過去編ではないですが、少し触れていきます。
あとシリアスを期待されている方は申し訳ありませんが、この話はシリアスではないです。
楓さんシンデレラガールおめでとうございます
靴と床の擦れる音と聴き慣れた曲が聞こえてくる。既に窓から見える景色からは明かりが少なくなってきていて、レッスン場から聞こえてくる音は一人分、当たり前だ。普段はおちゃらけていて周りの人からもやる気のない人間だと思わているが、陰ではこういう努力を重ねているのは必死で周りに付いて行くためだろう。
気づかれないようにこっそりと覗き窓から中の様子を覗くと、やはり中には杏がいた。あの小さなからだにどれほどの力があるのだろうか。少し目線を横にずらすとトレーナーさんもいた。トレーナーさんが激しい口調なところを見ると、この内緒の秘密特訓はうまくいってないのだろう。この窓から杏と目が合うことはない、それ故にここから覗いていたが・・・。トレーナーさんと目が合ってしまった。
「双葉!今日のレッスンはここまでだ。ここの後片付けをしておくから着替えて来い」
「ハァ・・・ハァ・・・。はーい」
そういうと杏はタオルや飲み物をもってレッスン場から繋がっているシャワールームへと消えた。杏が行ったのを見届けてから私もレッスン場に入り、トレーナーさんに軽く会釈をして近づき、小声で話しかける。
「ありがとうございます、うちの双葉のレッスンに付き合ってもらって」
「既に何回も行っている。レッスンに真面目になったのはいいのだが、体調を崩さないように注意してやってくれ」
私の小声に合わせて小声にしてくれた。これには感謝だ。さて、杏と二人きりになって話したいのだがどうやって切り出したものか。とりあえずここの片付けの手伝いをして早めに帰ってもらうとしよう。
私がモップを使って床の汗を拭いていると、トレーナーさんが話しかけてきた。
「そういえば、出張に行っていたそうですね」
「はい、とても有意義なものになりました」
そも有意義の成果を今から杏に披露してやろうとしているが、実はまだ迷っていた。あの話を聞いてしまった後では杏を大学に行かせる説得が出来るとは思えなくなっていた。
「アイドルを知ることだけがプロデュースではない、アイドルに自分のことを知ってもらうのもプロデュースだ。そしてそれこそコミュニケーションだと思うがね」
私が驚いた顔をしていたのだろう。私が振り向いたのを見てトレーナーさんは満足気に頷いた。床を拭き終わったのだろう。荷物をまとめて帰ろうとしている。私のことを知ってもらう。私は今まで杏とコミュニケーションを取っていなかったのだろうか。
トレーナーさんは手早くまとめた荷物を持ち上げモップを支えに考え込んでいた私の横を通り過ぎ、アドバイスを残していった。
「考えていても仕方がない。まずはプロデューサー。あなたが前に踏み出さねば」
「なんかすいませんね。ビビってたみたいです」
そうだな、と言うとトレーナーさんは静かに扉を開けて扉の奥の闇に溶けるように帰った。あの人はすごいな。是非ともプロデューサーたちにもレッスンをしてもらいたいものだ。さて、授業料と言わんばかりに片付けを任していったな。しかたない、はやく片付けて杏を待つとしよう。
サァァとシャワーの音が聞こえてくるような気がする。実際はこの部屋から聴こえてくるはずはないので空耳だろう。私も大分緊張しているのだろう。こころなしか部屋の雰囲気も暗くなった気がする。
さて、トレーナーさんが行ってから5分ほどが経過したのでポケットからスマホを取り出し、杏に電話をかけてみる。流石にまだシャワーが終わることはないだろうから、一応不在着信だけ残しておこう。その間に掃除を終わらせて、何を話すかを考えておかなければ・・・。そう考えていると杏に連絡がついてしまった。まだ2コールくらいしかしてないはずなんだがな。まぁはやく繋がるのはいいことだろう。
『なーにー?杏今シャワー浴びてたんだけど』
あー、あとおかえりー。と気持ちのこもっていない言葉を頂きながら、私は声を出しても気づかれないようにこっそりと扉を開けて廊下に出る。
「おお、そりゃわりーな。何してたんだ?」
さて、ここで杏はなんて答えるのだろうか。
『はははー、わかってんでしょー?」
すぐ後ろあたりで声がしたので驚いて振り向くと、レッスン場の覗き窓から顔を覗かせた杏が片手でスマホを耳に当てながら窓をコンコン、と叩いている。まったく気づいてたんなら言えよ・・・。だが私はまだ杏に何を言えばいいのか、何を言っていいのかがわかっていない。
杏はこちらが気づいたのに満足したのか窓を離れて私の視界から消えた。
「気づいてたのか、どこでわかった?」
『んー?えっと、プロデューサーがここを覗いた時かな、多分。トレーナーと目が合ったでしょ?』
すごい観察力というか、よく気がついたな。女の勘は恐ろしいというが・・・、帰る時間も言っていたし付き合いの長い杏からすれば私が杏のことを見に来るというのは予想できたことなのだろう。トレーナーさんのことに気づいたのは理由がありそうだがな。
『で、どーだったの?杏には内緒の出張とやらは。おかげできらりと色んなロケに連れてかれたんだけど』
「はっはっは、俺がそうするように頼んだからな!」
『きらりのプロデューサーはめちゃくちゃ優秀だったなぁ』
「おい、やめろ」
さて、こんなふうに会話できればこのあとの話もスムーズに行えるだろうか。普段から実のない話や友達みたいな感覚でいる私たちには真面目な話が出来ない。いや、本当は違うのだろう。私は恐れているのだ、杏と真面目な話をするとこの距離感が壊れてしまうのではないか。と思っているからだ。
