Fate/false protagonist   作:破月

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Kapitel 7-4

―――――――夢を見る。

 

 

 

繋がった、細い、細い回路から血液が流れるように、手が届くはずもない、遠い世界の記憶を見る。それは懐かしくも儚い、悲劇の始まりとも言える、()()()の記憶だった。少なくとも、オレ自身の物ではない。これは他人の物語だ。

 

 

 

思い出す必要さえなく、

 

浸れるほど多くもない、

 

ただ過去としてある

 

永遠(いつか)の記憶

 

 

 

――――もう。今更変える事の出来ない、決定してしまった契約の重い楔。

 

 

 

一面の雪景色の中でそいつは笑っていた。大量の、赤い花弁を散らしたかのような、真っ赤に染まった体を横たえて。

 

 

 

声も挙げずにただ笑っている。

 

痛みに呻く事なく当たり前のように笑っている。

 

駄々っ子の言い分を聞き入れるかのように穏やかに笑っている。

 

 

 

どんな理由があって、そんな怪我をしてまで、そうやって笑っていられるのかは判らない。只管そいつは、真綿をちらつかせる灰褐色の空を見上げて、笑っているのだ。ともすれば、気が狂ったかのようにも見えるその表情に、どうしてか気が気ではなかった。

 

けれどいつしかその笑みは力を失くし、光が宿っていた瞳も何も映さなくなった。ああ、死ぬのかと。オレはそう思いながら、そいつを見ていた。

 

それから幾何もしないうちに、どこにそんな体力が残っていたのかは知らないが、そいつは体を起こして歩き始める。紫に変色した唇に、力のない笑みを浮かべて。腹部には大きな穴が開いていた。何かで刺し貫いたかのような、大きな穴が。

 

そこから滴り落ちていた血は寒さ故か凍り、運よくそいつの命を繋ぎ止めていた。だがそれも長くはもたない。結局、そいつは真綿のような真白の絨毯の上に倒れ伏した。

 

 

 

――――どうしてそうなったのかは判らない。

 

 

 

いや、そんな状況だったからこそ、そうなったのかもしれない。兎に角、酷い有り様だった。倒れ伏した体は、底なしの飢えを凌ごうと群がった狼に牙を突きたてられ、こそぎ落とすように肉を貪られていた。

 

息をしているのもおかしいほどボロボロになってようやく、そいつは死を迎えようとしていた。どうしようもない結末。今まさに命が尽きようとしていた時、そいつは。

 

 

 

『契約しよう。我が身の"記憶"を捧げる。その報酬を、ここに貰い受けたい』

 

 

 

世界などという得体の知れないモノと契約した。

 

 

 

――――死に瀕して漸く、初めからそうしておけば良かったのだと気が付いたかのように。

 

 

 

そいつは、英雄という、都合のいい存在になったのだ。

 

 

 

気付けば、狼たちに貪られ傷ついた体は全て癒えていた。

 

それからそいつは、決して多くはないけれど確かに人を救って行った。非人道的なこともしてきたが、それでも、救われた人々は確かにそいつに感謝していた。しかし、英雄という地位にこそあれ、そいつは一度も英雄とは呼ばれなかった。救われた者たちが、世界に切り捨てられる筈の存在だったこともある。

 

だが、もとより、そいつの目的は英雄になる事ではなかったのだ。ただ、英雄になるのはあくまでも過程で、その先にある()()()()()()()()()()()こそが、そいつの行動理念だった。

 

だからだろう、速やかに、終わりはやって来た。何かを為すたびに徐々に記憶を削られていきながら、"原初の願い"すら思い出せなくなっても、まるで意に介さず走り続けるそいつが、世界は目障りになったのだ。

 

そいつは自分の器も、実力も弁えている。己が為そうとする事の無謀さも理解していた。救う事が出来た存在を思うたび、取り溢してしまった命があることに後悔して。真逆の路を行く双子(きょうだい)の足跡を苦い思いで見つめながら。

 

