ストライク・ザ・ブラッド―混沌の龍姫―   作:アヴ=ローラ

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二巻突入です。

アスタルテにオリジナル設定追加(それとも設定改変?)。

某青年貴族にオリジナル設定追加(それとも設定改変?)。

以上の二人の原作キャラ設定に変動ありです。悪しからず。


二章 蛇王と古代兵器篇
戦王の使者 壱


 月齢二十一。弦月の夜―――

 港湾地区の夜の街をある男が疾走していた。

 

「糞っ、糞っ、糞っ、糞っ………やってくれたな、人間ども!」

 

 嗄れた声で口汚く罵りながら疾走するのは、しなやかな巨躯と、黒い毛並みの豹の頭を持つ獣人の男だ。

 彼は銃撃により怪我をしていて、加えて目や鼻を痛めている。

 何故そんな状況になっているのか。その理由は、特区警備隊(アイランド・ガード)強襲班に攻撃されたからだ。

 古い倉庫内で武器の闇取引を行っていた密入国の犯罪者集団の一人である彼は、同志(なかま)遊戯(カードゲーム)をしていた所を特区警備隊に強襲された。

 強襲班が使用した弾丸は聖別された琥珀金弾(エレクトラム・チップ)で、魔族の肉体再生能力を封じる対獣人用特殊弾頭。彼の傷が中々癒えないのは、呪力を込めた武器による攻撃を受けたためである。

 目や鼻の痛みは、強襲班が使用した催涙ガスの影響だ。

 しかし、彼も特区警備隊にやられるだけではなかった。

 特区警備隊の目を欺き、一瞬の隙を見せた彼らに、倉庫中に仕掛けておいた爆弾を、隠し持っていた起爆スイッチのリモコンを押して爆発させ、彼らを倉庫ごと吹き飛ばした。

 その爆発に紛れて倉庫を脱出。そして今に至る。

 

「許さんぞ、奴ら………必ず後悔させてやる」

 

 いまだ炎に包まれている背後の倉庫を、豹男は憎悪の眼差しで睨みつけた。そして月明かりに照らされた夜の街並みへと目を向ける。

 東京都絃神市―――大平洋上に浮かぶ巨大な人工島。人類と魔族が共存する、聖域条約の申し子。忌まわしき〝魔族特区〟である。

 欧州〝戦王領域〟出身である彼は、特別絃神市の人間に恨みはない。が、彼ら黒死皇派の健在を世に知らしめ、魔族の地位を貶めた呪わしき僭王への反逆の狼煙を上げるには、〝魔族特区〟の崩壊は必要なことなのだ。

 既に計画は動き出している。特区警備隊如きが今さら何をしようとも、この街の運命が変わることはない。

 同志を失い、武器の取引も潰され少しばかり段取りは狂ったが、特区警備隊の注意を囮の自分が惹きつけていれば、少佐の計画の成功率は上がる。

 それが仮令(たとえ)、少佐の計画の一部だとしても。

 

「ふははっ」

 

 頬まで裂けた唇を吊り上げて、豹男は笑う。

 獣人化形態を保ったまま跳躍して、彼は五階建てのビルの屋上へと一気に躍り出た。人豹(ワーパンサー)は、L種と呼ばれる獣人族の中でも、特に身軽さと敏捷性に秀でた種族だ。夜の市街地を逃走する彼を、追跡出来る者などいるはずもない。

 精々今は何処かに身を隠し、傷が癒えるのを待たせてもらおう―――だがその前に、と豹男は握っていたリモコン起爆装置のスイッチに指をかける。

 彼らが前以て仕掛けておいた爆弾は、倉庫と港湾地区の地下通路の二つ。そのうちの地下通路の方は爆破させていない。

 負傷者の救助のために呼ばれた特区警備隊の増援部隊が、丁度その辺りを通過しているはずなのだから。

 

「同志の仇だ。思い知れ―――!」

 

 豹男がリモコンを握る手に力を入れた。が、確かに触れたはずのスイッチからは、何の手応えも返ってこなかった。

 豹男は驚き自分の右手を見つめ………呆然と息を呑む。何故なら握り締めていたはずのリモコンが、跡形もなく消えていたからだ。

 代わりに彼の腕に巻きついていたのは銀鎖。何処からともなく伸びてきた銀鎖が、手錠のように彼の手首を縛りつけている。

 

