Fate/betrayal   作:まーぼう

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 私は帰りたかったのだ。

 東へ。
 ただ東へ。
 それだけを思って歩き続けた。
 故郷が滅んだことは、風の噂で聞いていた。
 それでも私は東を目指して歩き続けた。
『後は好きにしろ』
 夫の遺した、その最後の命令に従って。

 私は帰りたかったのだ。
 家族の眠る、故郷へ。

 街を越え。山を越え。草原を越え。
 私は食べることも、休むこともなく、ただひたすらに歩き続けた。
 そして獣すら寄り付かない、陽の光の届かぬ深い森の奥で、私は倒れた。
 なんのことはない。張り出した樹の根に躓いただけだ。
 しかし私には、そこから再び立ち上がる力は残っていなかった。

 私は帰りたかったのだ。
 帰って父様と弟のお墓に、ただ一言「ごめんなさい」と謝りたかっただけなのだ。

 倒れたまま動けぬ私の頬を、温かい滴が濡らした。
 私は、『それ』が何なのか分からなかった。
 否、知っていた筈なのだ。本当は。
 あまりにも長い間その感触に縁が無かったため、思い出せなかっただけなのだ。
『それ』は、自分が一四の時にさらわれて以来、十数年の間一度も流すことの無かった物だ。
 けれどそれ以前の自分は、沢山『それ』を流していた筈なのだ。

 闇深い森の中で。
 見守る者もない静寂の中で。
『それ』が涙であると思い出す、その前に。
 私は、獣にすら看取られることの無いまま。
 その短い人生に、静かに幕を下ろした。


月下

 他の連中が寝静まった頃。俺は縁側で胡座をかき、月を見上げていた。

 下弦の半月に左手をかざし、握ったり開いたりを繰り返す。

 

 大したモンだな、魔術ってのは。

 

 つい1時間前まで、この腕は折れていた筈なのだ。

 それがすっかり元通り。もはやその陰すら見えない。

 ライダーとの戦いの後、セイバーは倒れてしまった。

 ライダーの正体は結局分からなかったらしいが、奴の宝具は幻獣・ペガサス(より厳密にはそれを操る手綱)だったそうだ。騎兵は騎兵でもペガサスナイトだったらしい。

 ファンタジー系のシミュレーションゲームだと、飛行ユニットってのは移動力が高い代わりに弱点が多くて結構狙い目の敵だったりする。が、実際に戦うと空を飛べるというのはそれだけで圧倒的に有利っぽい。

 実際セイバーは、ペガサスに乗ったライダーに対して手も足も出ず、切り札である聖剣を使わざるを得なかったようだ。

 聖剣は強力な宝具だ。バーサーカーから隠れてたせいで直に見ることはできなかったが、魔術を使えない俺が、壁越しによく分からない圧力を感じるほどには。

 遠坂の話では街の一画が消し飛ぶくらいの威力はあったらしい。それホントに剣なの?山羊座の黄金聖闘士だってもうちょい剣っぽかったよ?

 当然ながらコストもそれに見合う莫大なものであり、セイバーは魔力を消費し過ぎて消滅寸前のところまでいってしまったそうだ。

 どうにか存在を留めてはいるが問題はその後で、セイバーは令呪からの魔力供給を受けられず回復できないようなのだ。なんでも召喚時の事故の影響ではないかとのことだが、ホントに事故率高すぎだろ。聖杯ってのは結構いい加減な代物なのかもしれない。

 今はメディアが遠坂から借りた宝石を使って魔力を分け与えた為、小康状態に落ち着いている。遠坂も知らない魔術だったらしく、目を剥いていた。

 とはいえ全快にはほど遠く、根本的な対処をしなければまた同じ事が起こる。現在その方法を模索中である。

 

 雲一つ無い夜空から投げ掛けられる月光を浴びる身体に、不意に震えが走る。

 

 自分に迫るバーサーカーの巨大な刃。それを思い出した。

 前回より効果が弱まるのが早い。またかけ直してもらわなければ。

 準備が万全でなかったのもあるだろうが、きっとセイバーの剣とは違って目に見えてしまっていたのも大きいのだろう。精神的な負担が大きいと綻びるのも早くなるようだ。

 俺は聖杯戦争に参加するにあたって、戦闘が予想される場面に赴く時には、メディアに身体強化とは別にもう一つ魔術をかけさせていた。催眠暗示だ。

 それによって心を無理矢理ニュートラルな状態に固定している。この状態なら常に冷静でいられるし、痛みも無視することができる。あくまでも無視なので、結局はやせ我慢と変わらないのだが。

