走り込んだ勢いのままに、昇降口の扉を蹴り着ける。ささやかな抵抗があって鍵が弾け、内側に向かって開け放たれた。その僅かな時間にシロウとリンも距離を詰める。
間を置かずに踏み込む。と、
(…………!?)
目眩にも似た強烈な違和感。これは……!
「二人とも、外へ!」
私を追って突入する二人を制止しようとするが、既に遅かった。
二人が中に入ると同時に扉が勝手に閉まる。
シロウが咄嗟にとりすがって揺する。が、
「っ、開かない!」
私は剣を扉に叩き付ける。しかし、ただのガラスである筈のそれにはヒビ一つ入らなかった。
「二人とも、どいて!」
私とシロウが飛び退くと同時、リンが扉に向かって紅い石を二つ投げ付けた。
宝石魔術。
彼女の得意とする魔術で、あらかじめ宝石に魔力を貯めておくことで、術者が保有する以上の魔力を扱うことの出来る魔術だ。
貯め込んだ魔力を解放する際に属性を付与する事で、冷気や風、果ては治癒などの様々な効果を産む事が出来、さらに使用する宝石の質や種類によっても性質や相性が変化するという、何かと応用範囲の広い魔術である。
今回リンが付与した属性は、スタンダードに炎。魔力を用いた爆弾である。
ドンッ!
腹の底を揺るがすような轟音。しかし……
「やっぱダメか……!」
リンが舌打ちしながら吐き出した言葉の通り、扉にはキズ一つ入っていなかった。
我々は脱出を諦めて奥に目を向ける。
「なあ、遠坂、これって……」
「……不意を突いたつもりが誘い込まれてたってわけね。やられたわ。にしても、まさか校舎がまるごと工房化してるなんて……」
リンの言う通り、校舎内は見た目には変化は無いものの、半ば異界化していた。
指揮官役のリンに指示を仰ぐ。
「どうしますか?」
「……迂闊に動けないわね、これじゃ衛宮君のセンサーも役に立たない」
シロウは『世界』の異常に敏感だ。その感性によって魔術的な罠を見抜く事を得意としている。
しかしこの校舎には異常『しか』ない。隠された異常を探し出すシロウの能力では、異常の種類を分析する事は出来ないのだ。
私は、サーヴァントらしき人物が学校に通っていると聞いて、『何故』よりも『どうやって』という疑問を強く感じていた。
学校に魔術師が居れば、簡単に見付かってしまうだろう。だからそれを炙り出す必要がある。
しかし隠れた魔術師を探し出すのは容易ではない。一体どうやったのか?
その疑問が、今解けた。並の魔術師がこんなところで生活していては気が触れる。
僅かに思案した後、リンが口を開く。
「アーチャーを待ちましょう。外からならこじ開けられるかも知れない」
理性的な判断だ。分断された事が良い方向に働いた……ように見える。
しかし、この敵がそれを許す程甘い相手だろうか?
ジリリリリリリッ!
「!?」
突如けたたましいベル音が鳴り響く。
火災報知器の警報だ。先程の爆発に反応したのだろうか。いや待て、火災報知器だと?この異界化した校舎でか?
バシュウ!
その疑問に答えるかのように、天井に据え付けられたスプリンクラーから白煙が吹き出し視界を遮る。
「ゲホッ!ゲホッ!ちょっ……何コレ!?」
「ゴホッ、催涙……ガス!?」
否、視界だけで済んでいるのは私だけだった。
私と違い生身の人間である二人は、煙を吸い込み涙を流して激しく咳き込んでいる。
その時、私の耳が警報の騒音に紛れるような小さな足音を捉えた。
昇降口から奥に踏み込む。
正面に階段があり、左右に廊下が伸びている。その右側の廊下に、黒ずくめの男がいた。
黒ずくめとは言っても暗殺者のような特殊な装束を纏っているわけではなく、黒いジーンズに黒いジャケットという、この時代において珍しくもない姿だ。ただ一点を除けばだが。
男は黒い面を着けていた。
顔全体を覆う、どこか虫を連想させるような奇怪なデザインで、口の部分には小さな孔が無数に開いている。
この面は何なのか?
