怠惰な飴のプロデューサー   作:輪纒

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雨・・・、今年そこまで降ってない気がしました。

ニュースで見る大雨警報と私の地域の雨の量が違うんですよね・・・


怠惰な飴に通り雨

カタカタカタカタ・・・

 

 ちらと時計を見ると、短い方の針は10のあたりを指し示していた。まだ出勤から3時間しか経ってないのか。

 

 今日も今日とて、事務所にはキーボードを打つ音が聞こえてくる。色々あり、五月病をも乗り越え、クソほど暑く、おそらく色々なイベントが控えているであろう夏を目前に置いたこの6月。この6月にも色々なことがあった。しかしその6月ももうすぐ終わりを迎えようとしていた。

 

 しかしこの6月にももうひとつやばいイベントがあったのを思い出していた。梅雨だ。このクソイベントを忘れていた。思えば私は学生のころから梅雨が嫌いだった。服は汚れるわ、靴は汚れるわ、電車は遅れたりするわでいいことがなかった気がする。何より、傘を持って歩くのが面倒だったのだ。恐らくわかる人はわかるのだろうが雨が嫌いな人の嫌いな理由なんてこんなものだろう。

 

 さて、私の主な通勤手段は電車だ。「アイドルプロデューサーなんだから、金はあるだろ」と、言われたことがあったが、それは大きな間違いだ。そういう人は職業名鑑でも見た人だろう。実際、私のようにそこそこ人気のアイドルを一人しかプロデュースしていない人間がこの事務所にも何人かいるが、みんな金欠で死ぬ寸前だ。正直なところ電車代すら惜しむだろう。まぁ、徒歩でもいいのだが時間がかかるので徒歩の人間は少ない。それに加えてこの時期は私の嫌いな雨が降るような時期だ。歩いて通勤したくない私が、家を出るときにしかめっ面なのは容易に想像できるだろうか。

 

 そんなこともあり私は家を出るのが憂鬱になってしまう。特に休日出勤である今日などは特に、だ。労働基準法はどこにいったのだろうか。今度ちひろさんに直訴してみようか。まぁ、話を濁されて終わるのが目に見えるだろう。というか仕事は確かにきついが、そもそもプロデューサーをしようとする人間なんてまとも精神では務まらないだろう。まぁ、そんなことはどうでもいい。今日は早く終わらせて帰るだけにしたいものだ。

 

「あ、こっちもお願いしますね」

 

「ちょっと俺に回しすぎじゃないですか!?」

 

「だれか大阪公演の資料持ってなーい?」

 

「こっちでーす」

 

 今、事務所は全国公演のことでてんやわんやとなっている。今までの公演をまとめる者とこれから公演を控えてる者の二種の業務に必要な資料が飛び交っているのだ。まぁ、私は今までの分もこれからの分もあるので,目から血の涙が出そうになるのを抑えながら、パソコンに目を向ける。背後では相当数のプロデューサーたちが話をしている。私もそうだが皆、この公演はとても重要なのだ。

 

 今日はこの事務所としては珍しく、アイドル立ち入り禁止の日だった。理由は簡単。公演でお疲れのアイドルへの休暇と、プロデューサー間での会議だ。だから、こちらも珍しく、ほとんどのプロデューサーがこの事務所に揃っている。

 

 そもそも普段この事務所の男女比は2:8だ。男はもちろん、プロデューサーだ。あとは一部の事務員も男になっているが、相当優秀でないと残れない、と、ちひろさんが言っていた。恐らくは、あまり事務員といえども男性をアイドルに近づけすぎるにはマズイ、という判断からだろう。さて、問題は女性だ。女性の割合のほとんどがアイドルなのは想像がつくだろうか。それに加えて事務員もほとんどが女性なのだ。さらに意外に思われるかもしれないが、女性のプロデューサーもいるのだ。そうなるとアイドルが仕事やレッスンで事務所にいないことを加味してもこの割合となってしまうのだ。だから相当な精神力が必要なのである。

 

「終わった人はさっさと出て行ってくださいねー」

 

 ちひろさんの声が事務所に響き渡る。流石事務員代表(仮)だ。さて、私も早く終わらせて帰るとしますか。

 

 

 

 

「まだ終わらないんですか、みなさん帰りましたよ?」

 

