もし織斑一夏がアリー・アル・サーシェスみたいな奴だったら 作:ナスの森
走る、ただただ走る。
この悲鳴と血が飛び交う地獄の中を、二機のISがその中を駆け回っていた。
無断でのIS展開は禁止というのがこの学園の規則であったが、生憎とこんな状況ではそんなものへったくれもない。
「ちっ!」
アメリカ製の第三世代IS、ヘル・ハウンドVer2.5に搭乗する代表候補生、ダリル・ケイシーは、忌々しげに舌打ちをしながら、怯えて動けない己の後輩、フォルテ・サファイアを抱っこしてこの地獄の中を駆けていた。
辛うじてISの展開までは出来ている後輩であったが、この地獄のような光景に怯えてただ愕然とするだけであった。
専用機、コールド・ブラッドを辛うじて展開できているのも、せめてもの防衛本能が働いたおかげだろうか。
『この戦いは、神の御前に捧げられる、聖戦である』
「あの野郎……!」
突如、聞こえて来た
その聞き覚えのある声を聞いたダリルは、忌々しげな表情を見せた。
この秘匿通信が彼女にも聞こえている理由は単純明快――――彼女をスパイとしてこの学園に送り込んでいる組織が、この声の主と契約を結んでいるからに他ならなかったからだ。
この契約の前払いとして彼女にその声の主に新しい専用機を譲渡するように言い渡したのもこの組織であり、その組織の言い付け通りに彼女は彼に新しい専用機を渡した。
この騒動には首謀者である声の主以外にも、そのバックには彼女の組織が付いている。
この学園中の場所から拾える自爆テロの爆音こそがその証だ。
『伝統を軽んじ、神を冒涜せし不信仰者共に、我々が神と共に鉄槌を下すのだ!』
(何が神だよ! どんな祭りを開くかと思えば、こんな悪趣味な……!!)
反吐が出る、こんな男を自分の組織は引き入れようとしているのかと思うと吐き気がした。ただ騒動を起こすだけならばともかくとして、こんな無垢の少女たちを洗脳して人殺しをさせるというのは、さしもの彼女であっても身を毛立つ所業である。
『不信仰者に屈服する事があってはならない』
幸い、彼女達は彼に自分、ダリル・ケイシーもまた『ブリュンヒルデを信仰する者』と刷り込まれているのか、ダリルに攻撃を加えてくる様子はない。
だが。
「……せ……ぱ、い、ダリル……せん……ッ」
この自分の後輩、フォルテ・サファイアに関しては別である。
ダリルと親しい仲にある後輩である彼女であるが、彼女自身はダリルの組織とはまったくの無関係、ただの代表候補生なのだ。
ダリルのように人殺しを知っている訳ではない、知ってはいても、彼女自身はそれをしたことがないし、このような戦場に巻き込まれた事もない。
故に、彼女はこのような光景を見た瞬間、愕然としてまともに動けない状態となってしまった。
『この戦いは、神の御前に捧げられる、聖戦である』
「……ッ」
同じ言葉が復唱される。
秘匿通信を介して流れるソレは目の前の後輩には聞こえず、自分と洗脳された彼女達だけが聞こえているものである。
『伝統を軽んじ、神を冒涜せし不信仰者共に、我らが神と共に鉄槌を下すのだ!』
「いやああああぁぁッ!!?」
「やめて、離して! 何処へ連れて……ヒィッ!?」
悲鳴が聞こえる。
今まで共に学んできた学友たちが、ある者は洗脳されて虐殺行為をし、ある者は自爆し、ある者は断末魔を上げ、ある者は怯えながら助けを求める。
『不信仰者共の存在を許してはならない』
『我々は戦いでのみ示すことによって、神に認められる事だろう』
「黙れっつてんだよっ!!」
噓八百をアジる男の言葉に思わず大声で返してしまう。
「ヒィッ!?」
しかし、事情も分からないフォルテはそんな先輩である彼女の怒声に怯えてしまった。
そんな彼女の怯え顔にハッ、となるダリル。
「……すまねえ、フォルテ」
本当なら、彼女を置いて安全な所へ避難するのが一番だった。
何故なら洗脳された生徒達がダリルを狙ってくることはない。
ダリルが己のスポンサーの一員であることを知っているアインは、彼女達の攻撃対象にダリルを加える事などまずない。
だから、そのまま自分だけどこかへ避難すればそれでよかった。
筈だった。
「……あっ……アァ……」
