もし織斑一夏がアリー・アル・サーシェスみたいな奴だったら 作:ナスの森
まあ、今回の話とまったく関係ありませんが。
「ふうん、ここがそうなんだ……」
時刻が既に卯の刻を過ぎた夜、小柄な体に不釣合いなボストンバッグを持った少女――
「えーと、受付ってどこにあるんだっけ……」
上着のポケットから学園の案内地図を取り出し、そこを凝視しながら目的地を探す。……が、あまりにも詳細に書きすぎているあまりに鈴音――鈴は思わず紙をくしゃくしゃにして叫んだ。
「ああもう~!! 複雑すぎて分かんないわよ~!! もっと大雑把に書きなさいっての!! そもそも異国にこんな十五歳の少女を一人放り込むって時点で有り得ないわよ、仮にも代表候補生なんだから案内人の一人や二人くらい寄越してくれたっていいじゃない!!」
一見、少女が言っている事は傲慢な言葉に聞こえるかもしれないが、あながち間違いでもなかった。彼女は世界に467機しかないISの、その代表候補生。曲がりなりにも国の重要人物なので、護衛や案内人の類の人間が一人くらいいなくてはおかしいのだ。なので少女の怒りは至極真っ当な物であった。
「はぁ~、まあ、こんな事言ったって仕方ないか……。誰かいないかな、教師とか、生徒とか、案内できそうな人」
出来ればこの学園に入ったばかりの一年生などではなく、この学園にある程度通い続け、かつ自分と年が近い二年生や三年生の先輩に案内して貰えないだろうか、という希望を抱きながら少女はあたりをキョロキョロと見回す。
……が、それに該当する人物は愚か、人一人の影さえ見当たらなかった。
(……まあ、そうでしょうね……)
落胆するように肩を落として鈴はハァ~、とため息を吐く。
そもそもこんな時間に学園の外を歩く生徒や教師などいないであろうし、いるとすれば学園を巡回する警備員くらいのものではなかろうか。
一応、訓練施設らしき所から声が聞こえたりはするので、クラスによってはまだ授業があるのか、もしくは自主訓練用に開放されているかのどちらかであろう。
できれば後者が望ましいと思いながら、鈴はその訓練施設に足を運ぶ。
そこには、訓練機――日本製のIS・打鉄を纏い、日本刀状の近接ブレードで素振りをしている少女がいた。
歳は鈴音と同じ位、おそらく鈴音と同じIS学園の一年生生徒だろう。
そして、何より鈴音の目に止まったのが……。
(お、おっきい……)
自虐のつもりではないが、胸部が貧相である鈴音の身からしてみればそれはもう呪い殺したくなるくらいに嫉妬していまいそうな巨乳の持ち主だったのだ。
……とはいえ、あれだけ大きければ戦闘中にむしろ邪魔しているであろうからIS乗りという観点からしてみれば自分の方が得をしていると、無理やりそんな負け惜しみを自分に言い聞かせながら、ISを纏ったまま素振りをする少女の方へ歩み寄る。
「む?」
さすがに途中で止めるのは失礼なので、彼女の素振りが終わるまでしばらく待っていようと思っていたのだが、そんな鈴音の思いに反し、相手は此方に気付いてISの武装を解いて此方に向き直った。
「失礼ながら、私に何か用か?」
大和撫子を思わせるような見た目とは裏腹に、男らしく凛々しい口調で問いかけるそのギャップに鈴音は内心で少し面食らいつつも、彼女の問いに答えた。
「ええっと……鍛錬中失礼するわ。その、ちょっと聞きたい事があるんだけど……」
◇
「へぇ、それじゃあ箒は、あの篠ノ之博士の妹って訳なのね」
「ああ。だが済まないが、あまり姉さんの事は……」
「分かってるわよ。お姉さんの話をしている時の箒の顔、とても見れたもんじゃないしね」
そう言いながら鈴音はラーメンを啜る。
鈴音がIS学園に来てから翌日の事、訓練施設で出会ったこの篠ノ之箒という同級生に出会い、彼女に本校舎一階総合事務受付所に案内してもらい、無事入学手続きを済ませる事ができた鈴音は成り行きのまま食堂で食事を共にすることにした。
この篠ノ之箒という少女は他人と積極的に関わろうとするような性格ではないものの、実は箒と鈴音は昔同じ小学校に通っていて、箒がとある事情で引っ越した後それと入れ替わるように鈴音が転校してきたのだと知るや否や、その話絡みでなんだかんで意気投合した二人なのであった。
