― Dr. Seuss―
『恋に落ちると眠れなくなるでしょう。だって、ようやく現実が夢より素敵になったんだから』
高坂たちが作戦を立てた翌日の放課後、俺は一人生徒会室前に来ていた。
戸を三回叩き、いつものように「失礼します」と言いながら室内に入る。
入るとすぐに椅子に座って作業をしている絢瀬先輩と目が合った。
「比企谷くん、こんにちは」
「うっす」
挨拶をしてくれた絢瀬先輩に軽く会釈し、距離を詰める。
すると自然に絢瀬先輩が俺を見上げる形になった。
「どうかしたの?」
俺は不思議そうな表情をしている絢瀬先輩に声をかける。
「単刀直入に聞きます。矢澤先輩の事です」
途端に絢瀬先輩の表情が曇った。
× × ×
「エリチ、今日用事あって生徒会いけそうにないんやよ」
放課後、すぐに生徒会室に向かおうとした私は希に声をかけられた。
「うん、分かったわ。その代わり明日はちゃんと来てよ?」
了承の言葉を返すと「ありがと」と言呟いて、希はすぐに教室から出ていった。
希が帰ってしまったので、仕方なく一人生徒会室に向かう。
「絢瀬さんだ。かっこいいよね」
「でも話しかけづらいよね。雰囲気って言うのかな。怖いよね」
廊下を歩いていると、私に視線が集まり、ひそひそと話す声が聞こえる。
それを出来るだけ気にしないように軽くあしらい、私は歩くペースを上げた。
職員室で生徒会室の鍵を借り、自室のような生徒会室に入る。
私はすでに指定席になっている端の席に座ると机に倒れ込んだ。
自分の腕に顔を埋め、目の前が暗くなったと同時に少し前の女子の話を思い出す。
「怖いよね」
なぜだろうか。予想はついていた。
いつもの私の周囲への態度。
それが自分に余裕がないからだというのは分かっている。
それでも、目に見えない何かが、見ることの出来ない何かが私を突き動かすのだ――。
トントントン。
思索に入りかけたところで突然、戸が叩かれた。
私は反射的に「どうぞ」と返す。
入ってきたのは比企谷くんだった。
正直、私たちの方から行かないと彼は絶対に来ないだろうと思っていたからかなり意外だった。
比企谷くんは室内をぐるりと見渡す。
私が挨拶すると、比企谷くんは軽く会釈して私の方へ近づいてきた。
「どうかしたの?」と尋ねると、彼はおもむろに口を開いた。
「単刀直入に聞きます。矢澤先輩の事です」
彼がはっきりと口にした矢澤先輩、という言葉に私は固まってしまった。
瞬間、かなりの罪悪感を感じた。
「どうして、そんなことを聞くの?」
私は出来るだけ余裕な態度を振舞った。
「園田が絢瀬先輩は何か知っているんじゃないかと」
「そう。それは思い違いよ。私は何も知らないの」
私ははっきりと言った。
「そっすか。分かりました」
私は全く食い下がらない比企谷くんに違和感を覚えたが、彼は「ありがとうございました」と呟くと戸の方へ向かった。
とりあえず『矢澤にこ』のことはこれ以上追及されないようだ。良かった。
だが、彼は突然立ち止まりこちらに振り返った。
「誰かに話すことでかなり減ると思いますよ。罪悪感って」
そう言った彼は達観したような表情をしていた。視線の先は私でも、見ているものは違う。まさにそんな感じだった。
「失礼しました」
私が返事する間もなく、比企谷くんは生徒会室を去っていった。
一人、残された部屋で先の言葉の意味を忖度する。
だが答えは見つからない。
――結局、答えは見つからなかった。
× × ×
教室に戻る。
室内はしんとしていると思いきや、戸塚がいた。
戸塚は俺を視界に入れると、俺に手招きする。
……つ、ついに来たか。放課後の逢瀬といえば……、一線を超えるのか!
どぎまぎと緊張しながら近づくと、戸塚は少し顔を赤らめ、上目遣いになった。
……えっ? マジなやつ……?
「八幡……、最近一人で何かやってるでしょ!」
「……何の話だ? さっぱり分からん」
というか、戸塚に一人で何やってんのって聞かれたのが下ネタに聞こえました。
見ると、戸塚はどこか悔しそうだ。
「八幡、どうして頼ってくれないの?」
潤んだ瞳が俺の目と合う。
「いや、ほら、お前……、テニス部だし」
訥々と言う。
戸塚は気付かぬうちにテニス部に入っていて俺の手中から離れていた。
悔しい! 悔しいぞ俺は!
「八幡がスクールアイドルのお手伝いしてるって知ってるからね?」
「高坂にでも聞いたのか?」
「うん、まあ。だから僕、兼部することに決めたから!」
いや兼部って……。
「兼部というかまだ部活動でもないぞ」
「大丈夫! 僕はマネージャーになるだけだから!」
「理屈通ってないんだけど……?」
……これが雪ノ下とかなら俺を論破するように、理詰めで話を進めたのだろう。
だが戸塚は戸塚だ。
天使なのだ。
ならば俺は従わなくてはいけない。
「……まあ、そうだな。頼むわ」
「うん!」
戸塚は、ぱあっと明るい笑顔になった。
戸塚が仲間に加わった!