三方から投げつけられた短剣を槍の柄で弾く。その隙を突く形で左右から同時に、と見せかけ、わずかにタイミングをずらして飛びかかってくる二人のアサシンをまとめて切り払った。
「やはり単純な戦闘力では勝負にならんか」
ボソリと、言峰が陰気な声で呟く。
当然だった。二十という数字は決して少なくはないが、アサシンは元々百人近い軍勢だったのだ。つまりアサシンは、既に五分の一にまで弱体化してるのと同じだ。苦戦などしようがない。
とは言え弱体化しているのはマスターを失ったランサーも同じだ。彼も油断する気はさらさら無かった。何より――
「このアサシンは、サーヴァントとして召喚される際は百人で一体と扱われる。これがどういう意味か分かるかね?」
言峰がいきなりそんな質問をしてきた。来るか?
「百人揃ってようやく一人分ってこったろ」
「間違いではないが、今言いたいのは別の事だ」
言峰はおもむろに左手を掲げ、唱える。
「令呪をもって命ずる。アサシン、ランサーを打倒せよ」
瞬間、周りを取り巻く二十人のアサシン、その全員の気配が膨れ上がる。遠坂が息を飲む音が聞こえた。
「百人で一体。すなわち、令呪による強化は百人のアサシン全てに適用される。この『山の翁』はな、令呪ともっとも相性の良いサーヴァントなのだよ」
言峰の言葉が終わるや否や、またしてもアサシンが飛びかかってきた。今度は四人。しかも先ほどと迅さが段違いだ。
右端の一体に、リーチの差を活かして槍を突き込む。
突き刺したアサシンを鈍器のように振るい、横の二体を凪ぎ払う。
残りの一体の短剣を掻い潜って頭突きを見舞い、浮いた顎を掌底でぶち砕く。
起き上がろうとするアサシンの一方を切り伏せ、背後から切りかかってきた残り一体の喉を槍の石突きで叩き潰す。
「この程度で相手になると思ってんのか?」
強化された筈のアサシン四人を瞬く間に叩き伏せ、ランサーは不敵に告げる。しかしそんなランサーを見ても、言峰は表情を変えない。
「やはり一つでは無理か。ならば、令呪をもって重ねて命ずる。アサシン、ランサーを打倒せよ」
「なっ!?」
「……チッ」
遠坂が驚愕を漏らし、さらに膨れ上がったアサシンの魔力にランサーが舌打ちする。
最初に無駄撃ちさせた分も含め、令呪はこれで三つ目。普通ならサーヴァントとのリンクが切れてしまう為、最後の令呪を使う事はないのだ。しかし、
「……まだだ」
「令呪をもってさらに重ねて命ずる。アサシン、ランサーを打倒せよ」
「そんな!?」
ランサーの言葉通り、言峰が四つ目の令呪を使用する。絶句する遠坂にランサーが説明する。
「あの野郎は不意を突いて俺のマスターを倒し、その令呪を俺の支配権ごと奪い取ったんだよ」
「……つまり綺礼は、令呪を六つ持ってるって事?」
「ああ。だが奴は令呪を奪った直後に、俺の反逆を封じる為に一つ消費してる。今度こそ打ち止めの筈……」
「令呪をもってさらに重ねて命ずる。アサシン、ランサーを打倒せよ」
「なんだと!?」
「もしかして、英雄王の分……?」
驚愕するランサーを他所に、遠坂が予測を口にする。
ランサーは歯噛みした。
ランサーは言峰自身から、ギルガメッシュの分の令呪は残っていないと聞かされていた。それがデタラメだったとすると、言峰は最悪あと三つの令呪を所持していることになる。
「ランサー。お前は今、こう考えているな?私が令呪をあと三つ残しているかもしれない、と」
「……あぁ?だったらどうした」
しかし彼は思い知る。彼の想定した最悪ですら、まだ救いのある状況であると。
「いや、君にはこれが三つに見えるのかと思ってな」
言峰はそう言って、己の左袖を引いた。
言峰の着ている神父服は、防弾防刃の特別に頑強な物であったが、キャスターの電磁障壁を破った際にボロボロになっていて簡単に千切れた。
「なに……それ……!?」
露になった言峰の左腕を見て、遠坂が唖然と呻く。
そこにあったのは、腕を埋め尽くす令呪の群れ。下手をすれば二十近くもある。
「私の家は、代々聖杯戦争の監督役を担っている」
言葉を失っている二人に、言峰は淡々と説明した。
「当然のことだが、令呪を使い切ることなく脱落するマスターも数多くいた。私の家系は、そうした消費されることのなかった令呪を受け継ぎ管理しているのだ」
そのセリフが終わると同時、またしても令呪が砕ける音が響く。アサシンから発せられる魔力の波動は、既にランサーを上回っていた。
ランサーは背後の遠坂に声をかけた。
「……嬢ちゃん、家に戻んな」
「だけどキャスター達が……!」
遠坂は躊躇う。死にかけている比企谷と、それを庇うキャスターが気掛かりなのだ。しかしそれも、ランサーの言葉によって見切りを着けざるを得なくなる。
