ボブの聖杯戦争 ~F/sn Unlimited Lost Works~ 作:黒兎可
眼鏡の女生徒……、よく見ればちょっと大型のリュックを背負っていた彼女は、間桐の屋敷へじっと視線を向けていた。と、しばらくすると「よしよし、ちゃんと付けてる」とご満悦そうに頷いた。
「あんな神霊クラスのが来ていたから様子見てみたけど……、うん、まぁとりあえずいっか。
えっと……!」
と、向こうが俺たちに気付くと、目を見開いて驚愕の表情。
「か、かわいい……!」
「――――?」
どうやらその視線、セイバーにロックされている模様。
しばらく俺たちの姿をじっと見た後、慌てたように彼女は、俺たちの反対方向に走って行った。何がしたかったのだろうか。色々と謎が尽きない。
「……いえ、そんなはずは」
「どうした、セイバー」
「あ、いえ、何でもないのです。きっと気のせいのはずですから」
何故かセイバーも、彼女に対しては微妙な反応だった。もっとも、すぐきりっと普段通りの表情になったので、大した事じゃなかったのだろうと俺も判断する。
「シロウ。こちらの家は……?」
「嗚呼、桜とシンジの家だ。桜については、説明したな?」
無言で首肯するセイバー。桜から電話があった段階で、セイバーに彼女のことは話してある。
「家だけじゃなく、学校にも弓道部にも顔を出してない。加えてシンジがマスターだった。
遠坂の言った通りなら、桜は後継者ではない。つまり魔術師ではないはずだけれど……」
「とすると……」
「シンジは、気が立つと回りに当たるんだ。
ひょっとしたら、桜が来れなかったのがそのせいじゃないかと思って」
だから、様子を見に来たということだ。幸い外見上、洋館の間桐家に異常はない。電気だっていつもの通り、桜と慎二の部屋に――――。
「――――もし。なにか、この家に用があるのかね」
「っ……!? シロウ、下がって」
咄嗟に振り返ると、セイバーが俺を庇うように前に出ていた。
夜の明かり。虫の鳴き声に紛れるよう、その人物は立っていた。見慣れない老人。よほど高齢だろうに目には覇気が溢れ、枯れ木のように小さな体に不釣合いな威圧感。セイバーともまた違う、向き合うだけで気圧される威厳がある。
「サーヴァントまで連れているとなると、昨夜の遠坂の娘の後続か……。
やれ、なるほど。さぞ名のある英霊とお見受けした。これほどのサーヴァント、過去の戦いにおいて一人現れたかどうか」
「……」
「さて、となるとワシは死ななくてはなるまいか。まぁ可愛い孫たちを守るためじゃ。カカ、肉親の情とは命取りよの」
……驚いた。
見た事のない老人は、肩を振るわせながら、セイバーと対峙する。位置関係からすれば俺たちを挟む配置になっているが、その言葉、態度は、間桐の家を守ると言い張っているようだ。
そして今の言い回しからすれば、聖杯戦争のことも、サーヴァントのことも全て知っていて、おまけに。
「セイバー、下がってくれ。その爺さん、顔見知りじゃないがおそらく」
「いけません。この男は人間ではない。話すことなどなく、聞く事などない筈です」
「……セイバーがそれだけ言うんだから、たぶんそうなんだろう。でも聞かなきゃいけないことがあるんだ。頼む」
「……」
わずかに体を引くセイバー。道は譲らないが、老人と向き合うだけの機会はくれるということだろう。
「衛宮士郎だ」
「臓硯じゃ。苗字は名乗るまでもないか。さて、戦うでないならば、聞きたい事でもあるのか?」
間桐臓硯は、片方の目を大きく開けて俺を見据えた。
「……遠坂から聞いた。なんたってシンジがマスターになったんだ。あいつ、魔術師じゃなかったんだろ?」
「ほ、何を尋ねるかと思えば。かようなこと、答えるまでもなく。
