汗ばむ肌。そして肌に張り付く服。上気した頬、息は荒く、吐き出される息は白く、風でどこかへ飛ばされる。下から見上げる目は潤んで、こちらを誘っているようだ。だが、その目はこちらの目を覗き込んでおり、その目からは強い意思を感じる。
「プロデューサーも、そうなの?」
私の目の前にいる双葉杏は、少し怒りを込めた口調で尋ねてくる。今、私は杏の片腕を掴んで動けないようにしている。小柄な杏はこの状況ではどこにも逃げることは出来ないだろう。傍目から見れば、私はまるで誘拐犯に見えることだろう。
私は心の中でため息をつく、どうしてこうなった、と。
時は9時間前、午前12時から始まる。私たちプロデューサーたちなどアイドルの裏方組は仕事の間の休憩をとっていた。ほかのプロデューサーはお昼のご飯を買いに行ったようだが、お弁当組である私とちひろさんは昼食をいただきながら雑談に耽っていた。
「……ということなので、今日は流星群が見れるらしいんですよ!」
「それはあの娘たちも観たいでしょうね…」
ちひろさんが言っていたことを要約すると、今日は流星が見られるらしい、だから今日は事務所を早めに閉めて上がりにしてもいい、とのことなのだ。流星群がどうとかは知らないが、早く帰れるのは嬉しい、やるべきことも溜まっているので、処理しておきたいからだ。
私が所属している事務所はなかなかの規模にまでなってきた。抱えているアイドルの数、事務所の大きさなどもだが、LIVEの回数なども多くなっていた。だが二週間後に控えている大きなLIVEにはアイドルたちだけではなく、私たちも浮き足立っているのだ。何故なら次のLIVEほどの規模はなかなか久しぶりであり、私が入社する前にあった以来だから、プロデューサーもアイドルも半分以上は経験してないのだ。それを見かねた上の判断で今日は少し早く上がって一旦気持ち落ち着かせることにしたらしい。
もちろんちひろさんがこうやってお喋りになっているのも、少し緊張があってのことだろう。そんな私も少し緊張はしているのだ。
「あ、そろそろ仕事の時間じゃないですか?」
ちひろさんのお喋りにつき合っていたらお弁当を食べそこねてしまった。私の今日の業務は杏の送り迎えとLIVEの設営や資料などをまとめる作業だけなので、明日に持ち込まないように終わらせられるから後で食べよう、と思うことにした。
「楽しいお喋りでした。また聞かせてください。」
私が笑顔で少し皮肉を効かせると、ちひろさんはそれに気づいたようで、ごめんなさい、と笑いながら謝った。
杏の予定は基本的に午後に多めに入れられている。もちろんLIVE前なのでレッスン以外の予定をあまり入れない、という理由もあるが単純に午前は杏が寝ている可能性があるからだ。遅刻が増えてきたときに試験的に午後にスケジュールを詰め込んだら、遅刻の回数や欠勤が減ったのでそのまま午後スケジュールになっている。
今日は学校があり杏は夕方からのレッスンになる。学校自体がない大人組などはレッスン前に仕事が入っているが、学生組は大変だろう。
業務の半分が終わった頃には15時になり杏をレッスンに連れて行く時間が来ていた。PCを閉じ、迎えに行くために準備をすると続々とほかのプロデューサーたちも準備に入ったものもいた。ノートPCを荷物の中に入れているところを見ると、家で続きをやるようだ。
杏とは、学校の帰りに拾うときは近くのコンビニで待ち合わせにしている。わかりやすく、軽食や飴も買えるから一石二鳥なのだ。いつもは少し遅れてくる杏だが、今日は珍しく待ち合わせ時間よりはやく着いていた。後ろの席に乗り込む杏に、飴を渡すと黙って食べ始めた。
そこからレッスン場に着くまで無言だったが、降りるときに小さく、いってくる、とだけ言っていた。
事務所に帰ってきたとき、中には数人しか残っていなかった。私はため息をついて、デスクにつき、隣のデスクの森久保ちゃんのプロデューサーと仕事をしながら話した。
「森久保ちゃん、今日はレッスン行ったんだな。」
「珍しく逃げようとはしてなかったよ、緊張はしてたみたいだけどな。お前のとこの杏ちゃんが羨ましいよ、緊張とは無縁そうで。」
「……そうだな。」
今日黙っていたのは緊張だったのだろうか、いやなにか違う気がする。少しもやもやを抱えたまま仕事に戻った。
「それじゃ、お疲れさまです。」
20時過ぎ、中には数人を残し、私は帰路についた。すでにレッスンは終わり、アイドルたちも帰っているだろう。私の帰る道にはレッスン場が見えるため少し確認していくことにした。しかし驚いたことにまだ明かりが付いていた。私は少し怪しみ、レッスン場に入ることにした。
レッスン場には誰もいなかったが、上から少し音がした。この上は屋上なので音がするのは誰もいないはずだが、と思い屋上に向かった。
