「お兄ちゃん!学校行く準備できてるの!?」
「へいへい、今終わるとこだからデカイ声出すなよ」
「大きい声出されるのイヤなら早起きしてよ!雪乃さんもう来ちゃうよ!?」
「十分早起きの範囲内だろうが……。あいつが早すぎんだよ」
「他人のせいにするのはやめてもらえるかしら、責任転嫁谷くん。あなたの寝坊癖は今でも健在でしょう」
「癖じゃなくて時間を有効に使ってるだけだ。つかその名前はいくらなんでも強引すぎんだろ、語呂悪ぃし」
「およ!雪乃さん、オハヨーございます!」
「お早う、小町さん。今日もよろしくね」
「サラッとシカトすんのやめてもらえませんかねぇ……」
あれからほぼ一ヶ月が経っていた。
知らない天井だ。そんなお約束をかますのも忘れて周りを見回すと、泣き疲れて眠る雪ノ下と由比ヶ浜。
眠りは浅かったのか、俺が身を起こすと同時に二人も目を覚まし、俺を見て呆然とした後揃って突進して来やがった。
俺はバランスを崩してベッドから転げ落ち、繋がっていたコードやら何やらが外れ、医者達が慌てた様子で駆け込んできた。
医師の説明では、俺は回復の見込みなど無いほどの重体だったらしい。しかし気が付いたら完全回復していたという。
一週間かけて色々検査したが、右腕や痛覚も含めて完全健康体ということ以外は判らなかった。
退院前に医師から「報酬を払うからもう少し研究させてくれ」とか言われたが、雪ノ下が凄まじい剣幕で追い払っていた。
念の為にともう一日だけ休みをとってから学校に復帰することになった。
雪ノ下に由比ヶ浜は、それから毎朝交互に、たまに二人一緒に俺の家まで迎えに来てる。
小町も交えて三人で登校するのがデフォになってしまったのだが、徒歩の二人に合わせる為に早起きして自転車を押していかなければならない。一緒に乗れって?バカ言え。俺が後ろに乗せるのは小町だけだ。
ともかく雪ノ下と由比ヶ浜、それに小町は、隙あらば俺の傍に寄ってくるようになった。
まぁ、自分では覚えてないとは言え死にかけたわけだからな。心配かけてしまったのだろう。
俺だって小町や戸塚が事故に遇ったりしたら、それ以降心配のあまり四六時中張り付いてストーカーとして逮捕されるだろう。捕まっちゃうのかよ。
何にせよ、基本ぼっちである俺にとってはこの状態は迷惑、とは言わずとも少々キツい。
ひたすら人の目を集めるし、何より――あいつらが、メディアのことをまるで覚えてないのが辛かった。
学校へはすんなりと復帰できた。
元々知り合いが少なかったのもあるが、記憶の封印、というかその解除は正常に機能した。
俺を知っている連中は、俺を見て目をパチクリさせた後、慌てたように愛想笑いを浮かべて首をひねりながら去って行った。
記憶の封印は、俺の注文で俺とメディアとの記憶を個別に封じてあった。どちらか片方がダメだった時の為の配慮、のつもりだった。
数が多いので無理ならいいとは言ったのだが、学校を既に工房化してあったこともあり、メディアにとってはそれほど難しい事ではなかったらしい。
ただ、雪ノ下と由比ヶ浜は別だった。
二人の場合、聖杯戦争についての知識も含めてセットになっている筈だったのだが、二人ともそれらの記憶が完全に消されていて、俺の怪我も交通事故ということになってしまっていた。メディアが何かしたのだろうということは分かるが、それ以上はさっぱりだ。
登校時はともかく、下校なら一人になることはできなくもなかった。
俺は何度か衛宮邸へと足を運んだが、いつも留守だった。というか帰って来てる気配が無かった。
鍵がかかっているので屋内に入る事はできないが、門は普通に開いていたので庭になら入れた。
そこから伺った限りでは、しばらく人が出入りしてる様子が無かった。
ずっと無人だったという感じではなく、ここ数日から十数日の間、つまりは俺が目を覚ました前後くらいからだ。まあそんな感じがしたってだけで、正確なところは分からんが。
遠坂の家も似たようなものだった。
例の教会にも行ってみたが、焼け跡が残っているだけだった。何があったオイ。
あと俺が知っている聖杯戦争関連の施設といえば風雲イリヤ城くらいだが、これは行きはワープで帰りは気絶だったからな。どこにあるのか分からん。
何にしても、衛宮達にも会う事は出来なかった。
つまり、メディアのことを覚えている人間は、俺を除けば一人も居なかった。
