ボブの聖杯戦争 ~F/sn Unlimited Lost Works~ 作:黒兎可
この丘は、見た記憶がない。だけれど識っている気がする。俺であって、俺でないナニカの記憶。
勝利の余韻もなく、自分とうり二つの顔をした誰かを見下ろし、天を見上げる。
これは夢じゃない。変えようのない、誰かの現実。
輝かんばかりの、理想に生きた――冷たい過去。
悪戯っぽい魔術師の言葉に、当然のように頷き。剣を抜いた時から、彼女は人ではなくなった。
終わらされたと、俺は思った。幼さを残した少女はその瞬間に消え去り、王としてのみ存在を許された。
父に代わり、多くの騎士を束ねる主となった彼女――アルトリア。ちっぽけな願いを胸に、騎士を志た彼女は、その生涯を一変させた。
王の息子として地を治め、騎士を束ねる。男である方が不都合がないからこその振る舞いは、文字通り己を鎧に覆うような生涯。その身が女であると知っていたのは、彼女の認識では父と賢人のみ。
聖剣の守りにより不老不死となった彼女は、少女と疑われても決してその追求を許さなかった。
ただ、ひょっとしたら関係なかったのかもしれない。戦場においてかの騎士王は常勝。蛮族の侵攻に怯える民のため立ち上がった騎士の王であることに違いはなく。つまり、王が何者であろうと、その職責を果たしてくれるならなんだって良かったのだ。
王は公平だった。常に正しい選択をする、誰よりも理想的な王。
国のため。民のため――――戦いのため必要ならば、そのための準備で、民の、国の一部を斬り捨てる事にさえ躊躇わないほどに。
故に、彼女ほど多くの人間をあやめた騎士はいないだろう。それについてどう思っていたのか、俺は判らない。
戦場を駆ける勇士に迷いはなく。王座にあるその目に憂いの一つもなく――――だから、王はヒトではなかった。ヒトの感情をもっていれば、ヒトを守る事は出来ない。生真面目に、律儀に、その誓いを守り抜いた。一つの狂いもなく国を改め、罪人を罰し。いくつもの命を奪って――――。
――――完璧を求められたはずの彼女は。それでも、理解をされなかった。
嗚呼だから、誰しもが彼女に不安を抱いたのだ。王として完璧であればあるほど、ヒトの感情が感じられなければ感じられないほど。その治世が果たしてどこに向かうのかということを。
名のある騎士が城を離れる事にさえ、何も変わらず粛々と対応する。――理想を背負った美しい彼女は、独り、それでも変わらない。
剣を抜いた時より、そんな感情を抱くことを罪だと感じた。
なんでか――俺はそれに、既視感を覚えた。
奇跡の代償に――――最初の想いを。ただ手の届く人々を守りたいという感情を捨てなければならなかった。
それにどれほどの苦悩があったなど、傍から見てるだけでは知るよしもない。流れる時間の中、彼女に親しげである誰かさえ居なかった。華々しい円卓も、彼女が現れるだけで厳粛な沈黙が支配する。
偶像として容認されることを認めた時点で――――心を治められなかった彼女はまた、誰からも、人間としての自分を望まれなかった。
長く孤立するその生涯で、彼女はよくやった。よくやりすぎた。私情を挟まなかった治世は、だから、いつかの破綻が約束されていたのかもしれない。
でも、そんなこと関係がない些事だった。
終わりの、最果ての丘。荒れ果てた国への無念を抱き、彼女は望んだ。
そして――――慟哭した。裏切られた彼女は、結局、その在り方にさえ裏切られ。
今まで泣かなかったから、その声はあまりに悲痛で。聞いた事もないくらい、華奢な少女でしかなくて。
「王になるべきは――――――私ではなかった」
……確かにあいつは強くて、戦いが巧かったかも知れないけれど。でも、それでも向いていたとは思えない。
最初からそれが勘違いだったんだ。まわりのヤツラも、竪琴とか雑な料理とか関係なく、どうして誰一人、そのことをあいつに教えてやらなかったんだと。そんな怒りを抱いて。
※
「え 道場 、まだ私 鍛錬を続け か !?」
「ど バ ヘンな 、俺」
「 鍛錬 う と勝手に思 した」
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「セイバー……?
