Fate/betrayal   作:まーぼう

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落涙

「ハァ……!ハァ……!」

 

 

 焼け落ちる教会から、ヨロヨロと人影が歩み出てくる。

 人影は少女の姿をしていた。

 少女は怪我を負っているらしく、その足元は覚束ない。にも関わらず、彼女は人を運んでいた。

 自分よりも大きな少年の腕を首に巻き付け、右腕で少年の身体を支えて、動かぬ左の手足を引きずりながら、少しでも炎から逃れようと懸命に身体を動かす。

 ようやく熱気の届かぬところまで来ると、抱えた少年の身体ごと、力尽きて崩れ落ちる。

 

「ハァ……!ハァ……!」

 

 少女はそのまま気を失ってしまいたい誘惑を振り切って、震える腕で無理矢理身を起こす。

 まだだ。まだ倒れるわけにはいかない。

 

「お待ちください、八幡様……今、メディアがお助けします……!」

 

 少女――メディアはそう呟くと、脇に転がる自らの主、比企谷八幡の身体を仰向けにして、その胸に両手を当てて意識を集中した。

 

「治れ……!治れ……!」

 

 比企谷八幡の怪我は酷いものだった。

 臓器のいくつかが破裂しており、折れた肋骨が肺に突き刺さっている。

 顔面は叩き潰されて陥没しており、元がどんな顔だったのかも判別出来ない。左腕の粉砕骨折が一番マシというところだ。

 

「治れ…!治れ…!治れ…!」

 

 しかしそれでも命の灯は消えていない。

 ならば、これは彼女にとっては治せない怪我ではなかった。

 

「治れ!治れ!治れ!治れ!」

 

 実際彼女は、否、彼女でなくともある程度の腕を持った魔術師であれば、助けられない状態ではない。

 稀代の魔女メディアの技量があれば、難しい事ではない。その筈だった。

 

「治れ治れ治れ治れ治りなさいよ!なんでよ!?おかしいじゃない!もっと酷い怪我を治したことだってあったじゃない!死人を生き返らせた事だってあったじゃない!」

 

 しかし彼女は裏切りの魔女。

 彼女の魔術は誰かを陥れる為のもの。

 

「治れ!治れ!治れ……!治って……お願い……治ってよぉ……」

 

 純粋に誰かを救いたいという想いには、彼女の魔術は応えない。

 全てを裏切り、全てに裏切られる魔女は、自分すらをも裏切るのだ。

 

「……誰か……」

 

 倒れて動かぬ少年と、彼にとりすがって泣く少女。

 それは、いつかの帰り道を思い起こさせる姿だった。

 

「お願いします……誰か、マスターを、助けてください……」

 

 あの時と決定的に違うのは、少年が本当に死にかけている事と、少女が本当に何も出来ない無力な女である事。

 

「私はどうなっても構いません……ですからどうか、この人だけは助けてください……」

 

 誰でもよかった。

 彼を助けてくれるのでさえあれば、それが悪魔でも、憎み呪い続けた神であっても、喜んで忠誠を誓って見せただろう。

 

「お願いします……お願いします……お願いします……」

 

 しかし奇跡は起こらない。

 そもそもこれは聖杯戦争。

 奇跡を起こす聖杯の所有権を賭けた戦いであり、彼女は今だ勝者足り得ない。

 

 少女の言葉が、魔術からただの嗚咽と懇願へと変わって、幾ばくかの時間が過ぎた頃だった。

 

 

 

『お兄ちゃん、メールだよ♪』

 

 

 

 唐突に響いた場違いに陽気な声に顔を上げる。

 それは少年の上着のポケット、その中のスマートフォンから聞こえてきた。

 スマートフォン。電話。

 

「!」

 

 大慌てでそれを取り出す。

 これを使えば助けを呼べる。通常の医学でどこまでの事が出来るかは分からないが、それでも今の自分よりはマシな筈だ。

 薄い精密機械を手に取り、彼の妹の写真に指を近付け、固まる。

 使い方が分からない。

 聖杯は、電話という道具の概念は知識として与えてくれたが、具体的な使い方までは教えてくれなかった。

 普通サーヴァントに電話を使う機会など無いだろうし、ただの電話機ならばそこまで複雑ではないので特に問題無いだろう。

 しかし、スマートフォンはいわゆる携帯電話に比べて少々特殊だ。メディアもゲーム機やリモコンならば扱った事があったが、スマートフォンは触った事が無かった。

 

 落ち着け。思い出せ。

 自分で使った事はなくとも、人が使うのは何度も見た筈だ。

 

 画面に指を触れさせると波紋のようなエフェクトが発生し、驚いて指を離す。

 よく見れば画面の上部に『フリックしてロックを外してください』とある。フリックって何?

 暴走しそうな心を力ずくで押さえ付け、学校での生活を、そこでの級友達を思い出す。

 彼らは確か――

 もう一度指を当てる。画面の上で、指を中心に波紋が広がる。

 よく見れば波紋の中央に、南京錠を模したマークがあった。記憶を頼りに指を滑らせると、マークは鍵が外れた状態へと変化し、画面が切り替わる。

 ホッと息を吐き、すぐに頭を振る。こんな事で気を抜いてどうする。

 画面の左下に、緑色の受話器のようなアイコンを発見した。

 それに軽く触れるとカチッという音がして、わずかなラグの後にまた画面が切り替わる。今度は画面の下部に0から9までの数字が表示されている。どうやら無事に電話の機能まで辿り着いたらしい。

 メディアはそこで再び動きを止める。

 後は番号を入力するだけなのだが、彼女は肝心の番号を一つも知らない。短縮ダイアルの知識も聖杯からは与えられてなかった。

 なのでここでも学校での記憶に頼る。

 級友達の会話では、度々友人との電話という話題が飛び出した。その中では、結構な頻度で履歴とか電話帳とかいう単語が出てきた筈だ。

 改めて画面を見ると、上部に『通話履歴』と『電話帳』というボタンがあった。通話履歴の方を押すと、ズラッと数列と日付と時刻とが表示された。

 その一番上の数列に触れるといくつかのシステムメッセージが表示される。その中に『発信する』というものを見つけ、即座にそれを押す。

 耳を当てると、プルルルルッ、という電子音が聞こえる。通じた!

 

(早く、お願い、早く出て……!)

 

 実際にはほんの数秒でしかない時間が、とてつもなく長く感じられた。

 四回目のコール音の後、カチャッ、という音がして人の声が聞こえた。

 

『もしも』

「助けてください!」

 

 相手が一言を終える前に叫んでいた。

 

『あの』

「助けてください!」

 

 電話越しではあったが、相手から困惑が伝わってくる。しかし彼女には、それを気にかける余裕など無かった。

 

「お願いします……!マスターを、助けてください……!」

 

 ただただ必死に頼みこむ。今の彼女には、それしか出来ない。

 その必死さが伝わったのか、電話の相手もいたずらではないと判断してくれたらしい。

 

『……まずは落ち着いて。何がありました?そこが何処かは判りますか?何故私の電話番号を知って……いえ、これは後にしましょう。とにかく状況を説明してください』


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