「あの黄金のアーチャーが聖杯の回収に向かっている」
「……っ!」
「あいつらは余裕があれば助けといてやるさ。セイバー達のところに行ってやれ」
「……お願い!」
そう言って遠坂は背を向けた。
選択の余地は無かった。英雄王と戦う準備は整っておらず、自分がここに残って出来る事は何も無いのだから。むしろランサーの足を引っ張りかねない。
遠坂の背に投げつけられた短剣を叩き落とし、同時に飛びかかってきたアサシン一人を一太刀で打ち倒す。
そんなランサーに、遠坂は去り際に言葉をかける。
「あんた、これが終わったらあたしのサーヴァントになりなさい」
「ハッ!ガキがナマ言ってんじゃねえ。もちっと歳食ってから出直して来やがれ」
「ハァーッ……!ハァーッ……!」
「大したものだ。これほどに手こずるとは思わなかったぞ」
満身創痍のランサーに、言峰が心底感心したように告げる。
傍らに立つアサシンは、既に五人にまで減っていた。しかしランサーには、もはや軽口を叩く余裕も無かった。
ランサーとのリンクが消失してから既に丸二日が経っている。
ランサーのクラスには単独行動のアビリティが与えられる。しかしアーチャーやライダーに比べるとそのランクは低く、魔力供給抜きで現界可能なのはわずか二日。つまりランサーは既に魔力切れを起こしているのだ。おそらく、あと半刻も待たずにその身体は崩壊を始めるだろう。
にも関わらず、自分と同等以上にまで強化された敵十数人を相手に今だ立ち続けているのだから尋常ではない。
それ以前にランサーは、隠形に優れたアサシン相手に逆に不意討ちを仕掛け、マスターに連絡さえさせずに仕留めるという離れ業をやってのけている。それをわずか二日の間に八十近く。普通に有り得ない。
「とはいえ、さすがに限界のようだな。防毒のルーンも効きが鈍っているようだぞ?」
言峰の言う通り、ランサーの動きは徐々に精細を欠いてきていた。
戦士としての武勇ばかりが目立つが、ランサーは魔術師としても超一級である。
アサシンが毒を使う事を知っていた彼は、予め魔術による防御を施していた。しかしアサシンの毒は、それすらも突破するほどに強力だったらしい。
五人のアサシンがランサーを取り囲む。
その内三人が短剣を投げ放つ。やはりほんの少しずつタイミングをずらして。
同時攻撃の時は必ずこれだった。捌き辛いことこの上ない。さらにそれ合わせて、残りのアサシンが背後と左手から飛びかかってくる。
一つを弾き、二つは身を捻って躱す。同時に左側へ倒れ込みつつ突きを放ち、アサシンの一人を倒す。
多くの場合、槍使いにとっては左が死角となる。槍は普通右側に構える為、自分の身体が邪魔になるからだ。
ランサーもその例に漏れず大きく体勢を崩し、背後からの攻撃を避け切れずに左腕で受け止めた。そこにすかさず残りの三人が殺到する。
アサシンの一人に、身体ごと地を這うような足払いを放つ。倒れた直後で他に取れる手段が無い。アサシンはそれを小さく跳んで躱し、空中から短剣を突き下ろす。ランサーは転がってアサシンの下をくぐり抜けた。
転がった先には別のアサシンが待ち受けていた。そいつの降り下ろす短剣を右足で受け止め、足裏に刃が食い込むのを無視して蹴りを放つ。
右足の中指から外側が切り離される。激痛を無視してアサシンの顎を蹴り砕き、その勢いのまま倒れた体勢から上体のバネだけで跳躍し槍を振るう。アサシンの一人が喉から血を噴いて倒れた。残り二人。
着地の直前、左右からまたしても投剣。両方は躱せない。右の攻撃に意識を集中させ、左は腕で受け止める。どうせ左腕はもう使い物にならない。
仰け反って短剣を避けたところにさらに追撃が来た。正面から三本の黒鍵。アサシンではなく、言峰自身の攻撃だ。それをぎりぎりで防ぎ
「――っ!」
脇腹と肩に異物感。短剣が突き刺さっている。
見れば後ろに六人目のアサシンが、短剣を投げ放った姿勢で佇んでいた。
数え間違い――ではない。初めから一人だけ気配を殺して潜み続け、今の今まで隙を伺っていたのだろう。
ダメージにランサーの動きが止まり、そこに言峰の声が響く。
「令呪をもって命ずる。アサシン、ランサーの動きを封じよ」
残った三人のアサシンが、ランサーの首に、腕に、脚に組み付く。元からのダメージに加え、令呪のブーストを得たアサシンを振りほどく力は、ランサーには残っていなかった。
「ようやくおとなしくなったな」
アサシンに組み敷かれ、短剣を突き付けられたランサーに、言峰が近付く。
「どうかね?今からでも命乞いすれば、私も気紛れを起こすかもしれんぞ?」
「……ペッ!」
ランサーは血の混じった唾を吐く事で答えた。