――――痛っ」
言葉が遠い。それに対して疑問符を浮かべた瞬間、唐突に、胴体がなぎ払われた。
……って、あれ、ここは道場――――――。
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「シロウ――――――?」
ちゃぽん、という音。
湯船に視線を移した途端、そこにセイバーが居て、言葉が出なかった。
すまないとか、そんな言葉が喉から出てこない。おかしい、何で今、俺はこんな場所にいるというのだろう。
セイバーも唖然としたように、口をわなわなさせていて。
視線を逸らすと、俺の左手には赤い刻印が、再び浮かんでいた。
脱衣所に下がりながら弁明というか言い訳というか。断じて動けなかったのは、セイバーに見惚れていたからじゃない。
湯船に見えた華奢な――あれだけの戦いをしていたのが嘘のような少女の身体に、衛宮士郎の頭は完全にパンクしていた。
「……勝手な申し出なのですが、今は席を外してもらえないでしょうか」
視線を逸らすセイバーの表情には、怒りの感情はない。困惑と、羞恥と。
「サーヴァントに性別は関係ないのですが、その……」
「セイバー、怒ってないのか?」
「湯浴みをしたいというのでしたら、それを縛るつもりなどありませんが……。
ですが、その……。このように見苦しい身体、貴方に見て欲しくはない」
そんなことある筈はないと。そんなことはないほどにセイバーの体は女の子のものなんだと――――。
なんて答えてその場を離れたか、自分でも判らない。頷いて、なんか言って、慌てて閉めたことだけは、手の感触に残っていて――――――――。
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食卓には夕飯の跡がある。
流しには五人分の洗い物。何故かある満腹感と、居間でテレビを見るイリヤ。
「タイガは家に帰ったわよ、シロウ」
「イリヤ?
あれ、なんでそんなことを?」
「シロウが聞いたんじゃない。タイガが夕食を食べた後、みかん片付けないでどこに行ったんだって」
そういえば藤ねえの姿を見てない。
なんでだろう。記憶を辿ってみる。
……。
…………。
……………………。
…………………………………………まぁ、無事なのだけはわかっている。
「まあ、いいや。とりあえず夕食は済んだんだな」
「ええ。あとはゆっくり休むだけよ、シロウ。
だけど、それもいいけど、いいの? 行かなくて」
「行かなくてって、何を――――」
思い出そうとして。
吐き気がする。考える事をエミヤシロウの肉体が拒絶している。明らかに今の自分がおかしい自覚はある。時間が飛びすぎている。遠坂の姿を見た覚えがない。藤ねえの姿をみた覚えがない。そもそも帰ってきた覚えがない。セイバーとまともに会話したのが、風呂場だった記憶しかない。
なんだこれはと。それを追求しようとして――――。
違和感が。
視界が歪んで。
痛みが走って。
「――――シロウ。思い出せないことは思い出さないで。それは忘れたんじゃなくて無くなったもの。穴をいくら掘り出しても、出てくるのは苦痛だけよ」
「え?」
聞いた事のないような、でも、どこかで聞いた覚えのある、イリヤらしくない声音。
「凛がセイバーとパスを繋ぎ直したの。それでも精度は中途半端だけど、繋がっている限り回復してる。でも『アーチャーの記憶』を切除し終えるまでは、それが続くわ。
貴方まで在り方を強制される必要なんてないの。シロウ」
「イリヤ?」
そういわれて。
撃鉄が落ちるように、唐突に、複数の武具の存在が俺の内側を過ぎる。目が覚めるようなそれは。
「……!」
「アーチャーの瑕は、シロウが持っているものじゃないから、回復しようってしてるの。貴方に残るのは、『ほんのちょっとの選択の違い』と、アーチャーが持っていた、いくつかの武器だけ。
そうしないと、シロウが壊れちゃうから」
「イリヤ……?」
「聖杯は不完全。降ろすためには黄金のアーチャーを倒さないといけない。ルーラーは様子見のために放置。
それだけ覚えてれば、凛はしばらく気付かないと思うわ。そのうちにはきっと、回復するでしょうし――桜は間に合うわ、シロウ。
細かい事は、回復してからセイバーに聞くといいわ」
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「そう。ならいいんだけど――。
士郎。貴方、体でどこか壊れちゃったところとかない?」
目の前に遠坂が居た。唐突だった。離れの部屋で、いつのまにか遠坂仕様に改造されている。
嗚呼、やっとわかった。おかしいのは時感覚というより、俺の認識の方だ。アーチャーの固有結界が俺の一部を侵食した結果、俺もアイツみたいに、認識できない記憶というか、時間が発生しているんだろう。
イリヤのいってる通りなら、そんなにかからず治るらしいが……。
……壊れたところ。いや、これは話すわけにはいかない。ちらりとカレンダーを見ると、まだ二日経っただけ。
桜のタイムリミットまで、あと五日。
とりあえず意味が分からないという風に問い返すと、呆れたように遠坂がため息をついた。