 お陰で恐怖に萎縮することも錯乱することもせずに済んでいるのだが、それでもやはりどこかしらに負荷が掛かっているのだろう。昨日今日と一睡もできていなかった。

 どうにか心を鎮めようとここでこうしているわけだが、そもそも恐怖を感じることができないため、効果があるのかどうかも分からない。

 そうして1時間ほど月を眺めた頃だったろうか。

 

「何をしている?」

 

 そんな声をかけられたのは。

 振り返れば、赤い外套の騎士がすぐ隣に立っていた。

 

 赤い騎士、アーチャー。

 正直俺はこの男が苦手だった。

 正体が分からないというのも勿論だが、それ以上にどこか油断がならない。

 衛宮はあの通りの性格だし、セイバーと遠坂も、厳しい事は口にしても根本的にはお人好しの部類に入る。過程がどうあれ、一度身内と認識させてしまえば向こうから裏切ることは無いだろう。

 だけどこのアーチャーだけは別だ。こいつはおそらく、行動から感情を完全に切り離せるタイプだ。俺が遠坂にとって害悪だと判断すれば容赦なく切りつけてくるだろう。

 俺はアーチャーのことを、メディアの次に警戒していた。今さらだけど身内が一番信用ならないってどういうこと。

 

「月、見てんだよ。見りゃ分かんだろ」

 

 アーチャーの問に簡潔に答える。するとアーチャーは意外そうな顔をした。どういう意味だおい。俺が月見するのがそんなに似合わんか。

 

「……似合わんな」

 

 言いやがったこの野郎。

 

「……お前ら(イケメン)は唾を吐き鼻で笑い信じられぬと叫ぶだろうが、ぼっちにも月を美しいと思う感情は……在る」

「……それもアニメか?」

「いや、漫画」

 

 美川先生、一生大ファンです。

 意外なことにこのアーチャー、稀にアニメネタに反応することがある。と言っても、ドラえもんとかサザエさんとか、いわゆる国民的と呼ばれる、超が付くレベルで有名な作品のネタにたまに、程度だが。

 アーチャーは、もしかしたら割と近代で生まれた英雄なのかもしれない。聖杯はあらゆる時代に干渉できるとのことらしいので、それこそ未来の英雄という可能性も十分有り得る。まぁ、仮にそうだった場合、どんなに考えたところで正体が分かる筈はないので仮定する意味は無いのだが。

 

「んで?あんたこそ何の用だ?」

 

 前述の通り、アーチャーは油断がならない。それは逆に、味方として警戒に当たらせた場合、非常に信が置けるということでもある。

 だからきっと、今この瞬間に襲撃があるようなことは無いのだろう。それでもアーチャーがわざわざ見張りの任を放棄してここに居るからには、俺に何かの用事があるからだと考えるべきだ。

 

「礼を言っておこうと思ってな」

「礼?」

 

 こいつに感謝されるような事、なんかあったか?

 

「ライダーのマスターを助けたらしいな」

「……まぁ、結果的に。それでなんであんたに礼を言われなきゃならん?」

「あんな男ではあっても私のマスターにとっては級友だからな。殺されたとあっては動揺しないわけにはいかんだろう」

「……遠坂がそんなもんで平静を崩すタマとは思えんのだが」

「あれでも年頃の多感な少女だ。何も思わんというわけにはいかんさ。例え押し殺すのがどんなに上手かったとしてもな」

 

 ……言われてみればそれもそうか。なんか身近に年齢不相応なキャラが多すぎて色々麻痺してるのかもしれん。

 

「あぁ、まあ、分かった。助けちまったのはただの成り行きだから借りとかは考えなくていい」

 

 借りとかちょいと自意識過剰かとも思ったが、そう答えて月見に戻る。が、アーチャーは見張りに戻らずその場に居残った。仕方なく声をかける。

 

「……何だよ。まだなんかあんの?」

「……何故、ライダーのマスターを助けた?」

「あ?」

 

 いきなり何言ってんだこいつ?