ランサーは今だその眼から闘志を失わせてはいない。が、既にズタボロで戦う力を残しているようにも見えない。
実際ランサーは荒く息を吐くのみで、皮肉の一つも出ない有り様だった。
言峰はそんなランサーに小さくため息を吐く。
「……最期まで愚かだったな、君は。せめて元マスターとして、私自ら止めを刺してやろう」
そう言って一歩、歩を進める。
その瞬間、ランサーの瞳が獰猛に輝いた。
言峰綺礼は、それまで決してランサーに近付くことはなかった。彼の槍の能力を知っていたからだ。
ランサーの振るう槍は、敵の心臓を確実に貫いたと言われている。
それは、彼の類い稀な技量を指し示す伝承でもあったが、同時に彼の槍自体が持つ魔力の伝説でもあった。
ランサーの槍に宿る力は『因果逆転の呪い』。原因よりも先に結果を産み出してしまう力。
彼の槍は、『敵の心臓を貫いた』という結果を最初に産み出し、それに合わせて過程が付随する。つまり、魔力の発動と同時に結果が確定してしまう為、絶対に躱すことはできない。
その呪いから逃れる術は二つ。純粋な防御力でもって刃を防ぐか、槍の届かぬ間合いを保ち続けるかだ。
ランサーの目的は、アサシンではなく言峰綺礼を倒すこと。故に、一瞬でも魔槍の間合いに踏み込めば、即座にその力を解放してくるだろうことが解っていた。そうなれば自分が殺されるしかないことも。
正直に言えばランサーには、今、言峰がわざわざ近付いて来た意図が理解出来なかった。
この男は、他者の希望を踏み砕く事に快感を覚える下衆野郎ではあるが、その為に己を危険に晒すようなタイプではなかった筈だ。
自らの手で止めを刺す。そんなことの為にわざわざサーヴァントに近付くだろうか?
もはや反撃する力など残ってないと思ったのかもしれない。理由がどうあれ、言峰は実際にランサーに近付いている。
そしてそれは、ランサーにとって好機以外の何物でもなかった。
故に、それは必然。
言峰綺礼が槍の届く範囲に踏み込んだその瞬間、ランサーは残り少ない魔力を愛槍に注ぎ込み、その名を呼ぶ。
「『
先にも述べた通りこの槍は、先に結果が出てから過程が作られる。故にどれほど強大な力でランサーを押さえ込もうと関係が無い。槍は既に心臓を貫いているのだから。
魔槍の呪いは正しく発現し、産まれた結果に従って過程が作られる。
ランサーは、令呪の力で己を押さえ込むアサシンごと槍を振り上げ、言峰綺礼の持つ心臓を貫いた。
ゲイ・ボルグは間違いなく心臓を貫いていた。
言峰の――彼が、左手に持った心臓を。
「残念。一歩、及ばなかったな」
「――なんだ、そりゃあ……?」
ランサーの口から、愕然とした声と共に紅い雫が零れる。
「見て分からんかね?心臓だよ。君のな」
呆然と固まっているランサーに、言峰が愉快そうに解説する。
「『
「ごぼぁ!?」
言峰が言葉通り、左手の心臓を握り潰す。同時にランサーが大量の血を吐き出した。
「……ぁ……はぁ……」
そのままぐったりと項垂れ動かなくなる。その瞳からは、光が失われていた。
「君の騎士道を愚弄した事は謝罪しよう。君の忠義は称賛に価する。なにしろ、令呪など無くとも主の命令に従ってくれるのだから。自刃しろという命令にすらな」
言峰は満足気に頷くと、動かなくなったランサーに背を向けた。
「君が消滅するまでまだ時間が有りそうだな。折角だ、君が助けると言ったあの二人。彼等が死ぬところでも見物していたまえ」
そう言って、倒れたままピクリとも動かぬ比企谷八幡と、彼に覆い被さったキャスターへと近付く。そしてまたしてもキャスターを踏みつけた。
ランサーには、その様子を見ている事しか出来なかった。
切り札は、一つだけ残っている。しかしそれは、言峰も承知している。その証左に、言峰はランサーに背を向けながらも警戒を解いておらず、既に死に体の彼を今だにアサシンで拘束し続けている。
今切り札を使ったところで、言峰は令呪でアサシンを盾にして難を逃れるだろう。そうなれば、今度こそ打つ手が無くなる。
しかし、現状を打破できる手札は、ランサーには残されていない。
絶望的だった。最後の手段を使うには、偶然に期待するしか無い状況なのだ。
「む……?」
不意に、言峰が声を上げた。
その瞬間、ランサーの瞳に再び失われた火が灯る。
それがどういうものだったのか、どんな意味を持っていたのかは、正直分からなかった。
単に何らかの化学反応が産んだ、ただの偶然であったのかもしれない。
そこに力の類いは一切感じられず、それが物理的な障害として機能することなど有り得ないだろう。それでも、
意識の無い筈の比企谷八幡の、
砕けた筈の左手が、
言峰綺礼の足首を掴んでいた。
その手が、一瞬だけ言峰の注意を引く。
(でかした小僧!)