「なんだ………こいつは!?」

 

 銀鎖を引き千切ろうとして、豹男は腕に力を込めた。が、獣人の腕力をもってしても、銀鎖は解けない。逆に銀鎖に引き摺られ、豹男はその場から動けなくなる。

 その直後、彼の背後から聞こえてきたのは、どこか笑いを含んだ舌足らずな声だった。

 

「―――曲がりなりにも神々の鍛えた〝戒めの鎖(レージング)〟だ。私のメイドラゴンならともかく、貴様如きの力では千切れんよ」

 

「何っ!?」

 

 思いがけないその声に、豹男は低く唸りながら振り返る。

 声の主は若い女。ビルの屋上の給水塔の上に、少女が二人立っていた。

 二人とも幼女(ロリ)と見紛うばかりの小柄な少女。一人は、馬鹿馬鹿しいほど豪華なドレスを纏い、真夜中だというのに日傘を差している。あどけなくも整った顔立ちは、愛くるしい人形を見ているようだ。

 もう一人は、露出度高めのフリフリなメイド服を着た童顔の少女。吸血鬼の如き紅い瞳が静かに豹男を見据えている。

 日傘少女にメイド少女という、あまりにも場違いな彼女達を見て、豹男はわけもなく恐怖を覚える。

 

「今ドキ、暗号化処理もされてないアナログ無線式起爆装置か。安物だな。よくもまあ、これまで暴発しなかったものだ」

 

 リモコン状の小さな機械を掌の上で転がしながら、日傘少女が嘲るように呟いた。

 それを見て、豹男が表情を引き攣らせる。日傘少女が弄んでいるその機械(リモコン)は、彼が持っていたはずの爆弾の起爆装置だった。どんな手品を使ったのか、日傘少女は獣人である彼に気配すら感じさせずに近づき、起爆装置(リモコン)を奪ってみせたのだ。

 

「攻魔師………にメイド?組み合わせがさっぱりだが、どうやって俺に追いついた?」

 

 豹男が金色の瞳を細めて彼女達を睨む。すると、メイド少女が無感動な瞳を豹男に向けて言った。

 

「神以下のオマエ如きが、龍神のワタシから逃げられると思った?」

 

「調子に―――は?龍神!?」

 

 メイド少女の言葉に驚愕する豹男。そう言えば、日傘の小娘が〝メイドラゴン〟と口にしていたな………まさか、あのメイドの小娘が龍族(ドラゴン)だというのか!?

 

「は、ハッタリだ!そうやって俺を怖がらせて捕まえようたってそうはいかねえ………!!」

 

 恐怖心を捩じ伏せてメイド少女を睨みつける豹男。メイド少女は、そんな彼を薄い笑みで見返した。

 

「ハッタリかどうか………試してみる?」

 

「え?―――ッ!!?」

 

 豹男は、いつの間にか眼前に立っていたメイド少女に愕然とした。さっきまで日傘の小娘の隣にいたはずなのに、一瞬で目の前に移動してきたのだ。しかも魔術の類いは感じられない。まさか自分が感知出来ないほどの速度で動いたというのか。

 豹男が恐怖で身を強張らせていると、メイド少女は自分の胸元に手を置いて言った。

 

「オマエがワタシに傷を一つでもつけられたら、見逃す。つけられなかったら、ワタシを龍神と認める」

 

「は?」

 

 この小娘は何を言ってるんだ、と豹男は怪訝な顔でメイド少女を見る。

 傷一つつけることが出来れば、少なくともメイド少女は豹男を捕まえない。つけられなかったら、メイド少女を龍神だと認める。どちらも豹男に損はないどころか前者は得という謎の条件に不可解に思ったのだ。

 だが損のない条件なら、受けてやろうじゃないか、と豹男は笑い、腰のベルトからナイフを引き抜く。

 

「よくわからねえが………おまえの提案に乗ってやる」

 

「そう」

 

 メイド少女は、豹男が自分の提案に乗った瞬間、指を鳴らして豹男の手首を縛っていた銀鎖を消した。

 銀鎖の消失に驚く豹男。しかしこれでメイド少女の出した条件を容易くクリア出来る。獣人の力を全開にしてナイフで斬りかかれば、小娘の柔い肉など簡単に斬り裂くことが出来るのだから。