「いや、雨と風が結構強くなってきたんで、少し待ってるんですよ。もう少し経つと止むらしいので。ここにいるのは自家用車ない組と、これから少し飲みに行く組なんです」

 

 私の横にいる同僚がスマホをフリフリしながらちひろさんと会話をする。曇天のせいで事務所内は少し暗い。スマホの画面の光が同僚の手の中で残像を残しながら揺れる。確かにこの同僚の言う通り、あと1,2時間ほどで雨は止むらしい。私はどちらの組かというと、自家用車ない組だ。

 

 ザーザーと降る雨と、暗い事務所の雰囲気に飲まれて、事務所に残っているメンバーの口数も段々と減ってきたころ。デスクの上に置いておいた私のスマホが光った。バイブ機能が働かないところをみると、メッセージ機能のようだ。私はスマホを取り、内容と送信者を見る。どうやら送ってきたのは杏のようだ。内容は・・・なになに?『たすけて』だけだ。・・・誘拐か?

 

 内心冷や汗を掻いていた私を尻目に、杏から二つ目のメッセージが送られてきた。もうひとつのメッセージの内容は『あめめんどう』だった。恐らく、雨が降ってきて傘を忘れたから迎えにきてくれ。ということだと解釈して、ため息をつく。何故傘を持っていかなかったのか、なんでこの時間にらしくもない外出をしているのか、とか聞きたいことはある。だが何より早く迎えに行くことが重要なのだろう。はぁ、この雨の中を行かなくてはならないのか。面倒だな。

 

「お、どうした。彼女からか?」

 

 ちひろさんと話をしていた同僚が私がスマホを弄っているのを見て、声をかけてきた。

 

「違うわ。杏からだな」

 

私が連絡してきた相手を言うと、同僚は意味ありげに苦笑いした。

 

「お前ら・・・。ホントに仲いいな」

 

「誉め言葉として受け取っておく」

 

 軽く会話をすると私はスーツのジャケットを着て、荷物を持つ。そして同僚たちに挨拶をして事務所を出る。

 

 

 

 外に出るとやはり雨は本降りとなっていた。私は事務所の玄関の屋根がついているところで雨宿りをしながら雨が降っているせいで少し冷える空気に身震いし、傘を開いて雨が降る空間と私のいる濡れてない空間の境を超えようとしたときに色々なことに冷静になって気づいた。まず一つ目に、私は傘を一本しか持っていなかった。これでは杏を送ることが出来ない。そしてもう一つは杏が送ってきたメッセージの意味だ。これはもしかして車で迎えに来てくれという意味だろうか?

 しかし残念なことに今、事務所の車は別な人が全て使ってしまっているので私は車で迎えに行くことが不可能なのだ。もし杏が車での迎えを期待しているならば、その考えを正さなければ。ということで電話をしよう。幸いなことに杏にはすぐつながった。

 

「もしもし、杏か?」

 

『あー!はやく来てよ!寒いんだから!』

 

 杏の声が電話越しに飛んでくる。杏と電話越しに会話するのもなれたものだ。

 

「もし期待していたとしたら悪いんだが、今日は車を出せないからな。傘を持っていくぞ」

 

 杏が落胆の声を上げる。危ない危ない、このまま報告もせずに杏のところへ向かっていたら今日は確実に夕飯を奢りとなる流れだったな。

 

「傘を途中で買って行ってやるから。どこにいるかだけ教えろ」

 

 私は杏の今の位置を聞き出すと、次の駄々をこねる前に電話を切る。空を見上げると雨が先ほどよりも強くなっているような気がする。実際はそんなことはないのだろうが、私の雨の中歩きたくない心がそう思わせているのだろう。この雨は本当に晴れるのか?そんなことを思いながら私は傘を開き、杏の待つ場所へと一歩踏み出した。

 

目的地周辺にたどり着く。私の片手には上に向かって、大きく開き、雨の中に藍色の花を咲かせている傘が、そしてもう片方の手には下に真っすぐ伸びるビニール傘があった。ぽつぽつと降る雨と、歩く人たちの水たまりを跳ねる音が重なり、私にとってはかなりの騒音だ。

 

 はやく杏に傘を渡して帰ろう。

 

 私はあたりを見回し、杏の姿を探す。杏は良くも悪くもわかりやすい見た目をしている。が、それは何も障害物がない場所での話だ。こういう雑多な場所や、人が多い場所では杏は見つけづらいのだ。実際今も見つけづらい。