それでも、己が救うべきモノのためにしたことだと。自分は決して、間違ってはいないのだと。だからこそ、どんな形であれ、救えた者に幸あれと願い続けた。

 

 

 

けれど、悲しいかな。数多の救済の結果こそあれ、"原初の願い"を忘れたそいつは、どうしたって歪んでいた。

 

 

 

ただ只管に()()の幸福を願う姿は、確かに英雄に相応しいものだったのに。

 

そいつは結局。契約通り、20余年の歳月を経て、過去(きおく)を奪われ、報われぬ最期を迎えた。

 

 

 

――――その場所に辿り着く。

 

 

 

そいつにはあれこれと手を尽くしてくれる協力者(ゆうじん)がいたし、恋人ではなかったがそれなりに長く連れそう(おんな)もいた。その全てを切り捨て、置き去りにしてでも、幸せになれと願っていたモノに追い詰められた。

 

振り上げた拳は行き場を失い、懐から出した拳銃の弾も尽きていた。立ち上がるだけの余力は無く、背中から豪快に倒れ伏す。炎々と燃える空の下、己が救えなかった者たちの怨嗟の声を幻聴しながら、それでも、そいつは願い続けた。

 

ひたり、ひたり、と確実に歩み寄ってくる死の気配に怖気づくでもなく、清々しいほどの笑みすら浮かべて。全てを代償(ささえ)にして、己が手に余る"奇蹟"を成し遂げたと達成感すら懐きながら。

 

……けれど、それも終わりだ。辿り着いたのは剣の丘。錆びた鋼の丘で、歩み寄るソレの持つ双剣に貫かれて、そいつの願いは終わりを告げた。

 

 

 

――――果たしてそれは、正しく願いが叶ったと言えるのだろうか。

 

 

 

夥しい血の色に染まり、秘色色(ひそくいろ)のネクタイは見る影もない。いつかのように、困った顔で笑っていたそいつは、最期にはソイツに寄り添えたのだから、悔いる事など何もないと。そう言ってソイツの腕の中で事切れる――――はずだった。

 

死後の契約はなく、使い潰すだけの駒として利用していた世界は、ただ、そいつが消えるのを待っていた。これで目障りな存在はなくなったと、どこぞの世界から入り込んだ異物(イレギュラー)の"■"は世界の手中に墜ちたのだと、安堵すらしていた。

 

 

 

――――けれど、ソイツは違った。

 

 

 

ソイツは自覚した。()()()()()()()()のだ。抱き留めた光の粒子となって崩れていく存在が、何者であるのかを。理想と現実の差異に絶望しきった後だったか、もしくは、まだ希望を捨てきれぬ時だったか。

 

兎にも角にも、擦り切れていた/擦り切れ始めていたはずの記憶の中から、その存在を弾き出していた。何の因果か、それとも偶然を装った必然か。感慨もなく、事切れたそいつを見つめていたはずの目に光が宿る。そして。

 

 

 

『ぉ、じき……―――?』

 

 

 

絶望の籠った声を、一滴の涙を、溢した。

 

 

 

思い出す事もないほど昔の、

 

思い出そうとするほど遠ざかっていく、

 

思い出す事さえ出来なくなった、

 

古の記憶。

 

 

 

ソイツは、自身の中に確かに息づいていた記録(思い出)を幻視する。敬愛していた養父の実弟。海外を飛び回り、月に一度届くかさえ曖昧な手紙に一喜一憂して。そして、16歳の春が来る。保護者席にあるはずの姿はなく、不定期に送られてくる手紙も届かなくなった。

 

薄々感づいてはいたが、彼が死んだという明確な事実を知ったのは、魔術の師である同級の彼女と時計塔(ロンドン)へ赴いた時だった。けれど、その死因が、まさか――――まさか、自分だとはソイツも思うまい。

 

摩耗しきっていたはずだった。思い出す事もなかったはずだった。だからこそ世界はソイツにそいつの始末を任せたのだ。万に一つ、思い出したとして、より一層の絶望に堕ちたソイツが御しやすくなるのであれば、都合が良かったのだ。

 

 

