二月某日、現在23時、本日も我が家は寒さに悩まされていた。一週間ほど前にうちの暖房器具のオンリー、孤高のエースであるストーブがお亡くなりになられた。それ以来、外気が直接感じられるようになり冬の寒さを身に沁みて楽しませていただいていた。確か昨日やっていたテレビ番組では『冬を楽しもう!』とか銘打って色々な商品を紹介していたが、おそらく死んだ顔でテレビを見ていた自分が想像ついた。
「あぁ、寒い…」
私のアパートにはエアコンなどはなく、湯たんぽなども買ってはいなかった。ストーブを過信していたのである。そんな中私がとれる行動は布団にくるまり寒さに体を震わせて歯をカチカチ鳴らすことだった。
「明日の打ち合わせ大丈夫かなぁ…」
打ち合わせ。そう明日は午後から打ち合わせなのだ。私の担当しているアイドル、双葉杏と諸星きらりの二人でバラエティに出そうとしていた。まだ企画段階にも行っておらず、飲みの席できらりちゃんの担当プロデューサーと話し合っただけの、突発的な企画だった。
「取り敢えず、明日は6時起きだ…」
目覚ましがセットされているのを確認して、布団を頭まで被り目を閉じる。最後に寝る前に見た時刻が24時を廻っていたので少なくともそれより後に寝ていたのだろう。
早朝、カーテンから漏れた光が顔に刺さり、その眩しさで目が覚め、タイマーをセットしている時間より早く起きる。いつもの朝。
……となるはずだった。私はタイマーの音で目が覚めた。何故だ?と思いカーテンを開くと実に激しく吹雪いている東京の空が見えた。しまった、昨日はあまりの寒さにテレビを点ける暇もなかったのを忘れていた。天気予報を確認してなかったのだ。
「うっわ、出社したくねぇ…」
スマホの電源をポチ、メールが三件。その中にちひろさんからのメールが届いていた。
『本日の吹雪により交通機関が使えない可能性があります、車で出社される場合は気をつけてください。』
鬼!悪魔!ちひろ!
そういえば残り二件はなんだろうか、少し下を見ると双葉杏、の文字。なんとなく内容はわかるから見たくなかった。だが重要なことだと困るので一応見る。
『行くのめんどいから迎えよろ』
……つくづく世界は私を出社させたいらしい。
現在8時、場所は杏が住んでいるマンションの下。スマホを取り出して電話をかける。もちろん電話先は杏だ。コールするが出ない、しかしいつものことなのでもう一度かける。外はまだ吹雪いており、車の窓に当たる雪は先ほどよりはマシになってきているようだ。
『あ、プロデューサーおはよー』
何コールかしたあと電話が繋がる。間延びしたような声、間違いなく杏だ。はやく事務所に着いて暖まりたい私は杏に催促する。
「おはよう、下で待ってるから早く来てくれ。ここ車の中とはいえ寒いんだ。」
『んー、それなんだけどさー。』
そう言うと杏は少し黙る。悩んでいる声が聞こえているので何か言いにくいことなのだろうか。まさかここまで来て行きたくない、などと言うであろうことを予測して、ダメだ、を言う準備をしておく。
『杏の部屋で休まない?』
「だめ……ってええ!?」
コイツハナニヲイッテルンダ?確かにこの車の中は寒い、杏の部屋の中は暖かいのだろう。あれ、断る理由がなくない?
