気が付けば日は落ちていて、出掛けていたバゼットと護衛のランサーも帰宅。住人が増えたのだからと、セイバーを連れて買い出しに出ていた士郎も数分前に帰って来ている。遠坂嬢は部屋の改装に忙しくしていたが、アーチャーが横から口出ししながら手伝っていたおかげか、予定よりは早く終わったらしい。俺は使い切ってしまいたい食材を見繕っている最中だった。士郎が買ってきたものを冷蔵庫につめながら、徐々に賑やかになっていく居間を横目に、今日の献立を考える。豆腐が余っているから、揚げ出し豆腐にでもしようか。汁物も簡単に、豆腐とわかめの味噌汁でいいだろう。あらかじめ下ごしらえしておいた鶏肉を主菜において、あともう一品適当に何か作ればいいか。
「手伝おう」
冷蔵庫から食材を取り出していると、背後からそんな声がかかった。肩越しに振り返れば、黒のワイシャツに黒のスラックスという出で立ちのアーチャーがいた。昼頃の焦燥感はすでになりを潜めている。朝とは違う格好に首を傾げれば、ランサーに渡されたのだという。ちなみに、どこか見覚えのあったそれらは、俺の部屋から見繕って来たものらしかった。士郎は今後の方針とやらを話し合うという名目のもと、遠坂嬢につかまっている。
「じゃあ、大根の千切りサラダと大根おろしのかけ汁を頼む」
「ああ」
まな板と包丁を取り出し、手慣れた様子で桂剥きを披露してくれたアーチャーの隣で豆腐の水を切り、鶏肉の下味をつける。フライパンを火にかけて――――
「今後の方針は決まっているのですか、凛」
「さあ?情報が無いから何とも言えないけど、とりあえずは他のマスターを探し出すコトが先決かな。残るマスターはあと三人。こっちがマスターだって知られずに探し出したいけど、さすがに上手くはいかないわよね」
――――ああ、物騒な会話だ。聞こえてきた会話の内容に苦笑を浮かべる。
「遠坂。三人じゃないぞ、四人だろ。マスターだって判ってるのは俺と遠坂、あとはバゼットさんの代理の叔父貴しかいないじゃないか」
揚げ出し豆腐用の大鍋を持ち上げていると、士郎が異を唱えた。
「なに言ってるのよ。私と士郎、おじ様、それにイリヤスフィールで四人でしょ。貴方、バーサーカーの事もう忘れたの?」
「――――あ」
イリヤスフィール。雪の妖精の如き可憐さを身に纏った彼女を、敵と認識するのは確かに難しいかも知れない。外見の幼さも相俟ってさらに。けれど、彼女は一介の魔術師であり、最強の英霊を引き当てたマスターだ。たかが少女と侮れば、痛い目を見るのはこちらだろう。ふむ、と頷いて傍観気味だったバゼットが口を開く。
「イリヤスフィール……バーサーカーのマスターですね」
それに同調するようにセイバーも頷く。
「凛は彼女を知っているようでしたが」
「……まあね、名前ぐらいは知ってる。アインツベルンは何回か聖杯に届きそうになったっていう家系だから」
「……聖杯戦争には慣れている、という事ですね」
「バゼットの言う通りね。他の連中がどうだか知らないけど、イリヤスフィールは最大の障害と見て間違いないわ。本来バーサーカー
「こうやって話をすることも出来ねぇな」
「そうですね。協力者としての機能を一切排除し、戦闘能力だけを特化させたのがバーサーカーです」
「だがそれは手負いの獅子を従えるようなもんだ。並大抵の魔術師じゃあ扱いきれねえだろう」
たとえ、バーサーカーになった英霊がそこいらのマイナーなものだったとしても、並のマスターでは制御するのは難しい。そんなクラスに、ギリシャの大英雄が召喚されたのだ。御しきれないのが当然ともいえる。しかし、イリヤスフィールはその大英雄をバーサーカーとして召喚しただけでなく、さらに完全に支配していたのだ。マスターとしての能力や魔力量は群を抜いていると考えても間違いはない。
「それを言うなら、雪嗣もそうでしょう」
「「――――え?」」
思いもよらぬバゼットの発言に、右手に持っていたお玉が滑り落ちた。床に落ちる寸前にキャッチして居間に視線をやれば、遠坂嬢と士郎が目をまあるくしてこちらを凝視している。台所にいるアーチャーも含め、サーヴァント達はそれこそ何を今更、とでも言うような目で少年と少女を見ているが。
「えっと……?」