「それにしても、この時期に転校などおかしいとは思ったが、まさか代表候補生、それも専用機持ちだったとはな。ウチのクラスといい、世界とは存外狭いものだな……」
「そういえば箒のクラスって専用機持ちが二人もいるのよね。一人は忘れたけど、もう一人は色々噂になっているそうじゃない」
「まあ、な。何せ世界初の男性操縦者だ。希少価値で言えばそこいらの代表候補生よりずっと高いだろう。……果たしてそれが、本人にとっていいのか悪いのかはともかくとしてな」
「……箒?」
「いや、何でもない。気にしないでくれ」
一瞬、箒の表情が暗くなった事に鈴音が訝しげに聞くも、箒は何でもないとはぐらかした。思い出すのは……政府の重要人物保護プログラムを受けていた頃の日々。更にその保護プログラムを受ける原因となった姉が失踪した事により執拗な監視と聴取を受け、結果として箒は半ば人間不信に陥っていた。ろくに自由を許されず、ただ安全、命の絶対保証という名の檻に拘束されていた頃の自分、その虚ろな日々を思い出してしまった箒は無意識にその暗い思いを表に出してしまっていた。
箒は無意識の内に自分と同じクラスの男性操縦者に自分を重ね合わせていた。無論、あっというまに周りに順応していった彼を見て、その思いは彼方へ吹き飛んでいったが。
(羨ましいものだよ、まったく……)
次に彼に抱いたのは、同情ではなく羨望だった。彼とて初の男性操縦者、表面上は平気そうに振舞ってはいるものの、内心は各国の政府からの期待と圧力を寄せられていることくらいは想像が付く。
初めてISを起動させてしまってからこの学園に入学するまでどんな事を上層部からさせられていたのかは分からないが、おそらく自分以上の事をされている事は間違いないと箒は思っていた。
……なのに、未だ周りと打ち解ける事ができない自分と違い、彼はあっという間に周りの異性たちと打ち解けていたのだ。その紳士的な態度からクラスの女子たちからの人気は高く、当初は彼を敬遠していた女子生徒たちも彼と何気ない会話をする程度には心を許すようになっていた。
(私と大違いだよ、まったく……)
かくいう箒自身も、積極的に彼と関わろうとはしなかったものの、それでも何気ない会話くらいは交わした事がある。確かにアレは簡単に心を許せてしまいそうになるものだった。その紳士的な態度は、距離が近すぎる訳でもなく、遠すぎる訳でもない。他人と会話をしやすい距離感を作り出す事が、彼は得意なのだった。
これが女尊男卑の世の中でもやってこれた男性の強かさなのかと、箒は感心していた。
「そういえば、箒はさ。何であんな時間に訓練機使ってたの?」
「? ここはIS学園だ。ISを使って訓練する事に何もおかしくなどない。まあ、思いの外早く使用許可が下りた事には驚いたが」
「ああ、ごめん。言い方が悪かったわね。何で打鉄で素振りなんかしていたの? それなんかするよりは、空を飛んでみたりとか、機体の制御のしかたとか、そっちの方を先に訓練してみた方がよくない? 打鉄って分類上は近接両用型ってなってるけど、それは標準装備であればの話よ? 実際はその安定性の高さから多くの武装との相性の良さ、それによる
「……少し、な」
再び目を逸らしては考える箒。
実際の所、箒にもはっきりとした理由は分からなかった。
いつから自分はISに乗って素振りをしたいと思うようになっていたのか……きっかけは間違いなく入学したばかりの頃に見たクラス代表決定戦の試合を観戦してからなのだろうと、箒は今になって思った。
それ以外のきっかけが思いつかなかった。
ならその試合の中の何を見て自分は素振りを、それもISに乗ってしてみたいと考えたのか、箒は必死に思い出してみる。
(そうだ、確か……その試合に出ていた男性操縦者……)
イギリスの代表候補生からいちゃもんを付けられ、彼女と決闘を行ったあの男性操縦者を思い出す。
(アイン・ゾマイール……奴の太刀筋がどことなく、
幼い頃、共に道場で剣で励んでいた幼馴染を思い出す箒。小学四年生の頃に天才すぎた姉が原因で引き離され、再会する事がないまま箒を置いて行方不明になってしまった男の子。
それを今更ながらに思い出した箒は、内心でそんな己を嘲笑った。
(何を馬鹿な。耄碌しちゃったかな……何の関係もない赤の他人の太刀筋に想い人のソレを重ねてしまうなんて……未練がましいにも程がある)
