もし織斑一夏がアリー・アル・サーシェスみたいな奴だったら   作:ナスの森

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一夏「左側が見えてねえじゃねえかよっ!」
ラウラ「くっ、見えない⁉」

これがやりたいがために衝動的に書きました。


プロローグ
歪み、その始まり


 甘い、甘い、硝煙の匂いだけが己の嗅覚を支配する。

 敵と味方との絶え間ない銃撃戦の音はついぞ止むことがなく、その度に散らばる鮮血の音符もまた次々と挙がっていく。

 硝煙の匂い、血の匂い、絶え間ない銃撃の不協和音についこの間まで平和に暮らしていた己の在り方を塗り潰されてしまいそうな錯覚に陥る。

 

 ――――ハァ、ハァ……。

 

 息が上がる。

 疲れからではない。それ以上の恐怖と、それと()()()()()が己の深淵から湧き上がり、それが何も考えなくさせる。

 ふと、自分の前を歩いていた自分と同じ境遇の子供を一瞥する。

 

 一瞥したその瞬間、その子供は何処からか飛んできた銃弾によって頭を打ち抜かれ、撃たれた箇所から鮮血と、バラバラになった何かが噴き出る。

 それが何かであるかは子供である自分にも理解できた。これは、確か脳みそ、という奴だったか。

 以前、姉と一緒に人体の構造についての本を読んでいた時に記憶していた。

 まだ十歳の子供が、それを目の当たりにする。

 

「うっ……!?」

 

 少年に内臓ごと吐き出してしまいたくなるくらいの吐き気が襲う。

 それでも、少年はそれをぐっと堪えて走った。

 仲間が銃弾に打たれて死亡したという事は、自分達が今いる所は危険地帯そのものに他ならないのだから。

 走り出した途端、自分が元いた場所に、何重にも重なった銃弾の痕がある。

 あと一瞬でも走り出すのが遅ければ、自分は文字通り機関銃によって鉢の巣にされていた所だった。

 実際、少年の後ろには既に逃げ遅れて銃弾の餌食となって屍となった他の子供たちが何人も転がっていた。

 

 だからこそ、少年は振り返らずに走った。

 敵の銃撃が止んだ一瞬の隙を突いてこちらも手に持ったマシンピストルで壁の隙間から一瞬だけ発砲する。

 数秒の間に何発もの銃弾を発射する機関拳銃の何発かは何かに命中したようで、向こうで大きな爆発が起こる。

 ――――爆発の規模からしておそらくRPG……おそらく装填されたロケット弾に自分が撃った弾が当たって誘爆を起こしたようだ。

 この場では何が起こるのか分からない。

 故に、先ほどの自分の銃撃がロケット弾を誘爆させて自分と仲間の危機を救う事になるとは、少年はついぞ知る事などないだろう。

 

 そう、この戦場においては、何が起こるのか分からない。

 

「ハァ、ハァ、ハァ……!」

 

 ただ手応えを感じる間もなく残り少なくなった仲間たちと共に駈ける。

 自分もこの子たちも、何故自分達がこんな事をやらされているかなんて知らない。しかし、この場において生きたいという思いは皆一緒であり、故にこの場においてこの子供たちはまさしく運命共同体であった。

 

 それでも、現実は非常だった。

 

 少年たちの影が物陰から現れた瞬間、またもや銃撃の嵐が彼らを襲う。

 何人もが頭を抱えながら、銃弾を必死に回避している中で、一人――――自分だけが敵に撃ち返していた。

 機関拳銃から放たれた弾の一つ一つは皆、大人の兵士たちに命中し、彼らは次々と息だえていく。

 

「――――ッ!?」

 

 なんで、と少年はそんな己に困惑する。

 ここは、他の仲間たちと同じように頭を抱えて銃弾を回避すべきではなかったのか……何故自分は進んで()()()()()のだ?

 人を殺した自分の手は震えている……当たり前だ。人を殺したのだ、自分と同じ人間を殺めたのだ。

 罪悪感と恐怖が湧かない筈がない。

 

 ――――本当に、そうか?

 

 脳裏に、そんな自問自答の言葉が迸る。

 

 ――――この感覚は、震えは……本当に恐怖と罪悪感によるものなのか?