『で、今明らかに出張の話題から離れたよね』
しかし私のそんな考えは杏には通じていないようだ。恐らく杏は気づいているのだろう。私が何か言いにくいことを言おうとしていることに。そこに踏み込んんでくる杏は何を考えているのだろう。
私は数瞬、間を置いて息を吸う。仕方ない、というのはズルい言い訳だろう。こちらも覚悟を決めよう。
「はぁ、やっぱり隠し事は出来ないな。それともその観察眼は双葉さんのところで学んだのか?」
私の言葉に杏は固まる。返答の代わりにツーツー、と通話が切れる音が聞こえてくる。まずい、やりすぎたか。と思ったがここまできて止まるわけには行かなかった。とりあえずレッスン場に入ろう。
「杏!」
「来るな!」
杏は扉の横で体育座りをしてうずくまっていた。声をかけようとしたが杏に来るなと言われたのでおとなしく部屋の扉を閉めて廊下に戻る。
ショックだった。怒られることも覚悟したし、もしかしたら上手くいくことも夢想していたが拒絶されるとは思わなかった。そこまで杏にとっては触れて欲しくないことだったのか。そんなこともわからない自分への憤りと、迂闊さなどで心がグチャグチャになり、思わず扉に寄りかかりそのままズルズルと崩れ落ちてしまう。
数時間、いや数分?あるいは数秒だったのかもしれない。月並みだが時を忘れるとはこういうことなのだろう。すすり泣いていたと思ったが、杏は泣いていないようだ。扉越しに杏が口を開いた。
「プロデューサー、どこまで聞いたの?その『フタバ』さんからさ」
「・・・質問の意図がわからんぞ。一応話してくれたことは全部話してくれたと思うが」
私は杏の問いにどう答えるべきかわからなかったがこの答え方は合っていたのか、扉の向こうからふぅん、という声が漏れる。とりあえず話を聞いてくれる気にはなったようだ。
「一応どこまで聞いたか言ってよ」
「ここまで言っておいてなんだが、言っていいのか?」
「いいから、はやく」
それから私はゆっくり話し始めた。杏の本当の苗字は双葉ではなかった。双葉さんと杏の本当の両親は姉妹だったが妹のほうが結婚して双葉に苗字が変わったが杏の本当の苗字は教えてもらえなかった。というより聞く勇気がなかった。杏が生まれたころから杏の本当の両親は仲が悪かった。別段、父親も母親もろくでなしではなかったが杏が4歳くらいのころから父親は出張が多かった。母親はその寂しさから不倫をしていた。
と、ここまで話したところで杏が口を挟んできた。
「杏も小さい頃は不思議だったんだよね、おばさんの家に預けられたの。後で聞いた話だと預けるときは仕事とか言って不倫をしに行っていたらしいよ」
「割と生々しいな・・・。っと、いや、すまん失言だった」
「まぁ、そっちは気にしてないよ。続けて」
そういう杏に従って、話を続ける。しかしここからは本当に話していい内容だろうか。まあ本人がいいと言うから別にいいか。ということにして話を続けた。最低な大人だ。
それから一年後、父親の出張の回数が減ってきたせいで、なのかおかげのかはわからないが、母親が不倫をしていたのがバレてしまった。当然離婚となったが杏は父親のほうに引き取られたそうだ。母親のそばにいたら碌な知識を得られないからだ、と双葉さんは語っていた。
しかし父親の方はその一件以来変わってしまった。杏に直接的な暴力こそなかったが言葉での暴力や、食事を出さなかったりなど目立たないDVも多かったそうだ。あと酒をよく飲むようになり物によく当たっていた。それ以来、親の目、人の目を気にしているようになったらしい。それが10歳まで続いた。
「今考えたら、物に当たってたのは杏を傷つけないようにする配慮だったのかもね。まぁわからないけどさ」
「それでもしていいことではないさ」
10歳になった杏は栄養失調や、精神的なストレスから背が伸びなくなったらしい。そしてある事件が起きてしまった。父親が母親と出会ってしまったらしい。母親は再婚していたらしい。しかしそれを見てカッとなった父親は母親と無理心中をしたらしい。電車に一緒に落ち、即死だったそうだ。それから色々あったが今の双葉さんのところに養子になったということ。
「・・・とここまでかな。俺はそもそもこれを聞くために行ったんじゃなかったんだけどな」
「ふーん、まぁまだ色々あったんだけどね。おばさんも知らないことだし、仕方ないか」
「それを教えてはくれないのか?」
「当たり前でしょー?プロデューサーはなんも教えてくれないのに教えた杏に感謝してほしいよねー」
まだ、何かあるらしい杏から聞こうとしたが正論で返されてしまった。今日は話を聞いてくれただけでも良しとすることにするか・・・?いや、このまま説得もしてしまおう。
「杏、大学に行こうぜ」
「嫌だ。絶対めんどうだし、それに・・・」
この返答は予想していた。だからあえてその先の言葉を聞こうとはしなかった。そもそも杏が双葉さんの本当の子供ではないと聞いたときから大学に行かない予想はついていた。杏は双葉さんに遠慮しているのだろう。大学に行くことが負担になるのではないか、という。
しかしこう言ってはなんだが、双葉さんは相当杏には甘いようだ。自堕落生活を容認していた、というところを見ればそう思うだろう。もしかしたら何かほかに事情があるのかもしれないが。
「まぁ、いいよ。今日のところは。杏、何か食いに行くか」
「え!いいの!?一応LIVE前だよ!?」
「明日からメニューの量を増やしてもらうからな。安心しろ」
「えーー!杏、週休8日が希望なんだけど!」
こうしてくだらない話をしていると、杏が出てきたので一緒に車に向かう。さて、二週間後のLIVEに向けてまた色々準備しなければな。
こうして二週間が経ちLIVEを迎えた。