(side:Shiro)
昼休みになった。特に約束をしているワケではないが、叔父貴に
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夏場なら生徒たちで賑わう屋上も、冬の寒さの前には閑古鳥を鳴かさざるを得ない。いくら冬木の冬が暖かいと言っても、屋上の寒さは我慢できるものじゃない。冷たい風にさらされた屋上にいるのは自分と、
「あら、よくわたしがここにいるって分かったわね」
物陰で縮こまりながら、心底意外そうにしている遠坂だけである。
「まあ、なんとなく?それより、差し入れがあるんだけど、要るか?」
途中売店に寄って買ってきたホットの缶コーヒーとミルクティー、両方を差し出す。
「……アンタ、朴訥な顔して結構気が利くのね」
「む、失礼な。飯を食うなら、飲み物も必要になるだろ」
ミルクティーの方を受け取った遠坂につめてくれ、と言いながら物陰に入っていく。ここなら人がやって来てもすぐには見つからないし、校舎の四階から見える事もない。
「あと、これ」
「……?」
「叔父貴から。桜は自分で作ってたみたいだから、たぶん遠坂にだろ。藤ねぇ―――じゃない、藤村先生に渡すには小さいし」
「え……あり、がとう」
「ん。帰ったら、叔父貴に感想でも言ってやってくれ。案外あの人、そういうの気にするから」
「……そうね」
出鼻を挫かれましたと言いたげな表情だが、喜色ばんでいるのは誤魔化せない。可愛いところもあるんだな、と思いながら缶コーヒーを傾ける。
「――――わぁ」
蓋を開けて歓喜。その気持ち、よく分かるぞ遠坂。滅多にこっちにいない叔父貴だけど、気紛れに帰国しては作ってくれる弁当は美味しかった。蓋を開けた瞬間に薫る、唐揚げの醤油の香ばしさ。色鮮やかな副菜に、卵とそぼろが散りばめられた白米。小さい頃は不思議に思っていた保温機能は、今では魔術を使っていたのだというのも判る。無駄に凝らない、けれどシンプル過ぎない。作り手の感情がこもった弁当は、本当に嬉しいものだ。
「……って、おじ様のお弁当に歓喜してる場合じゃなかった。ね、士郎。貴方、放課後はどうするつもり?」
「放課後?いや、別にこれといって予定はないよ。生徒会の手伝い事があったら手伝うし、なかったらバイトに出る―――のは流石に危機感なさすぎるか。ああ、でも一応ランサーがついてくれるならそれもありか……?」
「――――――――」
「……なんだよ、その露骨に呆れた顔は。言いたい事があるならはっきり言ってくれ。出来るだけ直すから」
「……まったく。貴方がどうなろうとわたしは構わないんだけど、ま、一つ忠告してあげる。今は協力関係なんだし、士郎は魔術師として未熟すぎるから」
またそれか。魔術師として未熟だっていうのは、耳にタコだ。気にしてるが、確かに遠坂の言う通りでもあるので反論はしない。俺の反応に、遠坂はまた意外そうな顔をして話を続ける。
「ねぇ、士郎?貴方、
「――――?」
学校に結界……?
「待て。学校に結界って、それはまさか」
「まさかも何も、他のマスターが張った結界だってば。かなり広範囲に仕組まれた結界でね、発動すれば学校の敷地をほぼ包み込む。種別は結界内にいる人間から血肉を奪うタイプ。まだ準備段階のようだけど、それでもみんなに元気がないって気づかなかった?」
「――――――――」
そう言えば……二日前の土曜日、なんとも言えない違和感を感じたが、あれがそうだったっていうのか?だが、という事は――――
「つまり―――
「そう、確実に敵が潜んでいるってわけ。分かった衛宮くん?そのあたり覚悟しておかないと、死ぬわよ貴方」
「――――――――」
弛緩していた意識が引き締まる。
『親しい間柄であるのなら、尚更、貴方は彼女のことを見極めなければならない』
脳裏に、今朝言われたセイバーの言葉と、桜の姿がよぎった。遠坂は俺の反応を余所に、話を続けている。それを、一枚壁を隔てたような感覚で聞く。……桜がマスター。そうと決めつけるのはまだ早い。セイバーはあくまでも注意喚起のためにそう言ったのであって、
「ねぇ、聞いてる?」
思考の渦に嵌りかけていた意識が引き戻される。少しだけ膨れた顔で俺を睨む遠坂に苦笑して、心ばかりの謝罪をする。
「―――あ、ああ。悪い。……冬木には二人しか魔術師がいない、だっけか」