そんなこんなで、あの戦いが実はただの夢だったんじゃないかと、そんな風に思い始めた日のことだ。
いつものように小町を送り届け、雪ノ下と二人、並んで歩いていると、学校近くで俺を待ち構えていた奴がいた。
「お久しぶりですね」
そいつは気負った様子も無く声をかけてきた。雪ノ下が怪訝な目を向けて応える。
「どちらさま?」
「初めまして。わたくし、そちらの比企谷さんの友人です。本日は彼に少々お話しがございまして、よろしければ彼と二人にさせていただきたいのですが」
ペコリと丁寧にお辞儀するそいつに、雪ノ下が戸惑うように俺を見る。
俺は、そいつに向かって口を開いた。
「……誰?」
「え……?えっと……アレ?」
そいつは分かりやすく混乱していた。
雪ノ下が小首を傾げて聞いてくる。
「……知り合いではなかったの?」
「最初は俺もそう思ったんだが違ったらしい。見た目はそっくりだが、俺の知ってる奴はもっとがさつで大雑把で雄々しく猛々しい女だ」
「どういう意味だっ!?」
「あれ、遠坂。いつからそこに?」
「あんたねぇ、久しぶりに会ったってのに何なのよその言い草は……!」
「つってもなぁ。なんだよあのお嬢言葉は、鳥肌モンの気色悪さだったぞ」
「キショッ……!?乙女に向かってなんてこと言ってくれんのよ!?こっちにはこっちの都合ってものがあんのよ!」
「すっかり忘れてたが、そういや学校では猫かぶってたんだよな、お前。でもまぁ素の方がいいと思うぞ。そっちのが俺は好きだ」
「……あんたといい士郎といい、なんであたしの周りはこんな男ばっかり……あんた、誰彼構わずそういう事言うのやめなさい。刺されても知らないわよ」
「何を言っているのか解らん。俺はただ思った事を言ってててててっ!?いきなりなんだ雪ノ下!?」
「……漫才はそのくらいにして、そろそろ説明してほしいのだけれど?」
雪ノ下にいきなり耳を引っ張られた。いや、置いてきぼりにしたのは悪かったけどそこまで怒るなよ。
とりあえず遠坂を紹介する。
「えーと、こいつは遠坂。俺の……なんだ?友達?じゃないよな」
「なんでよ……?普通に友達で良いでしょ」
「なるほど。一体どんな弱味を握られているの?知り合いに腕の良い弁護士がいるから良ければ紹介するわ。安心して、その方も女性だから」
「オイコラどういう意味だ」
「黙りなさい。見損なったわ比企谷くん。前々から存在自体が迷惑だったというのに、とうとう実害が出るような事に手を出したのね?軽蔑を通り越して通報するわ」
「何その通り越し方、斬新すぎんだろ。なんで感情の先が行動になってんだよ。おかしいだろ」
「あんた達って普段からこんななわけ……?」
遠坂が何故か戦慄していた。
その遠坂が改めて雪ノ下に声をかける。今度は猫かぶりをやめて。
「とにかく、彼と二人で話がしたいの。悪いけれど貸してもらえるかしら?」
「……話している間に随分時間が経ってしまったわ。悪いけれど……」
「雪ノ下、俺もこいつに話がある。すまんが先行っててくれ」
「……後で説明してもらうわよ」
「良かったの?」
「別に構わんだろ」
警戒心むき出しの雪ノ下を先に行かせて、遠坂と二人で話す。
「あの娘、私の事誤解してたみたいだけど」
「誤解ってどんな?」
おい、なんだその無言のため息は。
まあいい。ともあれ話を戻そう。
「んで、どうしたいきなり?つうか今まで何してたんだ?」
「聖杯戦争の後始末ってところね。本当なら監督役の綺礼の役目だったんだけど、まぁあの通りだし。冬木の管理者として色々雑務に追われてたのよ。今日はその辺りの事の報告、みたいな感じ?」
管理者、ね。確かにそんな事言ってたな。
一瞬何の権利があって、とか思ったが、考えてみたら国とか街とかって枠組みも一部の誰かが勝手に主張してるだけで、それがいつの間にか常識として扱われてるだけだからな。そんな物かもしれん。
遠坂の話では、俺が倒れた後どうにか勝ち抜き、呪いで汚染されて大量破壊兵器同然になっていた聖杯を破壊する事で聖杯戦争は幕を閉じたらしい。約三百年に渡って続いた聖杯戦争の歴史も、今回で終わりだそうだ。
衛宮とイリヤも無事らしい。二人は遠坂の雑務とやらを手伝っていたらしく、それで家に帰ってなかったそうだ。
遠坂は肩を竦めて続けた。
「それもようやく一区切りついてね。留学前に片付いて良かったわ」
「留学?」