 

 分からない、分からない。

 分からない分らない判らない解らない分らない分からないワカラナイ。

 

 どうして、何故。

 

 ああ、どうしてこうなったのだろう。

 

 

 

 織斑一夏という人間の歪みの始まりは、とある誘拐事件の時だった。

 『IS』――――正式名称『インフィニットストラトス』。本来は宇宙空間での活動を想定して作られたマルチフォームスーツなのだが、製作者の意図とは別に宇宙進出は一向に進まず、人類の夢と浪漫が詰まっていた筈の『宇宙服』は、各国の思惑により『兵器』へと変貌し、本来の役目を果たせぬまま使われてしまっている哀れな機械。

 しかし如何に愚かな人間であろうともある一線を超えてはいけないと判断したのか、今では女性でしか乗れないスポーツ用の飛行パワードスーツとして落ち着いている。

 彼の姉は世界的に有名なISの操縦者であり、そのISを用いた世界大会――――所謂『モンド・グロッソ』の出場者であり、そして前の大会での優勝者であったらしい。

 両親に捨てられ、姉一人で弟・一夏を育ててきた織斑千冬は弟を日本に置いたまま開催地であるドイツ国に行くわけにもいかず、弟の一夏をドイツに連れて行ったままその大会に出た。

 

 そして、観客席から姉を応援する立場であった筈の一夏はとあるテロ組織に拐われたのだ。

 そのテロ組織は女性にしか操れないISが台頭した事によって広まった「女尊男卑」の風潮に反発する男たちによって構成された組織であり、故に、最強のIS操縦者「ブリュンヒルデ」として恐れられる千冬の弟であった一夏は人質に取られたのだ。

 そして一夏は、その組織の隠れ家の中で様々な暴行を加えられた。

 「女尊男卑」の風潮に対する不満、鬱憤、それら全て男である一夏に向けられていたのだ。

 

 ――――……痛い、よ。

 

 体を縛り上げられ、体中に大量の痣を残しながら、一夏はただそう呟く。最早助けを請う元気さえも奪われ、ただ「痛い」と呟く他なかった。

 

「へっ、なんだ、もうギブアップかよ。情けねえ……ぺっ」

 

 暴行を加えていた者の一人が、そう吐き捨てると同時に一夏に向けて唾を吐く。一夏は最早微動だにしない。ただ「痛い」と呟くだけだった。

 

「おめぇの姉のような奴等がいるからな、俺らはこうして泥すすがれてんだよ、わかってんのかオイ!」

 

 ドン、と横っ腹を蹴りつけられる。

 痛い、いたい、イタイ――――そんな思いを堪えて、一夏は呟いた。

 

 ――……姉、を……か……な……。

 

「あぁ!? 何言ってんだ、聞こえねえよ!」

 

 ――千冬姉を、バカにするな……!

 

「……ッ、女に媚びてんじゃねえよクソ餓鬼がよぉ!」

 

 また暴行を加えられる。

 何度も、何度も、それでも一夏は決して屈する事はなかった。

 例えどんなに痛くとも、これ以上の痛みを抱えている姉の苦労を思えば、こんな痛みなど苦でもなかった。

 

「チッ、弄り甲斐のない餓鬼だ。もっと……ッ!」

 

「まあ待てよお前ら」

 

 その時、隠れ家の入り口から男のモノらしき声が響き、一夏に向けられていた暴行は止み、彼らは即座にその方向を向く。

 そこには一人の男が立っていた。

 年齢は大体30代後半から40代前半と言った所だろうか……荒く、くしゃくしゃな赤い髪、そして赤い顎鬚を伸ばした中年の男性。

 

「こんな餓鬼でも大事な人質だ。しかもあの『ブリュンヒルデ』の弟だ、もっと丁重に扱え?」

 

「し、しかし隊長。こいつは……」

 

 そう言って部下を窘める中年の男性であったが、部下は尚も食い下がる。

 それを見た中年の男は鬱陶しそうに肩を竦めながら言った。

 

「やれやれ、お前らも難儀なもんだぜ……。女尊男卑? いいじゃねぇか、争いを起こすにはもってこいの火種だ。それでこそ戦争のし甲斐があるもんだぜ」

 

「あ、相変わらずの戦争好きっすね……」

 

「傭兵ってのは戦ってなんぼだからな。さあお前らはどいたどいた。俺はこの餓鬼に用があって来たんだ」

 

 呆れながらいう部下に対し、中年の男は微笑を浮かべながらそう命じる。

 男の言う通りに部下たちはそそくさと下がり、男はゆっくりと傷だらけの一夏へと歩み寄った。

 

「よう坊主。悪ぃな、急に拐ったりしちまって」

 

 中年の男は座り込み、俯いている一夏の顔を覗き込むようにしながら言う。

 一夏もまたゆっくりと少しだけ顔を上げて男の顔を見る。

 

 ――おじさん……だれ……。

 

 弱弱しく、朦朧とした意識で一夏は男に問う。

 

「ああ、おじさんの事かい? おじさんはね、戦争屋なんだ」

 

 優しく、耳元で囁くように語り掛けてくるにも関わらず、その内容はこれ以上にない程不釣合いな物だった。

 

 ――……せんそう、や?