あやつをマスターに選んだのはワシだ。見た通り現役から退いて久しいのでな」
「……マスターを譲った?」
「お主と同じだ、衛宮の跡継ぎよ。
己では敵わぬ夢を、後継、弟子に託す心情は理解できよう」
いまいち相手の言葉に理解が及んで居ない。遠坂は言った。マスターは原則、魔術師がなるもの。ならアイツは……。
「マスターの権利を譲り渡した、ということか」
セイバーの言葉に、くつくつと老人は嗤った。
「嗚呼。だがそれも、昨晩無駄になってしまったがな」
※
「……ビンゴ」
夜の巡回――――――――新都周りを捜索し、その帰り道。
唐突に聞こえた悲鳴。覚えの無い力強い魔力の余波。
頬を叩き、疲れた自分のスイッチを切り替える。魔術師にとって、回路を回すことはエンジンを噴かすことのようでもある。それはいついかなる時でも――――学校で優等生をやっている時でも、いつでもその切り替えは出来る。
だからこそ、丁度善かったのだ。……まぁ、問題といえば、相手の方。結界のけの字も張られた形跡がなく、明らかに、その手際は素人のそれ。大莫迦野郎もいいところだ。アーチャーに「本来の戦い方」を指示した上で、私は前に出る。ある意味、私が囮になるようなものだ。本来なら悪手でしかないのだけれど、でも、相手が相手だったからこそ、私はこの悪手を選んだ。
漏れ出ている魔力は、まるで芸術家が塗りたくった目に悪いペインティングがごとく。こんなの、出来の悪い衛宮くんだって判るに決まってる。
「――――」
思わず舌打ちしてしまう。その光景を、私は気に入らないと断言する。
会社帰りの女性だろうか。どこにでも居そうな、といえば語弊はあるかもしれないけど、それでも一般人であることに変わりはない。
そんな女性の首に、牙を付きたてるはサーヴァント。黒装束に身を包んだ女の存在は、明らかに夜の公園の中で浮いたものだった。
つう、と頬に流れる血。……女は、ヒトを食っていた。アーチャーと以前話した通り。血に紛れ、そのサーヴァントは文字通り、彼らの「食事」をこなしている。
「――――――へえ、誰かと思えば遠坂じゃないか。中々悪くないシチュエーションだ」
「慎二……っ」
手に古い魔導書のようなものを携え、間桐慎二はにやりと笑った。
「ま、僕もどうかと思うけど仕方ないだろ? お前だって手ごろな獲物を探してたんじゃないの?」
「ふざけないで。……この際だから、なんでアンタがマスターになってるのかとか、その手に持ってるもののことだとか、そういうのは置いておいてあげる。
……学校の結界もアンタの仕業?」
「? はは、まさか。気付いているだろ? 遠坂。
学校にだってマスターはもう一人居るさ。魔術師は僕だけじゃないんだろ?」
「よく言う」
あんな、ちょっとボケボケなメガネっ子すら見抜けないくせに、何をいっちょまえに言っているのだか、この男は。
そんな自分の能力のなさすら自覚せず、シンジは得意げな顔で私に言う。同盟を組まないかと。一人よりも二人の方が効率的だろうと。
「……」
『――――個人的な見解だが、あれはクズだ。言葉に重みが無い。要するに、吹けば飛ぶ』
アーチャーの言葉が聞こえるようだ。……嗚呼、私とは別な理由で、アーチャーならこいつの言葉を断るだろう。
でも、だからあえて、私は私なりの言葉を使う。
「お断りよ」
断られるとは思って無かったのか、シンジの表情が歪む。何故だ、と。サーヴァントも連れずに来ているように見えている事もあってか、シンジは自分が優位に立っていると錯覚していたのだろう。だから、この状況でも私に高圧的に言う。
ただ、正直そんなことはどうでも良い。
魔術さえなければ、人畜無害にしか成れないこんな男のことなんか。
