大きく開いており、そこから右足、左足を挿し込み、次に腕を入れる。ファスナーが見当たらなかったが、この大きく開いた背中はどうすんだべ、と悩んでいると、ロボットの一人が近づき服の襟元のスイッチを押してきた。

 プシュゥ。

「うおっ!?」

 空気の抜ける音と共に、ブカブカだったスーツが男の体型ピッタリになる。

 そうして身に着けた服は、先の女性達が着ていたものと似たデザインをしていた。

 科学の素晴らしさに感動していると、背に銃口が突き付けられる。冷や水もいいところだ。

 急かされるように部屋を追い出され、いや、連行と言ったほうが正しいか。前後をロボットに挟まれ――後ろのやつは常に銃口を向けている――彼に選択の自由は無かった。

「何処へ連れて行く気なんだ?」

 期待はしていないが、そう問いてみる。

 矢張りというか当然というか、一切の反応が無かった。表情を伺おうにも、彼らは顔がある筈の場所には、のっぺりとしたガラス面が存在するだけで、そこから情報を読み取る事も出来そうにない。

 大人しく付いて行く。

 暫く歩き、ふと、通路の先に大きな窓が見える。通り過ぎざま外を見て、男は感嘆の声を漏らした。窓の向こうには永劫の宇宙が広がっており、少し視線を下げれば、巨大な青い星が存在していた。

 思わず足を止めてしまうと、再度銃口が突きつけられた。おちおち観察も出来やしない。

 その事に不満を漏らすも、ロボットはひたすらに任務に忠実で、彼の意見は聞き入れられなかった。仕方なく足を動かす。

 また少し歩き、そしてある扉の前まで辿り突くと、ロボットは足を止めた。

 入れ、という事なのだろう。

 扉へ近付くと、ガションガションと。無駄に凝った仕掛けの扉のロックが外れてゆく。

 開いた先の部屋には見覚えがあった。

 この艦に連れられて、最初に目覚めた部屋である。という事はだ。

 ――いた。

 中央、こちらに背を向け、イスに腰掛けた部屋の主がいた。

 白衣に身を包んだ、美しいプラチナブロンドが印象的な、三つ編みの女性。女性として誰もが羨むようなプロポーション。均整の取れた、いや取れすぎた美貌は作り物めいた印象を受けたが、その印象は直ぐ様払拭される。

 彼女はこちらに振り向くと、何故だか少し悩んだ素振りを見せて、最終的に困ったような笑みを向けてきた。その人間らしい笑みに、男はホッとした。

 しかし、今の間は何だったのだ?

 そう、男が考える間もなく、背を硬い感触で小突かれる。

 急かされて部屋へ入る。と同時に女性は席を立ち、こちらへ近寄ってきた。

 二つの銃口が、男の頭に狙いを付けた。

「こんにちは」

 害意はない、という事を示そうとしているのだろう。努めて笑みを作ろうとしている表情は硬く、不自然さが残っている。

 そして、緊張をほぐそうともしてくれているのか、掛けられた言葉の音色は穏やかだった。

 彼にしても、警戒心はあれども、特別敵意を剥き出す必要もない。

 その点で彼女の狙いは達成されたのかもしれない。

 一つ、問題があるとするならば――。

「服が着れるか心配だったけど、問題なさそうね。いいかしら? ちょっとアナタに試して欲しい物があるんだけど」

「あーすまん。何を言ってるんだかさっぱり分からんのだが」

 言語による意思の疎通が不可能だということか。

 彼女の口から紡がれる言葉は、彼の耳にも意味不明な羅列としか捉える事が出来なかった。

 それは彼女にしても同様であった。

 噛み合わない会話。

 しかし女はさして気にした風もなく、一人でに話を進めてゆく。そして彼女はポケットから何かを取り出した。

「これを、付けて、もらえる?」

 掌に収まる程の小さな端末。

 それを見せ、耳に付けるような動作をする。

 手渡されたソレをしげしげと眺める。薄い、人間の指でも容易に砕けそうな程薄い端末であった。試しに軽く力を込めてみるが、見た目に反して物凄く頑丈なようでビクともしなかった。女性は男の所作に少し慌てた様子で「ほら」と髪を掻き上げ耳元を見せてきた。そこには手渡されたのと同一の機械が着けられていた。

 彼女に倣い、男もそれを付けてみる。女は満足そうに頷いた。

(どうかしら?)