 

「戦争が好きで好きで堪らない。人間のプリミティヴな衝動に準じて生きる、最低最悪の人間なんだよ、おじさんはね。――――そして、君もまた同じ穴の狢となる」

 

 先ほどのような気さくのおじさんと言った風な雰囲気からは一転、男は獰猛な獣のような眼をしながら一夏の顔を窺う。

 

 ――……ッ!?

 

 その、人の悪を凝縮したかのような凶悪な笑みを目にした一夏は、先ほどのような無機質の反応からは一転して怯えた表情となる。

 この男は何だ。

 この男は本当に自分と同じ人間なのかと、子供である一夏ですらそう思わせる程のモノだった。

 

「た、隊長……まさかソイツを……」

 

「慌てんなよ。仮にもブリュンヒルデの弟だろう。それに――――見た所体もかなり鍛えているようだ、この餓鬼は使える」

 

 凶悪な笑みを浮かべたまま、中年の男は一夏や部下たちに背を向けて去っていく。

 

「それにお前らだって見たいだろう――――大事な大事な弟が人殺しに染まった姿を見る、ブリュンヒルデの絶望に染まった表情をなぁ……」

 

 嘗め回すような口調で、男は去り際にそう言って去っていった。

 

 

 

「ハァ、ハァ、ハァッ……!」

 

 気が付けば、生き残っていたのは少年――――一夏だけだった。

 テロ組織に拐われ、こうして1年もの間少年兵として戦わされ続けた。

 汚い悪事も色々やらされた、何人殺してきたかなんて数えるのも億劫だ。

 

 今はただ、生きる為に戦う。

 

 必死に銃撃を回避しながら物陰に隠れる。

 上がる息を必死に抑え、自動小銃を抱えながらただ生きる道を模索する。

 そう――――どうすればこいつ等を()()()ができるか――――

 

「ッ、違う!」

 

 一瞬、己の脳裏に浮かんだ思考を即座に破棄する。

 自分は今、この場を生き残る事を最優先に考えるべきの筈だ。そうでなくてはならない。なのに――――なぜ生きる為に殺すのではなく、思考が敵を殺す事を優先してしまうのか。

 こんなの、自分じゃない!

 

 ――ああ、この血の匂いを――

 

「……違う」

 

 ――この硝煙の匂いを――

 

「……違う!」

 

 ――もっと――

 

「違う! 俺は……!」

 

 悲鳴を上げるように、拒絶するように、慟哭を上げるように一人残った少年は叫ぶ。

 そして、それは敵に位置を知られる結果となり、戦場では致命的な命取りとなる。

 

「あ……」

 

 そして、少年は自分の過ちに気付く。

 こちらを発見した敵の兵士が、此方に銃口を向けてきた。

 それは少年、織斑一夏がここ1年の間に積み上げ、背負っていた咎をここで裁くかのような、裁いてくれるかのような、慈悲の銃口だった。

 

 そう、これでやっと終われる……そう思った。

 

「え?」

 

 銃声が鳴り響く。

 だが、それは自分に向けられた銃口から発せられたモノでない事に一夏は気付いた。

 ドサ、と一夏に銃口を向けていた兵士が頭から血を出しながら前のめりに倒れた。

 

 続いて銃声が鳴り響く。

 それは先ほど自分達が戦っていた敵の兵士によるものではない。

 即ち第3勢力の介入だった。

 

 

     ◇

 

 

 結果として、少年兵として戦場に駆り出されていた一夏は突如介入してきたドイツ軍によって保護された。一夏を始めとした子供たちを少年兵として仕立て上げていたテロ組織もドイツ軍によって壊滅。

 組織のリーダーだった中年の男も身柄をその場で拘束され、ドイツ軍の兵士によって射殺された。

 どうやらドイツ軍の目的はテロ組織の壊滅ではなく、初めから“織斑一夏の救出”を目的として部隊を派遣してきたそうだ。

 一夏が誘拐された事を知った千冬はモンド・グロッソの大会を辞退し、ドイツ軍の部隊に一夏の捜索を依頼した。

 無論、世界的に有名なIS操縦者の代表格とも言える人物の頼みをドイツ軍が断れる筈もなく、一夏が見つかるまでの間、千冬がドイツ軍で教官を務める事を条件としてそれを受け入れた。