つまる所、箒が打鉄で素振りを始めた理由は単に、“一瞬の気の迷い”だったのだ。剣道こそが、今の箒に残されていた想い人との唯一の繋がりだったのだ。そしてあの時のクラス代表決定戦で見せたアイン・ゾマイールという男子生徒が見せた太刀筋が、想い人の太刀筋と重なってしまい、衝動的に
(一夏……)
ISで素振りをしたくなった理由が分かった箒は、それと同時に己の中にある彼への想いをより一層自覚し、彼の名前を心の中で囁く。
(会いたいよぉ、一夏ぁ……)
縋るように、依存するように想い人の名を心の中でも囁くも、それに反応を返してくれる存在はいない。
あの時と同じ、政府からの保護プログラムから一時的に逃れようとしてIS学園に入ったものの、箒の心は変わらず暗闇の中に閉じ込められていた。
「なあ、鈴……」
「何?」
「もしお前に大切な人がいて、ソイツと別れた後、ソイツが行方不明になって二度と会えなくなったとしたら、どうする?」
「ど、どうしたのよいきなり……」
急に深刻な、というよりはドラマチックな話を振られ、少し戸惑いの表情を見せる鈴であったが、即座に目を天井に向けて考え始める。
「そうねえ、相手にも依るわね。私にはまだそういう相手がいないから分からないけれど、お父さんに二度と会えなくなったらちょっと嫌かしら……。ただでさえこのご時世で会い辛いのに、もしそうなったら余計にね」
「お母さんの方は――――」
「どうでもいいわ、あんな女」
箒から母親の事について聞かれた途端、鈴は箒がそれを言い終わる前に即答した。鈴にとっては最早顔も見たくない相手である。
「それよりも、何でそんな事聞いたのよ。さっきから様子がおかしいわよ、貴女」
訝し気に鈴は箒に問う。
結局、何故ISで素振りをしていたのかという自分の質問をはぐらかしたままで、この箒という少女が他人と距離を置きがちである事は薄々と勘づいてはいたが、それにしてもやけによそよそしかった。
……いや、よそよそしいというよりは、まるで遠くにいる誰かを想っているような、そんな目だった。
「実はな鈴。私には一人、幼馴染がいたんだ」
「“いた”って?」
「今はもう、何処にいるか分からないんだ。何処で、何をしてるかも……。お前と入れ替わりで引っ越した際、ソイツと別れて、そして暫く経ってからソイツが行方不明になったと知って、それでな……」
ドクン、と鈴の胸の内が鼓動を鳴らした。
「……その子って、男の子?」
「ああ、行方不明になる直前に、周りの女子たちから虐められていたみたいでな。それで……ッ!?」
突如、ガタンと立った音に箒は驚愕のあまり言葉を中断してしまった。
恐る恐る、その音がした方に顔を上げてみると、そこにはテーブルに手を付けたまま席から立ち上がった鈴の姿があった。
ラーメン鉢の中にはまだ麺とスープが残ったままであり、どう見ても御馳走様といえる状態ではない。先ほどまで美味しそうに麺を啜っていた鈴を見ていた箒からしてみれば何事か理解できなかった。
「……ごめん。先にここを出ているね」
「あ、ああ」
顔を俯かせたままそう言う鈴に対し、箒は半ば無意識にそう返す。
鈴は麺が残ったラーメン鉢をお盆に乗せたまま食器返却所まで運び、食堂の出口へ向かっていった。
箒はその背中はただ見ることしかできなかった。
「………………ごめんなさい……………」
食堂を出て行く際に鈴が呟いた言葉は、箒には聞こえなかった。
◇
見てる事しかできなかった。
虐めを受ける辛さは理解していた筈なのに、自分以上に虐めを受けていた男子を助ける事なく、虐めていた女子たちを止める事もしなかった。
その時の自分は、臆病だったから
◇
「ハァ~、あたしったら何やってるんだろ」
箒から逃げるように食堂から立ち去り、鈴は校舎の壁に手を付いてそっと溜息を付いた。箒が言っていた幼馴染……自分の予想が正しければ、間違いなく“例のあの子”だったからだ。
しかも箒の口ぶりから察するに、箒が会いたいと思っている幼馴染というのは明らかにその子であると分かって鈴はいても立ってもいられなかった。
「これだから嫌なのよ。女尊男卑っていうのは……」
別段、鈴は世を女尊男卑の風潮に変えたISを嫌っている訳ではない。むしろ浪漫があって好感すら持っている。