 

 そろそろ傘を差すのが面倒になってきたので近くのファミレスの屋根がある下で雨宿りをしようとする。するとそこにはよく見る139㎝がいた。いや、実際はもう少し成長してそうだが。杏にはしては珍しく、黒のパンツに赤チェックのシャツ、そしてそこそこ有名なので、キャップに眼鏡と少し大人っぽくまとめている。ふむ、やはりアイドルの私生活を覗いてみるのはいいものだな。意外な一面を見れる上に、とても次の仕事のヒントになる。それに可愛い。とりあえず近づいてそれとなく声をかけるとしよう。

 

「そこの、おい」

 

 私の声に気づいて下を向いてスマホを弄っていた杏が振り向く。私が杏の名前を呼ばないのには、街中で杏の名前を出して、ファンにバレたくないという気持ちがあったからだった。万が一だが。さて、私の方を振り向いた杏は頬を膨らませて文句を垂れてきた。

 

「遅いよー。あn・・・。私のスマホの充電も切れそうだし。」

 

 自分ことを杏と言おうとして途中で止めたな。プロ意識が高くていいことだ。

 

「すまんな。ほらこれが傘だよ」

 

 私が杏にビニール傘を渡そうとすると、急に私たちから少し離れたところで声が聞こえた。どうやら4,5歳くらいの女の子とまだ若い女性の親子のようだ。

 

「ママー、パパ、お迎えに来れないの?」

 

 子供の言葉に、少し母親は眉尻を下げて女の子と目線を合わせるためにしゃがむ。

 

「ごめんね、少しここで待とうか」

 

 母親の言葉に、女の子は不満の声を上げる。

 

「ええー!もう少しでお友達来ちゃうよ!」

 

 そこまで聞いて私は杏を見る。杏もどうやら話を聞いていたようで、こちらを見ていた。どうやら考えていることは同じのようだ。私は杏に渡そうとしていた傘を持ち、その親子のところに歩いて行った。

 

「突然すいません。お話聞こえてしまって。もしお急ぎならこちらのビニール傘で良ければ差し上げましょうか?」

 

 私の提案に女の子は歓喜の声を上げる。しかし反対に母親は困り顔だ。まぁそうだろう。急に知らない男が傘を差しだしてくるなんて怪しいにもほどがある。そんな母親を尻目に女の子は傘を受け取る。

 

「ありがと!おじさん!!」

 

 おじっ・・・。まぁいいだろう。若干顔を引きつらせながら私はその親子から離れて杏のところに戻る。杏には申し訳ないことをしてしまった。さてどうやって杏を送ろうか。

 

「あーあ。もうどうするのさ。私をどうやって送るのさ」

 

「わからんけど、どうにかする」

 

 杏は私の傘を見てなにか碌でもないことを思いついたような顔をした。私は嫌な予感がしたがとりあえず杏に聞いてみることにした。

 

「・・・どうした。なんか思いついたか」

 

「うん、相合傘すればいい話だよね~」

 

 なるほど、その手があったか。いや、思いついてはいたが杏が嫌がると思って口には出さなかったのだが、自分から提案してくれるならいいか。

 

「まぁ、恥ずかしいっていうなら・・・」

 

「よし、それでいいぞ」

 

「へ!?いいの!?」

 

 自分で提案したくせになに言ってるんだこいつは。私は傘を開き杏を手招きする。すると杏はもじもじとしてなかなか来ない。珍しいな、恥ずかしがっているのか。しかし・・・。恥ずかしがっている杏を見るとやはり女の子だな、と思わされる。さていっちょ、男を見せますか。私は杏の腕を掴み、傘の中に引き込む。

 

「杏、今日の服装似合ってるぞ」

 

 まぁ、このときくらいは名前で呼ぶのを見逃してほしいものだ。杏は私のコンボに顔を真っ赤にした。そしてすぐにニカっと笑い、こっちを向く。

 

「やるじゃんプロデューサー。ちょっとドキっときたよ」

 

「俺もやられっぱじゃないからな」

 

 私と杏は二人、傘の中で小さな声で歩き始める。

 

 雨が嫌いな私だが、杏と歩くこの傘の中だけは好きになれそうだった。

 

 ああ、この雨が止むときに、どんな空になるのかが楽しみだ。


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