「ええ、ロンドンにね。時計塔……まぁ、魔術師にとっての大学みたいな物ね。そこに行くことになってるの。今日の午後には発つ予定よ」
「えらい急だな……いや、予定ってんなら前から決まってたのか」
「そうね、連絡出来なかったのは謝るわ。こっちも忙しくてね。実はまだ少し残ってるし」
「そういやこの街はどうすんだ?管理者が留守にしちまって良いのか?」
「だからそこら辺の調整をしてたのよ。幸い有能な代理人を雇えたわ。近い内にあんたのところにも挨拶に来る筈よ」
「……俺に挨拶されても困るんだが」
「大丈夫よ、あんたも知ってる相手だから」
俺の知り合い……衛宮か?いやでも有能っつってるしな。
考え込んでいると、遠坂はふっと笑って右手を差し出してきた。
「まあともかく、あんたのお陰でどうにか聖杯戦争を乗り切れたわ。ありがとう」
「……別に俺のお陰ってこたねえだろ。足引っ張ったところもあるし、俺抜きでも何とかなってたんじゃねえの?」
「それでも、よ。少なくとも私はあんたに助けられたと思ってるの。だから、お礼をさせてちょうだい」
俺は左手で頭を掻いて、差し出された手を握った。遠坂はそのまま笑顔で……ていうかさっきからなんか気になんな、こいつの笑い方。なんか企んでる感じというか。
遠坂はそのイイ笑顔のままで続ける。
「お礼としてちょっとした贈り物をさせてもらうわね。受け取ってちょうだい」
「は?」
「今日中にはあなたのところに届く筈だから。それじゃ、私はそろそろ行くわね?」
「いや待て。なんだ贈り物って」
「人形よ。ものすっごい高いやつ」
「いやホントに待て。人形なんか俺にどうしろと?」
「ちなみに返品は受け付けないから。じゃ、縁があったらまた会いましょ」
遠坂は俺の言葉に耳を貸さず、手を振り振り去っていった。
俺はそれを呆然と見送っていたが、聞こえてきた予鈴に慌てて学校に駆け込んだ。
教室に駆け込み席に着くのと、担任が入ってくるのは同時だった。
「おらお前ら席着けー」
いつも通りのやる気の無い声。しかし今日は、そこから先が違っていた。
「あー、いきなりだが、今日は転校生を紹介する」
は?転校生?
「先生、この時期にですか?」
俺が、というかクラスのほぼ全員が思った事を、葉山がナチュラルに代表して質問していた。
この時期に転校生とか有り得ない。なにしろ明後日には終業式なのだ。転入してくるなら普通新学期からだろう。
担任はやはりやる気の無い顔で説明する。
「学校からも言ったんだが、本人の強い希望でな。可能な限り早く学校に来たいんだと」
ふーん。奇特な奴も居たもんだ。
まあなんでもいいか。どうせ俺には関係無い。
俺はそう考えて、いつものように寝た振りを――
「それじゃ、入れ、遠坂」
しようとして、担任の口から飛び出した名前に再び顔を上げる。
待ておい、誰だって?
いや、偶然か?そこまで珍しい苗字でもないし。大体ついさっき本人から留学するとか言われたとこだし。
「失礼します」
そう言って教室に入ってきた『彼女』の姿を見て、俺は今度こそ言葉を失った。のみならず、あまりの驚きに立ち上がる。
クラスの連中の視線が集まる。しかし俺には、そんなことを気にする余裕が無い。
『彼女』はそんな教室の様子を意に介さず、チョークを手に取って黒板にカツカツと自分の名前を書いた。
そしてクルリと振り向くと、かつてのように自己紹介した。
くすんだ色合いの、やや青みがかった銀髪は腰まで伸び。
人外の血を想起させた尖った耳は、人並みに丸くなり。
寒気すら覚える美貌は、柔らかな笑顔によって温もりを帯びていたが。
外見は細かいところは結構色々変わっていたけど。
それでも、俺がこいつを見間違える筈がない。
「初めまして、遠坂メディアと申します。皆さま、よろしくお願いします」
「お前……なんで……」
ただ、それだけ呟くのがやっとだった。
彼女はそんな俺にニコリと微笑み、静かに歩み寄って来た。
「約束、しましたよね?小町様と一緒に、また野菜炒め作るって」
呆然と動けずにいる俺の前で立ち止まり、続ける。
「依頼も、終わってませんよね?幸せになるのを、手伝ってくれるって、言いました」
彼女は手を伸ばし、俺の胸にそっと触れる。そして何かを思い出すように目を閉じた。
「『身体』が出来上がるのに時間がかかってしまいました。遅くなって、申し訳ありません……」
