杏はどんなキャラにも出来る多様さがあって好きです。
午前9時、本来なら私は事務所に顔を出し、デスクに溜まっている書類の山を崩す作業に入っている時間だろう。しかし今日は違った。体は資本、社会人として私が大事にしているのは体と信頼だが、今日はその体がだめになってしまった。高熱を出してしまったのだ。
まず、朝起きて思ったのは頭が働かないことだった。何かおかしいと思い、体温計で熱を測ったら案の定、39℃の熱が出ていた。社畜である私はとりあえずそのことを言わずに事務所に出社していた。
流石に普段は元気にあいさつをする人間が顔を赤くしてマスクをし、目が虚ろの状態であいさつをしてきたら普通の人間なら体調を聞くだろう。そこからはよく覚えてないが、携帯電話に残っていたメールを見るに、心配した同僚たちが色々と買ってくれて、家まで送ってくれたらしい。やはり信頼は大事なものだ。私をベッドに寝かし、おかゆを作ってくれていたようだ。本当にありがたい。
幸いなことに今日は金曜日、平日なので担当アイドルの杏は今頃学校で勉強をしているだろう。午後からならメールしておけば見るだろうし、とりあえず今日は送り迎えができないことを連絡はしておいた。
うちのプロデュース方針は『自由にやれ』である。だからアイドルによってはバンジージャンプをしたり、スカイダイビングをしたりするらしい。杏にもさせるかは検討中だ。もちろんアイドルとの信頼関係がものを言うのであまり過激なことをさせないプロデューサーもいる、しかしそんなことではこの厳しいアイドル業界を生き残れないだろう。ちなみに私は過激派だ。握手会のボイコットには流石にこちらも度肝を抜かれたが。
・・・こうやってなにもせずにベットで寝ているのが落ち着かない。明日になるとやらなければならない書類がさらに積み重なるのだろう。そう考えると頭も胃も痛んでくる。だが今の私にできるのは安静にして風邪を治すことだ、と自分に言い聞かせて毛布をかぶりなおす。
ぐー、と腹の鳴る音で目を覚ます。どうやら寝ていたようだ。熱を計ってみるが・・・、まぁそんなに簡単には良くならないか。とりあえず食べて元気を出そうと考えているとチャイムがなった。この時間に来るということは同僚の誰かか、宗教勧誘とかだろうと思いベットから出る。よたよたと歩き、玄関を開けるとそこには杏がいた。
「やっほー、プロデューサー」
まぁ、なんとなくは来るかもしれない、とは思っていたので、別に意外性はない。しかし時間だ。今はお昼どき。学校があるはずだ。というかこいつ制服だし。杏はどうやら買い物をしてきてくれたようで、片手にバック、もう片手にスーパーの袋を持っていた。
と、固まっている私を無視して杏は扉をあけて家に入ろうとする。しかし私も慌ててそれを止める。意外性はないが中には入れられないし、門前払いしようとした。アイドルに風邪を移して仕事ができない、なんていうのは避けたかったからだ。
しばらく格闘していたが、つい咳き込んだ瞬間に中にするっと入られた。しかたがないので要件だけ聞いておかえり願おうとする。
「俺確かメールしたよな?用があるならメールしろよ・・・」
「なんだとー、杏様が直々に看病してやろうと思ってわざわざサボってまで来たのにー」
「いや、サボるなよ・・・」
思わず呆れてため息が出る。その瞬間また咳き込んでしまい、それを見た杏が呆れたように首を振る。とりあえず帰れ、という視線を送ると、杏はそれを無視してキッチンの方に歩って行った。
というかなんで杏は私の家を知っているのだろうか、教えたことはないはずだが・・・。そんな疑問が沸いてきたがとりあえず杏にキッチンを任せるのはなんとなく怖いので後ろに付いていった。キッチンに入ろうとすると杏に止められた。