 それから1年、少年兵として紛争地帯に駆り出されていた一夏をドイツ軍は見事に保護し、千冬もまたドイツ軍の教官の籍から外れる事となった。

 

「一夏、一夏!」

 

 1年ぶりに弟と再会した千冬は、今までの厳格さなど嘘であるかのように、まるで親に甘える子供であるかのように一夏に泣きついた。

 千冬は知っていた、この一年間、弟がどれだけの罪を重ねてきたかを、どれだけの血を浴びてきたかを、どれだけの人を殺めてきたかを。

 他人から言われずとも、弟の身体に染みついた硝煙と血の臭いですぐに分かった。

 

 けれど、千冬にとってそれは関係がなかった。

 弟が自分の所に帰ってきてくれた――――本当にそれだけでよかった。

 一夏が姉の千冬に護られてきたように、千冬もまた弟の一夏にその心を護られてきた。織斑千冬という人間を千冬たらしめるその大部分、いや全てと言っても過言ではない、それくらい千冬にとって一夏は掛け替えのない存在だった。

 

「あぁ……一夏、一夏っ!」

 

「千冬、姉っ」

 

 一夏もまた涙を流しながら千冬の腕の中で姉の名を呼ぶ。

 お互いに離ればなれになったこの一年間は、それはもう永遠と呼ぶことすら生ぬるい程に長かった。

 お互いの気が済むまで、二人の姉弟は気が済むまで抱きしめ合った。

 

 そして、再会した二人は日本に戻る事となった。

 一夏が見つかった今、千冬がドイツに滞在する理由はもうない。

 ドイツもまた短い間とはいえ、千冬を教官に命じた事によるメリットは十分に得られたため千冬とドイツ軍の契約はこれにて解除となった。

 

 日本に帰還した二人は久しぶりの故郷の味を吸い、その幸せを二人で分かち合った。

 

 こんな時間がいつまでも続けばいいと、一夏は思った。

 

 奥底に、妙なモヤモヤを抱えながら。

 

 

     ◇

 

 

 姉と共に無事(とは言えないが)日本に帰る事ができた一夏。

 モンド・グロッソを辞退した姉の千冬はISの日本代表を降り、とある学園の教職に就く事となった。まだ20代になっていないにも関わらず、織斑千冬という人材は代表選手でなくなった今でもあちこちから引っ張りだこ。それこそIS関連の職場ならばどこからでも引っ張りどころであろう。

 一方、一夏はというと、表向きはいつも帰りが遅い千冬に代わって料理、洗濯などの家事を請け負って、誘拐される以前の、いつも通りの生活をしていた。

 

 それでも、頭の中から“あの光景”が薄れる事はなかった。

 今でも思い出せる――――あの血の臭い、硝煙の臭い……思い出しただけで吐き気を催す程の一年間だった。

 今はそんな生活から抜け出し、こうして元通りの日常を謳歌する事ができた。

 

 だが、そんな元通りの日常も刹那の間、長く続く物ではなかった。

 

 一夏の姉である千冬はそれはもう世界的に有名な、いや世界一有名、そして最強のIS操縦者と言っても過言ではないくらいの選手だった。

 それこそ日本の誇りであり、特に日本の女尊男卑主義を推進する女性たちからは神の如く崇められており、そんな彼女がある事をきっかけに代表選手から降ろされた。

 

 その降ろされたきっかけの原因たる一夏に、彼女たちの矛先が向いたのだ。

 

 矛先を受ける主な場所は勿論学校。

 ISという存在が世の中に台頭してから5年余りが過ぎた頃、ISの発祥の地である日本はすっかりと女尊男卑の風潮に染まっており、一夏が通っていた学校もまた例外ではなかった。

 一年間の間、少年兵として駆り出され続けた一夏は周りの空気に馴染む事もできず、人殺しの日々を思い出しては周りの生徒と距離を取り続けていた。

 そして、周りの女子たちがそれをいい事に一夏をイジメたのだ。

 