 

――――それが間違いだとは思わずに。

 

 

 

ソイツの腕の中には、一本の槍がある。そいつの人生その物ともいうべき、無銘の紅い槍が。それを楔のように地に突き立て、ソイツは茜色の空を仰ぎ見た。

 

 

 

――――慟哭が響く。

 

 

 

そして、ソイツの"願い"は聞き届けられる。

 

 

 

 

『――――この()が、()()()()が、君の願いを叶えよう。さあ、言ってごらん。君は、何を望む?』

 

 

『――――この声の主が、神であれ、悪魔であれ、感謝しよう。……永遠とは言わない、ただの一瞬でも構わない……っ!この人に、私が――オレが奪ってしまった人生の続きを与えて欲しい……!!』

 

 

 

 

まさしく、"奇蹟"が起きたのだ。だからこそ、そいつは今、存在している。

 

 

 

 

 

― ― ― ― ―

(side : Lancer)

 

 

 

 

「――――まじか」

 

 

意識の覚醒と共に、そんな呟きが溢れ落ちた。とんでもないものを見てしまった、あれはこの男(マスター)の根幹に連なる記憶(ゆめ)だった。()()()()()()()()とは、よく言ったものだ。まさしく、契約内容を違えていれば、英霊として――――抑止の輪の守護者(カウンターガーディアン)として、今もどこかで不特定多数の命を刈り取っていたのかもしれない。そう考えると背筋が寒くなり、今、マスターが生きていることに安堵する。ただ、生きているのかどうか怪しいほど、身体機能は低下しているようではあるのだが。

 

 

『その辺は心配いらないよ。どれだけ体が冷たくて、心音が聞き取りづらくても、確かに彼は生きている。青年の願いに合わせて、そういう風に私が手を加えたからね。少なくとも、この聖戦が終わるまでは死ぬ事はないだろう』

「――――――――っ」

 

 

思考を読まれたような返答に、体が強張る。マスターのものではない、陽気な声が聞こえた方に視線をやれば、フードを目深に被った魔術師らしい風体のヤツがいた。未だ眠りの淵から目覚めぬマスターを起こさぬよう、慎重に身を起こして魔術師を睨む。宙に浮かんだ状態で胡坐を掻いた魔術師の周りには、色とりどりの花が咲き乱れている。

 

 

「テメェ、何者だ」

 

 

声を押し殺して問う。魔術師は唯一見える口許に柔らかな笑みを浮かべて。

 

 

『通りすがりの魔術師のお兄さんだよ。ちょっとばかり、()()()()()()()()、ね?』

 

 

首を傾げ、手に持つ杖を揺らしながら、そう言った。

 

 

『本当は幾つか質問を受け付けてあげたいところだけれど、彼が目覚めてしまうまで時間がないからね。今回は私の話だけを聞いてもらおう』

 

 

こほん、と咳ばらいを一つ。そうして、魔術師はオレの事などお構いなしに喋り始めた。

 

 

『君が見たものは衛宮雪嗣(かれ)の記憶だけれど、それは彼自身が覚えていることではない。だって、ほら、彼は世界に記憶を()()()のではなくて()()()しまったからね。彼の頭がそれを収用している筈がないんだ、だから、()()()()()()()()()()()()――――バックアップのような物だとでも思ってくれたまえ。さて、彼は、薄っすらと契約内容を覚えていて、いずれ自分は座にも招かれず死に行く運命だと理解していても、()()()()()()()()()を覚えていない。そして、世界と契約するに至ったその()()()()()すら記憶と共に奪われてしまって、原初の願いを取り違えてしまった。だからこそ、彼は矛盾の中に生きている。いや、生かされている、というのが正しいのかな?あるべき姿へ、あるべき場所へ、彼が――――()()()が戻れるまで、衛宮雪嗣は生きなければならない。そのためには君の存在が不可欠だし、何よりも――――――』

 

 

言葉の先は紡がれず、魔術師の姿は煙のように消えていく。それは、オレの胸に、一つの暗雲を呼び込んだ。


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