問題はそれを自分達にしか使えない力だと勘違いして図に乗る人間の心というものだ。初めてISに乗った頃、鈴でさえそんな彼らの気持ちを理解してしまえそうになってしまった。
だが鈴は知っていた、女尊男卑の世であるが故に、その悪意を一身に受けていた男の子を。
そして鈴は思い知った、彼女の母親が女尊男卑の世に流され、結果として自分と父親が別れる事になってしまった事を。
女尊男卑の闇を一度垣間見え、そして己自身もその闇を体験した。
だから、鈴はあの時虐めを止めてやれなかった事を余計に悔いていた。
「今更後悔しても仕方ない、か……」
もう一度溜息を吐き、鈴は壁に付けていた手を離した。
(……そういえば、元気かなぁ……千冬
日本にいた頃、とある縁で知り合った一人の女性を思い出す。
彼女と知り合うきっかけとなったのは、鈴がまだ日本の小学校に転校してから一年、新学期に入って自分と同じように転校してきたとある男の子だった。
既に女尊男卑の世に染まりつつあり、居心地の悪さを感じていた男子生徒達は、その憂さ晴らしとして、中国人だからという取って付けたような理由で鈴を虐めていたのだ。結局の所、自分の周りにいた男の子も周りで女尊男卑を歌っていた女子たちと何ら大差はないのだと思い知った鈴は、小学四年生の一年間を、苦痛な思いで過ごしてきた。
……しかし、そんな思いすらどうでもよくなってしまう程に、その新しく転校してきた男子は女子たちからはるかに陰湿な虐めを受けていた。
その男子はかのブリュンヒルデの名で有名な織斑千冬の弟であり、その尊敬すべき織斑千冬の名を穢す男の子という理由で、自分が受けたソレよりも遥か上をゆく陰湿な虐めを受けていたのだ。
助けようと思った。
けど、今と違って当時は気が弱かった鈴は、中々己が思った通りに行動ができず、ただそれを傍観する事しかできなかった。
いや、“気が弱かった”というのは今にしてみればただの言い訳にすぎないだろう。
幼いながらに小学生の虐めの陰湿さを既に味わっていた鈴は、その男の子を助ける事でその矛先が自分にいってしまうのを恐れてしまった。
故に、そこに入り込む事ができなかった。
入り込む事ができぬまま、その男の子はそのまま行方不明になった。
その男の子を助ける事が出来なかった事が、よほど罪悪感を感じてしまったのかは今でも分からなかった。
いや、感じてはいたのだろう。
しかし、結局の所同情するだけで助ける事をせず、後になってただ罪悪感を抱くだけの自分が嫌になったのは覚えている。
家を訪れたのがその延長でしかと分かってはいたものの、それでも鈴は訪れた。
……ついこの間まで男の子――織斑一夏が住んでいたであろう、そしてブリュンヒルデとして崇められている女の人が住んでいるであろうその家。
そこいらの一軒家と何ら変わらない、思っていたよりも普通の一軒家である事に半ば呆然としていた幼い鈴の後ろに、一人の女性が立っていたのだ。
“……そこで何をしている?”
その声を聴いた途端、突如として己の心臓を強く掴まれたかのような錯覚に鈴は陥った。下の地面に映っている影は、今雑誌などで有名になっている女性のシルエットと瓜二つであり、そして雑誌などで見るよりも遥かに恐ろしい鋭き視線がその恐怖を増大させた。
体中を空間に固定されてしまったかのように硬直してしまった鈴は、ただ後ろにそびえたつ本体を直視できぬまま、地面にある女性の影に恐怖し続けるしかなかった。
その後、なんやかんやあって仲良くなってしまったのだ。
鈴の後ろに立っていた人物――織斑千冬は雑誌やTVで映っていた姿から想像していた姿よりも自生活に関してはまったくのダメダメで、今まで家事全般を担当していた弟がいなくなった事でそれに余計に拍車がかかっていた状態だった。
おまけに弟が失踪した原因が学校の女子生徒達であったがために、家の前に立っていた鈴に対して無意識に殺意を向けてしまっていたらしい。
己の未熟さに対する後悔と生気を感じさせない顔のまま謝罪する千冬を、鈴は見てすらいられなかった。
その時からだったかもしれない。……鳳鈴音の中で、織斑千冬という人間に対するイメージが「ブリュンヒルデ」から、「何処にでもいる一人の姉」に変わったのは――――。
そういえば、マドカの「サイレント・ゼフィルス」って、イギリスからの盗品なんですよね。
やはり二号機は盗まれるのか……(既視感)