 小学生の虐めとはそれはもう質の悪いものであり、先生にばれぬよう、巧妙で狡猾なやり方で一夏をイジメ続けた。

 それでも一夏はそれを我慢して受け入れた。

 ――これはきっと、一年間人を殺し続けた俺への罰なんだ。

 姉の名誉を穢し、姉を心配させ、自分は人を殺し続けた。

 だから、一夏は甘んじてソレを受け入れた。どのような陰湿ないじめを受けようと、ただ耐え続けた。

 それをいいことに女子たちは更に便乗して一夏を虐め続ける。

 一夏は自分がただ姉の足を引っ張るだけの出来損ないの弟と罵られても、ただひたすらに耐え、耐え続けた。

 

 だが、それも限界が訪れた。

 別に一夏の精神に限界が訪れた訳ではない。

 子供ながらも一夏はどのような虐めであろうと受けいれる覚悟はできていたし、それは変わる事はなかった。

 

 問題は、いつまでも虐めても何の反応も返さない一夏に業を煮やした女子たちはついに大勢で一夏に暴行を加えたのだ。

 

 それが、彼女たちの過ちだった。

 

 そもそも彼女たちは知らなかった。

 織斑千冬が現役を引退するきっかけとなった事件、その事件で一夏はただ誘拐されただけではないのだ。

 如何に子供といえど、一夏は一年間外国の紛争地帯でテロ組織の少年兵として戦い続けてきたのだ。しかも子供であるが故に物事の分別が未熟であった一夏にそんな事をするなど、愚の骨頂であった。

 

 体育館裏の倉庫に連れられ、一夏はそこで女子たちの暴行を受けようとしたその時。

 

 一斉に迫る拳が、一斉に迫る平手、一斉に迫る蹴りが、一夏の体に眠っていた『ソレ』を呼び覚ましてしまった。

 少年兵として戦い続け、その記憶が染み込んだ身体。

 

 それが、一夏の意志とは関係なく動いてしまったのだ。

 

 女子たちは成す術もなくスイッチの入ってしまった一夏によって一方的に倒れていく。銃弾を回避し続けてきた一夏の身体に女子たちの拳が届く事などなく、女子たちは一夏に手も足も出ずに半殺しにされてしまったのだ。

 

 故意にやった訳ではない。体が勝手に反応してしまった。

 全てが終わった時、一夏はハッとなって周りを見渡した。……そこには、ただ半殺しにされて転がっている女子たちがいた。

 

 そして、この出来事は教師を通して即座に学校中に広まってしまった。

 無論、一人の男子生徒が大勢の女子に暴行を加えた事が問題にならない筈もなく、ましてや女尊男卑の世になりつつあるこの国なら猶更だった。

 

 勿論、これは姉の千冬にも知られる事となり、一夏は指導室に呼ばれて説教される事となった。謝る相手は勿論、一夏に半殺しにされた女子生徒達の親、その代表の人間達だった。

 中には女尊男卑推進派の国会議員の一人までいた。

 なるほど、こんな親の下で育ったのであればそれに感化されて男を見下すようになるのも仕方のない事か、と子供らしくない考えをしながら一夏は親達に頭を下げた。

 その場にいた千冬もまた頭を下げた。

 

 さすがに千冬に頭を下げられては大人たちも何も言えなかったのか、あっさりと許してくれた。

 しかし、戦場で鍛え上げられた一夏の耳には届いていた。

 無論、それは千冬にも届いていた。

 その内容は躾がなってないだの、教育ができてない、男の癖に生意気だなどなど、親達の呟きが二人の耳には丸聞こえだったのだ。

 

 そしてその夜の帰り、二人は沈黙したまま帰路に就いていた。

 千冬は何も言わない。

 一夏も何も言わない。

 ただ重苦しい空気のまま二人は帰り道を歩いていた。

 

 恐る恐る、一夏は姉の千冬の方を見上げる。

 千冬はそんな一夏に振り返らず、歩き続けていた。……心なしか、拳が強く握られている気がした。

 

 ――また、千冬姉に迷惑をかけちゃった……。

 

 そんな罪悪感に見舞われていた中、千冬は足を止めた。

 咄嗟に一夏もまた足を止め、千冬の方を見る。

 千冬の表情は一夏の目線の角度からは伺えない、しかし拳は先ほどよりも強く握られており、体中が震えていた。

 

「千冬、姉……?」

 

 どうしたの、と一夏は心配しながら姉の名を呼ぶ。

 そして、ふわり、と柔らかく、暖かく、そして冷たい感触が一夏の身体を包み込む。

 千冬が一夏を抱きしめたのだ。

 

「……ない、すまない、一夏……私の、せいで……!」

 