「あのねぇ……。いい? アーチャーの能力は、腐っても貴方が行きつく先のそれなのよ。つまり、今の貴方なんかが手を出せる領域じゃない。あれだけ滅茶苦茶したなら、背中とか腕とか、所々壊死とかしてても驚かないわ。
限界なんて軽々しく超えたんだから、それなりに無茶の代償はどこかで負うのが普通よ」
「いや、特には……。
なんか変わったっていえば、左腕くらいだな」
ただ特に壊れているという訳じゃない。袖をまくって見せると、検分するように顔を近づける。
いや、待ってくれ。いくら慣れてきたって言っても、この距離の近さは緊張するぞ、おい。
「……確かに、腕の機能に異常があるわけじゃないみたいね。というよりも、肌が焼けたみたいになってるのは……あー、だからアーチャーの肌はあんな色になってるのね。たぶん構成から変わっちゃってるんだわ。
だけどホントふざけた身体。セイバーとパスを繋ぎ直したっていったって、あっちの回復とは別な何かよ。これ。強いて言えば……、アーチャーのあの、刃の身体みたいなものなのかしら。
身体は剣で出来ている、だっけ? あながち自己催眠でも何でもないのかもね、士郎は」
「い、いや、それは判ったから離れてくれると……」
「ん? 判ったっておかしいじゃない。私、核心については――って、ははぁ……」
「おい、こら、離れろって。っていうか、額に手あてたって熱なんてないぞ!」
「ええ、そうみたいね。どっちかっていうと酔っ払ってる感じかしら」
「……確信犯め」
男の純情を弄ぶやつは、地獄に堕ちて反省してこいっ。
「ま、冗談はこのくらいにしておいてあげるわ。
なんだか手遅れ感はあるけど、それは全部終わってから考えましょう」
「?」
そしてなんだか妙な言い回しをとる遠坂。
「で、士郎はどうするの? あの金ぴかのことはともかく、今回の勝者は貴方達よ」
「そういう遠坂はどうするのさ」
「そうね……。まぁ、見届けてあげるわ。これでも
「酷い言い草だな、それ……。いや、そう言われても願いなんて、正直……。
参考までに、遠坂はどんなのなんだ?」
「え? え、えっと、それは……」
そんな真剣な目で見られても、と少し困惑気味の遠坂。一体、どんな願いだというのだ。何かやましいことでもあるのか。
いや、違う。何故か俺は確信を持って断言した。
「……遠坂、お前、『ただそこに戦いがあるから』とか、そんな理由で参加しただろ」
「――――――! あ、アーチャーねアイツ! このこのこの!」
「わ! なんでさ、俺に当たるなよ!」
「うるさい! アンタ達同一人物なんだから、結局一緒よ!」
いや、俺はあいつになるつもりはないので別な世界の同一人物とか、そういう表現が妥当だと思うんだけど……。いや、でも詳しく思い出せはしないけど、この妙な察しの良さは、確かにあの俺の影響なのかもしれない。
「…………まぁいいわ。参考までにだけど。
アーチャーにも聞いたのよ。その質問。そしたら何て答えたと思う?」
「そんなの、聞かれたって困る。というか……」
「――――笑ってたわ。それこそ、大笑いだった。狂ったみたいにね」
「…………反応できない」
「ま、そうよね。でもね? 自分を悪だーとか、そんなことを言って自虐してるようなアイツが大笑いするんだから――――それはきっと、誰が聞いてもおかしくなるくらいに純粋で、真っ直ぐすぎるものだったんじゃないかって思うの」
そんな、こう、母親が子供を見守るような目で見られても困る。遠坂らしくないその表情に、なんだか身体がおかしくなる感覚がある。
「……俺より、セイバーだ」
とりあえず、強引に話題を変える。
ついさっきのように、見た夢のことを思い出せる。
泣いていた彼女のことを。あれは、何に対しての慟哭だったのか。
……いや。違う。わかってるような気がする。心のどこかで、何を見落としているのかを。
「セイバーがどうしたの? シロウ」
「うん。とりあえず、明日はデートする」
――――さっきまでの空気はどこにいったのか、遠坂がとんでもなく失礼な感じに呆然として、爆笑。
いや、冷静になって考えればわかっていたのに、なんで口走ったんだ、俺。
腹を抱えながら俺の肩をばっしんばっしん叩いてくる遠坂。
「はは、あはははははは! ちょっと待って、どういうルートを辿ってそんな発想に――、ひひ、ちょっと、すごいってば、すごいワガママっぷりよ士郎!」
「……なんかこれ、今までで一番酷い扱いじゃないか?
でも、聞きたいことがあるんだ。でも普段の流れのままじゃ聞けないし――」
「それでデートってところになるのが、なんともアレよねー。ひひ……、わかった。
がんばんなさい。それくらいぶっ飛んでなきゃ駄目なのかもしれないけど――――好きよ、貴方達のそういうところ」
そんな風に、穏やかな表情を浮かべて。当然のように俺の背中を押す。
「お、おう、頑張る」
別に他意があってのことではないのだけれど。なんだかそう言われると気恥ずかしさが沸いてくるというか――――。
でも、目の前の遠坂の微笑みなんて見たら、首肯する以外の発想なんて沸いてこなかった。
剣「では、シロウは―――――ー、」
杯「明日にはほとんど回復してると思うけど、色々話してあげて。私が話してもいいんだけど、ある意味、合わせる顔がないから」