私が苛立っているのは――――。
「――――魔術師うんぬん以前に、そういう態度は、ヒトとしてどうかしてるって言ってんのよ!」
その言葉と同時に、アーチャーの弾丸がシンジの胴体目掛けて放たれた。
マスターとしてこの場に居る以上、殺されるだけの覚悟は出来ているだろうと判断する。だからこその一発。
でも、流石は英雄の一種か。アーチャーの弾丸から、シンジを庇うように前に出るサーヴァント。腕に弾丸を受けるも、手に握る武器を落とす気配は無い。態度は冷静そのもの。反対に、シンジは酷くうろたえていた。
距離を詰め、アーチャーが拳銃を構えながら降りてくる。褐色、白髪のそりこみ、何とも言えない服装。動揺以上に、軽く放心している。さしものシンジも、その異様な風体に面食らっているらしい。
「――――」
二つの陰がぶつかり合う。アーチャーは瞬時に両手の獲物を二対の刃に切り替え、相手に斬りかかる。
響く剣戟。斜に構えたアーチャーと、めまぐるしく地面を駆ける相手のサーヴァントは対象的だった。
アーチャーはじっと、目を見開き相手の動きを見る。まるで何か、映像を己に焼き付けているかのごとく。女の動きは私の目にも止まらず、当然、アーチャーも簡単には追えない。それでも急所に当てさせず、斬り往なしているのは白兵戦の経験値ゆえか。
敵は長い髪をなびかせ、獲物を追い詰めるよう畳み掛けてくる。
「は! なんだ、ただの木偶の坊じゃないか! ハズレを引いたね、遠坂!」
その認識が甘いことを、シンジは気付いていない。
「必要以上の犠牲を好まない」とはアーチャーの弁。でもアーチャーは「私の方針に従っている」現在においても、隙があれば効率的に「虐殺」に走ろうとする。それはつまり、アーチャーにとっての「必要最小限の犠牲」というものが、あってないようなものだということだ。
それが示すことは、つまり、私が制限をかけて初めて「戦闘になっている」ということ。
初めから、言い訳さえ成立するなら、コイツは誰彼かまわず殺し、全てを解決しようと走るだろう。
私が援護をしないのと、シンジが援護を出来ないことは意味合いが異なる。
だって、絶えず今もこうして、アーチャーから「邪魔だから手出しをするな」と視線を送られているのだから。
「――――」
何度目かの短剣を受け、アーチャーの刃が砕ける。どういう訳か、アーチャーの武器は時間経過と共に錆び、ぼろぼろと崩れていくらしい。
高速で襲いかかってくる敵相手に、その状態は大変よろしくない。
「いいよ、構わないから決めちゃえ、ライダー! 爺さんの言いつけは守ったんだから――――」
「――――そうか、ライダーか」
へ? と。黒い影が早まった瞬間、アーチャーはそんなことを言って。二刀の柄を結合する。――――錆びた鉄が融合し、ナギナタのようなそれになり。
さも当然のように――――当たり前のように、ライダーの体をとらえ、斬り捨てた。ごろごろと転がるライダーは、ちょっとヒットの時の球に似ている。
「…………えっ? 嘘だろ
――――ぶッ」
その隙をついて、思いっきり、私はシンジの顔面をぶん殴ってやった。
後ろでアーチャーはつまらなさそうな表情でナギナタを消して、両手に例のバヨネットを構える。
「ランサーから『抜いて』こちらに『撃ち直した』が、意味がなかったな。
いかに優れた英霊でも、使い手がクズならクズにしかならん」
「っ……! この、さっさと立って戦え死人……!」
ライダーを罵倒するシンジを無視して、アーチャーは銃を構える。
ひっ、という声をあげて、シンジが動きを止める。
「――――――」
引き金に指をかけるアーチャーは、何も言わず、こちらをちらりと一瞥した。