 豹男は条件クリアを確信して思い切りナイフを、メイド少女の左肩めがけて振り下ろした。これでメイド少女の左肩を斬り落とせる、そう思ったが―――バキンッ!と逆にナイフの方が粉々に砕け散ってしまった。

 

「なっ………!?」

 

 あり得ない光景を目の当たりにした豹男は、唖然と砕けたナイフの刃があった部分を見る。

 メイド少女は、豹男をつまらないものを見るような瞳で見た。

 

「………所詮、豹人間。ワタシに傷一つもつけられない雑魚。リル兄ならワタシに致命傷を負わせられるのに」

 

 リル兄もとい〝     〟のことを脳裏に浮かべて呟くメイド少女。ある神と共に異界に棲まう〝     〟は、メイド少女に致命的なダメージを与えることが出来るらしい。

 豹男は、ナイフが砕けただけでなく、斬りつけたはずのメイド少女の左肩が無傷だということを知って、驚愕と恐怖に支配された。

 そんな彼に、メイド少女は薄い笑みを作って見つめ言った。

 

「これで分かった?ワタシが本物の龍神だということを」

 

「ひぃっ!」

 

 だが豹男は、メイド少女の化け物染みた身体の頑丈さに恐れて、彼女に背を向けて逃げ出した。

 勝てるわけがない。豹男は一刻も早くメイド少女から逃げ出したかった。故に人豹の全速力で夜の街を必死に走った。

 メイド少女は、自分との約束を破って逃げ出した豹男を見て、ほんの少し怒りの感情を顔に浮かばせる。

 

「………あーちゃん」

 

 そして自分の眷属を呼び出した。

 

「―――はい」

 

 あーちゃんと呼ばれた少女の声が返事をすると、豹男の前方に漆黒の魔法陣が展開され、そこから幼女(ロリ)と見紛うばかりの小柄な少女が現れた。

 藍色の髪に透き通るような白い肌と水色の瞳。完全に左右対称の整った顔立ちの少女。身につけているのはメイド少女と同じ露出度高めなフリフリのメイド服。

 そんな如何にもか弱そうな幼い少女・あーちゃんが豹男の前に立ち塞がった。

 

「はっ!人工生命体(ホムンクルス)のガキ風情が、獣人の俺を止められると思うな―――!」

 

 豹男は無謀な人形少女を嗤い、そのままの勢いで彼女に向かって突進する。人形少女をタックルで吹っ飛ばすつもりだ。

 人形少女は静かに首を横に振った。

 

「違います。私は()・人工生命体で、今は()()です」

 

「は?」

 

 人形少女の衝撃的な発言に、豹男は素っ頓狂な声を洩らして立ち止まる。人形改め藍髪少女はその隙に眷獣を召喚した。

 

「お願いします、〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟」

 

 藍髪少女の声に応えて、虹色の巨大な腕が彼女の背後の虚空から二本現れた。その左右の腕からは凄まじい魔力を放っている。

 

「何っ!?」

 

 まずい、と思った豹男が慌ててその場から離脱しようと跳躍する。が、彼の真下から突如漆黒の魔法陣が出現し、そこから無数の黒い蛇が飛び出してきて彼の両脚に巻きつき引き摺り下ろす。

 豹男はぎょっと目を剥いて、自分の脚に巻きつく黒蛇達を力任せに引き千切ろうとした。しかし黒蛇達を引き千切ることは出来なかった。

 何故なら、豹男が黒蛇に気を取られている隙に、藍髪少女の眷獣〝薔薇の指先〟が彼を捉え、その巨大な拳が彼を軽く殴り飛ばしたからだ。

 グハッ!と口から血を吐き出しながら吹き飛ぶ豹男。そんな彼を片手で受け止めたメイド少女は、彼を日傘少女の目の前に跳ばした。

 日傘少女は、ふん、と鼻を鳴らし、ボロボロになった豹男の全身を虚空から撃ち出した無数の銀鎖で搦め捕って足元に引き摺り落とす。

 豹男は、日傘少女の御技を見て、眷獣の一撃を受けた痛みさえ忘れて驚愕の声を上げた。

 

「空間制御の、魔術だと………!?馬鹿な!そんな芸当が、出来るのは、練達者級の………高位魔法使いだけだぞ!おまえのような、小娘がなぜ………!?」

 