「いや、なんとも――って、うおっ!?」

 突如頭の中に声が響く。思わず男が仰け反ると、その様子がおかしく女は小さく笑った。

「これは、あんたの声か?」

(あら、意外と冷静ね)

 再び頭の中で、女の声が反響した。その慣れぬ感覚に男は戸惑いを隠せない。

(ええ、そうよ。アナタに着けて貰ったソレ――フォーカスって言うんだけどね――。簡単に言えばソレを着けた者同士で思考の伝達が出来るのよ)

 脳内で説明されている一方で、女の口はクスクスと笑い声が漏れている。

 頭の中に響く声と見た目の差異に、男は奇妙な感覚を覚えた。

 気味が悪いな……。

(いずれ慣れるわよ)

 彼が思った事を、見透かしたように女は語りかけた。

 まさか、と男の額に汗が流れる。

(勘がいいのね。そう、アナタの考える事は私に筒抜けなの)

 ――なんだと!?

 とんだ欠陥製品ではないか。

(言ってくれるじゃないの。単にアナタが扱いに慣れていないからよ。現に、私の考えていることは読めないでしょう?)

 む。言われてみれば……。

 物は試しに男は強く念じてみた。目の前の女の、思考を読んでやろうとじいっと見詰め、頭の中を女でいっぱいにしてみる。

 しかし頭に血が上るばかりで、全く成果は上がらない。

 不意に、女の頬に朱が指し、気まずげに目を逸らされた。

 ああ。こういう馬鹿げた思考も、彼女には見透かされてしまうのか。

 その考えに思い至った瞬間、自分が物凄い阿呆を晒しているようで無性に恥ずかしさが込み上げてきた。

 しばし気まずい沈黙が舞い降り、それを破ったのは、二人のどちらでも無かった。

(やっほー! 検査は進んでるかーい!?)

 突如として頭の中に大音量が響き渡る。

 それを発したのは他でもない、部屋に突撃してきたウェーブが原因だった。

 男は痛む頭を抑えながら、音の強弱までも再現出来るのか、なんて場違いな事を考えていた。

(……亻└|了、もう少し静かに現れられないの)

(いやぁははは。ごめんごめん)

 ロングの非難がましい目も、さしてウェーブは気にした風もない。

 男は彼女らの会話の一部に「ん?」と首を捻る。そんな彼の疑問を他所に、二人は会話を続ける。

(何をしに来たのかしら?)

(え、いやぁ。ヱレゞ刂ωばっかりずるいじゃない? 私もコレと遊びたくて)

 人をコレ呼ばわりとは、男はカチンと来たが、その気勢は部屋の中に存在する数々のテクノロジーを見てみるみる萎んでいく。文明レベルの差を鑑みればコレ呼ばわりも、悲しいかな、納得できてしまった。

(……邪魔だけはしないでよ)

(分かってる分かってる)

 男が一人消沈している最中に、二人の間でどのような遣り取りがあったのかは分からない。ただ、ロングは憔悴した表情を見せ、この短い間に何があったのか非常に気になる所だ。

 ウェーブはほんほんふんふんと男の周囲をぐるりと回り、興味深げに、無遠慮な視線を容赦なく浴びせてくる。顔を合わせた最初から、彼女は興味津々だったな……。

 しかし流石に居心地が悪く、一言申してやろうと口を開いた。

「おい――」

(おぉっと! キミ何を言いたいのかは分かってるよ! 私の名前でしょ? 私は亻└|了。それでこっちがヱレゞ刂ω。よろしくねっ)

(勝手に紹介しないで頂戴)

 物申そうとした瞬間、思考を被せられ言葉が中断されてしまった。

 そして物凄い勢いで話を進められる。ある意味では助かるが、何となく、彼女の性格が解ってきた。

 と言うか――。

(あれあれ。どうしたの?)