そこから聞こえてきたのは、歌だった。次のLIVEで使う歌だ。歌っている声は聞き慣れた杏の声だった。覗き込むと杏は自主レッスンをしていたようだった。自分が歌う曲に合わせて歌い、時々止まって同じ動作を繰り返していた。
杏が自主レッスンをするのは珍しい。なんでも一応出来る、がモットーの杏は自主レッスンをあまりしないでもLIVEに臨んでいたからだ。私は杏の汗の量を見て、おそらく長い間やっていたのだろう、と思いそろそろ止めることにした。
「杏、自主レッスンもいいけど、そこまでだ。」
まさか誰かいるとは思っていなかったようで、ビクッと肩を動かした杏はこちらを振り向いた。それから少し悪いものを見られたらような顔をして、顔を背けた。
「どうかしたのか?そんなにLIVEが心配か?」
私がそう尋ねると、杏は首を振り、こう応えた。
「プロデューサーはさ、私がダンスや歌に向いてないと思う?」
私はそう言われて少し言葉に詰まった。確かに杏はダンスなどをするには小柄だ。それは肺機能が低いこともだが、悪目立ちする、ということでもある。小柄故にそこには完璧なダンスや歌が求められる。
杏がこう聞くということはなにかあったのだろうが、と考えているうちに杏は私の横を通り過ぎて帰ろうとしていた。思わず私は杏の腕を掴み引き止めた。杏は少し驚いた顔をしたが、私の言葉を待っているようだ。なので私はとりあえず何があったかを聞くことにした。
「誰かに言われたのか?」
杏は掴まれたまま、少し俯いて答えた。
「授業の体育のときにさ、転んじゃってね。そのときにクラスの人に言われたんだよね。『それでダンスできるの?』ってさ、何気なくだと思うんだけど、もしかした本当にアイドルに向いてないんじゃないかなって思ってさ。」
杏はそう言いながら徐々に顔を上げてきた。言葉に怒気を含ませ、私の顔を見つめてこういった。
「プロデューサーもそうなの?」
ため息をついた私を見て杏は何かを察したように腕を振り解こうとする。私はそんな杏の肩を空いている手で押さえると、杏は少し大人しくなった。
「杏、俺がお前をスカウトしたときになんて言ったか覚えてるか?」
我ながら月並みなセリフだと思う。杏は少し考えていたので腕と肩を離して、私は屋上の床に座り込んだ。
「……印税の話しか覚えてない、プロデューサーなんて言ってたっけ?」
「お前なぁ…、『君でもここにいるファン一号を喜ばせるアイドルになれる!』だよ。」
思い出すとものすごく恥ずかしいことを言っていた。杏も思い出したのか、そういえば、みたいな顔をしていた。そしてプッと小さく笑った。
「ずいぶん恥ずかしいこと言ってたねー。」
「俺も恥ずかしいと思ってたんだからそう言うな。……で、だな、確かにお前はもしかしたらアイドル向きじゃないかもしれない。」
私がそう言うと、杏は少し悲しそうに笑った。
「だけどな、それがどうした。世の中には30を過ぎてアイドルしてる人もいる。恥ずかしがり屋なのにアイドルをしてる人もいる。それどころか小学生でもアイドルをしてんだ、杏の悩みなんか小さいもんだ。」
私の言葉でハッとしたのか、杏は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。そしてせき止めていたものを吐き出すように笑った。ひとしきり笑った後こっちを見てわざとらしく言った。
「あーあ、杏らしくなかったねー。うんうん、ファン一号のために杏らしさを取り戻すよー。」
「お前しばらくそれ言うつもりだな!……ま、次のLIVE頑張れよ?ファン一号のためにさ。」
そう言うと二人で笑い会った。
そろそろ帰ろう、としたときに急に杏がよろけた。おそらくオーバーワークだろう。ひとりで歩かせるのは心配だったのでとりあえずおんぶをして運ぶことにした。杏の肌は少し熱を帯びていて、首筋に当たる息はこそばゆい。すると急に杏があっ!と声を出した。
「流れ星だー、そう言えば今日かー。」
ここは都会なのでそこまで多くは見えないがそれでも多くの流れ星が流れていた。私は心の中で小さく願い、杏に声をかけた。
「なんか、願っとけ。この量だし、もしかしたら願い叶うかもしれないぞ?」
「ほんと!?えーっと、週休八日にしてください、飴を一生分ください、印税をいっぱいもらえますように、あとはー…」
「杏の願いが叶いませんように!杏の願いが叶いませんように!杏の願いが叶いませんように!」
「……あと次のLIVEが成功しますように。」
ほんとに杏はかわいい奴だと思う。親バカ、いやプロデューサーバカだと思うが、こいつならトップアイドルになれるんじゃないか、と思える。だから私は流れ星に願う。
「杏の願いが叶いますように。」
私の小さな願いは必ず叶うだろう。