 

「黙って隠れていればバーサーカーはやり過ごせた筈だ。何故わざわざ己を危険に晒すような真似をした?」

「……さっき言ったろ。ただの成り行きだ」

「脱出のために使った人形。あれは我々と戦った時に言っていた保険だな?あれは一見地味だがおそろしくハイレベルな魔術が使用されている。いくらキャスターでもそう幾つも用意できる物ではない筈だ。そんな切り札を消費してまで助ける意味がどこにあった?」

「だから成り行きだって言ってんだろが。目の前で誰かが死にそうになってて、自分ならなんとかできる。なら助けるだろ、常識的に」

「しかし対象は己の都合のために多くの無関係な人間を巻き込もうとした男だ。助けてしまえばまた同じ事をしでかすかもしれん。もしそうなれば、一人の命を救った代償に多くの命が失われる事になる。ならば君のした事は間違いになるのではないか?」

 

 めんどくせえ奴だなオイ。英雄ってみんなそんなこと考えながら戦ってんの?

 

「咄嗟に動くって時に、んなこと一々考えるかよ。大体間違いの何が悪い」

 

 その言葉にアーチャーは虚を突かれたような顔をする。

 

「……間違っても、良いのか?」

「別に構わんだろ。人にできるのは精々、その時その時で正しいと思う選択を採り続ける程度で、それが本当に正しいかどうかなんて後にならなきゃ分からないんだから」

 

 アーチャーは俺の言葉に思案するような顔を見せて、再び口を開く。

 

「しかしそれで失敗したなら後悔するのではないか?」

「後悔しない生き方なんかできるかよ。そもそも後悔ってのはどういう時に生まれるもんだと思う?」

「致命的な失敗を犯した時だろう」

 

 即答するアーチャー。ま、普通そう思うよな。しかし俺はそれを否定した。

 

「違う。何かを選択した時だ。何故なら後悔ってのは、選ばれなかった可能性に対する未練だからだ」

「フム……?」

「なら何かを選んだ時点で後悔ってのは生まれるもんだろ。成功失敗が影響するのはその後悔の大きさだ。後悔せずに生きられる奴なんてのは、自分の選択に何の疑問も抱かないクズか、でなけりゃ自分では何一つ選ばないゴミかのどっちかだ」

「……なるほど。一理あるな」

 

 アーチャーは一つ頷くとまた口を開いた。

 

 

「ならば君は、今の状況にどの程度後悔しているのだね?」

 

 

「……悪いが何の話か分からない」

「その最後の令呪を何故使わなかったのかと聞いている」

 

 ドクン、と心臓が脈打つ。

 

「……使わなきゃならん局面なんか無かったろ」

「とぼけるな。最後の令呪を使えば貴様の目的とっくに果たせていた筈だ。思い着かなかったとは言わさん」

 

 あー、なーる。そういうことね。それで俺を不信に思ったと。

 そして同時に思い知る。やっぱ俺が思い着く程度のことなら他の誰かも思い着くんだな。

 

「だがその道も、今回のことで断たれた。目的とやらが本当に昨日語った通りならば、今日の行動は有り得ない筈だ。答えろ、一体何を企んでいる」

 

 さて、どうしたもんか。

 正直アーチャーの懸念はまったくの的外れなんだが、こいつを納得させられる言葉を俺は持っていない。

 俺は考え考え言葉を紡ぐ。

 

「……例えばだ、ある街で凶悪な伝染病が流行ったとする。勿論死ぬやつな?」

「……突然なんだ?誤魔化すつもりか?」

「まぁ聞け。そんな中で、ある一人の女の心臓を薬として使えば街の全員が助けられるとしたら、あんたはどうする?」

「その女を殺して心臓をえぐり出す」

「……まさか即答されるとは思わなかったぞ」

「街の全住人と女一人の命を秤にかけるわけにはいかん。迷う余地などあるまい」

「いやまあその通りなんだけどよ。もちっとこう……まぁいいか。とにかく女を殺すのが正解だ。それは間違いない。だけどそれは、別にその女を殺したいわけじゃねえんだろ?」

「……そうだな。あくまで二つの選択肢を比べて犠牲の少ない側を選んだだけだからな」

「だろ?その女だって、助けられるなら助けるよな?」

「その通りだが……その質問は貴様の行動と何か関係があるのか?」

「……すまん。よく考えたらあんま関係なかったかもしれん」

 

 アーチャーはため息を吐いて緊張を解いた。

 

「……つまり、貴様自身もよく分かってないということだな?」

「悪い……」

「もういい。少なくとも、我々に下らん悪意で近付いたわけではないことは分かった」

 

 え?あんなんで?