 男の困惑を感じ取ったのだろう。というか思考が読まれるのだから、当然解ったのだろう。

 彼が何に戸惑っているのか、ウェーブは解っていないようだが、ロングは直ぐに察したようだ。そして彼女は逡巡した後――。

(ごめんなさいね。改めて、私はヱレゞ刂ω。この艦では、未開惑星の調査及び開発を担当しているわ)

 解るかしらね? そう付け加え、ロング改めヱレゞ刂ωと名乗った女性は言葉を締めた。

 男の眉間の皺が更に深くなった。

(うーん。やっぱり知能が低いんじゃないの)

 とても失礼な評価を下された気がする。

(いえ、これは……)

 ヱレゞ刂ωは困ったような笑みを浮かべている。こっちだって困っている。

(ごめんなさい。一先ず、アナタの名前も教えてくれないかしら?)

 これは、言われるまで全く失念していた。さる疑問が脳内を占めていたからといって、大分礼を逸する真似をしてしまったのではなかろうか。

「すまん。忘れてた。俺の名前は……」

 亻└|了と名乗った女が好奇心に目を輝かせながら身を乗り出してくる。

 ヱレゞ刂ωも――クールな印象を男は抱いていたが――熱の篭った視線を向けてきた。

 少々やり辛さを感じるが、彼は記憶の糸を手繰るのに必死だった。何億という年月の向こう、擦り切れたフィルムみたいな現代の風景を思い浮かべ、端と気付く。

「……すまん、わからん」

(って、おおいっ! 私の期待を返してよ!)

 知るか。勝手にそっちが期待しただけなのだろう。

(アレ? 私の扱い非道くない?」

 あぁ。彼女のあまり知的さを感じない振る舞いから、思考が読まれる、という事実を失念していた。全く、面倒くさいったらない。

(むむ! コレ生意気なんだけどっ)

 いや、俺がお前さんに気安いのは、友情を感じているからだよ、きっと。

(えっ、本当? いやぁ、それなら嬉しいなぁ)

 なんて単純。なんてチョロイン。

 でへでへと照れる亻└|了を横目に、男は思考を悟られないよう頭の隅でそっと溜め息を吐いた。幸いにも、それはバレなかったようだ。

 漫才を繰り広げつつ、フォーカスのコツを男が掴み始めた、そんな時である。ふと、横から不穏な気配を感じ、慌ててそちらに顔を向ける。

(……何かしら?)

「いや……、何でもない」

 そこには、ただ微笑みを称えたままのヱレゞ刂ωがいるだけ。

 気の、せいか?

 無意識の内に握った拳は汗に塗れ、消えた気配は矢張り、最初から無かったと考える方が自然だった。

(……)

「それで何か、分かったのか?」

(あっ。いえ、あなたの人生が想像を絶していたから)

「信じるのか? アレを」

 確かに、思えば訳の分からない話だ。ある日目が覚めたら見知らぬ世界で独りっきりで、気の遠くなるような年月を過ごしてきたなんて。自分がそんな話を聞かされたら、相手の正気を疑うだろう。

(ええ、その方が辻褄が合うもの。アナタの、想定以上に高い知能もね)

 ヱレゞ刂ωは真っ直ぐな瞳を向けてきた。

 辻褄が合うとは、どういう意味だろう? 彼が脳内に疑問を浮かべるだけで、察したヱレゞ刂ωが「あぁ」と答え合わせを始めた。

(アナタの疑問――それは私達の名前が分からないことね)

(ほえ? キミ、私達の名前も分からないの?)

 おバカだねぇ、と一人頷く亻└|了を無視し、二人は続けた。

(現在行っている思考での会話は、フォーカスを通していると説明したでしょ? 実際は直接フォーカスが遣り取りしている訳ではなくてね、一度オモイカネを介して会話をしているのよ)

 オモイカネ? 聞いたことの無い単語が出てきた。

(オモイカネというのは、私達の艦の"オモイカネ"のことよ。私やアナタのように言葉が通じない翻訳を、オモイカネが処理してくれているの。異なる言語、というのは当然その表現や意味に違いが生じるでしょう? その差異を埋めるため、オモイカネが"オモイカネ"のデータベースに登録している単語を自動的に算出、参照し一番適切な言葉として伝えてくれるのだけど――)

「あー、すまん。説明の最中なんだが」

(何かしら? 分からないところがあった?)

