怠惰な飴のプロデューサー   作:輪纒

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杏ちゃんの本心がどうかはご想像にお任せします。



怠惰な飴と絵本作家

午前10時、私は走っていた。ランニングなんてスピードではない。風を切り、顔を苦悶に歪ませ、額には汗がにじんでいた。そしてそんな私がたどり着いたのはいつも出勤している事務所だ。

 バタンっ、と大きな音を立てて入ってきた私に、事務所の中にいた人は驚いていた。私は心の中で謝りつつ

、息を整えて、ふぅー、と息を吐いてから、口を開いた。

 

「誰か杏を見ませんでしたか。」

 

 そう、久しぶりに杏がサボったのである。最近はサボっていなかったので、少し油断していた。

 今日はレッスンの日だった。今考えれば、不幸中の幸いというべきか、撮影の日ではなくて助かった。事の始まりはトレーナーさんからの電話だった。というかそれで話は終わりなのだが。電話が来た時にはとても嫌な汗が流れた。『杏が来てないぞ』という連絡を受けたときは、電話越しにもかかわらず頭を下げていた。そこからは、まぁいつもの流れでここまで来ていた。ここに来たのは、最近の杏ならサボっても事務所にはいてくれるだろう、という希望があるからだ。

 そしてそんな私に、ちひろさんが申し訳なさそうに言った。

 

「すみません、私も少し用事があって出払っていたので・・・」

 

 どうやら裏方組には期待できないようだ。アイドルたちに聞こうと思ったが、どうやらいないようだ。仕方がないので、とりあえずデスクで一息をつくとしよう。そう思いとりあえず座って杏に電話をしてみる。しかし電源を切っているのか出てこない。ちくしょうと思いながら、買っておいた缶コーヒーをすすり、冷静になってみる。そしてふと、隣のデスクを見ていたら、少し動いた。

 何事かと思っていたらあることを思い出し、デスクの下を覗くとやはりいた。中にいた人物は覗いてきた私に気づくと、ひっ、と小さく悲鳴を上げた。少し傷つく。

 

「森久保ちゃん、おはよう。ちょっと聞きたいことあるんだけどいい?」

 

「・・・なんですか。いぢめですか。ついに森久保は自分のプロデューサーだけでなくお隣さんのプロデューサーさんからもいぢめられるんですね・・・」

 

 私は片手を森久保ちゃんに見えないようにデスクの上にのせて携帯電話をいじりながら、話をしはじめる。

 

「いやー、杏がどこいったかしってるよね?教えてほしいなーってさ」

 

「杏さんがどこにいったかなんて森久保がわかるわけないです・・・ソファに隠れている杏さんなんて・・・」

 

 そこまで言うと、ソファが少し動く。私はため息をつくと、携帯電話を弄っていた片手を戻して椅子から立ち上がり、森久保ちゃんに礼を言う。

 

「森久保ちゃんありがとう。そしてごめんね?」

 

 私の謝罪の意味がわからないようだが、こっちは微笑むことしかできない。そして私が森久保ちゃんに背を向けてソファに向かうのと同時に事務所の扉が勢いよく開かれて、怒号が飛んでくる。

 

「森久保ォ!!お前レッスンサボりやがったな!」

 

 声の主は、森久保ちゃんのプロデューサーだった。先ほど、森久保ちゃんと会話する前に、そういえば森久保ちゃんもレッスンだったな。と思い先回りで連絡してしたのだ。

 嗚呼、プロデューサーという仕事はなんと血も涙もない職業なのだろうか。後ろから森久保ちゃんの恨めしい視線が刺さるようだが無視をしてソファに向かう。ソファにおいてあるクッションは不自然に盛り上がっており、めくってみると必死に顔を隠している杏がいた。私は声もかけずに杏を抱え上げると、肩に担ぎ運ぼうとした。

 この手際に顔を上げた杏がツッコミをいれてくる。

 

「いや、なんか言おうよ。プロデューサー」

 

「悪いが時間が押してるんでな。漫才も会話もしている時間はないんだ」

 