 アーチャーは、話は済んだとばかりに背を向けた。

 

「一応忠告だけさせてもらおうか。君のその感情はまがい物だ」

 

 そして振り返りざまにそんな言葉を投げ掛けてきた。

 

「それは傍目には優しさに見えるかもしれん。だが『それ』の本質は、もっと醜悪な感情に根付くものだ。何より相手はサーヴァント。聖杯の産み出した泡沫の夢。いくら人の如く振る舞ったところで、それは結局偽物にすぎん」

「……」

 

 アーチャーの言うことは解る。俺の感情が間違ったものだということも。相手が人間ではないことも。だけど。

 

「……本物と、本物と遜色のない偽物。より価値があるのはどっちだと思う?」

 

 俺は、立ち去ろうとするアーチャーに、そんな質問をぶつけていた。

 アーチャーは首だけで振り返り、怪訝な顔をしながらも律儀に答える。

 

「無論、本物だろう」

「普通そう思うよな。だけど、偽物でしかない物が、本物に負けないようにと努力を重ねて本物に並び立ったのならば、それはきっと本物よりも価値がある筈だ。ソースは貝木泥舟」

「貝木……誰だ?」

「ラノベのキャラ」

 

 よほど意外だったのだろうか。それを聞いたアーチャーは目を見開いて硬直し、次いでうつむき細かく震え出す。そして次の瞬間には笑い出していた。

 

「ハ、ハハハハハッ!このタイミングでラノベときたか!ブレないな、君は!」

 

 うむ。受けるってのは気分が良いものだ。

 

「クク、ク。物の真贋に拘る方ではないが、まさか偽物の方が価値があるなどと言われる日が来るとは思わなかったぞ」

「ラノベも案外捨てたもんじゃねえだろ?」

「ああ、本当にな。今度機会があれば読んでみよう。何かお奨めはあるか?」

「人の好みはそれぞれだから一概にどれが良いとは言えないんだが……とりあえず貝木は化物語ってシリーズのキャラだ」

「覚えておこう。偽物の方が価値がある、か。予想外というやつだな。有意義な会話だったよ。ほんの少しだけだが、過去の自分を赦せる気になった」

 

 過去の自分を、か。当たり前だが英雄ってのは色々背負っているものらしい。

 アーチャーは今度こそ背を向ける。お開きのようだ。

 

「礼と言ってはなんだが、一度だけ、マスターの指示よりも君の安全を優先すると約束しよう。だからそう怯えずに、少しは安心して休みたまえ」

 

 最後にそう言い残して姿を消す。

 眠れていないのも見透かされていたらしい。

 

 

 

 アーチャーが立ち去った後も、俺は月を眺めていた。

 俺の目的。それは俺自身の安全。

 聖杯戦争の中でそれを確保するためには、リタイアしてしまうのが一番いい。

 しかし普通に戦って負ければ殺される公算が高いし、用心深いマスターは脱落したマスターでも的にかける可能性がある。安全にリタイアするためには、いくつかの条件があるのだ。

 実を言えば、その条件を全て満たして聖杯戦争を降りることは、可能だった。令呪を得た翌日にはその方法を思い着いていた。それを実行しなかった理由は――――

 

 メディアを召喚して以来、毎晩のように見る奇妙な夢。ここ二日間は眠れていないが、寝ればきっとまた見るのだろう。

 それは魔女と呼ばれた、ある一人の女の記憶。

 まだ若い、いっそ幼いとすら言える時分に人生を破壊され、何一つ報われる事の無いままに命を落とした王女の物語。

 分かってる。これは憐れみだ。安い同情だ。そしてそれらは、決して優しさなどではない。それは分かっている。

 憐れみや同情は、一見優しさに見えるが、実は相手を決定的に見下す傲慢な感情だ。それを知る者にとって、その感情を向けられることがどれほどの屈辱か。俺はそれを、身をもって知っている。メディアもきっと、知っているだろう。

 だからこれは、絶対に口に出してはいけない。出してしまえば、ギリギリのラインでもっている今の関係すら保てなくなるだろう。それでも。

 

「……仕方ねえだろ。あんなもん見せられたら」

 

 迷いを多分に孕んだ呟き。

 その呟きを聞いた者は、蒼白い光を放つ月のみ。

 当たり前ではあるが、月は何も答えてはくれなかった。


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