 気持ち良さそうに諳んじる彼女には悪いが、言葉を遮らせてもらった。

 ヱレゞ刂ωのこちらを見る目が、まるでダメな弟を優しく諭す姉の様で、背中がむず痒くなる。

 俺の方が年上なのに……、多分。

「いや、大体分かる。分かるんだが、オモイカネが艦のオモイカネって言うのは何だ?」

(……成る程ね。アナタの文明では"オモイカネ"の概念が無かったのね。ごめんなさい、質問はもう少し我慢して貰える? 私達の名前と"オモイカネ"が理解出来ないのは、根っこは同じ問題だから)

 そう、言われてしまっては、こちらとしても黙って聞くしかない。

 ごめんなさい、とヱレゞ刂ωは更に一度謝ってきた。

 何故謝るのか。お前さんが謝る必要なんて、無いじゃないか。その旨を伝えてやるとヱレゞ刂ωの顔が目に見えて赤くなった。それを誤魔化すように、ヱレゞ刂ωは気持ち早口で説明を始めた。

(いいかしら? "オモイカネ"のデータベースから言葉を引っ張ってくるのだけど、どちらかの文明に存在しない概念、ないし存在しない言葉。それと固有名詞なんかは上手く訳せない事があるのよ)

 そこまで説明されれば、男も理解する事が出来た。

「つまりは、アンタらの名前を俺が聞き取れないのは」

(そうね。アナタ達の言語に私達の名前を正しく表現できる術――音が無いのでしょうね。名前を訳すにもいかないでしょう?)

(へぇー。そうだったんだー)

 いつの間にか聴衆のポジションに付いた亻└|了が、さも解ったとばかりに腕を組み頷いている。

 お前さんは知ってなきゃいけない立場じゃないのか? そう、ツッコミたい気持ちをぐっと堪える。すると二人に思考は伝わらなかったようで、ようやく彼も、フォーカスを使いこなせてきたようだ。

(……もしかしたら、知能だけならアナタより上かもしれないわね)

(そんなことないよー! ……そんなことないよ?)

 いや、こっちに振るなよ。

 男は気付かぬフリをして話を進める。

「それじゃオモイカネってのは」

(アナタ達の文明レベルでは知覚出来ない技術、或いは想像外の認識、ということになるかしら)

 名前が聞き取れない問題は理解した。しかし"オモイカネ"の正体と云うのは、イマイチ理解しきれなかった。それこそが正しいのだろう。彼女の言葉を信じるなら、自分らの文明では理解出来ないからこそ、理解出来ないのだ。

 ……何だか頭が痛くなってくる。

「なぁ。ついでに聞くが、オモイカネってのは結局何なんだ?」

(そう、ね。噛み砕いて説明すると、全ての機械、機能を統括する管理システムのようなものよ)

「ふぅん。マザーコンピュータってやつなんかな」

機械の母(マザーコンピュータ)……? 面白い表現ね)

 ヱレゞ刂ωは何故だか非道く感心した様子で、――彼女らしからぬ――目を輝かせた。

 その事が、やけに男には引っ掛かった。 

「しっかし、アンタらの名前も分からん。自分の名前も分からんじゃ不便この上ないな」

(はいはいはーい! 私に良い考えがあります!)

 どうせ碌でも無い考えだろうと二人は露骨に嫌そうな顔をした。

(失礼だね、失礼だねキミたちは。そういうのは話を聞いてからにしなさい)

「じゃぁ聞いた後蔑んでやるから、さっさと言え」

(なんだい、この下等生物は。失礼しちゃうね全く)

「はよ言え」

(ふふふ、それはねぇ――)

 言葉を一旦区切り、一々勿体振ってくれる。

 期待よりも、苛立ちが募った。

 そして十分溜めに溜めて、亻└|了は得意気に言い放った。

(名前を付ければいいんだよ!)

