この話は私がずっと書きたかった話です。特に杏とPの関係性的な意味で。
女性とプールに行くのは何年ぶりだろうか。まぁ、相手は杏なのだが。
高校時代には体育の授業でプールに入ったことがあったが、何しろ私は女性と縁がなかった。男子校というわけではないのだが、まぁ、その、察してほしい。
だが今日は水着姿でいるというのは不可能だった。何故なら急な話だったから、水着も持ってきてない。このバカでかいプールを泳いだりできないのはとても残念だ。嗚呼、残念でしょうがない。
そんなことを言っているから、杏がここのプールの管理者に『男用の水着を貸してほしい』なんて言ったのだろう。これ以上櫻井家に迷惑をかけると、私の心労が・・・胃が痛い・・・。
その上、ここのプールを貸して頂いた櫻井家の方にとりあえず挨拶をしに行ったときにまず、門の大きさに驚かされ、助手席に杏を座らせている私を見て守衛の方が通報しようとしたり、一応近くに人を配置するが、男女二人きりでプールを利用することについて軽く櫻井家の別荘の管理者が言及してきたので、そのことのついて弁明をしたりなどで心が休まらなかった。
まぁ、一緒にいる相手は良い意味でも悪い意味でも杏なのだが。
私は自分の腕時計を見る。時計の短針は7を指し、陽は半分ほど遠くに見える山の中に沈もうとしている。
隣にいる杏はフリルの付いたオレンジの水着を着て、デッキチェアで何やら飲み物を飲んでいる。その姿を見て、私ものどが渇いたな、と思い私の寝そべっているデッキチェアの横にあるテーブルから飲み物をとりストローに口をつける。・・・何故杏は私とここまでデッキチェアを近づけたのか?考えてはいけない。
「男の人とプールかぁ・・・。何年振りだろ。でも楽しまなきゃ損だよね!」
そんな私の心の中を読み取ったかのように、私と考えていたことと似たようなことを言うと、杏はデッキチェアから勢いよく立ち上がる。座っていたデッキチェアにお気に入りのウサギのぬいぐるみを置くと、25mプールを4つほどくっつけたような大きさのプールの飛び込み台まで歩いていき、深呼吸をする。飛び込み台の高さは水面から1mもないほどだが・・・杏は勢いよく飛び込んだ。
水しぶきがこちらまで飛んできたので、私は咄嗟に横のデッキチェアを守った。バカなのか杏は、このぬいぐるみにスマホも財布も入ってるのにこっちまで水を飛ばしやがって。私は濡れたパーカーを脱いで自分のデッキチェアに投げる。
「おい、杏!危なくうさぎに水がかかるところだったぞ!」
私は自分にかかった水を手で拭いながら杏の方を見ず叫ぶ。しかし私の叫びも虚しく、杏は無視をする。杏には私の言葉は届いていないようだ。杏を見るとプールにプカプカと目を瞑りながら浮かんでいる。夕日を反射した水面はキラキラと輝き、杏のブロンドの髪をも反射して一枚の絵画のようだった。
・・・少し見惚れてしまった。
私はブンブンと頭を振り、見惚れてしまった恥ずかしさを払おうとする。顔が熱くなってくるのをプールに顔を突っ込んで冷ます。4,5秒経ってから顔を上げると杏が驚いた顔でこちらを見ている。私は不思議そうな顔をしている杏に手でしっしっ、と手で視線を払う。そう言えば杏はさっき男とプール行くのが久しぶりとかどうか言っていたな。それに関して詳しく聞くとしよう。
「・・・男と行ったことあるのか?それって誰とだ?」
杏は私の言葉に驚いたのか、浮いていた体勢から溺れだした。恐らくだが、杏はプールの底に足が着かないのだろう。私は焦ってプールに飛び込み、溺れかけている杏を下から抱きかかえて自分の体の方に寄せる。杏は私の首の後ろに手を回して抱き着いてくる。杏の小さな顔が私の横にくる。このテのイベントは胸がふにっと当たってドキドキするのがテンプレだが、凹凸の少ない杏の体を抱きかかえると、失礼な話だが、子供を抱きかかえているような気分になる。
「プロデューサー!驚かさないでよ!」
杏が私の顔の横、耳のそばで大声をあげるのでキーンという音がする。
「俺のせいかよ・・・」
横暴だ。まぁしかし私が驚かしてしまった事実には変わりないので杏には謝っておく。
この体勢のままでいると急に杏がもじもじしだした。どうした、お花でも摘みに行きたいのか。と思ったが私も冷静になって考えてみると、傍から見たらこの光景は杏とただただプールで抱き合っているだけだ。そんなことを考えていると、私の顔の横にある杏の顔が真っ赤になっているの気づいた。どうしたんだ?