 千冬は一夏を抱きしめ、泣きながら必死に謝っていた。

 一夏や世界の人達は知るよしもないのだが、今の女尊男卑の世を作るきっかけを作ってしまったのは他ならぬ千冬とその幼馴染だった。

 確かに、ISという存在を世界に知らしめるためには世界に衝撃を与える大きな出来事が必要なのは千冬だって分かっていた。幼馴染の宇宙への夢を応援していた千冬はそれに乗っかってしまった。

 白騎士事件……今から五年前に起きた、日本を攻撃可能な各国のミサイル2341発が一斉に何者かにハッキングされ、制御不能に陥った。突如現れた白銀のISを纏った一人の女性によって無力化された。その女性の正体とは何を隠そう、一夏の目の前にいる織斑千冬その人なのだ。

 あの頃は幼馴染もいくら天才とはいえまだ世間知らずだった。ミサイルのハッキングなども本人にとってはほんの遊び心に過ぎなかったのだが、それを使ってでのISの宣伝が世界にどれだけのISの『兵器的価値』を齎してしまうのか、その幼馴染はまだ理解できていなかったのだ、無論千冬も同様だった。

 本来は宇宙に飛び立つためのスーツとして世に出す予定だったにも関わらず、あろうことか開発者本人が起こしたその事件によって、ISの宇宙開発促進する役割としての側面が極度に薄れてしまった。

 いや、問題はそこではない。

 問題はそれによってISは女性しか操れないという事実が今の「女尊男卑」の世を作り出してしまった。

 そのきっかけを作ってしまったのは紛れもなく千冬とその幼馴染なのだ。

 

 そしてその弟である一夏は女尊男卑を嫌う男たちから「IS操縦者の筆頭である千冬の弟だから」という理由で八つ当たりを受け、果てには少年兵にまで仕立て上げられて故意でもないのにその手を汚す事になり、そして今、「自分達が尊敬するブリュンヒルデがその弟のせいで名誉を著しく傷つけられた」という理由で千冬を崇拝する女性たちからも虐めを受けている。そして、その事実に早く気付けなかった自分がどうしようもなく嫌いだった。

 

 一夏がこうなってしまったのは全て、千冬のせいだった。少なくとも、千冬自身はそう思っていた。

 

 

 ――どうして……千冬姉が謝るの?

 

 ――悪いのは、千冬姉に護られてばかりいる、俺なのに……。

 

 しかしそういった事情を知らない、一夏はただそんな疑問を抱きながら千冬の腕に抱きしめられていた。

 

「ごめん……一夏、ごめん……!」

 

 一夏を抱きしめる千冬の腕の力は、より一層強くなっていた。

 

 

 

 

 

 その日の深夜、暗い街中を一夏はただ一人歩いていた。

 足を止め、ゆっくりと先ほど出て行った家を振り返る。

 あの後、千冬は泣きながらベッドに寝入ってしまった。

 食事が喉に通らない気分なのか、千冬は一夏に合わせる顔がないまま、悲痛な表情で眠ってしまった。

 仕方ないので、千冬が好物の食事を作り置きして、一夏は()()をした。

 

 さっきの帰り道、何故姉があそこまで自分に謝ってきたのか分からない。

 しかし一つだけ理解した事があった。

 

 ――もしこれから先、自分が姉と一緒にいては、姉は更に苦しむだろう。

 

 理由は分からない。

 女手一人で弟の面倒を見てきたあまり、それで嫌気が刺した……といった具合ではない。少なくとも一夏が知る千冬ならば間違ってもそんな事は思わない。

 ならば、姉は何故自分に罪悪感を抱いているのだろうか……罪悪感を感じるべきは、自分の方なのに、何故姉が自分に謝る必要があるのだろう。

 

「……分からない」

 

 分からない……が、姉が自分の事で苦しんでいるのは確定的に明らかなのだ。これからも足手まといで居続けるくらいなら、一緒にいない方がいいのだから。

 

 そう思って、再び前を向いて歩を進め、家から遠ざかる。

 もう何時間歩いただろうか。

 黒天の闇の中を歩き続ける。

 そして、声をかけられた。

 

『あら貴方、織斑一夏じゃない』

 

『あら、織斑一夏じゃない』

 

『どうしてこんな所にいるのかしら?』

 

『あの名高きブリュンヒルデ様の弟君!? へぇ~可愛いわねえ……』

 

『将来イケメンになるわ~』

 

 気が付けば、複数の大人女性に囲まれていた。

 一見、有名人の関係者を見つけて珍しがっていたり、盛り上がっているように見えるが……。

 ――――白々しいとは、正にこの事か。

 必死に演技しているように見えるが、一年間少年兵として戦い続けてきた一夏にしてみればその敵意を丸見えも同然だった。

 