(……亻└|了にしては無難な案ね)

 いやほんと。これには彼も驚いた。

(私にしてはってどういうこと!? もー、ひどいなぁ)

 亻└|了は頬を膨らませているが、その表情はだらしなく崩れている。キモッ。

(で、どうどう?)

「俺は構わんよ。何だかんだで、あった方が便利には違いねぇし」

(うんうん。そうだよねぇ)

 名案には違いないのだが、これがこの女の功績だと思うと、何故か悔しさが込み上げてきた。いや、あまり深く考えるのはよそう。

「それで、俺の名前はどうする?」

(ええっと。それじゃぁ、そうね。アナタの名前は――)

(クロ! クロにしよう!)

 ヱレゞ刂ωが何故か、もじもじと言い淀んでいる間に、割って入った亻└|了がクロ、という名前を提案してきた。

「何故にクロなんだ?」

(んー? 髪が黒いからだよー?)

 そう、亻└|了は己の髪を弄って言った。

 確かに、これまでに出会った三人は全員とも美しい銀髪だったな。

「いいんじゃね。お前さんにしては」

(一言多いんだから全く!)

 クロ、クロか。今日から俺はクロという名前らしい。

 口にするとこれが意外にもしっくりとくる。昔々に自分がなんと名乗っていたのか、微塵も覚えていないからこそ、なのかもしれない。

 クロが新しい自分の名前を噛み締めている一方で、何故かヱレゞ刂ωが固まっていた。

「……どうしたんだ?」

(いえ……、何でもないわ。強いて言うなら自分の感性の貧弱さを嘆いている、ってとこかしら……)

 目に見えて落ち込むヱレゞ刂ω。何でもない、という事はないだろう。

 何と声を掛けようかと悩み、もう一度ヱレゞ刂ωの言葉を反芻して

「まさか同じ――」

(止めて! それ以上は止めて! えぇ、えぇ。私だって、ちょっと安直過ぎるかもとは思ってたけど、だからって……!)

 そういう事だったか。特別、気にすることでも無い気がするが、彼女にとっては随分とショックな事実だったらしい。

(それじゃぁ今度はクロの番だね!)

「は?」

(は、じゃないよー。クロが言ったんでしょ。名前が無いと不便だって)

 いや、だからクロって名前を付けたばかりじゃん?

(ノンノン、違うよー。クロが、私達に、名前を付ける番ってことだよ)

「……訳分からんがな」

(分からない訳ないでしょ? だって、クロは私達の名前が分からないんだから)

「……分かるし」

 嘘です。分かりません。強がりました。

 っていうか名前を付けるなんて、面倒事はごめんである。

 そういった保身の為に吐く嘘というのは、得てして己が身に戻ってくるのだ。そう、瞬く間に。

(じゃぁ呼んでみてよ。亻└|了って)

 とてもいい笑顔で、彼女は言った。

 畜生! 罠だったか! こっちも面倒臭ぇ!

(どうしたのークロ? 早く呼んでよ。分かるんでしょ?)

 じりじりと退路を絶たれ、男は額に大量の脂汗を浮かべた。そしてどうにかこうにか、蚊の鳴くような声を、喉から絞り出した。

「イ――イルンァ……?」

(ぶっぶー。不正解ー)

 違う名前を呼ばれたと云うのに、亻└|了はご機嫌である。

 しかし参った。確かに不便だと言ったのは自分だ。その自分が、彼女らの名前が解らないなんてのはとんだ笑い話である。

「あー。まぁ呼べるよう努力するから。一々名前を付けるなんて――」

 そうは問屋がおろし大根。男の災難は続く。

 さっさと話を切り上げてしまおう。そういった見え透いた魂胆は、大抵上手くいかないんだって、さっきも口を酸っぱくして言っただろうに。

 突然、クロは腕を捕まれた。何事か、と掴んだ主に目をやると、そこには思い詰めた様子のヱレゞ刂ωがいた。

 まさかという疑心と、ヱレゞ刂ωならばという信心が半々に、男の中でせめぎ合っていた。

 彼女は意を決したように口を開いた。

(ヱレゞ刂ωって呼んで)

