光の中を駆ける者   作:雨音カオル

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ロシア人の名前は結構複雑なものなので最後に補足します。


3:武偵と社会

モスクワ武偵高にはサンクトペテルブルク武偵高には無い「装備科(アムド)」なるものが存在するらしい。

装備科の生徒は武器の調達、メンテナンス、カスタマイズを請負(うけお)い、他の生徒を相手に商売をしているそうだ。

数多くある学科のうち武器が必要そうなのは「強襲科(アサルト)」くらいだが、武偵高には「学内での拳銃と刀剣の携帯を義務付ける」という校則があり、実際はかなりの需要がある。

優秀な装備科の生徒はかなり儲けているらしい。

生徒間の取引なら値切りなども容易(たやす)いし、客の頼みにも柔軟に対応できる。

わざわざ校外のガンショップを利用するような生徒は少なく、客足は伸び悩んだ。

 

それだけで済めばよかったが、武偵の出現は警官の存在価値さえも大きく揺るがした。

もともとロシアの警官は仕事熱心な者が少ない。ちょっとした交通事故などでは加害者にそれとなく賄賂(ワイロ)を要求し、それを受け取れば仕事終了。観光客に難癖をつけて賄賂をせしめようとする奴までいた。

そんな警官と違って武偵は真面目だ。公務員ではない彼らは自分の仕事ぶりがそのまま自身の報酬と評価に直結する。武偵制度自体が新しいこともあって、評価基準などはまだまだ不完全な部分も多いそうだが、腐敗した警察組織よりははるかにマシだった。

そんな武偵に仕事を追われた警官のうち、仕事熱心な者が次々と武偵に転職したせいで多くのガンショップはそれまでの固定客を失い、廃業へと至ったそうだ。

 

 

「それで?何度も聞くようだが、グリーシャはこの事態を想定していたわけか?」

 

訳あってウチの店に来ているミハイルさんは、やや不機嫌そうに親父に語り掛ける。

時刻は正午過ぎ。客も居らず、ひと息つける時間帯だ。

 

「だから、なんとなく不吉な予感がしただけだったんだ。悪かったよ。」

 

困った表情で詫びをいれる親父。救いを求めるように俺に目を合わせようとしてくるが、そうはさせるか。俺は壁に掛けられた商品を、普段の10倍近い時間を掛けて丁寧に磨く。

 

移転によってこの店は守られた。しかし、モスクワ武偵高に装備科ができることを知っていたのに、自分の店だけ助かろうと誰にも話さなかったのではないか、と親父が疑われるのは無理もない。

 

「俺はもう気にしてないんだがな。周りの連中はまだ納得してないみたいだぞ。」

 

ミハイルさんも廃業に追い込まれた1人だ。

親父に恨みを抱いても何の不思議も無いのに、なんて優しい人だろうか。

 

「下手なことを言って皆を混乱させたくなかったんだ。まさかここまで酷いことになるとは思わなかったしな。」

 

「それならせめて、俺には話してくれてもよかったのにな。」

 

「それは……済まなかったと思ってる。だから……せめてもの償いとして、今回の話を持ち掛けたんだ。」

 

そう、親父はミハイルさんの店まで潰れたことに大きな責任を感じ、仕事を失った彼をウチの店で雇うことにしたのだ。

 

 

「だから、俺はもう気にしてないんだよ。で、どうだ?店は繁盛してるのか?午前中の様子じゃ心配になるぞ。ここまで潰れちまったら俺はもう行く当てが無いんだからな。」

 

ミハイルさんが遠慮もなしに問いかける。彼は今日からの勤務だからまだ店のことをよく知らないのだ。午前中も武偵高の生徒が授業中だから来なかったせいで、それほど客もいなかったからな。

 

「武偵高の生徒のおかげで順調だよ。奴ら、訓練やらなんやらでかなり頻繁に撃ってるみたいでな。弾なんか飛ぶように売れるぞ。午後は完全分解整備(オーバーホール)の予約が数件入ってるしな。」