「なんだ、あんた達?」

 

『え? な~に~』

 

 少しドスを効かせた声で話しかける。

 一見、子供をかわいがる大人のような表情であるが、その眼は心の底から一夏の事を見下していた。

 だから、一夏は指摘してやった。

 

「とぼけないでいいよ。後ろに隠してるソレ……なにさ」

 

『……あら、意外に鋭いわね。さすがあのブリュンヒルデ様の弟君って言った所かしら?』

 

 ブリュンヒルデの弟――――この言葉にどれほどの皮肉が含まれているか、一夏に。

 女性の眼から感じる視線……殺気、とまでは行かないようだ。

 彼女ら、何処かで見覚えがあるかと思えば、みんな授業参観の時に視たような顔ぶればかりだった。

 おそらく、半殺しにされた娘達の復讐……と言った所か。

 

『よくもウチの娘を病院送りにしてくれたわね、これだから男は嫌なのよ。野蛮で、まるで私の夫みたい』

 

 よほど自分の夫に恨みがあるのか、少なくとも単純に女尊男卑の風潮故に男を嫌っているのではなく、何か男に関して暗い過去があるようだが、生憎と一夏には関係のない事だった。

 

『だから……貴方も娘と同じように痛めつけてあげる……!』

 

 女性は威圧をぶつけながら一夏にゆっくりと近寄ってくる。

 

「……ッ!」

 

 一夏は顔を苦渋の色に染めながら女性を見上げる。

 そんな一夏の表情を見た女性は更に口角を釣りあげる。男の恐がる表情を見るのがたまらないと、そういった表情だった。

 実際は恐怖している訳ではなく、学校での時のような事態を起こしたくないという苦悩故の表情だった。

 ――――また、千冬姉に迷惑をかける訳にはいかない。

 だから……

 

『安心なさい。救急車は呼んであげる……わ!』

 

「……ッ!」

 

 女性が放った平手打ちを、一夏は間一髪で避けた。

 ――ダメだ、反応するな!

 少年兵として過ごした期間は一夏の身体を多少の害意でも反応してしまうように躾けられてしまっていた。

 

 そう今だって――平手打ちを放ったその隙を突けば簡単に()()()

 

(……ッ、違う。そうじゃないだろう)

 

 つい反応してしまいそうになる身体を必死に抑え、一夏はただ回避に専念する。

 女性の平手打ちを、蹴りを、拳をただひたすらに『この女性の血を見たい』という衝動を抑えて回避し続けた。

 女性とて動きからして何らかの武術を嗜んでいるのであろうが、少年兵としての地獄の日々を送り続けてきた一夏には難なく回避できる。

 しかし、今はそれが難しかった。

 殺そうと反応してしまう身体と、殺人を拒絶する己の理性が反発しあい、一夏の動きは通常に比べて遥かに鈍くなっていた。

 学校の時のような二の舞は決して踏むものか、と揺らぎそうな決意をしたまま女性の暴行を回避し続けた。

 

『――ッ、ああもう、ちょこまかとっ! さっさとやられないさいよっ!』

 

 そしてついに女性は痺れを切らしたのか、後ろに隠してた折り畳み式ナイフを取り出し、一夏に覆いかぶさった。

 一夏の口を覆うように手で押さえつける。

 両手もまた女性の両膝によって押さえつけられ、身動きが取れなくなくなる。

 

 身体に、ナイフが迫る。

 

 そのナイフを振るう女性の姿が

 

 戦場で、己に襲い掛かって来た兵士と重なった。

 

 瞬間、一夏の思考は真っ白になった。

 咄嗟に己の口を覆っていた女性の手を、頭を少し捻らせながら噛みつき、引きちぎる。引きちぎると同時に女性の身体を己の元へと引き寄せ、その()()()()()

 そして。

 

 ゴキッ。

 

 その首をへし折った。

 女性は悲鳴を上げる暇もなく、その顔は驚いたままで止まっていた。女性は、あまりの早業に自分が殺された事にすら気付かないまま、女性は息絶えていた。

 へし折った首を女性の身体ごと押し上げて、退かす。

 

『――――ッ!?』

 

 先ほどまで観客のようにその様子を見ていた他の女性たちは驚いた様子で倒れた女性の周りに近づいていく。

 

『う、そ――――』

『え……ぇ?』

『そんな……』

『死んでる……?』

 