キャスターは女ではなかったのか?
マスターだというなら何故姿を晒したのか?
いくつもの疑問が脳裏をよぎり――その全てを無視する。まずは眼前の敵を打ち伏せる!
男に向かって踏み込み、胴を薙ぎ斬る。が、
(速い!)
男は私の攻撃を、後ろに跳んで躱していた。
僅かに浅かったとは言え、人間に反応出来る速度ではなかった筈だ。さらに一度の、それも後方への跳躍で数メートル以上も移動している。
明らかに人間離れしている。にも関わらず、動きそのものは素人のそれだ。
おそらくは魔術による身体強化。それもサーヴァントに肉薄するレベルのものとなると、やはりキャスター以外は考えられない。とは言え……
(結局は生身の人間!)
信じ難い程に強化されてはいるが、サーヴァントを上回る程ではない。
元が武術の達人であれば、或いは私を打倒し得る程の戦闘力を発揮したかもしれないが、素人ではそれも望むべくもないだろう。
以上の思索を男が着地する前に済ませ、追撃の為に前方に、男の着地点を狙って跳躍するように踏み込む。これなら、少なくとも自動的に発動するタイプの罠は回避出来る筈だ。
一度の踏み込みでは追い付けない。なのでもう一度の踏み込みに合わせて重心を移動する。
男は予想通り、着地と同時に再び後ろに跳ぶ。
私はそれを追って床を蹴り――
どぷんっ
そのまま沈んだ。
「くっ!?」
状況を理解出来ないまま、咄嗟に剣を壁に突き立てる。それにぶら下がって周囲を確認する。
廊下にいきなり穴が開き、その下に溜まった泥水に胸元まで浸かっている状態だ。しかも足が着かない。
(屋内に……底なし沼だと!?)
ともかく上がろうと床に手を伸ばす。しかし、
「なっ!?」
リノリウムの床が、触れた途端に溶けるようにして消えてしまった。
もう一度試しても同じ。注意深く見てみると、消失の際に魔力の輝きが見えた。
(これは……!)
魔力で編まれた足場を廊下に擬態させてある。それが私のレジストによって消滅しているのだ。つまり、
(魔術的な防御を施した者『だけ』に有効な罠だと……!)
どこの誰だ、こんな罠を考えたのは!
一体どんなねじまがった性格をしていればこんな仕掛けを思い付く!
腕力だけで跳躍する事も可能だが、下手をすればこの廊下全体が同じ状態かもしれない。おかしな位置に落ちれば今度こそ抜け出せなくなる可能性もある。
幸い壁には細工は無いらしい。ならば壁を蹴って移動すれば……!
そう考えて身体を引き上げようとしたが、
(!? 魔力解放が働かない!?)
私は華奢な見た目に反し、破城の鉄槌と呼ばれる程の剛力を誇る英霊だ。
しかしそれは純粋な筋力ではなく、生まれ持った膨大な魔力を、ロケットのように噴射する事で身体能力に上乗せしているのだ。私が宮廷魔術師マーリンに師事していたのは魔力の制御法を学ぶ為でもある。
それが今、どういうわけか完全に封じられていた。いや、そもそも私は湖の精霊の加護により水に沈まない筈だ。それすらも働いていない。
混乱する私の視界に、あるものが映り込んだ。
私の握る剣に、跳ねた泥が付着していた。そしてそこから結界がほどけ、刀身が見えている。
「これは、
マーリンの教えによれば、魔術において、混沌は始まりと可能性を。秩序は完成と終末を意味するらしい。
混沌とは可能性そのもの。故にそれだけでは意味を成さず、方向を与えてやる事であらゆるものに変化する。それが魔術なのだそうだ。
対して秩序とは既に出来上がっているものであり、その状態で完結しているものである。故にそれ以上は変化せず、その先は存在しない。
秩序とは、魔術そのものにとっての天敵なのだ。
秩序の泥とは、五大属性の魔力を不活性状態で練り込んだ泥で、その名の通り秩序の性質を持っている。
これに触れている限りあらゆる魔術は意味を成さない。魔力解放や精霊の加護が働かないのはその為だろう。いや、長時間浸かっていれば、魔力で編まれたこの身体をも分解されてしまうかもしれない。
こうなっては魔力を使わずに脱出する他無い。が、
(力が、入らない……!?)