 

武偵高はまだ開校したばかりとあって生徒数も少ない。今は民間人による銃の所持が禁止されているため、入学と同時に初めて銃を手にする者ばかりだ。

そんな状態の生徒を育成するため、訓練はかなり過酷だと聞く。それは弾を消費するだろうし、銃の整備もこまめに必要となる。簡易分解(クリーニング)程度なら自分でやるが、完全分解はウチのような店に任せるようだ。

 

「そりゃ安心したよ。それにしても、なんでモスクワには装備科なんてものがあったのかね。10代のガキに銃の整備なんてさせるなよって話だよ。」

 

あなたは10代どころか5歳の時から銃の改造してたそうじゃないですか、とツッコミそうになったが、すんでのところでこらえる。今のミハイルさんに絡むとロクなことにならないだろうからな。今は自分の仕事に集中しよう。

 

と思ったのもつかの間、ミハイルさんがこっちを振り返って話しかけてきた。

 

「10代のガキと言えば、ヤーシャもまだ16か17だったよな。おい、そんなところでコソコソしてないで、いろいろ話聞かせてくれよ。」

 

「正確には16歳ですよ。別にコソコソしているわけではないですけど、これといって話すようなことも無いですから。」

 

引っ越してきたと言っても、生活が大きく変化したわけではない。大して話題になりそうなことは何も無いんだよな。困ったな。

 

そう思いつつ、いったん手を休めてミハイルさんを見ると、イタズラっぽい笑顔を浮かべている。これは……くだらない事を聞いてくるに違いない。

 

「とりあえず俺が聞きたいことは1つだけだよ。彼女はできたか?」

 

やっぱりな。昔からこの手の話が大好きな人だったが、久々に会った日にいきなり吹っかけてくるとは。

 

「モスクワに居た頃のお前はナンパも出来ないヘタレだったからな。少しは成長したところ見せてくれよ。」

 

ヘタレで悪かったな。今の若者は草食系が多いんだ。アンタたちの世代とは違うんだよ。

 

などと言う訳にもいかず、「ええ、まあ……。」と曖昧な返事しか出来ない。

 

そんな俺を尻目にミハイルさんは「俺が若い頃はな……」と自分の恋愛歴、もといナンパ歴を語り始めてしまう。誰か長引きそうなこの話を終わらせてくれる人はいないのか。武偵高の生徒だろうが誰だろうが構わない。客さえ来てくれればミハイルさんを止められるのに。

 

そう思っていると、店のドアに取り付けられたベルがカランカランと音を立てた。

さて、接客は親父たちに任せて俺は銃磨きを続けよう。そう思い、カウンターに目をやると、親父は腕を組んだまま硬直し、ミハイルさんはニヤニヤとしている。

 

不思議に思って振り返ると、そこには1人の少女が。

 

薄緑色のショートカットヘアに透き通るような鳶色の目、整った顔立ち。

そして肩には自分の背丈と同じくらいの狙撃銃をかけている。

 

細く長いバレルと大きく穴の開けられた銃床。

ひと目見て徹底的な軽量化が施されたと分かるその銃は、旧ソビエトが開発したドラグノフ狙撃銃。

 

 

その存在感と少女の美しさに、俺は目を奪われた。

 




ヤーシャと呼ばれていた主人公の本名はスヴァストラーフ・グリゴーリエヴィチ・ストロガノフです。ロシア人の名前は名・父称・姓の順で、スヴァストラーフの愛称がヤーシャなのです。
ヤーシャの父親はグリゴーリイ・レナートヴィチ・スミルノフでグリゴーリイの愛称がグリーシャになります。

名前に深い意味は全くありません。愛称だけ覚えて頂ければ十分です。

とりあえず3話まで終えたので、この先続けるにしても打ち切るにしても次回更新までしばらくかかります。

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