「え」

(呼んで)

 やけに真剣な様子で詰め寄られ、男はたじろぐ。

 掴まれた腕も、所詮女の腕力である。振り払う事は容易だが、それを実行した時、ヱレゞ刂ωがどれだけ傷つくか。そう、考えれば選べぬ選択肢である。

 これは……断れそうもない、な……。

 男は観念する他なかった。

「エ――エレヴリん……?」

 そう、耳に聞こえた音を素直に口に出してみる。

 どうせこれも間違っているのだろうが、ヱレゞ刂ωの顔が花笑んだ。

 これは、もしかして奇跡的にあってたのか……!?

(ぶっぶー。全然違いますー)

 何故か亻└|了が答える。男の肩ががっくし落ちた。

(これはね、やはりね、名前を付ける流れだね)

(ええそうね。名前を呼べないなんて、由々しき事態だわ)

 いつの間にやらヱレゞ刂ωも与し、二体一の構図となっている。

 何がどうしても、名前を付けさせたいらしい。

 クロは頭を抱えた。何故に子供にすら名前を付けたことのない自分が、成人女性の名前を付けにゃならんのだ。それも二人も。

 嘆くだけでは自体は好転しない。いや、悪化の一途である。

 既に二人の中では決定事項なようで。

(ん~。可愛い名前だといいなぁ)

(……)

 亻└|了は目に見えて浮かれ、ヱレゞ刂ωも声にこそ出さないが期待の目を向けてきている。

 クロは悩んだ、それはもう、頭から湯気が出るんではないか心配になるぐらいに悩んだ。

 下手な名前を付けようものなら、一生恨まれるだろう。名前とは、本来それほどに重要なものなのだ。

 男は度胸である。クロも遂に覚悟を決め――。

「文句言うなよ?」

 寸前にヘタれた。情けない、と彼を責めるのは些か酷というものだろう。

 しかし同情の余地はあれど、情けないことには変わりあるまい。

 今度こそ彼は、覚悟を以て口を開いた。

「イリアと、エイリン――でどうだ?」

 遂に言った。散々悩み抜いた名前を、それぞれを名指して言う。

 彼女らの反応は極端なものだった。

(ふぅん。イリア、イリアかー。えへへー、いいじゃん)

(エイリン、ね……)

 気に入って、もらえたのか……?

 一先ず男は無難に乗り越えたことに、胸を撫で下ろした。

 イリアは喜びを目に見える形で現してくれるから助かるが、エイリンは静かに呟くに終わり、彼女がどう思っているのかイマイチ測りかねる。多分、嫌ということはないと思うんだが、そう思うのも自分の、希望的観測に過ぎない。

 緊張から開放されたばかりのクロは、気が散漫となっており気付かなかったようだ。

 普段から冷静さを崩さない彼女の頬が、ほんのりピンク色に染まっている事に。その口元が、嬉しそうに綻んでいる事に。 

(よーし! そいじゃ最後にもちょっと顔を綺麗にしようかー!)

 唐突にイリアがんな事宣言した。

 突然の出来事にクロは「は?」と無様な反応をする事しか出来ないが、エイリンは分かっているのだろうか。カチャカチャと、戸棚を漁っている。

「おい待て。何するつもりだ」

 クロの脳裏に嫌な光景が浮かぶ。己の顔面にメスを入れられ、好き勝手に形を変えられる光景が。

(んー? 何ってちょいとそのもじゃもじゃ頭を整えるだけだよ)

「ん、ああ。そういう事ね……」

 何故先の一瞬、B級映画めいた光景を思い浮かべたのか。彼女らの信頼を裏切るような行為でクロは自らを恥じた。

(えぇ、あったわよ)

 エイリンの手には薄茶色した瓶が握られていた。

「それは?」

(脱毛クリームよ。これを塗れば立ちどころに毛が抜け、永遠に生えてくることは無いわ)

「え、いや」

 何それ。最後にとても不穏な台詞を聞いた気がする。

 ――永遠に生えない。

 ある意味では死刑宣告にも等しい言葉ではなかろうか。

 髭は、髭はいい。上手く塗ってくれれば永遠に髭剃という面倒な作業から解放されるのだから。だが、万一手が滑って、クリームが頭にでも付着してしまったら?