残りの調理は全てやっておく、とアーチャーに台所を追い出されて居間に移動する。どういう意味かと、直ぐに問い詰められるかと思いきやそうでもなく。唖然とした表情のままの士郎と遠坂嬢に苦笑を溢し、バゼットに言葉の先を促した。
「既存の魔力量で言えば、雪嗣も負けてはいないでしょう。かのバーサーカーのマスターと同等、もしくはそれ以上と言ってもいいかもしれない。彼と共に潜り抜けた死線を思い返すに、一度に百体ほどの
――――とんでもない爆弾を落としてくれた。正直に頷くわけにもいかず、曖昧な笑みを浮かべる。
「――――それ、もうサーヴァントを二騎連れ歩いてるって言うのと同じことよ!?」
バァンッ、と強かに両の手を卓に叩きつけた遠坂嬢から視線を反らし、がくり、と俺は項垂れた。
「はあ……」
こうなると思っていたから、言いたくはなかったのだが。
― ―
バゼットと知り合う前、それこそ、この冬木で第四次聖杯戦争が勃発するよりも前のことだ。虱潰しのように各地の紛争に現れては、姿を消すガンマンの存在が噂されるようになった頃のこと。俺は、たった一人で世界を放浪していた。魔術師である事を隠し、魔術の権威達には気付かれないように、細心の注意を払いながら。その頃に、俺はとある英霊を召喚し主従の契約を交した。その後、魔術協会と取引をして一応の所属を決めた際に、その旨をまとめた書類を提出した記憶があるから、バゼットはそれを目にしたのだろう。その時の契約が今も続いているというだけで、俺が代理マスターであるという点に変化はない。令呪だってバゼットから移植したランサーとの契約による物一つだけしか無い。ただ、契約の印もまた、令呪に似ているから紛らわしい事この上ないのだが。閑話休題。俺には元から従えている使い魔こそいても、今回の聖杯戦争のために召喚したサーヴァントはいない。それを説明している間に夕飯の支度はすっかり整っていて、アーチャーが順に料理を運んでくる。それならその使い魔はどんな存在なのかと、詰め寄ってくる遠坂嬢によってお披露目と相成ったわけなのだが。非常に、心苦しい。なぜなら、いつかの聖杯戦争に参加していたサーヴァントと少なからず……というか、サーヴァントの一体として召喚されていてもおかしくはない存在なのだ。そう言えばセイバーにキラキラと期待を込めた目を向けられた。しかし、残念ながらフィオナ騎士団の一番槍や、オケアノスを目指す征服王などではない。かといって、円卓随一の実力者と謳われた騎士でもなければ、慢心の塊である英雄の王でもない。そこまで言うとセイバーは次第に顔を顰めていき、まさか、と呟く。安心してほしい、トチ狂った聖処女厨の元帥でもない。むしろそんなやつを召喚するほど、俺は落ちぶれちゃいないと思いたい。相性召喚でも無理だ。召喚できたとしても、それは狂う前の正常なジル・ド・レェ卿だろう。実際に興味本位で召喚したら、そうだったのだから間違いない。もっとも、契約はしていないため、今ここにはいないが。ここまで言ってしまえば、答えを教えてしまったようなものだ。俺が契約した使い魔はかの青髭ではない、という事に安心したのは束の間。掴みかかってくるような勢いで詰め寄って来たセイバーが、憤怒を撒き散らしながら俺に言う。
「貴方は!あんな男が使役していたようなサーヴァントを使い魔にしたというのですか!?」
あんな男、と苦々しくも鋭く言い放つ彼女に苦笑を浮かべ、何もない空中に手招きをする。すると、ぐにゃり、と歪んだ空間に闇のような色合いをしたローブを身に纏う髑髏が浮かびあがった。
「ハサン・サッバーハ、お呼びにより参上いたしました。して、ご用件はなんですかな?魔術師殿」
見上げるほどの痩身を折り曲げ、恭しく礼を取った黒い塊に全員が目を剥く。アサシンの適性があるため、気配遮断はお手の物。初めからこの部屋にいたのだが、誰も気付けなかったらしい。それから、真名をあっさりと口にしたことも驚きの要因の一つなのだろう。セイバーは幾度も目を瞬かせると、性別が違う、と溢した。それはそうだろうさ、俺は言峰が召喚したアサシンのメインにいた百もの貌を持つ彼女ではなく、けれど、確かに"山の老翁"の名を冠する彼をあえて選んで召喚したのだから。もっとも、このハサンも、
「これから夕食なんだが、一緒にどうだろうか」
「それはそれは……喜んで」
髑髏の仮面が、にこりと笑みを象る。それに頷いて、もう一人分食事を追加するべく席を立った。