 周りに集まった女性は皆、口を抑えたまま狼狽えていた。

 こんな平穏な日本で、死に直面することなどなかっただろう。

 だからこそ、その事実は女性たちはしばらく受け入れられないでいた。

 

『――――ッ、貴方、よくも……ッ!』

 

 やがて一人が怒りの形相で一夏の方へ振り向いた時、その女性は絶句した。

 何事もなかったように立っている一夏。

 そんな一夏を見て、女性は声を震わせながら、恐る恐る尋ねた。

 

『あ……あぁ……、あ、貴方……なんで()()()()()()……!?』

 

「――――え?」

 

 先ほどまで頭が真っ白になっていた一夏は、その言葉で正気に戻る。

 ――笑っている? 自分が?

 そんな筈はないと思い、自分の唇に手を当ててみる。

 

 確かに、歪んでいた。

 

「――――あ」

 

 言われて、やっと気付いた。

 ……人殺しを楽しんでいる自分に。

 ――――違う。

 ……もっと殺したいと思っている自分に。

 ――――違う。

 ……あの戦場に戻りたいと思っている自分に。

 ――――違う!

 

『――――ッ、よくも理子さんをぉっ!』

『男の分際でぇっ!』

 

 女性たちが迫ってくる/兵士たちが迫ってくる。

 彼女達は鈍器を持ちながら迫ってくる/兵士たちが銃を構えながら迫ってくる。

 

 対して自分の獲物は一本――――先ほど、自分が殺した 女性/兵士 から奪ったナイフ一本のみ。

 

 ――――あぁ、今日の戦場は、やけにぬるいな。

 

 

     ◇

 

 

 雨が降っていた。

 慟哭を表すような滴りだった。

 その慟哭の滴りが、地面に大量に流れている血液を洗い流していた。

 

 複数の女性の屍が散乱している。

 その屍達の中心に、少年は立っていた。

 

「う……うぅ」

 

 身体を震わせながら、手に持っていたナイフをコトン、と地面に落とす。

 続いて、少年自身も崩れ落ちるかのように膝を突いた。

 

「うぅ、あぁ……うわわあぁああぁぁあああぁああぁっ!」

 

 少年は泣いた。思いっきり泣いた。

 この雨にも負けないくらいの慟哭さを持って泣いた。

 

 もう、無理だったのだ。

 少年兵として仕立て上げられ、『戦場の味』を知ってしまった少年は、もうあの日常に戻る事などできないのだ。

 ――――ああ、家出してよかった。

 

 少年兵としての一年間は、織斑一夏という人間を変えてしまったのだ。

 

 ――ごめん、千冬姉……ごめん……。

 

 もう一緒にはいられなかった。

 こんな人殺しと、自分の姉は一緒にいるべきなどではないのだ。

 一緒にいるには、この手は既に血に汚れ過ぎていた。

 

 ――ごめん、千冬姉。

 

 ――千冬姉が知っている織斑一夏は、もうここで死んじゃうみたいだ。

 

 薄れていく……姉との思い出も。あの日別れた幼馴染と過ごした思い出も。織斑一夏という人間を構成していた部分全てが、まるで他人事のように変わっていく。

 

 そして残ったのは、狂気だけだった。

 

「ク、クク……」

 

「ク、アハハハハハハハハハハハ……!」

 

 嗤った。狂ったように笑った。

 この胸に残るモヤモヤがようやくとけた気分だった。

 あの時、銃で人を撃ち殺した時、自分の腕が震えていたのは恐怖と罪悪感からではない。

 そう、昂揚、そして達成感だったのだ。

 最初の内は恐怖や罪悪感であったが、いつの間にかそれは昂揚と達成感に置き換わっていたのだ。

 

「アハハッ、ハハッ、ハハハハハハッ……!」

 

 ああ、血の臭いだけでは足りない。

 あの硝煙の臭いを嗅ぎたい。

 銃撃の音が聞きたい。

 人の悲鳴が聞きたい。

 爆音をもっと聞きたい

 

 ――もっと、『戦争』がしたい!

 

 

 

 

 

 そして、少年は行方を晦ませた。

 

 

 

 

 

 

 




時系列設定変更都合上、ちっふーが現役を引退したのが原作から三年前あたりから、六年前あたりまで変更されております。
ちまりちっふーが教職についたのは大体19歳あたり……これ大丈夫かなと思いましたが、FF8のキスティスさんも18歳で教師やっていたし、まあ大丈夫でしょう(適当)

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