―Charlie Chaplin―
『私は雨の中を歩くのが好きなんだ。そうすれば、誰にも泣いているところを見られなくて済む』
コンコンコンと三回戸を叩いた。確か三回だよな。そういえば、『あいつノックする回数も分からねえのかよキモガヤ』と言われた時は二回だったから合ってるな。こんな風に嫌なことは忘れないものだから、逆説的に言えば嫌なことばかりの俺は知識豊富の天才ってことか。
「どうぞ? どうかしましたか」
室内からの心配する声が遅れて耳の中に入ってきた。いかん、くだらないことを考えていて反応に遅れてしまった。
「すみません。おはようございます。比企谷です」
「おはようございます。前にも会ったわね。音ノ木坂で理事長をやっている南です。よろしく」
落ち着いた挨拶を返してくれた南理事長はやはり人当たりがよさそうだ。てか、さっきまで理事長のこと忘れてたし、早めに登校しててよかった。
「それで何故職員室ではなく理事長室なんですか? しかも俺一人で」
俺が訪ねると理事長は、手元に視線を送る。俺もつられて視線の先を見ると、一枚の紙があった。
「部活設立申請書?」
俺は書いてあった通り読み上げた。
「そうなの。スクールアイドルって知ってるかしら?」
スクールアイドル。以前、どこかの中二病に教えてもらったことがある気がする。
『いいか、八幡。スクールアイドルというのはだな……』
思い出せない、思い出すのを拒んでいる。材木座自体が嫌な思い出ということか。
あ、材木座じゃん。名前思い出した。
「知りませんね」
「少し間がありましたが」
「ちょっと過去を振り返ってまして……」
「そう、実は知っているでしょう? 静ちゃんのお気に入りらしいし、期待してるわ」
はい、知ってます。理事長の言うとおりです。
× × ×
「……それでスクールアイドル部をつくると」
理事長の説明を粗方聞き終えると彼女は嘆息を漏らした。
「つまり、理事長は部活をつくってあげたいけど、予算がないうえに生徒会から猛反対されていて困ってると」
確認するように尋ねると、理事長は静かに首肯した。
「それで! 比企谷くんにはスクールアイドルたちの補助及び部の確保のお手伝いをしてほしいの」
それでってなにおかしくない? やっぱり面倒事巻き込まれちゃうのん? やっべーわ、まじぱねぇーわ。おい、驚きで戸部口調になちゃったよ。やっべーわ。だが、俺は条件もなしに呑み込めるほど人間ができていない。
「まあ、理事長の頼みなら仕方ないですね」
俺が話に乗ると思わなかったのか理事長はぱあっと笑顔になった。
「ありがとう!」
「その代わり、全校集会での自己紹介はなしでお願いしますね」
「……仕方ありませんね」
独神のおかげで耐性ができたからな。理不尽でもやることはやる。
……働きたくねーな。
「実は今日の話これだけなんです」
理事長が申し訳なさそうに言った。
これからの高校生活のアドバイスとかないのか、というかそれが本題だと思ってきたのに、仕事をすることになるなんてハチマンカナシイ。
「そうですか、ところで自分のクラスが分からないんですけど」
「確かあなたは2年B組よ。これから二年間頑張ってね」
理事長との会話、というか交渉を終え出口の方へ向かうと、話し忘れたことがあったのか声をかけられた。
「言い忘れていました。私には娘がいるの。その子今ここに通っているのよ。あなたと同じニ年生よ。名前は『南ことり』母親の私からよろしくしておくわ」
南ことり……、ってさっきのスクールアイドル目指しているやつらじゃねえか。娘さんだったのかよ。
驚いたが、まあそんなことはどうでもいい。全校集会で自己紹介なんて噛んで確実に黒歴史になることよりも、機械的にやっていくスクールアイドルの補助の方が簡単だろう。
とりあえず今は南ことりが同じ二年B組にならないことを心から願おう。
俺は理事長の方に軽く会釈した。
「それでは失礼しました」
あああ