しかし、ここ三年間の学園生活でダリルも感化されてしまったのだろうか。去年の四月ごろに入学してきたギリシャ代表候補生、フォルテ・サファイア。
あまりにも純粋に自分を慕ってくれる彼女の心に、ダリルはいつの間にか感化されてしまっていた。
おかげで、こんな有象無象な生徒達ならまだしも、このフォルテ・サファイアという後輩を見捨てる事はついぞできなかった。
「アイン・ゾマイール……!」
それでも、それを抜きにしても、あの男に対するこの嫌悪だけは絶対だった。
「あの悪趣味野郎が……!」
そんな悪態を吐きながら、ダリルはフォルテを安全な場所へ運ばんと、スラスターを吹かした。
◇
「な、何だ……何が起こって……!?」
次々と聞こえる爆音、そして何より異様な姿へと変貌を遂げたシュヴァルツェア・レーゲンに箒は唖然となる。
気が付けばトーナメントの対戦相手であった二人の男性操縦者の姿は見えず、取り残されたのは箒と黒いISのみ。
「あれは……暮桜。千冬さんのISか!? どうして……ッ!?」
その時、アリーナの下の出口(ISのピットではなく、人が使う出入り口)から、ぞろぞろ女子生徒達が入って来た。
しかし、その様子はとてもではないが尋常なものではない。
「や、やめて! 離して!!」
「ねえ、一体どうしたの!? 早く逃げようよォッ!!」
「い、イヤぁッ!!」
一人の生徒とそれを無理やり連れて来る二人の生徒、それらの組が一斉に列を為しながら、黒い暮桜へと迫ってくる。
それはまるで、罪を犯した者達をギロチン台へと連れてくるような、死神の列だった。
やがて、一つの組が黒い暮桜の眼前へと到着する。
すると、二人の生徒は無理矢理連れて来た一人の生徒をその暮桜の前へ突き出した。
そして、その黒い暮桜はゆっくりと雪片を振りかぶり――――
(まさか……)
その光景を見た箒に、ある光景がフラッシュバックとなって脳裏に蘇る。
「や、やめ……ろ」
蘇ってきた光景は全国大会でただひたすらに『誰かを叩きのめしたい』という衝動に駆られ、ひたすら剣を振るっていた己自身。
そして優勝して、ようやく己の力の在り方の醜悪さを自覚させられたあの日の思い出。
「やめるんだッ!!」
そんな自分と、あの黒い暮桜、一体どんな違いがあるというのだ?
太刀筋は己を映す鏡。
あの暮桜はまさしく、箒自身だったのだから。
力を使うのではなく、力に使われて、己を見失ったあの少女は、まさしく箒にとっては昔の己自身だったのだから。
故に、止めなくてはならない。
「ヤメロオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォオオオォォッ!!!!!!」
はっきりとわかった訳ではない。
ただ、あの黒い暮桜の中にいる少女がそうであると、なんとなく感じ取った箒は、ダメージレベルDの打鉄のコックピットから飛び出し。
生身でその処刑台へと突っ走る。
箒の視界に映っている、雪片を振りかぶる黒い暮桜を前にして怯える女子生徒の姿は、かつて剣道の全国大会で己が叩きのめした少女と重なった。
それを見て、余計にアレを止めなければならないと悟った箒はその足を速め、手を伸ばす。
しかし、如何に剣道優勝者といえど所詮は生身。
生身の人間の足の速さが、ISの腕の振るう速度に追いつく事など夢のまた夢、故に彼女のその行為には一切の意味もなかった。
箒の視界に上と下で真っ二つに分かれた女子生徒の姿が目に入る。
無惨に、あっけなく、大量の血液と臓物をぶちまけながら、その女子生徒は雪片によって両断された。
「あ……あぁ……」
そのあまりにも惨く、グロテスクな光景に、箒はその足をピタッと止めてしまった。
さっきまで勢いよく走っていたせいで体勢を崩し、転んだ体を手で支えてその光景を見上げる。
そこには、無惨な死体だけが転がっていた。
「あ……あぁ、い、あ……」
その光景が一体何なのか分からなかった。
止められなかった後悔よりも、それ以上に非日常的な光景に、箒は何が何だか分からずに、愕然としてしまった。
そして時間は、そんな彼女を待ってはくれなかった。
「伝統を侮辱する不信仰者共に神の
「ああ、神様、ブリュンヒルデ様、贄を持ってきました。どうかこの冒涜者に裁きを!」