 クロの顔から血の気が引いてゆく。

 その様子を、エイリンはおかしそうに笑い、イリアは不思議そうに見詰めていた。

(大丈夫よクロ。ちゃんと毛生え薬もあるから)

 は? 今なんと――?

(ほら、これだよー。すっごいんだよコレ!)

 イリアがもう一つ、瓶を見せびらかしてきた。見た目は先程のものと変わらないが、イリアが蓋を開け、中身を一掬いする。そして指の腹である程度擦り合わせ「ほら」とその面を見せてきた。

 うおおぉぉぉぉぉぉっ!! すっっげえええぇぇぇぇぇぇぇぇ――――!!!!

 その効果は覿面で、イリアの白い指先にはフサフサの毛が生えていた。

 こ、これは! 人類が求めて止まなかった理想の極地、その一つではないか!!

(ど、どうしたのクロ?)

 感動に打ち震えているクロに、二人は心配そうな視線を向ける。だが彼からの反応はない。ひたすらに感動するのに忙しかったのだ。

(……今のうちに処理しちゃいましょう)

(そ、そうだね)

 美女二人がクリームを手に取り、顔塗り塗りしてもらうなんて、何て羨まけしからんのだろう。時折「あっ」とイリアが声を発しては眉毛を削ぎ落とし、エイリンが気まずそうに無言で毛生え薬を塗り直したりしていた。

(クロ! クロったら!)

「――んあ? な、なんだ?」

(もー、何だじゃないよー。終わったよ)

「へ」

 言われて自分の顔を触れてみる。ツルリとした触感が返ってきた。

「いつの間に……」

(いやぁ、良い面構えになったよ。ね、エイリン?)

(…………)

(エイリン? エイリーン?)

 人仕事を終え満足げなイリア。エイリンに同意を求めるも彼女からの返事がない。何度呼んでもそれは変わらず、彼女の視線はひたすらじいっと、さっぱりとしたクロの顔に注がれていた。

(いやぁ、それにしても。あのもじゃもじゃからこんな立派な顔が出て来るなんてねぇ。ホント君、ヒューマノイドだったんだねぇ)

 うんうんと頷くイリア。

「何だよ。疑ってたのか?」

(そりゃぁ、だってねぇ? 酷い姿だったよ。毛ボーボーで、正に原人って感じ)

 そこまで言われる、一刻前の自分がどんな姿だったのか非常に気になってくる。一度ぐらいでいいから、鏡でも見ておけば良かった。

(お。見れるよ? 艦内の事なら、オモイカネが四六時中録画してるから)

「ずっと撮られてるのか?」

(そだよー)

「……ストレスたまらないか?」

(ううん。全然。なんで?)

 平然と返すイリアを見てクロは思った。

 同じ外観をしていても、中身がそうとは限らない。彼女らとは矢張り、根本的な部分で異なるのだと改めて実感した。

(もー。エイリンも、そろそろ戻ってきなよ)

(あ。え、何? どうかしたのかしら?)

 エイリンの目の前で二度、掌を叩くと、彼女はようやく気付いたようで周囲をキョロキョロと見回す。その頬は僅かながら赤く、少々の興奮状態を現している。

 エイリンらしからその反応にイリアは苦笑し、また脳の隅で気取られぬよう密かに思う。

(ふぅん。了・/゙/″∃の杞憂かと思ったけど、これは案外アタリかもねぇ……)

 彼女が、ここに赴いたのには確たる理由があった。

 

(待て――亻└|了)

(ん~? なぁに了・/゙/″∃)

 エイリンの提案が可決された、三人が別れた直ぐ後のだ。

 イリアは了・/゙/″∃に呼び止められた。

(オマエに頼みたい事がある)

(了・/゙/″∃が? 珍しいねぇ。いいよ、何でも言ってよ)

 いとも容易く安請け合いするイリアに、了・/゙/″∃は一言注意しようかと思ったが、今回ばかりは都合が良いので、止めた。

(オマエに監視役を買ってもらいたい)

(んんー?)