身体の末端から、徐々に感覚が消えていく。これは……
(毒、だと……!?サーヴァントの私に……!?)
焦る中見上げた視界に、例の男が映り込む。
男は観察するように私に視線を向けていた。いや、実際に観察しているのだろう。
止めを刺しにくるつもりだろうか。それならば返って好都合だ。間合いに入ってくれさえすれば、相討ちに持ち込む事が出来る。
しかし男はそれを見透かしたかのように飛び上がり、壁を蹴って私の間合いを避け、対岸、私の背後に着地した。
ここまで有利な状況であっても私と戦うつもりは無いらしい。そのままシロウ達の方へ走り出す。
どうにか止める方法を考えるが……
(何も出来ない、詰んだ!)
「そちらに向かいました!応戦を!」
二人の剣となるべき私が、ただ声をかける事しか出来ないとは……!
二人はこちらの騒音を聞き付けてか、ガスから逃げるようにしてヨロヨロと歩み出てきたところだった。
男は走りながら右腕を振り、袖口から取り出した警棒を伸ばす。
リンはそれを見て、咳き込みながらも宝石を構えるが、男に腕を打たれてあっさりと叩き落とされる。
男はリンの首元に警棒を叩き付け、と言うより押し付けた。
バチンッ!
そんな音を立てて、リンが悲鳴すら上げられずに崩れ落ちる。なんだ今のは!?
「遠阪!?くそ!」
シロウが身構える。その為か、男は警棒を振り上げ、シロウに今度こそ叩き付けた。
シロウは交差させた腕でそれを受け止めた。
ガキン!と金属のような、布や肉では有り得ない音が響く。
シロウの『強化』だ。
物体に魔力を通す事でその強度を引き上げる、シロウの得意とする、と言うより唯一扱える魔術。
『強化』された衣服の防御力は、頑強なフルプレートを上回る。警棒の打撃程度はものともしない。その筈だった。
バチンッ!
その音と共に、やはりシロウが崩れ落ちる。
「シロウ!」
私の声にピクリと反応するも、動くことは出来ないようだ。
男の持つ警棒から、バチバチと音を立てて青白い火花が散る。
あれは……ただの警棒ではなく、電撃系の宝具なのか?
男は自分の懐をゴソゴソとまさぐると、鎖で繋がれた金属の輪――手錠を取り出した。それで足下のシロウを拘束する。
「ぐ……くそ!」
シロウがうめくが、男は意にも介さない。
同じようにリンの手足にも手錠をはめ込むと、男は懐から、また別の何かを取り出した。
それは、半分に切られた――じゃがいも。
「……は?」
呆気にとられている間に、男は芋をリンの額に押し当てた。
その跡を見て満足気に頷きながら、男は初めて声を上げた。
『おー、効いた効いた』
なんとも緊張感の無い声。
男はシロウに歩み寄ると、同じように芋を押し付ける。
『はい、しゅーりょーっと』
リンの時は角度の問題で何があったのか見えなかったが、今度ははっきりと見えた。
シロウの額に赤く、何か複雑な文字のような跡が残る。それがスゥっと、染み込むようにして消えていった。
(呪血刻印……!)
強力な呪いの一種で、自分の血で相手の身体に刻印を刻む事で、強制的に何らかの契約を結ばせる事が出来る。
問題なのは契約の内容で、どれ程理不尽で一方的な内容であっても関係無く成立してしまうのだ。それをまさかイモ判で……!
『あー、やっと外せる。ガスマスクって案外息苦しいのな?』
男はぼやくようにそう言って、例の面を外した。
「さって、フリートークタイムといきますか?」
校舎に踏み込んでからこのセリフまで、僅か五分足らず。
たったそれだけの時間で。
我々は、この目の腐った男一人に敗北した。