「プロデューサーは風邪なんだからじっとしてなって」
悔しいが確かに今はやることがないだろう。こうやって杏の介護を受ける日が来るとは思いもしなかった。働かないんじゃなかったのかニートアイドル。とりあえずやることがない私はソファに座ってなにかを作っている杏を眺めていた。どうやらキッチンが高かったようで台を用意していた。そして台に乗って鼻歌交じりに料理を作る杏は普段と違い、新鮮だった。
ぼーっと眺めていたがなんとも犯罪テイストな絵ヅラである。見た目が小学生の女の子、しかも制服を着ている女の子が持ってきた自前のエプロンをつけて料理をしている。なんとも言えないモノがあった。もしくは娘が父親の看病をしているような光景だ。そう考えると少し涙が流れそうだった。
と、そんなことを考えているとどうやら何か出来あがったようでお盆に乗せて持ってきてくれた。うむ、やはり犯罪的だ。次は料理番組にでも出してやろう。
「なにつくったんだ?」
「んー?匂いでわかる・・・って鼻詰まってるのか。味噌汁だよ。お粥はあったしね。プロデューサー味噌汁好きだよね?」
その通りである。私は味噌汁が大好きで、白米と味噌汁があれば生きていけると思っている人間だ。ちなみに具材は大根と豆腐が好きだ。うん、入ってるな。
・・・というかそんなこと杏に言った覚えはないんだが。いい機会だからここで疑問を晴らそう。
「まぁ、好きだけどさ。俺杏に言ったことないよな?俺んちだって教えてないはず・・・」
「あー、そんなこと?全部事務所の人が教えてくれたけど?」
「俺の個人情報とは一体・・・?」
なるほど確かにそれなら合点がいった。というか普通最初はそこに思い至るはずだが、そうとう疲れていたのか頭が回らなかった。おそらくちひろさんか誰かだろう。そのあたりなら好きな食べ物や、自宅の話を知っていてもおかしくはない。
「まーまー、安心してよ、言いふらさないから」
「心配なのはそこじゃないけどな」
スキャンダルとかマスゴミとはほんとに勘弁だ。勢いづいている杏を止めたくないのもあるが、なにより担当アイドルとプロデューサーのスキャンダルはまっぴらだ。確かに仲は良いが、そこまでの関係ではない。杏もそこはわかっているのか、苦笑いをしている。
と、まぁ色々考えたがやはり看病をしにきてくれたのは嬉しいので礼を言うことにした。
「ま、わざわざ来てくれて嬉しかったよ。ありがとな」
と、言って飴が入った袋を渡す。
「まーね、流石に倒れられても困るし。まぁほかのプロデューサーに頼まれなきゃ来なかったけど」
「一言多いぞー。それがなきゃ休みをくれてやったのにな」
げ、という杏を尻目にまた咳き込む、すると杏も本気で心配したようで、大丈夫?と声をかけて背中をさすってくる。大丈夫だからとりあえず今日は帰れ、と言うと渋々だが荷物を持って玄関から出て行った。
私はそれを見送るとリビングに戻り、杏がつくった味噌汁を一口飲んでみた。少し冷ましてある味噌汁は人肌くらいの温かさでとても飲みやすい。杏に感謝をしながら完食し、薬を飲んでまた寝ることにした。
次に起きたときは夜の6時を回っていた。普段なら杏のレッスンも終わり、ラジオやテレビの収録もあるが今日は付いて行くことはできない。風邪は引くものではないな、と思った。
ふと携帯電話を見ると杏からメールが来ていた。
『こっちは問題ないからはやく治してよね。あと飴買っといて。』
まったく、こっちがこんな調子だと杏に申し訳ないな。
次の日、昨日のことが嘘のように回復した。・・・はずもなく37℃の微熱くらいに収まった。だが昨日よりは確実に回復しているので、今日はマスクを着けて出勤することにした。少しふらつくが大丈夫だ、問題ない。