「いや、抱えてる方が時間の無駄・・・、ってあぁ、もう。降ろしてよ」

 

 要望通りに降ろしてやると杏は、持っていたうさぎからタイマーを取り出した。そしてストップボタンを押すと満足そうにドヤ顔をした。意味がわからずにそれが何か聞くと、鼻歌交じりに答えた。

 

「これー?んー、杏が隠れてからプロデューサーが見つけるまでの時間だよー。ちなみに今日はここ二か月で最長の記録だー」

 

 その場に崩れ落ちそうだったがなんとかこらえた。しかし、もはやそれにツッコム気力が沸いてこなかった。とりあえず時間が押しているので、杏に準備をさせようとしたがいつのまにか目の前から消えていた。するとデスクの下から杏が出てきて意地の悪そうな笑みを浮かべて私を呼んだ。

 

「見なよこれ。たぶん乃々の手帳だよ。たぶんいろんなことが書いてあるんだろうなぁー」

 

 そういう杏の手には可愛らしい花がプリントされた手帳があった。今杏が出てきた場所は森久保ちゃんの定位置なので、間違いないだろう。確かに気になる話だし、これをお隣のプロデューサーにでも渡せば森久保ちゃんの仕事は増えるだろう。だが、今はそれどころではない。森久保ちゃんもレッスンだが杏もレッスンなのだ。

 

「わかったわかった、後で話は聞いてやるから今はとりあえず準備をしろ!」

 

 はいはーい、と言いながら杏は荷物も片づけ始める。

 嗚呼、なんて損な仕事なのだプロデューサーは。これは遅刻確定の叱られるコースだ。私は時計を見ながらそう思った。

 

 

 

 

 午後6時、会議を終えて戻ってきた私は事務所の仮眠室から声が聞こえた。どうやら森久保ちゃんと杏が会話をしているようだ。手帳のことだろうか、と思いこっそり扉に近づき、聞き耳を立てた。

 

「乃々にこんな才能があったなんてねー。さすがの杏も驚いたよー」

 

「は、恥ずかしいんで誰にも言わないでほしいんですけど・・・」

 

 どうやら手帳の中身の話でビンゴのようだ。しかし才能だと?まさか本当に森久保ちゃんの仕事が増えることになるのか?そう思い、話を聞くのを続行することにした。

 

「いや、これは仕事が増えるんじゃない?そして杏の仕事が減る・・・。うん完璧だね」

 

「も、森久保のお仕事はこれ以上増えないですし、万が一にでも森久保のお仕事が増えても、あ、杏さんのお仕事は減らないんですけど・・・。逆に森久保が減らしてほしいくらいなんですけど・・・」

 

 そんなことはさせてたまるか、杏はこれ以上増やすし、もちろん森久保ちゃんの仕事も増やされるだろう。よし、この会話を最後まで聞いて、それを踏まえて森久保ちゃんのプロデューサーと会議にしゃれこんでやる。というか森久保ちゃんはなんの才能を持ってるんだ・・・?

 

「乃々がポエマーなのはなんとなく気づいてたけど、まさか絵も上手いなんてねー」

 

 なんと、森久保ちゃんは絵も上手いのか。これは仕事の幅が広がりそうだ。というかポエマーなのか。

 

「森久保の将来の夢は絵本作家なんです・・・。笑わない子だった森久保が笑顔になれた絵本を、今度は森久保が書いて誰かを笑顔にしてみたいんです・・・。」

 

 その言葉には普段おどおどして自信なさげな森久保ちゃんはいなかった。自分の夢のために頑張っている森久保乃々がそこにはいた。

 ・・・まぁ今も笑顔になれているか、といったら微妙なんだろうが。

 

「なおさらこれ関連の仕事を増やした方がいいと思うんだけど。」

 

「まだ全然見せられる状況じゃないんですけど・・・。」

 