……なるほど、要は、私に言えということか。私が明確に、アイツを「殺せ」と。そう指示を出せと言いたいのか、このサーヴァントは。
でも――――それも仕方ないことかもしれない。
「シンジ。今更泣き言は聞かないわ」
そういう理屈を振りかざした以上、私は容赦することはない。聖杯戦争というルールで戦う魔術師には、ひとしく、その覚悟があってしかるべきだ。非道を成そうが何を成そうが、結局最後は勝って生きるか、負けて死ぬかの二つに一つ。
「た、た、立てライダー、お前の主人は僕だろう! 犬のくせに主人の言いつけが聞けないってのか……!」
「……頭の出来まで悪いと見えるな」
「な――――っ」
だん、だん、と。
銃口をわずかに逸らし、ライダーの両足を撃ち抜くアーチャー。苦悶の声を上げるライダーに震えるシンジを、アーチャーは嗤っていた。
「幸福な王子とて、自分さえ失われたら何も与えられない。
わかるか? お前の頭と同じだ」
「ぼ、僕の頭がどうしたって……!?」
「無いものねだりだよ、お前は。できない事を認めろ。嗚呼、認めないならそれはそれで嗤ってやるさ。みじめだなぁ、お前は。
何の意味もなかったなぁその人生には」
少し意外な気分だ。唐突にライダーを狙撃した、まではまだコイツならやりかねないと思っていたけど。でも今の言葉は、何か明確な意思が感じられた。わずかに怒りと、言うなれば……、自虐だろうか。シンジのことを嘲笑いながら、その実、どこかその声音は、自分に対する諦めのような響きを帯びている。
「死ね。腐って死ね。マスターも異論はないな?」
「ひ――――! 立て、動けライダー ……! どうせ死ぬんならこいつを道連れにして消えやがれ……!」
「そこまでだ。どうやらおまえでは宝の持ち腐れだったようじゃな、シンジ」
そんな場に、しわがれた老人の声が割って入った。
※
「じゃあ、桜は――――桜も、シンジと同じようにマスターなのか?」
「む――――これは異なことを。そのようなことはシステム的にあり得まいに。どうやらおぬしの父親は、まともな教育をしなかったようじゃな」
「――――」
ちょっと、待て。
なんでそこで、オヤジの話が出てくる。
俺の疑念をよそに、老人は続ける。魔術は一子相伝が基本。よほど大きな家で無い限り、後継者以外にはその術を与える事はないと。
「兄が使い物にならなければ妹を、とも考えもしたが、既に勝敗は決した。今更、何も知らぬ孫を駆り出す必要もなかろうよ」
「じゃあ、桜は……」
「当然、何も知らぬ。家のことさえよくわかってはおらぬだろう」
「なら何で今日、二人そろって休んだんだ」
「ん? ああ、たまたまじゃ。
シンジは多少荒れているから今は『お灸を据えて』いるところじゃ。桜に関しては単に体調不良だが……、まぁ、そのうち戻るだろう」
どこまでその言葉を信じて良いものか、判別がつかない。
にかり、と。そんな俺の心情を察してか、老人は笑った。
「なぁに、これでもPTA会長じゃ。親代わりの爺として、多少は気を利かせておる。
聞きたい事がそれだけなら、失礼するぞ、衛宮士郎くん。今日は帰りたまえ。……嗚呼それから、言えた義理ではないが、うちの孫たちと善くしてやってくれ」
話は終わったとばかりに、俺たちの横を通り過ぎる老人。セイバーが立ち位置的に、俺をずっと庇った状態でいるのは、それだけこの老人に対して得体が知れないからだろうか。
見かけとは裏腹に、軽い足取りで老人は去って行った。ただ、その立ち去り際。
「――――それより衛宮士郎君。アインツベルンの娘は壮健かね?」
俺にとって意味の分からない言葉に、セイバーは視線を鋭くした。
中々炸裂するタイミングのないボブの宝具