「そうよ。他のマスターは外からやってきた連中か、魔術をかじった程度でマスターに選ばれたっていう変わり種でしょうね」
そうですか。遠坂に言わせると、俺も立派な変わり種という事らしい。
「それは判った。じゃあ、学校にいるのが半端に魔術をかじっただけのマスターだとしたら、この結界はサーヴァントが張ったことになる……よな?」
「察しがいいわね。サーヴァントは自分でマスターを選べない。だから、貴方みたいなマスターに当たってしまった場合、サーヴァント自身が色々策を練るしか勝機はないでしょう?」
「だろうな。そうじゃなきゃ、セイバーだってランサーに俺の護衛を頼むわけないし」
「それはちょっと例外っていうか……まあいいわ。で、結界の話に戻すけど、この結界はすごく高度よ。ほとんど魔法の領域だし、こんなの張れる魔術師だったら、まず自分の
……サーヴァントの仕業か。なら、マスター自身はそう物騒なヤツじゃないのかもしれない。俺の考えを見透かしたのか、遠坂は言った。
「魔術師にしろ一般人にしろ、そいつはルールが解ってない奴よ。マスターを見つければ、まずまっすぐに殺しに来るタイプの人間ね」
「?ルールが解らないって、聖杯戦争のルールをか?」
「違う。
箸を止めて遠坂は虚空を睨む。
「一般人を巻き込む、どころの話じゃないわ。この結界が起動したら、
「――――――――」
一瞬だけ視界が歪んだ。遠坂の言葉を、出来るだけ明確にイメージしようとして、一度だけ深呼吸をする。―――それで終わり。不出来なイメージながらも最悪の状況というものを想像し、それを胸に刻みつけて、自分の置かれた立場を受け入れる。話は解った。結界とやらを壊せないのかと尋ねれば、試したが無理だったという答えが返ってくる。
「結界の基点は全部捜したんだけど、それを消去できないのよ。わたしにできるのは一時的に基点を弱めて、結界の発動を先延ばしにするだけよ」
「ん……じゃあ遠坂がいるかぎり結界は張られない?」
そう願いたい、がそれは都合のいい願いだと遠坂は言う。結界は既に張られていて、発動の為の魔力も少しずつ溜まってきている。アーチャーが見立てたところ、あと八日程度で準備が整うとかなんとか。その言葉の真偽を確かめようにも、パスが繋がっていないからランサーには何も聞けない。それでも、微かに漂う彼の怒気で、それが事実なのだということが判った。
「そうなったらマスターか、サーヴァントか―――どちらかがその気になれば、この学校は地獄になる」
「――――じゃあ、それまでに」
「この学校に潜んでいるマスターを倒すしかない。けど捜すのは難しいでしょうね。この結界を張られた時点でそいつの勝ちみたいなものだもの。あとは黙ってても結界は発動するんだから、その時まで表には出てこない。だから、チャンスがあるとしたら」
「……表に出てくる、その時だけって事か」
「ご名答。ま、そういう訳だから今は大人しくしてなさい。その時になったら嫌でも戦う事になるんだし、自分から探し回って敵に知られるのもバカらしいでしょ」
凍えた屋上に、無機質な予鈴が鳴り響く。昼休みが終わったのだ。空になった弁当箱を片付けて遠坂は立ち上がる。
「話はそれだけ。わたしは寄るところがあるから、家には一人で帰って。寄り道は控えなさいよ」
じゃあね、と気軽に告げて、遠坂は去っていく。二、三歩進んだところで足を止め、肩越しに振り返り笑みを浮かべて彼女は言った。
「―――お弁当、ありがとう。おじ様にはお礼と一緒に私から返すわ」
「――――――――」
扉の奥に消えていく姿を何ともなしに見送る。気分は晴れない。マスターがマスターだけを襲う、なんて話が気休めにもならないことを知って、真っ当な気持ちでいられる筈がない。
「学校に結界、だと――――?」
何も知らない、無関係な人間を巻き込むつもりなのか。そんなのはマスターでも何でもない、
『――――喜べ衛宮士郎。君の願いは』
「っ――――」
頭を振って、脳裏によぎった言葉を否定する。そんな願いはしていない。倒していい"悪者"を求めていたなんて、そんな願いは、衛宮士郎の物ではないんだから―――
「いいのか坊主、授業始まっちまうぞ?」
わざわざ実体化してそう言ってきたランサーに頷きを返して弁当を片付ける。折角叔父貴が作ってくれた弁当は、半分も減ってはいなかった。