 ここで森久保ちゃんのプロデューサーでないことが悔やまれる。もしそうだったらこの場で突入してすぐさま話し合いにもちこめたのに・・・。

 というか今の自分を客観的にみると、とてもやばいやつだ。バレないようにしゃがんで片膝を立てて扉に耳を当てて頷いたりしているやつ。通報されてもおかしくはない。

 

「あ、杏さんは将来の夢はないんでs

 

 コンコン、と無意識に扉をたたいていた。慌てたような音が中から聞こえてきて、しばらくしたら扉があいたので私はしらばっくれて言った。

 

「あ、森久保ちゃんか、ごめんごめん。杏いる?」

 

「プロデューサー、どーかしたの?」

 

「そろそろ帰る時間だからな、呼びに来たんだよ。」

 

 はいはい、と言い杏は仮眠室のベットから飛び降りて森久保ちゃんに手帳を渡してから仮眠室を出ていく。私も森久保ちゃんにもう少しで森久保ちゃんのプロデューサーが帰ってくることを伝えて、杏のあとを追った。

 

 

 

 

 家まで送るために、車のエンジンをかけたところに杏はやってきた。杏は助手席に乗り、勝手に私のカバンから飴を取り出して口に放り込んだ。発進してしばらくは無言だったが、そのうち杏が思い出したように口を開いた。

 

「プロデューサー、絶対杏たちの話聞いてたでしょ。」

 

「・・・よくわかったな。」

 

 正直、驚きすぎてハンドルを変な方向に曲げそうだった。が落ち着いて返答できた、と思う。

 

「だってタイミング良すぎだもん。ふつーにわかるでしょ。」

 

 まぁ確かに、杏に質問が飛んだ瞬間にノックをしたのはわざとらしすぎた。それでもまさか気づかれるとは思っていなかった。ふっ、と自嘲的に笑うと杏は少しこちらを覗き込んで言った。

 

「なんで質問を遮ったの?」

 

「・・・どうせ印税生活、とかって言うつもりだったろうからな。森久保ちゃんの将来がそれに変わったら責任をとれないだろ?」

 

 嘘だ。本当は別な気持ちがあったが、言うほどのことでもないだろう。

 

「はい、ダウトー。言い訳じみてるよプロデューサー。」

 

 バレた、何故だ。

 

「で?本当はなんでなの?」

 

 ちらと、杏を見ると顔はこちらを向かずに前を向いているが、顔は真剣だ。よほど気になるのだろう。私が答えずにいると、杏も何も言わなくなり、また無言のまま時間がすぎ、杏の家にたどりついてしまった。

 杏はシートベルトを外し、じゃーねー、といい降りようとした。

 

「嫉妬したんだ。」

 

 私の言葉に杏の動きが止まる。顔はすでにこちらとは逆にあり、表情を見ることができないが話を続ける。

 

「俺にはいつもはぐらかすけど、あの雰囲気なら言いそうだったからな。」

 

 そうだ。普段私は杏から『印税生活はまだまだかなー』とか、『楽して生きたい』とかしか聞かないのに、私に言わずにほかの人に言うのはちょっと裏切られた気分になる。

 言ってみて思ったが少し気持ちが悪い。プロデューサーとアイドルの本来なら淡泊な関係なのにこんなことを言うとは自分でも気持ちが悪いと思う。

 

「気持ち悪いな、忘れてくれ。」

 

 私がそう言うと、杏は振り返った。その顔は、してやったり、といった顔だ。

 

「やっとプロデューサーの本音が聞けたよー。全然言ってくれないからねー。あーあ、それにしてもまさかこんなに思われてるなんてなー。」

 

 顔から湯気が出そうな気持ちだったが、なんとか抑えた。

 

「じゃあ、杏の将来の夢は何だ?」

 

 ずっと聞いてみたかった質問をしてみることにした。すると杏は待ってましたというような顔で言った。

 

「印税生活、だよ?まさか忘れちゃったー?」

 

「はっはっは、ならそのために明日から仕事の量を増やしてやろう。」

 

 明日から絶対仕事を増やしてやろう、と心に誓った。


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