「ぷ、ぷろ・・・ぷろでゅーさーぁ・・・。」
「あん?どうした」
私が聞き返すと杏の表情が変わった。これは・・・怒りかな?
「お尻!触ってる!!」
私は、ぱっと下を見ると私の右手がガッチリと杏の小ぶりな桃尻を鷲摑みしていた。触っている感覚がないな。脚もほっそいし、ふとももでも握っているのかと思っていた。とそんなことを考えていると杏の平手打ちが飛んできて私の頬を打ち抜いていった。
「プロデューサーにキズモノにされた・・・」
「杏、それを事務所で言うなよ。言うんじゃない。言わないでください」
「えー?・・・飴ね」
杏はボソッと交換条件を提示してくる。ちっ、まぁ仕方ないか。セクハラをしたのはこちらだしな。逆にそれで黙っていてもらえるのだからいい、ということにしておこう。
私たちはプールから出てデッキチェアに再び座っている。杏は濡れた髪をタオルで拭きながら、私に背を向けて話す。私は何も考えずに杏の後姿を眺めていた。
最近、私はどこか変だ。先ほどのように無意識に杏を目で追ってしまったり、杏の男関係が気になったりしている。もしかして杏に恋をしているのだろうか、とも考えたが、どうにもそういう気持ちではないのだ。ではこのモヤモヤは何なのだろうか。
私はデッキチェアに横たわって空を見上げる。先ほどまで暮れかけていた空は、既に星空が広がっている。時計の短針は8を指している。もう一時間もここにいるのか。杏と今日いる時間もそろそろ終わりだな。
「杏、そろそろ帰るぞ。暗くなってきたし、櫻井さんに迷惑をかけちゃいかん」
杏はこちらに振り向き、タオルで髪を拭く手を止める。
「えぇ~。もう終わり?」
杏はぶーぶー言うが、私はそろそろ帰りたかった。大人になり、海水パンツを履くのが恥ずかしくなってきたのだ。・・・お腹周りがちょっとね。まぁ、杏には言わないのだが。
私たちはプールの管理人にお礼の言葉を述べて帰路につく。ここまでは車を使ってきてないので、歩いて帰ることになる。しかし歩いて帰るとなると杏が文句を言うので、タクシーを呼んで、杏の家まで送ることにした。
タクシー待っている間暇だったので、櫻井家の別荘の近くの公園のベンチに座りながら先ほどの悩みについて考えていた。しかし私はかなりの不器用なので、疑問があったら聞いてしまう癖があった。だから今考えていることも杏に聞いてしまえば答えが出るかと思ったときには既に口に出していた。
「俺さぁ、最近悩みがあってよ」
杏は持っていたスマホをポトッと自分の膝の上に落とした。
「プロデューサーが杏に相談・・・?頭おかしくなったの?」
「お前が普段俺のことをどう思っているのかが、よーーくわかったよ」
杏はスマホ拾ってポケットにしまった。
「いや、でもさ本当に珍しいじゃん。嫌なわけじゃないよ?」
「そうか?・・・そうか、そうだな」
杏に今まで相談事をしなかったのにはもちろん、私自身のプライドの問題もあったが、事務所の方針として、アイドルにあまり弱みを見せるな。という方針があるのだ。何故だかはわからないのだが、先輩に聞いた話だと、アイドルが弱みを握ってプロデューサーから色々搾取していた・・・らしい。それ故なのだが、あまりアイドルと密接になるな、という話なのだ。まぁ、私は全然気にしてないのだが。
「で、悩みとは何ぞ。この杏様が聞いて進ぜよーう」
杏がうっすい胸を張って聞く体制に入った。