そして彼女はくしゃりと顔を歪めると、その涙を隠そうとするかのように、俺の胸へと飛び込んできた。
「八幡様……ただ今、帰りました――――!」
これはメディアと再会して少し後、春休みの間に聞いたことだ。
聖杯戦争終結の直後に、以前から遠坂が探していた人形師と連絡が取れたらしい。
その人はやはり魔術師で、生き人形を造るのが得意なんだそうだ。その技術を応用して俺の義手を注文するつもりだったらしい。
で、聖杯を破壊してしまったことで消滅しかけていたメディアとセイバーを、遠坂と衛宮が自前の魔力でどうにかつなぎ止め、その間にその人形師に二人の身体を造ってもらったんだそうだ。
元々扱っているのが高級品ばかりなのに加え、初めに聞いていた話と違うということで相当ふっかけられたらしい。が、サーヴァント二人分の魂に聖杯の欠片。聖杯の器に生きた剣製の杖を研究素材として提供することで、ほとんどタダ同然まで値引きしてもらったそうだ。
研究素材といってもゲームのアイテム合成の材料のようにされることは無く、色々とデータを取ったり実験に付き合わされたりと、そんな感じだったようだ。
まあ、どれも簡単に手に入るような物じゃないだろうから、迂闊に消費する気も起きなかったのだろう。ともあれ全員無事で新しい身体を手に入れることに成功したとのことだ。
ただ、衛宮とイリヤが冬木に戻るのは、もう少し後になるそうだ。セイバーの身体がまだ完成してないらしく、その分を稼がないとならないとか。留学の近かった遠坂を先に帰らせ、メディアに管理者の代理として引き継ぎしていたんだそうだ。
そんなわけで、今のメディアの身体は人形らしい。もっとも魔術関連のシロモノなので、当然の如く普通ではない。
なんでも人間と同じように物を食べ、睡眠をとり、時間の経過に従って変化――つまりは歳を取る。それもう人形じゃねえだろ。
また、一体どんな手段を使ったのか、遠坂はメディアの戸籍をでっち上げてしまったらしい。お陰でメディアは一人の人間として、遠坂の家で管理者の代行をしつつ、こうして学校に通うこともできるようになったそうな。すげえな管理者。ホントに同い年か。
まとめちまうと、全てが円く納まった、で、良いのか?
まぁ、これから先がどうなるかは分からん。また何か妙な問題が持ち上がるかもしれないし、何も無いまま人生をまっとうするかもしれない。が、どちらにせよそれは別の話だろう。
とにかく話を今に――教室でメディアが抱き着いてきた直後に戻そうか。
ちょっとナニアレヒキタニくんマジパネェあの男子誰よヒヒヒヒヒッキー誰それどういうこと八幡大胆なんであんなやつがやるじゃんヒキオはやはちに強力ライバルでも嫉妬に身を焦がす隼人くんこれはこれで比企谷後で職員室に来い
涙を流して俺にすがりつく銀髪美少女転校生と、それを抱き止める学校一の嫌われ者。
そんな組み合わせに教室が喧騒に包まれる。
しかし俺はそんなこと気にしてられない。今は目の前のことで精一杯だ。さっきのざわめきに、ここに居ない筈の人の声が混じってた気もするけど、それもどうでもいい。
「お前、どうして……」
そう言いながら、俺は遠坂の言葉を思い出していた。
遠坂は、メディア達は聖杯が破壊された事で力を失い身体を維持出来なくなった、と言っていた。
なるほど、勝手に消滅したと思い込んでいたが、確かにそんな事は言ってない。やってくれんじゃねえかあのアマ。
「わた、わたし……八幡、様に……ひくっ……会いた、会い、ひくっ……」
メディアは本格的にしゃくりあげてしまって言葉にならない。俺はメディアの頭を軽く抱いてポンポンとしてやる。
まぁなんだ。こいつが無事に帰ってこれたってんなら、それに越した事はないだろ。なら細かい事は後でいいさ。
周りから突き刺さる視線は痛いが、こいつが泣き止むくらいまでなら我慢してやる。
しばらくして落ち着くと、メディアは顔を上げ、にこりと微笑む。そして俺の目を真っ直ぐに見詰めて口を開いた。
「八幡様、私、一番初めの質問に、まだ答えてもらっていません」
その初めの質問というのが何の事か、俺には分からなかった。
しかし改めて聞かされて、ああなるほどと思ってしまった。
俺と彼女が初めて出逢った時、彼女は確かにそう言った。そして俺は、その言葉に未だ答えてない。
彼女はその瞳に涙を湛え、今再び、その言葉を口にする。
「――貴方が、私のマスターですか?」
fin