 了・/゙/″∃の言葉に、イリアは首を捻る。

(フォーカスで監視する、って話じゃなかったっけ?)

(違う。ヱレゞ刂ωをだ)

 今度こそ、イリアの頭に一杯の疑問符が浮かんだ。

 何故にヱレゞ刂ωを?

 その疑問に答えず、了・/゙/″∃は静かに問い掛けた。

(オマエは感じなかったか? アイツの違和感に)

(ううーん……)

 そんな事を言われても。イリアはあまり頭を使うのが得意ではなかった。それで危うく失敗作として破棄されそうにもなったのだが、その代わりだろうか、身体能力が他の個体に比べ格段に優れていた。

 同じ戦闘用として調整された、目の前の了・/゙/″∃と比べても、その点だけはイリアが優れていた。

 おかげで破棄される未来を免れたのも、昔の話である。

 答えが分からぬイリアに、特に落胆した様子もなく了・/゙/″∃は説明した。

(いいか? 私達はアレのお披露目だと言われたが、そんな事をする必要がどこにある? となるとだ、ヱレゞ刂ωの目的は別にある。なんだ?)

(えぇっと)

 問答の形で話を進めてくる。

 イリアとしては、一息に正解を言ってくれた方が楽だと思うのに。了・/゙/″∃の悪い癖だ、と彼女は思った。

(アレを見せられた後、私達は何を相談した?)

 あっ、とイリアが小さく声を挙げた。

(もしかした、フォーカスを着けさせる為?)

 了・/゙/″∃がニヤリと笑った。猛獣のような笑みだ。

(あぁ、そうだ。では一体どんな思惑があってそんな事をする? 亻└|了にはそれを調べて欲しい)

(でも天才ヱレゞ刂ωだよ? 裏があるにしても、私達の不利益になるような真似はしないでしょ?)

 予想に反して、了・/゙/″∃は苦々しく唇を噛んだ。

 まるで、それこそが話の本質だと言わんばかりに。

(……分かったよ。やるって言ったしね)

(……助かる)

(そいじゃま、ちょいと時間を潰して適当に突撃しますかー!)

 少しわざとらしかったろうか?

 そんなこと、了・/゙/″∃も解っているだろう。話を合わせて深く突っ込むような野暮はしなかった。

 じゃぁね、と行こうとしたイリアの脳裏に、ふと、一つの疑問が浮かんだ。

(そういえば、どうして了・/゙/″∃がやらないの?)

(オマエの方が適しているからな。私は亻└|了のように、自然には振る舞えんよ)

(んんー? それって褒めてるの?)

 ふっと、本当に珍しいことに、了・/゙/″∃が柔らかく微笑んだ。

(当たり前だろう。オマエの一番いいところだ)

(え、いやぁそう? えへへー)

 全く了・/゙/″∃は人を使うのが上手いんだから。

 そう残して、イリアは去っていった。向かった先は、おそらくエイリンの部屋だろう。

 その背を見送り了・/゙/″∃は、思い出していた。先人達の教えを。

 感情は、判断を鈍らせるだけの余分なものに過ぎない。極力排除すべし、という教えを。

 だからこそ、私は、いや私達は多くの感情を廃してきたのだし、余計な感情の多いイリアは失敗作なのだとされた。

 ――果たしてそれは、本当に正しいのだろうか?

 こんな事、考えているだけでも反逆罪ものだ。だが、イリアと近くで接していると、時折、目を背けたくなる衝動に駆られる。エイリンを見ていると、チクリと胸を刺す感覚に襲われる。

 これは、いけない。こんなものは、感情は、私には不要なのだから。

 強く、奥歯を噛み締め、思考を無理矢理切り替える。

(さて。私は私のすべき事をするか――)

 自室へと戻り、まずは報告書の作成。それが終われば、この星のコロニー化を本格的に進める事になる。基地の設営、アンドロイド分隊の編成、生態系の作成。やる事は山積みなのだから。

 




もっとサクサクと展開を進めたい、です。

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