「そうか?なら言うんだけどよ。最近杏のことが気になって仕方ないんだよ。どうすればいいと思う?」
ふー、なんか言ったらすっきりするな。さて、杏の反応は・・・おおう、顔を真っ赤にして口をパクパクしてやがる。なんか最近多いなぁ、杏の赤面。とりあえず、杏の反応を待とう。
「え、えーっとぉ・・・。それってどういうこと?」
私は最近の私の行動について説明する。杏は少し引いた顔をしているが受け入れてくれているようだ。
「いやぁ・・・。メンヘラみたいだね・・・。」
「それを言うな・・・。で、なんでだと思うよ、杏は」
「えぇー・・・。でも、普通に考えたら、杏のこと好きなのかな、ってなるんじゃない?」
だよなぁ、そうなるんだよな。でもなんか違う気がする。それに私にはそれはありえない理由があるしな。私たちの間で沈黙が訪れた。こういう問題が起きたときに解決するのはいつも杏だ。だから今回もあてにしている。思考が詰まったときに杏があっ、と声を上げた。
「親心・・・とか?」
親心。親心か・・・。そういわれるとそんな気がしてきた。そう考えるとこの気持ちも納得がいく。
「もしくは、友達としてとか」
「友達ってどういうことだ?」
「例えばさ、親友くらい仲良くしていた友達が、急に他の人と仲良くなったらさ、むっ、ってなるじゃん」
「そ、そうか・・・?うーん。俺にはわからん」
これが価値観の違いかぁ。杏も私も再びの沈黙についにはアイデアも出なくなってしまった。すると公園の入り口の方に向かってタクシーが走ってきた。恐らく呼んでいたタクシーだろう。丁度いい、もう今日は帰ってしまって明日じっくり考えるとしよう。
「杏、タクシー来たから帰るぞ」
「・・・おっけー」
私たちはタクシーで杏のマンションから徒歩10分付近のお店で降ろしてもらい、歩き始めた。5分ほどして杏が急に口を開いた。
「杏もさ、たまーーーにプロデューサーと似たようなことを考えるんだよね。でも結局考えが纏まらなくてさ、プロデューサーと会話すればどうにかなると思ったけど、ダメだったね」
杏は力なく笑った。杏のこの表情は嫌いだ。・・・こういう考えに至る所がダメなのか?
「でもわかったこともあるんだよね。結局杏とアイドル、プロデューサーはプロデューサーなんだから親子のようで友達のようで、恋人のようでもあるんだよ」
「なるほどなぁ・・・」
杏は、ただ、と付け加えて話す。
「この関係が終わったとき・・・どうなるんだろうね」
それは考えないようにしていたことだった。杏が引退したら、私が杏の担当ではなくなったら等々。色々理由は考えられるが、どうしてもその日はやってくる。そのとき私たちは、私はどうなるのだろうか。ただ、こういうときに私が杏に返す言葉は決まっている。
「そう言ってアイドルを引退して印税生活を送ろうって魂胆か?ダメだダメだ。まだ働いてもらうぞ」
誤魔化す。杏の疑問を先延ばしにして、考えないようにする。
「・・・ちぇー。まだダメかー」
杏もそれを察しているのだろう。だから話を無理やり変えても乗ってきてくれる。杏のマンションが見えてくる。しかし私たちは考えなければならない。杏がアイドルを引退するのも、この関係性が変わるのも。今、こうやって杏のマンションが見えているように、その結論が出る未来も、すぐ目の前に差し掛かっている気がするからだ。