 龍神を自称する化け物は兎も角、日傘少女に出来る御技ではないと豹男は思った。

 しかし日傘少女は無言のまま、日傘を畳んでつまらなそうに息を吐く。月光に照らし出された彼女の顔を見上げて、豹男は低く呻いた。

 

「そう、か………おまえ、南宮那月か!?なぜおまえが、こんなところに………いる!?まだ、魔族(おれたち)を………殺し足りないのか、〝空隙の魔女〟め………!」

 

「やれやれ………野良猫がよく喋る。眷獣の一撃を喰らった奴とは思えんな」

 

 日傘少女―――那月は冷ややかに豹男を見下ろす。が、特に用はないらしく豹男に背を向けた。

 

「〝戦王領域〟のテロリストどもが、こんな極東の〝魔族特区〟で何をする気だったのか、興味はあるが、尋問は特区警備隊に任せるか。明日の授業の支度と、メイドラゴンの特訓に励むとしよう」

 

「授業の支度………?それに、メイドラゴンって………あの自称龍神の化け物に特訓とか、鍛えてもらってるのかよ!?」

 

「ああ。それはもう………みっちりとな」

 

 那月は、豹男に振り返ってニヤリと笑う。彼女のその笑みを見て豹男はゾッとした。ただでさえ強大な魔女だというのに、メイド少女の特訓を受けているとか、どこまで魔族を恐がらせば気が済むのか。

 一方の那月は、メイド少女に一撃を与えて、彼女と本契約を交わし正式に自分のメイドラゴンにするのが目標のため、一日でも早く強くならなければならない。

 仮令彼女が本物(本体)じゃなくて偽者(分身体)のウロボロスでも、自分が出逢ったのは彼女だし、神より強い彼女を物に出来たらどれほどの優越感に浸ることが出来るというのだろうか。

 それに彼女は万能なメイドラゴンだ。さらには眷属も有能な幼女(ロリ)達を有している。眷族に至っては蛇族(ナーガ)龍族(ドラゴン)の全てを使役出来るそうだ。そんな彼女を手に入れないわけにはいかないのだ。

 とはいえ、いまだに那月の攻撃は、メイド少女に一撃どころか掠りもしていない。何か彼女に有効な手段はないだろうか。

 そんなことを考えながら、銀鎖で捕縛している豹男をそのまま放置して、メイド二人の下へ向かう。

 そのメイド二人はというと………黒髪メイドが藍髪メイドの頭を優しく撫でている最中だった。

 

「………私に後始末を任せて、二人だけでお楽しみとはいい度胸だな?」

 

 那月が不服そうな顔でメイド二人を睨みつける。黒髪メイドは、ごめん、と謝罪して理由を述べた。

 

「頑張ったあーちゃんに御褒美のナデナデタイム。御主人様もナデナデタイム欲しい?」

 

「いらん。馬鹿をやってないで早く帰るぞ、姫乃、アスタルテ。一日でも早く私は強くなりたいのだからな」

 

「分かった。あーちゃん、続きはワタシのベッドの中で」

 

「はい、マスター」

 

 黒髪メイド―――姫乃の言葉に藍髪メイド―――アスタルテは頷き了解する。少し名残惜しそうな表情を見せたアスタルテだが。

 ちなみに、ベッドの中でというのは、二人は同じ部屋を共有しているからだ。前はもう一人も同じ部屋にしていたのだが、変態(ユリ)だったため追放し別室にしてもらっている。

 その人が変態(ユリ)なのは、中身が唯一神(ロリコン)であるため、避けようのない変態癖なのだ。それを知っているのは姫乃だけだが。

 やれやれ、と那月は溜め息を吐くも、仲良しなメイド二人を眺めて笑みを浮かべた。

 それにしても、姫乃の全能ぶりには驚かされた。何せ人工生命体であるアスタルテを、人間に創り変えてしまったのだ。

 本来無感情な彼女は、人間として生まれ変わったことによって感情は豊かになり、少女らしく姫乃の眷属として生活している。

 ただし、姫乃の眷属として生活するに当たって異界の神々に命を狙われる危険があるため、アスタルテは〝永劫回帰〟の呪いを刻印されている。

〝永劫回帰〟の呪いの効果は、簡単に言うと、『死と生を永遠に繰り返す』というものだ。即ち、アスタルテが死亡すると、時間が巻き戻ったかのように死亡前の状態に戻り蘇生するということだ。