それは、本来であれば何の足しにもなり得ない要素。隙とすらも呼べないような、ほんのわずかな意識の空隙。
しかし、真に英雄と呼ばれる者達にとってはそれで充分。
そも彼等は、そうしたわずかな勝機を掴み取る事で、伝説にその名を刻んできたのだから。
そしてこのランサーの真名は、赤枝の騎士クーフーリン。
眠りの呪いにより戦う力を失った故郷を護る為、コナハトの女王メイヴ率いる軍勢を、己が身一つで押し留めたケルト神話最大の勇者。
かのヘラクレスにも匹敵する武勇を誇る、正真正銘の英雄である。
彼は相棒に魔力を、否、己の命を注ぎ込み、そのもう一つの名を解放する。
「『
伝説や伝承には、隠されているわけではないが、あまり知られていない事実というものが存在する。
それらは英雄達のエピソードを語る上で重要性が低いが為に注目されないだけであって、きちんと調べればすぐに分かるようなものばかりだ。
無論、このゲイ・ボルグにもそうした事実が存在する。
たとえばこの槍が、元々は投擲用の槍だったということとか。これが何を意味するか。
即ちかの魔槍は、敵に『投げつけた』時にこそ、その真の力を発揮する。
ランサーの手から放たれた槍は、その力を十全に発揮し、今度こそ言峰の背に突き刺さる。
そしてその威力の余り言峰の上半身を引きちぎり、教会の壁へと縫い付ける。
残された下半身が、どちゃりと粘着質な音を立ててその場に倒れた。
「ざまぁ……見やがれ……!」
誰がどう見ても即死だった。おそらく言峰には、自身に何が起きたか認識する間も無かっただろう。
ランサーの知る佳しもないことだが、言峰の死に顔は、彼が自ら手にかけた師の、末期の表情によく似ていた。
言峰が死んでもアサシンはランサーから離れなかった。まだ令呪の効力が消えないらしい。
ランサーはこれ幸いと、震える指で空中にルーンを描いた。それを見たアサシンが悲鳴を上げる。
それは爆炎のルーン。身動きの取れぬアサシンと共に自爆しようという魂胆だった。
アサシンはランサーに短剣を突き立てるが、まるで堪える様子が無い。
それはそうだろう。ランサーは既に死体も同然の有り様だ。死者をいくら切り刻んだところで殺すことはできない。
アサシンの抵抗も虚しくルーンは弾け、教会もろとも彼等を炎に包み込む。
アサシン達はランサーから離れることの出来ぬまま、その身を焼かれて絶命した。
それを見届け、ランサーは目を閉じる。
約束は果たした。
これで少なくとも、キャスター達がアサシンに殺されることは無い。ここから脱出出来なければ同じ事かもしれないが、さすがにそこまでは面倒を見られない。
炎の中で思い出すのは、自分を呼んだ魔術師。
戦い以外は本当に何も出来ない、ひどく不器用な女。
戦いがあれば、敗者が生まれるのは必定。だから戦いに敗れる事を責めるのは筋違いだ。
ランサーは彼女を勝たせる事が出来なかった。
ならば、せめて彼女の選択が間違いではなかったと証明する。
ランサーはその為に戦い続けたのだ。それこそが、彼にとっての忠義だったから。
炎の中で手を伸ばす。
既に視力の失われたその眼に、何が映っているかは分からない。それでもランサーは、明確に誰かへと語りかけていた。
「どうだ……お前の選んだサーヴァントは……強かった、だろう……?」