「そしてその眼差しをどうか私達へ!!」
妄信盲目。
正にこの一言に尽きる、狂った少女たち。
そんな少女たちに拘束された女子生徒達は、一番前の女子生徒がその鮮血を散らした光景を見て、あまりの恐怖のあまり助けを求める言葉すら失ってしまった。
それはまさしく、彼女達にとってブリュンヒルデという存在が、崇拝すべき存在から、畏怖すべき死神に置き換わった瞬間でもあった。
そして、次は後ろにいた女子生徒の出番であった。
黒い暮桜がその剣を振りかぶる。
かのブリュンヒルデが見せた、居合のような構えからの一閃、その一閃でまた一つの命が途絶える。
無惨に、無意味に、無価値に、その生を断絶させられる。
その次も。
その更に次も。
次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次々と、その更に次も。
ブリュンヒルデという処刑台に運ばれた女子生徒達は、他ならぬ学友たちに拘束されたままその生を一人ずつ終えていく。
中には自身すらも贄と考える者がいるのか、拘束した女子生徒ごと己を切らせる狂信者までもが混ざっていた。
そして、その捕まっている者達の中には、このIS学園に招かれていた来賓すらも混ざっていた。
その地獄のような光景を、箒は見せつけられていた。
狂気の沙汰、そんな一言で済ませていい物ではない。
ただ声のない悲鳴が飛び交うその地獄を、箒は延々と、それが何なのかを理解しないまま見せつけられた。
やがて――――
「はーい、箒ちゃんはこっち~♪」
そんな気の抜けた声と共に、箒の姿はそこで消えた。
◇
黒い温もりの中に、ラウラ・ボーデヴィッヒは包まれていた。
まるで母親のお腹の中で眠る赤子のごとく、その母性の香りに包まれた泥の中で、ラウラはただ心地よく狂っていた。
否、赤子ならばいずれは自力でその腹の中から抜けようとするが、その選択肢すら、そんな自己すらも今の彼女にはなかった。
ただ、夢を見ていた。
それは憧れのあの人になった己自身だった。
強く、凛々しく、気高く、何者にも負けない、何者をも恐れない、何者をも寄せ付けない、そんな己の夢をラウラは見ていた。
ある時は強者を、ある時は弱者を、もしくは何の力も持たない無力な者をその剣で裁き、恐れ、崇められる自分。
それは果たしてあの人なのか、それとも己自身なのかはもう定かではない。
とにかく、ラウラの夢はどんな形であれ叶っていた。
あの人になる、ブリュンヒルデになる。
己がずっと信じ続けていた神に、ラウラはなることができたのだ。
“伝統を侮辱する不信仰者共に神の
“ああ、神様、ブリュンヒルデ様、贄を持ってきました。どうかこの冒涜者に裁きを!”
“そしてその眼差しをどうか私達へ!!“
今まで己を下してきた奴隷達が、
その光景は、とても心地よい。
(ク、ククク―――)
力無き無能共が、ただひたすらに命を乞う。
信奉者たちはかつての己があの人に抱いていた感情を体現するかのように頭を下げ、不躾者は己に下されるであろう罰を怯えながら待ち続ける。
(ク、ハハ、アハハハハハハハハハハハハッ!!!!)
ああ、心地よい、何て心地よい。
これだ、これが私が手に入れたかったもの!!
神を侮辱せし者に、神の力を持って、その雷を持って断罪を下す。
ずっと己が求め続けてきた事ではないか!!
さあ、下さなければ、断罪を、雷を、鉄槌を。
そうすれば、そうし続ければ“私”はずっとあの人と一緒に、あの人で在り続ける事ができる!
(ああ、ブリュンヒルデ。私こそがブリュンヒルデ――)
そこまで考えて、一瞬だけ、ラウラの思考に空白が過った。
(私、ワタシ……“ワタシ”とは……ナンダ?)
しかし、そんな懐疑的な思考も一瞬で彼女の脳裏から消え去る。
(まあ、ドウデモイイコトダ)
そんな事はほんの些細。
自分があの人となり、あの人は自分となって、その力で無力という罪を断罪する。
それが、「ワタシ」の願いだったのだから。
私があの人であるとか、あの人が私であるとか、そんな事はどうでもいい。
――――どんな形であれ、「ワタシ」はあの人と一緒にいれれば、それで――――
もう少しだ、もう少しでツヴァイに乗せられる……!