事務所に入った時に同僚たちは心配していたが、溜まった仕事をやらなくてはならないので手伝ってくれるのか?と聞くと蜘蛛の子を散らすように自分のデスクに戻っていった。薄情な。
そうして仕事をしていると、いつの間にかアイドル達が集まってきた。アイドル達はここに来ると今日の予定を確認してアイドル同士で喋ったり、プロデューサーと話し合いをしたりしている。そんな中遅まきながらうちの杏も来ていた。
私はデスクを立ち持ってきていていたカバンから飴の袋を取り出して、杏を呼んだ。
「なにさープロデューサー。杏は疲れてるんd」
杏の言葉を遮って一個口の中に飴を入れてやる。勢い余って指も少し入ってしまい、抜くときに湿った、ちゅぷっっという音がした。杏は飴を舌で転がし、顔を赤くしながら言った。
「杏のために飴買ってきたのかーごくろー」
「ま、世話になったしな」
そういうと杏は、ほかのアイドルの元に戻っていく。
そういえば、誰が杏に私の家や好きな食べ物を教えたのかが気になり、ちひろさんに聞いてみた。
「あぁ、それなら私ですよ」
「・・・危ないですから、そういうことはやめてくださいよ・・・」
私がそう言うと、ちひろさんはふふっ、と笑みを浮かべた。この人は本当にアイドルを目指せるだろう。
「昨日杏ちゃんがすごい剣幕で電話してきたので、つい」
私はポカーンと、してしまった。あの杏がまさか本当に心配してくれていたなんて、涙が出そうだ。しかし、そうならそうと言ってくれれば言いのに、なんで黙ってたんだろうか。
「言ってくれればよかったのに」
「杏ちゃん、プロデューサーに対して恥ずかしがり屋なところもありますからね。きっと恥ずかしかったんですよ。まったく揃いも揃ってツンデレなんですから」」
「さーて、なんのことですかね」
図星を突かれたが、なんとか普通の態度をとれただろう、と思いちひろさんに背を向ける後ろからクスクス笑う声が上がるが無視をして杏のところに向かう。ソファに座って他アイドルと話している杏の後ろに立つ。気づいているほかのアイドル達は少し苦笑いを浮かべている。
「おい、杏!」
「うわぁ!なんなのさ、プロデューサー」
後ろから声を掛けたからだろう。ビクッ、と肩を震わせて杏が驚き、こちらを向く。
「今日はオフな」
私のこの言葉に周りにいた人々がざわめく。それはそうだろう、仕事をサボらせるプロデューサーなど聞いたことがない。ただでさえサボっている杏が相手なのだ。普通はそんなことにはならないだろう。しかし今回は違った。
「どういう風の吹き回しなの?プロデューサー」
「風邪の吹き回しですー」
「・・・あーあ、やっぱりバレちゃったかー」
「ま、杏とは短くないしな」
そう、杏は私の風邪がうつってしまっていたのだ。さっき口の中に指を入れてみて思ったが、少し体温が高い気がした。まぁ顔が赤かったのもあるが。
杏はしぶしぶ、といった感じでソファから降りる。
「ほれ行くぞ。すまんがきらりちゃん、こいつを背負ってくれないか?」
杏の座っていた場所の向かい側にいたきらりちゃんは、頷いて杏に声をかけて、背負ってくれた。
「それじゃ、お騒がせしました」
私はそう言って、きらりちゃんを連れて車に駐車場に向かい、車に乗せるようにお願いする。杏ちゃん、だいじょうぶに?と、きらりちゃんが聞いてきたが、まぁそれほどのことでもないし大丈夫だ、といっておいた。
車を発進させ、病院に向かっていたが、私は少し厳しい口調で杏に言った。
「俺の世話をしてくれたのは嬉しいが、自分のことももっと考えろ」
こういうと、杏はぷっ、と吹き出して、私にいった。
「そんときはプロデューサーがなんとかしてくれるでしょ?」
「ま、そうだな」
このあと、薬をもらい、私が看病したがそれは別のお話。