いや、流石にそれはまずい。確かにプロデューサーとアイドルの関係としては私と杏は仲がいい方だが、流石にアイドルの部屋に入るのはプロデューサーとして良くない。うん、だめだ。断ろう。
『だめなの?こたつあるけど。』
「行くわ。」
即答だった気がする。
そんなわけで私は杏の部屋の扉の前で待たされている。結局寒いところにいる目に逢っているが、これから暖かいところにいくことを考えたらいいことだろう。待たされているのは杏が珍しく部屋の掃除をしたいからだそうだ。曰わく、座るところがないらしい。
しかし、二つ返事で杏の部屋におじゃますることを決めてしまったがこれは許されるのだろうか。パパラッチに見られたらまずいし、万が一にもないだろうが、億が一にでも間違いがあってしまっては、クビを本当に切らなくてはならない。まあ、ここまで来てしまったし、腹を括るとしよう。
指は手袋をしているためそこまで寒くはないが耳と首はそうはいかない。そろそろ耳に当たる雪もきつくなってきた。そんなことを考えていると扉が少し開いて杏の小さい頭がぴょこっと出てくる。
「待たせてごめーん。とりあえず上がりなー。」
「いや、こっちも悪いな。おじゃまします。」
荷物を玄関に置き、コートを脱いでその上に置いておく。そして杏の案内でリビングに通される。リビングに通されたときに、こう言っては失礼かもしれないが杏の部屋は思ったよりも片づいていた。というか掃除をしたからかもしれないが。目立つものとしてはまず大型のテレビだろう。そしてそのデッキの部分には色々な機種のテレビゲームがある。そしてメインであるコタツはけっこう小規模で、人四人が入るのが限界だろう。
「外寒かったでしょ、コタツ入ってていいよー。」
そう言って杏はリビングに消える。私は悪いな、と言いコタツに足をいれる。冷え切った足にストーブとは違う、優しい温かみが下半身を包む。おもわず息が漏れてしまう。ちらと時計を見ると8時半を過ぎるか過ぎないかくらいだった。一応ちひろさんに連絡を入れておこうと思い、メールを返す。そう言えばあと一件来ていたメールは誰からだったのだろうか。確認しようとしたとき目の前にマグカップが置かれる。
「ほら、ココアだけど、甘いもの嫌いじゃなかったよね?」
「……ほんとなにからなにまですまんな。」
「はっはっはー、そう思うなら休みをよこせー。よこさないならサボるぞー。」
「結構取ってやってるつもりなんだけどな…」
杏は私の目の前に座り、ココアをすすり始める。その杏をじっと見て、体は小さいのによく頑張るな、と思う。
サボるサボると言うが、杏はアイドルを始めた頃に比べればサボる回数は激減していた。当初は何も言わずにレッスンなどをサボることも多々あったが、最近はめっきり減った。サボるときにはきちんと一言言うし、いなくなったとしても事務所を探せば隠れていることが多い。
これもユニットを決めた当たりからだろう。よほどきらりちゃんは杏とって気が合う存在なのか、事務所でも一緒にいるところをよく見る。
「さっき掃除してたみたいだけどそんな汚かったのか?座れないと言ってたからもっと汚いのを想像してたんだが。」
ココアを啜りながら私がそう言うと、同じくココアを啜っていた杏がマグカップから口を離してため息をつく。そして呆れたような口調で言う。
「普通さ、そう言うこと聞くかな?」
「失礼だったか?そりゃすまん。」
何か言いづらいことだったのだろう。それに女性にこういうことを聞くのは失礼だと言ってから気付いた。だが杏は普通に答えてくれた。
「別に大丈夫だけどさ…。あれだよ、パジャマとか下着とか服とかがそこらじゅうに落ちてたからそんな状態じゃ落ち着けないでしょ?」
その言葉を聞いて少し咳き込む。そして私も呆れたような口調で杏に言う。
「お前はほんとにアイドルとしての自覚ないな……。」
こいつは本当に女子力とかの変わりにアイドルとしての才能を手に入れてるのではないだろうか。アイドルと女子力という切り離せないようなものを取捨選択してるとは本当に恐ろしい存在だ、と再確認した。
「そう言えばなんで俺を家の中に入れたんだ?」
ここで少し気になっていたことを聞いてみた。まさか本当にこのことだけで休みを貰えるとは思っていないだろうし、何か理由か、手伝ってほしいことでもあったのだろうか。しかし杏はきょとんとしてから言った言葉は私を驚かせた。
「プロデューサーがストーブ壊れたって嘆いてたからさ、杏のコタツ自慢してやろーって思ってさ。」
なんてやつだ。さっきまでの感動を返せ。杏ははっはっはーと言い、コタツに潜り込む。もう怒った。事務所にすぐに連行してやる。
「まあそれだけじゃないよ。今日午後からなのに寒い中働かせるのは可哀想かな…って嘘!嘘!忘れろ!」
前言撤回。やっぱり許してやろう。杏はたまにこういうことをしてくるからたちが悪い。お礼を言うために杏に顔を見せろ、というと渋々コタツから顔を出した。その杏の顔はコタツせいか、恥ずかしいからかわからないが真っ赤になっていた。
「ありがとな、絶対休み取ってきてやるよ、杏。」
「うむ、よきにはからえー。」
そう言うと杏はまたコタツに潜ってしまった。仕方ない奴だな、と思い、ふと外を見ると吹雪が止んでいた。これなら雪が当たらない分そこまで寒くはならないだろう。
「おい、杏!吹雪いてないからすぐいくぞ!」
「えぇ…、まだコタツの中で寝ていたい…。」
「うだうだ言うな!俺外で待っててやるから!着替えてすぐこいよ!」
数十分後、着替えた杏を車に乗せ、エンジンをかけようとする、そこで少し残りの一件のメールが気になって確認するときらりさんの担当プロデューサーからだった。
『風邪を引いたので今日は行けません。すいませんがまた別の日にお願いします。』
後日、ストーブは直った。もちろん、きらりさんの担当プロデューサーを叱ったうえで。