 不死の呪いを受け入れることで、アスタルテは人間にかつ姫乃の眷属としていられるのだ。

 ちなみにもう一人、変態(ユリ)修道女(シスター)の彼女には〝永劫回帰〟の呪いをかけていない。姫乃曰く『必要ない』というらしいが、どういう意味なのか那月にはさっぱりだった。

 変態(ユリ)シスターの彼女も『(ワタシ)には不要だ………です』と言っていたから、これ以上の追及はしないことにしたが。

 ………その変態(ユリ)シスターは、家で留守番してもらっている。私達と暫しの別れに号泣していたな。本当はもっと彼女を困らせるために帰りを遅くしたいところだが、姫乃との特訓を優先して帰るとしよう。

 那月は、姫乃とアスタルテを連れて自宅へ帰還した。

 

 玄関先で待ち構えていた涙と鼻水まみれの変態(ユリ)シスターが物凄い勢いで飛びついてきたのは、また別の話である。

 

 

 

 

 

 夜明け前―――

 東京の南方海上三百三十キロ付近を、一隻の船が悠然と航行していた。

 船名は〝オシアナス・グレイヴ〟。全長約四百フィート。俗にメガヨットなどと呼ばれる、外洋クルーズ船である。

 この美麗な船〝オシアナス・グレイヴ〟の船主(オーナー)は、〝戦王領域〟の貴族―――アルデアル公ディミトリエ・ヴァトラー。金髪碧眼の美しい男である。

 その彼は、愛船の屋上デッキで月光浴を楽しんでいた。豪華なサマーベッドに横たわり、のんびりとカシス酒のグラスを傾けている。

 しかし彼の肩書きは、貴族(ノーブルズ)。〝旧き世代〟の吸血鬼。〝戦王領域〟にある広大な彼の領土には、西欧諸国の軍隊にも匹敵する強大な戦力が常備され、彼自身もまた、大都市を瞬く間に壊滅させるほどの巨大な権能(ちから)を持った怪物。

 ………それが世間一般に知られている彼の()()の正体だ。本当の彼の正体は、真祖をも容易く屠れる()()によって創造された〝  吸血鬼〟。彼に匹敵する吸血鬼は、第四真祖のみである。

 そんな彼の真の正体を知っている者は亡き天部や〝   〟。生存者は三名の真祖だけ。

 ヴァトラーの目的は二つ。一つは絃神島に出現したという第四真祖と接触すること。もう一つは、異界の旅から帰還した()()と再会することだ。

 その二つの目的を達成するべく数ヵ月ぶりに絃神島に訪問してきたわけだが、その前に自分の傍らに近づいてくる気配を感じ取った。

 その気配の正体は、日本人の年若い少女だった。すらりとした長身に、華やかさと優美さを感じる顔立ち。肌は白く、髪の色素も薄い。ポニーテールの少女は、関西地区にある名門女子校の制服を着ている。右手にはキーボード用の黒い楽器ケースが握られていた。

 

「こちらでしたか、閣下」

 

「………ん?」

 

 ポニテ少女は立ち止まって恭しく礼をすると、ヴァトラーは振り返って彼女を見た。

 ポニテ少女は一通の書状を彼に差し出す。

 

「日本政府からの回答書をお持ちいたしました」

 

「ふゥん。それで、ボクに何の用かな?」

 

 人懐こく微笑むヴァトラーに、ポニテ少女は、はい、と言って淡々と言葉を続ける。

 

「本日午前零時をもって、閣下の絃神島〝魔族特区〟への訪問を承認。以後は閣下を聖域条約に基づく〝戦王領域〟からの外交特使として扱う―――とのことです」

 

「それは結構。まあ妥当な結論だね。来るなと言われても勝手に上がり込むつもりだったけど、いくらか手間が省けたかな」

 

 サマーベッドに寝込んだまま、ヴァトラーは無邪気に笑う。

 しかしポニテ少女は、彼を戒めるように表情を硬くして言った。

 

「ただし条件が一つ」

 

「へえ。なんだい?」

 

「日本政府が派遣した監視者の帯同を受け入れて、その勧告に従っていただきたいのです」

 

「お目付け役というわけか」

 

 なるほど、とヴァトラーは面白そうに頷いてみせた。

 

「で、その監視者ってのは誰なのかな?」

 

「僭越ながら、私がその役目を果たさせていただきます」

 

 静かな口調とは裏腹の挑発的な表情でポニテ少女が答える。

 そんな彼女を、不思議そうに見返してヴァトラーは訊いた。

 

「ああ、そう。そう言えば、キミって誰だっけ?」

 

 見事な無関心さを滲ませたヴァトラーの言葉に、ポニテ少女は薄く溜め息を洩らす。

 

「煌坂紗矢華と申します。獅子王機関より、舞威媛の肩書きを名乗ることを許された者です」

 

「獅子王機関か。どこかで聞き覚えのある名前だなァ」

 

 緊張感のない声でヴァトラーが呟くと、ポニテ少女―――紗矢華は苛々と呆れたように首を振る。

 

「魔導テロ対策を担当する日本政府の特務機関です」

 

「………魔導テロ?」

 

「このたびの閣下の絃神市訪問は、機関の監視対象となりますので、私たちが随伴を担当させていただきます。どうかご承知を」

 

「ふうん。まァ、なんでもいいよ」

 

 ヴァトラーはあっさりと受諾すると、笑顔で目を眇めた。

 

「それにしてもお目付け役がキミみたいな可愛い女の子とはね。日本政府も中々粋な計らいをしてくれるじゃァないか」

 

 可愛い男の子だったらもっとよかったんだけどサ、と独りごちるヴァトラーへと、紗矢華は流石に不愉快そうな視線を向けた。

 

「お言葉ですが、閣下。これでも私は、六式重装降魔弓(デア・フライシュッツ)の所有を許された攻魔師です。私の判断で、閣下を討ち滅ぼす権利が与えられていることをお忘れなきよう」

 

 恫喝のような紗矢華の言葉に、ヴァトラーは愉快そうに声を上げて笑い出した。

 

「ははは、いいね。キミ、中々面白い。気に入ったよ。そうそう、ボクのことは、ディマでもヴァトラーでも、好きに呼んでくれたまえ。閣下なんて堅苦しいのはやめにしてサ」

 

「………承知しました、アルデアル公」

 

 紗矢華は他人行儀な態度を崩さない。ヴァトラーは拗ねたように頭を振ると、上体を起こして紗矢華を見た。彼の両眼が薄っすらと紅く陽炎のように揺らめく。

 

「それで、ボクのもう一つのお願いごとの方はどうなってるのかなァ」

 

「お願いごと………ですか」

 

 ヴァトラーの放つ冷ややかな気配に、紗矢華が表情を硬くする。

 

「今さら惚けるのはなしにしてくれないかな。キミたちはとっくに彼を見つけ出して、今も監視中なんだろ。あの世界最強の吸血鬼のことをさ」

 

「第四真祖のことを仰っているのでしたら、あえて否定はしない、と申し上げておきましょう」

 

 平然と告げる紗矢華の態度に、ヴァトラーは微かに歯を剥いて笑った。

 

「是非紹介してもらいたいね。キミたちが彼を匿いたい気持ちはわかるけどサ」

 

 ヴァトラーは人懐こい笑顔のままだが、今や彼の全身からは物理的な圧力にも似た凄まじい呪力が放たれている。猛り狂う感情が、そのまま形になったかのような光景だ。

 しかし彼の強烈な邪気を受けながらも、紗矢華は無表情のまま静かに首を振った。

 

「いえ。彼を庇う理由はありません」

 

 そう言って彼女は一枚の写真を取り出した。制服を着た男子高校生―――暁古城の写真だ。

 

「第四真祖・暁古城は私たちの敵ですから―――」

 

 そう呟いた紗矢華の手の中で、古城の写真がぐしゃりと潰れた。

 ヴァトラーはそれを聞いて凶悪な笑みを浮かべた。

 だが、不意に紗矢華の表情に緊張が走り、ヴァトラーに言った。

 

「………第四真祖もそうですが、絃神島には彼女がいます」

 

「うん、知ってるヨ」

 

 ヴァトラーの即答に、え?と驚く紗矢華。ヴァトラーは愛おしそうな表情を見せると、意味深な笑みを浮かべて言った。

 

「ボクには、彼女がどこにいるのか………手に取るように分かるからネ」

 

 何故なら彼女は―――ボクを創った〝創造主(マザー)〟だからネ………と、ヴァトラーは内心で呟き、絃神島へと視線を向けたのだった。


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